「おかえりなさ~い」
二三時になんなんとするころ、コンビニのビニール袋を抱えて帰宅したおれを、白い髪の少女が声だけで迎えた。一五分前、おれが出たときとはずいぶん様相がことなる。与えたおれの寝間着とセーターを着てコタツにはいっていたのが、いまはそれを肩の上まで脱いで両腕もコタツにつっこんでいる。
「それはどういうなになんだいイヴちゃん」
「素肌に毛布って気持ちいいですよねぇ」
「まさか下も脱いでないだろうな」
「……どのみち下着を着るために脱ぎますし~」
「素直なのはよろしいが無防備なのはどうなんだ」
背後に回ると、まあ見るまでもないのだが、白い肌があらわになっていた。つい三〇分前まで、おなじような恰好で凍えていたのは忘れたのだろうか。猫背になっても背骨の窪みはなめらかで、一点に窪んだすぐ下に、肉感的な丸みを自信ありげに突き出している。
「背中はブリッツェンがカバーしてくれると思ったんですが~……」
イヴの金色の目は部屋の隅に向いた。巨大なぬいぐるみのようなトナカイ、ブリッツェンがそこでうなだれて縮こまっている。“日本の子供たちにプレゼントを配りに来たら追い剥ぎに遭った”とはこの少女、自称サンタクロースのイヴの弁。その相棒が責任を感じて落ちこむのは、人間ならばよくわかる。
「ブリッツェンもこっちおいで、いくら毛皮でも冷えるだろ。イヴちゃんは下着着なさい」
イヴは服まで奪われていたので(身体が無事というのははなはだ納得できぬ事実である)、当座のしのぎにおれの服を貸した。しかし下着がないと落ち着かないといいだし、おれはコンビニに買いに行った。冬の夜中に全裸で凍えてまで人間をひっかける泥棒なんて神話にもいるまい。それせっかくの整った形が一晩で崩れてはもったいない……まあ、ともかく。
「はあい」
さて返事をしたのはイヴのみだ。ブリッツェンはまだ動かない。イヴがコンビニのビニール袋に手をつっこむ。白い手が、ツンと張る胸も隠さず取り出したるは緑の……。
「したぎ?」
「それはキャベツ。ブリッツェンが食べると思って買ったの。下着っていわれてなんでそんなミシッとしたもん掴むかね」
「でもこれ胸を覆うにはちょうどいいですよぉ」
「遊ばないで」
堂々とおれの目の前でキャミソールを着てショーツを穿く危なっかしさは、もういいかげん注意し疲れた。いい眺めだからまあいいやという気持ちもちょっとはある。下着のままでイヴはコタツにもぐりこんだ。
「気にいったかいコタツ」
「はい。あったかいしふわふわだし、暖炉よりすてきですねぇ~。ブリッツェンもはいろ~?」
丸っこいトナカイは隅からまだ動かない。キャベツで誘ってもしょんぼりしたままだ。
「きみはもう立ち直ったのになあ」
「そうでもないですよ~。先のことを考えると頭が重いです~」
キャミソールの下に毛布を詰めながらいわれても納得しがたい。しかしまあ、つく溜息は濃く、鈍色をして見えるほどだ。服を渡しつつ、おれは白く光る髪を撫でた。火照って蠱惑的な肌よりも、その手触りは魅力だった。異性の、というわけではなく、……なんだろうか?
「プレゼント待っててくれてる良い子たち、どうしましょう……」
「まあ、子供らには親がちゃんとなにかしらあげてるさ。きみが無事だっただけ良かった」
足の指を真っ赤にして凍え死にそうだったときにも見せなかった、しょげきった表情。金色の目をうるませるイヴを、おれはそっと抱きしめた。涙声でうめいて、イヴはおれの肩を湿らす。
「きみになにかあったら来年からずっとサンタのプレゼントがなくなってたところだ」
こんな状況でなんだが、押しつけられた胸より撫でる白い髪のほうが、妙に官能的な感触がある。
「私はなにかあっても来年はまた配りますよ?」
「きみの慰めかた難しい」
「ソリも一年あれば自作できると思いますし……」
とてもそんな展望があるとは思えない声の重さだ。サンタといえども人間の世に深く食いこんだことだから、先立つものはどうにも必要ということか。工具や木材を買うところからはじまるんだろうし。買えたところで作れるのかとても心配だし。
「お金貯めて買うほうが安全じゃあないか?」
「貯められますかね~? 善行と日本円の変換レートってあんまり良くなくて~」
「なんのシステム?」
「一年貯めたのがプレゼント代でほとんど消えちゃって~。来年はドイツのおじいちゃんみたいに、ミカンやクルミにするしかないですかねぇ……」
「ドイツのサンタはそんなに苦しいのか?」
「いえ、ドイツの聖ニコラウスはそういうのを配るんです。悪い子にはクランプスとか
聞き馴染みのない単語がぞろぞろ出てきたが、サンタ……といってひと括りにするとややこしい。“一二月にプレゼントをくれる超常の者”にはバリエーションがあるらしい。いずれも実在の聖人、ミラのニコラウス氏を始祖にしていて、日本などアメリカ文化圏ではサンタクロース。オランダそのサンタの直系の先祖にあたるシンタクラース。イギリスではファーザー・クリスマス。ドイツ周辺では始祖の名を引き継いで
そしていずれも、アメリカ式に“サンタクロース”とひとくくりにはされたがらない。だがそのいっぽうで、ひとくくりになりに行ったものもいる。北欧のヨールプッキなど土着のものたちだ。サンタクロース村なんて作るくらい、人間たちはアメリカ式サンタを大いに受け容れて、本来の名前が別名と化しているという。このあたりは冷戦のころの政治の側面が強く影響しているかもしれない。
「“サンタクロース”は九人いるんです。私はアメリカ担当のお姉さんにくっついて修行しました~」
「意外と少ないな」
「ひとの子のみなさんがそう設定してしまったので~……」
サンタクロースのトナカイは九頭。ダンサーとかコメットとか、それぞれ名前がついている。ここにいるブリッツェンもそうだし、もっとも有名なのは(おれも知っていたのは)真っ赤なお鼻のルドルフだろう。それに、ジングルベルで“one horse open sleigh”と歌われているから、九頭それぞれにサンタが一人ずつというわけだ。
「アメリカのサンタといたなら、英語もペラペラか」
ぽやぽやしているが、少なくともバイリンガル。引く手は多そうだ。
「いえ、英語は話せないです」
「なんで」
「その先輩、軍隊が狙ってくるからしんどいっていってて~」
それは聞いたことがある。ベトナム戦争のはじまった年のクリスマス、米軍にまちがい電話がかかった。電話の主はサンタとお話がしたい女の子で、その電話番号はソ連の攻撃を報せるための極秘回線。仕事の調子で対応して女の子を泣かせてしまった司令部は、“レーダーでサンタを追跡したところ南へ移動しているようだ”といってあやした。……これがよほどウケたらしく、サンタ追跡は恒例行事となり、しだいに本気度を増してきているとか。
「アメリカは怖いですねぇ。私ぜったい行きたくないから英語勉強しませんでしたぁ」
「強かっていうのかねえ、こういうのも……。まあいいや、話をもどそう。きみは、そうだな……人前で歌うのとか得意?」
「得意ですし、好きですよ~。なにか歌いますか?」
「聞きたいけどそれはあしたかな。もう夜中だから。質問したのは、アイドルやってみないかっていいたくてさ」
顔もスタイルも文句のつけようはない。物怖じしない性格も向いていよう。危なっかしいぶんは、おれが保護しておきたい思いもある。名刺を渡し、会社のこと、給与のこと、仕事の中身などなど、事務的な話をする。なるべくやる気になってもらえるように。……と、イヴが小さく挙手をした。
「アイドルはアメリカに行きますか?」
「……んー、まあ、行くこともある」
「えー」
水着やアホなバラエティよりアメリカがイヤか……。だがこんなことで別れるには惜しい美少女である。
「サンタの仕事じゃあないからレーダーで追っかけられることはないよ」
「うーん、それでしたらぜひやってみたいです。ひとの子のみなさんにプレゼントをしながらプレゼント資金もいただけるなら最高ですね~」
「よかった。契約の話はあしたにしようか。親御さんの許可も必要だろうし」
「親……ではないですけど、上の許可は取っときたいですねぇ。お電話お借りしていいですか?」
「いいけど、いま電話して平気なの?」
「時差がありますよぉ」
そういえばグリーンランドの出身だといっていた。人間のサンタクロース協会はフィンランドだったか、どちらにせよ向こうは昼間である。イヴはあちらの責任者につないで、いまの状況を説明しはじめた。プレゼントを盗られたこと、ソリも服もないこと、ブリッツェンと自分は無事なこと……。
「あ、この電話は助けてくれた親切なお兄さんにお借りしましたぁ。はい、なんか~……人間に化けてるミミズクだと思います。お耳が出てるので~」
「これは癖毛だよ! 人間だ人間!」
「え? 心配症ですねぇペトロさんは~。犬と猫だっておたがい裸だけどなにも感じないじゃないですかぁ。私は人間じゃないですから~。お兄さんも人間かミミズクでサンタじゃないですし~。はい、はい、いまはちゃんと着てまぁす」
どうやら電話口のひともイヴの恥ずかしがらなさを気にかけていたらしい。種類がちがう生き物だから裸を見てもなんともないとは、さっき少しよぎった違和感のことだろうか。
「それでですね~、アイドルをやろうと思うんです。ええ、はい、そうです日本で~」
電話口から“パねえ~!”と楽しそうな声が洩れてきた。ぽやぽやしたイヴの上司だから真面目なひとを期待したのだが、どうもあちらはみんなこんな感じらしい。
「わぁ~、OKですかぁ~? はい、がんばりますぅ~!」
いくらか雑談を経たあと、イヴはほくほく顔でスマートフォンを返してよこした。上の許可は無事取れたようだ。横で聞いていてわかっているが、あらためて報告してくれるあたり、真面目な子なのかな……。疑問が減るようで減らぬ。ひとまず、やけに軽い上司について訊いてみた。
「上司っていうか、始祖の大先輩ですねぇ。すごいお話ししやすいかたなんですよ~」
「……」
「お兄さんの会社、シスターのかたもアイドルなさってるらしくって、うち的には評価◎だっていってましたあ」
「リサーチ早くない?」
「系列にきよしも所属してるのがパないそうです~」
「きよしはそっちのひとの憶えがメデタイの?」
「あと、プレゼントはクリストキントが対応してくれたそうです~。こんど一緒にお礼に行きましょう~」
クリストキントはドイツのクリスマス・イブにプレゼントを届ける天使の一種である。さっき聖ニコラウスがいるといったが、彼らは一二月六日が仕事日で、クリスマスとは独立した存在なのだ。それなら聖ニコラウスが対応できたんじゃあないかというと、仕事が終わってバカンスだと答える。あっちはメリハリがあっていいよなあ。
「ともかくこれで胸のつかえは取れたってとこかな」
イヴが首を傾げて胸のあいだをさする。かわいいから放っておこう。
「それじゃああしたは買い物だ。ちゃんとした服と下着と、靴もだな」
「あと家も~」
何回ギョッとすればいいのか。
「日本でアイドルやるなら日本に住まないと~。就労ビザ、郵送してくれるそうですから~」
「そういうことなら寮があるよ。……ビザ届いたら見せてね?」
どこのどんなビザが届くのか。見たら責任の一端を負うはめになりそうだが、怖いもの見たさがまさった。それはともかく、我が社が用意している寮は家具もひととおりは揃えてある西洋スタイルだ。原則二〇歳までという制限も、事情が事情だからしばらくはなあなあにできるだろう。
「てことは布団とタオルと、日用品……布ばっかりだな」
「あったかいですね~」
「しかしひょっとして、配り終わったらグリーンランドまで帰るつもりだったのかい」
「そうですよ~。ブリッツェンならひとっ飛びです」
とはいえソリがないとイヴがついて行けない。イヴはそこだけ耳打ちしてきた。そのことで落ちこんでいる相棒に、気づかわしげな視線を送りながら。
「ブリッツェンも元気出しな」
ようやく大きい黒い瞳がこっちを向いた。イヴはいっそう喜んで、手を広げて呼びかける。ブリッツェンは一声鳴いて返した。目をうるませて起き上がろうとはせずにいる。
「なんて?」
「自分がクランプスだったらプレゼント盗られなかったって」
クランプスはさっきの話で聞いた。悪い子供を袋に詰めてさらったり、笞で打ったり、靴下に木炭を詰めこんだりするなまはげのような怪物だ。なるほど、それなら暴漢くらい一捻りだろう。トナカイの突撃も殺人級だと思うが、ブリッツェンはぬいぐるみのようなもこもこ具合で、そこまでのパワーはないかもしれない。
「いいのよ、ブリッツェン、私はブリッツェンと一緒に空を飛んでプレゼント配るサンタクロースで幸せだよ~」
ブリッツェンは泣きながらイヴの胸に飛びこんだ。ちょうど針路上にいたおれは避けそこねて吹き飛んだ。大したもんじゃあないかよ……。
「じゅ……じゅうぶん立ち向かえるんじゃあないかねブリッツェンくん……」
「ブリッツェン、パワフルだって~。よかったねぇ」
「ちゃんと守ってやんなよボディガードくんよ。この、危なっかしいサンタの、新人アイドルをよ」
ブリッツェンは前脚を上げて応える。ちゃっかりコタツに座っているが、骨格どうなってるんだ。
「三人一緒に、アイドルサンタがんばりましょう~!」
エイ、エイ、オーと気の早い勝鬨にこぶしを揚げれば腹の虫も揃って鳴く。あしたのことよりそういえば、夕飯がまだだった。
(了)
この話に関連する、イヴの公式設定は次の2点くらいです。
・先輩サンタの指導を受けた。
・英語は苦手。