<新宿>にだって、オタクはいる。そもそもこの街には地上のありとあらゆる危険な匂いのする快楽が集まるのだ。
二次元に恋をする、などという程度は別に珍しくもない。奇怪な魔の技で、本の世界に消えて行った者は、現在も連載されている漫画の中に存在が確認されている。メインキャラとは絡まないのに、いつも何処かにいるという形。彼の生活がどんな物なのか、今も多くの学者が頭を悩ませている。そして、漫画の作者が何故彼を“描いてしまう”のか一番不思議に思っている。
アニメの世界に入った者の存在も確認されている。放送が終了して三年が経過した作品に移住してしまった男は、時々現実世界に戻っては“続編”を同人誌即売会で販売し、WEB上で同人漫画を描き、“世界を維持する”のに忙しい、らしい。このため様々な空想世界への移住を求める者が日本を訪れるが、当然悪徳が介入する事になる。
ある人物は戦争アニメの世界に放り込まれ、何度劇中で死んでも別の死に役で駆り出されるという地獄の様な状況に陥った。最後はその世界が壊滅するというラストを迎えたため、奇跡的に現実へと帰還出来たか、あまりの体験から救いを求め比叡山へと全てを捨て出家してしまい、千日回峰行を三度やり遂げようやく心の平安を得られたという。
また、日常系作品に世界に入れる、と見せかけて残虐系の同人に住まわされた者は悲惨だった。好きなのんびり世界のキャラが毎日の様に残忍に殺されたり、凌辱されたり苦しんでいるのはまさに悪夢そのものであり、遂には精神が崩壊して、その同人漫画を読んで楽しんだ者を作品へと引きずり込み、キャラ達の怨念と共に痛めつける怨霊と化した。彼を成仏させるため、その同人の作者が捕らえられ、無理矢理幸せな内容に同人漫画を描かせ、現れた怨霊をようやく成仏させた、なんて喜劇なのか悲劇なのか分からない事もあった。
パチュリー・ノーレッジは元々、そういう事とは付き合いの無い存在である。筈だった。
元々幻想郷の紅魔館という吸血鬼の館で間借りし、そこに空間を歪めた巨大な図書館を作って延々と本を読んで時を過ごしていたのだ。一体何の本を読んでいるのか、それは分かっていない。友人であるレミリア・スカーレットの頼みや望みをかなえ応えるため、の時もある。彼女の魔の技は磨きあげられており、己の実力を高めるとか知識を得るというより、知識に触れていないと不安なのではないか、という何者かの評もある。
彼女がレミリアと共に戸山住宅に越した時、やはり空間を歪め、新たな図書室を作ってしまった。だが、夜香を始め様々な人物との接触が、彼女を少し変えた。
最初は魔法街。ここでやたら太ったガスタンクあるいはオイル怪獣タッ〇ングの様な魔道士と出会ったり、新宿第三の魔道士の亡霊(数年前事件を起こし、屍刑事に射殺された)と会話して、深海生物の素晴らしさや人面瘡魔術による現実世界への優位性について伝授された。
次はリグルがアルバイトをしている昆虫街。ここで奇虫に刺され、久々に喘息の発作が出て大事になりかけた。だが、これがまた刺激になったのか、更に活動的となった。
新宿区立図書館初め、本のあるスポットには特に入り浸った。青白い“常連”達と一悶着あった後、彼らが本を読んでいる時“通り抜ける”事を許された。これは区民でも珍しい例であり、霊達のビブリオマニアとパチュリーのそれが通じあった結果である。
紀伊国屋書店で不定期だがバイトをする事もある。寝間着で接客する不思議な娘が働いている、と一時期噂になった。
そして、紀伊国屋の隣にもう一つ、パチュリーが目覚めてしまったジャンルの本を取り扱う本屋があった。
魔震で一度壊滅した場所で、強かに復活を遂げたアニメホビーショップ。新宿に生きるオタクでもましな部類はここを目指す。そして、扱う品物はやはり魔界製が多い。
VRゴーグルいらず、香りと呪文だけで世界に没入できるコミック。
自分の部屋に“宇宙”を作成し、別売りの宇宙艦船キット(ブラインドパッケージで中身は開けてみないと不明)を作って、戦わせるセット。艦船が沈むこともあるし、艦船がダブって質の良い艦隊が編成出来ない事もある。年に数回の対戦企画では、よくリアルバトルに発展し、艦船よりプレイヤーによく被害が出る。
極道戦国時代。元やくざの区議・猿沢境次監修。<新宿>から世界のギャング、マフィアなどあらゆる暴力勢力の生きざまをゲームで遊べる、反社会的遊戯。区外では過激極まる内容に配信禁止となったが、それでも裏ルートで<新宿>サーバーに繋げば遊べる。
最高ランク“伝説の会長”“北米闇社会ドン”“大陸侠王”の三つを極めた男の正体が、昼間は細々と仕事を続ける派遣会社の女の子だったと露見した時は誰もが仰天した。
現実では年下の相手にすら文句ひとつ言わない静かな娘が、仕事が終わり夜ゲームを起動すると、冷酷かつ屈強な極道へと変身し、オンラインで三年間トップランカーの座を守り抜いてきた。しかし、ゲームを続けるために睡眠を削り、現実で麻薬まで使用したツケが訪れ、部屋で神経に異常をきたし瀕死状態のところを発見。現在入院加療中である。
猿沢氏は、「ゲームは一日一時間、というのは今も昔も変わらねぇな」と元やくざらしくないコメントをしみじみを発している。
パチュリーはそういう類の物には見向きもしない。
彼女がハマり込んだのは、こんな街にも未だ大量に溢れている紙の同人誌。正確には普通の紙ではなく安価で作れる代用品だが、そんな事はもはや誰も気にしない。
シリーズの名前は、胡蝶Project。
現実と夢想の空間を行き来しつつ生きていく少女達の物語である。その中の魔法使いの少女の話が彼女はお気に入りであった。
だぶだぶの衣装を着て、眠そうな視線、いつも本を読んでいる。何処かで見た設定であり、それは鏡を見た時の自分と重なる。
人気のあるキャククターらしく、友人達の設定も少し似ている。同人では吸血鬼姉妹がダークエルフ、従者が忍者、門番がアンドロイドになっているが立ち位置はみんな同じだ。
何か事件があると現れる連中も似ている。巫女ではなく保安官、人間の魔法使いは芸術家、風祝ぽいのはパイロット。
このシリーズは二次創作が許可されており、大量の同人誌が巷に溢れている。そして、<新宿>ではアニメショップでしか入手出来ないのだった。
長編、短編、日常、コメディ、そして卑猥というか女の子同士でキャッキャウフフしていたり男や怪物におぞましく蹂躙される物もあった。長い時を生きる魔法使いであるパチュリーは、昔こそ創作の類は読んで心躍った事はある。しかし魔法使いとして生き続ける内、その手の本はたまに気休めで読む程度になっていた。幻想郷での生活は、まさに空想そのものだったからだ。
しかし、改めて別の視点から自分達に似た様なそうでない設定の世界を見てみると、色々と不思議な気分になった。新たな発見、というか別の人生や可能性もあったのだろうか、という事を考え、人間はこうやって空想を楽しむのだろうかと思索した。その事を楽しんでいる自分に気付き、パチュリーは苦笑した。
ある日、新刊の同人誌が入荷し、喜び勇んで己が図書室に帰ってページを開いた。
白紙、だった。小首を傾げて、魔法使いはページを何枚もめくる。
最後まで、何も書かれていない。いや、著者の所にだけ記載がある。
原作、パチュリー・ノーレッジ。
著、パチュリー・ノーレッジ。
印刷、パチュリー‥‥。
微かに、顔の端がぴくりと動いた。何かの悪戯、だろうか。本の表紙には、きちんと新しく見慣れないキャラクターと胡〇Projectの文字が見える。
いや、タイトルがおかしい。漢字がぼやけ、別の物に変わろうとしている。
ひが、とう、ほ‥‥。
周囲の様子が変わっている。パチュリーは真っ白な部屋にいた。立ち上がると、椅子も机も最初からなかった様に霧散する。同人誌、もない。どこまでも白、白、白。
ここには、何も無い。まるで先刻見たページの様だ。
「あら、ようやく会えたのね」
背後から聞き覚えのある声がした。そこには、見慣れた姿が立っている。ただし、今度のは寸分の違いも無い。
「貴方、そっくりね私に?」
「何言ってるの? 貴方が私に似ているのよ。何故なら‥‥」
新たに現れたパチュリーは、手にナイフを持っていた。
「貴方は、創造の産物で私が本物なのよ」
無造作に突き出された刃が、自分の胸に突き刺された時も、パチュリーは信じられない顔をしていた。
「私は今も、幻想郷で暮らしているわ。<新宿>なんてとこは、存在しないの」
刃が捻られ、空気が入る、普通の人間ならこれで死亡するが、魔法使いは簡単には死なない。だが、力が抜け、パチュリーは膝を突く。
「本が白紙だったのは、私が主役に戻るからよ。私は一人だけで‥‥」
突然、部屋が揺れた。その振動は区民ならばすぐに何なのか、理解しただろう。そして恐怖した筈だ。
魔震。ごく微かな、しかし確実な余震。それが、何処とも知れぬ白い部屋で起きた。
突然、部屋に黒い線で縁取りがされて、ドアが即席で作られる。
「ふん、私も私」
がちゃりと凡百な音を立てて、失礼ではあるがあまり似合わない水着姿のパチュリーが現れた。その足元に黒い穴が開き、中から少し背の高いパチュリーが這い出て来る。
「私だって私」
空、なんて無い筈だがそこから妙に濃いアメリカンチックなパチュリーが降ってきた。
地面にそのまま突き刺さり、何事か喚いている。
その尻を、また現れたパチュリーが蹴飛ばし、足並みを揃え大量のパチュリーが行進し、部屋がどんどんパチュリーで埋め尽くされていく。
“本物”を称するパチュリーが、怒りの形相で次々と他のパチュリーを刺し、咽喉を裂いていくが増殖は止まらない。
「無駄よ」
他のパチュリーの肩を借りながら、<新宿>のパチュリーが立っていた。
「確かに、幻想郷が本来の私の居場所。でも、貴方は私じゃない。そのナイフは、誰の物?」
“本物”の動きが止まった。
「もし本当に私なら‥‥」
視線が白い空間を彷徨う。
「ここ、凄く燃えそうね?」
「やめなさい」
「「「「「火符“アグニシャイン”」」」」」」
部屋中のパチュリーが一斉に唱えた。ただ一人、その魔の技を使えない“本物”を除いて。爆炎が部屋の中を満たし、全ての魔法使いもまた燃えていく。
ぶすぶすと煙が咽喉を焼き、ゲホッと咳が咽喉を通った途端。
図書室の中にパチュリーは戻っていた。その中で折角買って来た同人誌が燃えているのに気付く。慌てて水の魔法をかける間も無く、本は塵一つ残さず燃えて無くなってしまった。
一瞬、青い蝶が描かれたページと、「東」という漢字が見えたが、それまでだった。
肩を落としたパチュリーは、無事だった残りの同人誌をごそごそと取り出す。最初に出て来たのが美少女を触手が襲う画集であり、顔を赤らめた。
「‥‥後で、荘子でも読み返そうかしら」
めくったページのエグさと別の意味での白さに、顔をしかめるパチュリーであった。
パチュリーだけでも何冊の同人誌が作られたんでしょうね?
胡蝶の夢を気取ってみましたが、なんか支離滅裂です。