~家~
~自室~
夕食後、さくらさんは朝倉家に行くと言って出かけた。
俺はただ事ではないと思って、音楽を聴きながらリラックスを心掛けた。
オルゴールのリラックス効果は本当に偉大である。
しかし時計は23時が過ぎて、眠たくもなってきている。
音楽を変えて、ロックミュージックにした。
いつもだと既に眠っているので、体も脳も睡眠を欲している。
……
…
ついに、日付が変わってしまった。
0時が過ぎてしまい、俺は今にも寝てしまいそうだった。
勝手に眠る事も出来ず、ひたすら睡魔に抗い続けた。
玄関のドアが開く様子もなく、ただ待ち続けるしかなかった。
≪コンコン≫
『!!!』
すぐに近くに置いてあった目覚まし時計を手に取って、ドアを睨みつけた。
玄関のドアは開いた音はしていない。なぜ、俺のドアにノックがかかった!?
目覚まし時計をすぐに投げつけれる様に、正体不明の相手の反応を待った。
『ごめんなさい。起きてる?』
『さくらさん?』
体内にあった全ての緊張感が一気に溶けだし、俺は額の汗を指で拭った。
しかし、一体どこから家の中に入ったんだ。
今のは全くの予想外だったので、驚きの衝動が抑えきれず肩で息をしていた。
『起きてますよ。どうぞ』
『ごめんね。ごめんね』
『……すまんね』
さくらさんだけかと思ったら、純一さんも一緒だった。
旅行疲れもあるせいか、純一さんの表情は疲労感が出ていた。
その様子は、いつもの様な愛想を振りまく余裕も無くなってしまっている。
『遅くなって本当にごめんね』
『なぜ、こんな夜更けに話を?』
『だって、音姫ちゃんも由夢ちゃんも知られたくないし。ようやく寝てくれたみたいだから』
『……抜け出したと?そんなに大事なんですか?』
『もし、どちらかが2回も幽霊を見てしまったら、否定できない事実になるんだし』
『……では、家に幽霊がいると?』
『私から説明させてほしい』
そう言うと純一さんは、俺には見せた事のない真剣な表情をしていた。
そんなものが本当にあるのか、俺は今でも半信半疑もいかない。
しかし眠い。眠たい……
カラシかワサビか、唐辛子でも持っておくんだった。
今だったら、インスタントコーヒーの粉を口に含むだろう。
『実は義之君が来る前、私もそれを見たんだ』
『幽霊をですか?信じられない。どんな実態でした?』
『モヤっとしていた。大気が揺らめいていたというか、どう表現していいのか解らない。あれを幽霊というのかも分からない』
『………』
『お兄ちゃん、時間があまり無いんだし急用としている事を伝えて』
音姉に由夢、そして純一さんまでそれを見たとなると、やはり何かが居るようだ。
危害を加えようとしない事だけが、唯一の救いの様に思える。
しかし、いきなりヌッと現れたらさすがに怖いな。
毎回、悲鳴を上げる事になりそうだ。夜にトイレなど行けたものではない。
『酷く錯乱したよ。旅行疲れかと思ったら、あの子たちも同じものを見たようだね』
『多分そうです』
『だが当面の問題は実際に何かが居て、何かが現れる事だ。今のままだと彼女たちがノイローゼにでもかかってしまう』
『……確かに』
純一さんが必死になって訴える。
さすがに音姉も由夢も、幽霊に2回も遭遇してしまったら、何かが居る事だけは解ってしまう。
あの二人に、二度見せる事はできないという事か……
『………』
……手っ取り早い方法は、音姉と由夢、純一さんを暫くこっちで生活させればいい。
俺は布団さえあれば、台所だろうが、玄関だろうがどこででも寝れる。
つい俺はさくらさんを見てしまった。
『僕なら全然オッケーだよ。後は義之君の判断だけ』
『判断を仰ぐまでもないです。暫くこっちで生活をしましょう。後の事は追々考えていけばいいかと』
『すまないねえ、本当に助かるよ』
『らしくないです。もっと気を強く持ちましょう』
……
…
次の日から、音姉も由夢もさくらさんの家で生活する様になった。
二人には、家にガスが漏れていないか点検する様に伝えている。
幾らかは時間稼ぎになるだろう。
しかし、幽霊に感謝すべきか。朝と夕ご飯は人数が多くなり、賑やかな食事となった。
お泊り会をしている様で、何だか愉快な気分になる。
……
…
~食卓~
『………』
二日が経った今もたかが夕ご飯に、一つ一つ思い出を拾ってしまう。
俺が居て、音姉が居て、由夢が居て、純一さんが居て、ほんのわずかだったけど由姫さんが居て……
昔は、俺も朝倉家の一員で、さくらさんを除いてこの暮らしが当たり前だった。
年月を経て今、思い出となった暮らしがまた戻ってくるとは思いもしなかった。
俺はその空間に、幸せいっぱいに感じていた。
すぐに幸せいっぱいな気持ちになれる人を見る事ができる。
その幸せ……、その人……、その過ごした時間……
『大丈夫?』
『………』
『き、季節外れの花粉症かな』
『………』
さくらさんが心配そうに声をかけている。
あの時を思い返すと、涙まで出ないが目が潤んできてしまう。
純一さんも、音姉も、由夢も何があったのかと目を丸くして俺をみている。
その空気に耐えきれなくなったのか、純一さんが話しかけてきた。
『朝倉家に居た時の思い出かい?』
『……はい』
『そうか……、朝倉家からさくらの家に行く様に言ったのは酷だったようだね』
『いえ、そんな事ないです』
『義之君のケチ。今は私が居るんだから』
さくらさんが少し悔しそうにしている。
別に今の暮らしが悪いという訳ではない。それも長い月日が経過して、もし戻る様な事があれば同じ事だ。
何だかいいなぁ、この感覚……
『兄さんが泣くのは初めて見たかも』
『泣いた訳じゃない。その中間だ』
『ふぅん、私たちと離れ離れになるのが悲しかったんだ』
『むむ……』
『弟君、家は隣だし私たちはいつでも会えるんだから』
『それは、そうだけどな』
『……でも私も、弟君がさくらさんの家に行った当時は悲しかったな。由夢ちゃんも暫く元気が無かったし』
『ははっ、今のはご馳走様』
『お姉ちゃんの記憶違いです。私は普通でした!』
結局、音姉も由夢もあの時は寂しかったんだな。
小さい頃からずっと暮らしていたんだし、当然と言えば当然か。
生きていく上で、出会いと別れの繰り返しは必定という事だけは解ってしまう。
ただ、別れる時であっても、相手が自分を惜しんでくれる人間でありたい。
『でも、ガスじゃないよあれ』
唐突に、由夢が純一さんに話し出した。
あの時、見た例のヤツだろう。
『その場に居て、どこかへ行ったし』
『じゃあ私と一緒だね。場所も時間も別々だけど』
今度は、音姉が話す。やはり今も気になるのだろう。
しかし、それを証明できないので、先の説明が出来ないでいる。
二人の話に、純一さんが訝しそうにしていた。
しきりに口を押さえて考え込んでいる。
『そうなのか。それは自分に向かって来なかったのかい?』
『それは怖すぎるって』
『………』
由夢は普通に返していたが、音姉は何か感づいたようだ。
純一さんも、失言をしたと今気づいたようだ。
しかし、発言してしまった以上どうしようもない。
では、純一さんのケースは何かが向こうから来たのか……
一体どういう事だろう。
『しかーーーし』
『さ、さくらさん?』
いきなり大きな声を出して、皆の思考を遮った。
緊迫感どころか、楽しんでいるかの様に疑問を呈す。
『一番おかしいのは義之君だよ。一日居てたのに、なんでモヤモヤを見なかったの?』
『漫画を見てたから?』
『それは鈍感を超えているよ。何も変わった事はなかったの?』
『う~ん』
幽霊ではないが、風見学園の綺麗な女を見たっけか。
何だか、話題から外れてしまいそうだけど。
しかし、変わった事といえばこれ位しか思いつかない。
俺も幽霊という言葉を使うのは2人が怖がると思ったので、モヤモヤを使う事にした。
『モヤモヤは見なかったけど、寝ている時に夢は見ましたよ』
『迫ってきた?それとも向こう行った?』
『普通の夢ですよ。モヤモヤも出ません』
『なーんだ。で、どんな夢だったの?』
……おかしい。
夢というのは、すぐに忘れていくものではないのか。
なぜか、まだその女の人を鮮明に記憶に残っている。一体どういう事だろう。
まさか……、………
『いきなり黙り込まないでよ。イジワル』
『す、すいません』
『で?』
『風見学園の生徒でした。女の方です』
『そうなんだ、誰?』
『見た事のない生徒でした。すごい綺麗な人でした』
『誰!?』
『誰よ!?』
『なぜ二人共怒る?だから見た事がない人だって』
不意に後ろを向いて考える事にした。
夢なのに、かなり記憶に残っている。こういう事自体も初めての事だ。
奇妙な出来事で連ねれば、これは幽霊の仕業だったのかも知れない。
俺が幽霊と会っていた計算も高くなる。
だが、何しに来ているのか?誰に会いに来ているのか?無意味な行動をしているとは言えない。
……一つ気になるのは、純一さんの時だけ幽霊は近づいたようだ。
『その夢、すごく気になる』
『なんでですか?』
『義之君のタイプが分かるから』
『………』
『でも、誰かも知らないのに、どうして風見学園の生徒だって言うの?』
『風見学園の制服だったんですよ』
制服……
元々あった夢の記憶が、更に鮮明に服装を思い出した。
そうなると、風見学園の生徒でも何でもない。
俺は慌てて前言撤回をした。
『さくらさん、訂正します。その女の人は風見学園の生徒ではありません』
『いきなりだね。なんで?』
『よく思い返せば、風見学園の制服ではなかったから』
『風見学園の制服と言ったのに、風見学園の制服じゃなかったの?』
『制服はそうだったけど、帽子を被っていたから私服だったのかも』
『………』
突然、さくらさんが怒ったかの様に、眉間にシワを寄せた。
子供の頃から付き合いのある俺からすれば、こんな表情を見せたのは初めてだ。
俺が失言したのだと慌てて口を押さえると、さくらさんがすぐにいつもの笑顔に戻った。
しかし、戸惑いを隠せないようだ。
『私からも質問させてほしい』
『………』
今度は純一さんが話しかけてきた。
その様子は、鬼気迫る勢いであり、いつもの純一さんではない。
音姉も由夢も何事かと片津を飲んで見守っている。
だが、俺は幽霊の話題に直結してしまわないかと、内心焦っていた。
『その帽子の形は?』
『丸かった気がします』
『それで?』
『それで?』
『もっと続けてくれ。帽子の特徴を!』
『は、はい。帽子の下にラインがあった気がします。被るというより、乗せている感じもしました』
『……背は?、それと髪の長さは?』
『背は少し高い方でした。髪は腰の辺りまででした』
『………』
『………』
もはや家族団らんの空気はなく、鋭さを感じるほどピリピリしていた。
純一さんはマジになっている。さくらさんも心当たりある様だ。
音姉も由夢も異変を感じ取っていた。
俺としては、「誰か知っているんですか?」と返したかったが、それだと二人に幽霊だと繋げてしまいそうだったので、返せずにいた。
暫く、皆が無言の状態でいると、さくらさんも純一さんも我に返り、いきなり柔和な表情へと変わった。
その後、他愛のない話になったが、俺も音姉も由夢も釈然としないまま、別の話題で時間が流れて行った。