帰社して居室のドアを開けると、壁に抽象画があった。朱金色に光る一面に黒い四角の浮かんだそれは、よく見れば夕陽となにかの影である。黒い四角の下側になにかが小刻みに動いていて、おれは眉をひそめた。
まぶしさをこらえて影の根本をたどると、ブラインドが一枚跳ね上げられてホワイトボードに引っかかっている。さらにその裏、夕陽で赤く満たされた小さいスペースをのぞきこめば、辻野あかりと目が合った。
あかりはダンボールに囲まれて、スマートフォンをあちらに構えこちらに構え、ポーズを変えてはうなっている。手のひらに乗せた赤いものに唇を寄せ、自撮りをしようと試行錯誤中のようだ。
「なにしてんだいあかりちゃん。こんなどけかたしてると危ないぞ」
ジャケットと荷物を置きながら問えば、りんごろうグッズの売れ行き向上のためにアイドル・あかりんごにできるエイギョウドリョクだという。
「“このりんごろうさんはあかりちゃんがキスしたやつかもしれない”って思わせられれば勝ちんご」
「いやらしいこと考えやがんな……」
りんごろうとは真っ赤なりんごにシュールな目と口を描き、太い縄のような手足を生やした、ゆるキャラの一種である。営業用の着ぐるみもあればストラップもある。いまあかりが手にしているようなお手玉サイズのぬいぐるみもある。
「キスくらいぜんぜんいやらしくないですよ」
「やり口の話だよ」
「アイドルでいられるのなんてあと一〇年、長くて二〇年ですし、売れるときに売れるものを売らないと!」
「だったら次の夏は水着にさせるぞ」
「やってやるんご」
あかりは拳を突き上げた。握りつぶされたりんごろうお手玉は小豆のきしむ悲鳴を上げ、あかりに振り回されて細いフェルトの手足をぷらぷらと揺らしている。
「背中ニキビもお腹のスカート痕もないきれいな肌を見せつけてりんごパワーを宣伝するんご!」
「“個人の感想です”って出すのは健康食品とバラエティだけにしてくれんかねえ」
とたんにあかりは腕をだらっと落とす。苦ったおれの言葉に反応したわけではない。
「けど次の夏って遠いですね。りんごはこれからなのに……」
「水着は極端な話のつもりだったんだけど……」
「せっかくやる気になったのにひっこめるんですか~!?」
「次の春にでもまた訊くよ。秋冬の売りかたを考えるのが先だし、きみはセクシーよりはかわいい系だろう」
後半をあかりはろくに聞いていないはずである。二本の親指でスマートフォンを忙しく操作しはじめたからだ。おれからは画面をこねまわしてるように見えるが、高校生組の多くはそんな動きで高速にスマートフォンを操るのである。
「うーん、“秋の着衣系セクシー特集”……“厚手のラバーで差をつけろ!”“白タイツは濡れ透けで魅せる”“毛袋から脛チラ”」
「なに調べてんの!?」
「ことしの秋に来る流行ですよ! ラバーはくさそうでイヤですけど、タイツくらいなら着ぐるみで慣れてますからイケるんご!」
「毛袋ってなに」
「さあ? 毛をしまっとく袋んご?」
「訊いてばっかで悪いんだけどさ、なにをどうやってそんな話を出してきたの?」
「もー、プロデューサーさん、ネットで調べたに決まってるじゃないですか! なんでもすぐ答えが出てくるんご! まさにネットは広大んごね~」
専務に聞かれたらひっぱたかれそうなセリフは置いておいて、なかば見て見ぬ振りをしていたことだが、もはや断言せざるを得ない。この子は調べ物が下手だ。壊滅的に下手だ。
「特集・くるぶしとじゃがバタ……この冬は難読地名系女子が来る……ほほー」
下手すぎて異世界に繋がっている。どうしたもんだこれは。
「プロデューサーさん、匝瑳ってなんて読むんですか?」
「きみいますげえ変なセリフいったのわかる?」
「うーん、私にはまだやっぱり早いんごかな~」
ひょっとしたら、この子のキャラ作りが“んご”なんていびきか鼻詰まりのような語尾で済んでるのは奇跡的なことなのかもしれない。そう思うとこの先の読めない新米JKアイドルも愛おしく見えてくる。気のせい!
「あっ、そっか、私がこんなのチェックしなくても、プロデューサーさんがいいの持ってきてくれますよねっ」
「それは……うん、もちろん」
本人にもセンスを磨いてほしいし、理想の形について提案や相談もできるようになってほしい。そこに立ちふさがる壁、調べ物の技術ははたして、どう学ばせたものやら?
「よし、じゃあ私はりんごろうさんお手玉を売りまくるんご!」
ひとの心配をよそに、あかりは握りしめていたりんごろうお手玉に空気を吸わせる。お手玉は少女の握力から解放されてむくむくと元の形にもどる……わけでもなかった。あかりが揉んだり振ったりして整えて、ようやく丸いりんご型に復帰した。
「プロデューサーさん、ちょっと撮ってくれませんか? 一人でやってたけど思うようにいかなくて~。“愛情こめて包装してます”って感じのキス顔でお願いします!」
「その前にブラインド、もとにもどしていい?」
「それはダメんご! 夕焼けとダンボールのあわせ技でなんかこう……がんばるばえる……?」
「……地道な努力と絵的な綺麗さを両立させたいっていってる?」
この子はひょっとしたらブラインドも、スラットを開くか完全に巻き上げるかしたかったのかもしれない。“なんかうまくいかなくて”こうなった、とか。
「それですそれです。やっぱ私の二倍生きてるひとはちがうんご」
「数字のトリックはやめなさい。きみの誕生日がきたら倍じゃあなくなるんだから」
「わかったんご~」
なんとも気の抜けた返事で不安だが、ともかく、ご要望どおり何枚か撮ってやった。右手にりんごろう、左手はピースをしてみせてもはや梱包作業中の自撮りという演出の根底が崩れている気がする。でもまあそこはあかり個人の話であるし……。
「この写真を広報に使うなら、ちゃんと使用許可申請するんだよ? 使うのがきみのご実家でも、そこはうちも会社としての立場がある」
「私のアカウントで呟くだけだから大丈夫です」
変なところでたくましいな。撮影に使われたりんごろうはそのまま雑にあかりのかばんに放りこまれ、積まれていた空のダンボールはテキパキとたたまれていく。五分と経たぬうちに片づけ終えてしまった。上手くやれることとやれないことの差はどこにあるんだろうか。一つ思い当たることがあって、おれはひとまずあかりをブラインドの下から移動させた。
「一応、ブラインドの使いかた教えとくよ」
「あーっ、はい! なんか、こう、畳んだりできるのは知ってるんですけど、ぜんぜんやりかたわかんなくって……。調べればよかったですね」
「いや、あかりちゃんは新人だし、周りに訊いたほうがいい。ほら……コミュニケーションも兼ねて」
調べていたらどうなっていたやら。思いがけず肝を冷やしつつ、おれはブラインドをホワイトボードから解放し、窓にぶら下がらせた。スラットの向きがバラバラだが、教材にするには都合がいい。
「うちで使ってるブラインドはどれもこのタイプね。一本の長いコードがたわんで垂れてる」
「ひっぱってもなにも起きないし、メキメキって音がしたから怖かったんご」
「ああ……見事にハズレ引いたな」
このタイプのブラインドは窓に近いほうのコードを引くと全体が降りてくる。あかりが操作しようとしていたのはこちら側ということになる。ブラインドを上げたいのなら、部屋側のコードを引けばいい。
「そうだったんですか……。でも、じゃあ、この板の向きはどうやって変えるんですか?」
「話しやすい質問で助かるよ。部屋側を持ち上げながら窓側を引いてごらん」
首を傾げるあかりが危なっかしい手つきで操作すると、スラットはガタつきながら窓側に傾いた。
「あれ? 窓側のコードなのにひっぱれる?」
「部屋側をたわませたからそのぶんだけね。こんどは反対に」
素直な返事で部屋側のコードをあかりが引く。スラットは水平を経て部屋側に傾き、あかりが感心したような声を出した。
「その板は、ひっぱったコードとおなじ側が下がる仕組みね」
「はいっ」
「で、この部屋は高層フロアだから、下から見られないようにこの向きにしておくこと」
一般の会社なら日除けのために逆の向きにするだろうが、ここは芸能事務所である。陽射しより視線を防ぐのが優先されるのだ。
さて、いい返事も早々に、あかりはコードを操作しては“おおー”と歓声をあげはじめた。もう危なげなくブラインドの上げ下げもできるようになっている。やはりきちんと教えたことはきちんと身につく子なのだ。自己流に走ったときが危険極まりないだけで。
「……ところで、りんごろうって結局どういうやつなんだい。山形農協ででも作ってる?」
ブラインドを自在に操れるようになったあかりへ、おれはふと浮かんできた疑問を投げかけた。グッズ展開までしているゆるキャラを、公人が(デビューしたてでもアイドルはもはやそういう扱いである)かってに宣伝していいものなのだろうか。
「りんごろうさんは私が作ったやつなんです」
「そうなの!?」
「グッズも実家が作ってるんごー!」
そんな体力ある農家だったのか? 驚きの波が通り過ぎて疑念の潮に足首まで浸かるおれに、あかりはりんごろうの設定を語りだした。
「りんごろうさんは五人兄弟の末っ子です。でもじつは隠された六人目もいるとかいないとか」
「兄弟の設定も作ってるの?」
大きく頷くと、あかりは夕陽の窓辺に浅く腰かけた。反らした胸の上で腕を組んでみせるところが、いかにも子供らしい。
「まず長男は桃太郎です」
「いきなり大物が出てきたな」
「鬼退治に行った桃太郎じゃなくって~……桃の太郎です」
りんごろうとおなじような、果実に顔と手足をつけたシュールなキャラクターなのだろうか。
「なんとなくわかった。じゃあ二番目は?」
「上から二番目は女の子で、さくらんぼのニコちゃんです」
「ちょっと果実と名前が結びつかないな……」
「さくらんぼはだいたい二つくっついてるんで、二個のニコちゃん」
「ああ……」
「あと二番目で女の子だから二子ちゃん」
「そっちの設定はやめよう?」
「ちょっと毒があるくらいがウケるんご!」
食べ物のキャラに毒持たせるのはチャレンジャブルなような……でもあんがい多いのか……?
「じゃあ、三番目」
「さん……三太郎……サンタクロース?」
「あかりちゃん、ひょっとして思いついたことそのまま口から出してないかい」
「いえいえいえいえ、ちゃん、ちゃんと、ちゃんとした設定ですから」
最初からでっち上げ……もとい考えながら話していたな。
「じゃありんごろうの一個上は?」
「……」
目が泳いでいる。手を前に組んだりうしろに組んだり、肩を交互に上げたり下げたり。左右の膝がときおり前に飛び出すのは、逃げようとでもしているからだろうか……。と、あかりは表情を晴らして胸と肘を張った。
「ニン!」
「実在のひとはダメ!」
「うん、やっぱ五人兄弟はナシにします」
「思い切りがいいな」
「正直、“りんごの精”くらいしかちゃんとした設定決めてないんご。プロデューサーさん、なにかいい設定ないですか? 売れそうなやつ」
「キャッチーな設定がだいじなのも事実だけど、あんまり細かく決めるとあとで使いにくくなるよ。それにりんごろうを売るんじゃあなくて、りんごろうを使ってりんごを売るんだろ?」
あかりはあいまいな声を出しながら、柘榴色の目を部屋の四隅にめぐらせる。
「りんごろうさんも売りたいです」
「正直だよなああかりちゃんは……」
「あはは」
褒めてないが。
「まずはきみのオマケとして認知度を上げてくのがいいかもなあ。きみ自身売り出し中だし、テレビでも雑誌でも、なにかにつけアピールしてればアイドルあかりんごの重要なファクターなんだと伝わる」
「なるほどなるほど、私のソーテーとだいたいおなじですね!」
「SNSに使うなんていってたな、そういえば」
「はいっ。これからは会社OK出たってことでバンバン使っていくんご!」
「あんまり商売っ気出したり過激になったりはせんようにな」
控えめなのがウケるのは日本市場の常。もちろん振り切れてヤバければそれはそれで支持されもするが、大きい反発にあかりが耐えられるかはわからない。
「なるほど……。つまりがんばりんご路線ですね」
「……んー、たぶんそれ」
「これはこれでアイデアがあんまりないんですけど」
柘榴色の瞳が子犬のように光る。ちょっと抱き寄せたくなるような顔だ。耳をふさいでさえいれば。
「がんばった、しか残らない努力はしたくないんですよね~……。だから結果が出るやつお願いします!」
「きみはほんと即物的で……ああいや、話がしやすいよ」
褒めてない。一五歳の少女にどこまでぶっちゃけて話していいのやら悩む。
「そうだなあ、かわいげのある範囲だと、それこそこれから寒くなるし、りんごろうのデザインの手袋を編むとか……」
「手袋編むんですか? 難しいっていうかしんどいんですよ手袋。ミトン作ったら親指が変な向きになっちゃったりして」
「アイドル稼業は農家とはまたちょっとちがうんだ。手袋がきれいに編めなくてもがんばって作ってますってのを、たとえば写真もつけてSNSに上げてけばいい。他人がなにかに挑戦したり楽しんだりしてるのを見るのが好きなひとは多いからね」
「タコができちゃったらどうするんご?」
まさか、趣味だといっていた編み物も自己流なんだろうか。
「……かわいく悔しがっとけ」
「うーん? あ、そっか、うまくいかなくても面白い配信動画とかありますもんね」
努力そのものにも価値を見出したようで、あかりの表情は明るい。“面白い配信”の思い出し笑いまでしている。
「あ、気になりますか? あれはえっと、“ヘボポゲオモポック星人と通信してみる”って動画です。けっきょくスムッケクケッシデ星人につないじゃってすごい怒られて終わるんですけど」
「なんできみすぐ異世界と交信するの?」
「私じゃなくて配信者のひとですよー。それに異世界じゃなくて異星です」
自覚なし。おれは“そうか”と話題をもどした。
「動画にせよ写真にせよ、むしろおれより、きみの友達のがうまくアドバイスできそうだな」
「んご?」
心当たりの検索も下手なのか、あかりは長い髪を重そうに揺らして首を傾げる。
「ほら、動画配信してた子がいるだろ。砂塚……」
「ああ! あきらちゃんですね! 仲良しんご~」
「その子に指導してもらうといいだろうね。寮でやるんだろうし、おれが上がりこんでああだこうだ監修することができん」
「そしたら編んでる動画も配信できますね! 心強いなあ~」
砂塚あきらが引き受けてくれるかまでは見通せないが、このあかりに食い下がられたらまあ少なくとも折れるだろう。ついでに、ネットでの検索の指導もしてくれないものだろうか……。
(了)