秦こころの神楽は、新宿のあちこちで人気がある。あまり神聖な物と縁がない土地柄故、見世物扱いになってしまうが、それがバイオオカマ・ショーパブの荒々しいステージでもタルや木箱に凶悪な獣人が座る酒場でも見事に微笑みを取る。
笑い、ではなく微笑みだった。魔界都市でなくとも、人は歳と共にふと漏らす微笑み忘れるものだが、この幻想郷の付喪神は意識せずにそんなものを思い出させていた。
表情豊かなポーカーフェイス、というキャラも幸いし、不思議と皆に好かれていた。
当然心無い者が毒牙にかけようと忍び寄る事もあるが、狂的な性犯罪者をぶちのめし、全員を上半身だけ袋詰めにして警察に突き出し、お礼参りまでも撃退したから腕も確かだった。
ある日、花園神社で神楽を奉納した帰り道。大鳥居の近くに小さな人だかりが出来ていた。テンガロンハットにギターを抱えた青年が歌っている。オールディーズのCDみたいなレパートリーで、コンドルは飛んで行く、ダイアナ、黄色いリボン、ララミー牧場などが流れていく。
それ程上手な歌ではない、がこころは少し踵が浮つく様な感じに襲われた。踊りたくなる。こころの神楽は純粋な実力だが、この青年の歌には説明出来ない魅力があった。不思議と世間にはそんな歌い手が時々現れるが、純粋さが大成する事はまずない。傲慢な製作者と大衆の限りない欲望に晒され、いい意味でも悪い意味でも教科書に載る姿だけが残る。
無論、こころには何の関係の無い事だった。
彼女が我慢出来ず、舞扇子を開いた時。ギターは物悲しいメロディを奏で始めた。
♪In a cavern, in a canyon excavating for a mine♪
こころには、その歌の内容が分からなかった。ただ、見物人のひそひそ話が聞こえる。
「あれは、ゆきやまなんとかて歌じゃねぇか?」
「にしちゃ陰気臭いな」
出鼻をくじかれ、付喪神はじっと歌を聞いていた。やがて歌が終わり、青年はギターをケースにしまいこんだ。拍手への返答もせず、足早に去っていく。その後ろ姿を、じっとこころは見つめていた。その側頭部にひっかかったお面は、大飛出だった。
翌日。花園神社の大鳥居。何気無くやってきたこころは、また青年を見つけた。やはり歌っているが、歌謡曲や、少し古めだがアイドルソングまで披露して見せた。
見物人の最前列で、こころはじっと体操座りしながら聴いていた。面は狐。やがて、聞き覚えのある物悲しいメロディ。それを歌い終わると、青年はギターをしまう。シメの曲、なのだろうか。雑踏へ紛れようとする青年を、足取り軽く付喪神の少女は追いかけた。
うっかり“迷路横丁”などに踏み込んでしまわない様に気を付けていた筈だが、背中を追って何度か角を曲がる内、周囲の光景が少しずつ変わり始めた。
やがて、足元に赤い土の地面、サボテンや根無し草、そして太陽が照る青い空という、明らかに都会ではない場所に出ていた。
こころは自分のほっぺたを強くつねった。痛いだけで何も起きない。面は猿へと変化した。
眼前には、ギターの青年が静かに背中を向けて佇んでいる。こころは素早く近くの草むらに隠れた。じっと観察していると、グレーのコートを着た男が一人、陽炎たなびく前方から歩いてくる。腰にはガンベルトが見えた。
青年がギターをケースから出すと、フラメンコをかき鳴らし始める。コート姿の男が拳銃に手をかけた瞬間、ギターのヘッドがその方向を向く。
発砲音が響き、コート姿が後ろへ吹き飛んだ。その後も演奏は鳴りやまず、決闘を目撃した興奮と音楽がこころを踊らせようと誘惑する。
だが草むらから立ち上がると同時に演奏は止み、こころは一人コンクリ―トと瓦礫に覆われた袋小路に立っていた。
幸い、続けて怪異には襲われず、こころは無事にねぐらへと帰る事が出来た。だが、その日あった事を彼女はどの知己にも話そうとはしなかった。
それからこころは花園神社に通い、青年が来るのを待った。三日目。再びギターを持った姿が現れた。また最前列で体操座りし、演奏と歌を耳に流し込む。面は翁へと変化していた。
いつもの終わりの曲が流れ、拍手の中、帰り支度の青年にこころは近付いた。
「教えて欲しい」
テンガロンの下で、青年の目がぎょろりと少女を睨む。
「‥‥何だ」
「最後の歌は、なんていう?」
「“いとしのクレメンタイン”だ‥‥」
「ゆきやま、じゃないのか?」
「それは、日本で勝手につけた歌詞だ」
不愛想に答える青年に、こころは腕組みしながらうんうんと頷いた。その姿を青年はしばらく見ている。
「‥‥お前、まさか俺の後を尾けたりしてないよな?」
面が猿に変わった。
「え?」
「絶対にやるなよ? いいか、やるなよ?」
こころは無表情のまま、去ってゆく青年の背中を見つめ、古今東西最も意味をなさない制止の言葉を胸で反すうしていた。
青年が謎の場所で、再び敵と対峙している。今度の相手は、三人だった。
またしても流れ出すフラメンコ。こころは必死(無表情)で立って踊り出したくなる衝動を抑えた。
そのせいだろうか、背後にグレーのコートの男が現れたのにも気付かない。一度、青年に撃たれた筈の男。手には古めかしい拳銃と、絞首に使う輪状にした荒縄が。
背後でゆっくりと撃鉄が起こされ、狙いを定めようとする。こころが頭にいつも引っ掛けている面(この時は狐)が、微かに動いた。次の瞬間、青いオーラを噴き出しながら面が飛び、口を開け、コート姿に猛然と噛みついたのである。
少女の足が大地を蹴り、上空で優雅に身をひねりながら、何処からか一本の薙刀を取り出した。着地と同時に袈裟懸けで、ガンマンを一刀両断する。銃声。
青年がギターと共に崩れ落ちていた。同時に周囲の風景が歪み、灰色の新宿の景色を取り戻していく。敵も一人残らず消えていた。
こころが駆け寄ると、青年の身体に深い傷が走っていた。少女が斬り捨てた相手と同じものだった。しかし、肉は生々しいが血一滴流れぬ。
「決闘ショーは‥‥楽しかったか?」
いつの間にかこころの頭に戻った面が、姥に変わった。
「客を誘って、夢中になったら後ろからドスッ、さ」
「貴方の演奏と歌が好きだったのに」
「そうかい‥‥賢くなったな。簡単に人についていっちゃいけねぇ、てな」
震える指がギターの弦にかかった。鳴らすか鳴らさないか、の寸前、指先から青年は崩れ出した、やがて服も肉体も全て赤い土となり、それも見えない塵へと還っていく。
残されたギターを、こころはゆっくりと拾い上げた。
誰も知らない小さな事件が終わり、しばらくの間、花園神社で珍妙な舞を見せる者がいた。ギターをかき鳴らしながら、ひらりひらりと舞う姿。口上は愉快にして軽妙、ただし顔に表情は一切なし。
そして最後に必ず歌って聞かせるのは、“いとしのクレメンタイン”だった。
とにかくクレメンタインで何か書きたかったのです。