偽典・女神転生ーツァラトゥストラはかく語りき   作:tomoko86355

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久し振りの投稿。
百合子・・・・ガイア教団の幹部。
トリッシュ・・・・百合子と同じガイア教団の幹部である氷川に雇われたフリーの魔導士。



チャプター 12

マンハッタン、クライスラービル。

レキシントン街、405に位置する、煉瓦造りの世界で最も高い建造物である。

その外壁に一人の少年が居た。

涼しい夜風に身を任せながら、片腕の少年は、一枚の手紙を握り締め、身を屈めて蹲っていた。

 

 

『 拝啓、お父さん。

お元気ですか?私は、とても元気です。 此処に連れて来られてもう三年が経ちます。

最初は、凄く怖くて寂しかったけど、お世話係の白菊がいるから大丈夫です。

この前、明お兄ちゃんの事が心配で、白菊に頼んで調べて貰いました。

岡本さんに迷惑を掛けないで、ちゃんと学校に通ってはいるそうです。

でも、今はお父さんの事が少し心配。

私のせいで無理をしてるんじゃないかと思うと、心が痛みます。

私の事は気にしなくて良いからね? ちゃんとご飯も食べてるし、御役目も勤めてます。

お父さんもお体には気を付けて、大事なお仕事頑張って下さい。

ハルより。 』

 

 

かつての番、四神の一人、玄武から渡された最愛の娘からの手紙。

筆跡から、彼女が大分無理をしているのが分かる。

手紙の一か所に、涙の跡があるのを見つけた。

 

「・・・・・ハル・・・・。 」

 

切れる程、唇を噛み締める。

 

 

助けられなかった。

人柱の宿星から、娘を救い出す事に失敗してしまった。

あの時、自分は迷ってしまったのだ。

娘の命と、この世界に住む70億以上の命。

その二つを天秤に掛けた時、傾いたのは当然、70億以上の命だった。

 

 

 

 

 

レッドグレイブ市、便利屋事務所。

 

室内に置かれたジュークボックスから、時代遅れのジャズが流れている。

それを聞きながら、この事務所の主、ダンテがソファーに寝転んで、脚でリズムを刻んでいた。

 

「しっかし、お前さんの所に来ると借金がまた増えているなぁ。」

 

頑丈な黒檀のデスクに腰掛けた初老の仲介屋が、束になった督促状やら、電気水道等の支払いを催促する警告状を見て、思わず深い溜息を零した。

 

彼がもう少し、仕事に対して前向きになれば、裏稼業でトップクラスになる事は間違いないのだが、当の本人にやる気が全く無いのだから仕方がない。

気に入った仕事しか請け負わず、金にもならない事ばかりしているのだから、こうなる事は当然であった。

 

 

「仕方ねぇだろ? どいつもこいつもギャラの代わりに請求書だけ置いていきやがる。 」

 

再び音が出なくなってしまったジュークボックス。

知り合いのリサイクルショップの店主に、二束三文で買ったのだから致し方ない。

寝転んでいたソファーから起きると、ダンテはジュークボックスを足で蹴り上げる。

常人よりも遥かに優れた膂力を持つ男の一撃だ。

見事に前カバーが砕け散り、ジュークボックスは短い生涯を閉じた。

 

 

 

「ただいまぁー。 」

 

ジュークボックスが見事に散ってから数分後、片腕、片目の少年が、事務所のドアを開いた。

その表情には、少しばかり疲労の色が出ている。

 

「いよぉ、お仕事ご苦労さん。 」

 

そんな少年・・・・葛葉ライドウに返事を返したのは、壊れたジュークボックスを修理する初老の仲介屋、J・D・モリソンだった。

因みにこの事務所の主であるダンテは、不貞腐れた表情でソファーに寝転んでいる。

 

 

「アンタも大変だな? モリソン。 電気屋でも無いのにジュークボックスの修理なんて。 」

「はぁ・・・好きでやってる訳じゃないさ。 半分、趣味みたいなもんだな。 」

 

もう半分は、恐らく妥協だろう。

ソファーに踏ん反り返っている銀髪のろくでなしの機嫌を損ねると、折角、持って来た仕事を請けて貰えなくなる。

そんな仲介屋の苦労を痛い程、知っているライドウは、ソファーで寝ている銀髪の青年に多分に含んだ軽蔑の視線を向けた。

 

 

「一晩中、一体何処に行ってたんだ? まさか、まだ用心棒の仕事してる訳じゃねぇよな? 」

 

夜中から昼近くまで帰って来なかった少年に、ダンテが胡乱気な視線を向けた。

 

「アイザックの店を手伝ってた。 マーコフ一家からの嫌がらせが減ったとはいえ、人手不足なのは変わらないからな。 」

 

寝不足の為、大欠伸をした美貌の少年が、素っ気なくそう応える。

 

数日前、ライドウは、女荒事師のレディーにダンテの借金を肩代わりさせる為に、KKK団の一つ、フォレスト一家が経営する会員制のプールバーの用心棒を任された。

その時、フォレスト一家が所有している風俗店の嫌がらせをしていたのが、マーコフ一家が金で雇ったホームレス達であり、ライカンスロープであるアイザック達、亜人に悪質な偏見を持つが故に行っていた事が分かった。

ライドウは、支配人であるディンゴと女荒事師のレディーに事の経緯を話し、早速対策して貰ったのである。

 

 

「お人好しにも程があるぜ。 用心棒代はあの悪魔の女が全部せしめてるんだろ? 完全なタダ働きじゃねぇかよ。 」

 

 

悪魔の女とは、レディーの事だ。

金に対してがめついのは確かだが、あちこちに借金を作るダンテに言われる筋合いはない。

 

「はぁ? ちゃんと店を手伝った分の給金は貰ってるぞ? お前のくっだらねぇ借金で全部消えちまうがな。 」

 

ダンテの悪態にきっちりと悪態で返してやる。

 

良い歳をした大人が、ピザを食うか昼寝するかのどちらかなのだ。

どんなにライドウが、一生懸命働いても、全てこのろくでなしの交遊費か食事代、家賃&光熱費に消えてしまうのだから、恨み言の一つや二つ、自然に出るのは仕方ない。

 

「端金で良いようにこき使われてる奴に言われたくねぇーなぁ? 爺さん。」

「その爺さんのお陰で、ピザ屋やバーのツケが完済出来たんだろ? 少しぐらいは感謝したらどうだぁ? 鼻垂れ小僧。 」

「全く、爺は小言が多くて嫌になるぜ。 」

「お前、日本国憲法の三大義務知ってるかぁ? 教育の義務、納税の義務、勤労の義務だ。 お前には、そのどれもが欠けてる。 つまり、人間として終わってるっつーことだ。」

「生憎だったな? 此処は日本じゃねぇーよ。 」

「俺が言いたいのは、人間性の問題だ。 に・ん・げ・ん性のな!! 」

 

両者睨み合い、果てしなく悪態を吐き合う姿に、ジュークボックスを修理していた仲介屋が深い溜息を零す。

 

「お前さん達、それぐらいにしとけ。 ライドウ、一晩中、フォレスト一家の店を手伝って疲れてるんだろ? おまけに怪我も治ってないんだ。 ゆっくり休んだ方が良い。 それとな? ダンテ、こりゃ新しい部品を何処かで仕入れないと直らないぞ。 」

 

モリソンの言う通り、こんなに派手に壊れては、買い直すか、部品を何処かで発注するしかない。

しかし、当然、この事務所にそんな金などびた一文とて無かった。

そうすると、このろくでなしに働いて貰うより他に方法がない。

 

モリソンは、黒檀のデスクの上に置いてある自分の鞄から、書類が入ったA4サイズの茶封筒を出した。

 

「ほれ、お前さん向きの仕事だ・・・・おっと、悪魔絡みじゃないから安心しろよ? 」

 

ダンテに書類を押し付けたモリソンは、慌てて、ライドウに訂正する。

『狩猟者(デビルハント)』の資格を持たないダンテに、ソレ絡みの仕事をさせるなときつく言われたからだ。

 

本来、悪魔が発生させる事件、事故は、CSI(超常現象管轄局)によって厳重に情報統制されている。

発生する事象の難易度によってランク分けされており、そのランクに見合った実力を持つ『狩猟者』が選ばれ、討伐するのだ。

しかし、極稀にCSIの緻密な情報網から零れ落ちる案件がある。

モリソン達、”闇の情報屋(ブローカー)”が違法と知りながら、その案件を拾い上げ、政府には報告せずに無免許の狩人にその仕事をさせる。

これは、立派な犯罪行為だ。

しかし、ライドウはモリソンの正体を知りつつも、敢えてCSIに報告する事はしなかった。

そうしなかったのは、彼がダンテの唯一心を許せる知人であり、仕事のパートナーであったからだ。

そして、モリソンもライドウが温情で、CSIに密告しない事を知っている。

故に、恐ろしい人修羅の逆鱗にこれ以上触れない為にも、ダンテに悪魔絡みの案件を持って来る訳にはいかなかった。

 

 

「護衛の仕事? 」

「そ、今、音楽業界を賑わせている”ロック・クィーン”こと、エレナ・ヒューストンのボディーガードだ。 」

 

興味なさげに封筒から取り出した書類を眺めるダンテに、モリソンが改めて説明する。

 

5年前、新星の如く芸能界に現れ、破竹の勢いでオリコン上位へと食い込んだ、ロックの歌姫・・・・それが、エレナ・ヒューストンだった。

彼女の唄声は、人を惹きつける不思議な魅力があり、その為、彼女の唄声に魅了されるファンが多い。

 

 

「芸能世界じゃ良くある話だ。熱狂的なファンが悪質なストーカーに変わり、彼女のライブに現れては、ストーキングを繰り返す。 」

「成程、 それで、俺にストーカー退治をして欲しいって訳か。 」

 

 

書類を封筒に戻し、デスクの上に放り投げる。

全く魅力も糞も無いありきたりな内容の仕事だ。

当然、請け負うつもり等、更々無いが、山の様な請求書と督促状、おまけに背後では隻眼の悪魔使いが此方を射殺さんばかりに睨んでいる。

此処は、支払いの為にも受けざる負えなかった。

 

 

「言っとくけど、俺は全然寝て無いんだ。 店も粗方落ち着いたし、暫く休んで良いと言われてるからな。 遠慮なく、2階の寝室で寝かせて貰うわ。 」

 

お前の仕事は、絶対手伝わない。

無言でそれだけ伝えると、ライドウは大欠伸をして事務所の奥へと消える。

そんな悪魔使いの後ろ姿を黙って見送る二人。

 

 

「ま、ライドウも此処の所忙しかったみたいだからな? 少しは休ませてやろう。 」

「ちっ・・・・・・・。 」

 

紳士的なモリソンの言葉に、ダンテは不貞腐れた様子で舌打ちした。

 

 

 

NY市、ロウア―・マンハッタン。

ハドソン川河口部の中州に位置するこの島は、様々な企業や観光地、ショッピングモールやホテル等がひしめき合っている。

エレナ・ヒューストンが所属する音楽事務所は、マンハッタン島の南西部、チェルシーと呼ばれる地区にあった。

 

レッドグレイブ市から、マンハッタンへと訪れたダンテとモリソンは、事件の詳細を聞く為、一路、タクシーでその音楽事務所へと向かう。

 

 

「何時までへそを曲げてるんだ? ダンテ。 」

 

唇をへの字に曲げて、平らに流れていく商業都市を眺めている銀髪の青年に向かって、モリソンの大分呆れた声が掛けられた。

 

「別に、へそなんて曲げてねぇよ。 」

 

隣に座る初老の紳士に、大分ご機嫌斜めな返事を返す。

 

 

「あんまりライドウに腹を立てるなよ? あの綺麗な魔法使いは、お前さんの事が心配で仕方がないみたいだからな。 俺に、悪魔絡みの仕事を持って来るなと言ったのも、CSIにお前さんが目を付けられるのを恐れた為だ。 お役人を怒らせると後が怖いからな。 」

 

各国に点在するCSI(超常現象管轄局)は、連邦捜査局と同じ様な性質を持つ。

世界中で起こる超常現象を内密に調査、厳重な情報統制を敷き、決して外部には洩らさない。

その為、外部に漏れそうな人物を特定したら、問答無用で捕捉、魔法で記憶を改ざんし、酷い場合は、精神病棟へと収監してしまう。

 

 

「分かってるよ。 耳にタコが出来るぐらい聞かされた。 」

 

連日の如く聞かされるライドウの小言。

ダンテの身を案じての言葉であるが、当の本人にとっては有難迷惑である。

要は、狩猟資格を取れば良いだけの話ではあるが、悪魔使いは、決してその方法を教え様とはしない。

それ程、ダンテに悪魔と拘わって欲しくないからだ。

 

 

「余計なお世話なんだよ・・・今まで俺はこのスタイルを貫き通して来た。 今更、別の生き方なんて出来るか。 」

「・・・・。 」

 

悪魔を狩る事は、20数年間生きて来た彼の大事な指針だ。

最愛の母親を奪った悪魔を倒す為に、荒事師として自身を鍛え上げ、無数の怪物達を殺して来た。

そんな自分の生き方を、あの悪魔使いは真っ向から否定する。

過去を忘れろ、人間として生きろ、悪魔に拘わるな。

幾ら、心底惚れた相手でも、そんな説教など聞く耳はない。

 

 

重い無言の空気に包まれたまま、ダンテとモリソンを乗せたタクシーは、ロッククィーンが居る音楽事務所に到着した。

 

二人を迎え入れたのは、エレナの幼馴染みでありマネージャーを務める、ティムという名の30代半ばぐらいの男性だった。

ストーカー事件で、相当参っているのか、顔色が大分悪く、疲労の色が濃い。

 

「貴方がダンテさんですか? お噂はかねがね聞いております。 」

 

ロックランド郡の富豪、ローエル家の遺産相続事件で、ダンテの名前は広く知れ渡る事となった。

そのお陰か、待遇の良い仕事が事務所に多数舞い込んで来たが、どれも気に入らないといった理由だけで、蹴り捲っていたのである。

当然、悪魔使いの怒りが頂点に達したのは、言うまでもない。

 

事務所の応接室で、一通りの挨拶を終えると、ティムは早速本題に入った。

エレナが質の悪いストーカーに目を付けられた事。

連日の様に事務所や彼女が暮らしている高級マンションに悪戯電話が掛かって来る事。

そして、ライブ後、彼女にナイフを持ったストーカーが襲い掛かって来た事等。

 

「あの時は、幸い、彼女に怪我は無かったんですけどね。 寸での所で警備員達が、そのストーカーを取り押さえようとしましたが、結局、逃げられてしまいました。 」

 

ステージの上に居る彼女を襲おうとしたその族は、数十名の警備員に邪魔され逃げて行ったのだそうだ。

何かの体術を心得ているのか、屈強な警備員達が全く歯が立たなかったのだという。

 

 

「その時、ストーカーの顔は見たのかい? 」

 

モリソンの質問に、ティムは力なく首を振る。

 

「マスクとサングラスをしていたので、分かりませんでした。 それに、一瞬の出来事でしたからね。 その事件後、腕の良いライフガードを何人か雇ったのですが・・・・。」

 

全員、そのストーカーに返り討ちにされてしまったのだという。

 

「そりゃ・・・只者じゃねぇなぁ・・・・。」

「はい、とても人間の仕業とは思えない殺され方をしていたそうです。 」

 

モリソンの言葉に、ティムが頷く。

雇ったライフガード達は、全身の骨を内側から砕かれ、おまけに内蔵を丸ごと抉り出されていたそうだ。

 

「悪魔の仕業だな? そいつは・・・・。 」

 

質の良い革張りのソファーに踏ん反り返ったダンテが、口元に皮肉な笑みを浮かべる。

只のトラブルシュータ―紛いの仕事だと思われていたが、どっこいとんでもない内容であった。

掘り出し物のお宝を見つけた様な気分だ。

 

一方、隣に座るモリソンの顔色は、青を通り越して土気色になっていた。

拙い・・・・ライドウにバレたら確実にCSIに通報される。

 

「そんなにビビるなよ?モリソン。 あの爺さんに黙ってりゃ、絶対バレねえって。 」

「・・・・・お前なぁ・・・・。 」

 

他人事だと思って何と呑気な。

一応、裏社会で闇の情報屋(ブローカー)という仕事をしている以上、17代目・葛葉ライドウこと人修羅の噂は良く知っている。

 

血も涙もない殺人鬼。

人修羅が通った後は、ぺんぺん草すらも生えない。

 

そんな、嘘か誠か判らない逸話が独り歩きしている。

しかし、ライドウの実力は本物だ。

実際、この目で見た訳ではないが、鋭い洞察力でここ最近、起こった事件を見事解決している。

そして、何よりもこの隣にいる偏屈男が、憧憬にも近い感情をあの悪魔使いに抱いている事だった。

 

 

こうして、エレナ・ヒューストンの護衛依頼を請け負う事になった。

因みに本人は、新しい作詞&作曲制作の為、此処暫く自宅に引き籠っているらしい。

まぁ、それは建前で、異常極まるストーカー事件に内心参っているのが本音だろう。

 

エレナが住んでいる場所は、マンハッタンの中で高級住宅街として有名な、アッパー・イーストサイドにあった。

セントラルパークとイースト川に挟まれたこのエリアは、確かに裕福層が住むにふさわしい場所だ。

ダンテ達が住む、下級層で犇(ひし)めく、レッドグレイブ市とは大違いである。

 

 

 

「貴方達が新しいボディーガード? 」

 

自宅の高級マンションに訪れたダンテ達を、如何にも不機嫌そうなエレナが迎えた。

見事なブロンドの髪とモデル並みに均整の取れたプロポーションを持つ、中々の美人だ。

しかし、音楽雑誌で見る彼女と違い、実物は大分疲れた表情をしている。

微かに、煙草とアルコールの匂いがした。

 

「彼等は、その道でもかなり名が通ったプロのトラブルシュータ―だ。きっとストーカーを捕まえてくれるよ。」

 

リビングとダイニングルームが続いている構造の室内。

高級なソファーに座ったマネージャーのティムが、ダンテと、その仲介屋であるモリソンを紹介する。

 

「・・・・・無理よ・・・そう言って何人の人間がアレに殺されたか知ってるの? 」

 

冷たいアイスブルーの瞳が、銀髪の青年と初老の仲介屋を見つめる。

かなり疑心暗鬼になっているらしい。

まぁ、ライフガード達があんな死に方をしたら、当たり前ではあるが。

 

「アレは、人間じゃない・・・・化け物よ。知り合いの警察官にも、その事で散々話をしたけど、まともに取り合ってもくれなかった。」

 

エレナは、苛々とした様子でテーブルの上に置かれているメンソールの煙草を手に取ると口に咥えてライターで火を点ける。

 

「落ち着いてくれ、エレナ。 実を言うとこの方達は、怪物退治もしているんだ。今までのボディーガードとは違うんだよ。」

 

いきなりとんでもない事を平然と言うティムに、モリソンが驚いて目を見開いた。

一方、その隣に座るダンテは、ある一点を見つめている。

リビングに飾られているエレナが今迄、出したレコード。

その中に、一枚、彼女のモノとは明らかに違うジャケットを見つけたからだ。

 

「私が、ボイスロイドのファンなのがそんなに不思議? 」

 

ダンテの視線の先を見たエレナが、皮肉な笑みを口元に浮かべる。

徐(おもむろ)に立ち上がり、レコードが飾られている戸棚の所に向かった。

 

「・・・・私も、最初はAI TAIKを馬鹿にしてた。 人の作った声なんてたかが知れてる。 プロのミュージシャンの足元にすらも及ばないってね・・・でも、彼女は違った。 」

 

そのジャケットは、日本のクリエーターが造り出した人造の歌姫、『ネミッサ』だった。

 

この時代、プログラム技術が更に進化し、人と同じ様な抑揚で喋ったり唄う事が出来るAI TAIKに人気があった。

人では不可能な音階で歌わせ、それをネットで販売する音楽会社まである。

ネミッサは、そう言ったクリエーター達によって生み出されたウェブアーティストだった。

 

「今から十年前よ・・・彼女の唄を始めて聴いたのは・・・。 あの当時は、バイトをする傍ら、夢を追って路上ライブに明け暮れてた。 」

 

元々、エレナは下級層が集まるスラム街出身の人間だった。

音楽業界を飾るアーティスト達に憧れ、コーヒーショップ等でアルバイトをして生計を立てながら、路上でライブを行っていた。

次第に彼女の優れた歌唱力は、人々の知るところまでになったが、メジャーデビューする事は叶わなかった。

何ら後ろ盾も無い彼等は、レコード一枚出すのも難しかったからである。

 

「小さなショウパブを回ったり・・・路上での店頭販売・・・正直、私にとっては地獄だったわ・・・でも、そんな時に彼女の唄声を聴いたの。 」

 

気晴らしに視聴した動画サイト。

そこに映っていたのは、銀の長い髪を持つ、一人の美しい少女だった。

 

「ネミッサの唄を聴いた瞬間、震えが走った。 そして、絶望した・・・私では絶対無理、彼女の様には唄えない・・・あんな、人の心を魅了する唄声なんて出せない。 」

 

ジャケットに描かれているネミッサのイラスト。

それを指で辿りながら、エレナは当時の事を思い出す。

絶望と言葉では現わしているが、本心を言えば、彼女は、ネミッサに心奪われていた。

彼女が持つ、唄の力。

それは、とても人の手で造り出された存在だとは思えないシロモノであったのだ。

 

「彼女は、変わらない・・・・歳をとって力が衰えていく私と違って、彼女は永遠に美しいまま・・・人の記憶の中と同じ姿で存在するの・・・憎らしいとは思わない? 」

 

そう言って、ダンテの方を振り返る。

先程の怯えた様子は完全に成りを潜め、今は何処か自暴自棄な様相を呈していた。

 

「ねぇ? 貴方、怪物専門の退治屋なんでしょ? だったらこの女を殺してくれないかしら? 」

 

ネミッサのレコードを銀髪の青年の前に置く。

肌が露出した際どい衣装を着る歌姫。

何処となく哀し気に見えるのは、気のせいだろうか。

 

「俺が殺せるのは、この世にいる怪物だけだ。 残念ながら、存在しない奴を殺す事は出来ねぇよ。 」

 

エレナの申し出を、大分不機嫌そうに突っ撥ねるダンテ。

その途端、狂った様に、金髪の女は笑い始めた。

 

「フフッ、そうよね? 私ったら本当、馬鹿みたい・・・。」

 

一頻り笑い続けた彼女は、急に大人しくなる。

確かにダンテの言う通りだ。

電子の世界でのみ存在する彼女を殺せるのは、唯一、生み出した創造主だけ。

HEC社・・・Human electronics Companyの科学技術部門だけが、ネミッサを永遠に消し去る事が出来るのだ。

しかし、それは永久に有り得ない。

何故なら、ネミッサは、日本という国が代表するアーティストなのだ。

外交にすら利用される彼女を、消し去る理由が全く無い。

 

 

 

エレナから、ストーカーの情報を貰ったダンテ達は、マネージャーのティムが用意したホテルに泊まる事になった。

 

「明日は、ミッドタウンにあるラジオ局にパーソナリティーとして出演予定、その後は、テレビ局のミュージック番組、プロデューサーとの打ち合わせ兼夕食会に・・・・高級ジャズクラブでギターのソロ演奏と・・・。」

 

中々盛沢山な仕事内容だ。

これを丸々一週間、休む暇なく繰り返しているのだから、ミュージシャンも結構ハードである。

 

モリソンは、革張りのソファーに座り、煙草をくゆらせながら、分厚いメモ帳を片手に、ティムから聞いたエレナのスケジュールを反芻する。

一方、ダンテは、ホテルの窓から一望できるマンハッタンの街を無言で眺めていた。

宝石の様に煌びやかな摩天楼。

泥臭い生き方をしてきた自分とは、まるで真逆な世界である。

 

その時、ダンテのポケットに入っているスマートフォンが鳴った。

今時、携帯一つ持たないなんて恥ずかしい。

仕事柄必要不可欠だろうと、ライドウが態々、彼の為に買って無理矢理持たせたのだ。

通知相手は、案の定、悪魔使いからだった。

 

『よぉ、仕事頑張ってるか? 』

 

電話に出ると、悪魔使いの妙にテンションが高い声が聞こえた。

 

「なんだよ? 一人寝が寂しくなったか? 爺さん。 」

『ばーか、お前がちゃんと仕事してるか心配になったから電話掛けたんだよ。 』

 

ライドウ曰く、現在、アイザックの同僚、サミュエルの三男坊が3歳の誕生日を迎えたのだそうだ。

その為、一時、店を貸し切りにして、盛大なバースデーパーティーを開いているのだという。

電話の向こうでは、酒に酔った従業員達の馬鹿騒ぎが聞こえた。

 

 

 

『俺が汗水垂らして働いてるってのに、良い気なもんだな?糞爺。 』

「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ?糞坊主。 」

 

受話器を肩に挟んだ状態で、右腕だけで、器用にオレンジのチーズケーキを切り分ける。

今日が、サミュエルの子供の誕生日だと前もって聞いていたライドウが、態々、作って持って来たものだった。

 

「ちゃんと、モリソンに迷惑掛けないで仕事してるかぁ? お前の事だから気に入らねぇって理由だけで、平気で投げ出すんじゃないかとヒヤヒヤするぜ。 」

 

均等分に切ったケーキを皿に盛り付け、傍らにいるパティに渡す。

甘いケーキの香りにニコニコする金髪の少女。

ケーキの乗った皿を何枚か盆に入れると、子供達がいるテーブルへと運んでいく。

 

『アンタこそ、この前みたいな変な野郎に絡まれない様気を付けるんだな。 』

 

恐らく、四神の一人、玄武の事を言っているのだろう。

あの一件後、おかっぱ頭の優男は全く姿を見せる事は無かった。

恐らく何処かで、自分の事を監視しているのだろう。

 

 

『エレナ・ヒューストンは、世界的に有名なロックシンガーだ。 上手く立ち回れば、お前の評判も上がってまた待遇の良い仕事が舞い込んで来るかもしれない。 そうなりゃ、借金で頭を悩ませる事も減るだろう。』

 

心配性なライドウの言葉に、ダンテがあからさまに舌打ちする。

ローエル家の事件で一時的に上がった株を、叩き潰したダンテを皮肉っているのだ。

確かに、エレナ・ヒューストン程有名な芸能人のライフガードを務めれば、その手の業界から名が知れ渡り、高額な仕事が事務所に入って来るかもしれない。

しかし、便利屋事務所の主であるダンテ自身が、売名に全く興味が無いのだから仕方が無いのだ。

気が乗らない仕事は決して受けない。

母親・・・エヴァの敵討ちをする為に、悪魔狩人をしている。

便利屋になったのも、己の心身を鍛え上げる為だ。

 

「爺さんは、余計な事を考えなくて良い。 今は誕生日パーティーとやらを楽しんどけよ。 」

 

何か言い掛けたライドウを無視して、通話を切る。

好い加減、小言を聞かされるのはうんざりだ。

ライドウの言い分も分かるが、自分の選んだ人生なのだ。

人にとやかく言われる筋合いではない。

 

「その顔を見ると、ライドウからだな? 大方、ちゃんと仕事をしているかの確認電話だろ? 」

「全く、俺は爺さんの息子じゃねぇっての。 アレは駄目、これも駄目、人間として普通に生きろ・・・お節介にも程があるぜ。 」

 

確かに一回り以上も歳が違うライドウにとって、ダンテは出来の悪い息子みたいな存在なのだろう。

悪魔絡みの仕事から、ダンテを遠ざけたいのも彼なりの配慮だ。

その事は、馴染みの情報屋として、常に拘わっているモリソンが一番良く判っている。

 

「お前さんだけじゃないと思うぞ? あの綺麗な魔法使いは、自分に拘わる人間達が気になるんだろう・・・パティやライカン達が良い例だ。 」

 

稀人としての能力故、悪魔に絶えず狙われるパティを護る為、マベルを護衛に付けたり、若年のホームレス達から嫌がらせを受けるライカン達の悩みを解決したのは、決してお節介からくる感情だけではない。

ライドウ自身が生来持つ、損得勘定が全く無いお人好しな性格故だ。

 

 

 

翌日、ダンテ達はエレナの護衛を開始した。

日中は、何事も無くスケジュール通りに仕事は進んだ。

しかし、最後のジャズクラブでのギター演奏で事件は起こったのである。

滞りなく、ソロでの演奏が終了し、控室へと戻ったエレナ。

着替える為、控室前の廊下で待機していたダンテ達の耳に、彼女の悲鳴が聞こえた。

急いで中に入ると、エレナと対峙する形で、濃いサングラスと白いマスクを付けたストーカーが立っている。

手には注射器らしい器具を握り締めていた。

 

「エレナ!! 」

 

マネージャーのティムが、エレナを護る為に、彼女の傍へと駆けていく。

ダンテは、双子の巨銃の片割れ、”アイボリー”をホルスターから引き抜くと、正体不明のストーカーに狙いを定めた。

 

舌打ちし、ストーカーは、控室の窓を破って外に躍り出る。

此処は5階建てのビルだ。

当然、落ちれば唯では済まない。

しかし、ストーカーは、空中で右手首に仕込まれたアンカーを使い、フックを射出する。

フックは、ビルの外壁に突き刺さり、ワイヤーを巧みに操作して、ストーカーは路上へと降り立った。

 

「ちっ!逃がすかよ!! 」

 

何も考えていないのか、割れた窓から飛び降りるダンテ。

 

「お、おい!!此処は5階だぞ!? 」

 

何の躊躇いも見せず飛び降りるダンテに、モリソンが驚いて声を上げる。

しかし、悪魔の驚異的な膂力を持つ銀髪の青年にとって、それは杞憂であった。

空中で華麗に身を翻すと、そのまま地面へと着地する。

常人では有り得ない芸当だ。

 

「全く、アイツは・・・・・。 」

 

何事も無くストーカーを追い掛けるダンテに、初老の仲介屋は呆れた溜息を零した。

 

 

 

ブルックリンブリッジパーク。

ブルックリンブリッジの近くにあるこの水辺の公演は、マンハッタンの絶景を一望する事が出来る。

その公園内で、ダンテはストーカーを捕まえる事が出来た。

 

「もう逃げられないぜ? いい加減諦めろ。 」

 

人影が最も少ない深夜帯。

漆黒の巨銃が、背を向けるストーカーに狙いを定める。

どうやら観念したらしい族は、ダンテに振り返ると目深に被ったフードと濃いサングラスを外す。

見事なプラチナブロンド。

整った美しい容姿に、ダンテと同じアイスブルーの瞳。

 

ストーカーの正体は、マレット島で出会ったイギリスの女諜報員、トリッシュだった。

 

「てめぇ・・・確か、あの時の・・・・・。 」

「可愛い魔法使いの坊やは元気にしているかしら? 便利屋のお兄さん。 」

 

悪戯っぽく微笑む女に、ダンテが鋭い視線を向ける。

 

魔帝・ムンドゥスとの激戦で、瀕死の重傷を負ったライドウに応急処置を施したのが、この女だった。

そして、魔導専門の医者を紹介し、何時の間にか姿を消していたのである。

後で、ケルベロスに聞いた話だと、ライドウ達『クズノハ』に、マレット島調査を依頼したのがこの女だった。

そのトリッシュが何故、此処に?

 

「何の目的で、エレナを襲った? 返答によっちゃぁ、只じゃおかねぇぞ。」

「そういう貴方こそ、私の仕事の邪魔をしないでくれないかしら? 」

「仕事だと? 」

 

ダンテの鋭い視線。

そんな便利屋に対し、ブロンドの女諜報員は、不敵な笑みを浮かべる。

 

「この一件は、貴方みたいな素人が出る幕じゃないって事よ。 痛い目に会いたく無かったら、大人しくお家に帰りなさい。 」

「はっ、舐められたもんだぜ。 」

 

銃口の照準を、女の眉間にピタリと合わせる。

いくら母親のエヴァに瓜二つな容姿をしているとはいえ、中身はまるで別人だ。

マザコンの気質がある双子の兄、バージルなら躊躇うだろうが、自分は違う。

女の出方次第では、容赦なく手足を撃ち抜くつもりだ。

 

「良いから言う事を聞いてくれないかしら?坊や。 早くしないと手遅れになってしまうわ。 」

「だから一体どういう事なんだって! 」

 

そう言い掛けたダンテは、背筋を走り抜ける殺気を感じた。

見ると、何時の間に発生したのか、無数の紅い法陣が、トリッシュとダンテを取り囲む様にして展開している。

 

「ちっ、どうやらあの蛇女に気づかれたみたいね。 」

「蛇女? 」

 

次々と真紅の魔法陣から実体化する悪魔達の群れを見て、舌打ちしたトリッシュの言葉に胡乱気に応える。

そんなダンテを尻目に大きく跳躍する女諜報員。

身体強化の魔法を使用したのか、公園内にある電灯に飛び移ると、悪魔の集団に取り囲まれる便利屋を見下ろした。

 

「悪いわね?ソイツ等の相手任せるわ。 」

「おい!一体どういう事なのか説明しろ!! 」

 

背負っている大剣『リベリオン』を引き抜き、遥か頭上にいる女諜報員を睨みつける。

しかし、トリッシュはそれには応えず、投げキッスを送ると、移動魔法を使って何処かへと跳んで行ってしまった。

 

 

 

 

グリニッジビレッジのナイトクラブ。

ストーカーに襲撃されたエレナを一旦、別室で休ませ、ティムは警察に連絡するべく店のオーナーの所へと向かった。

 

「すぐにニューヨーク市警が来てくれるそうです。 」

 

人が掃けた店内。

テーブル席で煙草をくゆらせているモリソンの所に、警察に連絡をしたマネージャーのティムが現れた。

 

「エレナを一人にして大丈夫なのかい? 」

「・・・・・大分、パニックを起こしているのか、一人になりたいと言って聞かないんですよ。 」

 

心底困った様子で眉根を寄せたティムが、エレナが休んでいる控室の方向を見つめた。

あの後、警察の所に行って保護して貰おうとエレナに言ったが、どういう訳なのか彼女は、頑としてそれを聞き入れず、触るな、一人にしろっ、とヒステリックに叫んでいた。

こうなると全く手が付けられない事を知っているティムは、仕方なく店のオーナーに頼んで、別室で寝かせる事にしたのだ。

 

 

 

エレナがいる控室。

高価な革張りのソファーに、エレナはうつ伏せて寝ていた。

何処か調子でも悪いのか、蹲り、苦痛の呻き声を洩らしている。

 

「ああ・・・・お腹が空いた・・・・お腹が空いて死にそう・・・薬・・・薬が欲しい・・・。 」

 

喉の渇きを癒す為に、何度も生唾を呑み込む。

激しい程の飢餓感。

普通の食事何て駄目だ。

血の滴る生の肉・・・・人間の内臓の柔らかい肉が食べたい。

 

「フフッ、大分辛そうね? エレナ。 」

 

頭上から掛けられる女の声に、エレナは慌てて顔を上げる。

ぼやける焦点。

そこに見知った女の姿を認めて、慌ててうつ伏せていたソファーから転げ落ちるかのように降りた。

 

「薬!お願い!薬を頂戴!!! 」

 

漆黒のスーツを纏う女の足元に縋りつく。

今、エレナの頭の中は、身を焼くほどの飢餓感と恐怖感で溢れていた。

 

お腹が空いた・・・・薬、薬を呑まないと怪物になってしまう。

 

そんなエレナの様子をまるで楽しんでいるかの様に、眺めているスーツの女。

蛇を思わせる縦の瞳孔が、残忍な光を放つ。

 

「薬? もしかしてコレの事かしら? 」

 

女は、胸元から小さなビニール袋に入った薬を取り出す。

足元に居るエレナにちらつかせると、まるで餌を欲しがる犬の様に、3錠程入った薬のビニール袋へと飛びつこうとした。

 

「駄目駄目、只では上げられないわ。 」

「お金?お金ならいくらでも上げるわ!だから、薬を頂戴!! 」

 

薬欲しさに必死に懇願するロッククィーンを、まるで嘲るかの如く、冷酷な微笑を浮かべる黒髪の女。

髪の色と同じ黒いマニュキュアが施された右掌で、エレナの顔を鷲掴む。

 

「お金何ていらない・・・・私が欲しいのは、貴方が今迄搔き集めてくれた人の心よ。 」

 

怪しい光を放つ右掌。

途端に、エレナが口から泡を吹いて激しく痙攣する。

エレナから吸い上げられる赤い光の束。

それは、黒髪の女の掌で丸い球体となる。

 

「ふん、こんな程度しか集まらないなんて・・・・世界的ミュージシャンだと聞いたけど、大した事は無いのね。 」

 

ポケットから小瓶を取り出すと、球体をその中に入れる。

液状に変わる、人の心の結晶体・・・・マグネタイト。

軽く振ると、真紅の液体は、ちゃぽんと音をさせた。

 

「次はカーネギーホールで、コンサートなんでしょ? この倍はマグネタイトが集まる様に期待してるわ。 」

 

紅い液体が入った小瓶をポケットに仕舞うと、女はエレナの目の前に薬が入ったビニール袋を落す。

涎と涙で酷い様相となったエレナ。

必死でビニール袋を握り締めると、乱暴に破って中の錠剤を取り出す。

貪る様に薬を呑み込むと、途端に恍惚の表情へと変わった。

 

「ああ・・・・・お腹が空いたぁ・・・・・・。 」

 

みるみるうちに変貌していくロッククィーンの肉体。

手足が異様に長くなり、指が鋭い鉤爪へと変わる。

口が耳元まで裂け、淡いグリーンの瞳は、血に飢えた赤色へと変色した。

 

「全く・・・・”クリフォトの根”から抽出した樹液で、人間を悪魔に変える薬を開発したのは良いけれど、この食人欲求には困りモノね。アグナスって言ったかしら・・・彼に報告して、改良して貰う必要があるわね。 」

 

完全に悪魔へと変貌したエレナは、己の食欲を満たす為に、室内の窓を突き破って、表の繁華街へと躍り出る。

それを無言で見送る女。

一つ溜息を零すと、闇の中へと消えて行った。

 

 

 

 

ニューヨーク、ハーレム地区125丁目。

そこに、フォレスト一家がオーナーの会員制のプールバーがある。

時刻は既に深夜帯。

普通の子供なら、既に就寝して夢の世界に居る筈だが、パティ・ローエルだけは、しっかりと起きていた。

 

 

「ライドウ、寝ちゃってる。 」

 

ソファーの上で大きな鼾をかき、だらしなく腹を出して眠る片腕、片目の美少年。

これでは、100年の恋もあっという間に冷めてしまう。

 

「仕方ないよ・・・アイザックの店の手伝いとか、嫌がらせしてたホームレス達の為に職を斡旋してあげたりとか、色々忙しかったみたいだからね。 」

 

苦笑を浮かべた紅茶色の髪をした女性、シンディが、大きく口を開けて熟睡しているライドウに毛布を掛けてやる。

 

ライドウは、KKK団(クー・クラックス・クラン)の幹部の一人であるディンゴに掛け合い、フォレスト一家が所有する店舗に嫌がらせをしていたホームレス達の職を紹介してくれる様に頭を下げたのだ。

彼等は、マーコフ一家の口車にまんまと乗せられ、業務妨害をしていただけである。

職を失い、明日をも知れぬ彼等を救済すれば、この騒動も落ち着くと考えたからであった。

ディンゴもライドウの申し出を快く受け取り、フォレスト一家が経営するバーやホテル、土木建築等に、彼等の仕事を紹介する様、手を回してくれた。

お陰で、店に嫌がらせをしていた若年層のホームレス達の数は、みるみるうちに減ったのである。

 

 

「赤の他人の為に此処までする奴って、中々居ないよね? 」

 

ライドウの寝顔を眺めながら、シンディは、ぽつりと呟く。

パティも子供ながらに、彼女の言いたい事は、何となく判った。

 

孤児である自分や亜人種のライカン、そして貧困故に道を踏み外した若者達にも救済の手を差し伸ばすライドウ。

見返りなど一切求めず、人の為に一生懸命働く彼の姿に、周りの人々も何とかしたいと同じ様に動く。

日々の辛い生活で、忘れかけていた人間が本来持つ優しさを、この悪魔使いは思い出させてくれるのだ。

 

「アイザックが言ってたよ、”この人は親父さんの生まれ変わりだ”ってね。 」

「親父さん? 」

「この店のオーナーよ・・・・ハーレム地区でも有数な資産家なんだって。 」

 

ジョナサン・ベッドフォード・フォレスト。

KKK団の創始者の一人であり、ホテル王として、ハーレム地区で有名な実業家でもある。

数週間前に、不慮の事故により死亡。

その後は、長女であるテレサが家長代理として、父親の事業を引き継いだ。

 

「物凄く良い人だったみたい・・・アイザック達、ライカンを偏見で見ないどころか、仕事と住む場所まで用意してくれたみたいよ。 まさに現代版のキング牧師ね。 」

「ふうん、そうなんだ・・・。 」

 

シンディもパティも純粋な人間である為、彼等、亜人種であるライカンの苦しみは判らない。

きっと、想像も出来ない苦しみを体験してきたのであろう。

そんな彼等を救済したのが、KKK団(クー・クラックス・クラン)の創始者である一族の一人、ジョナサンであったのだ。

まさに、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として有名だった、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師を彷彿とさせる人物である。

 

 

「・・・・私・・・ライドウの事が大好き・・・・優しくって、強くって・・・どんな辛いことがあっても、何時もニコニコ笑ってる。 」

 

鼾をかいて熟睡している悪魔使いの寝顔を眺めながら、パティは自分が抱えている想いを吐露する。

紅い髪を持った妖精を従える、人形の様に綺麗な顔をした片目、片腕の少年。

どんなに強い悪魔でも、難なく蹴散らし、自分のピンチに必ず駆け付けてくれるヒーロー。

 

「・・・・小さい時から孤児院に居たから、本当のお父さんやお母さん何て知らない。でも、ライドウと一緒に居ると、お父さんってこんな感じなのかなぁって、何時も思うの。 」

「・・・・・そうね、ちょっとお人好しで、危なっかしい所があるけど、こんな人がお父さんだったら素敵かもね。 」

 

そんなパティの言葉に、苦笑を浮かべて頷くシンディ。

ソファに寝ている片目片腕の少年と、それを眺めている金髪の少女と、紅茶色の髪をした女性。

窓辺に映る彼等を、建物の真向かいにあるテナントのビルの屋上から、一人の少女が見下ろしていた。

銀の長い髪に、新雪の如く白い肌。

蒼い双眸が、プールバーの控室の窓に映る暖かな光景を、眩しそうに見つめている。

 

「心配しなくても大丈夫よ・・・・彼は、貴女が傍にいるから絶対に壊れない。 」

 

銀色の髪を持つ少女の肩に座る小さな妖精。

哀し気な色を宿す、蒼い瞳の少女を見上げる。

 

「うん・・・・・でも、あの時みたいに無理してるのが分かる。スプーキーが死んだ時も同じ様な顔をしてた。 」

 

天海モノリスでの死闘。

彼等の大事な仲間の一人、スプーキーズのリーダー、桜井雅弘に憑依した『ファントムソサエティ』の幹部の一人、魔王・サタナエル。

望んだ戦いでは無かった。

本当なら、スプーキーを助けたかった。

しかし、それは叶わぬ願いとなった。

結果は、最悪な事態となって終わり、自分達は永遠に消えぬ傷を背負う事となった。

 

 

「ネミッサ・・・・・。 」

「歯がゆいよ・・・・マベル・・・・私は、彼に何もしてあげられない・・・。 」

 

そう・・・今の彼女は、実体を持たぬ電霊。

愛する男性(ひと)の命を救う為に、その力と躰を捧げたのである。

 

 

 

 

一夜明けて、エレナ・ヒューストンが所属するレコード会社の応接室。

眠れぬ夜を過ごしたダンテと、その仲介屋であるモリソンは、彼女のマネージャーであるティムに昨夜起こった出来事を報告していた。

 

 

「トリッシュ・・・ですか・・・申し訳ありません。そんな名前の女性は知りませんね。 」

 

ダンテからストーカーの正体を聞いたティムは、残念そうに首を振った。

全く一睡も出来ていない為か、顔色が悪く、目の辺りも心成しか落ち窪んでいる。

無理もない。

エレナは極度の興奮状態にあり、ストーカー襲撃後、ストレスの余り室内の硝子窓を自分の手で叩き割っている。

医者に診せて応急処置はして貰ったが、入院だけは頑なに拒んでいた。

 

「エレナはその・・・・大丈夫なのかい? 」

「正直、大丈夫とは言えません。 精神的に大分不安定になっていますし、本当なら何処か安全な所で療養させてやりたいのですが・・・・・。 」

 

絶対に、今週末に行われるカーネギーホールでのライブイベントを行う。

ティムがどんなに宥めすかしても、エレナは頑としていう事を聞かず、今週末に行われる大規模なライブイベントに参加すると言い張っているのだ。

 

疲れた様に重い溜息を吐くマネージャーに、モリソンは憐憫の情で眺めた。

 

 

一通り、報告を終えたダンテとモリソンは、一度用意されたホテルに戻る為、レコード会社の地下駐車場へと向かった。

 

「気に喰わねぇな。 」

 

レンタカーに乗り込むと、助手席に座ったダンテが吐き出すように呟いた。

 

「何が気に喰わないんだ。 」

 

車のエンジンをかけ、ハンドルを握るモリソンが訝し気に聞いた。

 

「ティムって野郎の態度だ。 ストーカーに襲われたばかりだというのに、平気で彼女を自宅のマンションに帰している。 おまけに病院に連れて行くどころか警察にも連絡してねぇ。 」

 

確かにダンテの言う通りである。

百歩譲って警察がエレナ達の訴えを虚偽と判断し、取り合わないのは分かるとして、窓ガラスを割って怪我をした彼女を病院に連れて行かないのはおかしい。

 

「あのマネージャーが嘘を吐いていると? 」

「分からねぇ・・・・只、あの女が一枚噛んでいるとしたら、大分厄介な事件である事は間違いないがな。 」

 

悪魔の群れに襲撃された時に、トリッシュが洩らした『蛇女』という言葉。

これは予想の範囲を遥かに超えるが、もしかしたら、エレナはその蛇女とやらと何かしら関係があるのかもしれない。

そして、恐らくあのマネージャーもその事を知っている。

 

 

まんじりともしない気分のまま、二人は滞在しているホテルに到着した。

モリソンは、ダンテを駐車場前で降ろすと、別件の仕事が入ったから、一旦自分の事務所があるレッドグレイブ市に戻ると伝えた。

 

両手をコートのポケットに突っ込んだダンテが、去って行く車の後ろ姿を眺める。

不図、自分の背後にある気配を感じた。

徐に振り返ると、そこに昨夜、予想外の再会を果たした女諜報員、トリッシュが数歩離れた場所で立っている。

昨日と違うのは、彼女の右腕に包帯が巻かれ、右頬に大きな絆創膏が貼られていた。

 

「まさかそっちから俺に会いに来るとはな? 」

 

濃いサングラスを掛けた金髪の美女に、皮肉な笑みを浮かべる。

そんな銀髪の大男に向かって、女は一つ溜息を吐いた。

 

「本音を言うと、貴方に頼りたくは無かったんだけどね。 あの女に目を付けられた以上、貴方に協力して貰うより他に方法がないのよ。 」

 

そう言って、トリッシュは、懐のポケットから何かの溶液に満たされた小瓶を取り出す。

 

「貴方にお願いがあるの。 この薬を彼女・・・・エレナ・ヒューストンに飲ませて欲しいのよ。 」

 

ダンテに向かって、その小さな小瓶を投げ渡す。

自然とソレを受け取るダンテ。

掌に収まるぐらいに小さい瓶には、蒼い液体が入っていた。

 

「一体、何の薬だ・・・・? 」

「中和剤よ・・・・・悪魔になってしまった人間を元に戻すね・・・・。 」

「何だと? 」

 

トリッシュが事の経緯を簡単に説明する。

彼女曰く、エレナは『蛇女』に働き蜂として目を付けられた事。

”ゼブラ”と呼ばれる人間を悪魔に変えてしまう『魔薬』の被検体にされた事。

そして、マネージャーのティムがその事を知りつつも、何もしない事を告げた。

 

「成程な、だからお前はコイツを彼女に飲ませようと襲った訳か。 」

 

これである程度の事件のあらましは理解出来た。

しかし、『蛇女』の正体と『働き蜂』の役割が分からない。

 

「詳しい説明は後、 それより一刻も早く中和剤を打たないと・・・・。」

「人の大事な仕事を邪魔するなんて悪い子ね? マリー。」

 

そう言い掛けたトリッシュの言葉を車の物陰から現れた人物が遮った。

漆黒のスーツに身を包んだ、蝋細工の如く白い肌をした黒髪の女。

蛇の如く鋭い金の双眸が、ダンテとその傍らに居るトリッシュを眺める。

 

「百合子・・・・・。 」

「ナオミの一番弟子だったから、色々と大目に見てあげたけど、流石にお仕置きが必要らしいわね。 」

 

百合子と呼ばれた黒髪の女は、視線をトリッシュからダンテに移す。

殺意に濡れた金の瞳。

ダンテの背を言い知れぬ怖気が走った。

 

この女・・・普通の人間じゃない。

 

「そういう貴女こそ一体何を考えているの? あの薬はまだ実験段階で、実用するには危険過ぎるのよ。 」

 

トリッシュは、腰に吊るしてあるホルスターからグロック26のグリップに手を伸ばす。

女性でも扱いやすく、165mmというコンパクトなボディをしている。

しかし、小型ながらも鋭いリコイルで命中精度もそれ程悪くはない。

この距離ならば、確実に女の眉間を撃ち抜ける。

 

「だからこうして実験してるんじゃない? 食人欲を抑えれば、そこそこ使い物になるわよ。 」

 

冷酷な笑みを口元に浮かべた百合子は、パチンと指を鳴らした。

瞬く間に、ダンテとトリッシュの二人を取り囲むかの様にして出現する無数の法陣。

ブルックリンブリッジパークで、現れた魔法陣と酷似している。

 

「お喋りはもうお終い、私は次の狩場に移動するわ。 」

 

蜘蛛の躰に女の顔をした怪物・・・・アルケニーを数体召喚した百合子は、ダンテに鋭い視線を向けたまま、闇の中へと溶け込み消えた。

後に残されるダンテとトリッシュ、そして数十体にも及ぶ化け物蜘蛛の群れ。

退路は完全に断たれ、戦うより他に術は残されていなかった。

 

 

 

ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウン。

そこに世界でも有名な巨大コンサート会場、カーネギーホールがあった。

1891年に建設されたこの建物は、メイン・ホール、室内楽ホール、リサイタル・ホールの三つの部分から構成されている。

その室内楽ホールのすり鉢状のステージの上に、エレナ・ヒューストンの幼馴染みでありマネージャーのティムが立っていた。

 

「此処でライブを行うのは、一体何回目になるんだろうね? エレナ。 」

 

舞台の端、暗闇に閉ざされた場所に向かって、ティムは話し掛ける。

しかし、暗闇に立つ人物・・・・エレナは応えない。

終始無言のまま、ステージ中央に立つ男を眺めている。

 

「・・・・・昔の事を覚えているかい? あの時はとても大変だったね・・・・レコード一枚出すのに四苦八苦して・・・あちこち営業周りをして・・・・。」

 

何の後ろ盾すらもない自分達に、世間の風は冷たすぎた。

どんなに素晴らしい才能を秘めていても、音楽の世界は決して彼女を認め様とはしなかった。

しかも、現在は、人工知能ツールのAI TALKに絶大な人気があり、人間では表現不可能な音階を意図も容易く唄ってみせる。

最早、人が歌う魂の声など、過去の遺物として扱われていた。

 

「エレナ・・・・・僕は、君の夢が叶えられれば良いと、そればかり考えていた。 君の唄声は、人々を惹き付ける力がある。人が失ってしまった大事なモノを思い出させてくれる力がある・・・・そう、信じていたんだ。 」

 

かつて、多くのバンドが音楽世界を席巻していた。

AI talkなどという紛い物が現れる遥か以前の話である。

人間の魂の籠もった声は、日々の生活で摩耗する心を癒してくれた。

その癒しの声を、エレナが再び蘇らせてくれるとティムは考えたのである。

 

 

「・・・・・私は勝てない・・・・ネミッサには絶対敵わない・・・・彼女は、私なんかより遥か遠くの存在なの。 」

「エレナ・・・・・? 」

 

舞台端から現れる金の髪を持つ美しい女。

しかし、その瞳には魂の火が完全に消え、両手には痛々しく包帯が巻かれている。

 

「私が今迄してきた事は、彼女の唄をただ模倣するだけ。 一度だって自分だけの・・・オリジナルの唄なんて唄った事はないわ。 」

 

そう、10年前のあの日、夢に破れ、全てに自暴自棄になった彼女の耳に流れて来たラジオの歌番組。

その時に流れて来たネミッサの唄声が、彼女に現実を突きつけ、絶望の底へと叩き落したのである。

 

「そんな事は無い!エレナ!君には才能があるんだ!ネミッサなんて、人が造り出したプログラムじゃないか!熱い血が通った君のロックとあの人形は・・・・!!」

「もう止めて!貴方の慰めなんて沢山よ!!」

 

ティムの言葉をエレナは、乱暴に遮ると、己の両腕で震える肩を抱く。

自分に対する彼の愛情は、痛い程伝わって来る。

しかし、彼が過剰に自分に期待すれば期待する程、エレナを否応も無く追い詰めていく。

 

「喉が渇く・・・・ああ、喉が渇いて仕方がないの。 」

 

スーツのポケットから、ビニール袋に入った錠剤を取り出す。

それは、昨日、ライブハウスの控室で、百合子から渡された薬だった。

 

「・・・・エレナ・・・・まさか、その薬は・・・・・? 」

「お腹が空いて堪らない・・・・ティム、貴方の内臓を頂戴。 」

 

袋から錠剤を一粒取り出すと、それを舌の上に乗せる。

薬を胃の中に呑み込むのと、エレナの肉体に異変が起きた。

口から涎を垂らし、激しく痙攣を始める。

スーツを突き破り、異様な程長くなる手足。

口は耳元まで裂け、鋭い牙が血肉を求めて凶悪に伸びる。

 

「え・・・・エレナ・・・・。 」

 

恐怖で見開かれる双眸。

これが本当に人々を魅了する唄声を持つ、ロッククィーン、エレナ・ヒューストンなのだろうか?

蟷螂目を連想させる鎌の様な形状を持つ両腕、節足動物の様な鋭い鉤爪の付いた脚。

目の前の獲物に襲い掛からんと、前傾姿勢を取る。

 

 

 

「!!!!!? 」

 

 

その時、何処からともなく飛来したコーヒーの缶が、怪物と化したエレナの頭部に命中した。

二、三歩よろけるエレナ。

何事かと投げつけられた方向に顔を向ける。

扇型に広がる観客席。

舞台へと続く階段の上に一人の男が立っている。

日本の対悪魔組織、『クズノハ』に属する暗部、八咫烏。

その元締めである骸、直属の配下、四神の一人である玄武がそこにいた。

 

「あーあ、勿体ない。 まだ空けても無かったのに、思わず投げてもーた。」

 

玄武はわざとらしく肩を竦めると、ゆっくりとした歩調で舞台に近づく。

金色の髪を肩口で綺麗に切り揃え、右手には根元に『阿修羅』と刻まれた木刀を握っている。

 

「何者?? 」

 

怒りに染まる金色の瞳が、不埒な闖入者を睨みつける。

お腹が空いて堪らないのに、私の大事な食事を邪魔しないで。

 

「名乗る程のモンやない。只の通りすがりの観光客や。 」

 

口元に皮肉な笑みを浮かべた東洋人の男が、木刀の切っ先を悪魔と化したエレナに向ける。

舞台中央で対峙する金髪のおかっぱ頭の男と怪物となったロッククィーン。

 

「しっかし、けったいな事もあるもんやなぁ、人間を悪魔に変えちまう薬とはねぇ・・・800年以上生きて来たけど、こんなん初めて見たわ。 」

 

木刀の峰で自分の肩を軽く叩く。

蟷螂の如く鋭い鉤爪を持つ両腕、異様に伸びた脚。

そして耳元まで裂けた口と、悪魔特有の金色の瞳。

あの美しかった唄姫の面影は、微塵として残ってはいなかった。

 

 

「お腹が空いた・・・・ああ、もう我慢出来ないのよぉ! 」

 

滂沱と涎を流し、鬼女と化したエレナが玄武に飛び掛かる。

それを軽く躱す男。

鋭い一閃が、鬼女の右腕を綺麗に斬り落とす。

 

「ひぎゃぁああああああああ!! 」

 

舞台に転がる自分の腕を見た瞬間、エレナが悲鳴を上げた。

噴き出る鮮血が、ステージをどす黒く濡らして行く。

 

「エレナぁ!! 」

 

藻掻き苦しむ愛する女の姿に、ティムが顔色を真っ青に変える。

そして縋りつく様な視線を、舞台端へと移動した金髪のおかっぱ頭へと向けた。

 

「た、頼む!彼女は、あの女に操られているだけなんだ!薬の効果が切れれば、また人間に戻れ・・・・。 」

「もう、戻れんわドアホ。 この女はかなりの数の人間を喰っとる。 もうとっくに心も身体も悪魔なんや。 」

 

ティムの懇願を冷酷に切って捨てる玄武。

彼の鋭い嗅覚が、エレナの躰から漂う人間の生臭い血の臭いを嗅ぎ取っていた。

二人や三人だけでは済まない。

恐らく十数人にも及ぶ人間の臓物を喰らい続けていたに違いなかった。

 

 

「ワイ等がしてやれるのは、なるべく苦しまない様に一秒でも早く、楽にしてやる事だけや。 」

 

脚を開き、上体を僅かに前に倒して、木刀を脇の辺りまで下げる。

木刀の柄を右手で軽く触れ、数歩先に居る悪鬼と化したエレナを静かに見据えた。

 

「欲しい・・・・欲しい・・・・・。 」

 

右腕を斬り落とされ、苦痛で悶えるエレナ。

しかし、その痛みよりも身を焼く程の飢餓感が彼女の心を支配していた。

喰いたい、喰いたい・・・・・生きている人間の内臓の肉が喰いたい。

 

「貴方の内臓が欲しい!! 」

「表居合術3ヶ条・・・・抜討之剣(ぬきうちのけん)。」

 

狂気に満ちたエレナの絶叫と玄武の静かな呟きが、見事に重なる。

一条の閃光となって消える玄武。

次の瞬間、おかっぱ頭の男は、エレナの真後ろ、数歩離れた場所に先程と同じ姿勢で立っていた。

 

「え・・・・・エレナ・・・・? 」

 

人間の動体視力では、到底追いつけない早業。

木刀『阿修羅』の刺突によって、心臓を潰され、胸に大きな穴を穿たれたエレナがゆっくりと舞台の上で倒れる。

 

「何て・・・・・馬鹿な夢・・・・・。 」

 

悪魔の力が抜け、元の人間へと戻るエレナ。

最後にか細い声で、それだけ呟くと、絶望に満ちた表情のままこと切れた。

 

 

 

 

ホテル地下駐車場での一戦後。

妖獣・アルケニーの群れを排除したダンテ達は、自宅にエレナが居ない事を確認した。

急いで彼女が所属する音楽事務所に問い合わせると、マネージャーのティムと共に今週末で行われるコンサート会場に向かった事を知らされた。

休む間もなく、マンハッタン区ミッドダウンにあるカーネギーホールへと向かう。

室内楽ホールへと脚を踏み入れると、ステージの上で人の形をした塩の塊で力無く項垂れるマネージャーのティムを見つけた。

 

「てめぇは確か・・・・・・!? 」

 

舞台端に立つおかっぱ頭の男を見つけたダンテの視線が鋭く変わる。

右手に持つ木刀で軽く自分の肩を叩いていた男・・・玄武が、室内の入り口に立つダンテとトリッシュの方を振り向く。

途端、唇の端が三日月の様な弧を描いた。

 

「何や? 17代目のペットやないかい。 ご主人様はどないしたんや? 」

「・・・・・っ! 」

 

咄嗟に、双子の巨銃の片割れ、”アイボリー”をホルスターから抜き、玄武の眉間に狙いを定める。

しかし、そんな銀髪の魔狩人を女諜報員、トリッシュが止めた。

 

「この男に銃何て無意味よ・・・逆に殺されてしまう。 」

「・・・・奴が何者か知ってんのか? 」

「ええ・・・ライドウと同じ組織・・・”クズノハ”の一人よ。 」

 

トリッシュは、それだけ説明すると状況が全く理解出来ないダンテをその場に置いて、玄武達がいるステージへと向かった。

 

「それ・・・・もしかして、エレナ・ヒューストン? 」

 

アイスブルーの瞳が、塩の塊へと向けられる。

上質な白いスーツと人の形をした塩の山。

事態から鑑みて、エレナである事はまず間違い無いだろう。

 

「せや、ワイも一応”クズノハ”の人間やからな? 掟に従って人間(ヒト)に害成す悪魔を討伐しただけや。 」

 

いくら観光目的で訪れた異国の地とはいえ、人間に仇名す悪魔を放置する訳にもいかない。

戒律に従い、悪魔を殺した・・・・ただそれだけだ。

 

「・・・・・っ。 」

 

ニタリと笑う男に言い知れぬ怖気が走る。

彼女は”ゼブラ”という魔薬で悪魔となった哀れな犠牲者だ。

中和剤を投与すれば、元の人間に戻せたかもしれない。

しかし、それを説明したところで、エレナが死んでしまった以上、最早無意味である。

 

 

「・・・・・全部、僕のせいだ・・・・・僕があの女をエレナに紹介しなければ・・・彼女は怪物になる事も、死ぬ事も無かった。 」

 

生気が全く無い硝子玉の瞳で、かつてエレナだった塩の塊を見つめながら、ティムはぽつりぽつりと事のあらましを説明し始めた。

 

いくら才能があっても、何のコネも無い彼等にとって世間は余りにも残酷だった。

各音楽事務所は、決して彼女の唄声を認め様とはしてくれなかった。

音楽業界は、人間の肉の声ではなく、機械が造り出すAIの唄声だけに魅了されていたのである。

人間では、到底表現不可能な音階を意図も容易く唄ってみせる彼等、ボイスロイド。

ネットでは、彼等の唄声が支配し、人間が唄う生の声は、時代遅れの遺物として扱われていた。

エレナの唄声は、数世紀も遅れた過去の存在。

そんなモノに、時代の最先端を行く彼等が見向きもしないのは当然である。

 

現実に打ちのめされ、絶望の淵を漂う彼等の前に現れたのが、『百合子』と名乗る黒髪の美女であった。

芸能プロデューサーという肩書を持つその女は、エレナに類稀な才能があると持ち上げ、是非、自分に彼女を担当させて欲しいと言って来た。

当初は、半信半疑だったティムであったが、藁にも縋りたい状況であった為、何の躊躇いも無く了承した。

それが、間違いの始まりであったのである。

 

どんな魔法を使ったのか知らないが、メジャーデビューを果たしたエレナは、瞬く間にロッククィーンとして音楽の世界にその名を轟かせた。

彼女が出すCDは飛ぶ様に売れ、テレビ局やマスコミ各社は、こぞって彼女を取り上げた。

人が忘れ去ったロックを見事、復活させた現代の唄姫。

人々は、そう称賛し、彼女を文字通り女王として崇めた。

しかし、その時からエレナに異変が起こり始めていた。

 

 

「彼女から、僕が住んでいるアパートメントに電話がありました。 電話口の彼女は、酷く動揺していて・・・取り返しのつかない事をしてしまった。助けて欲しいと・・・僕は、急いで彼女が住んでいるマンションに向かったんです。 」

 

そして、そこで彼女の付き人である、女性の変わり果てた姿を見つけた。

内臓を引きずり出され、絶望に歪んで死んでいる年若い女性。

その前で、血で染まった両手で顔を覆い、蹲るエレナ。

 

「私は再三貴方に忠告したわ。 百合子という女から手を引けってね。 でも貴方は決して聞き入れてはくれなかった。 それどころか、エレナが魔薬に手を出しているのを知りつつ、見ない振りを続けた。 」

 

魔薬”ゼブラ”の力を借りて、人々を魅了させる唄声を造り出す彼女をティムは、薄々、勘づいていた。

一番、エレナを止める事が出来る立場にあるティムに、トリッシュは近づき、何度も魔薬に手を出すのを止めさせる様に忠告した。

しかし、ティムは、トリッシュの忠告を無視し、エレナの好きな様にさせた。

 

「じゃぁ、ストーカーってのも・・・・。 」

「出鱈目よ。 エレナが悪魔化して、襲った人間達の死体を処理する為の嘘。」

 

トリッシュの事を狂信的なストーカーとして仕立て上げる事で、マスコミ各社の眼を誤魔化していたのである。

 

「ケッ、あほらし・・・自分が甘い汁を啜る為に、その女を利用していただけやないか。 ホンマ、しょうもない生き物やな?人間ってのは。 」

 

玄武が侮蔑を多分に含んだ視線で、変わり果てたエレナを呆然と見つめるマネージャーに向ける。

彼女には、才能がある。

絶対、音楽業界で成功出来る。

人々が忘れ去った真のロックを甦らせる事が出来る。

そんな彼の期待と重圧が、エレナを追い詰めてしまったのだ。

 

暫くの間、無言で佇む一同の耳に、警察のサイレンが鳴る音が聞こえた。

トリッシュが前もってCSI(超常現象管轄局)に、連絡を入れていたのである。

後の始末は、CSIに任せるとして、トリッシュとダンテは、カーネギーホールを後にする事にした。

 

 

 

翌日、新聞の見出しは、ロッククィーンこと、エレナ・ヒューストンの謎の失踪という記事で賑わった。

事件後、カーネギーホールを出た、ダンテは一緒に居た筈のトリッシュの姿が何時の間にか消えている事に気が付いた。

あのおかっぱ頭の優男も、綺麗に気配を消して居なくなっている。

マネージャーのティムがこの後どうなってしまうのか、エレナを怪物に変えた女の正体等、色々と気になる点は幾つかあるが、今のダンテにはどうする事も出来ない。

 

 

 

 

「結局、護衛の依頼は失敗。前払いで貰った半額分だけって事か・・・・まぁ、貰えないよりそっちの方が良いのかもな。 」

 

カフェテラスで、新聞の見出しを眺めていた仲介屋のモリソンが、溜息と一緒に咥えていた煙草の煙を吐き出した。

骨折り損のくたびれ儲け、とまでは言わないが、後味の悪い事件であった事は間違いない。

 

「・・・・・? 」

 

不意に高層ビルの外壁に設置された大型街頭ビジョンに映る、一人の少女の姿が、ダンテの目に留まった。

電脳世界の唄姫、ネミッサである。

透明感のある声量が、マンハッタンの街に流れていく。

 

「知ってるか? 今の世の中、人間の唄より、プログラムで造り出した電子音声の唄に人気があるんだってよ。魂が籠もった声より無機質な機械の声の方が需要があるんだと・・・・・。」

「らしいな・・・・俺は、頭にガンガン響く、激しいロックが好きなんだけどな。 」

 

ダンテの脳裏に、生前、エレナが言っていた言葉が思い出される。

 

 

『ねぇ? 貴方、怪物専門の退治屋なんでしょ? だったらこの女を殺してくれないかしら? 』

 

アレは、もしかしたら彼女の本心だったのかもしれない。

無意識に、ネミッサの唄声を模倣してしまう程、エレナは電子の歌姫に心酔していたのだ。

 




何とか投稿疲れた。

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