猫、巫女、サンタ、あいのうた   作:久聖

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2018年3月に書いた話です。


由里子  沼の淵

「この部屋に上がった男はプロデューサーさんがはじめてだじぇ」

 

 花粉にかすむ青空を狭いベランダの先に眺めるアパートの部屋で、感慨深く大西由里子はつぶやいた。いわれたおれは“二〇歳の身空で……”とイヤミを思いつきもしたのだが、まあ黙っておくことにする。

 

「引っ越し屋のお兄さんはどうした」

「うーん、あのころはまだナマモノのよさに気づいてなかったからねえ」

 

 しみじみとなにかを惜しむ由里子は放っておいて、おれは段ボール箱を組み立てている。不揃いのこれらは、由里子の出演先のテレビ局、インタビューを受けた出版社、勤め先である芸能事務所などから集めてきたものだ。

 

「いまなら作業に来たベテランと若いバイトのコンビで尊死できそうだったんだけどねー」

「目の前で不可解な死にかたされる業者の身にもなれ」

「今期の引っ越し需要に救われたね」

 

 ……三月・四月はもともと引っ越しの多い時期ではあるが、とみにことしは業者の数にたいして件数が多いそうで、見積もりが一〇万単位で刻まれている。この大西由里子も、それなりにアイドルとして収入が安定しはじめたのを期に安アパートからセキュリティの整った賃貸マンションへ引っ越すのだが……。

 

「さすがにひとときの尊さのために三二万は出せないじぇ」

 

 もはや目的を見失っているありさまである。

 

 ともかく、契約更新日の前に転居したい由里子のために、プロデューサーのおれが軽トラックで運搬することになったのだ。もちろんふつうならここまで世話を焼くことはない。しかし、誕生日のプレゼントとしてこやつの主食たる同人誌を大量に買いつけるくらいならば、だんぜんこちらであろう。

 

 なお、費用は由里子持ちである。そこまで世話は焼いてやらない。もちろん、表で軽トラックと荷物の見張りをしてくれている大家さんへのお礼を含めて。

 

「そろそろ手を動かしてくれんかね」

 

 大きい空箱を押し出してやると、元気な返事が返ってきた。ばかをいってはいても、ほかならぬ自身の引っ越しだ。きょうじゅうにあらかた運び出すため、気合いもひとしおだろう。

 

 二つ三つと大きい空箱を渡したところで、やたら重い音がしているのに気がついた。

 

「おい由里子、なにをいれてんだ?」

「にゅふふ、当ててごらん? もたもたしてるともう一個はいっちゃうよぉ~」

 

 返事の声はやけに粘着質だ。考えるのもさらに訊きなおすのも面倒だったので、おれは膝で立って振り返った。おれでも一抱えぶんある大きい段ボール箱は、漫画で半分ほど埋められている……。

 

「で……でかい箱に重いものいれんな!」

「えー、だめ?」

「でかくて重いと持てなくなるでしょ! 本はあとで小さい箱にいれなさい」

「じゃーこれなにいれる箱なの?」

「服と食器」

 

 いわれてさっそく皿をいれようとするのが大西由里子というヤカラである。時間がないときに細かくボケるなと何度も注意したのにこやつは。黙って見ているとしばらくこちらの出かたをうかがってから、ハンガーの衣類で平皿をそそくさと包みはじめた。

 

「……意外に多いな」

 

 テーブルやテレビを搬出した、狭いながらにがらんと広くなったリビングで、食器棚とハンガーラックと段ボール箱を由里子はせわしなく往復している。

 

「親がさー、実家にあってもどーせ使わないからってむりやり持たせてさー」

 

 ロイヤルコペンハーゲンで見たような、藍色の花がえがかれた白磁の小皿を由里子は手首で振った。いいものなのだろうが、当人にしてみれば荷物でしかないというのは、たいへん身に覚えがある。

 

「あるある。おれはいくらか売っちゃったが」

「あたしも売ろうかな。ティーセット売っちゃえばブルーレイの一枚くらいは買えそう」

「高級品はとっとけって。いつか使うときが来る」

 

 そも、きょう一日で引っ越そうというときに、いらないものや売れるものを考えるのがまちがいである。向こうに運び終えたあとも、ベッドとカーテン、多少の服は用意せねばならないのだ。

 

「いつかとオバケは出ないでっしょー!」

「オバケはいらんが“いつか”は自分で用意できるだろ」

 

 由里子は下唇を巻きこみ、ひとつうなった。

 

「新居ではホモに祈りを捧げるアフタヌーンティーでも催そう」

「暗黒遊戯の予定が立ったなら手を動かしなさい」

 

 ……食器を詰め終えると、からになった食器棚とハンガーラックを運び出す。空いたスペースに段ボール箱を積んでいるところへ、残りの大箱に詰める軽いものを由里子が見繕ってきた。

 

「この箱を本丸とする!」

 

 長辺で三〇センチはありそうな、男のフィギュアのパッケージがぞろぞろと由里子の部屋からあふれ、二段三段と重なってちょっとした壁を作り上げた。

 

「いまこういうの高価いんだろ? よくこんなに揃えたな」

「これも刀剣沼の一端でしかないじぇ……。まあプロデューサーさんもこっちおいで? みんなそっち向けて並べたから好みの子選ぼ? ほらほら」

 

 分厚い壁の向こうで由里子がにたにたと笑っている……。

 

「刀剣沼……刀剣乱舞だったけ? 景気いい業界だってのは聞いてる」

「イケメンつついたり服が破れたりするゲームだじぇ」

「そのいいかただとおれの服が破けるようだが」

 

 自分の言語中枢に疑問を持ったらしいのも一瞬のこと、こやつはもとどおりくどい笑顔にもどった。

 

「ユリユリはいいと思う」

「いいから詰めなさい、時間ないんだって」

「待って! 見てくだけ! ちょっと見てくだけでもいいから! ユリユリのイチオシはこれね!」

 

 そういって壁の一部を数センチ押し出す由里子である。陣羽織風の詰め襟を着た薄緑の髪の若者(のフィギュア)が、挑戦的な赤橙色の目を向けている。

 

「なんだそいつは」

「膝丸だ兄者」

「きみに兄者と呼ばれる筋合いはないが」

「そこは“そんな名前だったね”とかいって!」

「……片づけるからな」

 

 恨みっぽい目と唸り声を無視して、壁を取り崩しては段ボールへ移していく。壁が減るにつれその奥からのプレッシャーが増していくように思え、つかんだ箱におれは視線を落とした。青い狩衣を着て、短い黒髪も青みがかった細面だ。見憶えはあるが、名前はそういえば知らずにいた。

 

「三日月宗近。これがそうなのか……」

「いいよねえおじいちゃん。腐った身ながらお膝に甘えたいドリーム心がわきわきと」

 

 由里子はひどくいい気分になっているようだった。顔の描写は伏せる。

 

「あ、ねえねえ、おじいちゃんのコスプレ、留美さんならかなり完璧にやれると思うんだよね。させてよ」

「そういう発言は味方が集まらんからよしなさい」

「賛成の声が上がらなくても心になにかを芽吹かせられればいいの!」

「心映えだけは立派だな……。そういえば、三日月宗近ってたしか去年の夏にトーハクで展示してたの見に行くかって誘ったら、きみすげえ威嚇してきたろ」

 

 トーハクは東京は上野公園の北にある、東京国立博物館のことだ。常設展の一つに刀剣のコーナーがあり、何ヶ月かのローテーションで重要文化財や国宝を展示している。四つの建物の展示物と、日によってはもう一棟、あるいは庭園が見放題で大人一名六四〇円也。

 

「あれはプロデューサーさんのいいかたが悪いじぇ。二年越しで怒ってるじぇ」

「なんていったっけ……?」

 

 由里子が映画“300”のレオニダス王のような形相で“うるぁー!”と叫んでいたのは覚えているのだが。おれの問いに返ってきたのは、悪意が三〇〇%増しのモノマネだった。

 

「“ぅ運慶展のつ・い・で! にぃ~、刀でも見ぬぃ行くかはぁ~?”」

「……ああ、わかった。“ついでに”はよくなかった。おれの口が悪かったな、すまん」

「あたしよりおじいちゃんに謝ってよね!」

「なぜそうなる! もう、ついで扱いしてすみませんでした! これでいいか」

「ふむ、まあよかろう」

 

 ありもしないカイゼル髭をなでる所作をして由里子はほざいた。煽りかたがいちいち細やかなやつ。……これは展示室に足を運んだことも、三日月型の模様を端々に浮かべた刀身がきれいだったとかの感想も、こやつに教えてやることはなかろう。

 

「とりあえず悪いお口にはお仕置きだじぇー」

 

 そういって由里子が差し向けたのは麩菓子だった。一般的なものよりも少し径が大きいように見える。

 

「この腐女子の麩菓子で!」

「固有名詞を使ったダジャレはよせという話を……きさまにはしていなかったな、まだ」

 

 スポンサーとの兼ね合いで面倒になるため、ふだんから心がけてもらいたいことである。おれの責任の範囲には釘を刺す必要のあるのがとくにいないので、必要に応じての要請にとどめてある。こやつはカメラの前だとやけに自制心が働くから、いう機会がなかったのだ。

 

「まあいい。麩菓子なあ、ちょうどいいからこの隙間埋めるのに使うか」

 

 それなりのサイズのものを梱包するとき、ぴったり納まるなど稀な話だ。いまこのダンボールに三日月宗近の箱をいれるとどうしても三センチほどの隙間が空いてしまう。

 

「えっ、緩衝材。段ボールよりお口にいれてよ、ペットボトルもまだ手つかずじゃない?」

「あ、待てよ。こいつとこいつをいれかえれば……」

「ああーらめえその二人引き離しちゃらめえ!」

「でもこれで幅がちょうど合うぞ」

「兼さあーん!!」

 

 うるせえなあ。

 

「ならこいつも抜いて……こっちを詰めれば」

「ああ兄者ー!! 兄者と膝丸は背中合わせで置きたいのぉー!」

「膝丸くんのおかげで足りねーんだよ幅が! なんだこの闇のパズル!」

「うーん、やっぱむりに詰めきらずに黒くて太いの挿れて調整しながらやろ」

「……もっと厚みの調整がしやすいのないかね」

 

 おれの言葉を無視して麩菓子をイケメンとイケメンのあいだに押しこもうと、由里子は奮闘をはじめた。一分と経たずお茶のペットボトルを開けて、しばし休憩となったのはいうを待たない。

 

「大きすぎて裂ける、ならわかるんだけど」

「こんな脆いものでダンボールが壊せるわけないだろう」

 

 無惨にひしゃげた麩菓子を消費し、寝転がって漫画を取らんとする由里子の手をはたく。なにが引っ越しあるあるか。いまは闇のイケメンパズルを片づけるべき時だ。

 

「隙間に詰めるものさえあればすぐ終わる話なんだが」

「隙間あるとだめなの?」

「上の隙間はともかく、横が空いてると中身が動いて壊れやすいだろう」

「ふーむ、リアル重傷はちょっと拝んでられる状況じゃないねえ」

 

 さすがにだいじなコレクションが壊れるとなると困るらしい。しっかり固定されている中身より、外箱の話だったのだが。ともかく、由里子は重い腰を上げると、小物の詰めこまれたキャビネットを漁りはじめた。

 

「あれもこれも小さくて使えそうにないじぇー。もういっそ下着を解禁……」

「それはおれが見てないところで箱詰めしてくれ」

「うん、やっぱ主とはいえユリユリは女の子だからさあ」

「そうだな」

「下着詰めるんだったらふんどしとか、せめてブリーフにしとくと空けたとき夢が広がるのにねえ」

「……もうこの際、漫画の本でいいか」

「だめー!」

 

 どうしても立てて積む必要があるために本が傷つきやすく、あまり上策ではないのである。そういうことは諒解しているらしかった。

 

「ならどうするんだ」

 

 おれの問いかけは悲鳴同然の絶叫で返された。

 

「きょう新刊出るんだった!!」

「あしたにしろあしたに!」

「かっかっ買ってくる! もう下着でもなんでもいいから詰めといて!!」

「引っ越し前に荷物増やすな……ッ!」

 

 止めるを待たず、由里子はほこりに汚れた恰好のままで、おっとり刀ならぬおっとり財布で飛び出していった。おれは足がしびれて立つのが遅れ、追ったがすでに外廊下にやつの姿はなかった。空を仰げば陽の光に色がつきはじめている。散らかったリビングにふてくされる。

 

「まったく、なあ、膝丸くんよ。おまえさんの主殿は勝手がすぎやせんかね」

 

 パッケージの奥の薄緑の若者は、強気に笑ったままでいた。

 

 

(了)

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