猫、巫女、サンタ、あいのうた   作:久聖

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歌鈴  ネバー・モア

 

「おはようございまーふ」

 

 ドアの音と眠たげな声が、おれの意識を眠りの浅瀬からひきもどした。薄く開いた目に、デスクから反射した薄陽がまぶしい。目を閉じなおして力をこめ、意識をはっきりさせる。

 

「おはよう、歌鈴。眠そうだね」

 

 早朝ロケを気づかうと、それは平気だと間延びした声でいう。

 

「ゆうべ夜更しひひゃって、そっちがひびいてまう……」

 

 パーティションの向こう、ロッカーエリアから歌鈴の大あくびと、コートを脱ぐ音が聞こえた。

 

「夜更しがニガテなら、ミミズクの羽根でもやろうか」

「お兄ちゃん、ちょっと開き直りすぎじゃないですか?」

 

 額の両端で跳ね上がった毛束を羽角に見立て、おれを化けミミズクとひとは呼ぶ。このかわいい妹分のようにその手の軽口に乗り気でないものもいるが、おれも含む悪口人間は世の多数派で、すっかりいわれなれてしまった。

 

「否定してくれる歌鈴にだから、こういうことがいえるんだよ」

 

 もう……と溜息が聞えよがしだ。

 

「それより、お兄ちゃんも声がすごく眠そうですよっ」

「きょうはここも隣も出払ってて静かだし、年内の案件がみんな片づいたし、そこへきてこの陽射しじゃあ眠くもなるさ……」

 

 “さ”の音はあくびでうやむやになってしまった。

 

「風は冷たいですけど陽射しはあったかいですよねえ。ここにいたらたしかに、わたしも居眠りしちゃいほう……」

「年寄りの忠告は冬の太陽みたいなもので、照らしはしてもあたためない……なんて古い言葉があるが」

 

 まるでデタラメだな、とは、あくびに邪魔されて発声できなかった。歌鈴はあくびをおれと伝染しあいながら、身軽になって……足音でそれはわかる……パーティションから出てきた。

 

「はわーっ!! おっ、おおおおばけーっ!!」

 

 歌鈴の悲鳴でようやく開いた両目をおれはしばたたかせ、ぐるっとまわりを見めぐらした。年の瀬の午後の陽射しは室内をおだやかに照らし、怪しい影の差す隙間を見せない。

 

「だいぶ寝ぼけてるみたいだな」

「わーっ!」

 

 おれのしゃべるタイミングに明らかにかぶせて叫ぶと、あとずさって歌鈴は思いきり転んだ。

 

「大丈夫か」

 

 深緋の両眼は、声をかけたおれのほうを注視して怯えている。まさかおれの服になにか、小さい妖怪でもついているのか……。非現実的な話だが。

 

 視線を下に向けると、ふかふかしたコートが目にはいった。

 

「……こんな上着着てたっけな」

「……」

 

 歌鈴は怪訝な表情をまっすぐこちらへ向けたまま、ゆっくり態勢を立て直す。

 

「ひょっとして……お兄ちゃん?」

「ほかのだれに見えたんだ」

 

 兄とはいっても血縁ではなく、“父親代わり”を歌鈴の実の父がいいかえた便宜的なものだ。歌鈴が気軽に甘えやすいように……ついでに見えない一線を引くために、こんな形にしたのだろう。本人に訊いても、後者しか認めないと思うが……。

 

 ともかく、歌鈴は一つ頷くと、ロッカーエリアから姿見を持ち出してきた。

 

「こう見えるんです!」

 

 はたして、鏡のなかには大きいミミズクがいた。

 

「なんだこりゃあ」

 

 おれのしゃべったとおりにミミズクはクチバシを開閉させる。赤橙色の目は小さい瞳孔が上寄りにぽつんとあるせいで、ひどく気の抜けた印象を受ける。

 

「ミミズクのおば……いえっ、巨大ミミズクです」

「たしかにでかいが」

 

 ミミズクは大きいものでも全長七〇センチほどという。つまり立った高さはだいたい五〇センチくらいだ。鏡に映っているのは、その三倍以上ある。首をかしげれば、大きく傾いた視界でミミズクがまぬけ面を横倒しにした。

 

「……」

 

 右腕を上げてみると、鏡のミミズクは向かって右の翼を上へ広げる。左腕を前に出すと、鏡の奥から翼がこちらへ向く。左脚を開けば向かって左の鉤爪を外へ向け、右脚をうしろへ曲げれば巨大ミミズクの爪も背中のほうへ隠れる。鏡へ近づけばミミズクもそのように近寄り、離れれば倍して距離を取る。

 

「なに踊ってるんですか……」

「踊りたいわけじゃあないんだ」

 

 どう動こうともミミズクの動きはおれに追従してくるし、ときおり薄茶色の羽根が視界の端にはいりこんでくる。鏡のなかではなくて、ずっと手前に。

 

「おれ、……ミミズク?」

「種類はわかんないですけど、はい」

「……夢?」

 

 なにしろおそろしく眠かったのだ。会社で居眠りしているのなら、変な夢の一つや二つ見たっておかしくない。

 

「なるほど……。眠すぎて、わたし寮の玄関で眠りこんでるのかな」

 

 夢のなかだけのことはある。歌鈴はひどくトンチンカンなことをいった。

 

「そうじゃなきゃ、お兄ちゃんがミミズクになってるはずないし……」

「明晰夢ってのは起きようと思ったら起きられるのかな」

「さあ……。わたし、はじめて見たので……」

「夢を見てるのはおれだろ?」

「わたしでしょう?」

 

 なんだか雲行きが怪しくなってきた。

 

「夢のなかなら、そうだ、まともに走れなかったり……」

「空を飛んでも地面スレスレだったり?」

「そうそう。そうなったほうが夢の主体だな」

「やってみましょう!」

 

 部屋のなかをどたどた走り回ってみた。

 

 二人とも、まったく思うように走れてしまった。

 

「うーん、じゃあ飛んでみるか……」

「いえ、あの、わたしもう現実感が出てきちゃったんてすけど……。汗だってかいてますし」

「きっと夢ならビルの窓も開くはず」

「空も飛べるはずみたいにいわないでください!」

 

 空は飛べるだろ……。窓を押し開けようとするおれを、歌鈴はしがみついて止めにきた。羽交い締めにするその腕の感触はおよそ夢らしくはなく、おれもいよいよ現実感を持たねばならなくなってしまった。

 

 

 

「で……。どうしてこんなことに? 着ぐるみとかではないんですよね?」

 

 おれはソファでひとまず落ち着いた。歌鈴はおれの羽毛を両手でかきまわしながら、あらためて疑問を口にする。

 

「あぁ~、ふかふか……」

「気にいってくれて嬉しいけどもさ、おれはもとにもどりたいんだよね」

「それはもったいな……あっ、はい!」

 

 そんなにいいダウンなんだろうか。水鳥ではないはずなのだが……。

 

「とにかく、原因を探してみましょう!」

 

 歌鈴は頼もしく右の拳を天に向けた。左手は羽毛をつかんだまま。

 

「うーん」

 

 しかし、さて、そうはいわれても、心当たりがまるでない。広げた手のひら、もとい翼の先に、おれは視線を落とした。

 

「へえ、手羽先って人間の手みたいになるんですね」

 

 手羽先って。

 

「親指のなごりがあるからな。風切羽も指みたいに広がるし」

 

 親指のような羽は、専門的には小翼羽という。ふだんは翼のラインにそってたたまれていて、外へ開くことができる。いつ開くのかというと、ゆっくりと飛びたいときだ。翼の迎角を大きくして飛ぶので、上側を流れる空気が乱れる。すると揚力は減るし翼膜はばたつく。ゆっくりと飛ぶどころか失速してしまう。そこで小翼羽を開くと翼の上側の気流が整い、安全に低速飛行できるわけだ。

 

 どうしてこんなことを知っているのかというと、おそらくミミズクになったせいだろう。

 

「翼の羽根っていろんな手触りが……っと、いやいやいや、なにか心当たりはありませんか?」

「なにもしてないんだけどなあ」

「なにかしたからだと思うんですよ」

「おれはパソコン壊したおばちゃん?」

 

 そもそも、なにをすれば人間がミミズクになるというのか……。

 

「と、とりあえず振り返ってみましょうっ!」

 

 首を回すと、まうしろはすぐ壁である。歌鈴は呆れと笑いを半々にした声を出した。

 

「ミミズクだからってむりにやんなくても……」

 

 鳥はおよそすべて、首をまうしろに向けられる。ツルの寝かたを見ればいい。フクロウ類がことさらいわれる理由はおそらく、首の埋まった、ずんぐりしたシルエットにのみよるものだ。曲がる角度についてなら、二七〇度まで曲がることを挙げるべきだろう。……なんの話だったっけ……。

 

「最後に人間だった記憶があるの、いつですか?」

「電話で年始のイベントの調整を片づけて、これで安心だ~と思ってぼんやり

してたわけだから、ついさっきだよな……。手に持って通話してたんだから」

 

 おれに代わってスマートフォンの通話履歴を確認した歌鈴によれば、通話を切り上げたのが一三時五〇分で、歌鈴が部屋にはいったのが一四時ちょうど。後者はいまの時刻から、ばたばたしていた時間(体感だが)を引いたものだ。

 

「一〇分じゃなにもできませんね……」

「もっとあればこうできるの……?」

 

 歌鈴は鼻先でうなった。おれの揚げ足取りにではなく、この怪現象の原因を考えてのものである……たぶん。

 

「生活習慣かなあ」

「ミミズクになる生活ってどんなん」

「……夜型?」

「それでミミズクになるんなら朝型の人間はワシかタカにでもなってくれんとつりあわんなあ」

「ひとが減るばっかりじゃないですか」

 

 それもそうだ。

 

「悪たれはともかく、なんだろうなあ。変なものでも食ったかな」

「変なもの……」

 

 口には出してみたものの、これも心当たりはない。自炊であれば変な食材やまずい調理もしたろうが、行きなれた店の外食ばかりである。一服盛られでもしないことには……答えが出た気がする。

 

 デリカテッセンで買ってきた昼食に、志希がなにか妙なものを混ぜたのではないだろうか。あるいはふだんの飲み物に。あのケミカル化け猫ならできてもおかしくない。呪いだとか超能力だとかいった非科学のたぐいより、よっぽどおれに向けられる理由がある。

 

 目的を達したならあんがいかんたんに白状する志希ではあるが、個人的には往生際が悪いとありがたい。この怪鳥の体の使いがいがあろう。

 

 鉤爪で宙をかるく握っていると、考えこんでいた歌鈴が頭を抱えて叫んだ。

 

「ああばか! 歌鈴のばか!!」

「どうした」

 

 かがんで顔をのぞき見ると、眉間に強く刻んだ自己嫌悪を振り払い、歌鈴はふだんの困り顔を作る。

 

「いえっ、その、……悪いことを考えてしまって」

 

 深い紅色の瞳が、顔ごと斜め下へ泳いでいく。

 

「ははは、悪いってんならおれのほうがよっぽど悪いこと考えてたさ。志希のしわざだと決めつけて、吐かせかたまで考えたからな」

「いえ、わたしはもっとヤバいんです!」

 

 自覚したこととはいえ、歌鈴に“ヤバい”といわれるのは堪える。

 

「志希さんの薬だけじゃなく、ほかのひとに呪われたんじゃないかとか……。じつはもとからやっぱりミミズクだったんじゃないかとか!」

 

 いま“やっぱり”っていった?

 

「悪いことばかり考える歌鈴をぶってください!」

「……」

 

 突き出された濃い紅茶色の頭へ、おれは手羽先を伸ばした。内側のなるべくふかふかした部分で歌鈴の後頭部を包む。

 

「おれには叱れないよ、心配してくれてのことだろう」

 

 うなだれきったと思っていた頭はさらに深く沈みこみ、風切羽をおしのけて力強く持ち上がった。両の瞳はいくばくかの複雑な色を残したまま、まっすぐおれを見ている。

 

「ふあ……」

 

 もういちどおれが頭を撫でるより早く、睡魔が歌鈴の喉をくすぐった。金の陽射しは傾いて、このソファにまどろみの一団を導いていたのだ。一つ大きいあくびとともに、目を開けておく元気が体から抜けていく。

 

「居眠りしててミミズクになったんだから、もういっぺん居眠りしたらもとにもどるかもなあ」

「ありほうえふね」

 

 歌鈴にあくびを隠しもせず肯定され、おれはソファに横たわった。

 

「ミミズクってそうやって寝るんですか?」

「人間らしく寝とかないと、もとにもどったときしんどいだろう?」

 

 立ったまま寝るなんて朝の満員電車だけでじゅうぶんだ。おやすみの言葉を交わしあって目を閉じると、歌鈴の靴音となにか厚手の布の音がする。羽毛があるから平気なんだが……いや、もとにもどったときのためか。かわいい妹の心づかいはかくもありがたきものかな。

 

「うげ」

 

 体の上に布の翻る音がしたと思ったとたん、重いものが落ちかかってきた。ミミズクの聴覚が物の形まで脳内に結像できるとはいえ、おれの人間としての意識が視覚を使わせた。ただそれは、半秒もせぬうちに徒労となった。

 

「えへへ、ふかふか~」

 

 毛布と一緒に歌鈴が、ミミズクの胴体の長くとくに豊かな羽毛へ飛びこんできていたのである。両腕を翼の下へもぐりこませ、しっかりしがみついている。なんだか大トトロの気分……いやいや、サイズが何十倍もちがう。

 

 目をしばたたかせて見つめるおれに気づいたか、歌鈴はこちらを見ないままいいわけをはじめた。

 

「も、もとにもどっちゃうならラストチャンスだと思って……。こんなことはめったにらいれうい……」

「“めったに”よりも、二度とないっていってほしいな」

 

 歌鈴の返事はなく、かわりに規則的な寝息が胸許から上がってくる。寝顔は羽毛に隠れて見ることができなかった。まったく不便な体だ。目が醒めたとき、もとにもどっていることを切に願う。

 

 ……そうなったとき、ひとがいたらどうしよう。

 

 

 

 

(了)

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