一ノ瀬志希はソファでまどろんでいた。所属する芸能事務所の居室で、明かりを消して毛布にくるまり、心地よい午睡のひとときだ。……同僚たちが微笑ましく見守っては仕事へ出ていったその眠りを、いまにわかに破るものがある。
「とっ、あぁーっ!!」
雄叫びとともにドアが跳ね開けられた。ノブを押しているのは焦茶色のローファーだ。長い髪の少女が顔の隠れるほど大きい植木鉢を抱え、バネのひきもどすドアをブレザーの尻で支えながら、一人で部屋にもつれこむ。
「やった、はいれた~っ」
志希はそれを、ソファから落ちそうになりながら睨んだ。顔は見えずとも声とニオイで志希には闖入者の正体がわかる。辻野あかり。志希の、年齢においてもアイドルとしてのキャリア上でも後輩である。
「ふしゃーっ」
「はぇ? あっ、志希さん」
威嚇の声に、緑の陰からあかりが顔を出す。文句をいってやろうとした志希だったが、寝起きのためか、あかりの口のほうが早かった。
「もー、いたんなら開けてくださいよ。こいつすっごい重いんですから」
“すっごい重い”植木鉢を上下に揺すって、あかりが眉を寄せてみせる。もう一声威嚇しかけて、志希は、鼻と口から息を吐いた。ばかばかしいなと思ったのだ。
「そんなの置いてから開ければいいにゃん」
「あ」
気づかなかったと独りごちながら、あかりは植木鉢を窓辺に運ぶ。てきとうな場所に下ろし、ブレザーの腹をめくって水受け皿を出し、気合の声とともにそこへ植木鉢を置く……。ソファの背からそれを見て、志希は鼻を鳴らした。自分だったら台車とか他人を使うし、でなければ皿だけ置いてドアを開けっ放しにしてから鉢を持ってくる。何とおりかシミュレーションをしたが、“他人を使う”に勝るものはなかった。志希の腕力ではあかりの真似ができないのだ。
「志希さん興味あります?」
「うにゃあ?」
秋の晴れ空色の瞳の、じっと見つめるのに気がついて、あかりがソファの背もたれに身を乗り出した。熟したりんごの果皮に似た赤い目が、暗い部屋にもキラキラと……志希には爛々と見えたが、光る。
「りんごの木ですよ、山形の!」
「へー」
「私が六年生のときにちっちゃい苗だったんで、ことしあたり収穫もできます!」
りんごの苗木は樹齢一、二年目ごろ。五年になるころから食べるにたえる実が採れるようになる。いまあかりが運んできた木が若木という区分にはいる、という知識のほかは、眠い頭の片隅ですぐさま導き出せた。
「そんなちっちゃい木じゃ実ができても一口で丸呑みにゃん」
「りんご丸呑み大会……。イケる……? でも死ぬひとが出たらイメージダウン……」
「ひとりごとモードなら志希にゃん寝るにゃん」
「だめです! 二度寝すると頭おかしくなるらしいですよ!」
「もうおかしいから平気」
「悪いほうにおかしくなるんです!」
いいほうにおかしいって具体的にどんなだ。志希は返事の代わりに頭から毛布をかぶる。膝から下が覆いきれなくともお構いなしだ。しかし、あかりの遠慮はそれ以上のなさで、両手で志希の毛布を引き剥がそうとする。
「寝ないでくださいよー! 丸呑み大会の話、詰めましょう!」
「しゃーっ!!」
志希の爪を避けて尻もちはつきつつ、しっかりと毛布は奪い取っているあかりである。
「はーっ、危ない。ほんとに襲ってきた」
「頭からバリバリかじって成り代わってやろーか!」
「食べるんならりんごにしてください。山形のりんごに」
「……りんごだったら地元のりんご食べるにゃん」
岩手県の出の志希は鼻を膨らませてみせ、あかりの眉をそびやかしめた*1。
「秋にはこいつが生りますから!!」
「そいつは東京で育った東京りんご」
「土が山形だから山形です」
志希は唸った。ふだんはヘリクツの押し売りをしている志希だが、いざ自分が買わされる側になってみると割に合わぬことこの上ない。目を逸らし、ソファから下りて、志希は部屋の外を目指した。舌戦の結果よりも多少はマシなものが、外にはいくらかあるはずだった。
「でも志希さん、実が生らないとは思ってないんですね。よかったあ」
なにが“でも”なのか。寝癖のついたうしろ髪にあかりの話を聞き流して、志希はドアノブに手を伸ばす。
「じつは私まだ、ちゃんと生るか自信ないんですよね。さいしょに志希さんがいったとおり、生ってもすごく小さいか……」
静電気が指先に青白く光る。とうに退いた冬将軍の捨てがまりがあかりの味方をしてるのかと、下唇を持ち上げた。
「で、志希さん、リン酸がいっぱいとれるアンプル作ってください! どうせなら大きくておいしいの食べたいですよね?」
志希の耳がピクッと動いた。リン酸を大量に与えれば果実はよく生育する。だがそれだけでいい果実ができるわけではない。湿度、気温に日照。そうした環境要因を、リン酸のみならず窒素とカリウム、ミネラル分のバランスでカバーする。面白そうとは思わない。自分の暮らしぶりを植物になぞらせるような行いだ。くだらない結果になる……考えるかぎりでは。そこへこの、あかりという未知の人間がどれほどの作用を見せるのか? 怖いもの見たさのような、予想を裏切られることを期待するような、妙な気持ちが湧いてきた。
「……いいじゃん丸呑み祭りで」
「丸呑みじゃ“おいしい”ってならないじゃないですか。おいしいりんごを食べさせたいんです!!」
「敵の手を借りてでも?」
「手? 岩手から手を取ったらただの岩になっちゃいますね。あはっ」
「ぶっころすにゃん」
構えた爪へ、毛布が投げつけられた。期せずしてとりもどした毛布はわずかに、土と汗とりんごの匂いがついている。
「冗談はともかく、ライバルはいても敵とか味方とかはないです。一緒にりんごの未来を作る仲間です! サンふじだって青森からもらったふじを山形がとくべつな育てかたをして作って、また青森にあげたわけですし」
志希は鼻を長めに鳴らした。
「だから、いいりんごを一緒に育てるんご! まずはリン酸よろしくお願いします!」
「あーはいはい、リン酸ね、
「あ、しぶりんとか変なダジャレはだめですよ」
変なところで鋭い赤い目から、青い瞳は薄暗い部屋の済へ逃げた。
「ふーん、あだ名呼びしてるんだ?」
「おないどしですもん」
そうだったのか。驚いて見返した志希の顔をのぞいて、あかりは笑った。
「やっと目が合ったんご~」
(了)