猫、巫女、サンタ、あいのうた   作:久聖

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歌鈴  贈り物は光のなかで

 大晦日、中華街の人波をかきわけて菜館に辿り着いたのは、予約時間を三〇分ばかり過ぎてからだった。通された半個室で道明寺歌鈴とおれは、明るい天井に息を吐いた。中国では魔除けの石と信じられている翡翠のやさしい緑色で、めでたい金色の上に瑞祥を描いてある。

 

「混んでたなあ」

「すごい人出でしたね。あれ、みんなあのお寺のイベントに行くんでしょうか?」

 

 胸に小さいブーケを抱いたままで歌鈴が顔を壁のほうに……そのお寺のあると思しき方角へ向けた。白と薄緑の清廉な花束は、さっきそこでもらったばかりのものである。中華風の小説のドラマ化で歌鈴はちょっとした名ありの役を勝ち取り、ひと月ほどロケに奔走した。そして中華街の道教寺院で無事クランクアップとなったのだ。

 

「年越しの大人気イベントだっていってたもんな」

「特等席で見せてもらっちゃいましたね」

 

 クランクアップの花束につづき、祝いごとの好きな監督は歌鈴の誕生日プレゼントを用意していた。寺院名物の中国の獅子舞と舞踊、本来は年明けと同時にはじまるものを、とくべつに演ってもらうという豪儀なものだ。

 

「お相伴にあずからせてもらいました」

「いえいえ、楽しかったですよっ。獅子舞が立ち上がったときとか、一緒に盛り上がれて」

「ああ、あれはすごかった。肩の上に立ってな」

 

 中華式の獅子舞は二人組で、上半身と下半身を分担して操る。それが何体も並び、金毛を振り乱して四メートルの高さに起き上がるのだ。歌鈴が見上げすぎて倒れそうになったのはご愛嬌である。

 

「中国の奉納芸ってとにかく派手っていうか、目一杯に迫ってくる感じがしますね」

「とにかくきらびやかだったし、空間を使えるかぎり使ってね。舞踊も回って広がる裾の長さまで考えて位置とってるよなあ」

「日本の神さま向きかはわかんないですけど、アイドル的には参考にしたいです」

「あの空間演出は使ってみたいねえ。こんどは京劇でも観に行ってみるかい」

 

 勉強熱心に歌鈴が頷いたところで、最初の皿が来た。干し豆腐の麺だとか空芯菜炒めだとかが一山ずつ盛られ、星型になっている。歌鈴はようやくブーケを胸に守ったままでいたことに気がついて、教えなかったおれに頬を膨らせながら隣の椅子に置いた。

 

「まずは、ことしのお仕事、お疲れさま」

「はい、プロデューサーさんもお疲れさまです」

 

 湯気の立つ烏龍茶の湯呑み茶碗がこつんと小さい音をさせる。口を湿らせて胃を温めれば、歌鈴の音頭で箸をとり、仕事納め、そして誕生日の前祝いの食事がはじまる。

 

「お刺身もあるんですね、中華料理」

「中華のは野菜と一緒に食べるらしい」

 

 あとで調べると魚滑という広東料理だった。雰囲気は刺身やカルパッチョだが、紹興酒風味のソースで野菜と混ぜる食べかたはユッケが近いかもしれない。

 

 これなら作れそうだからやってみたいとか、空芯菜って売ってそうで売ってないとか、あれやこれや感想をいっているうちに皿は空になる。コースの二品目はスープである。脚と蓋つきの小ぶりな壺が供された。

 

「そういえば“すごいスープ”っていってましたね?」

佛跳牆(ファッチューチョン)だ。これが楽しみでこのコースにしたようなもんさ」

「あれっ、わたしの誕生日の前祝いじゃなかったんですか?」

「もちろん歌鈴のために取った店だけど、おれだって二つくらい楽しみにしてるものがある。一つはこれ」

 

 佛跳牆は干し鮑だの干し椎茸だの、山海の珍味の乾物を一日かけて煮こむ、無味乾燥な表現をすれば旨味成分のカタマリだ。ナマグサを禁じられている仏僧さえ匂いにつられ、(かべ)を跳び越えて来たというのが名前の由来らしい。なお、予算によって材料が変わる。仏僧が我慢できるかできないか、いったいいくらがラインになるのやら……。

 

「ああ~、ほんとうにいい匂いが……」

 

 白磁の蓋をとり、琥珀色に色づいて見える湯気に鼻先を濡らして、歌鈴は細い喉を鳴らす。隣からかすかに漂う香りで頬のゆるむおれは、さて自分のカップの蓋をとったものかちょっと悩んだ。

 

「ぢゅっ、中華はあつあつのうちにいただく、ですよね!?」

「うん……そうだな。締まりのない顔になりそうで怖いが、いただくとしよう」

「大丈夫です、たぶんわたしプロデューサーさんのほう見てる余裕ないですから」

 

 ……はたしてそれはおれもおなじであった。なかば放心状態のうちに、三品目が届いた。北京ダックである。

 

「まだ三つ目なのに豪華すぎませんか!?」

「中華だからね。歌鈴、自分でいってたろ。中華のものはとにかく目一杯に……」

「迫ってきすぎです。ていうか、プロデューサーさんは反応薄いですね?」

「佛跳牆のせいかな」

「おいしすぎでしたね。甘いとかなんかそういうんじゃなくて、おいしいって種類の味」

「旨味ってああいうもんなんだねえ……」

「完全に囚われちゃってますね心が……」

 

 眉と目と口とを平行にしてみせて、歌鈴は箸をとった。パリパリに仕上がった皮をつまみ、薄餅に乗せて……。意外な手際の良さに感心していると、歌鈴はそれをおれの鼻先に突きつけてきた。

 

「はい、ちゃんと食べてください!」

 

 受け取ろうとすれば北京ダックは上へ左右へと逃げ回る。

 

「ああ、なに、そういうこと?」

「そうです。はい、あーん」

「贅沢納めかなこりゃあ」

 

 かわいいうちの子に文字どおり手ずから食べさせてもらえば、僧といわず仏でもつい顔を出してきそうだ。

 

「タレはなかにいれたのか」

「あれっ、まちがえました? なんとなくでやっちゃったんですけど」

「合ってる合ってる。もっとちゃんとやるなら、薄餅に塗ってから具を乗せるらしいけど」

「えーっ、再挑戦させてください! こんどはちゃんと作ります!」

「いいのいいの、おいしかったんだから。おれに食わすより歌鈴が食べなさい」

「うーん、はあい」

 

 二つ目からは正式にのっとって、パリパリの皮と新鮮な野菜を巻き、口に運ぶ。頬に手を添えてえびす顔の歌鈴を見れば、正直、北京ダックの味よりもずっと幸せを覚える。

 

「しかし意外だったな、北京ダックは初挑戦だったんだ」

「えへへ、じつはそうです……わっと」

 

 細い短冊のキュウリをこぼしそうになって歌鈴がはにかむ。

 

「友達どうし集まると、カフェとかデリとか、夜はファミレスとかですし」

 

 ラーメンを食べ歩いてるのやひどい偏食家もいるアイドル界隈にあって、そういえば歌鈴の周りは食についてはおとなしい子が多かった。カレー大好きの日野茜が上限だろうか。

 

「打ち上げ……だとその場でケータリングが多いですしね。あ、でも、イタリアンがいちどあったかな? 実家のお祝いごとも出前でしたね、神職さんとか一緒ですし」

「中華の機会はほんとう、なかったわけかあ」

「はい。あれ、もしかしてわたし、初中華? えっ、そんなはずは……」

 

 薬味の細い野菜を歌鈴は記憶の糸以上にたぐって、手のひらのくぼみを柔らかくなぞる薄餅へ乗せていく。メインのはずの鴨の皮がすっかり白く覆われてしまった。

 

「歌鈴、そんなにネギ好きだったっけ?」

「えっ、ああ……。そういうわけじゃないんですけど、みんな使わないとと思って。ただすごい量ですからちょっと……」

「いいんだよ、ネギもキュウリも薬味だから。好みの量でさ」

 

 諒解したもののいまさら小皿に返すわけにもいかず、白髪ネギの塊でふくれた包みはおれの口にはいった。鼻からネギの香りばかりが抜けていく。さて、好みの配分で作った一包みを食べ終えた歌鈴は“定番の話題”を口にした。北京ダックのたっぷりある肉はどこへ行くのか?

 

「“ほかの料理に使ってる”って聞きますけど、……」

「その鴨肉料理が出てきたためしがない、ってとこかな」

「はい。まあ、中華ぜんぜん知らないわけですけど」

「本場だと鴨をぜんぶ使うコースのうちの一品だから、そういう説明になったんだろうね」

「日本だと?」

 

 歌鈴の訊き返すように、日本では往々にして北京ダックは単品での提供が多い。使うタイミングのはかりかねる肉だけ貯まっていくように思える。

 

「まかないになるらしい」

「なるほど……」

 

 頷いてまた一つ、香ばしい皮と薄餅とタレの甘みを堪能し、細い首を傾げた。

 

「ん、鴨? ダックって……アヒル?」

「アヒルは鴨を家畜……鳥だから家禽か、にしたやつだよ」

 

 豚とイノシシの関係とおなじで、生物学的には同一といえるらしい。

 

「見た目はだいぶちがうような……。んん? でも鴨を白くしたらまるっきりアヒル……?」

「いまは難しいことはいいじゃあないか、おいしく食べよう」

「そ、それもそうですね!」

 

 金地に翡翠色の絵がしっとり輝く天井を睨むように考えこんでいた歌鈴は、勢いよくテーブルに視線をもどらせた。長い箸を操って薄持ちを整え、しゃくしゃく、パリパリと小気味いい音をさせる。湯気の立つ烏龍茶をすすりながら、そんな歌鈴を眺めているうち、コースは次のメニューへ進んでいった。

 

 魚料理、肉料理とつづいて貝のさっぱりしたチャーハンまで食べれば、若くて元気で、長丁場の仕事を納めたばかりの歌鈴も“お腹いっぱい”と胸の下をさする。

 

「デザートの余裕はあるかい」

「甘いものなら別腹です!」

「よかった、おれのぶんもあげようか」

「別腹は一人ぶんですから」

 

 歌鈴は胸の前で大きく腕を交差させてみせる。歌鈴なりの遠慮かやさしさか、あるいは……。

 

「一緒におなじもの食べたいじゃないですか」

「そういうことならへばっちゃあいられんな」

 

 深呼吸で胃袋に隙間を作っているところへ、デザートが運ばれてくる。ガラスの椀を満たす濃い黄金色のマンゴープリン。それから大きいガラスポットにはいった、片手に収まるくらいの丸いもの。テーブルの中央に置かれたそれを、歌鈴はしげしげと見つめる。

 

 給仕係が蓋をとり、ポットへお湯を注ぐ。緑褐色の丸い塊はふわっとほどけ、両手に余るガラスの球を満たす熱湯のなかに鮮やかな赤い花束を咲かせた。その花よりも澄んだ緋色の目を丸くして、歌鈴は歓声を上げた。お湯はしだいに淡い琥珀色に染まり、ジャスミンの芳香を漂わせる。茶碗に七分ずつ注ぐと、給仕は一礼して半個室を出た。

 

「気にいってもらえたかな」

「はい! すごいですねこれ、あんな小さいのからこんな花束が」

「どうやって収まってたんだろうね。工芸茶っていうんだが、考えたひとはすごい」

 

 工芸茶の歴史は意外に新しく、一九九〇年前後の福建省といわれている。中国国内では原料の白茶そのものが珍重されるため、人気のベースは日本などの諸外国だ。

 

 歌鈴は上体を右に左にかしがせながら、薄金色の濃淡揺らめくポットの花を堪能している。大きく赤いのはカーネーション、取り巻く白く小さいのはサルスベリだろうか。

 

「団子より花かな、歌鈴は」

「へっ? ああっ、プリン!」

「ははは、まあ、あわてんでもどっちも逃げないし、なんなら花は持って帰れるよ」

「そうなんですかっ!? やった、ぜひお願いしますっ」

 

 喜ぶが早いか、手にはもうマンゴープリン用のスプーンが握られていた。

 

 甘味でたっぷりくつろいで、かすかに芳香の残る水中花を包んでもらい、おれたちは中華料理店を出た。街角の、気の早い爆竹に歌鈴が驚いて腕にしがみつく。中華街の奥、西暦新年の祝賀を控えた寺院へ寄せる人波はいや増し、遡るのはなかなかたいへんだ。

 

「あ、龍」

 

 半身ずつ重なって歩く歌鈴が上を指差した。狭い道を照らす赤い提灯のジグザグを押しのけるようにして、金色に光る提灯が生物的に連なっている。三爪の腕が生えたものが一つ二つ見えた。奥の端の一つが、歌鈴のいうとおり龍の頭だ。大きい目と赤い口をこれでもかと開いて、威圧感というよりもユーモアか、楽しげな感覚がする。

 

「龍は日本のとあんまり変わらないんですね」

「は、というと?」

「獅子舞は毛がフサフサでかわいかったですよね?」

「かわいい!? ……そういやいってたな、ぞろぞろっと出てきたときにも」

 

 日本の獅子舞も長い髪があるが顔面は歯を強調して角ばって硬い光沢があるし、身体は唐草模様の布一枚である。中国のは顔が丸く身体も厚い毛布のようで、ことごとく短い毛で覆われているから、より生き物らしさがある。

 

「目も寄っててくりくりしてますし、あ、でも口の開きかたかな」

「猫みたいに開いてたっけな」

「そうそう、あれぜったいかわいいですよ」

「なるほど……」

 

 ときおりの破裂音とどよめきと、そこかしこからの笑いとをかきわけかきわけ、駐車場にたどりつく。社用車に乗っても港町の幹線道路は新年のイベントのための交通規制もありたいした混雑ぶりで、助手席の歌鈴がウトウトしはじめた。筒状のアクリルケースにいれてもらった工芸茶の花をドリンクホルダーに、爽やかな白と緑のブーケを胸に抱いて。

 

「末の末まで働かせちゃってごめんなあ」

「いーえー……、いっぱいごちそうになって、たのしかっられう……」

「元日も昼から出番だ、たっぷり眠っててな」

「はいー……ん?」

 

 窓に吹きつける夜風に乗って、太いうなりのような音が届く。右後方に小さかった港町がいきなり迫ってきた。いや、光を増したのだ。

 

「そうか、新年か。もう明けたんだ」

「ええっ」

 

 跳ねようとして歌鈴はシートベルトに押し留められ、ブーケを縦に一回転させて両手で掴んだ。

 

「幸先がいいな」

「いきなりヒヤッとしましたよ」

 

 驚き()めののち呼吸を整え、ブーケを整え、姿勢を正すと、歌鈴はこちらへ少し身体を向けた。

 

「あけましておめでとうございます!」

「うん」

 

 運転中のおれに歌鈴の神さまが気を利かせたか、じつに間のいい赤信号だ。

 

「歌鈴、誕生日おめでとう。それから、あけましておめでとう」

「その順番ですか?」

「おれには歌鈴のほうがだいじだよ」

「えへへ、嬉しいです」

 

 はにかむ歌鈴におれも表情がゆるむ。新年初笑いはあたたかい。……が、歌鈴は眉を寄せて残念そうな顔をしてみせた。どこか大げさに、演技っぽく。

 

「どうしたの」

「歯は磨いとくべきでしたね」

「んー? ふっふっふっ」

 

 口を閉じて舌で前歯を拭ってみると、なにやら小さいものが貼りついている感触がした。小ネギか青海苔か、食べ納めの名残だろう。ごまかし笑いをすれば歌鈴は楽しそうに肩を揺する。青信号をこれ幸いと、おれは顔を前に固定してアクセルを踏んだ。ことしも一年、楽しいものになりますよう。

 

 

 

(結)

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