気にかかるコンビと二連続で別れ、おれは頭のうしろを掻いた。あの四人のだれも小さい子供じゃあない。不穏な空気がありはするが、できることもなければ信じて構えているのがよかろうというものだ。……たぶん。
顔を上げると赤いものと緑のものが揺れているのが見えた。どちらも扁平な球状で、赤いほうは直径が一メートル半くらい、緑も一メートル弱くらいはあるだろうか。片方はおれが抱える山形のりんご大使・辻野あかりの“りんごろうさん”だろうが、緑はなんだろう。
「りんごのタルトをどうぞ~。山形のおいしいりんごのタルトんご~」
「口上が白雪姫の悪いお妃みたいになってるぞ」
あかりがバスケットにやまほど抱えて配っているのは、一口大のりんごのタルトだった。一つ受け取って軽口をきくと、白い腕を振り回して怒る。……りんごろうの着ぐるみなので、比喩ではなく本当の白である。
「毒舌のひとには山形りんごはあげないんご! 舌の毒がりんごに移って中毒したらイメージに傷がつくんご!!」
「きみもなかなかだな……。悪かったよ、一つくらい食べさせてくれないか」
「ほんとに中毒しないんご?」
「多少の毒には慣れてるよ」
「冗談に聞こえませんよプロデューサーさん。よく志希ちゃんと騒いでるから~」
横合いから緑の玉……大きいキャベツの被り物をした日下部若葉がのほほんとしてはいってきた。こちらは被り物といったとおり、首から上だけが大きいキャベツで、首から下は緑色のお姫さまドレスである。キャベツには白丸に小さい黒丸を重ねたシンプルな目がついている。
「お姉ちゃんのそれはなんのキャラクターなんだい」
「群馬キャベツ大使のマダム・キャベツさんです」
「え、実在のゆるキャラ?」
「LMBGの劇で使ったキャラなんですよ~。群馬キャベツ大使っていうのはりんごろうさんに合わせたんです」
急場で合わせただけあってキャベツのなにかを持っているわけではない。とはいえなにを持ってこいというのか訊かれたらたしかに困るしそんなもんか。
「気になるといえば、りんごちゃん、そいつの幅は明らかにきみの倍以上あるんだがどうやって手ぇ動かしてるんだい」
「あかりです」
「ごめん。で、腕は」
「ちゃんとはいってるんご。さっきからりんごタルト配ってるじゃないですか」
左腕に提げたバスケットから器用にタルトの包みを取り上げ、通りがかりの小悪魔に渡す。白い手袋の指先までしっかり動いている。
「いわれてみると私も気になってきました」
興味を示した若葉だったが、りんごろうの手は握れない。あかりが意地悪をしているのではなく、おたがいに正面を向いて手を伸ばすから、丸くて大きい着ぐるみ同士が干渉して届かないのだ。
「かわいいことやってんなあ」
半笑いでかわいいといわれても嬉しくないらしい。頭に対して短い腕を二人は振り、抗議の意思を示す。りんごろうは目玉まで動かして睨んでくる。動くこと自体は驚かないが、どうやってるんだいったい。
「ふうーっ、あんまり激しい動きをさせないでほしいんご……」
あかりの声は威嚇ではなく、疲れのにじむ溜息である。顔が見えている若葉のキャベツ太郎とはちがい、りんごろうの巨体は完全密閉のウレタン製で、着て動くだけでも重労働なのだ。なにせ直径一・五メートルの球を縦だけ一メートルくらいに潰して、短い手足を生やした形だから……待てよ、高さはどう収まってるんだあかりは?
「んごっご」
「アイドルが出していい声じゃあなかったぞいまの」
「ちょっと喋りづらいだけんご」
「もう三〇分くらいこのままですしね~。ちょっと休憩いれましょう」
先輩たる若葉の提案を、あかりは全身を振って拒絶した。着ぐるみの中身を見せて夢を壊してはいけないとか着ぐるみアクターのプロ意識がどうのとか、舌が上顎に貼りついたようなどもりかたを激しくしながらまくしたてる。“りんごろうさん”ではなく辻野あかりとして喋り倒している時点で着ぐるみの夢もプロ意識もないもんである。
「ここじゃあなくて、空いてる部屋で脱げばいいだろう?」
「でもりんごタルトが思ったよりも捌けてないんご……」
「元気になってから挽回しなさい。脱水になりかかってんだから! お姉ちゃん背中押して!」
「マダムですっ」
「はいはい。手伝っていただけませんかマダム?」
「よろしくってよ~。にょほほほほ」
届かない腕ではなく、背中に背中で寄りかかって若葉は巨大な赤りんごをぐいぐい押した。……廊下を曲がるときに二度ならず派手に転んだので首が心配だったが、あんがい平気なものらしい。手近な小会議室に、どうにか赤い巨体を押しこんだ。
「とにかく脱いで、冷たいもん飲んで」
りんごろうの背中のファスナーを下ろすと、蒸気が目に見えて広がった。マダム・キャベツの被り物を外しておなじく湯気を立てている若葉も驚く蒸れようだ。……が、それはまだ上げ底で、若葉もおれももうひと驚きさせられることになる。ファスナーのなかから熱い蒸気とともに起き上がったあかりは、全身の筋繊維がむき出しの姿だったのだ。
「ひょあー!!」
「脱ぎすぎ! あかり脱ぎすぎ!!」
「なんの話ですか?」
声をキョトンとさせて振り返る顔には見覚えがあった。もちろん、あかりのそれではない。やけに歯が多い、肌のない面長の男。漫画“進撃の巨人”のキャラクターだ。
「なんだよもう、超大型巨人のタイツか」
「巨人? Mサイズですよ、この人体模型くん」
マイペースにあかりが着ぐるみから会議室の床に出てくると、どさりと音を立ててりんごろうのウレタンボディが床に転がる。
「え? え? あ、全身タイツですか?」
ウレタンの着ぐるみは内側がアクターの体に密着するようになっている。汗を吸わせてしまうとすぐダメになるので、アクターはタイツを着こんで汗から着ぐるみを守る必要があるのだ。あかりはそれに自前の“りんごの果肉色”のものではなく、放出されていた超大型巨人のスーツを使っていたのである。ぜったい狙ってたんだこいつはこういう場面を。
「わ、私タオルとちっちゃい扇風機! もらってきますね!」
足をもつれさせながら、若葉は会議室を飛び出す。ドアを閉めぎわ、“怖かったわけじゃないですからね!!”と変な自白を置いていった。
「ふー、体が軽いんご」
りんごろうとちがって超大型巨人はただのタイツなので、頭にも背中にも腕を回せるし膝も高く上がる。凝り固まった関節をほぐすように、あかりは全身タイツを脱がぬまま柔軟をしだした。
「そいつに快活に動かれるの怖いんだけど……」
なんのことだとあかりは首をかしげる。人体模型だと思ってるにせよ、おれの発言はそう変でもないと思う。足許がおぼつかないわりには上半身が元気で、見た目のイヤさと体調の心配が混ざりあって自分の気持ちを見失いそうになる。
ともかく、手許のタオル一本で拭けるだけは拭いておくことにした。蒸気もだんだんおさまってきて、こんどは体が冷える心配をしないといけない。
あかりはファスナーを腰のあたりまで下ろした。蒸気と汗のにおいが濃くなる。長い髪が汗だくの背中にべったりと貼りついている。頭が抜け、肩があらわになり、汗が滝のように流れる腕を肘まで脱いだところであかりは止まった。
「貼りついて脱げない……」
「まあ、無理にぜんぶ脱ぐこともないさ。しかし髪の毛、せっかくきれいなのにひどいことになってるな」
「まとめちゃうとタイツにはいりきらないんご~」
「りんごろうのなかは異次元の収納力なのになあ」
貼りついた髪ごと、タオルで押さえて汗を取る。髪がある程度乾いたら首許から持ち上げて背中を拭く。汗はとめどなく噴き出し、背骨の凹凸を浮かす溝を滑り落ちで腰で三叉にわかれ、あるいは肩甲骨の下のラインから肋骨の線に沿って流れ、……。
「あかりちゃんや、きみ、下着つけてなくない?」
「はい」
ブラジャーのバンドが見当たらず、まさかとよぎる不安にヌーブラくらい着けてると思いなおしたのだが……。
「ちょっとは恥ずかしがりなさいよ」
「男のひとに見られたら恥ずかしいですけど、プロデューサーさんはほら、ねえ、人間じゃなくて、いうと怒るからいいませんけど」
「そこまでいったらおなじじゃい」
あかりもおれが化けミミズクだと信じきっているクチだった。鳥に裸を見られてもなんともない。いわれてみるとそりゃあそうだ。しかし残念ながらおれはふつうの人間なのだ。子供の裸に喜ぶタイプじゃあなくて助かったな、おい。
「タイツのときに下着着てると汗でべっしょべしょになるんご……。替えの下着も用意するからタイツと一緒に二着洗わなきゃいけなくて、でも寮の洗濯機は共用だからいちどにたくさん洗えなくて」
「寮の都合を出されるとなにもいえん……」
「でもりんごろうさん着てればノーブラノーパンで人前に出ても平気んご~」
「下も着けてないのかよ! ここにいると冤罪かけられそうでイヤなんだけど!」
「あ、さすがに下は見せないんご」
「あっそう残念残念」
ひとまず背中側だけ拭き上げ、髪を簡単なアップにまとめてやった。まだ汗は引かない。タオルはもう用をなさないし、はやく若葉に交代したい。
「ていうかその超大型巨人でじゅうぶんじゃあないか、ハロウィン」
「りんごの宣伝しなくてどうするんですか! それにブラしてないから人体模型くんだと乳首が浮くんですよ! 恥ずかしいんご!」
わざわざこっちに向き直ってあかりは力説する。巨人タイツの奥で汗のしずくを散らしながら、白桃の色の丸みが、腕よりは控えめに揺れている。
「いままさに丸出しのくせに……。つうかそれに乳首浮いてて興奮するやついたら怖いわ」
「世のなか、どんなシュミのひとがいるかわからないんご」
たしかに。
「ひょああー!!」
とつぜんの背後の叫び声におれは心臓が止まりそうになったし、あかりは胸を隠して顔を赤くした。タオルを抱えて、若葉がもどってきたのである。ハンディファンに、スポーツドリンクのペットボトルと氷嚢まで揃えて。
「なにしてるんですかプロデューサーさん!!」
「汗を拭いてたの」
後ろ手にドアを閉めながら、若葉は太い眉根を寄せて疑惑の視線で刺してくる。濡れきったタオルを手近なテーブルに置き、おれは若葉の肩を叩いた。
「背中はやっといたからあとは頼むよ、男は邪魔だろうし」
「そおですかあ?」
深緑の瞳は疑惑の色を薄めない。
「あかりちゃん、私が来てからですよね。前隠したの」
「同性でも恥ずかしさはあるんご」
「プロデューサーさんなら恥ずかしくないんですか!?」
「その話はもうさっきしたんだよお姉ちゃん。あの子はおれを鳥のオバケだと本気で思ってる」
まだ信じられないという目つきだが、これ以上はどういいようもない。おれは濡れたタオルをいれるビニール袋を身代わりにして、疑獄の小部屋から逃げ出した。
(続)