「いらっしゃーい、綺麗なだけじゃない。魔除けから恋愛成就まで効果抜群、博麗の巫女と守矢の風祝の清めたアクセサリーだよー」
魔界都市、四谷ゲート付近。区外からの観光客相手に、水色のショートボブの少女がにこやかな商売をしている。むしろを敷いただけの極めて簡素な露店で、傍らに茄子色の古めかしい傘が畳まれている。客の一人が傘を見せて欲しいと所望するも、少女は首を横に振った。これはわちきの馬印、と。
観光客の波が去り、少女は右が水色、左が赤の瞳を細めた。殆ど売れなかったのである。
新宿という場所では、奇跡的な程素朴な商売だった。一部誇大広告はあった。例えば巫女の御払いなど一切貰っていない。巫女も風祝も、以前居た地域では結構な危険人物で、小傘にとっては油断ならない相手であり、そんな彼女らに道具を清めてなどと頼める筈もない。ならば名前を広告に使うのは危ないのではないか。もし眼前に現れたら、小傘は全力で逃げるつもりだった。その程度の対策しか考えていない。まあ妖物に襲われる事の方が多いのだが、そうなっても左腕にはめた銀の魔力を込めた腕輪と、逃げ足が頼りである。
付近を仕切る香具師の頭目が、売り上げをおつむで計算して難しい顔をする小傘の店にやってきた。
間抜けだから可愛がられてる、というより珍種を保護する気持ちがあったのだろうか。何かと彼女の世話を焼く。頭目に気付くと、少女は笑顔を戻し、分けておいた金を出した。
上納金のつもり、だったが男は手ぶりでいらないと示す。今月分は既に受け取っていたからだった。顔を赤くして金をしまう小傘に苦笑しつつ、頭目は何気無く空を見上げた。
珍しく青く澄み切った空だった。巡回ヘリや空賊、空の怪異も無い。せいぜい透明に擬態した何かが浮かんでいる程度、と思ったら、小さな黒い点が現れた。それがよくこの街でも見かける道具、木刀だと気付いた時、真っすぐに落下してきた。頭目が避けた場所に土煙を上げて叩きつけられた木刀は、有り得ない事に地に跳ね返るかの如く宙に舞った。
小傘は、両手を伸ばしていた。木刀が彼女へと迫るのが、スローモーションの様に見えていた。ふわり、と木刀は少女の手に納まった。
幻想郷でも感じた事のない、強く温かい魔力が感じられた。観察してみると、変哲のない普通の長さの木刀である。
ぽかんとしていた頭目が小傘に声をかけようとした。一歩踏み出した時、彼の足元から火が出た。前へ差し出した手まで瞬時に火が回り、口の中からも炎が溢れた。そして、彼を立ったままの炭へと変えてしまった。
木刀を抱き寄せながら、小傘は何が起こったのか、と思った。
頭目だった炭を砕きながら、黒頭巾を被り黒マントを羽織った姿が現れる。頭巾の奥で紅い瞳が凶悪に光った。
「小娘、炎に焼かれたくなければその木刀を渡せ」
焚火が爆ぜる感じ、耳が焼けそうな声である。小傘は腰が抜けていた。相手の殺意の凄まじさに、である。
「渡さぬならそれも良い。苦しまずに焼き尽くしてやろう」
男の手がマントから現れた。異様に痩せこけた真っ赤な皮膚だった。その手そのものが、一瞬で火へと変わる。
『お逃げっ!』
頭の中でぶつかる様な老婆の声。小傘は後ろ襟を何かに掴まれ、後ろに投げ飛ばされた。
尻もちをつき、その衝撃で我を取り戻す。慌てて露店から茄子色の傘を拾い、外はそのままにして新宿通りを西へと走り出す。手にしっかりと木刀を握って。
残された火の怪人はそのまま手の炎を持てあましていたが、突然その場で天を支える姿勢を取った。その足元が煙を吹きながら、少しづつ大地へとめり込んでいく。
「ぐぐぐ‥‥」
『人を簡単に消し炭に変えても、まだ力は足りていない様だねぇ』
「何者か、俺を仕留めるにはこの程度では足らんぞ」
『倒すつもりはないさ。ただ、少しの間地面でもがいていて貰うよ』
そのまま怪人は見えざる力に圧され、地面へとめり込んでいった。
道中少し低空飛行までして、小傘は四谷三丁目駅付近にまで辿り着いていた。開くと大きな舌をぺろんと出す、おかしなデザインの傘を開きその陰に隠れている。木刀を未だ抱きしめていた。捨ててしまえば、この事件から逃れられるかも知れない。だが、木刀から伝わってくる不思議な温もりと、空から突然現れた物とはいえ道具仲間を見捨てるという事は、付喪神の小傘には出来なかった。
だが、どうしたものだろう。近くの緊急避難所に駆け込み、警察の到着を待つべきか。
逡巡している内に、また老婆の声が聞こえた。
『休んでいる暇はないよお嬢ちゃん』
小傘はびくっと反応し、傘から顔を出して周囲を見渡した。誰もいない。
『少し事情があってね、顔は見せられないのさ。その木刀を守らなくちゃいけない』
「わ、わちき、争いは苦手」
『この街でそう言い切るなんて、ある意味肝が据わってるね? まあ逃げないとまた襲われるだけさ。ほらもう第二の追手が来た』
強い妖気を感じ、小傘が振り向いた先で地面から黒いローブ姿が屹立しつつあった。足元をうろついていた肥大ネズミ達が、その身体に次々と引きずり込まれていく。
「先刻の火!?」
『違うね、ありゃ土鬼、だよ。先刻のは火鬼』
「お、おおお、鬼ぃ!」
幻想郷では一、二を争う強豪妖怪の種族名を聞いて、また小傘は腰を抜かしそうになる。
『鬼といってもあんた達の仲間とは少し違うがね、危険な存在ではあるよ。幸いなのは復活したばかりのせいか、力が衰えているけどね』
土鬼は近くの生命体を全て吸収し、“食事”をしていた。
「‥‥まだだ、まだ足りぬ。そこの小娘‥‥」
指さされた小傘は飛び上がった。
「お前を食わせろ‥‥」
慌てて叫びながら走り出す背中へ、マント姿の両手が向けられた。汚い茶色の指先が崩れ出し、塵となって漂い始める。
『飛ぶんだよ! 早く!』
老婆が言う前に小傘は派手に転んだ。足元で野良バイオブタが不満そうに鼻を鳴らす。
周囲に塵が集まり出した。瞬く間に小傘とブタを包んでしまう。
「妖力! 泥地獄」
土鬼の塵の中に捕らえられた者は、数億トンの圧力と五千万度も高熱を受け消滅する、筈だった。しかし絶叫と共に、土鬼は元の塵へと戻った。無事だった小傘の胸の中で、木刀が光を放っている。魔界都市には似つかわしくない、清浄な気だった。娘は急いで立ち上がり、逃亡を再開した。
塵が集結し、マント姿に戻るも身体から煙が吹き出ている。
「これは‥‥あの忌々しい念法の痛み!? しかし、この世界に奴はいない筈だ!」
苦しむ彼の傍らに、炎の玉が現れた。
「土鬼、無様だな、かつて我らの中で最も早く敗れた噛ませ犬よ」
「黙れ、蘇ってすぐだから本調子ではないだけだ」
「まあいい。すぐに水鬼も合流する。今度は三人共に襲うぞ」
火鬼は、見えない怪物の蹂躙を、地面ごと高熱で溶かして脱出したのだった。
謎の声に導かれた小傘は、歌舞伎町に到着していた。不思議な力を放ち彼女を守ってくれた木刀は、今静かに抱かれている。
「おばあ‥‥ちゃん?」
『はいよ、きちんといるさ』
「誰なの? 貴方は?」
『その木刀を導く様、ある偉大な坊さんの霊に頼まれたのさ。まああたしもこの世のものじゃないがね』
「じゃあお化け?」
『可愛い思考だね。“阿修羅”が選んだ理由が分かる気がする』
「この子、阿修羅ていう名前なんだ」
『おやおや、偉大な付喪神の先輩を子供呼ばわりかい。足りないも度が過ぎると災いだよ』
「いいもん、どうせわちきは‥‥」
小傘がふと、水たまりを踏んだ。次の瞬間、彼女の身体は頭まで一気に引きずり込まれる。新宿名物の怪奇生命体かと思われたが、握っていた阿修羅が輝き、異様な唸り声と共に小傘は吐き出された。
咳き込む娘の前で、水たまりの中からまたマントとフード姿が現れる。ファッションセンスの無さは古典的な伝統にも似て、いささか滑稽である。
「阿修羅を渡すが良い、小娘!」
涙ぐみながら小傘は走り出そうとした。その眼前に、塵が集合し土鬼が現れる。更に何処からか飛んできた火の玉が人間大に膨れ上がり、火鬼の姿を構成した。
「もはや逃げられぬ、たかが妖怪如きが手こずらせてくれたな」
「阿修羅だけでなく、何かが守護についておる様だが‥‥姿すら見せられぬなら敵ではない」
絶望。ぺたりと小傘は座り込んでしまった。三方から不気味かつ圧倒的な妖気が彼女に迫りくる。
何度も救ってくれた木刀・阿修羅も輝きが冴えない。力が薄れているのか。
『全く、ぼさっとしているからだよ‥‥仕方ない』
小傘がここに来るまで肌身離さず持っていたもう一つの物。茄子色の傘が突然開いた。
そのまま、暗くなり始めた天空へ娘の身体が高速で舞い上がっていく。後を追おうと炎と化した火鬼と塵になりかけた土鬼。両者をまたしても、見えない何かが打った。
『あたしが相手だよ、亡者共』
小傘から離れたらしい老婆の声。しかし、四谷ゲート近くで火鬼を地面へと埋め込んだ力は無い。すぐに土鬼は塵のまま、周囲に漂い始めた。そのまま、見えない何かに少しづつまとわりつく。空間に、四メートル程の巨人の姿が露になり始めた。更にその脚には水鬼が絡みつき、動きを封じる。トドメに火鬼が自ら爆炎と化し、透明な巨人に飛び掛かった。姿の見えない存在は、数秒と経たぬ間に焼き尽くされ消滅する。老婆の気配も消失していた。
小傘は目を覚ました。手には傘と、阿修羅の木刀。彼女は、天空に放り上げられた自分が希望の場所へ落下していた事に気付いた。
旧新宿区役所の土地にそびえ立つその建物、メフィスト病院。病める者で助かりたい者は皆ここを目指す。そして、白き魔貌の医師に出会った時、誰もがその美しさに畏怖し喜ぶのだ。
だが小傘にはある問題があった、彼女は怪我一つしていない。つまり、患者になる資格がない。仮病を使い無理に入ろうか、とも考えたが、まだ初来院の身である悲しさ、迷いが生じた。
周囲に、何故か患者も関係者も通行者もいない。異様さに小傘が気付いた時。
火の玉、塵、地面を走る水たまり。ああ、三匹の魔性が追い付いてしまった。
「終わりだ」
「ここは‥‥何とも嫌な気配がするな」
「案ずるな。もはや我らに敵はない‥‥さあ、ラー殿を迎えようぞ」
火の玉を心臓の位置にして、塵が集合して人の形を作り、水たまりが足の指から体内へと侵入していく。小傘の眼前で、三体の唱える呪文が低く響いていく。
土鬼の作った偽りの身体を、水鬼が血となり満たして、心臓代わりに脈打つのが火鬼の炎。それは段々と生々しくなり、ついに一見すると普通の人間と見分けがつかないにまで構成される。
アラブ系の顔立ちである、“男”が目を開いた。真っ赤で瞳の無い、目。魔界へ魂を売り渡した者の“地獄眼”。鬼達が纏っていた黒マントまでが再構成されて、その身を覆っている。
「‥‥ここが、<新宿>か。私の知る場所とは、少し違う様だ」
渋い声で独語する。
「三妖達よ、よくぞ我が魂をこの世界へ誘った‥‥ここなら私の力は、機械仕掛けの身体など無くても‥‥」
天空に向けて男は手をかざした。それだけで新宿中の邪気が反応する。見る間に、メフィスト病院の正面へ集合しはじめた。次々と邪気が人の姿を取る、青白い炎に包まれた骸骨達である。
小傘は呆然としていた。男が歩きもせず、ゆっくりと彼女に近付く。もうあの老婆の声もしない。阿修羅の輝きも弱まっていく。何もかも、終わり。
と思われた。
「我が病院の前で、何事かな」
その声だけで、アンデッドの群が反応した。眼球の無い目が、病院の正面玄関に立つ白い影を見た。途端に邪気が崩れ、霧散してしまう。
亡者が、相手のあまりの美しさに恥じらい“自殺”する。そんな珍現象が起きていた。
瞬く間に、玄関前には小傘、復活した男、そして。
「ドクター・メフィスト」
娘の口からぼんやりと、その名が漏れた。小傘は赤面しながら、動く事が出来なかった。
だが、アラブ系の男は不敵に笑っただけだった。
「この世界でもわしを邪魔するか、メフィストよ」
「はて、君の様な患者は記憶にないが」
「当然だ、あのメフィストとお前は違う。そしてわしは既に何度も冥府の門をくぐった身だ。医者は不要」
「ならば」
突然メフィストは身体を翻し、病院へ戻ろうとする。小傘はふと思い出した。この白く美しい医師は、患者が巻き込まれた事件以外は、余程の事が無い限り関心を示さないという。
今、患者が必要だった。小傘は抱えた阿修羅を見つめ、目をつぶった。
「痛っ」
緊張感の無い可愛らしい声に、流麗な視線が動いた。阿修羅片手にタンコブをこしらえた小傘が涙目で見つめている。
「せ、先生‥‥きゅーかん、です。私、治療しないと死んじゃいます」
娘にとってはあまり大袈裟な言い方でもない。この場を切り抜けられなければ、奇怪な男に抹殺されてしまう運命だろう。さりげなく、不思議な木刀も輝いていた。手を貸してやれ、とでも言いたげに。
「よろしい、君は今から我が病院の患者だ」
微かに苦笑を浮かべつつ、メフィストは振り返った。その手がケープの袂に入り、針金の束を取り出す。
見るも鮮やか、聞くもたおやか、瞬く間に針金が動き、形作られていく。
「させぬ」
蘇った男は、右手から爆炎を噴き出した。身体を構成する火鬼の物だろう。しかし、瞬時に握られたメスの一閃で炎は左右に分かれ、消失した。
次に男は口から水を吐き出した。周囲の地面に染みこみ、たちまちそこから周辺全体が泥状になっていく。メフィストと小傘の足元もあっという間にぬかるんだ。粘液状になった地面が、白い医師の足を複雑に絡めとる。更に男の身体から塵が舞い、一本の長剣を構成した。禍々しい妖気を放つその剣を振りかぶり、針金作業に没頭しているメフィストへ向け投じた。
ちん、と音を立てて、針金が断たれた。小傘が気付いた時、阿修羅は彼女の手から消えていた。
「我が針金細工は如何かな?」
飛来した剣は、溢れんばかりの清浄な気で微塵に砕けていた。正眼に阿修羅を構えるのは、針金で作られた人形だった。
「紛い物の魔術師には、紛い物の勇者が似合うだろう」
蘇った男が印を組み、巨大な霊力を集め始めた瞬間。針金人形が大地を蹴った。瞬時に数メートルを飛翔した人形は、手の阿修羅を真っすぐ男の胸に突き立てていた。
無念の声を上げつつ、男の身体を構成していた妖鬼達の元素が消失していく。
「この世界でも”念法”に我、敗れたか! おのれい、ざ、よ、い‥‥」
最期の瞬間、男は名残惜しそうに呟き、消失する。阿修羅を持ったまま立ち尽くす針金人形に小傘とメフィストが近付いた。娘は、針金で出来た身体を興味深そうに眺めた。
「どうして、この人形を‥‥?」
「私にもよく分からん。あの蘇りし男に相応しい相手を、と思ったら自然に出来ていた」
肩をすくめる白い医師。彼をうっとりした目で見つめる緊張感の無い小傘の耳に、懐かしい声が響いた。
『無事やり遂げてくれたね。内心ハラハラしたよ』
「お婆ちゃん! 無事だったの?」
メフィストに訝し気な視線で見られているとも気付かず、小傘は安堵の表情を作る。
『まああたしは死んでるからね。二度も倒されるもんかね』
「なんだかよくわかんないけど、無事で良かった」
『阿修羅も喜んでるよ。あんたがドクター・メフィストの元へこれを運んできてくれたから、あの魔道士を地獄へ送り返せたんだ。あんただから、出来たんだよ』
「わちき、偉い?」
『そうだね、魂の波動が‥‥似てる。不思議なもんだ。阿修羅は偶然あんたのとこに落ちたんじゃない、木刀があんたを選んだのさ』
阿修羅が人形の手から離れた。現れた時とは逆に、空へ向けゆっくりと上昇していく。
『でも、あまり清くちゃいけないよ。こっちの”魔界都市”じゃあ、ね』
「大丈夫、わちき一杯人驚かすから! 悪い子だよ!!」
『やれやれ、そりゃあ頼もしいね』
呆れながら慈しみを声に滲ませ、急上昇した阿修羅と共に気配は消えた。ぽかんとする小傘の肩を、優雅に白い指が叩く。
「君は誰と話しているのかね?」
「え、先生は聞いてなかったの?」
「何も。しかし‥‥」
微かだが、医師の美貌に陰りが走った。
「微かだが、亡きガーレン・ヌーレンブルグの気配がした」
流石にメフィスト先生の描写は自信がありません。
妖鬼達とあのおっさんががあまり強くないのは、復活したてで殆ど力が無いせいという事に。