魔界都市において最も有名な医者はドクター・メフィストであり、最も有名な医療機関は歌舞伎町のメフィスト病院の他にはない。念の入った“手遅れ”の死者の蘇生こそ無理だが、助かりたいとあがく者を、美貌の謎めいた医者とその部下達は見捨てないのである。
かといって他に医療行為に携わる者がいないわけではない。どの様な場所でも、本物への渇望が常に通るわけではないからだ。
大きく古めかしい笠をかぶり、薄むらさき(ゆかりんではない)の衣装に身を包んで、大きなつづらを背負った痩せ気味の姿が、低空飛行から河田町の難民居住区へと降り立った。新宿にも飛行する技を持つ者は珍しくない。ただし、空にも危険や怪奇現象が多い上に、警察の巡回ヘリに発見されれば降下を命ぜられるし、場所によっては地上から凄まじい対空砲火(By市民)を浴びる事になる。ドローンに最新型のパルスレーザー砲が飛んできた事例まである程だ。
元居た場所での飛行は当たり前だったが、新宿では慎重に行う必要があった。警戒を怠らなければ、便利な移動には変わりない。
傘姿の者は難民用に建てられているプレハブ群へと向かった。その内の一軒のドアホンを押す。プレハブ、の筈の強化プラスチック製ドアが、やけに重々しい音を立てた。ロッキングボルトを誰かが追加した様である。
妙に油、それも機械油の臭いに満ちた玄関に、上半身のみが板に乗った女性、が現れた。
四本の多関節足で左右にかしぎながらバランスを保っている。真っ黒に汚れたエプロンをひっけかているのが唯一のオシャレに見えた。
「あらマァ、いつもありがとうございマス。主人はまだ“技術町”から帰ってませンノ」
言語も語尾が跳ねあがり、電子音が時々混ざる。技術町で夫が“バイト”をした結果、この極貧の家族は、この難民キャンプでも生き抜いていく力を得た。魔震で半身不随となっていた妻は、元気に駆動音を響かせながら家事に勤しみ、子供達も徐々に機械へと変わっていった。主だけがまだ、五体満足である。
傘姿はかぶった物も取らず、出されたオイルの浮かぶお茶を謝絶して、つづらから何かを取り出した。
「おくスリ、最近肩が凝ってシマッテ」
傘姿は赤い瞳でじっと、鈍い動作音を立てる肩を見つめた。ハマグリの貝殻に見立てた容器から、黒い軟膏を指ですくって、何故か体温の感じる肩関節部分に塗りつけてやる。
「アァああ、染みるワぁん、回路がすぱーくスル。でも、少し動きが滑らかニなったミタい。頂くワ」
他にも便秘用(何処か出すのかは不明だが)の特殊配合ミネラル粉末、錆び落とし美容クリーム、子供用の金属絆創膏を買い求め、夫人は先月分の代金を支払った。何故かこれだけは、妙に真っ新な現金だった。
傘姿は重い改造されたプレハブのドアから出て来ると、周囲を警戒しつつ大地を蹴った。
低空飛行する姿を、金属の玉が三つ、転がりながら追いかけて来る、それに気付いた傘姿は、手を振ってあげた。玉達は停止すると、中から小型のアームを出して振り返す。かの家の子供達、だった。こちらは人間の言葉すら既に話さない。が、傘姿は生身の姿だった頃から、この三つ子を知っていたのである。
傘姿が遠くへと飛び去っていくのを、金属の玉達はずっと見送っていた。
次に傘姿が向かったのは、市谷田町。この付近は第一級危険地帯、陸上自衛隊世田谷駐屯地に近いせいで廃屋が多い。その中の一軒に用があったが、大分手前で着地して徒歩で目的地へと向かう。以前一度、12.7㎝速射砲とファランクス・システムが飛行中、“空”から掃射された。本物の砲弾と20㎜弾だったが、その正体は未だ不明のままである。
傘姿は、ふと足を止めた。右手だけがぶらりと脱力する。崩壊したビル群に囲まれ、遺棄された車両が多数、傘姿を囲んでいる。突然、壊れた車のボンネットが開き、迷彩服とゴーグルの男が連射式のボウガンを構える。
轟音が響いた。6インチのスタームルガー・スーパーレッドホークが、傘姿の手に握られていた。
矢が放たれる前に胸に風穴を開けられ、襲撃者はボンネットの中に逆戻りする。別の車の窓が割れ、機銃が顔を出す。銃身と窓の隙間にレッドホークの454カースル弾が飛び込み、射手を黙らせる。更に屋根からびっくり箱の如く飛び出した奴は、正確な射撃に捉えられ、自分がびっくりしてのけぞった。
後から後から、次々と自動小銃や拳銃を構えた奴らが飛び出すが、傘姿は正確な射撃で次々となぎ倒していく。六発目で輪胴を弾き出しながら、車の影に隠れた。慣れた手付きで弾丸を込める。
「動くでない」
瞬時に銃口が声の方へ向けられた。腰の曲がった老婆が、巨大なグレネードランチャーを構えている。背中にはタイヤが張り付いていた。どうやら、車の一部に擬態していた様である。
傘姿はつづらを開くと、物騒な物を向けたままの老婆に薬の袋を渡した。中身は傷薬と軽い興奮剤である。無言でそれを受け取ると、老婆はポケットから出した銭袋を投げた。綺麗に飛翔したそれは、無事傘姿の手に納まる。
「来月も絶対来い、命令じゃ」
傘姿が頷くのを見届けて、老婆は車の影から信じられない速度で駆け出した。その方角から、爆音と銃撃音が響く。
老婆はこの付近で、朝から晩まで新宿式ゲリラ・ゲームに興じているのだった。住居すら持たないが、きちんと薬の代金は払うお客である。そして百戦錬磨の強者市民だった。
御年八十にて銃撃に目覚め、今も腰が曲がった状態で何処の誰とも知れぬ相手と戦闘を楽しんでいるのだ。
傘姿は拳銃を構えたまま、逆方向へ姿勢を低くして走り出した。まずは安全地帯まで脱出しないといけない。
つづらに三つ穴をあけられ、傘も一部焦げたが、傘姿は何とか脱出した。安全地帯の公園でスーパーレッドホークの消費弾薬を数え、傘姿はため息を吐いた。大口径で破壊力のある弾丸は、持ち主にも被害をもたらす。
呼び出し音が鳴る。携帯なりスマホなり取り出すのかと思われたが、傘の内側に手を突っ込みごそごそと動かしただけだった。
「はい? ‥‥てゐ、今度悪戯電話してきたら、身ぐるみ剥いで妖物風俗店に引き渡すって言ったわよね? 違う? 歌舞伎町のラブホテルからって、あんたとうとう自分を売るにまで堕ちた? ‥‥分かったわよ、けど嘘ならお尻でロシアンルーレットだからね?」
歌舞伎町旧区役所通りへ現れた傘姿は、電話相手が指示した住所のラブホテルへと入った。五階建てのビルを改造した連れ込み宿だが、ある事情から料金が安く、単身で長期滞在する客もいる。
フロントでは支配人らしき黄ばんだシャツ一枚の男が、有線テレビで褐色エルフのストリップを鑑賞している。垢汚れでべたついた台上のベルを傘姿が鳴らすと、慌ててそちらを振り向き、隠れて見えない下の方でごそごそしてから立ち上がった。
「お前があのウサギのガキの仲間か?」
「そうだけど、あいつ何やらかしたの?」
「何でも屋だって言うんでな、三階の部屋をいつまでも占拠してやがる引きこもりを追い払ってくれと依頼したんだ。そしたら自分が捕まった」
「迷惑かけたわね、そのまま引き取ってくれない?」
「そうはいかねぇ。ウサギのガキが、自分はさる兎帝国の貴族でもし見捨てたら、新宿中に兎テロリストが現れて復讐するとか言ってる」
「そんな嘘を信じてるの?」
「この街は割とそういうのの本物がよくいるんだよ。ここにもケルトの貴族が数日泊まった事があってな」
「で、後日綺麗な封筒で支払いしたわけ? バカバカしい」
主は無言でカウンターの下から、羊皮紙を取り出した。そこにはペン文字で、新宿が与えてくれた悦楽と美味への感謝と、小切手を同封する旨が記されていた。そして、金色に光るルーン文字まで。
「これもてゐに売りつけられたんじゃないわよね?」
「さあな。とにかく、あのウサギ引き取ってくんな。三階のアレを倒せたらだが」
傘姿は妙に冷え冷えとした空気の中、主と共に三階へやってきた。廊下が臭う。
「例の引きこもりの部屋からだ。この間倒れてて、ようやく空いたから部屋を掃除しようとしたんだがな」
「使用済みティッシュの山でもあったの」
「いや、本人が“帰って”きてて動かないんだ」
二人は307号室、てゐが事案解決のために入って出てこないドアの前まで来た。傘姿は愛銃を抜こうとする。
「無駄だよ」
「そんなわけ‥‥」
突然ドアの真ん中が横に裂けた。中から細く長い舌が飛び出し、傘姿の身体を巻き取る。
粘液、というか涎が大量に絡みついたそれが、口に早変わりしたドアへと引き込まれる。
瞬間、薄紫色が歪み、服だけが舌の中に残された。低い天井で白い太腿が翻り、見事床に着地したその姿、アメジストの如き髪とブラウス&ミニスカ。
鈴仙・イナバ・優曇華院は頭の傘を外し、真っ白な兎耳を露にした。銃は汚い上に歯を磨いていない臭いの舌に奪われた。どう攻めようかと身構えた時、呼び出し音が鳴る。
兎耳の根元をイナバがいじると、けたたましい声が響いた。電話を耳に仕込んでいる、わけではなく、特定の電話からの発信を能力で拾っているだけである。
「イナバぁぁ!! 早く助けてよこのド変態からぁ!」
「食べられそうならもう少し待つわ」
「違うぅんだよ、部屋の中のこいつのコレクション無理矢理見せつけられてんの!! 何が悲しくて触手の群と古今東西のエロアニメ見なくちゃならんのさ! しかも時々なんか汚い液体噴き出すしぃぃ!!」
「そう」
無情にもイナバは電話を切った。そうこうする間に、またドアの“舌”が彼女に巻き付いたからだ。そのまま、ドアの向こうへとずるずると引き寄せられる。
兎の瞳が一瞬、紅く危険な光を放った。更に、内部で轟音が何発も響く。次の瞬間、舌が力を失い、床に落ちて白煙を噴きながら崩壊していく。ドアの口も塞がり、廊下にはイカ臭さと涎まみれの兎娘、それと隠れていた主。
鈴仙・イナバは能力で周波数を操り、部屋の怪物へ咄嗟に幻影を見せたのだった。野郎が好みそうなストリップ着替え、寝そべる裸、エロいポーズ、下着ハプニング‥‥。てゐへの仕打ちから、生前部屋の中でエロい事ばかりやっていたと理解し、眼前に偽りの桃源郷を見せてみた。効果は絶大で、亡霊はたちまち昇天したのである。この時イナバは知らなかったがこの亡霊の引きこもりは生前、制服コスプレ物が好きだった。素直に調伏されたのも嬉しさのあまりだろうか。
扉が開き、ピンクのワンピース姿で黒髪のこれまた兎耳娘が飛び出してきた。全身が臭い。彼女はイナバを見つけるなり飛びついた。
「ああ神様仏様イナバ様ぁ、因幡てゐ、終わりかと思いましたぁぁ」
「大袈裟よ、何やらかしたの?」
「引きこもりの亡霊程度、と思ってお札をケチったら、ツバかけられて全部ぐちゃぐちゃにされた‥‥」
「自分の霊力の技でなんとかしなさいよ」
「あいつの身体の中で結界張るので精一杯だったんだよぉ」
無言で鈴仙・イナバはてゐの手から、愛用のスーパーレッドホークを取り返した。ドアに食われたものが、内部のてゐの所に落ち乱射されたのだろう。
唯一無事だったつづらを背負い、傘を被り直すと鈴仙は主に告げた。
「代金は後程請求するから」
「えーっ? そのちっこい兎が一度失敗したのに?」
鈴仙の目が紅く輝いた。主はだらりと手を下げ、そのまま前へと倒れた。床で時々痙攣しながら薄笑いを浮かべる彼を、てゐが気の毒そうに見つめる。
「何見せたの?」
「エルフのストリップ劇場。数分で消えるけどね」
「そんなの何で見せられるのさ、スケベだねぇ」
「彼がフロントで見ていた動画の内容のままよ‥‥」
「全く、幻想郷の頃のあんたは可愛かったのにさ、怖くなっちゃって」
ぶつぶつと言い合いながら、二人はホテルの階段を下りていく。
鈴仙・イナバ・優曇華院は様々な人に薬を売り、時々相手を“治療”する。
偉大なる存在、ドクター・メフィストと永遠の命を持つ師匠には遥か及ばないが、今日も彼女は強かに生きているのだ。
鈴仙て何故かこういうキャラになってしまいます。昔書いた作品のレイセン二号も武闘派の顔がありましたが。
追記
鈴仙の使っている拳銃は、菊地先生の「賞金荒し」の主人公の銃をリスペクトした物です。