猫、巫女、サンタ、あいのうた   作:久聖

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イヴ  信じるものは

 

 湿度が気温を追い上げてきて、袖をまくった腕に空気が強く主張する時期だ。梅雨いり宣言が出て間もない東京都心、点在する緑地の一つである明治神宮を一人と一頭とともにそぞろ歩けば、初夏の空を覆う木々がくどい空気から解放してくれる。

 

「風が爽やかですね~。ブリッツェンも元気になったみたい」

 

 砂利の音も軽やかに歩く淡雪の美少女・イヴが金色の瞳を輝かせた。毛皮をいかにも暑そうにしていたトナカイ・ブリッツェンは、出していた舌をやっとしまい、ぬいぐるみのような体を左右に揺らしてついてくる。

 

「食中毒が感染ったかと思ったが、暑かっただけかブリッツェン号」

「スタッフのみなさん、無事だといいですねぇ」

 

 グラビア撮影の仕事がキャンセルになり、空いてしまった平日の午前である。若者は線路の反対側にひしめいているようで、周りはお年寄りか外国人観光客ばかりだ。

 

 南参道を進んでしばらく、ぽつねんと佇む立て札にイヴが吸い寄せられた。

 

「よよぎ? ここ、原宿ですよね?」

「代々木はこの公園の北西のあたりだな。これは、代々木の語源になった木がここにありましたって書いてある」

「この細い木は語源の木じゃないんですね?」

 

 説明書きにいわく、この場所には住民の代々にわたって見守ってきた巨大なモミの木があった。江戸時代には代々の木、代々木という名前で呼ばれていたらしい。しかし明治のころには枯れ、昭和の空襲で焼失してしまった。

 

 ……読む気がないらしいイヴに代わって、おれは要約した。

 

「つまり、二代目ってわけだ」

「そうですか~。先代のモミの木、見たかったですねえ。すごいクリスマスができそう」

 

 クリスマスツリーに使うのは若木だというが、まあ、巨木ならそれはそれで圧倒的なツリーができるのだろう。

 

「ああ、クリスマスなあ。今年のクリスマス、新曲でも出すかい。クリスマス合わせでいくならそろそろ考えなきゃあな」

「おっ、プロデューサーサンタのプレゼント。楽しみにしてますよ~」

「まずは、もらうきみの要望ありきだからな」

 

 ブリッツェンと相談しながら歩きだしたイヴだが、一〇メートルも進まずにその足を止めた。竹の柵と、そこにかけられた花菖蒲の写真に向きを変える。

 

「これ、いま咲いてるんですか?」

 

 いわれてみれば、ちょうどいまは時期である。せっかく時間もあるのだし、ただ参詣だけで通り抜けるより面白そうだ。さすがにブリッツェンにはここで待っていてもらわねばならないが……。

 

 イヴは三秒ほど、眉を困らせた笑顔のまま不満げにしたが、あんがい素直にブリッツェンを道の脇に待たせた。

 

 

 

 なだらかな階段を降り、曲がりくねった道を進む。まだ花らしい花はない、狭い道の途中でイヴが立ち止まった。

 

「ブリッツェーン!」

 

 澄んだ声にこたえて、まるまるとした茶色いものが、空の枝葉を突き抜けて土の地面に落ちてきた。

 

「なんて真似してんだ!?」

「私とブリッツェンは二人で一人ですし~」

 

 たまにバラバラに仕事してるような。

 

「それとも二人きりがよかったんですか?」

「こういう有料の庭に動物連れこむのがまずいって話だよ」

 

 ブリッツェンは短い前足を持ち上げて振った。抗議しているらしい。

 

「そりゃあ精霊とか妖精のたぐいかもしれんけどよ、世間的には動物なんだよ。いまも空飛んだりして、あんまりムチャクチャせんでくれよ」

 

 わかったのかわからないのか鼻水を噴き、またひとたらし鼻にぶら下げて、相棒の少女を追いかけていく。追い出す力もない以上は、おれもここは素直に散歩を楽しむことにしよう。

 

「池がありましたよ~」

 

 はずむ声を置いて駆け出したイヴは、池に張り出した木製の小さいテラスで低い欄干から身を乗り出した。ブリッツェンまでおなじようにして池を見渡すものだから、横木をへし折るんじゃあないかと心配になる。

 

「でも、ハナショーブでしたっけ? 見当たりませんね~」

 

 池に固まって浮かぶ濃い緑の葉の上には、白い睡蓮の花が見事に咲いている。これはこれでいい光景だ。ブリッツェンの体重に、木のきしむ音がしなければ。

 

 柵に寄りかかりすぎて起きられなくなったトナカイを地面に下ろしてやると、すっとんきょうな叫びが蓮の池を覆う静寂を裂いた。

 

 イヴがバランスを崩したのだ。

 

「このばか!」

 

 悪態と、腰をつかむのと、どちらが早かったかはわからない。池のなかへとつんのめるイヴを木の柵から引きはがし、うしろへ倒れこみそうになったのをこらえる。見た目の白さに反して、抱えこんだ身体はひと並み以上に熱っぽい。

 

 いや、ハプニングの直後だし当然か……。

 

「ありがとうございます~。二度も助けてもらうなんて~」

「もうちょっと落ち着きを持ってくれよ、心臓に悪い」

「おー、ドキドキしてますねぇ」

 

 体重の大半をこちらに預けたまま、イヴは器用に身を捻っておれの胸に耳を当ててきた。

 

「まったく、きみのせいでな」

「そういう台詞はもっとやさしくいうんですよ!」

 

 突き放すとよろけて、ブリッツェンの頭を支えに立ち上がった。口調だけを怒らせる少女に、おれは入園チケットの代わりにもらったパンフレットの裏を見せた。

 

「花菖蒲が咲いてるのはこの先みたいだね」

「では、すぐ行きましょう!」

 

 低い木陰の道を抜けると、群れなす白、青、紫の花々がまぶしく木々の間に浮かび、イヴたちは歓声をあげてまたも走り出す。こんどの柵は脛程度までの低いものだ。危ない!

 

 案の定柵を越えそうになるブリッツェンを引き止め、イヴの腿を抑える。

 

「さっきおれはなんていった!」

「私のせいでドキドキするとかなんとか」

「その前!」

「ばかっていわれました」

 

 殴ろうかこいつ! ……いや、でも本当にばかかもしれないし……。

 

 落ち着きを再度説いて、ようやく花菖蒲の隣にゆったりとした時間が訪れる。みずみずしい緑にくっきりと涼やかな花が揺れ、ほのかに香りもするようだ。惜しむらくは、柵から花壇までがやや離れていて、背景にしてイヴを撮るには花が小さくなりすぎるところか。

 

「プロデューサーさん、あそこ! あそこで写真撮りましょう!」

 

 雪像のような指先が示したのは、道の先にある木橋だった。そこだけは花が手に触れられるほどの近くに咲いている。

 

「ちゃんとしたカメラ持ってくりゃあよかったなあ」

 大ぶりの花を背負う一人と一頭にスマートフォンのシャッターを切りながら、おれは自分の技倆のまずさを道具のせいにした。

 

「また広報のこと考えてるんですか~? なんでもお仕事につなげるのはよくないですよ~」

「いまは思いっきり就業時間中なんだよイヴちゃんよ。きみは夏のイメージがあんまりないし、ちょうどいいだろう、これ」

「えー」

 

 鳴らした不平を合図に、来た道の奥から老夫婦の姿がのぞいた。やめどきだ。数段上がったところの四阿で、いまの写真を選別する。

 

「スタジオのスタッフさんのとはぜんぜんちがいますねぇ」

「悪かったな」

「すねないでくださ~い。オフショットを撮れるのはプロデューサーさんだけなんですから、上手になればいいんです」

「こういうのはプライベートショット……いや、細かいことはいいか」

 

 イヴとブリッツェンが選んだ一枚ずつは、あとでWeb広報に回して……。あっだめだ。勝手にトナカイを連れこんでたことがバレる。

 

 花菖蒲を臨む道をめぐり終えて、その水源だという清正井はブリッツェンが不安だったので寄らぬとすると、あとはこの菖蒲園を出るばかりだ。ふたたびブリッツェンは空に飛び上がり、参詣道で待機する。受付のひとたちはとくに不審がっていなかったので、ひとまず安心である。

 

 さて、また少し代々木駅のほうへ歩けば、ひときわ大きい木の鳥居がそびえ、そこからが正参道だ。大鳥居の脚の陰でブリッツェンと合流し、やっと本殿へ詣でに行く。祈ることもとくにはなかったが、ついいましがたイヴのおかげでひとつできた。お庭のご無礼を謝っておこう……。

 

 

 

「うーん、神社もいいものですね~。神さまの……手のひらの上? えーと、見守られてるみたいな」

「……手のひらに包まれてる?」

「じゃあそれで。私たちって教会生まれですから、細かいことはちがってても、神さまのおそばはなんだか落ち着きます」

 

 少女とトナカイは目を細め、表情をゆるめる。

 

「そういえば、きみらサンタはどういう生まれかたをするんだ?」

 

 イヴは人間ではなく、サンタクロースである。キリスト教の伝承にはじまり世界中にさまざまな形で広がっている、あのサンタクロースの末娘だ。性別が女なのは、サンタの恰好をしてキャンペーンをする女性が増えて、イメージが変化してきたためらしい。

 

 サンタを信じるものたちが増えればサンタは生まれ、減るにつれ死んでいく。信仰を繁栄の基盤にする、不思議な生き物たちだ。

 

「だいたいは教会の祭壇に気がついたら赤ちゃんがいて……って感じですねぇ。トナカイも一緒にいますからすぐにわかります。もちろん才能と努力しだいで、あとからでもなれますよ~」

「もっとメルヘンかと思ってたが、ちゃんとしてるな」

 

 ……本当にそうだろうか。たまに、自分の目線がちゃんとしたひとのそれと一致しているか不安になる。

 

「うふふ、私たちの神さまはしっかりものなんですよ~。こちらの神さまは、どんな神さまなんでしょう?」

 

 賽銭箱に身を乗り出して本殿をのぞこうとする細い腰を引きもどす。失礼にあたるからよしなさい。

 

「ここの神さまは明治天皇ご夫妻だ。わりと最近の、いちおうは人間だよ」

「ひとの子が神さまになれるんですねぇ」

「天皇を神さまだと信じてた時期だったこともあっただろうね。実際に祀って本当に神さまにしちゃうんだから、崇め信じるエネルギーってのはすごい」

「私たちサンタもそういう力でここにいられるわけですし、仲間ですね~」

「……あんまり大きい声でいわないように」

 

 おれもたいがい失礼なことをいった気がするが、多めに賽銭をいれて赦してもらおう。おれの所作をまねて、イヴとブリッツェンもなにごとか、お祈りをしたようだ。

 

 

 

 のんびりとメトロの駅を目指し、南西へ足を進める。つもりだったのだが、はしゃいで駆け回るブリッツェンを追いかけて、どたばたと代々木公園の中央広場に飛び出すはめになった。

 

「あー! さっきのトナカイだ!」

 

 どうにか暴れトナカイを取り抑えたところへ、声を張ることに気を取られたような大声が飛んでくる。近所の保育園の子だろうか、二、三歳の男児が一人、黒目がちの両目を見開いていた。

 

「さっき空飛んでた! ねえサンタさん!? おじさんサンタさん!?」

 

 菖蒲園での垂直離着陸を見られていたらしい。こちらが迂闊なのかこの子が目敏すぎたのかは議論の余地があっていいと思う。なにせ境内のだれひとり、ツッコんでこなかったのだから。

 

「見られちゃったのね~ブリッツェン」

 

 さすがのイヴも困り顔かと思いきや、笑顔で肯定し、自己紹介まで始める。男児の目の輝きはもはやミラーボールもかくやである。

 

 プレゼントをねだられたらどうしよう。イヴには造作もないことだろうが、あげたあと、大人たちへの対応が悩ましい。

 

「じゃあもっかい飛んで! 空飛んで!」

「ブリッツェン、行けそう?」

「ま、待て。待て、待て!」

「そんなにいわなくてもワンコじゃないんだから待ちますよー。なんですか?」

 

 おれはイヴの肩を組んで声をひそめた。大人の話を子供に聞かれないように。

 

「ここで空飛んだら騒ぎになるだろ!」

「えー、サンタが実在するって広まりますし私はいいと思いますよぉ」

「あけすけすぎんだろ! 神秘性を大事にして! 謎めいた部分があってこそ人間は惹きつけられるんだからさ!」

「宣伝できないとサンタ信者が増えませんよ」

「それはおれの仕事だよ!」

 

 イヴがいくら口を三角にしてみせたところでかわいいもので済ますおれだが、そろそろ無垢な幼子のいぶかる視線が痛い。

 

「えーっとな、ぼく、サンタさんはどんな子のために空を飛んでプレゼントを届けるのか知ってるかな?」

 

 茂る芝生に膝立ちになって、男児に問いかける。サンタを知っているならばこれもわかるだろうし、事実、元気に正しく答えてくれた。

 

「そうだね。きみはきょう、ちゃんといい子にしてたかい」

「うん!」

 

 迷いがない。意地悪をいうのは気が引けるが、大人ってそういうもんである。

 

「さっきお兄さんのことおじさんっていわなかった?」

 

 三〇歳はまだお兄さんである。三五まではセーフだとだれかがいっていた。

 

「ごめんなさい!」

「……赦す」

 

 イヴが呆れているのが背中でわかるが、仕方ないじゃあないか。ゴネるならともかく、まっすぐに頭まで下げられたら……。まあ煙に巻くのを諦めたわけでは、まったくないのだが。

 

 どうしたものかと思っていると、参詣のご利益か、舗装路に沿って保育士が一人、かごを押してこちらに来るのが見えた。車輪の音と保育士と園児たちの呼ぶ声に、男の子は青くなった。とびきりの悪さをしでかしていたな。

 

「あ……あした! あした二倍いい子にするから!」

 

 がんばり屋さんめ……。

 

「こんなところにいたの? すみません、ご迷惑おかけしてませんでしたか」

 

 保育士は三〇半ばくらいか、貫禄の薄衣をまとって、ずんぐりした女性だ。かごに揺られてきた園児たちが、思い思いに声を上げる。勝手に遠く行っちゃいけないんだよとか、サンタさんいたのとか。ブリッツェンに上がった歓声が最も多かったと思う。

 

 そんななか、一回り体格のいい子がひときわ大きい声を出す。

 

「サンタなんかいるわけないだろー!」

 

 夢のないその一言に、男児は顔を赤くして眉を吊り上げた。そして、怒りを露わにしたのは彼だけではないのだった。

 

「サンタクロースはちゃんといますよ!」

「大人なのにサンタ信じてるのかよー! サンタはなー、だれん家でもパパがやってるんだぜー!」

「イヴ、よせ。小さい子でも夢を見づらい時代なんだよ」

 

 初めて見るうつむいた表情に、しぜん白雪の髪へ手が伸びる。ませた子供の歓声が背後からするが、大人を動揺させるには足りない。

 

「お仕事を通じて、ゆっくり信じてもらっていこう。日本中、いやさ世界中に夢を配るのが、アイドルって仕事だからね」

「それでサンタが増えたら、プロデューサーさんと私の子供っていってもいいですかね~」

 

 気が早くも夕焼けの色を呈する金の瞳は、いたずらっぽく笑った。

 

「そういうもんかなあ」

「そういうもんでもいいでしょう~。ね、ブリッツェン。……あら?」

 

 イヴの隣にいたはずのブリッツェンが、その姿を消してしまった。まさか、また脱走したのか。あるいは子供の信心を喪ったせいで消えたなんてこと……。

 

「あ、あの、あの」

 

 震える声に振り向くと、さっきの恰幅のいい保育士が青ざめて立っていた。

 

「どうかしましたか?」

 

 こっちもどうかしたことになってるのだが。

 

「うえ、うえ……」

 

 声以上に震える指の差すほう、つまり空を仰ぐと、ブリッツェンが子供らの乗ったかごを牽いて空を飛んでいる!

 

 これにはさすがのイヴも言葉を喪ったかと思いきや、

 

「ブリッツェン、そうだよね~。それならもうみんな信じてくれるよね」

 

 恐ろしくポジティブである。そしてもう一人、さっきの“信心深い”男児も夜道も照らせそうなほど目を輝かせていた。きみ、まだかごのなかにもどってなかったのな。

 

 まあいい、ブリッツェンもやめどきをわからず空を駆け回っているようだし、おれも一つ働きましょう。

 

「……サンタはパパだといってた少年!」

 

 上空から悲鳴に近い返事がする。けっこう根性あるなあ。

 

「ほかの子に意地悪をするからきみには本物のサンタが来てくれない。だけどきみのパパとママはそれじゃあかわいそうだと思うから、ママがプレゼントを買ってパパがサンタになって、きみにクリスマスを過ごさせてくれていたんだ。いままではそうだった。ことしはちがうぞ! いまからでもいい子にすれば、きみにも本物のサンタがやって来る!」

 

 おれはいつから宗教の勧誘をはじめたんだろうか。返事はよく聞こえないが、イヴが満足そうに笑っているし、ブリッツェンの高度も下がってきた。

 

 きょうの仕事は上出来だったろう。

 

 

 

 

(了)

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