猫、巫女、サンタ、あいのうた   作:久聖

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柑奈  いつくしみ深き

 蔦しげるレンガ壁の高くに秋晴れを望んで、おれたちは五人五様に嘆息した。この好天のもとでやることが、屋内でのMV撮影だとはもったいない。そんなことを考えているのはおれだけのようで、仲良く並んだアイドルカルテット、コズミック・シンフォニーのまちまちなうしろ姿に翳りはまるで見当たらなかった。

 

「はー、雰囲気ありますね~」

 

 有浦柑奈の大きい声が濃い色の壁にはずむ。隣ではシスター・クラリスと梅木音葉が淡い色の金髪を秋風に揺らしながらこの威容を堪能している。二階建ての屋敷である。名を水馬(すいば)館という。水馬はアメンボの当て字だが、格調のために音読みが使われる。明治時代に建てられて以来、地震にも空襲にも耐えて百余年。いまは人家としての役割を棄て、市の管理のもと、レトロな風情をかもす貸しスタジオとして使われている。

 

 望月聖は上半身ごと視線を半周させた。曲りくねるアプローチの先を真紅の瞳に映し、かがやかせる。

 

「コスモス畑、ここから見るとすごい……。すごくきれいですね……!」

 

 見渡すかぎり、とはいかぬが、小径を挟んだ向かいは一面のコスモス畑だ。あざやかな緑の上にピンクの濃淡が広がっている。……かつてそこにはもう一棟、おなじように造られた屋敷があった。しかし地盤がちがったのだろう。関東大震災の折に倒壊し、昭和のはじめごろからは残された双子の前庭として四季折々の花の賑わいを見せている。

 

「飛びこんでみたくなりますね」

「柑奈さんが飛びこんだらお花が潰れてしまいますよ」

「それじゃあ聖ちゃんだけでも」

「えっ? わ、私も柑奈さんとあんまり……変わらなくないですか?」

「聖ちゃんなら大丈夫ですよ。花だってちゃんとよけてくれますって」

 

 トボケたことをいいながら、柑奈と音葉が聖を挟む。スマートフォンを片手に写真を撮る気満々の柑奈を、長身の音葉が眉を困らせて言葉だけで止める。シルエットだけで見たら親子連れに見えるかもしれない。

 

「柑奈さんは聖ちゃんにミステリーサークルを作らせる気ですか」

「ミステリー……? あ、私が模様を描くんですか? 難しそう……」

「音葉ちゃんよりはきれいに描けますって。マルとかウズマキとか」

「私もまっすぐ歩くくらいできるんですよ?」

「ウズマキ……? 真ん中まで行っちゃったらどうやって帰れば……」

 

 口をとがらせる音葉、口許を隠して悩む聖を、口車にまんまと乗せた柑奈はいたずらっぽい笑みで眺めている。ふだんこの四人を送迎している音葉の担当が、疲れた顔でおれに車のキーを押しつけて逃げたわけがなんとなくわかった。これが彼女らのいつもの調子で、そして、よその子は叱りづらいものなのだ。

 

「そこはうちのプロデューサーさんがどうにか」

「えっ」

 

 聖は身をすくめた。楽しい反応ではないが不快とはいわぬ、同情というか、かわいそうにというか、そんな気分だ。

 

「おれに頼らんでも来た道引き返せば出られるよ」

「空からサッと助けてあげたらいいじゃないですか」

「人間は飛べないんだぜ柑奈ちゃん?」

 

 かの美少女の怯える原因はひとえに、おれの噂である。ミミズクのような癖毛のために化けミミズクとアダ名され、同僚やアイドルが面白がってマコトシヤカに語るせいで、子供らは信じてしまっているのだ。演技っぽく凄んでみせると、当の柑奈は手を横に振ってからからと笑った。

 

「子供を怖がらせるのがラブアンドピースなのかい」

「冤罪ですよ。私はね、私のプロデューサーさんはいい妖怪ですよって主張してるんです」

「悪い妖怪じゃあもちろんないが、いい妖怪でもないんだよ?」

「ふふふ、仲がいいですね。ちょっと妬けちゃいます」

 

 聖をうしろに隠して、音葉が仲裁に来た。その胸へ猫撫で声で横顔を押しつけ、柑奈はまだ笑う。この四人(コズミック・シンフォニー)のときでも二人だけ(シンフォニック・ワールド)のときでも、おそらく音葉が柑奈の保護者をしてくれているのだろう。二人の一九歳がじゃれているのを、一三歳が柘榴石の目で不思議そうに見つめている。

 

「どうしたね、聖ちゃん」

「ふえっ!? あっ、いえ、違和感……ううん、どうしたのかなって……思ったんです」

 

 こんどはこちらが不思議そうにする番だ。もとより話す気でいたのか、それを気取ったのかはわからないが、聖はすぐ言葉を継ぐ。

 

「いつもならもうクラリスさんが止めに来てるんです……けど」

 

 遠慮がちに送られた視線の先を追うと、そのクラリスがうつむいたままじっとしていた。白い指先で赤のブローチをすがるようにつまみ、眉をわずかにひそめて……。

 

「シスター? どこか具合でも? 運転が荒かったですかね」

 

 そういえばここに着いてからずっとだんまりだった。声をかけるとバネじかけのように背筋を伸ばし、か細い手を下で組む。

 

「失礼しました、なにか恐ろしげな気配がしていたもので……」

「クラリスさんまで~。プロデューサーさんはヨカモンですよーっ」

「うふふ、はい、ミミズクさまなら安心です。きっと山が近くなりましたから、野生が騒がれたのでしょう。聖さんも、このかたは怖くありませんから大丈夫ですよ」

 

 きれいな笑顔でいうことがひどい。おれは柑奈の首に腕を回した。

 

「なあ柑奈ちゃん、マジメな話がある」

「クラリスさんの信じっぷりは私だけのせいでんなかとですよぉ」

「あちらの担当のかたは信心深いみたいですし、それに……」

 

 おれの腕を柑奈の首から雑に外しながら音葉がいいよどむ。それを訊きなおすと、こんどは柑奈がケロリと答えた。イヴである。正真正銘の人外、サンタクロースの少女イヴは、サンタ一族が大勢いるくせに周りが人間ばかりではやっぱり寂しいなどといって、化けミミズクの噂に熱心なのである。そして聖とクラリスの両名は、そんなイヴと仲がよい。すっかり影響されて信じこんでしまっているのは無理もない。

 

 ……ないか?

 

 

 

 さて、悪い話から逃げるのと、古風で優雅な屋敷に惹かれたのとで、柑奈を先頭におれたちは屋内にはいった。

 

 クラリスが律儀にたたいた牛のドアノッカーを聞いてか、一人の女性が応対に出てきた。足首まである黒いスカートのドレスにレースでふちどった白いエプロンというメイドの出で立ち。ただ油断していたのか長い髪は整えきれておらず、化粧も途中に見える。

 

「ようこそおいでくださいました。客間までご案内させていただきます」

 

 ふかぶかと一礼し、メイドは廊下の先を手で促しながら歩きだした。それを二歩めで、おれは止める。

 

「すみません、時間まで屋敷のなかを歩かせていただきたくて……市の担当のひととは話してあったんですが」

 

 怪訝そうに振り向く横顔にクラリスが微笑む。

 

「ええ、せっかく素敵なお屋敷ですので、ぜひ見学させていただきたく存じまして」

 

 そう存じていたのはクラリスではなく柑奈と、意外に聖もである。彼女の言葉にどこか、戸惑うひびきがあったのはそのちょっとした嘘のためだろうか。似たような顔色は先方にもあった。こちらの予定が職員から伝わっていなかったらしい。お役所仕事だなあ。

 

「左様でございましたか……。地下と、屋敷のものの私室のほかはご自由にご覧くださいませ」

 

 最敬礼のメイドとはちがう廊下へ、柑奈と聖を先頭にして進んだ。手入れのいい赤い絨毯はやわらかく靴を受け止め、廊下を進む足も気分がいい。ほどなく、吹き抜けに階段がその重厚な姿を見せる。壁に向かって数段で踊り場があり、直角に曲がって壁沿いに登るとふたたび踊り場で直角に曲がるという構成の折り返し階段だ。上にも下にもつづいているが、地下は立入禁止といわれたばかりである。

 

 そのカスガイ型に抱かれるように四人並び、記念の写真を一枚。……なのだが、マホガニーの濃い色をした階段は柑奈の髪の色と近く、据わりがあまりよくはない。おれが柑奈に位置を変えるようにいおうとした矢先、音葉が柑奈のうしろにはいった。両肩に手を添えていたずらっぽく笑む。

 

「お、上手いね音葉ちゃん」

 

 応えて得意げな顔にシャッターを切り、コズミック・シンフォニーの仲睦まじいオフショット集の、これがはじまりとなった。階段を登った先の白亜の出窓で一枚、牛の金細工の暖炉の前、ステンドグラスのランプがあたたかい書斎、ワントーン明るいオルガンのホール。

 

「弾いてみません?」

 

 白いレースのカバーをかけられたオルガンを、柑奈がクラリスに示した。ちょこちょこと聖がオルガンの左手に移動する。二人の期待する視線にクラリスは人差し指を立ててみせる。

 

「こういった備品は文化財のうちですから、かってに使うことはできませんよ」

「うーん、けど、“お手を触れないでください”みたいなの、置いてないんですよね」

「そういやガイドポールも一つもなかったな。床きしんでるところか、朽ちかけのバルコニーとか、置いててもいいはずなのに」

 

 納得しづらそうに二人が首をひねる。おれはおれで注意喚起のないことが疑問である。

 

「撮影に差し障ると思って、先に外してくれたのかもしれません」

 

 音葉の言葉で提案はひっこんだものの、結局は鼻歌をハモらせる二人である。そのままぐるりとフロアを回って階段を降り、こんどは中庭に出た。すでに去った夏を惜しむような濃い緑の生け垣には、淡い色の秋バラが午前の陽射しに光っている。

 

 中央には白い噴水が鎮座し、その上段には牛のレリーフが施され、四方に水の放物線を描く。それを受ける花の形の下段は花弁の窪みから池へと水を落とす。石造りの水路の多くを隠すように生け垣が迷路をなし、しだいにカラフルな花壇に置き換わりながら、丸く平たく広がっている。そこから一条伸びる石畳はバラのトンネルを抜けて、青い屋根の四阿へとつながる。

 

 柑奈と聖が彩りにぎやかなガーベラの花壇や迷路に遊ぶのを、クラリス、音葉とともに四阿から見守る。遊ぶといっても蝶のように花から花へと可憐なようすではなく、走って笑って飛びついて転んでと、元気いっぱいである。

 

「ここはよいところですね。聖さんがあれほどはしゃいで」

「“恐ろしげな気配”はもうよろしいんですか? クラリスさん」

「じつをいうとまだありますけれど」

 

 まぶたを閉じたままの微笑みを、クラリスは訊いた音葉ではなくおれに向ける。

 

「心配無用とわかっておりますし」

「……そう、ですか」

 

 音葉の返事は気づかわしそうだった。思い返せばこのあたりでおれは、すっかり騙されきっているクラリスに代わってその気配のことを深く考えるべきであったのだ。しかしその話題は避けたい気持ちが強く、やんちゃな子供二人のはしゃぎように逃避していた。

 

「柑奈さんは本当に、いいお姉さんですね」

「あっ、そうですか? おれそろそろどっちが歳下かわからんっていわれると思ってました」

 

 なにせ聖をリードしてあげるとかわざとつかまるとかでもなく、生け垣を飛び越えてまで本気で追いかけ回すし木陰から飛びつくし……。いまは噴水に並んで腰かけて、なにやら歌っているようで安心して見ていられるが。……屋敷の窓にはちらほら人影があり、中庭のかまびすしさになにかいわれるかもしれない。

 

「柑奈さんはしっかりものですよ」

 

 こちらを見据える音葉の声には硬質なひびきがあった。

 

「柑奈さんのポジティブさといいましょうか、心構えにはよく助けられております」

 

 教会のバザーに出店中の彼女たちを取材に訪れた番組があった。おれが見たオンエアでは盛況だったが、当初、彼女たちの売上はおろかバザーそのものの客足も芳しくなかったらしい。撮れ高を危ぶんだのだろう、ディレクターはサクラを呼ぶよう指示した。……スタッフがやればまだよかったのだが、出店者側に知り合いを呼んで買わせろとか、ありもせぬお悩み相談で人情小咄を見せろとか、無茶をいったようだ。

 

 なにしろ悪い言葉を使わない二人なので、そのディレクターの具体的なことはあまり明らかでない。柑奈に訊いてもおなじだろう。選べる言葉のまだ少ない聖ならポロッと答えてくれるかもしれないが、まあ、考えてみると、いわせたり聞いたりしたいものでもないな。

 

 ともかく。そうした詭計に二の足を踏んでいると、柑奈がギターをかついで飛び出していった。カメラとマイクが一組追いかけていき、しばらく待っていると客がぞろぞろやってきた。柑奈がちんどん屋まがいに歌い歩いて、宣伝をしていたのである。

 

「おれが見てないほうがしっかりしてるなあ、柑奈のやつ。きょう来ないほうがよかった?」

「いえいえ、とても助かっております。柑奈さんも気楽でいられるようですし」

「へ、いつもああではない?」

「なんと申しましょうか、くだけた調子でおいでですが、気を張ってらして……」

「頼もしくあろうとしてくれてるんです。私たち、流されがちですし」

「人間同士ではつい隠したくなる心の奥のものも、種族の壁と申しましょうか、隔たっているからこそさらけ出せるのかもしれませんね」

 

 まあいいや、もう誤解したままのほうが円滑に進むんだきっと。きまじめなシスター・クラリスに真実を納得させてしまったら、どんな土下座をされるかわからんし……。

 

「わたくしたちとしても、ありがたく思っておりますよ。お車での移動一つとってもたいへん助かります」

「私たちだけですと、クラリスさんが運転するしかなくなりますものね」

「音葉さんは免許をお持ちでありませんし、柑奈さんは街なかでの運転が苦手で、わたくしはすぐおまわりさんに声をかけられてしまって」

 

 どうやって免許取ったんだろう。

 

「というか、柑奈の運転、やっぱり大雑把なんですね」

「やっぱりとは」

 

 どうにも音葉の声がときおり無機質というか、固く冷たく聞こえるのは気のせいだろうか。

 

「いやね、前に料理を作ってくれたときは、とんでもなく豪快というか……」

「まあ……。炊き出しを手伝っていただいたおりには、下ごしらえや皮むきをていねいになさっていましたが……」

「煮物も炒め物もしっかりしたものを作ってくれましたよ」

「炊き出しはわかるけど、ひとん家で飯作ってるのあの子……?」

「ここんとこ週に三日くらいは音葉ちゃんとこに通い妻しとっとですよ」

 

 噂をしたからではないが、柑奈と聖も四阿に休みに来た。五人もいると窮屈なスペースである。いちばんかさばる男のおれは外へ出て、せっかくなのでカメラを構えた。アイドル四人がおさまった四阿は白い柱もひときわ明るく、華やいで見える。テーブルにティーセットとケーキスタンドがあればなおいいのに。まだ午前だが。

 

「食うに困ってるなら相談してくれよ」

「私は困ってませんよ? 音葉ちゃんが食べ物……ちがうな、料理に困ってるから。材料もちゃんと半々くらいで持ってますからね」

 

 “ケーキを真っ二つにできない”ほど手つきの危ない音葉は、もちろん自炊ができない。北海道からはるばる上京して一人暮らしをして一年あまり、学食などの外食や店屋物に頼ってきたが限界が近い。それを聞いた柑奈が、足繁く通うようになったそうだ。表情のせわしなく変わる音葉を中心に撮りながら、そんな話をおれは聞いた。

 

「私もおじゃまして、食べさせてもらったことあります。小芋と芽キャベツのポトフ……。みんなころころしてかわいくって」

 

 かつていちど柑奈が作ってくれた料理もポトフだった。鍋いっぱいの具のうち、いちばん包丁をいれられていたのは四半分に切ったキャベツだったと思う。味はよかったし体もあったまったが、右手と顎がだいぶ疲れた。

 

「柑奈ちゃんや、まえにおれに作ってくれたのとえらく差がないか」

「プロデューサーさんは男やけん、あれくらいかなと思ったとですよ」

「なるほど、合わせようとしてくれてたわけだ。……ちょいと買いかぶってもくれてたな」

 

 音葉が深く二度頷く。シャッターチャンスではなかったから、とくになにもしなかった。

 

「爺っちゃんや父ちゃんなら軽い量だったとですがね~」

「すごいなきみん家は」

「こんどはもうちょっと小さく作りますよ~」

「楽しみにしとく」

「あ、あの……打ち上げ。打ち上げで、どうですか?」

「いい考えです。わたくしも腕をふるいましょう」

「私も……。デザートに、お菓子……焼いてみたいです」

「きみらの担当が聞いたら喜びそうだな」

「音葉ちゃんもなにか作りません?」

「いえ、あの、私はちょっと……。みなさんに試練を課したり、最悪、流血沙汰になるかも……」

「包丁使わなくてもできるメニューだとか、柑奈がしっかり監督するかい?」

「食べるだけんひとが注文つけると?」

「おれだってなにか買ってくよ」

「作らんと?」

「男の手料理よりはおいしくて衛生的だろう?」

「あーっ! クラリスさん、あのひとズルする気でいますよっ」

「一人一品用意したらそれでいいじゃあないか。あいつらだって作らず買い物にするぜ」

「それはいいですね。神に仕える身でこんなことを申し上げるのはよくありませんが、男のお三方にはわたくしたちが作れないようなとびきりのものを希望いたします」

「クラリスさん……!? ですから、私はですね?」

「サラダはいかがですか? 包丁の出番も多少ありますが、いい練習になるでしょうし、柑奈さんが見ておいででしょうから」

「音葉さんのサラダ……楽しみです」

「音葉ちゃん、いいところ見せましょう!」

「みなさん……」

 

 会話とシャッター音の合間、音葉のたじろぐ声と重なって、弱々しい声がおなじフレーズを発した。屋敷の管理グループのひとだろうか、玄関で会ったメイドと、それよりいくぶん簡素な恰好の女性の二人が、石畳の道に立っている。

 

「ご歓談のところお邪魔して申し訳ありません」

「素敵な歌声が聞こえたもので、誘われてきてしまいました」

 

 とても浮かれて出てきたようには見えぬ。秋晴れに似つかわしくないというと失礼だが、くたびれた白い顔色である。“うるさいから静かにしてくれ”の婉曲表現かと顔の端がこわばったが、つづける二人の顔は言葉に裏のないことを強調していた。

 

「まるで天に昇るような……」

「まるで春の野に抱かれるような……」

 

 祈るように指を組み、二人はうっとりと目を閉じる。熱心なファンの登場は嬉しいもので、柑奈も聖も照れくさそうに笑っている。それに挟まれている音葉とクラリスの表情はどこか浮かないようだが……。

 

「よろしければ、もういちど歌っていただけませんか?」

 

 二人のメイドの揃った声は、遠慮がちな頼みではない。懇願に似たひびきがある。それへ敏感なのはクラリスで、“歌いましょう!”と力強く立ち上がった。したりと柑奈と聖も椅子から跳ねるように四阿の床に立つ。いっぽうで、音葉にはまだ迷いがあるようだ。

 

「いいんでしょうか……?」

「ロケとかレコとかなら喉に負担かけるなーっていうがね、MVだしいいんじゃあないかな。それにまあ、今回はお世話になる場所のひとたちだ、リンショクすることもないさ」

 

 首を傾げつつ、音葉も四阿の外へ出て三人に並ぶ。なにを歌おうか、聖が期待の眼差しをクラリスへ注ぐ。しばし黙考を経て、淡い紅を引いた唇が開いた。

 

「“星の()”にいたしましょう。お二方もきっとご存知のはず、ともに歌いませんか。柑奈さん、ギターをお願いしたいのですが」

「ほしのよ……?」

 

 “知ってる”と声には出さねど顔を見合わせるメイドに比して、柑奈はきょとんと首を傾げた。傾げつつも、アコースティックギターを弾く体勢にはなっている。聖もまた、どんな曲だったか思い出そうとしているらしい。

 

「賛美歌312番、“いつくしみ深き”のメロディーです。歌詞は……聖さん、こちらを」

 

 明治時代の終わりごろに成立した、短い唱歌である。“いつくしみ深き”のほうが原型で、そちらの成立は一八六五年。つまり慶応元年だという。そんなことを調べたり、撮った写真を何枚か見ているうちに、柑奈はギターの調律をし、四人それぞれに音程を取り、歌声は秋の空を駆け抜けてしまっていた。

 

 しまっていたのはもう一つ、いやもう二人。歌をせがんだ二人のメイドが、いつのまにか姿を消してしまっていたのだ。

 

 柑奈も不思議がるのだが、聖は歌っているあいだつい目を閉じていたといい、音葉もおなじくとつづけ、クラリスに見ていなかったといわれてはもはや知りようはない。目を離していたおれが悪い。……そうなの?

 

「きっとなにかご用がおありだったのです。わたくしたちの時間も近いですし、いちどお屋敷にもどりましょう」

 

 急かすクラリスに背中を押され、音葉に先導されて、おれたちは屋敷の客間へと向かう。馬のレリーフが施された噴水の、水の螺旋を名残惜しげに聖は振り返りながら。

 

 

 

 中庭を見渡せる客間には格子窓からやわらかな光が注ぐ。もてなしの紅茶などはないが、めいめい、高価そうな年代物の椅子とテーブルにくつろいでいる。勧められてクラリスとおれが肘掛けの椅子に、柑奈たちが並んで長椅子に。スタッフの集合時間まで、まだ三〇分ばかりを残す。四人の談笑を聞きながら、おれは中庭でやりかけだった写真の整理をはじめた。

 

「あー、これも。これもか……」

 

 データは逃げないのだから整理など帰社してからでも構いはせぬのだが、見た数枚がいずれも見切れ写真だったので、撮りなおしを考えざるをえなかった。……見切れるとはテレビ業界の言葉で、裏方などの映すつもりのないものが画面にはいることをいう。いまの場合、屋敷の管理人たちが廊下や隣の部屋にちらちら見えてしまっていたのである。

 

 階段でも、ホールでも、暖炉でも、中庭でも……。全滅だ。弱ってクラリスに視線を向けると、なぜか音葉と目が合った。翠玉の目をふっと笑ませ、音葉は隣の二人に声をかける。

 

「聖さん、柑奈さん、いまのうちに髪を整えておきましょう」

 

 なかば強引に三人がトイレに立つ。心のなかで感謝しつつそれを見送り、こんどこそおれはクラリスに声を……かけそこねた。クラリスの姿まで部屋から消えたのだ。

 

「申し訳ございませんでした」

 

 いや、いる。ローテーブルの脇で土下座していたのだ。椅子から跳ねて、おれも絨毯に膝をつく。廊下のものよりも格段にやわらかい。

 

「し、シスター? なにかされたおぼえはないんだけど……」

 

 ほんとうはあるといえばあるが……。

 

「いえ、ミミズクさま、こちらに着いてからずっと騙しておりました」

「ずっと?」

「悪い気配をミミズクさまのせいにしていたことです」

 

 クラリスの顔が絨毯の長い毛足でほとんど隠れる。大前提が崩れていないのがいっそ頼もしいな。しかし、なるほど、おれの相談したいこととクラリスの告解とは、どうやらおなじことのようだ。

 

「シスター、顔を上げて。それってつまり、こういうののことですよね」

 

 おれは撮っていた見切れ写真を見せた。どの写真にもメイドや執事らしいのが映っている。ひとが立てないはずの場所に。パレットナイフで削ったようにあいまいな顔のパーツで。あるいは不自然に胴体がえぐれて。手足の先をかすれたようにとがらせて……。

 

「ああ……こちらはきっと、音葉さんのおっしゃっていたかたがたですね……」

 

 頬に手を当てうめくクラリスに説明を求めると、音葉は妙な話し声の聞こえることを気にしていたという。相談して、無害そうだと判じ、二人で示し合わせて隠していた。

 

「相談……? どうやって」

「手話です」

「しゅわ」

 

 ともかく、クラリスいわく害はないはずとのことだが、心霊写真というだけで炎上商法の材料にしかならない。撮った写真をすべて削除し、プログレスバーの進みを見守っていると、背後からのぞきこむ気配を感じた。霊ではない。柑奈である。思わず画面を隠すと、悪そうににんまり笑った。

 

「いかがわしかもんでん見とったと?」

「見とらんとよ」

「ええ、柑奈さん、神に誓ってそのような写真はありません」

 

 むやみに知らせる必要もあるまい。ただ悩むのは、次のアクションは三七計に決まっていて、それをどう納得させたものやら、だ。

 

「ぜんぶ……心霊写真? 撮りなおし……ですか?」

「うーん、そうなんだよね。まあ後日……ん?」

 

 柑奈とは反対の肩口からしかけてきたのは聖だった。ばつが悪そうに眉尻を下げて口角を上げる。

 

「音葉ちゃんのぶきっちょさんはよー知っとっとですよ? 嘘ついたらすぐわかるんですから。歌ってるとき、周りをしっかり見てるタイプじゃないですか」

 

 柑奈に微笑まれた音葉は、聖の顔に照れくささを加えたような顔をした。トイレに立った先で問い詰められてすべて話してしまったようだ。

 

 ともあれ、これで一同揃って現状を把握したことになる。配慮は無駄だったが、それだけ子供たちのたくましいことは喜ぶべきところであろう。今後のことを決めやすくなったのも、私事ばかりだがありがたい。

 

「きょうのところは撤収かな。スタッフにもリスケをお願いするとして」

「お祓いをして、後日またここで、でしょうか?」

「安易にはしがたいですね。神の教えには背くのですが、ここが彼らの安住の地かもしれませんし……」

「たしかに。私たち騒いでましたけど、なにかしてくるってこともないですしね」

「場所もまあ、変えればいいさ。都内でも古い洋館はそこそこあるから」

「お、お待ちを……」

 

 客間を発たんとしたおれたちの行く手を、モーニング姿の男が塞いだ。……男だと思う。黄砂の時期の薄曇りの空のような、黄色く濁った灰色の肌、いや、肌ではない。骨。モーニングを着た白骨だ。眼窩の奥に浮かぶ目玉がはっきりとこちらを見ている。その風体に、クラリスと音葉の反応はわからないが、柑奈の大きい口からはうめきが、聖の小さい口からは上ずった声が洩れた。

 

「あ、ああのう。ご挨い拶が遅れまして。ようこそ……ようこそ、天牛(てんぎゅう)館へ……」

 

 変なテンポで間延びした、甲高い鼻声だった。脱力感さえあるその言葉がひっかかり、つい聞き返してしまう。

 

「“ようこそ”、どこへっていいました?」

「ここへです」

「そのナリでパラダイスとかいわんだろうな……」

「いいません」

「プロデューサーさん、オバケと打ち解けるの早いですね」

 

 敬語がつい吹き飛ぶのはおれの、どちらかというと問題点で、こうして割ってはいってこられる柑奈こそ大概だと思う。ちらりと片目でうしろを見ると、聖は依然として怯えてクラリスの裾を握っているし、クラリスも聖をかばうように緊張した立ちかたをしている。対して柑奈はすでにゆるんでおり、音葉も複雑な表情ながら警戒を解いたようだ。……ともかく、おれは柑奈より先に言葉を発した。どうせ“さすが善玉妖怪”とかいうに決まっているからだ。

 

「この館の名前、なんて? 水馬館じゃあなかったんですか」

「いいええ、こちらは天牛館でござあいます。水馬館はあ、お隣」

 

 過剰な抑揚に合わせて頭が上がったり下がったり。ここだけ切り取ればユーモラスである。ピエロの恰好なら聖も笑わせられたかもしれない。

 

「あー、ワタシは美風路守(みかぜみちもり)と申しいます。天牛館の家令を務めておおります」

「水馬館の……お隣に……? コスモス畑……?」

 

 聖がワンテンポ遅れてひとりごちる。水馬館の隣には双子の館があり、関東大震災で倒壊した……という話だった。水馬と天牛。アメンボとカミキリムシ。並び立つ名前には見えないが、当時のセンスがなにかあるのだろう。

 

「そうか、やけに牛のモチーフが多いと思ってたが、天牛館だからなのか」

「壁紙もそうでしたね」

「天井の絵も……」

 

 美風と名乗るそのガイコツの家令は大仰に頷いた。頭が取れるんじゃあないかとどうでもいい不安がよぎる。

 

「ワタシどもはこの館が建てなおされませなんだこと、まこと無念にございました。それがよろしからぬことであったのでしょう。いつからかワタシどもはここに集まっておったのです」

 

 双子の建物ならば造りもおなじはずである。ここを消えた天牛館だと思い、かつての暮らしを再現しつづけているというわけだろうか。出くわすこちらとしてはたまったものではないが、話を聞くに、あちらも快適に思ってはいないのだった。

 

「みなさあまにお願い申しい上げたきことおございますれば、屋敷い一同に代わりまして、お見い苦しい姿をお見せいたあしましたしだい。まずはお聞いき願えませんか」

 

 平に平になる美風氏にほだされ、またもとのソファにもどる。やはり紅茶などは出てこないが、出されてもだれも飲むまい。いや柑奈は怪しいな。クラリスも飲みそうだな。かたや愛の体現であり、かたやキリストのいう信じる者だ。

 

 さて、彼のカタカタ揺れながら語るには、彼らももう一〇〇年近くこの世をさまよっている。ともに働いた仲間ばかりゆえ寂しさはないが、“風の吹くたび記憶は薄れ、雨の降るたび体は崩れ”、ひとの形を保てているもの、保てぬもの、一様に地上からの解放を望んでいる。

 

「意識さえ擦うり切れてしまったものおたちは、恐るるべきいことに屋敷の霊の一部とおなり、ほかのものをとおらえておるのです」

「まあ……。そのような事情も知らず安住の地などと、失礼を申し上げました」

「いいえいえ、思慮深きおお言葉ありがたくぞおんじます」

「それで音葉ちゃんはあっちこっちから溜息が聞こえてたんですね」

「ええ。苦しそうな声ばかりでしたけど、気になるんです。だんだん嬉しそうになってきているような……」

「みんなを、解放してあげたい……です。なにか方法は……あの、ありませんか?」

 

 柘榴石の目が遠慮がちに映すのはおれの姿である。妖怪変化なら、ご期待どおりなにか手を知っていたかもしれないが。

 

「まさに、まさにそおれでございます。厚かましくもお願いい申し上げます。どうか、ワタシどもをお導きくださいませ! みなさまのお歌で!!」

 

 いうや美風氏は絨毯の外へ飛び退って平伏する。“歌で……”と復唱する四人の声に、いぶかるひびきはなかった。頭にあったのはおそらくおなじことだろう。つい先程の中庭だ。歌を聞いたメイドたちは消えた。あれはほんとうに消えたのだ。屋敷の主から解放されて成仏(聖歌で成仏とは妙な字面だが、ほかに適切な短い言葉が浮かばない)したのだ。コズミック・シンフォニーの歌にそうした力があるのは、すでに確かめられている。だからこそ美風氏が頭を下げに来たのかもしれない。

 

「出られないひとたち……出してあげたいです」

「屋敷の主に取りこまれたというかたがたも、ですね」

「その主さまにも寄り添いましょう。きっと救われるべき思いをかかえておいでのはずですから」

「よーし、屋敷のみんなに、私たちのラブアンドピースを届けましょう!」

 

 そうと決まれば行動あるのみ。歌いながら練り歩くことを柑奈は提案したが、おれが却下した。MVの撮影開始まで時間がないのだ。あと一〇分くらいだ。リスケが不要となったいま、それに間に合わせることもまた重要である。ゆえに、屋敷のほぼ中心、オルガンのある二階のホールで歌うことになった。四人の声量ならばこの屋敷の端々まで届くだろう。

 

 嬉しさを隠しきれぬ美風氏の先導に、高揚する音葉、クラリス、聖が行儀よく一列につづく。柑奈はといえば思い切り歌える嬉しさを全身からほとばしらせて、いちばんうしろをおれと横に並んで歩いている。

 

「んっ、うん、いけまあせんな、好事い、魔、多しと申しますれば、短い距離ですが気を引き締めてまいりましょう」

 

 家令という責任ある立場に何十年といつづけたひとである。ない喉の具合を咳払いして整え、足取り確かに階段の吹き抜けへ進む。……と、柑奈がおれの脇腹をつついた。

 

「コージー魔王氏ってどがんひとと?」

「おれが訊きたい」

 

 好事魔多し。物事が調子よく進むときこそ落とし穴が多い。気をつけなさいということである。“なんだあ”と照れをごまかす柑奈の斜め前で、聖も小さく“そうだったんだ……”とつぶやくのが聞こえた。それはまったく偶然で、視線が釣られたのはひじょうにラッキーだった。……その瞬間に絨毯がうごめき、聖の足を滑らせて、地下への階段に押しやったのである。

 

 だれが名前を呼んだか呼ばないか、それが記憶にないほどとっさに、おれは飛び出して聖の腕をつかんだ。落ちる勢いと体勢の悪さで助け起こしそこね、階段を一段降りてようやく抱きかかえる。

 

「いうはしから魔が来ましたね」

「ご、ご無事でなによおりでご」

 

 美風氏の恐縮した声はそこまでだった。おれの立つ階段のステップがたたまれて、地下へと落ちる滑り台になったのだ。美風氏もおれも含む全員が叫んだ。

 

 滑り台は二回曲がったところで終わった。地下階への階段も、二階へのとおなじような構成らしい。曲がったおかげで勢いは削がれたし、体勢が変わらなかったので落ちたのはおれの背中から、つまり聖に怪我をさせることはなかった。それはいい。いいのだが、摩擦のない滑り台が一階へ登ることを拒んでいる。ついでに明かりが点いておらず、階段の上から洩れてくる光で腕の先まで見るのがやっとだ。

 

 上から美風氏や柑奈たちの呼びかけが聞こえ、聖とおれとは自分たちの無事を答えた。

 

「しかし、絨毯動かしたり階段を変形させたりって強力すぎやしませんかね、屋敷の主」

「はい、なにせ屋あ敷の幽霊ですので」

「だからどんな!?」

「屋敷の! 幽霊! です!!」

「わかりやすくいって!?」

「ですから! この天牛館そのものおが! 水馬館に取おり憑いた天牛館のお亡霊なんです!!」

「うおおふざけんな! よくも四コマのオチみたいなネタここまで引っ張ってくれたな!!」

 

 つい声を荒げてしまった。聖を怖がらせてしまってはいけない。落ち着こう。

 

「叙述トリックでんなかと?」

「こんなもん叙述トリックなんていったら小説家の怒りに触れて時刻表で殺されるぞ」

「お二人とも、漫談はともかくどうしますか」

 

 困ったような呆れたような音葉の声である。一階にもどるにはどうするか、といわれれば……。

 

「歌ってくれないか、聖ちゃん」

「え」

「きみたちの歌で一部分だけでもお祓いになる……っていうと変か。美風氏の話を踏まえると、天牛館に取り憑かれて滑り台になってるこれが、もとの水馬館の階段にもどるはずさ。さっき庭で歌ったあと、噴水の牛が馬になってたからね」

「そういえば……。噴水、最後に違和感があったんですけど、彫刻のところ、だったんですね……」

「うん。事情はOK?」

「はい、歌も……OKです」

 

 姿勢を正し、聖が胸に手を当てる。大きく吸いこまれた地下の暗い空気は、ソプラノの旋律になって暗闇を圧した。……じじつ、聖の周りだけ明るくなったように感じる。

 

 聴くにつけおれが育てたかったなと思うが、おれにこの子の才能を活かせるかと問われれば目を逸らして“たぶんね”というほかない。声楽の分野に強いあいつらにしかできんのだろう。おれは演劇方面。ある意味ではひとを化かしなれた、妖怪寄りだといえなくもないか。

 

 のんきでいられたのは数秒のあいだで、こんどは壁際からタンスが飛びかかってきた。おれの背も超す重そうな木のそれが、観音開きの扉を左右に広げて聖を狙う。この子をかばってもまとめてタンスに食われるかも知れない。そのくらいのサイズはある。おれはタンスにタックルをして、狙いを逸らさせた。それは半分はうまくいった。床に倒れ伏させはしたものの、八つ当たりとばかりのタンスに飲まれたのだ。広げた腕がつかえて胸から上はタンスの外だが、もはや身動きは不可能だ。まとめて床に転がっているしかできぬ。

 

「ミミズクさん!」

 

 やさしくも聖はおれをタンスから引っ張り出そうとしてくれる。かすかな光が数多舞うほこりに反射して、アーガイルのひざ丈ワンピースが天使の衣のように見え、……。

 

「聖ちゃん、おれのことはいいから歌をつづけてくれないか」

「え……。で、でも……」

「いまがんばって引っ張ってくれなくても、きみの歌を聞かせればこいつだってただのタンスになって、おれは自力で出られるわけさ。むやみに体力を使うもんじゃあないぜ」

「だいじょうぶ、なんですか……?」

「もちろん」

「それなら、どうして……目を、逸らすんですか?」

「見上げてると首が疲れるんだよ」

「仰向けなのに……? あっ」

 

 布の音が一つして、聖は狭い歩幅でおれから離れた。

 

「み、見ました……?」

「見てないよ」

 

 たぶんね。……やっとふたたび視界にいれた聖は、ワンピースの裾をギュッと押さえ、膨れて前かがみにおれを睨んでいる。

 

「あいったい痛い肋骨のスキマ痛ーい! 聖ちゃん早く歌ってー」

 

 しばし静かにタンスに噛まれていると、また高々とひびく天使の歌声が地下室に満ちた。タンスの抵抗も激しくなり、やがておとなしくなった。溜息とともに這い出すと、聖が手を貸してくれた。怒ってはいないようだ。謝ってしまうと“見られた”という事実を聖のなかに残すことになるので、なんとも判断のつけかねるところである。けっきょくおれは自虐的な冗談に逃げた。

 

「ありがとう、聖ちゃん。怖くない?」

「あの、……プロデューサーさんがいってたんです。化けミミズクさんは、気がつくと仲良くなってるから気をつけて、って」

 

 ぬらりひょんかよ。やっと立ち上がり、おれはズボンのほこりを落とす。

 

「そう……。仲良くしてくれる?」

「はい。……気をつけながら」

「ありがとう、聖ちゃん」

 

 かわいらしい笑顔が返ってくる。こんないい子を騙すとは悪いやつだ。あやつには上手いことふっかけて死ぬほど高価い飯を用意させよう。妖怪の本領を思い知らせてやる。

 

 たくらみをめぐらしながら地上にもどると、四人は安心した顔を見せた。ドクロの美風氏に表情はないが、そう見える。真っ暗な地下を手摺りから見下ろし、何度目かの溜息をおれはついた。

 

「まったくひどい真似をしてくれる。兇暴な悪霊だ」

「いけませんよ、ミミズクさま。赦しと寛容の心です。痛い思いをしたおかげで、一つ絆が深まりました」

 

 聖を抱きしめたまま、クラリスが説く。聖にも頷かれては、頭をかくしかない。

 

「……まあ、そりゃあ、悪いことばかりってわけじゃあないけども」

「聖ちゃんのパンツも見えたし?」

「見てないよ」

 

 たぶんね。肩口からからかいに来た柑奈を睨み返す。音葉がそれを引き剥がして、美風氏の音頭でようやくおれたちはオルガンのホールにたどり着いた。

 

 

 

「オルガンはやめておきませんか」

 

 牛と牛飼いと花の透かし彫りが施されたオルガンの蓋に、クラリスは迷わず手をかけた。それを上から抑え、音葉が気づかわしげな視線を送る。

 

「先程のことも考えると、弾いているあいだに蓋が落ちてくるかもしれません」

「たしかに危ないな。……でも待てよ、おれが抑えてれば平気か?」

「お二人ともお気づかいありがとうございます。ですがご心配なく。わたくしはこのお屋敷を……天牛館を信じます」

 

 クラリスは蓋を開き、日焼けして少し黄みがかかった白鍵を撫でた。背もたれのない椅子を出し、ほこりを払うとしずしずとそれに座る。一瞬とおかず椅子は真っ二つに砕け、隣りにいた音葉が慌ててクラリスの失墜を食い止めた。

 

「えげつねえなあ……。シスター、やっぱりよしたほうが」

「ここここのようなことおなんとお詫び申うし上げたらよいか……!」

「いえ、いいのです。いまのはわたくしの心が至らなかったせい。心を真に委ねれば水の上とて歩くことができましょう、信じるとはかくも難しいこと、されどせぬわけにはゆきません」

 

 美風氏とおれとで椅子の残骸を部屋の隅へやり、そのあいだクラリスはブローチに祈っていた。そして“参りましょう”と立ったまま、ペダルに足をかけ、鍵盤に指を乗せる。柑奈もギターを鳴らし、四人の歌声がホールを駆け巡る。牛の図案の天井絵が揺らいだ。開け放ったドアの先の部屋も、廊下も、バルコニーも、賛美歌312番のやわらかな調べに包まれていく。オルガンの蓋は落ちない。

 

「屋敷のかたがたの安らかな声が聞こえます」

 

 音葉の安堵した声の横で、美風は襟元を骨の手で握り、苦しそうにしている。

 

「ああ……な、なんと尊い……。し、しんどい……」

「念のため訊きますけど、美風さん一〇〇年前のひとですよね?」

 

 現代人としてはこんなリアクションをされるととても気になってしまう。一呼吸一呼吸おきながら、美風氏はまじめに答えてくれた。

 

「はい、安政い五年生まれでござあいます。幼少の砌いは大政奉還ごっこなあどして遊んでおりいましたし、村でさあいしょにざんぎり頭にしいたのは、密かな自慢……」

「めっちゃ気になる遊び出てきた……。じゃあなくて! どうしたんですか、そんな苦しんで」

「成仏しよおうとする体あに抗うのはなかなあか疲れるものでえございますな」

 

 おれには到底知りえぬ感覚だ。なぜそんな無理をするのか。

 

「ワタシは家令とおして、この天牛館が安うらかに眠るまでは……!」

「美風さん……」

 

 屋敷全体がうめくような、木のきしむ猛烈な音がした。歌が悲鳴で中断される。畳み掛けるように激しく、ドアも窓も固く閉ざされた。静まり返ったホールに、オルガンのペダルがもどる音が一つ、短く反響した。

 

「ドアが……。これじゃ、声がここに……こもっちゃう……」

 

 消沈の息が二つ、失意のうめきが一つ。足許を青く冷えた煙の這っていくような感覚を蹴り、おれは柑奈に一歩進み出た。物足りなそうにギターのネックに指を踊らせている。

 

「いや、大丈夫だ、柑奈。歌おう」

 

 落ちかかっていたまぶたを跳ね上げて、柑奈はにかっと笑った。

 

「……そうですね!」

「し、しかしい、有浦さま……」

 

 力ない美風氏の声に構わず、柑奈は弦を鳴らし、明るく歌い出す。クラリスも頬を叩いてオルガンに向かった。音葉も聖も、口角を上げなおして二人の声につづく。

 

「柑奈の歌はちゃんと届きますよ、美風さん。おれはそう信じてます。信じてください」

 

 さっきシスター・クラリスに説かれたばかりのことだ。四人の歌声はひときわ大きく、やさしく、窓ガラスを揺らす。蝶番の小さい音をさせてドアが開く。外の風が吹いてくる。

 

「プロデューサーさんも歌うとよー!」

「よし! さ、美風さんも」

「わ、ワタシは歌あ詞を存じ上げなく……」

「そんなのラララでもルルルでもいいんです」

「そうそう、歌は心です! 独りじゃないよって、天牛館に伝えてあげてください!」

 

 表情のないドクロが、ハッとしたように見えた。柑奈はいっそう嬉しそうにした。

 

「きっとずっと、寂しかったんですよ。みんないるのにだれとも気持ちが通じないの、つらいし……拗ねちゃったりしますもん。それを癒やしてあげられるのが、愛です! みんな持ってる愛です!!」

 

 六人で歌った。歌詞はもはやなんだかわからず、声もぴったり揃いはせず、なお歌った。やがて強い風が枯れ葉と砂を連れて吹き抜けていき……目を開けたとき、美風氏の姿はなくなっていた。

 

 静まり返ったホールに、ガヤガヤと声がする。階段の吹き抜けからだ。階下の人間の声だ。いくつかの靴音も近づいてきて、ドアのところでこういった。

 

「あれーっ、こんなところにいた」

「だれだ、さっき中庭で見かけたっていったやつ」

 

 集合時間は少し過ぎていたが、四人はMVの撮影にとりかかった。

 

 

 

(了)

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