猫、巫女、サンタ、あいのうた   作:久聖

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柑奈の長崎弁を多めに盛ってあります。
最初期の方言混じりの喋り方が戻ってこないかな……と。



柑奈  お代はラヴでけっこう

 何日ぶりかの独りのランチをすませて帰社すると、陽気なアコースティックギターが出迎えてくれた。ふた月ほど時期を先取りしたようなアップテンポに上機嫌の鼻唄が乗って飛び跳ねている。

 

「おっと、おもどりでしたかプロデューサーさん」

 

 ローテーブルの脇、一人がけのソファで脚を組む有浦柑奈が、指弾きの手を止めて立ち上がった。

 

「ああ、ただいま。新曲かい、えらくご機嫌だったな」

「ぬっかなってきましたけんね。手のウズウズして、春を呼ぶ歌でもと……。あ、いやあ、曲にはならんとです」

 

 夏が来そうな調子だったが、柑奈の出身、長崎の春は東京の初夏の陽気なのだろうか。少しばかり旅情を誘われつつ、なにやら訊かれたそうな柑奈の頬に問いかけた。

 

「どうして?」

「指のまま弾いとっただけでいっちょん憶えとらんとですよ」

 

 そうカラリと笑い、ギターをにぎやかにしていた指を暖房の風にそよがせた。一瞬泳いだアーモンド色の目と、とつぜんひるがえった態度が気になる。

 

「そりゃあもったいないな。録音する癖、つけたらどうだい」

「レコーダーがなかとです」

 

 上目づかいに頬を持ち上げた柑奈に、おれはかばんのファスナーに伸ばした手を止めた。柑奈にしてはわざとらしい笑みかただ。

 

「……いいたいことはハッキリいいなさい」

「きょうはなんの日でしょう?」

「ハッキリいえというに……。きみの誕生日だろ」

 

 ギターのジングルで正解を告げるなり、堰を切ったようにICレコーダーのプレゼンをはじめた柑奈である。メーカーにこだわりはないらしく、ギターをテーブルがわりにして、製品カタログを何枚となく広げていく。

 

「話の腰折るけどさ、テーブルのほうが広くないかい」

 

 薔薇のフワラーウォーターとグラスがあるだけのローテーブルを指したが、柑奈はウェービーな髪をさらに左右に波立たせた。

 

「いやあ、近くで話したかとですよ」

 

 大きい口と細い眉で、なにごとか……というにはバレバレだが、たくらんでいそうな笑みを作った。華やかな香りが吐息とともに、かすかに昇ってくる。どこで覚えてきたのかは知らないが、媚びなくたっていいものを……。

 

「でーですね、私としてはスピーカー内蔵でバッテリー持ちがよくてサイズも手頃なこのへんがよかね~と」

「色のご希望は?」

「こいのローズとかー、こいならプラム、こんモルガナイトもよかですね!」

 

 乱暴にいってしまえば、どれも濃いめのピンク色である。ひとまずのところおれは安心した。柑奈ほどあたたかみがある自信はないがほほ笑みを浮かべ、かばんから花のリボンを巻いた箱を取り出した。

 

「それならちょうどいいのがあるんだけど、どうかな」

 

 カタログのプラムの上にその箱を置くと、柑奈は顔から珍しく笑みを消して目と口を丸くした。そのわずかな時間を埋め合わせるように、それまで以上の大輪の花を顔に咲かせてみせる。

 

「えっ、もうあったとですか!? 開けてよかですか? いやいや、ありがとうございます!」

「もちろん。誕生日おめでとう、柑奈。……まさか当日に名指しでねだるとは思わなかったが、色も型もお望みどおりでよかったよ」

「ちがっとったらどうしとらしたと?」

「こっそり買いなおしに行くさ」

「そげなことばいっちゃうとがプロデューサーさんばいねー」

 

 テープの跡も残さずに開けた包装紙をたたみ、わざとらしく呆れてみせた。花のリボンで留めたそれを自分のポーチへしまうと、いそいそと取扱説明書や付属品をローテーブルの上に広げる。

 

 トレンチコートを脱いで、おれが事務仕事の用意にかかろうとしたときには、すでにギターが陽気に歌っていた。鼻唄はハミングに変わり、喉から笑い声をこぼしながら、キーを上げて一八畳の部屋をめぐりだす。

 

 足を向けた自席の天井には、窓下の川からの光が薄いスカートのようにして、柑奈の歌に合わせて踊っている。

 

 想像以上に喜んでもらえたようだ。リサーチに時間をかけた甲斐があった。乾電池とバッテリーのどちらがいいかがいちばんの難題だったが……。

 

「プロデューサーさーん!」

 

 ぼんやりしていた背中へ飛びつかれて、危うくポールハンガーを巻きこんで倒れそうになった。踏みとどまれたのは、飛びついてきた柑奈が軽かったから、それだけである。

 

「危ないな!」

 

 きつめにいってしまったが、柑奈は眉をわずかに下げただけで、息を弾ませこちらを見上げてくる。大型犬の瞳に怒鳴った罪悪感を額のあたりで育てられ、重くなった頭をおれは垂れた。肩越しなので浅いが。

 

「ごめん。でも自分まで怪我するようなことはよしなさい」

 

 それと、バックハグはされる用意ができているときだけにしてほしい。

 

「はいー。ばってん、うれしゅうてもう。これぞラブとですよ~」

 

 正面に回ってきた腕が、柑奈のなだらかな身体をぴったりとおれの背に押しつける。あたたかい、いうよりももはや熱いくらいである。

 

「きみたちをただ見てるだけじゃあないってことだよ」

 

 ベストの上からあばらをつかむ手の甲を軽くはたくと、少女にしては力強い指が骨のあいだを揉んできた。遠慮のないのが痛いやらくすぐったいやらで、おれはたまらず暴れる指を絡め取って浮かせた。

 

「大胆とですね~」

「きみこそ」

 

 汗ばんだ手のひらのくぼみを中指で押せば抵抗する指が締めつけてくる。

 

「大胆ついでに、前からよかと?」

「ひとが見てたらどうする」

「みんなはお雛さまば見に行っとっとです」

「行っとっとですか」

「はいな」

 

 雛人形をしまうのは多くの地域で三月六日というならいだそうで、わが社のエントランスに鎮座まします緋色の毛氈敷きの七段飾りも、きょうで見納めというわけだ。もっとも、おれが帰ってきたときにはだれの姿もなかったから、いまごろ遅めの昼食にでも出かけているのだろう。

 

 それはまあいい。おれは窓の外を気にしたつもりだったのだ。ブラインドのスラットがほぼ平行になっているからだ。それなりに高いフロアではあるが、レンズはどこで光っているやらわかったものではない。

 

 渋っていると、背中から前へ突き抜けようとでもしているのか、頭で背骨をごりごりと押す感触がする。

 

「……ちゃんといちど離れるなら」

 

 おなじ状況で、しがみついたまま半回転してワイシャツの裾を持っていった前科者を二人ほど知っている。

 

 問題児でない柑奈ははたして、素直におれの背から離れた。……問題児ではないにしろ、すっかり昂揚している柑奈は動きのテンポも早かった。すぐさま正面へ回りこみ、両腕を広げてみせる。

 

「タイピンを外すから待って」

 

 ついでにブラインドの向きを変えると、うしろ暗いものが這い上がってくる心地がした。気のせい!

 

「あ、お気づかい感謝です」

 

 白い歯を見せて笑った柑奈は、広げていた腕を頭にやった。誕生花だというデイジーの髪飾りを外し、手ぐしで整える。花言葉は“平和”、きょうの白いものはとくに“無邪気”だとか、いつか話していた。

 

 ネクタイピンをジャケットのポケットへ放りこんだとたんに、いきおいよく、柑奈が飛びついてきた。身の危険を感じるほどのそれは突進といっていい。

 

「合図を待ちなさいよ」

「すみません、つい衝動的に」

「……よしよし、そんなに喜んでもらえておれも嬉しいよ」

「プレゼントはもちろん嬉しかばってん、気持ちの通じとったことがいちばんですよ」

 

 浮かれてギターを弾きつづけるくらいだと思っていたのが正直なところで、ここまでの反応は“怖い”に片足をつっこんでもいるが。

 

 仔犬のようにじゃれついてネクタイをかきわける柑奈の、頭と背中をおれは軽く抑えた。

 

「あんまり暴れてるとボタンで顔を怪我するぞ」

「あはは、ボタンまでは外せんばいね~」

 

 全身の動きをおとなしくした柑奈は、代わりに体重を預けてきた。背中では手がなにやら、ベストのベルトで遊んでいる。まあ、かわいいものだ。

 

「こーいうラブの世界中に広がれば、争いごともなくなるんじゃなかかと」

「むしろきみみたいな幸せの感受性の高さこそと、おれは思うけどね」

 

 頭を撫でる手のひらのこそばゆさが、全身に広がったようで落ち着かない。

 

「ともかく、きみの歌にかかってるな」

「気合のはいっとですね!」

 

 デイジーというには大きくまぶしい一輪を咲かせて、柑奈はその身を離した。髪留めをつけ直してちらちらとこちらをうかがうのを、どうしたのかと訊けばめずらしく全身でいいよどんだ。

 

「えーと、……すみません。よだれつけちゃいました……」

 

 胸許を見ると、たしかにベストの生地に一箇所、色のちがうところがある。

 

「このテカってるのリップクリームとかじゃあないのかよ!?」

「いやー、歌いっぱなしの口でそのまま来ちゃったので……」

 

 照れ隠しにのぞかせた舌は“ぺろりと”というには大きく、つややかな光をそのふちに乗せている。

 

「まあいいさ、乾けばわからんよ」

「乾けば……。んー、まあそうですかね?」

 

 おそらくにおいを気にしているのだろう、柑奈は首を大きくかしげてみせた。

 

「なに、もうひと月も経つころにはクリーニング行きさ」

 

 それにこのひと冬のあいだに、例年どおり汗も煙草も香水も吸わされてきたスーツである。女の子のよだれがついたところで、なにも変わりはしなかろう。

 

「プロデューサーさんがよかでしたらまあ」

 

 まだはしゃぎ足りなそうなスキップで、柑奈は一人がけの椅子にもどった。耳に陽気なアコースティックギター、背中にはかすかな早春の陽射しを感じて、おれはようやく午後の業務に就いた。

 

 伸びをすると胸のあたりから、ほのかに薔薇が香った。

 

 

 

 

(了)

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