猫、巫女、サンタ、あいのうた   作:久聖

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フレデリカ  ハタチの休日

「ん~……っふっふっふ、壁が歩けるよぉ~。揺れてる~っ」

「飲みすぎだよフレちゃんよ」

 

 二月の夜の路地を、おれはフレデリカを肩と腰で抱いて歩いている。壁が歩けるのはこやつの錯覚ではなく、どんどん傾いでいくフレデリカを支えた結果のアクロバットだ。“肩と腰で”とはそういうことだ。フレデリカの右肩を右手で、右腰を左手で、胸許に引きつけて抱え、方には荷物をたすきがけ、手首にも紙袋。しかもこの半分フランス人の美少女……年齢を正確にするなら美女は、壁にパンプスの音を頼りなくひびかせている。

 

「みんながくれるからってカパカパ飲まないんだよ」

「フレちゃんはもぉ~大人だから~お酒が飲めるんですぅ~」

「二〇時間前は子供だったろ……」

 

 フレデリカが二〇歳になったきょうは、レギュラー出演していたドラマのオールアップの日でもある。それでダイナーを貸し切りにして、両方を祝うパーティーが開かれた。ドラマのスタッフの気持ちあたたかしと聞こえようが、なんとも甘い話である。入店してから一時間、断らないフレデリカにどいつもこいつも、強い酒やカクテルを持ってくるのだ。

 

「うまいこと躱すやりかたを勉強しような。悪いこと考える連中はいっぱいいるからさ」

「あぶないっ! ハードルだ! ジャ~ンプ!!」

 

 ハードル? ああ電柱か。おれがそう理解したのは、豪快に尻餅をついたあとのことだ。三秒ほど過去に置いてけぼりのおれの頭の下で、ライム色の目がキラリと光って、回る。

 

「おおー、フレちゃんは~バク宙があ、できたんだねえ~……」

 

 ……フレデリカは口にしたとおり、本当にジャンプした。両足でブロック塀を蹴ったのだ。胸に抱えた新成人にそんな暴れかたをされ、おれは足がもつれてその場で一回転した。バランスを崩して立てなくなってもなお、フレデリカも荷物も放り出さなかったのは褒められていいと思う。

 

「あはははは、星が回ってるぅ~。あはっはっふ」

 

 いつもの調子の笑いをつまらせ、おれの腹の上で伸びたまま、マイペースなマダム一年生は硬直した。背中の筋肉のこわばりが、五枚を超す布を越えて伝わってくる。平時に輪をかけてハイテンションなフレデリカだが、飲まされどおしで具合が悪くなり、早々に退散してきたのが実情だ。路上に座りこんだまま、上半身を助け起こしてやる。パステルピンクのルージュは、本人の具合をよそに街灯でつややかに光っている。

 

「大丈夫かいフレちゃん。吐きそうだったのにごめんな」

「もーちょっともちそうケロケロ」

「けっこうギリギリってことかな?」

 

 フレデリカの具合には数段劣るが、もう一つ気にかけるものがある。手首に提げていた紙袋の中身だ。誕生日プレゼントがだめになってしまっては、ヨコシマなものばかりとはいえ贈ってくれたスタッフ一同に申しわけがない。

 

「よかった、無事だ。ワインも、セットのグラスも」

「なにそれ~、なんの瓶なんの瓶?」

「きみがもらった貴腐ワインだよフレちゃん」

 

 極甘口の希少なワインに、専用のグラスが二つついたものだ。デザートワインゆえ、ボトルもグラスもごく小さくできている。こんな小洒落たプレゼントができるくせに、やることが盛りのついた大学生と変わらんとは人間不思議なものである。

 

「キスワイン~? ん~ちゅっちゅ」

 

 フレデリカの左腕がおれの首にかかる。ターコイズのマニキュアの右手が左の肩をつかみ、妖しいピンクの唇がすぼまって頬に落ちた。それ以上なにかしかけてはこない。ただ、浅い鼻息がおれの鼻先をかすめていく。……何度も。

 

「フレちゃん、お酒くさいよ」

「はいっ、たーくさんのみまみまっ」

 

 回りきらぬ呂律でやっと、唇の細かいひだの感触が頬から離れた。フレデリカはおれの左肩にしがみついたまま、右胸に頭を押しつけてくる。

 

「甘え上戸はかわいくていいけどさ、天下の往来だぜここは。立てるかい」

「平気平気ゲコゲコ」

「もうあと一歩で出そうになってない?」

「出るぞ~。一歩でも動いたら出るぞ〜」

「一〇〇歩くらいは耐えて! トイレ探そう、ほら」

 

 立たせると千鳥足で歩きだし、肩を貸せばおぶさろうとし、おぶろうとすれば抱きついてくる。いつものフレデリカとなにがちがうと問われれば、体重のかけかたがちがう。遠慮がまるでない。

 

「ほろ酔い加減のフレデリカ~、こんどのお酒はなんですか~」

「吐きそうなのに元気だねえ」

「なまえーを訊いてもわからない、くれーたひーとはだれだっけ? フンフンフフーンフンフンフフーン」

 

 ホンキートンクなフレデリカの両肩をうしろから捕まえて歩く。上機嫌なのはいいとして、頭をグラグラ揺らして歩く姿が暴発の不安を煽り立ててくる。

 

「飲ーんでばーかりいーるプロデュウサー」

「飲んでないよ! きみの心配ばっかしてぜんっぜん飲んでないよ!」

「のみなおしするー?」

「いいね、こんどは静かなとこでね。でもべつな機会にしようね」

「なんっ、んっ、んっ……」

 

 フレデリカの体がこわばり、鼻から苦しそうな声が洩れる。決壊が近い。視界の端に公園。励まし励まし近づけば、まったく運のいいことで、遊具こそないが公衆トイレは備えた親切な公園だった。多機能トイレのない古い建屋だったので女子トイレに連れていく。ためらってはいられない。

 

「あれーっ、プロデューサーって女のコだったっけー?」

「余裕あるんならここで待ってるけどさ」

 

 胸を反らせたり背中を丸めたり、口から吸っては鼻から吐いて、フレデリカの動きに落ち着きはない。弾力のある肩を支えているおれの腕にかかる重さは、さっき抱き上げていたときとほぼおなじだ。息の浅く荒いフレデリカを、揺らさないように個室まで運んだ。

 

「おりょ、ここはエレベーター?」

「トイレの個室だよ」

「うーん、ベンキ、マイフレンド……」

「友達は選びなさいね」

 

 白い肩が大きく前のめりになって、短い周期で上下を繰り返す。だが口から出るのはえづく声だけだ。

 

「背中さすろうか?」

「前も~」

「前は下から出すとき!」

 

 品の上下も左右もあったもんじゃあない。肩出しのゆるい服の上からフレデリカの背中を下から上へさする。よく歌いよく踊るアイドルなだけあって、こんな状態でも肉の張りはやけに頼もしい。

 

「恥ずかしいかもしれんがさっさと吐いちゃいな」

「うう……フレちゃんのなかみが見られてしまう」

「ちゃんぽんしまくったその中身が悪さしてんだから、吐かんことには苦しい一方だぞ」

「はい、吐きまーす」

 

 声がとたんに活力をとりもどした。さする手にじゃれつくように背中を反らし、フレデリカは身を反転させるとおれの手につかまって腰を下ろす。アルコールで肌は上気しているが、両目はしっかりおれを見上げて、猫に似た光を放った。

 

「じつは平気」

「……本当に?」

「ホントに平気か平気じゃないか~」

 

 けたけた笑いながらフレデリカは、大きく開いた口を指差した。伸ばしきった濃いピンク色の舌をひくつかせて、喉から珍奇な提案を吐き出してくる。

 

「指いれてみる?」

「いれるとどうなる?」

「ウソつきは噛まれるけど正直者なら噛まれな~い」

 

 ローマの休日ごっこだろうか、さっきから。おれは努めてそっけなく返事をして、不意打ちに口内へ二本指をいれてみた。正直なところ即座に噛みついてくると思ったのだが、白い歯は動かなかった。湿った熱気がアルコール臭をともない、手の甲まで撫であげてくる。伸ばした指のつけ根にひやりとした弾力が吸いついた。フレデリカの舌だ。両手を便座の縁につき、フレデリカが身を乗り出した……目を閉じて顔をこちらに突き出したのだ。

 

 厚い舌の上に指先でそっと円を描いてやると、長い舌先が外に残した指の甲をなぞる。仕返しではなく、反射だ。側面を親指でなぞる。喉から熱い吐息が洩れた。おれの指を根本から舐めあげてフレデリカの口が閉じる。

 

「あ……あーぶないっと」

「おれのセリフだよ」

 

 上下の皓歯は寸前で踏みとどまってくれ、おれの指は無事にフレデリカの口を脱出できた。唇の感触ごとハンカチで拭うおれに、フレデリカはいつものイタズラっぽい笑みを向ける。

 

「正直者は噛まれないんだよ~」

「……そりゃあありがとう。しかしいまので気持ち悪くなってないだろうな」

「もう一回する?」

「元気なんだったらそれでいい」

 

 舌は出さずに開いた口へ人差し指を一本向ける。指先が歯を過ぎたところで、こんどは動きがあった。

 

「ぎゃぶり!」

「おい!!」

「うひひひひ、なんとウソつきはフレちゃんだったのだ」

 

 指に噛みついたままフレデリカがニッカリ笑う。押し問答のすえやっと解放された指にはすっかり歯型がついている。

 

「で、フレちゃん、なんでこんな酔っぱらいの真似なんてしたんだい」

「ルミさんがいってたよ、酔い潰される前に潰れたフリしろって」

「おれがいなかったらかえって危ないぞ」

 

 酔い潰れたフレデリカを心配して帰らせてくれる男など、人類ではおれくらいのはずである。金星人でもまぎれこんでいたら希望はあるかもしれないが。

 

「うんうん、プロデューサーがいるから平気~」

「任されちゃってますか、おれ」

 

 どうせならもっとスマートでおれの負担もないやりかたを教えてやっててくれればよかったのになあ。ロコツにボヤいてみせてもフレデリカはそ知らぬ顔である。たしかにいつもどおりだ。

 

「で、じつは元気な」

「ほろ酔いかげ~ん」

「……じつはほろ酔い加減のフレちゃんはどうすんだい。おウチに帰れる? 一人で」

 

 アルコールで色づいた頬を撫でると、頭の重さをすべて手に乗せてくる。かと思えばひょいと身を起こし、高い鼻をつまんでみせる。

 

「プロデューサー、お手々クサいよ~」

「きみのヨダレだよ」

「ホントはほろ酔いフレデリカ~、あたしのおうちはコロッセオ~」

「ちがうでしょ」

 

 まだローマの休日ごっこはつづいているらしい。時系列が行ったり来たりするのは、まあ、フレデリカでなくともそんなものである。

 

「公園のベンチに置いてくぞ」

「んふー、いいねえ。じゃああたしベンチで寝てるから、プロデューサー迎えに来て?」

「おれん家までついてくる気かい」

「飲みなおし、飲みなおし~」

 

 おれの手首から貰いもののワインを取り上げると、夜の公園にふらふらフレデリカは出ていくのだった。

 

 

 

(了)

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