草木も眠る丑三つ時……を鏡に映した二二時。おれは担当アイドルの宮本フレデリカをともなって、山あいの廃駅の前に立っている。駅前の錆びついたロータリーには二〇人近いスタッフがにぎやかに、機材の手入れのさなかだ。輪から外れたところではよその事務所のイケメン俳優が、コーヒーを飲もうか飲むまいか逡巡しつづけている。そしてバス停だった粗末な屋根の下で、あからさまにインチキの霊媒師がスタッフと肉まんを食べ食べ打ち合わせ中。いまから心霊番組のロケにおもむく、これが編成である。
「フレちゃんはどうする? なにか食べとくかい」
「フレちゃんはハラモチがいいから大丈夫~」
腹の前でバスケットボールのハンドリングのような手つきをフレデリカはした。それじゃあと台本のチェックをすることにした。昼間のうちにリハーサルは終えているが、このロケは生中継だ。フレデリカお得意のアドリブも決まった時間内におさめなければコーナーが尻切れトンボにされてしまう。なので、時間感覚と“肝試し”の流れをきっちり頭にいれて計算を働かせねばならない。
「ここで霊媒師がうなりだすのが、やっぱりいちばんの遊びのいれどころかねえ」
「リハで溺れたひとのまねしてたら怒られちゃったね~。またやってもいい?」
「いいよ」
盛り上げ好きのフレデリカだから、笑わせるのは前提としても、この番組では怖がらせる方向へ舵を切るだろう。気の弱そうな俳優はかわいそうだが、まあ、腰を抜かすイケメンにはかわいそうがるひとよりも興奮するひとのほうが多かろうし。
「霊媒師のひと、オバケのまねしてるとオバケが寄ってくるっていってたけど……」
フレデリカのライム色の目はアーチを描いている。寄っていかなかったオバケをからかっているのだ。
「オバケがみんな寂しん坊だと思っちゃあいかんね」
「は~い、化けミミズク先生」
なにせおれ自身がオバケ、ミミズクの妖怪変化なんだから、注連縄を腰に巻いた山伏装束のトンチンカンのいうことを真に受ける理由がない。ちなみにミミズクの耳で聞くかぎり、この一帯に危険な妖怪のたぐいはいない。ただの薄気味悪い、単線の跡だ。朽ちた枕木で転ぶ危険こそ心配したい。
「ま、危ないやつが出てきたらおれたちでやっつけちゃうからね。フレちゃんは安心していいロケにしておいで」
「うん!」
白い歯を見せてフレデリカが笑う。細い肩を挟むようにたたくと、おれの脇腹をくすぐりに腕を伸ばしてくる。ジャケットの下にもぐりこんだ手は肋骨のあるところもないところもしなやかな指で強くなぞっては離れ、そっと撫でては引く。降参しても止まらない。
「うよっ」
くすぐり攻撃から逃れるために、おれはフレデリカに抱きついた。とっさのことなのでもっといい手があったような気もするが、突き飛ばすよりは文句をいわれない解決だと思う。たぶん。
「はいはい、もうストップ。降参だってば」
「フレちゃんは大学一年生であります!」
「そうね、大一だったね、デザイン科のね」
「よく知ってるね~。フレちゃん博士だ」
フレデリカの腕がジャケットの下で背中に回る。こんどはサバ折りでもかけられるかとヒヤリとしたのだが、この予想は外れた。大外れだった。
「ヴィイイイイイィィィィィィ」
「えっなにフレちゃんんんぬばばばばばば」
変な唸り声を発するやフレデリカは恐ろしく細かく振動しはじめた。骨まで粉微塵に砕けそうな超振動だ。逃れるすべはおれにはなかった。
「きどりやさん」
ただ外にはあった。番組スタッフが呼びに来たのだ。フレデリカの振動が止まった。
「おじゃまでした? 木鳥屋さん」
「いいや助かったよ、シロエちゃん」
木鳥屋は梟の漢字をもじって作ってもらったおれの苗字だ。アクセントは“き”でなく“り”にある。おれがシロエと呼んだのは
「おれが人間だったら肉のスープが詰まった革袋になってたぞフレちゃん! 秒間一万回も振動しないでくれる!?」
「ごめーん。フレちゃんも痺れちゃったからなるべくしないようにするねえ」
「宮本さんは人間なんですよね?」
「だと思うんだけどねえ。どこで覚えたのそんな殺人技」
「今朝起きたらできるようになってた!」
「宮本さんは人間なんですよね?」
「念押しやめて」
「それよりしーちゃんどんなご用?」
そういえばこのオオカミ娘はおれの名前を呼んでたのだった。真に用があったのはフレデリカのほうだが、一見して見当たらなかったから自力で捜すよりおれに訊くのを選んだらしい。オオカミなら鼻が利くので見えなくともわかると思われがちだが、どんな鋭い感覚も意識して使わなければないのとおなじだ。犬だって目で見て耳で聞いて、それでもというときやっと鼻で嗅ぐそうだし、一言の会話で済むならそれでいいというわけだ。合理的である。
ともかく、シロエの用事とは、そろそろ時間だからスタイリストのチェックを受けろというものだった。素直についていって、今夜の身だしなみチェックはめずらしく、五分超を要した。ふだんから“すぐカメラの前に出られる”フレデリカなので、服のヨレをなおしてシワを取るだけで終わるのが常だったが、今回は髪も整えたからだ。本人はしまった、という顔をしていたが、原因はさっきの超振動に決まっている。じつにささやかな自業自得から解放されたフレデリカは小さく舌をのぞかせておどけた。
「や、やあ、宮本クン」
蚊の鳴くような声がしたと思えばイケメン俳優である。ワゴンから下りてきたところを見ると、いまのいままで出演用のスタイリングをしてもらっていたのだろう。フレデリカとはまるで反対で、番組で用意された衣裳を着て、コーヒーを持ったり置いたりしていたときとは別の髪型にしっかりと固められている。化粧でごまかしているが、顔色は悪い。
昼でも夜中でも“おはようございます”。型どおりの挨拶が四人でひとめぐりすると、イケメンは震える声で無理に笑ってみせる。
「いちおうボクは歳上だし、……男だし、頼りなく見えるかもしれないけど、なにかあったら頼ってね」
「はーい!」
イケメン五人分くらいの元気な声でフレデリカは答える。ニカッと笑う顔はまったく血色がいい。オバケの出ぬことを知っている安心感ゆえ、というわけではないだろう。おそらくはイケメン俳優を励ましてやっているのだ。
「じゃあなにか飛んできたらすぐうしろに隠れるね~」
「あれっ、宮本クン!? あれっ!?」
……などと思っていたらフレデリカはすばやくイケメンの背後を取り、振り向こうとする動きに追従して張りつきつづけている。そしてやおら両手を小さく肩の高さに構え、怯える背中にソフトタッチをした。
「せい」
「びびびびっくりしたぁー! びっくりしたぁもおなにするの宮本クぅ~ン!」
「ひひひ」
「教えてよぉー!!」
右へ旋回、左へ旋回、イケメン俳優は膝から下を動かさず(動かせず?)フレデリカを追う。シロエはやけに楽しそうに彼の醜態を見ていた。やがてほとんどつんのめる形で俳優はフレデリカをつかまえた。……両肩を挟む恰好で。
「そのつかまえかたはまずい」
“なんで”と目で訊くイケメンに、答えはおれの声によらず与えられた。脇腹から。フレデリカにくすぐられて顔よりも膝で大笑いをする。力尽きて崩れ落ちれば解放されるんじゃあないかと他人事になってはじめて気がついたが、当事者にしてみればそこまで情けなくもなれないのだろう。
すでにくすぐりは終わって、フレデリカは“ごめんね”というようにさすっているのだが、イケメンはまだダメージを受けつづけている。その動きも止まって、やっと彼も落ち着きをとりもどした。
「はあ、宮本クンちょっと、激しすぎじゃない? いたずらっていうか、はぁ……」
「……」
「宮本クン?」
フレデリカは黙っている。俳優の脇腹に手を添えたまま、なにやら考える顔つきだ。それをぱっと笑顔にひるがえして、フレデリカは一歩飛び退いた。
「これはやめとこっ」
「えっなに!? なにする気だったのねえ宮本クン!?」
「プロデューサーストップがかかってるんだ~」
「アレやったら訴えられて負けるからぜったいだめだよフレちゃん」
「訴訟沙汰!?」
イケメンが“みっ……みっ……”とうめく。シロエはそれを見て恍惚としている。フレデリカはどちらもどこ吹く風である。体もあたたまったところで、本題の心霊スポット生中継がはじまった。
シロエとおれはスタッフとロケを見守りながら、周りの音とニオイに気を配る。とはいえ聞こえるのは虫の声とネズミの這い回る音と蛇の舌の音に、虫の声と小鳥の寝息、虫の声とタヌキやムジナの足音と、虫の声と忌々しいカラスどもののんきなイビキと、虫の声と虫の声と虫の声。虫が多すぎる。季節がらしかたがないが。
「ワタシの耳にもうるさいのに木鳥屋さんはよく平気ですね」
「聞きわけるって言葉があるでしょ。ノイズはでかいけど聞きたい音だけ選んで聞けるよ。オオカミの鼻だってそうだろ?」
「そういう感覚はみんなおなじなんですね。ちょっとこの山は、虫が多すぎですけど」
アメリカの荒野育ちには日本の、原野に返りつつある山は臭い爆弾に等しいようだ。
「けど大丈夫です。彼が……ふふふっ、ああまた怯えてる、かわいい……。ホント好き……」
「ちなみにどういう意味で? 食欲?」
「性欲! 食欲だったら、宮本さんのが内臓詰まってて美味しそうですよ」
イケメンの醜態に性的興奮を覚えるたぐいだったらしい。おれは靴の幅一つぶんだけ距離をとった。
「そういうとこで見てんだ?」
「あー、鳥は丸呑みですもんね。身とか気にしないですか」
「ちゃんと一口大に刻んだりはするわい」
見張りの役目などはじめからないようなもので雑談ばかりしている。それでも耳や鼻を働かせるのはひとえにおれはフレデリカが、シロエはあのオモシロイケメン俳優がかわいいからだ。そもそも危険な妖怪のいる場所で肝試しなど企画されたら、こっちにしてみればヤクザの家に爆竹を投げこんで写真を撮ろうぜといわれてるようなものである。人間以上にまっぴらごめんだ。……だからテレビの肝試し企画は局内の
「むっ、むうーん、むうううー……ん」
「はゃーーーっ!! どどどどうしたんですかぁ!?」
いつの間にやら廃線跡のロケは、インチキ霊能者が悪霊に気圧されて苦しむところまで進んでいた。ここはちょうど線路が二手に分かれている。客を乗せて進んでいた谷への道と、整備場を兼ねたトンネルへの道だ。谷のほうは下りで、滑落だとかごく当たり前の危険が多いので、トンネルへ誘導するための方便だ。隣でシロエがまた悶える。
「あの下がりきったと思ったらまだ下がる眉毛とかすごい好き……。正体明かしたらどんな顔するかなあ……」
「きみがどんな目で見てるか教えてやるだけですごいことになりそうだが」
咬まれてもイヤなのでこれは心のなかで思うだけにした。シロエとおなじシュミはないが、ロケのようすは、山じゅうの音をかき集めてきたよりずっと面白い。いや、較べるまでもなく山はなんの面白みもないし、フレデリカのにぎやかさは頬をゆるませてくれる。
「うぶぶーっ! うぶーっ! おぼれる~っ」
「ばああー宮本クンしっかりしてここ山のなかだからァー! 水なんか一滴もないよぉー!」
フレデリカの雑な小芝居を本気で心配してくれて、ほんとういいやつなんだなあ……。助けようとしつつもフレデリカから微妙に距離を空けているのは、さっきのが堪えたからだろうか。インチキ霊能者に助けを求めるが、こちらはこちらで苦しむ迫真の演技の真っ最中である。フレデリカを見て笑わないように渾身の力で苦しんでいるのがよくわかる。
「喝ァーッ!!」
インチキが苦しみつつも数珠をもみ、エリンギの薄切りのような笏でフレデリカの額を叩く。当たってないからまあ赦してやろう。フレデリカが“正気にもどった”ところで、息も絶え絶えのインチキが、谷は水場で危険な霊が多いだとかもっともらしい迂遠なことをいい、トンネルへ誘導する。
「あっいまなにか走ってった!」
「ゔぁああ走るやつだよ怖いよぉー!」
「ビックリして耳がおっきく……あっ。あー、小道具飛ばしちゃった」
「ろっぴゃくえんするやつが飛んでったぁー!!」
「なんであいつアホグッズの値段把握してんだ」
「いい仕事してくれますね宮本さんは」
シロエはシロエですっかり蕩けている。いちおう、危険な妖怪変化が来ないか見張る仕事があるのだが。
「手を繋いでたら怖くないよ~」
「えっ」
歳下に気づかわれて、歳上の立場を思い出したらしい。少し余裕ぶったしゃべりで、しかし申し出どおりにフレデリカの手を握った。さしだした右手を握りかえしたのは、フレデリカの右手である。
「怪奇まえうしろ逆人間」
……うしろ向きに歩いているだけだが、イケメンはもうなにをしても縮み上がる。
「びゃああー右手さんと右手さんで仲良しさんー!!」
「あいつの表現力やべえなあ」
「ああ~最高……。宮本さんにこんどお礼しなきゃ。ケーキでいいです?」
「みんなでつまめるお菓子が喜ぶよフレちゃんは」
貰い物はシェアする派のはずである。できれば個包装だと、投げたりばらまいたりしても食べられるので安心だ。シロエはお高いカンカンを買うとよだれ混じりに答えた。群れで生きるオオカミの、なんとも社会性の高いことである。ミミズクのおれは同族といえば家族か飯を取りあう相手かだったから、人間社会に融けこむのは苦労したっけなあ。……などと考えているうち、フレデリカとがはしゃぎ、イケメン太郎が愉快に怯え、インチキがひたすら台本どおりに、大騒ぎの珍道中はとうとう、廃トンネルの前までたどり着いていた。
段取りでは、このトンネルは危険だと怖じけるインチキ霊能者の言葉も聞かずにイケメン俳優が懐中電灯一本で進入し、外から見えなくなったあたりで悲鳴をあげて帰ってくることになっていた。無茶な。
だが脚本の無体に、イケメン俳優は従った。構成作家に操られているのが丸わかりの猛烈な震えかたで、定まらぬ懐中電灯はトンネルをぐるぐると照らして進む。とくに指示のなかったフレデリカは、それこそイケメン俳優と代わってやればよかったのだが、元気いっぱいに彼についていった。入口からの強い照明でフレデリカの影がイケメン俳優を覆い、さらに懐中電灯を暴れさせる。
……こう表現すると二人はずいぶん奥へ行ったように思えるかもしれないが、ガニ股で震えるイケメンは一歩で一〇センチほどしか進めないので、まだせいぜい四メートルだ。反復横跳びで歩幅を合わせるフレデリカが身を翻し、にこやかに手を振る。ことはそこで起きた。視覚に頼る人間に合わせるなら“まさに起ころうとしていた”。トンネルの上に、重く軋む音が聞こえる。
「フレデリカ! 走れ! トンネルから出ろ!」
おれが大声を出し、フレデリカが振り向く。トンネルの外へ移動しかけた重心をひきもどして、壊れる寸前のロボットのような俳優の腕をつかむ。それを引きずるように走る。走ろうとした。そこへ地響きを立てて、巨大な岩が落ちてきた。岩は土にめりこみ、トンネルを塞いだ。
しまった。悲鳴と怒号がロケチームに渦巻く。無事な連中の気分などどうでもいい。生き物ばかり気にしていたせいだ。おれの耳ならトンネルのずっと前で崩落の予兆が聞けた。みすみす。先に崩してロケを止めることも。いかようにも防げた。聞いてさえいれば。聞いてさえ……。
「二人とも無事ですけど、どうやって助けましょう?」
「ぶじ?」
シロエが難しい顔を向けている。
「血の匂いはしません」
おれの驚く顔に、オオカミ娘が頷く。フレデリカもイケメン俳優も、とつぜんのことに動転してへたりこんだらしい。程度の差はあれ二人とも焦燥感と絶望感に打ちのめされかけている……というのが、シロエの嗅いだかぎりの情報だ。おれも耳に集中した。おれを含むフクロウの多くは音で周りを見ることができる。光で見るのとちがうのは、物陰だろうと地中だろうとわかることと、色や明るさがわからないことだ。
「トンネルは……従業員口があるけどぜんぶ鍵がかかってるな」
歩きで脱出するルートはない。懐中電灯も壊れているから、あっても勧めにくい。スマートフォンがあれば明かりも誘導も余裕だが、撮影中にそんなものをポケットにいれてはいない。岩は、これは目で見た話だが、縦横一〇メートルはある饅頭型。車でひっぱっても動かせまい。トンネルの壁際をドリルででも壊すのが早いか……。番組ディレクターたちが緊急会議を開いている。シロエとおれはトンネルに近づいた。
「フレちゃん! 聞こえるか!? 大声出さなくてもいいよ!」
あっちが小声で話してもおれには聞こえる。なんなら、返事代わりにピースサインで答えたのも聞こえている。ひとまず奥に脱出経路のないことを伝えた。イケメンはそろそろ顔が涙でえぐれそうなくらいだが、ビビらせたくて伝えているのではない。ここでじっと待つのがいちばんマシだという話である。立ち上がる気力も失せてしまったイケメンの、顔をシロエが見たがって歯ぎしりし、手をフレデリカがそっと包む。
「大丈夫、プロデューサーたちが助けるっていってるから助かるよ~。えっと」
「すまんイケメン太郎」
「な、なんですか!? 名指しで謝られるの怖いぃ~! えっと、宮本クンの担当の……」
すげえなおい。
「
「そんなのいいですよべつにぃー! 名前なくても話成立しますし!!」
「おれにはよーやく名前がついたから自慢したくて……」
「それこそどーでもいいですよォー! 読んでるひとそこまで求めてないと思いますよ!?」
「なんだと。生き埋めにするぞ」
「もうなってますよォー!!」
「アタシもぜんぜん名前呼ばないもんね~」
「人名として“プロデューサー”が音数過剰だから名前まで乗っけるとイマイチなんだよねえ」
助けようはないが幸いなのは、これ以上岩が落ちたり天井が崩れたりする音がしないことだ。とりあえず助けが来るまでだらだら雑談でもしていようという意図は、期待した以上にフレデリカには伝わっていた。
「大丈夫、イケメン太郎! 朝には助かるからそんな顔しないで。アタシたちが不安がってると外のみんなも焦っちゃうよ~」
「は……話成立するとはいったけど呼びかた!」
「ここは笑顔でみんなを安心させてあげよーよ。ぎゅっと目を閉じて、ゆっくり三つ数えて」
フレデリカは膝をついて、両手で包んだイケメンの手を胸許に引き寄せる。律儀にツッコミの仕事をしながら、イケメン太郎はがさがさになった上下のまつげを強く合わせた。声に出して数を数える。
「はい、スマ~イル」
イケメン太郎は汚いままの顔ながらに爽やかに微笑んだ。トンネルは真に暗闇なのでスタッフはおろかフレデリカにさえ見えてないが。まあ、本人が落ち着くにはいいのかな。
「プロデューサーには届いたよ~」
「なんで!?」
「プロデューサーは見えるひとだから」
「なにが!?」
「ひひひ」
「なにが見えてるんですかぁー!?」
「はっはっは、プロデューサーはなんでも知ってるぞー。おまえさんが男の骨格の限界を超えて女の子座りでまだ小刻みに震えてるのもな」
「怖えー!!」
この調子で雑談は何時間でもできそうだが、隣のシロエの歯ぎしりがうるさい。どんだけ見たいんだ泣き叫ぶイケメン太郎を。と、フレデリカがなにか気づいたような声を発してすっと立ち上がった。手探りでふらふらと、トンネルを塞ぐ大岩に歩み寄る。そうして岩肌にぴったりと体を密着させた。
「み、宮本クン? 宮本クンどこ?」
「岩のところだ太郎。フレちゃんどうした?」
教えたのはちょっと失敗だった。イケメン太郎が這ってフレデリカを見つけ、膝を震わせながら立ち上がり、肩に手を置く。フレデリカは深く息を吸った。
「ヴィイイイイイィィィィィィ」
「えっなに宮本クンんんぬばばばばばば」
秒間一万回の微細な振動は、フレデリカが息を吐ききる前に大岩を粉砕していた。イケメン太郎は指を痛めたらしいが、驚いて尻餅をついたおかげで無事である。
もうもうと白く重力に引かれていく砂礫を貫き、堂々たるピースサインが月光にかがやく。ろくに見ていなかったスタッフたちが歓声とともに駆け寄ってくる。おれもフレデリカに向かって走った。それ以上の、オオカミの瞬発力でシロエがイケメン太郎に飛びついてもろともに転がる。
「捨てギャグが役に立ったよ~」
抱きしめたフレデリカは膝を震わせて、こそばゆそうに笑っていた。
(了)