猫、巫女、サンタ、あいのうた   作:久聖

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芽衣子  気まぐれな旅に出よう

 

 よく磨かれた窓の外を流れる秋の空はどこまでも高く、鼻腔の奥にハッカの香りを喚び起こす。昇って間もない陽の光はおだやかな川面のように広がって、早起きのまぶたを重くしてくる。さてはたして眠ったものかどうか。北海道は札幌までの、ひとときの空の旅であれば……。

 

 ……などと思ったところで、鉄路の継ぎ目を踏む車輪の単調な音がやんだり、かかる時間が縮まったりするわけではないのだが。

 

「ねえプロデューサー、すごいよ、きょうはまだ富士山見える!」

 

 キャラメル色のシートに子供座りをして景色を独占していた並木芽衣子が、ショートパンツの尻をこちらにしたまま振り返った。津々浦々を旅して回った芽衣子には富士の山容など見慣れたものと思っていたが、顔は喜色をまぶしくたたえている。

 

 

 それはいい。

「おれにはきみと空くらいしか見えないんだよ芽衣子ちゃんよ」

 

 苦めに絞った言葉は出切る前に丸い尻に突き飛ばされ、はやぶさ五号の床の雪の結晶模様に散っていった。……はやぶさ五号は東京駅を八時二〇分に出て一二時二二分に新函館北斗駅に着く北海道新幹線である。細かいことをいえば新青森駅までは東北新幹線で、北海道新幹線はその先の区間だけだそうだが、まあ、まとめてしまったっていいだろう。

 

「もう、これで見える?」

 

 からかいと不満を半々に混ぜた声で、芽衣子は身を沈めた。新幹線の走るに任せて、突き出された尻が揺れる。横によけても車窓に富士山は見えようが、正面を譲る気はないらしい。

 

「ほー、そうとう離れてるのに見えるもんだな」

 

 大宮駅を過ぎてしばらく経ったいま、一〇〇キロほどの距離があるはずだが、なだらかな三角形のシルエットは青空深くを塗り残したように、冠雪した姿を構えている。眼前下方の尻いわく、天気がいいと郡山からでも見えるそうだ。

 

「しかし、そんな無理な姿勢で窓を譲ってくれなくてもいいぞ」

 

 これは“ふつうに座れ”という意味だ。二二歳の女が靴も脱いで窓にかじりついていたら、アイドルでなくたって目立つからである。

 

「いやいや、旅の景色は分かち合ってこそだからね」

「立派なことをいう尻だな」

「誉めてもなにも出ないよ」

「出さなくていい」

「出しませんー!」

 

 芽衣子が尻を隠して体を進行方向に、焦った顔をおれのほうに向けたのは、偶然ながらいいタイミングだった。はやぶさ五号がちょうど小山駅を通過するところだったのだ。

 

「ひとまず面目は保ったな」

「むう」

 

 駅を抜けたと見るや、芽衣子は懲りずに窓にかじりついた。大宮駅を過ぎてずっと、山らしいものといえば天地は逆だがカーキのショートパンツの尻だし、関東平野のかわりにパステルグリーンのニットの背中であって、オリーブ色の髪の脇に少しだけ空がやっとのぞくのみである。

 

 まあ、風景を見たくて新幹線に乗っているのではないし、休暇でもなければ仕事をせねばならない。もちろんこの小ぶりの尻のオモリだって仕事である。であるが、世間はなかなかそうは見ないのだ。アイドルだと気づいてこっそり盗み撮ろうとするやつをそれとなく妨害したり、それ以上の接触を弾いたり、本人の危険な言動を阻止したり、神経を使う仕事なのに。

 

 抑止力であることが仕事という点では警官や警備員とおなじなんだけどなあ。せいぜいしかめつらしくノートパソコンやスマートフォンを使っていないと、若い女を侍らせた高等遊民の生き残り扱いをされる。おのれ。

 

 さて、宇都宮駅を過ぎればすぐ関東平野は終わりだ。やおらトンネルがちになり、芽衣子も子供座りをやめた。やっとのぞけるようになった景色は、だが、相変わらず清涼感のある青空と、金の穂波かくすんだ山の緑ばかりだ。

 

「おや? 芽衣子さんの横顔が気になるかな?」

 

 横顔が正面に向いて、抱えた両膝の上でニヤニヤ笑う。

 

「おとなしくしてるようで意外だよ」

「大人ですから~」

「足はそうでもないみたいだが」

 

 気取ってみせる顔、引き締まったふくらはぎの下で、裸足の指がせわしなくうごめいている。

 

「脚とかお尻とか好きだよねー。留美さんにいいつけるよ?」

 

 ゆるく下がりきったショートパンツの裾を抑え、ヘイゼルの瞳で睨んでくる。

 

「好きは好きだけどきみのに興味はないよ。もぞもぞしてるから気になったの」

 

 前歯を揃えた口が“ああそうですか”と動いたのも一瞬、得意げな顔つきで足の指を広げてみせる。

 

「エコノミークラス症候群の予防だよ。なんたって四時間かかるからね」

「だから空から行こうっていったろう」

「そりゃ、化けミミズクならひとっ飛びだろうけど」

 

 空を飛ぶジェスチャーをしているようだが、膝をたたんで肩口に手を動かす姿は、むしろ飛べないペンギンのたぐいだ。それで化けペンギンだなというと、勝手に妖怪にするなと不平を垂れる。おれだって人間なのになあ。

 

「化けミミズクは私がいいだしたことじゃないもん」

 

 それはたしかにそうである。ジェルでもワックスでもしつけられない二束の跳ね上がった髪をしてミミズクといわれだしたのは、旅行資金のためにいまの会社でアルバイトをはじめたときだから、もう一〇年前の話だ。

 

 ……一〇年かあ。

 

「プロデューサーと会ったことないひとまで知ってるくらい広まってるんだよ。有名人……いや有名妖怪」

「そういうひとらが開口一番、なんていうか知ってるか」

「ナムアミダブツ? ロッコンショージョー?」

 

 舌打ちの音はトンネルにかき消された。

 

「“意外と細いんですね”だよ」

 

 どうもミミズクというと肥っているイメージがあるらしい。なんでだろう。ガッチャマンとか怪しい。

 

「自慢か」

「……きみなんか標準体型より細いだろ。おれは並だよ」

「やだ怖い。私のカラダが把握されてる」

「知らいでか」

 

 横目に睨んで、ノートパソコンの画面に向き直る。きょう丸一日を移動日にしたおかげで、まあ書類のはかどること。……。

 

「って飛行機だ、飛行機の話! 羽田からなら釧路まで直行便があったのに!」

 

 きょうの目的地は札幌だが、この旅はさらに先、釧路を経て羅臼までつづく。芽衣子がいつのまにか請けてきた、シマフクロウの特集番組の収録が目的だ。

 経由地の釧路には番組を企画した局の支部と、絶滅危惧種のワシミミズクを保護し、繁殖に注力している動物園がある。なので、そこでスタッフと合流し、飼育員からレクチャーを受けてから羅臼へ向かうことになっている。もちろんそのようすも収録対象である。

 

 いま、つまり一〇月なかばは、ヒナが巣立ちに向けた訓練をはじめる時期だ。広い森に彼らを見つけ、いじましい失敗と成功のドラマを撮り、叶うことなら遡上してきた鮭を獲る姿を……と、スタッフは熱をこめて語っていた。

 

 それにも増してすごいのが芽衣子の旅行熱で、きょうは昼過ぎに新函館北斗、そのまま札幌とはいかずに函館へ南下して昼食ついでに観光を二時間ばかり。一五時前の特急に乗って札幌に着くのは一八時四一分。電車に合計で八時間も揺られるわけだが、これは芽衣子のたっての希望のためである……。

 

「だって乗りたかったんだもん、北海道新幹線」

 

 いたずらっ子のような笑いかたをする。芽衣子としてはまだ、ちょっとしたワガママの範疇らしい。

 

「JR北海道だって、いつまであるかわかんないし」

 

 いまのは聞かなかったことにしておこう。

 

「きみだけで行ってもよかったろう」

「通訳がいないと困るよう」

「おれはアイヌ語なんてわからんぞ」

「ちがうよ。フクロウ語だよ」

「ほおー……」

「いまのはなんていったの?」

 

 二度目の舌打ちもトンネルに吸われ、芽衣子はうひひと楽しそうに笑った。

 

「でもいつもやってるでしょ、ブッポーソーブッポーソーって」

 

 三度目の正直というやつで、芽衣子はなにかよくわからない鳥の鳴きまねをして顔を背けた。

 

 ……ブッポーソーはコノハズクの声の聞きなしである。ブッポウソウという名前の、濃い緑色の羽毛をした鳥もいるが、これは長らくこの鳴き声が彼らのものと誤解されていたためにそう命名されたのだ。彼らのほんとうの鳴き声はゲーゲーとなんだか汚い。

 

 昭和初期、ブッポウソウの鳴き声を街にもとラジオ特番が放送されたとき、これはうちのコノハズクとおなじ声だと市民がいったことで、ようやく誤解がとけたそうだ。

 

 それと、おれはべつにコノハズクのまねをしてるわけでもその妖怪でもない。趣味の一つが仏教美術なだけである。先に触れた旅行資金というのも、タイやインドで仏像巡りをするためのものだったのだ。とくに北インドのあたりは、ブッダを具体的に描かずに太陽などで表現していた、初期も初期のレリーフが見られる貴重な場所で、多少ムチャをしても行きたかったのである。

 

「あ、見て見て、もう紅葉はじまってるよ」

 

 こんどは芽衣子が半身になったおかげで、おれも景色を見ることができた。色気づいたように赤や黄色のメッシュをいれた山並みが、都民にちょっとした時間旅行を感じさせる。

 

「はじめて会ったときはもっと紅葉が進んでたっけ」

「一〇月の二〇日だったな。あの年は紅葉が早くて、立石寺の周りがみごとに盛りだった」

 

 仙台から西へ延びる仙山線に揺られ、山のなかを作並温泉よりさらに先へ、山形盆地の見えてくるころに立石寺は威容を現す。一〇〇〇段を超える石段を擁した山寺だ。ちなみに、最寄り駅も地名も、そのものずばり山寺である。

 

 秘仏が春に公開されていたのを夏に知り、秋にも一日だけ開くというので、かなり強引に見に……いや拝みに行った。なにせ半世紀に一度のご開帳だから、のがすわけにはいかない機会だったのだ。

 

 芽衣子とはその帰りの石段で出会った。写真を頼む物怖じのなさと、やけに写りのよかったことと、若干のうしろめたさとで、安易にスカウトした結果がきょうのこれである。これというのは、ほんのり日焼けした両脚をおれの膝の上に投げ出して、まるで悪びれない顔を指す。

 

「作並温泉に泊まれるなんて思ってなかったなあ」

「こういう時期の東北を、宿も決めずにふらふらしてんだから驚いたわ」

「ビジホは当日でもけっこう泊まれるし~。いざとなったらラブホもあるし。日曜夜なんてぜったい満室になんないでしょ?」

 

 ラブホテルはたいていビジネスホテルより安く、一人でも泊まれる。風呂もあればベッドも広い。わりとよく使われる最後の手段である。

 

「どうかな……って、あんときもこんな話したな」

「そうだねえ」

 

 笑顔と脚がころころと転がる。

 

「そうだ、聞きそびれてたけど、なんでおれに写真を頼んだ? もっとほかに安全そうな観光客はいたろう」

「怒んないなら答える」

「怒られるようなことなのか。まあいってみろ」

「……パッと見の印象?」

 

 芽衣子はスマートフォンの画面をはじくと、こちらに向けた。

 

「慣れ親しんだ感じがするなって」

 

 そういって指で示したのは、旅先の口コミ・価格比較のサービスを提供する会社のアイコン……赤目緑目のミミズクだ。

 

「おれはこんな目してないだろ」

 

 藪睨みにしてやると、そそくさとスマートフォンをしまい、かわりに仕事の資料をひっぱり出す。

 

「そういえばシマフクロウってさ、フクロウって名前だけどミミズクだよね。耳あるし」

 

 正確には耳ではなく毛の束だ。おれのとおなじなので、訂正はしたくない。

 

「ワシミミズクも大きいんだよね。こないだ中東の砂漠のワシミミズクの特集やっててさ、見てて思ったんだけど夜の砂漠っていいよねえ」

 

 逸らした話の先で、芽衣子の旅行スイッチのはいる音が聞こえた。この旅はまだはじまったばかりなんだけど。

 

「真っ白い満月に照らされて青白い砂丘をさあ、黒い外套を頭からかぶって、キャラバンのラクダに揺られてさ……ああーん中東行きたい!」

「仏像壊し隊がひそんでて物騒だからだめ」

 

 芽衣子は顎をつかんで抗議してきた。……足の指で。

 

「きみね、そういう態度があるか?」

「あるからやってる」

「砂漠だったら東京にもあるだろ」

「伊豆大島の裏砂漠は行ったよ。真っ黒だったよ。ていうか砂じゃなかったよ」

「……ほんとうに行くとして、敦煌からゴビ砂漠へが限度だろう」

 

 これにしても怪しいものではあるが。アメリカやオーストラリアの砂漠なら安全だろうか。月の砂漠というイメージはないけど……。

 

「敦煌? ああ、また仏像か……」

「石窟の仏像群はいろんな時代のがあるから、興味なくても楽しめると思うぞ。撮影禁止だったんで紹介はしてやれんが」

「行ったことあるのか……」

「もう八年くらい前だなあ」

「なんで連れてってくれなかったの……」

 

 時空を超えたイチャモンとともに抗議の脚が増えた。

 

「済んだ話はもういいだろ。それよりいまだいじな……おい耳をつかむな」

「敦煌行きたい。鳴き沙を聴いて月牙泉で砂丘に登ってラクダ乗って……」

「ロマンティックツアーズで行けるような特集でも探してやるから」

 

 ただ敦煌は観光向きのシーズンが秋だけという極端な地域なので、いまから探すと来年か、過酷な冬の取材になりそうなのが心配だ。

 

「あと莫高窟をプロデューサーが怪しい中国人に化けて案内するの」

「おれはいいよ、行くと長いし、好みのデザインがあったわけでもないし」

「……」

 

 また足の指を器用に動かしてこいつは……。

 

「芽衣子よだいじな話が……口を塞ごうとするな足で!! ちょっと落ち着け。ショーパンの中身が見えるから」

「見ないでよ」

「ごめんなさいねエ」

 

 さすがに乙女の恥じらいというものはあり、芽衣子は食いこんだ裾を直した。できたらふつうの座りかたをして、ショートブーツも履いてほしいんだけど。暴れなくなっただけで、すべやかな脚はまだおれの膝に居座っている。しかもブランケットを持ち出して。

 

「で、だいじな話って?」

「いまさっき終わった」

「なんだパンツの話か……」

「だいじだろうよ」

 

 布どころの騒ぎではなかったが、まあいい。自分でもわかってるはずだ。

 

「きょうの宿の話だと思ったのに……。定山渓にとったとかさ……」

 

 定山渓は札幌のすぐ南西に位置する温泉郷だ。いまはちょうど紅葉シーズン、そこへ土曜とあれば、大混雑にちがいない。ついでに宿泊料金も大幅に値上げされているはずだ。

 

「いくらなんでもそこまでできるか」

 

 移動で支給される額はたかが知れていて、とても温泉宿など泊まれはしない。それに“すぐ南西”といったって車で三、四〇分かかる距離なので、あしたは朝八時過ぎに札幌駅を発つことも考えると、だいぶ現実的ではない。

 

「きょうは私の誕生日だって忘れてないよね」

「覚えてなけりゃあこんな移動プラン飲まんよ」

「今夜のお宿は?」

「駅前のビジホ」

「ケーキは?」

「コンビニで我慢してくれ」

 

 ブランケットの下で芽衣子は両脚をばたつかせる。

 

「この男にはせめてデパ地下って選択肢……いや待てよ。タワー……」

「スリーエイトね。ちゃんと席を頼んであるよ。いくらなんでもそんな貧しい誕生日にはさせんさ……カフェだけど」

 

 タワー・スリーエイトは札幌駅にそびえるJRタワーの三八階、地上一六〇メートルの高さにあたるフロア全体を使った展望施設だ。南向き、すすきのを眺める位置にカフェが併設されている。

 

「うん、あのタワーのカフェで夕飯とケーキ! 物足りなかったら街に降りて食べ歩きもいいなあ」

 

 宿泊先がビジネスホテルなのは事実だが、喜んでいるのであえてはいわない。

 

「あとプロデューサー、カメラ渡すから男子トイレで写真撮ってきて」

「は!?」

「男子トイレだけ、全面ガラス張りで眺めと解放感がすごいんだって」

「トイレでシャッター切ってたら変態のたぐいじゃあないかよ」

「けっこうみんなやってると思うけどなあ」

 

 そんなばかな。

 

「ケーキでお祝いだけじゃなくて、プレゼントも欲しいなー」

「……」

「てきとうな札幌土産よりはレアだしオンリーワンで手作り感があって女の子嬉しいなー」

 

 男子トイレの写真で喜ぶオンナノコってのはどこの星の生き物だ。

 

「帽子なりなんなり買ってやるつもりだったが、いいのかほんとうに?」

 

 芽衣子の頷きにためらいというものはなかった。

 

「そのあと部屋に荷物置いて、市電で藻岩山行って夜景見るでしょ、それから大通公園ぶらぶらしてちょっとバーに寄って、のんびりホテルに帰る!」

「そういうのは彼氏と行け」

 

 ……といおうと思ったが、すると“じゃあ彼氏ちょうだい”となり、“ケチ”からの“ならこのくらいいいよね”で嵩増しされたプランが出てくるだろう。それでなくとも予定などお構いなしの、興味任せで歩く芽衣子である。単純なルートを定めておくに越したことはない。ロマンティックツアーズの面々は、これをどうやって制御しているんだろう。

 

「あしたは早いから、バーとか酒はだめだ」

「……まあいいけど。お酒は飲めるってだけだし。でも食べ歩きはするからね」

 

 殊勝なんだかなんなんだか。

 

「アイドルらしく、深夜徘徊は控えなさい」

「むう、アイドルを恋人にしてるような男が“アイドルらしく”とは」

「そいつは順序が逆だし、いいたくていってるわけでもない」

 

 個性こそが売りのこの世界で、個人そのものをないがしろにする立場本位を唱えることの意義には、一考の余地が白樺林くらいはありそうだ。

 

「いいたくないことなら無理していわなくていいじゃない?」

「おれが止めないと面倒なヤカラに絡まれることになるだろ」

「夜の顔を見なくちゃその街を知ったとはいえないよ~。危ないところからはマッハで逃げるし、ね?」

「おれが心配してるのは夜遊びとかいわれることのほう!」

「女一人旅が趣味の時点でそういうの折りこみ済みじゃない?」

 

 そうかな……。そうかも……。

 

「居酒屋を名物一品だけ食べてはしご……。おっ、これはけっこう楽しいかも」

 

 そんな調子で一晩飲み歩く番組があった気がする。

 

「二二時までにはホテルにもどるからな」

 

 札幌着は一九時前なので、食事のあとに藻岩山を登れば一軒立ち寄る時間があるかどうかのはずだ。夜景のついでに紅葉も見たら、すぐ帰る時間になろう。かわいそうだが、冬の足音どころか行進曲がひびいているはずの札幌の夜を、長々と歩くわけにはいかない。……。

 

「そういえば芽衣子、その恰好で冬に片足つっこんだ山に登る気か?」

「気温差心配するような山じゃないよ。いちおうレギンスも用意してあるし、巻きスカートも持ってきてるし、本格的に寒いようならあした用の服もあるし」

 

 “体温高いからだいじょうぶ”と、くびれたふくらはぎが膝の上で転がる。ブランケットの下の空間は、芽衣子の脚の熱だろう、汗ばむような温度である。

 

「いやあ、楽しみ楽しみ」

「そうか、じゃあ夜の心配はしないことにするよ」

 

 “は”に皮肉と力をこめて発声したのだが、芽衣子はあまり気にしなかった。

 

「芽衣子さんはこれでもしっかりものなんだからねー。お昼だって時間ないのわかってるから、並ばないけどおいしいお店を夏美さんからしいれてあるし」

「ほう?」

「それで食べ終わったらまず港のほう行ってフェリー眺めて、赤レンガ倉庫でお土産見ようよ。あと教会ね、函館といえばロシア正教の教会! ハリストス正教会に、とら……とらぴすちぬ? とらぴすと? なんか函館の西のほうと五稜郭の東のほうにあるらしいんだけど、どっちがどっちだっけ……。うん、まあいいや、函館山も五稜郭も行きたいし。タワーもあるって聞いたからさ、のぼってみようよ。私もプロデューサーも高いところ好きだもんね。あと山の近くは坂と路地がいい雰囲気らしくて楽しみなんだあ。紅葉に囲まれるばっかじゃなくて、こうさ、石畳の上を落ち葉が転がってくるのも秋って感じでしょ」

 

 先にも触れたように、昼の空き時間は二時間だけなのだが。しっかりものの芽衣子さんは憶えているのだろうか……。

 

 

 

 

(了)

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