偽典・女神転生ーツァラトゥストラはかく語りき 作:tomoko86355
グルー・・・ダンテと同じ便利屋を営む荒事師。
ジャン・ダー・ブリンデ・・・自称賞金稼ぎの便利屋転向組、その正体は、ライドウのかつての番、ヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリー。
エンツゥオ・・・モリソンと同じ情報屋。
バアル・・・・黒エルフの生き残り、父親の愚行により一族郎党を皆殺しにされ、ライドウに復讐を誓う。
モデウス・・・・バアルの歳が離れた弟。兄と同じくライドウに復讐する為に現世に現れた。
繁華街から人気のない路地。
そこに『ボビーの穴蔵』と呼ばれる居酒屋がある。
日暮れと共に店を開き、日の出と共に店を閉める、酒飲みには非常に有難い時間帯で経営されるその酒場には、如何にも荒事専門と言った感じの男達が酒を楽しんでいた。
「おお?やっと、新しい腕が付いたのか? 」
酒場の常連客であるグルーが、中性的な美貌を持つ黒髪の少年の左腕を眺める。
この男は、ダンテと同じ便利屋である。
中年に差し掛かった相貌には、かなり苦労しているのか深い皺が刻まれていた。
「今日、モリソンに紹介されたサイバネ技師に取り付けて貰った。 馬鹿高い料金の割には、動作がイマイチだぜ。 」
やや不満なのか、日本人の少年・・・葛葉ライドウは、唇を尖らせて、左腕の義手を握ったり開いたりしている。
右腕一本だけでは何かと不便だろうと言われ、腕の良いサイバネ技師を進められたのだ。
確かに特殊チタニウム合金の腕は、装甲が頑強でちょっとやそっとじゃ壊れないだろうが、神経との接続にやや難があり、何時動作不良を起こすか分からない。
「まぁ、普通に日常生活を送る分には問題ねぇだろ? 」
苦笑を浮かべつつ、注文したジンジャーエールを一口、喉に流し込む。
体質的に酒が受け付けない為、酒場に来てもジュースかコーヒーしか頼めない。
それならば、何故こんな荒くれ共が居る酒場に来ているのかというと、隣で鳥の腿肉を齧っている銀髪の大男に連れてこられた為だ。
「噂で聞いたんだが、随分と面倒事に巻き込まれているらしいな? 」
恐らく、フォレスト一家とマーコフ一家の抗争に巻き込まれている事を言っているのだろう。
こういう家業を続けていると要らぬ情報まで入って来る。
「爺さんが余計な事に首を突っ込んでくれたお陰だけどな? 」
腿肉を咀嚼しながら、銀髪の青年が悪態を吐く。
元を正せば、この男が全ての元凶なのだが、本人は全く理解していないらしい。
「お前が、ヤバイ女に借金しなければこんな事にはならなかったんだ。 」
ヤバイ女とは、勿論、狩猟者(デビルハント)のレディの事だ。
彼女は、フォレスト一家と何らかの繋がりがある。
この男は、よりによって、その女に多額の借金をしているのだ。
「はぁ・・・俺が悪かったよ。だから喧嘩は勘弁してくれ。 」
忽ち(たちまち)不穏な空気が漂う二人の様子に、グルーは大袈裟に溜息を吐く。
どうやら自分は、振ってはいけない話題を振ってしまったらしい。
「よぉ、これが噂のカワイ子ちゃんかい? 」
そんな険悪なムードが漂う二人の間を割って入るかの様に、とぼけた声が背後から聞こえて来た。
一同が振り返ると、少々小太りな男が喧騒にごった返す店内に立っている。
JD・モリソンと同じ情報屋のエンツォ・フェリーニョだ。
自称、『売れっ子仲介屋』は、いやらしい目つきで、中性的な美貌を持つ悪魔使いを上から下まで、まるで嘗め回す様にして眺めていた。
「ヒュー♪すげぇ上玉じゃねぇかよ。 片目ってのが玉に瑕だが、一体何処から拾って来たんだ?ダンテ。 」
誰とも馴れ合わず、一匹狼を貫き通す便利屋のダンテに、綺麗な相棒が出来た。
その噂は、同業者の間ではかなり有名である。
エンツォも当然、その噂話を聞いていた。
「おい、今日は”お前さんの日”じゃ無い筈なんだけどな? 」
そう冷たく切り出したのが、中堅便利屋のグルーだ。
肉体的に障害を持つライドウを、不敬極まりない視線で眺めるエンツォに対して、嫌悪感を隠そうともしてはいなかった。
そもそも、エンツォが『ボビーの穴蔵』を訪れる日は、毎週火曜日と決まっている。
仲介屋は、何もエンツォだけではない。
数多くの情報屋がこの酒蔵に訪れ、多種多様な仕事の内容を持って来る。
その為、仕事の流れを途切れさせない様に取り決めた暗黙のルールであった。
「悪い悪い。今日は仕事絡みで来た訳じゃねぇんだ。 」
グルーの鋭い視線に睨まれ、エンツォはバツが悪そうに肩を竦める。
そして、店内の戸口に向かって声を掛けた。
すると、一人の如何にも上質そうなスーツに身を包んだ背の高い人物が入って来る。
「本当なら、昨日のうちに紹介しときたかったんだけどな? 」
知り合いに頼まれて矢無負えなく引き受けたらしい。
エンツォは、自称賞金稼ぎ崩れの便利屋転向組と称されるその男を連れて来た。
頭の先から下まで白い包帯が巻かれ、ダークグリーンのスーツを着るその男の右手には、特徴的なやや反り返った刀を握っている。
冬の湖面を思わせるその蒼い瞳を見た瞬間、ライドウの背を形容し難い痺れが走った。
「名前は、ジャンって言うらしい。まぁ、仲良くしてやってくれや。 」
ニヤリと愛想笑いを浮かべる仲介屋の小男。
無神経で好い加減に見られがちだが、エンツォは意外と義理堅い性格をしている。
まぁ、そうでなければ、便利屋達から信頼を勝ち得る事は出来ないのだが。
一瞬の静寂。
否、店内の喧騒は相変わらずなのだが、グルー達、三人は黙してジャンと呼ばれる男を見つめている。
一つでも気を抜けば、喉首を掻き斬られる・・・・そんな危険な空気を孕みながら。
「・・・・・君が、この中で一番の腕利きらしいな? 」
ジャン・ダー・ブリンデ、と名乗るその包帯の男は、ライドウの前に立つと徐(おもむろ)に口を開いた。
ライドウは、応えない。
否、応えられない。
包帯から覗く、蒼い瞳を凝視(ぎょうし)したまま、固まっていた。
「悪いが、腕試しの相手なら間違ってるぜ? その子は、一般人の素人さんだ。 喧嘩売るなら俺か、その隣にいるデカブツに言ってくれ。 」
壮年の便利屋は、固まって動けないライドウを庇う。
肉体的にハンディキャップを背負っている相手に喧嘩を売るとは・・・大層な経歴を持っているみたいだが、存外、大した事は無いのかもしれない。
「私は彼と話をしている、邪魔をしないで貰えないかな? 」
「何だと? 」
まるでお前など眼中に無い、と言わんばかりのジャンの態度に、グルーが途端に気色ばむ。
幾ら温厚で有名なグルーでも、便利屋としての矜持は幾らかはある。
こんなあからさまに馬鹿にされた態度を取られて、黙っている筈がなかった。
「やめとけ、グルー。 コイツの言っている事は正しい。 」
「ダンテ。 」
それまで、黙って事の成り行きを見ていたダンテが、今にも銃を抜きそうな壮年の男を制した。
鳥の腿肉は、骨と筋を残して綺麗に食べ尽くされている。
「どうすんだ?爺さん。 腰が痛くて辛いなら俺が変わって相手してやっても良いんだぜ? 」
包帯の男から視線を外し、俯く悪魔使いに向かってダンテが言った。
短い日数ではあるが、ライドウのこんな態度を見たのは初めてだ。
テメンニグルの時も、マレット島の時も、軽口を叩いて不敵な態度を崩さなかったというのに、これは、一体どういう事なのだろうか?
「グルー、アンタここら辺で、少々、暴れても問題にならない場所とか知ってるか? 」
ゆっくりと顔を上げるライドウ。
未だ、何かを迷っているのだろうか?
その双眸には、戸惑いの色が多分に含まれていた。
『ボビーの穴蔵』から数軒離れた鉄のフェンスで囲われた広場。
テナントビルの建設予定地であるその場所に、右手に日本刀を持つ包帯の男と小柄な片目の少年が対峙している。
鉄のフェンスの外には、酒蔵から来た野次馬達が、物珍し気に二人の様子を眺めていた。
「おいおい、流石にこりゃ拙くねぇかぁ? 」
小柄な仲介屋が、ハラハラとした様子で、数メートルの間隔を置いて対峙する二人を見つめている。
グルーの言う通り、ライドウは便利屋ではない。
ダンテ曰く、日本からNYを観光に来た居候らしい。
まぁ、それが事実だとしても、華奢で人形みたいに綺麗な容姿をした少年が痛めつけられる所を見て喜ぶ程、悪趣味じゃない。
「知るか、本人がやりてぇって言うんだから仕方ねぇだろ? 」
グルーは、呆れた様子で溜息を吐くと、隣に立っている真紅のロングコートを纏う青年を横目で眺める。
ダンテは、間違いなくあの日本人の少年に惚れている。
駆け出しの便利屋だった当時から付き合いがあるグルーは、この偏屈男の癖や性格を知り尽くしていた。
時折見せるライドウに対する深い愛情。
否、愛情などという生易しいモノではない。
燃え盛る業火の如きその激しい感情を、必死で押し殺している。
常にクールで、異性との付き合いも後腐れが残らない、実にシンプルな関係を好む、この男らしからぬ行為であった。
「君は、随分と私の事を下に見ているんだな? 」
「え? 」
ジャンの無感情な声に、ライドウが頓狂な返事を返す。
武器を携帯しない悪魔使いに、嫌味を言っているのだ。
「武器を持て、 流石に丸腰の相手と手合わせする気にはならない。 」
「あ、そっか・・・・ごめん。 」
ジャンに指摘されて、初めて自分が丸腰である事に気が付いたらしい。
呆れた声と如何にも馬鹿にしたヤジを飛ばす荒事師達。
グルーが苦虫を数百匹噛み潰したかの様な、渋い顔をするのに対し、隣に立つダンテは、何故か無表情だった。
そんな二人と野次馬達を他所に、小柄な少年は、きょろきょろと周囲を見回す。
すると、手頃な大きさと長さがある角材を近くで見つけた。
「コイツで良いかな? 」
角材を拾い上げ、一振りする。
鋭い日本刀に対し、直ぐに折れてしまいそうな棒きれ。
勝負どころか子供の喧嘩にすらもならない。
「おいおい、あのお嬢ちゃん頭は大丈夫か? 」
「てか、あの包帯野郎、エンツォが紹介した新入りの便利屋だろ? 」
「子供相手に手合わせとか、アイツこそ頭がイッてるんじゃねぇのか? 」
そんな便利屋達の声に、小柄な仲介屋は、いたたまれない気分になる。
知り合いから、「凄腕の賞金稼ぎ崩れだから、きっちり穴蔵の連中に紹介してやってくれ。 」と頭を下げて頼まれたが、まさかこんな事態になってしまうとは。
きっと自分の評判は、地の底よりも深く落ちてしまっただろう。
一方、そんな喧騒を他所に対峙する二人。
ライドウは、正眼に角材を構えると目を閉じ、その先端へと意識を集中する。
淡い光に包まれる木の棒。
ゆっくりと閉じていた右眼を開く。
「良いぜ・・・かかって来い。 」
先程のとぼけた表情とは、打って変わった静かな声。
角材を右手に持ち、包帯の男に手招きする。
そんな悪魔使いに対し、皮肉な笑みを口元に浮かべるジャン。
迅速の速さで踏み込み、一気に間合いを詰める。
常人では視認する事が不可能な、高速の抜き打ち。
しかし、それを意図も容易く、ライドウが往なしてみせる。
返す刃での鋭い一撃。
それを身を逸らせる事で躱すジャン。
後方に跳び、ライドウの死の間合いから何とか逃れる。
息を吐く暇さえない、一瞬の攻防。
周囲の野次馬達から、どよめきの声が上がる。
「お、おいおいおいおいおい! 一体、何者なんだよ?あのお嬢ちゃんは??? 」
「俺が知るかよ・・・・。 」
夢中で袖を引っ張るエンツォを、煩そうに振り払うグルー。
周りの荒事師達も、気分はエンツォと同じなのだろう。
子供と大人の、戯れ程度の手合わせ。
誰もがそう思っていた筈だ。
たった一人の人物を覗いて。
「闘気術・・・・か。 しかも、えげつないおまけつきだな? 」
左掌を貫通する鉄の棒。
鉛筆の様な円柱の形状をしており、正式名称を『八角棒手裏剣』という。
手の裏に隠れる程度のサイズで、投擲に優れ、戦国時代の武士などに多く利用されていた。
ライドウは、ジャンの一撃を躱すと同時に、死角から眉間を狙って、棒手裏剣を投げつけていたのだ。
「・・・・・・・・何故だ・・・・何故、今頃になって・・・・。 」
左掌を貫通する棒手裏剣を、口で引き抜くジャン。
その包帯男の姿に、ライドウは何処か苦しそうに呟く。
自分の手の内を知らなければ、あの一撃は躱せない。
闘気術・・・・体内で気を循環させ、”気”の質をコントロールする武術は、あくまで囮。
本命は、手の裏に隠し持った八角棒手裏剣であった。
相手が自分の繰り出した一撃を躱したと油断した、絶妙のタイミングを狙った。
長年、暗殺者(アサシン)として培われた経験に基づく、必勝法。
しかし、この包帯男は、それを簡単に見切ってみせたのだ。
この男は、確実に自分の手の内を知っている。
そして、一番考えたくない事に、自分は、この男の正体に心当たりがあった。
「い、生きていたのなら、どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ? そうすれば、俺は・・・・・。 」
「子供達を連れて、俺と駆け落ちしてくれた・・・か? 出来もしない事を軽々しくいうなよ。 」
ジャンの言葉に一瞬、身を固くするライドウ。
驚愕に見開かれる双眸に、包帯男は、皮肉な笑みを口元に浮かべる。
「”志郎”が死んだんだってな? お前を庇って・・・・。 」
「・・・・・っ!! 」
止めのジャンの言葉に、死人の如く、顔面を蒼白にさせる。
その一瞬の隙を突いて、包帯男が一閃を放つ。
真っ二つに斬り落とされる角材。
衝撃に、ライドウが尻餅をつく。
「・・・・甘いな・・・・昔のお前では考えられないぜ? カヲル。 」
白い喉に突き付けられる、日本刀の切っ先。
少しでも力を込めれば、簡単に貫いてしまうだろう。
勝敗は決まった。
周囲の荒事師達から、再びどよめきが走る。
「どうした? 随分と機嫌が悪そうだな? 」
「うるせぇよ・・・・アンタにゃ関係ねぇ事だ。 」
グルーの軽口に、ダンテが忌々し気に吐き捨てる。
ダンテの予想では、ライドウが確実に包帯男に勝つだろうと思っていた。
初めて出会ったテメンニグルの時では、完膚なきまでに自分を叩きのめしたのだ。
しかも、武器も何も携帯していない素手でだ。
ライドウの実力は、ダンテが誰よりも良く知っている。
故に、この結末に納得が出来なかった。
「なぁ~んや。 まさか生きとったとわなぁ・・・・。 」
建設予定地を取り囲む様にして立つ、古びたビルの屋上。
金髪に染めたおかっぱ頭の青年が、バドワイザーの瓶ビールをグイっと煽る。
眼下では、仕立ての良いダークグリーンのスーツを着た包帯の男が、刀を鞘に納めていた。
その足元では、未だ尻餅をついた状態の少年が、唇を噛み締めて下に俯いている。
「ま、これはこれで、中々楽しい展開やないの。 」
組織『クズノハ』に属する暗部”八咫烏”。
その中でも、最強と謳われる四神の一人、”玄武”は、とても楽しそうに唇を歪めた。
ヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーという男は、一言で現すと人間のクズだった。
フォルトゥナ公国の第三皇子として生まれ、幼くして死んだ実母の代わりに伯母達に目の中に入れても痛くない程、甘やかされた。
それがいけなかったのかもしれない。
類稀な才能を秘めているものの、それを全く活かせず、己の欲求ばかりを優先する酷く子供じみた性格をしていた。
特に異性との関係が最悪だった。
あちこちの女性に手を出し、酷い時には、人妻とも関係を持つ。
最低限のマナーである避妊すらしない。
当然、妊娠した女性達は、ヨハンに責任を取る様に迫った。
しかし、彼は彼女達を一生の伴侶にする事は決してせず、養育費と称した大金を毎月、渡すだけで「勝手に生んで育てろ。 」と言う。
「良く、教皇がお前の悪行を許しているな? 」
張り手を噛まし、去って行く女性の後ろ姿を眺めながら、ライドウは呆れた溜息を吐いた。
一体、幾度目になるだろうか? こんな光景に出くわすのは。
「あぁ? 許す訳がねぇだろ? 女との関係がバレる度に、死ぬ程ぶん殴られてるぜ? 」
やや腫れた頬を手で押さえ、ヨハンは大袈裟に肩を竦める。
実父にとって、末息子であるヨハンは、悩みの種であった。
他の二人の兄達は、文武両道に優れ、誰からも信頼される人物であった。
しかし、先の内戦と病により、若くして二人の兄が他界。
成り行き上、第三皇子であるヨハンが、この国を継ぐ正当継承者であるのだが、本人にその自覚が爪の先程も無い。
「別に・・・・俺は部外者だから、この国がどうなろうと興味は全く無いんだけどな・・・・流石に傍で見ていて気分が良いもんじゃ無い。 」
自分は、悪魔討伐の為に、フォルトゥナ公国に依頼されてこの異国の地に居る。
依頼を完遂すれば、もうこの国に何の用も無い。
本国に還り、また次の依頼を受けるだけだ。
「何だ? もしかして、俺に興味があるのか? 」
「はぁ?」
一体、どこをどう捉えたら、そんな馬鹿げた言葉が出て来るのだろうか?
まるで、別の生命体でも見るかの様な奇異な目で、ニヤニヤと笑う銀髪の美青年を見つめる。
「そういう台詞が出るって事は、少なからず俺に興味があるんだろ? 良いぜ、俺とアンタは番(パートナー)だからな。 お互いの事を深く知る事は大事なことだぜ。 」
「馬鹿が・・・・お前、番の意味を知っているのか? お前は俺の道具だ。 俺に魔力を与える為だけの存在だ。 そして、断っておくが、俺の本命(パートナー)は別に居る。 お前は代理・・・・この依頼が終わるまでの代替品だよ。 」
軽い頭痛を覚えて、額に手を当てる。
番とは、魔術師に魔力を提供する、云わば魔力貯蔵庫みたいな存在だ。
ライドウの様に『魔力の大喰らい』は、直ぐに魔力が枯渇してしまう。
そうならない為に、番を常に傍に置いておかなければならないのだ。
しかし、彼の現在の番は、とある事情で別行動を取っている。
その為、止む無く代理の番として、魔剣教団の中でも飛びぬけた実力を持つ、この男が選ばれたのだ。
「その本命さんは、今、何処に居るんだ? 」
「・・・・・っ! 」
ヨハンに痛い所を突かれて、ライドウの表情が厳しくなる。
ライドウの番である玄武は、現在、『八咫烏』の長である骸の護衛として、別件の任務に就いている。
天皇陛下とローマ法王の懇談会に招かれたのだ。
いくらソロモン12柱の魔神の一人に数え上げられる堕天使・アムトゥジキアスとはいえ、小国『フォルトゥナ』で起こった事件。
先進国同士の会合の方が、もっとも優先すべき役目なのである。
「大事な主を放り出して別の仕事か? アンタも随分と下に見られているんだな? 」
「・・・・・何とでも言え、お前には関係が無い事だ。 」
こんな安い挑発に簡単に乗ってしまう程、自分は愚かではない。
否、これぐらいの侮辱など、組織に居れば毎日の様に受けているのだ。
一々、目くじら立てるなど、馬鹿馬鹿しい。
「俺ならずっと傍に居る。 大事な相棒をほっぽり投げる様な真似はしない。 」
ヨハンは、ライドウの細い腕を掴む。
強い信念が宿る蒼い瞳。
放蕩息子として謗(そし)られ、周囲の人間達から白い目で見られている人物とは到底思えない。
「女達もそうさ、 無責任な真似はしない。 餓鬼も大人になるまで面倒を見る。 」
「面倒? 金だけ払ってるだけが責任を取るって事じゃねぇんだぞ。 」
男の言葉に、心底呆れてしまう。
何事も金で全てを解決させようとするこの男から、責任と言う二文字が出るなんて信じられない。
「・・・・ネロ・・・この前、生まれた俺の息子。 相手は娼婦なんだけどさ、これが結構、良い女で、俺がガチで惚れた相手なんだ。 」
「・・・・・? 」
今度は一体何を言い出すのだろうか?
子供の様な、無邪気な笑顔を浮かべる銀髪の青年は、呆れ返るライドウを他所に、更に言葉を続ける。
「一目見て、その女が気に入った。 アンタみたいに妙に真面目な所が玉に瑕なんだけどさ。 」
仕事柄、娼婦は妊娠を恐れ、薬や器具等を使って避妊をする。
その女性も他の娼婦達同様、避妊具を付けていたが、惚れに惚れ抜いたヨハンが、生活費全般を援助すると、説得した為、渋々といった様子で了承した。
「それと、俺の事と一体どんな繋がりがあるんだ? 」
訝しむライドウに、銀髪の美青年はニヤリと笑みを口元に浮かべる。
裏表の無い笑顔に、不覚にも見惚れてしまう。
「分かんねぇかな? アンタ、その女にびっくりする程似てるんだ。 自分を殺して真面目に生きた挙句、損をするとことかさ。 」
だから放っておけない。
自分が初めて生まれた息子と、惚れ抜いた女と同じ様に、全力でアンタを護る。
無言で、そう言われているみたいで、ライドウは途端に気恥ずかしくなり、思わず下へと俯いた。
「何、考えてんだ? 」
不機嫌と苛立ちが入り混じった不穏な声。
閉じていた目を薄っすらと開けると、鋭い双眸を組み敷いている獲物へと向ける、銀髪の青年が映った。
荒事師として長年、鍛え上げられた肉体に、細かい汗が浮かんでいる。
繋がった箇所が、火箸で捩じりこまれたかの様に熱くて痛い。
「べ・・・別に、何も・・・うぐっ! 」
いきなり突き上げられ、押し殺した悲鳴が口から洩れる。
粗末なスプリングの効いたベッドが、ギシギシと揺れた。
「さっきの包帯野郎は、何者だ? まさか、アンタの知り合いじゃねぇよな? 」
リズミカルに腰を動かしつつ、ダンテが苦痛と快楽で歪む悪魔使いの顔を眺める。
今から数時間前、ライドウは、古株である情報屋のエンツォが紹介した、賞金稼ぎ崩れの包帯男に腕試しを申し込まれた。
結果は、ライドウの負けだったのだが、周囲を驚愕させてしまう程の戦いだった。
「し、知る訳がねぇだろ? 変に勘繰るんじゃねぇよ・・・・!いっ!! 」
突然、抱き上げられ、ダンテの膝の上に座らされる。
肉の槍が深く己の肉体を抉り、激痛に細い肢体が綺麗にしなった。
「気に入らねぇな・・・アンタらしくねぇ。 」
建設予定地で行われた、腕試しの死合いが気に喰わない。
詳しい内容までは聞き取れなかったが、ライドウとジャンっと名乗る包帯男は、二言三言、何か会話を交わしていた。
二人の間には、ただならぬ関係がある。
男としての直感が、嫌な予感を頻りに訴えている。
「あんな奴に後れを取るアンタじゃない。 何故、態と負けた? アンタなら十分勝てただろ? 」
腹腔からマグマの様に滾る怒り。
自分等よりも経験も技術もある悪魔使いが、あんな程度の技量しかない包帯男に負けたのが納得出来ない。
ダンテから見ても、ライドウが完全に手を抜いている事は、分かっていた。
ギシギシと鳴る安い素材で出来たベッド。
苦痛の余り、ライドウがダンテの大きな背に爪を立てる。
(耐えろ・・・こんなのは大した事が無い。 嵐と同じ・・・過ぎ去るのを待つだけだ。 )
これ以上、悲鳴を上げない様に、歯を喰いしばる。
建設現場での一件が、この男の怒りに火を点けたのは明らかだ。
しかし、他者に関して驚く程、無関心なこの男が何故、これ程までに、自分に対して怒りを露わにするのか理解出来ない。
男の心の中は、怒りと例える事が叶わぬ苛立ちで荒れ狂っている。
こんなに愛しているのに、何故応えてくれない。
愛せ、もっともっと俺を愛せ。
駄目だ・・・人間ではない自分が、その愛に応える事等出来ない。
「・・・ヲル・・・カ・・・ヲ・・ル。」
遠くで誰かが自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。
俯いた顔を上げるライドウ。
声のした方向を振り向くと、大分、不機嫌そうな番の姿がそこにあった。
「これから、西区に向かおうってのに、随分余裕だな? 」
棺の様に大きなケースを肩に下げた番・・・・ヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーが、呆れた様子で此方を眺めている。
此処は、天海市、東区に設営された仮設基地。
数軒のプレハブ小屋が並び、大きなテントには、調査隊のメンバーが忙しなく動き回り、薬品や消耗品、各種物資が所狭しと置かれている。
二人は、現在、天海市を取り囲む様に建てられた分厚い壁の内側に来ている。
13年前に起こった大霊”マニトゥ”による事件。
その後遺症が今も尚、深い傷跡となって残り、二上門地下遺跡を中心に異界化が進んでいる。
その調査として、ライドウとその番であるヨハンが派遣されたのだ。
「わ、悪い・・・軽く瘴気に当てられたみたいだ。 」
良く見ると周囲に居る調査隊達は、防護服とマスクを着用していた。
魔界の穴から発生する瘴気を吸わない為だ。
何の訓練もされていない人間が、瘴気に当てられると生気を吸われた挙句、酷い幻覚に襲われる。
それを防ぐ為に、特殊に作られた防護服を着るのが常なのだが、瘴気に対してある程度、免疫のあるライドウは、戦闘に際し、邪魔になる防護服を敢えて着ないでいる。
「頼むからしっかりしてくれよな? 相手は相当、スキルが高い奴らしいからな。 」
ヨハンは、ガスハーフフェイスマスクを装着している。
この男もライドウ同様、瘴気に対してある程度、免疫があるが、これから彼等が向かう西区は、此処より更に濃度が濃い。
簡易テーブルに置かれた各種銃器をチェックしながら、腰のホルスターに収めていく。
「一応、アンタも持って行け。 」
皮の肩当と紅い腰帯、隠しナイフが仕込まれた鉄の手甲を着用している悪魔使いに、S&W M442の短銃身・リボルバーを渡す。
水銀と法儀式が施された弾丸が収められてるその銃は、小型ではあるが上級クラスの悪魔にも十分、通用する代物だ。
「・・・・銃は嫌いだ。 」
「そんな事言うなよ。 あくまで護身用だ。持ってて損はねぇだろ? 」
不快そうに銃を受け取るライドウに対し、ヨハンが呆れた様子で窘める。
この主は、頑なに銃を使用する事を嫌う。
理由は、硝煙の臭いがどうしても受け付けないのだそうだ。
まぁ、上位悪魔と融合している肉体な為、悪魔の弱点である水銀に過敏に反応しているのかもしれない。
「殺られた連中は、どれもAランク以上の召喚術士達だ。 アンタも気を付けないと足元を掬(すく)われるぞ? 」
「分かってる・・・御守り代わりに持ってるよ。 」
仕方なしにリボルバーを腰のホルスターへと収める。
無鉄砲を絵に描いた様な、この男にしては、今回は随分と慎重だ。
西区調査に向かい、連絡が途絶えた先遣隊の中にはAランクの召喚術士が数名同行している。
状況的には、既に死亡しているだろう。
それ故、誰よりも主を想うヨハンが、常になく神経質になるのは仕方が無かった。
野営地で武器と防具を揃えた二人は、早速、問題の西区へと向かった。
「・・・・っ!何なんだよ?こりゃ? 」
地中から突き出た歪な形をした植物の根。
幾本もの根は、建物の壁や看板などに絡み付き、まるで亜熱帯のジャングルを思わせる。
「”クリフォトの根”・・・何でこんな所に? 」
この歪な根には見覚えがあった。
魔界を放浪していた時に、パトロンとして番契約をしていた”四大魔王(カウントフォー)”の一人、反逆皇・ユリゼンが『賢者の石』生成の為に育てていた魔界樹だ。
「”クリフォトの根”? 」
ライドウの言葉に、ヨハンがオウム返しに応える。
「ああ、冥界にしか生息しない魔界樹だ。 生物の生き血が好物で、それさえ与えなければ全く害の無い植物だよ。 」
ヨハンに説明をしながら、”血溜まり”と呼ばれる枝の根っこへと近づく。
この”血溜まり”を破壊すれば、根に行き渡っている栄養源が断たれて忽ち(たちまち)枯れ果てる。
しかし、果実を生成している”本体”は、もっと別の場所にある。
これを壊した所で、気休めにしかならないだろう。
「・・・・っ! 」
腰のナイフケースから、愛用の”アセイミナイフ”を取り出したライドウが、”クリフォトの血溜まり”を破壊しようとした時だった。
何処からともなく飛来して来た漆黒の剣が、小柄な悪魔使いに襲い掛かる。
殺気を感じ取ったライドウが、咄嗟に躱す。
その眼前に、深々と漆黒の剣が突き刺さった。
「カヲル!? 」
「大丈夫だ。 」
棺の様に大きなケースを担いだ銀髪の青年を手で制し、長剣が投げつけられた方向へと視線を向ける。
するとそこには白の長外套と純白の鎧を纏った、強面の男が立っていた。
左手には、投げつけた漆黒の長剣と同じ形と色をした剣を握っている。
猛獣の如き鋭い双眸が、呪術帯で口元と左目を覆ったライドウを見据えていた。
「コイツが、調査隊を殺した奴か。 」
肩から下げた棺の如き巨大なケースを地面に降ろす。
視線を白髪の騎士に向けたまま、ヨハンは、ケースを開閉させるボタンに指を掛けた。
「止せ、この程度の相手に”ソレ”を使う必要はない。 」
「で、でもよぉ・・・。 」
先程も述べたが、調査隊の中にはAランクの召喚士が二人もいた。
おまけにかなり腕の立つ剣士(ナイト)と銃剣士(バヨネッテ)も同行している。
そんな先鋭達を、この白髪の騎士は、難なく倒してみせたのだ。
”ケースの中身”を使用するに、十分に足る相手である事は間違いない。
「俺がコイツの相手をする。 お前は、そこで芋っている奴を頼むわ。 」
「成程ねぇ・・・・了解”マスター”。 」
ライドウの指摘通り、族はこの白髪の騎士だけでは無かった。
注意深く周辺の気を探ると、破壊された建物の屋上に、もう一人、かなり強烈な魔素を持つ悪魔が隠れているのが分かる。
一度降ろしたケースを再び肩に担ぎ直すと、ヨハンは其方の方へと音も無く向かった。
「さて、”冥府の果実”を持ち出したのは、お前か? 」
「そうだ・・・・。 」
白髪の騎士が、未だクリフォトの根に突き刺さる漆黒の剣に向かって、右掌を向ける。
すると、剣はまるで生き物の様に脈動すると、主に向かって回転しながら戻って行った。
「なら、俺達の前に此処に来た人間達を殺したのもお前だな。 」
視線を白髪の騎士に向けたまま、腰のナイフケースに収まっているアセイミナイフの柄に手を掛ける。
この悪魔から放たれる鬼気は相当なモノだった。
上級クラス・・・・否、魔王クラスに匹敵するかもしれない。
「全ては、貴様等・・・・”反逆皇・ユリゼン”に虐殺された我が同胞の無念を晴らす為・・・特に”人修羅” 貴様だけは断じて許せん。 」
二本の長剣を正眼に構える。
殺意に濡れた銀の双眸が、華奢な悪魔使いを見据えていた。
「銀の瞳に、尖った耳・・・イェソドとティフェレトの境界線付近の氏族・・・”スヴァルトアールヴ”族か・・・良く覚えているよ。 」
争いと混沌を好むダークエルフ達の中でも、スヴァルトアールヴ族は、結構変わっていた。
自ら争い事を好まず、己自身の能力を高め、牧歌的生活を送る氏族。
控えめで、質素な生活を好む彼等は、他種族と関りを持つ事を極力抑えていた。
数も少なく、イェソドにある”精霊の谷”を渡り歩く生活を送っている。
そんな彼等が、イェソドを統べる四大魔王(カウントフォー)の一人、魔王ユリゼンに目を付けられたのは、とある理由があった。
「”ミスリルの加工技術”・・・・お前達一族は、加工不可能と言われるその鉱物の加工技術を知る唯一の存在だった・・・だから”あの変態野郎”に目を付けられた。 」
白髪の騎士が構える二振りの剣を見つめる。
恐らくミスリルと呼ばれるダイヤモンドより遥かに硬い鉱物で、作り上げられた剣なのだろう。
鋭い切先が、獲物を求めて鋭く光っている。
「”ミスリルの加工技術”は、我等、スヴァルトアールヴ族にとって秘伝中の秘伝。おいそれと公言する訳にはいかぬ。 特に”ユリゼン”の様な下郎にはな。 」
愛する同胞達が、無残に殺されていく情景を思い出し、腹腔から怒りのマグマが競(せ)り上がる。
この”反逆皇・ユリゼン”のかつての番は、奴の配下である”灼熱の獣王・ゴリアテ”と”魔鳥(まちょう)の三魔女・マルファス”と組んで、一族を皆殺しにした。
同胞達は、どれも腕の立つ『強の者』達ばかりであった。
しかし、それをあっさりと、そして女子供に至るまで無慈悲に殺したのが、この”人修羅”なのである。
「父を殺し、母を凌辱した貴様だけは絶対に許せん。 我が同胞の無念、思い知るが良い。 」
ライドウの首を斬り落とさんと、猛然と迫る白騎士。
腰のナイフケースから、地霊”ドワーフ”が造った魔法の短剣を引き抜いたライドウが、迎え撃つ。
「来たか・・・・。 」
かつてはテナントか何かの商業施設のビルだったのか、破壊され、人気が全くないその屋上に、漆黒の長外套を纏う黒髪の青年がいた。
瞑目していた双眸をゆっくりと開き、背後に立つ銀髪の美青年を振り返る。
「いよぉ、下の奴はアンタのお仲間かい? 」
ガスハーフフェイスマスクを付けた銀髪の美青年、ヨハンは、気安く片手を上げて見せる。
此処に来て初めて判る。
この黒髪の悪魔は、相当デキる。
「兄だ・・・・君の主人に一族全てを殺され、僕とバアル兄さんの二人だけになってしまった。 」
何処か、物憂げな表情をする黒髪のエルフ。
右手には、身の丈程もある漆黒の長剣を握っている。
「・・・・一族の敵討ちって訳か・・・・。 」
番であるライドウが、その昔、長期間に渡って魔界を放浪していた事は知っている。
その間の話は詳しく知らないが、目的の為ならば手段を選ばぬあの苛烈極まる性格ならば、このエルフ兄弟の一族に何をしたのかは、容易に知る事が出来た。
ヨハンは、一つ溜息を零すと、肩に背負っている棺の様な漆黒のケースを地面に下ろした。
魔剣教団のマークが刻まれたその漆黒のケースには、ヒュースリー一族に代々伝わる神から授かりし、武器が収められている。
「何となくだが、お前等の気持ちは判るぜ・・・・でも、哀しいかな、俺は人間なんだよ。 」
柄に備え付けられている開閉ボタンを押す。
すると漆黒のケースが縦に割れ、剣と思しき握りが飛び出した。
「悪いが、討伐させて貰うぜ。 」
右手で剣の柄を握り、ゆっくりとケースから引き抜く。
そこから現れる灼熱の刀身。
ヨハンが一振りすると、刀身の高温で床が解け崩れ、周囲を真っ赤に燃え上がらせる。
「それは・・・・神器”レーヴァティン”か・・・・初めて見たな。 」
炎を噴く剣を見た途端、人形の様に感情が無いその容姿に初めて、動揺の色が浮かんだ。
神器”レーヴァティン”とは、北欧神話に登場する巨人スルトルが、ラグナロクの際に振るったと言われる剣である。
この剣に関する伝承は、驚くほど少なく、狡猾なロブトルこと魔王・ロキによって鍛えられ、女巨人シンモラが保管している、という記述しかない。
「君は、巨人族の血が流れているのか? 」
この剣は、巨人族の長、スルトルの血筋の者しか扱えないと云われている。
”レーヴァティン”は、使用者の生命力を糧とし、尋常ならざぬ神の力を振るう事が出来る。
故に、並みの人間が触れようものなら、忽ち生命力を吸い尽くし、また、魔族が触れれば聖なるスルトルの炎によって焼き尽くされてしまう。
「ああ、爺ちゃんから聞いた話によるとウチの先祖は、巨人族の女が、魔剣士・スパーダに見初められ、子を孕んで生まれた一族らしい。 まぁ、数千年前の話だし、人間の血が混じり過ぎて、そういう化け物は滅多に生まれなくなっちまったらしいが・・・。」
数百年に一度、その両方の力を引き継ぐ者が生まれるらしい。
俗に言う、『先祖返り』というやつだ。
人間よりも強靭な肉体を持ち、魔族特有の驚異的再生能力。
そして、神族の不老長寿を同時に併せ持つのだ。
ヨハンの曾祖父も当然、彼と同じ能力を持ち、800年以上生きた。
当然、彼が持つ神器”レーヴァティン”は、曾祖父から受け継いだモノである。
「神族と魔族両方の特性を持つのか・・・・成程、あの”人修羅”が番にする訳だな。 」
ミスリルで造られた漆黒の長剣を構える。
神器使い相手に、自分がどれ程戦えるか正直分からない。
剣の技量は、兄より上。
しかし、神の炎に抗える程、自分は決して強くはない。
スヴァルトアールヴ族の”バアル”と”モデウス”は、ティフェレトとイェソドの境界線にある『精霊の谷』と呼ばれる渓谷で生まれた。
一年中、猛吹雪が吹き荒れる豪雪地帯である『精霊の谷』は、希少な鉱物が取れる鉱山としても有名であった。
多くの地霊や妖精が住み、その手先の器用さで多くの工芸品を生み出した。
”黒エルフ”一族の中で、スヴァルトアールヴ族は、反り返った二本の大きな角と長い体毛を持つ大型の草食獣、”ヌー”を連れて、季節毎に谷を巡回する遊牧民の様な生活を送っていた。
決まった巣(ネスト)を作らず、根無し草の様な生活を送っているのには、訳がある。
加工不可能と言われる魔界一、硬い鉱物・・・・ミスリル。
その鉱物を加工する技術を、彼等は持っていたからである。
バアル達一族は、その秘術を悪用されない為に、各地を転々としていたのだ。
厳しい環境と質素な生活。
しかし、彼等は平和であった。
イェソドを支配する四大魔王(カウントフォー)の一人、反逆皇・ユリゼンは、冷酷無比な悪魔であったが、規律を重んじる性格をしていた。
暴力による略奪を禁じ、手先が器用なエルフやドワーフ達を重宝した。
その恩恵は、勿論、黒エルフであるモデウス達にもあった。
剣の技術に優れる彼等は、境界線を護るという密約をユリゼンと交わし、食糧と金品の援助を受けていたのである。
だが、その密約は唐突に破られた。
「離して下さい!兄様!母上が!母上が!! 」
無理矢理、翼竜に乗せようとする兄の手から逃れようと、幼いモデウスは懸命に暴れる。
しかし、体格差があり過ぎる為、あっさりと抑え込まれてしまう。
「俺と一緒に逃げるんだ! モデウス! 母様の言葉を忘れたのか! 」
轟々と燃え盛る炎。
涙に濡れた弟の視線の先には、赤々と燃える煉瓦造りのL字型の建物があった。
昨日まで、何の不自由もなく笑って暮らしていた自分達の家。
剣の師であり、一族の長であった父。
優しく美しい母。
だが、今はもういない。
殺されてしまった。
火を吐く巨大な悪魔と三つ首の魔女・・・・そして恐るべき魔法を使う人間によって。
「ううっ、母上ぇ!何で?何でこんな事に?? 」
ボロボロと泣き崩れる幼い弟。
それに釣られ、嗚咽を洩らしてしまいそうな自分自身を、必死に叱咤する兄。
泣いては駄目だ。
自分がしっかりしなければ、弟も死んでしまう。
弟には類稀な剣と魔法の才能がある。
護り抜かなければ・・・・・。
自分の命に懸けても護り抜かなければ、スヴァルトアールヴ族は終わってしまう。
ぐっと口元を引き結んだバアルは、泣きじゃくる弟を背負い、翼竜の手綱を握った。
金属と金属が激しくぶつかりあう事で生まれる橙色の光。
音速の速さで繰り出される斬撃。
それらを器用に身を捻り、時には右手に持ったナイフで往なしながら、的確に白騎士にダメージを与えていく小柄な悪魔使い。
「ぐはっ!! 」
悪魔使いの回し蹴りが、白騎士・・・・バアルの鳩尾に見事に決まり、二歩、三歩と後ろにたたらを踏む。
その蟀谷に、独楽の如く旋回した悪魔使いの蹴りが見事に決まる。
躱す余裕も無く、吹き飛ばされる白髪の騎士。
倒壊したビルの壁面にぶち当たり、そのままずるずると地面へと沈んでしまう。
「どうした? もうお終いか? 」
息一つ乱す様子も無く、力無く頽れる白騎士を侮蔑を多分に含んだ視線で眺める。
この男の父親とも一度やり合ったが、太刀筋が単調過ぎて、見切り易い。
下級、中級の悪魔なら圧倒出来るであろうが、流石に四大魔王(カウントフォー)相手では、児戯に等しい。
「な・・・・舐めるな・・・・私は、まだ・・・・まだ負けてはいない。 」
蹴り飛ばされた左蟀谷から、大量の血を流し、よろよろと立ち上がるバアル。
軽い脳震盪を起こしているのか、視界が定まらず、両脚に力が全く入らない。
それでも、己を鼓舞し、双剣を構える。
強い・・・・まさか、これ程の実力差があるとは思わなかった。
彼の父親は、黒エルフの中でも強の者として知られている。
それを意図も容易く打ち破ったのだから、当然と言えば当然であった。
「・・・・はぁ、お前の親父もそうだったが、ダークエルフってのは、下手に気位だけは高いんだな? 」
「何? 」
父親に対するあからさまな侮辱の言葉に、バアルの視線が鋭くなる。
「プライドだけは一丁前と言ったのさ。 ま、そのせいでお前の一族は滅びちまった訳なんだが。 」
今更だが、『ミスリルの加工技術』を素直に教えれば、一族郎党が滅びる悲劇は起きなかった。
四大魔王(カウントフォー)の一人、ユリゼンは、冷酷ではあるが話が通じない相手ではない。
相手の実力を評価し、認める広い心を持っている。
バアル達、スヴァルトアールヴ族は、黒エルフの中でも誠実で、戦闘に関しても優秀だ。
でなければ、ティフェレトとの境界付近の警護を任せる筈がない。
「黙れ!卑劣な手段で我が一族を滅ぼしておきながら、何をほざくか!! 」
怒りで視界が真っ赤に染まる。
それまで平穏で、ユリゼンに対し忠実だったバアル達一族。
そんな彼等を、何の前触れも無く襲撃したのは、誰あろうユリゼンの配下達であった。
「”ミスリルの加工技術”を素直に渡せば、滅びる事は無かった。 あの事件が起こる大分前から、ユリゼンは、お前の親父に言っていたんだ。 知ってるか?お前等、谷の中でも一番優遇されていた事を。 」
「何?」
「お前達が集落として暮らしていたあの土地は、元々、白エルフ達が住んでいた。それを強引に退かせたのがユリゼンだ。 お前の強欲な親父は、豊富な土壌を手に入れたのにも拘わらず、今度は金品を要求してきやがった。 」
黒エルフの長であるバアルの父親は、『ミスリルの加工技術』を盾に、ユリゼンに取引を持ち掛けたのだ。
永住できる豊かな土地と多額の金。
しかし、どれだけ金と食糧を援助しても、バアルの父親は、決して秘術を渡す素振りはしなかった。
それどころか、もっと寄越せと要求してくる始末だったのだ。
「で、出鱈目を言うな!! 」
「出鱈目じゃねぇよ・・・・じゃぁ聞くがな、何故、遊牧民として谷の各所を転々としていたお前等一族が、あの土地に腰を据える事になった? 何故、極寒の厳しい環境に居るにも拘わらず飢えを知らずに生活出来た? 周りの連中が、腹を空かせて明日をも知れぬ生活をしてるってのによ。 」
「だ、黙れぇ!! 」
知りたくも無かった真実。
バアルがあの土地に暮らす様になったのは、モデウスが生まれるかなり前であった。
あの当時は、とても幼く、牛車に揺られながら、寒さに震えていた事だけを覚えている。
父があの土地を見つけ、長い放浪の生活を終わらせようと皆に伝えた時は、誰もが素直に喜んだ。
まさか、そんな裏の事情があるとは知らずにだ。
雄叫びを上げ、悪魔使いの躰を二振りの剣で両断せんと、猛然と襲い掛かる。
それを紙一重で躱すライドウ。
刹那、バアルの右脚に激痛が走る。
「ぐぅ? こ、これは・・・・? 」
右大腿部に突き刺さる棒状の投擲武器。
八角棒手裏剣だ。
痛みに片膝を付く白騎士は、忌々しそうにその棒手裏剣を引き抜く。
「終わりだな? お前の親父もそうだったが、軽い挑発にすぐ乗ってくれて助かるぜ。 」
「ぬかせ! こんな程度の攻撃、私に効くとでも・・・・・っ!? 」
すぐさま立ち上がろうとしたバアルであったが、何故か力が入らず、再び地面に片膝を付いてしまう。
ガクガクと震える両脚、否、身体中が痙攣し、動けという脳からの命令を無視する。
「お前等って本当、人間を舐めすぎているよな? 一体、何千年、お前等悪魔と付き合っていると思ってんだよ? いい加減、研究され尽くして、どんな毒が効くとか、何処にお前等の弱点である心臓があるのかとか、把握されてるっての。 」
バアルが投げ捨てた棒手裏剣を拾い上げると、悪魔使いは、侮蔑を多分に含んだ双眸で完全に動けない白騎士を見下ろす。
「ば・・・馬鹿な・・・・こ・・・こんな・・・・。 」
「こんな筈じゃなかった・・・・脆弱な人間如きに後れを取る訳が無い。 」
手の中で棒手裏剣を弄びながら、ゆっくりとした歩調で、白騎士の周りを歩く。
そして、目の前に辿り着くと、膝を屈めてバアルと視線を合わせる。
「お前の親父も、これと全く同じ手に引っ掛かって、おまけに同じ戯言をほざいていたよ。 我々、誇り高く強い黒エルフ族が、下賤な虫けらの人間に負ける筈がないってな。 」
体内に侵入した水銀の毒は、瞬く間に白騎士の肉体を侵食し、中枢神経を狂わせる。
棒手裏剣によって穿たれた穴は、忽(たちま)ち壊死し、そこからどす黒い血を流していた。
「ひ、卑怯者め・・・貴様の様な外道は、地獄の業火に・・・・・。 」
「焼かれて苦しむが良い・・・お前の親父もあの時、そんな事をほざいていたな・・・知ってるか? 頭が弱いお前等悪魔程、虚しい遠吠えを吠えるんだぜ? 」
くるくると手の中で回る棒手裏剣が、ピタリと止まる。
強欲で愚かな父親。
そして、そんな父親の本性を知らず、哀れにも敵討ちをする息子。
彼が、父親の所業を知れば、少しでも結果は違ったのだろうか?
「悪魔は、此処を破壊されると人間と同じ様に、脳に障害が起きるらしい・・・一度、試してみたいと思ってたんだ。 」
ピタリと棒手裏剣の切っ先を、白騎士の額に当てる。
ドッと流れ落ちる冷や汗。
これから起きるであろう、想像を絶する苦痛と絶望に、白騎士の双眸が恐怖で見開かれる。
「こ、この外道・・・・。 」
「何人も同胞を殺しておいて、今更、簡単に死ねるとか思うなよ? 」
左眼と口元を呪術帯で多い、唯一覗く、悪魔使いの右眼。
そこからは、何の感情も読み取れない。
底の見えぬ暗闇が、ただ広がっているだけだ。
「兄さん!! 」
その時、何処からともなく聞こえて来た年若い青年の声が、バアルとライドウの間に割って入った。
逸早く殺気を感じ、その場を離れるライドウ。
刹那、衝撃波が走り抜け、先程まで居た場所が大きく抉れる。
「無事か? 兄さん? 」
「も・・・・モデウス。 」
黒髪に同色の長外套。
女性の如く美しい容姿をした美青年が、白騎士の傍らに現れる。
バアルと同じ、スヴァルトアールヴ族のモデウスだ。
歳の離れた兄に肩を貸し、抱き抱える様にして何とか立ち上がる。
「ち、逃がすかよ! 」
思わぬ伏兵に、ライドウは舌打ちすると、右掌に紅く光る法陣を急速展開させる。
しかし、火炎魔法を放とうとするよりも早く、相手に強制離脱魔法(トラフーリ)を唱えられ、周囲を強烈な閃光が包んだ。
ヨハンが、主人である悪魔使いの所に戻ると、獲物は既に逃げた後であった。
短い付き合いであるが、悪魔使いが相当、苛立っているのが、その背を見ただけで判る。
こりゃぁ、小言の一つや二つ覚悟しておいた方が良いなぁっと思いながら声を掛けると、案の定、鋭い視線が此方に向けられた。
「何をしていた? 」
怒気を多分に含んだ低い声。
拙い、相当、御冠(おかんむり)の御様子だ。
「あー・・・芋ってた奴を無事見つけたんスけど、斬り合ってる最中に、離脱魔法を使われて逃げられちまいました。 」
まるで射殺さんばかりの視線を避けつつ、ヨハンは素直に応える。
ライドウの指示で、廃屋のテナントビルの屋上で、同じ黒エルフと思われる悪魔を見つけ、直ぐに交戦状態へともつれ込んだ。
一度の斬り合いで、相手が相当の手練れである事が分かる。
神器『レーヴァティン』を操り、慎重に斬り結んでいたが、突然、相手が何かを察知したのか、不意を突かれて逃げられてしまったのだ。
「なぁ? いい加減機嫌治してくれよ? 俺だって結構、頑張ったんだぜ? 」
連絡を絶った、西区の調査隊達の安否を確認する為、彼等が使用していた駐屯地へと向かう道すがら、棺桶の如く大きなケースを担いだ銀髪の青年が大袈裟に肩を竦めた。
しかし、ライドウは応えない。
ヨハンと敵の仲間である黒髪のエルフとの経緯を聞いたその後は、終始無言を貫いている。
こうなってしまうと完全にお手上げであった。
「!! 」
暫く歩いていた二人は、西区駐屯基地へと辿り着く。
しかし、そこに広がる光景は、筆舌し難き酷い惨状であった。
まるで駐屯地全体を覆うかの様に、群生した”クリフォトの根”。
そして、身体中の血液を全て奪われ、干からびたミイラと化した人間の死骸が、襲われたそのままの形で残っている。
恐怖で引き攣った形相のまま、醜いオブジェとなっていた。
「こりゃ、酷ぇな・・・あのエルフ共の仕業か? 」
「多分な・・・・”クリフォトの果実”の餌にされたらしい。 」
相当無念だっただろう、想像を絶する程の苦痛と恐怖だっただろう。
調査隊達の亡骸を見ただけで、自然とソレが伝わってくる。
「・・・・・奴等の一族を滅ぼしたんだってな・・・・。 」
何か使えそうな物資は無いかと、周囲に転がっている資材を物色していたライドウの背に、ヨハンが声を掛けた。
返事が返って来るとは、思っていない。
只、思った言葉が、素直に口から出ただけだ。
「どうしてそんな事をしたのか、知りたいのか? 」
思った程の収穫が得られないと知った悪魔使いは、徐に立ち上がる。
振り返ると、神器が収められた大きなケースを背負う銀髪の青年と、目が合った。
「話したくないなら別に構わない。 だが、コイツ等の死がアンタのとばっちりなら、少しは気分が悪くならねぇかと思っただけさ。 」
ついつい嫌味たらしく言ってしまう。
この悪魔使いが、自分の過去を話したらがないのは良く知っている。
口数が少なく、必要最低限の事しか話さない。
それは、出会った当初も、番となった今も同じで、彼の本名を知るのにも相当苦労したのを覚えている。
暫しの沈黙。
しかし、先に折れたのは、意外にもライドウの方であった。
「・・・・今から、10年近く前だ・・・俺が、”クズノハ”に入って3年ぐらい経った時だな・・・”異界送り”の儀式で魔界に渡った・・・・。 」
当時の出来事は、今も鮮明に覚えている。
『17代目・葛葉ライドウ』の名を得る為に、彼は単身、魔界へと堕ちた。
目的は、唯一つ・・・最強の悪魔と呼ばれる魔王・アモンと契約する事。
その為には、彼の悪魔が封印されている『ノモスの塔』を探し出さなければならない。
たった一人のか弱き人間が、その偉業を成し遂げるには、大海原に投げ落とされた小さな針を探し出すよりも難しい行為であった。
「俺の力は、余りにも弱くて脆い・・・そんな奴が、弱肉強食を絵に描いた世界を生き抜くには、強力なパトロンが必要だ・・・・だから。 」
「四大魔王(カウントフォー)の一人、反逆皇・ユリゼンの番になったのか。 」
「・・・そうだ。 」
魔王・アモンの力を得る為、ライドウは、イェソドの統治者である魔王・ユリゼンと仮契約を交わした。
ライドウは、ユリゼンの信頼を勝ち得る為に、彼の悪魔の走狗となり、残虐非道な行いに手を染めた。
領地拡大の為に、あらゆる事をやった。
抵抗する者が現れれば、それが、例え女子供であろうと容赦する事無く皆殺しにした。
バアルやモデウス達、スヴァルトアールヴ族も、そんな氏族の一つだったのである。
事の経緯を話し終えたライドウは、レッグポーチから愛用の煙草ケースを取り出すと、口元を覆っている呪術帯を下げ、抜き出した煙草を一本咥えると、使い古したジッポライターで火を点ける。
吐き出された白い煙が、冷たい冬の風と交じり合い溶けていった。
「成程な・・・・奴等の素性は理解出来たぜ。 」
此方に漂ってくる煙草の煙をうざったそうに手で払う。
4年、この悪魔使いの番を務めているが、どうしても煙草の煙だけは慣れない。
煙草独特の臭いが、生理的に受け付けないのである。
「・・・・俺の番を辞めたくなったか? 」
ライドウは、倒壊したプレハブ小屋の壁に背を預ける銀髪の美丈夫を横目で眺める。
そういえば、この男の生まれ故郷であるフォルトゥナ公国には、三つになったばかりの幼い息子がいる。
名前は、ネロと言ったか?
噂によると実母である娼婦が、突然行方を暗まし、引き取り手のいないネロをヨハンの幼馴染みである魔剣教団の現騎士団長、クレドが引き取っているのだという。
本来ならば、幼い息子を置き去りにしたまま、行方不明となった女の安否が心配なのだろうが、何故か、ヨハンは祖国に帰る素振りを見せる様子が無かった。
「まさか・・・・アンタを放っておくと何処かで野垂れ死にしてそうで怖いからな。誰かがしっかりと監視しとかねぇと・・・・。 」
ヨハンが大袈裟に肩を竦める。
この悪魔使いにどんな過去があろうが、関係は無かった。
王位継承権を捨て、夜逃げ同然で祖国を捨てて、心底惚れ抜いた相手の番となったのだ。
そう簡単に、手放してやるつもりなどない。
「良いのか? アンヌとネロをこのままにして・・・・。 」
思い切って核心を突いてみる。
義理堅く、情に脆いこの男が、家族の事を心配していない筈がない。
きっと本心では、母国に帰りたいと切に願っているに違いなかった。
「あの二人の事は、クレドの奴に任せてある。連絡も取り合っているしな・・・それより今は、アンタの方が心配だ。 」
「・・・・・っ。 」
何の迷いも躊躇いも無い、真っ直ぐな蒼い瞳。
その眼に見つめられ、ライドウは一瞬、言葉を失う。
この四つ歳が離れた青年は、自分の今、置かれている辛い立場を誰よりも理解している。
強烈な心的外傷体験により、心を壊され、幼児退行を起こしてしまった妻、月子。
葛葉一族発祥の地である『葛城の森』で、今も尚療養生活を送っているが、回復の兆しは一向に現れない。
心の病でとても子を産めぬ状態となってしまった妻と、部外者でありがなが、”ライドウ”の名を継いだカヲルに対する、周りの謂われなき誹謗中傷。
組織の中で、カヲルは完全に孤立してしまっている。
「・・・俺は大丈夫だ・・・・月子も、少しづつだが、回復はしている。 」
吸い終わった煙草を、地面に捨て、ブーツで揉み消す。
『ライドウ』の銘を継ぐと決めたその時から、ある程度の事は覚悟していた。
あの日・・・・「娘を連れ戻して欲しい。」という、師、16代目・葛葉ライドウの懇願を受け入れ、親友であり、同期のサンタこと、百地三太夫(ももちさんだゆう)を手に掛けた。
愛する男を目の前で殺され、今迄耐えていた月子の心が完全に壊れてしまった。
全ては、『ライドウ』の銘(な)欲しさに行った、自分の蛮行のせい。
それ故、余りにも大きな罪の十字を、一生涯、背負うと心に決めた。
その時、腰に吊るしてあるガンホルスターに収まったGUMP(銃型端末)から、警告音が鳴った。
この近くに、強大な悪魔の反応を感知したのだ。
「此処から2km離れた先・・・・湾岸倉庫街の何処かだな。」
腰に吊るしたガンホルスターから、GUMPを抜き出し、蝶の羽の様に液晶パネルを広げる。
天海市湾岸倉庫街、第三倉庫の辺りに赤い光点が明滅していた。
バアル達、黒エルフの兄弟は、そこでクリフォトの果実を育てているらしい。
「そんじゃぁ、とっとと倒して家に帰るか。 ガキ共が首を長くして待ってるからな。 」
うーん、と一つ背伸びをすると、地面に置いてある黒い棺を肩に担ぐ。
東京の都心・・・・葛葉の屋敷で共に暮らしている二人の少年。
13歳になったばかりの少年達は、母親の様にライドウを慕っている。
特に、ライドウが魔界から連れ還った亜人の少年・・・・・志郎は、神の如く悪魔使いを崇拝しており、その番であるヨハンを快く思ってはいなかった。
「そうだな・・・・。 」
ライドウも口布をあげ、GUMPを腰のホルスターへと収める。
何時までも黒エルフ2匹に時間を取られている訳にもいかない。
それよりも、自分達にはやるべき大事な使命があるのだ。
天海市、湾岸倉庫街。
海に面して建設されたこの倉庫街は、かつて、海外の流通拠点として活躍していた。
しかし、10数年前に発生した悪魔によるバイオハザードによって、倉庫街は閉鎖。
天海市全体を覆う様に、分厚い壁で覆われてしまう。
勿論、人間が住める環境ではない為、この場所は、スキルの異様に高い、悪魔達の住処と成り果てていた。
「ちっ、ライアットにケイオス・・・・・おまけに厄介な魔法を使うバフォメットまで、出て来やがる。 」
デザートイーグル並みの巨銃を巧みに操り、襲い掛かる妖獣達の頭蓋を次々に撃ち抜く。
そのすぐ傍らでは、両手にクナイを持った悪魔使いが、的確に悪魔達の心臓を破壊していた。
「魔界樹の根から発生される、人間の生き血の匂いに引き寄せられているな。 どうやら、”クリフォトの果実”は、この近くで間違いなさそうだ。 」
そう言って、ライドウが自分の立つ足元へと視線を向ける。
現在、彼等は、湾岸倉庫にある第三冷凍倉庫に居る。
電力は、遥か昔に途絶えている為、冷凍倉庫である面影は完全に消えていた。
あるのは苔むした床と、黒く腐食した壁だけ。
ライドウ達が探している『クリフォトの果実』は、この地下3階の何処かにあるらしい。
「あの黒エルフ兄弟もそこに居るのか? 」
重い棺で、バフォメットの頭部を叩き割ったヨハンが、呪術帯で左眼と口元を覆った悪魔使いの方を振り向く。
「多分な・・・・奴等にとって”クリフォトの果実”は唯一の生命線だ。 命懸けで死守するだろうな。 」
ケイオスの心臓部に突き立てられたクナイを引き抜き、ライドウが応える。
恐らく、あの黒エルフは、自分達が此処に来た事を察知しているに違いない。
しかし、『クリフォトの果実』がある以上、彼等は逃亡出来ない。
それは、人修羅に対抗出来る彼等に残された、たった一つの希望だからだ。
「・・・・兄さん、奴等が来たよ。 」
第三倉庫、地下3F。
その一室に、モデウス兄弟はいた。
「くそ・・・・後もう少しで果実が実るというのに・・・・。 」
兄のバアルが口惜しそうに、壁一面を覆う、”クリフォトの根”を見つめる。
その中心部には、人間の心臓が如く鼓動する真紅の果実が埋め込まれていた。
「兄さん、諦め様・・・今は、一旦魔界に堕ち延びて、次のチャンスを待つんだ。 」
「諦める・・・・? 」
まるで咬み殺さんばかりの勢いで、傍らに立つ弟を睨みつける。
果実は、後もう少しで実る。
此処まで来て、今更何を諦めるというのか。
「逃げるのなら、貴様一人で逃げるが良い。 俺は、果実を手にするまで此処を離れるつもりはない。 」
「に、兄さん? 」
いきなり歳の離れた兄に、胸倉を掴まれ、モデウスは戸惑う。
そこに、かつての優しい兄の姿は何処にも無かった。
一族への復讐に燃える、一人の黒エルフの戦士が、腑抜けな弟を蔑んでいるだけだ。
「それに、今更、魔界に還ってどうする? かつて我等が住んでいた集落には、白エルフや地霊共がのさばり、黒エルフは、劣悪な環境へと押しやられている。最早、我等に安住の地など無いのだ。 」
そう、全ては反逆皇・ユリゼンとその配下である人修羅のせい。
ユリゼンが人修羅に討たれ、支配権が魔帝・ムンドゥスへと譲渡された今でもそれは変わらない。
バアル達、黒エルフは谷の隅へと追いやられ、ただ滅びの時を待つだけだ。
この破滅の運命を変えるには、絶対的な力が必要なのだ。
”クリフォトの果実”は、その為の鍵。
むざむざ諦める訳にはいかないのだ。
凄まじい破壊音。
見ると倉庫の扉が吹き飛び、濛々(もうもう)と土煙が上がっている。
そこから、灼熱に熱しられた剣を持つ銀髪の美青年が現れた。
元魔剣教団最強の騎士であり、人修羅の番であるヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーだ。
「お取込み中、申し訳ないが、邪魔するぜ? 」
ニヤリと皮肉気に、口角を吊り上げる。
「ふん、 態々、我々に殺されに来るとはな・・・・。 」
掴んでいた弟の胸倉を乱暴に離すと、バアルは、愛刀である二振りの魔剣を地面から召喚させる。
魔界でも加工不可能と言われているミスリルで造られた、剣。
この剣ならば、神器と対等に渡り合う事は出来るであろう。
「雑魚は、一切無視しろ。 俺達の目的は、果実の回収又は、破壊だ。 」
番の背後から、左眼と口元を呪術帯で覆ったライドウが現れる。
悪魔使いの視界に、復讐に燃える黒エルフ兄弟の姿は一切映ってはいなかった。
見えているのは、壁全体を覆うクリフォトの根の中心に実る真紅の果実。
「舐めるな!虫けらがぁ!! 」
怒髪天とはこの事をいうのであろうか?
鋭い犬歯を剥き出しに、殺意に濡れる金の双眸を見開き、華奢な悪魔使いに向かって猛然と襲い掛かるバアル。
弟のモデウスが止める隙すらも無かった。
「駄目だ! 兄さん!! 」
簡単に敵の挑発に乗る兄を止めるが、時既に遅しであった。
不意に人の気配を察し、慌ててその場から跳び退く。
すると、何時の間にそこに立っていたのか、神器”レーヴァティン”が収納されている棺桶の如く巨大なケースを背負う、銀髪の青年がいた。
「悪いな? お前等が大事に育てていた果実は、俺達が始末させて貰う。 」
親指で、背後にある冥府の果実を指し示す。
未だ熟さぬ赤き果実。
調査隊の血を吸い尽くした果実は、更なる生贄を要求している様にも見える。
「そうはさせない!! 」
あんなに苦労して『クリフォトの種籾(ためもみ)』を手に入れ、現世で人間達の生き血を与え、此処まで育てたのに、むざむざと敵に奪われる訳にはいかなかった。
こうなってしまったら最早、逃亡は不可能。
ならば、最後は無様と謗(そし)られても構わなかった。
兄と同様、足掻くだけ足掻いてやる。
モデウスは、兄のバアル同様、地中から漆黒のロングソードを召喚した。
二振りの剣が、何度も閃き、鋭い斬撃を華奢な悪魔使いに繰り出す。
しかし、当たらない。
悉く紙一重で躱され、虚しく壁と床を抉るだけであった。
「ば、馬鹿な? 何故、我が剣技が奴に効かぬ!!? 」
かつて魔界でも、戦闘民族として名を轟かせていたスヴァルトアールヴ族。
中でも、その剣術は、かの魔剣士『スパーダ』に匹敵するとも言われ、恐れられていた。
しかし、目の前に対峙する悪魔使いには、全くと言っていい程、通用しない。
焦りが冷静な判断力を奪い、剣撃が次第に大振りになっていく。
その隙を見逃さぬライドウでは無かった。
小さな躰を利用し、瞬く間に、バアルの懐に入り込む。
刹那、白騎士の両眼に、例え様も無い激痛が走った。
「ぐがぁあああああああ!!! 」
両目を抑え、大きく後退するバアル。
ライドウの二本の指が、白騎士の両眼を深々と抉ったのだ。
「兄さん!!! 」
兄の異変に、素早く察したモデウスが、バアルの元に駆け付け様とする。
だが、その眼前を、ライドウの番であるヨハンが塞いだ。
「人の心配をする余裕があるのか? 」
「退けぇ!!!! 」
怒号を発し、銀髪の美丈夫へとロングソードの斬撃を繰り出す。
それを身を翻す事で躱すヨハン。
素早く腰のナイフケースから、あるモノを取り出し、それを振り上げる。
斬り落とされるモデウスの利き腕。
まるで焼け火箸を押し付けられたかの様な激痛が、モデウスを襲う。
「い、一体・・・何が・・・???? 」
苦痛の涙で歪む視界に映る己の右腕。
肘から先が、綺麗に切断され、肉の焼ける匂いが鼻腔をつく。
「高周波ブレードか・・・・技術班の連中が、ナイフ並みに小型化するのに成功したから、是非使ってくれって持たされたが、結構役にたったな? 」
超高速で振動する不可視な刃。
一見するとアウトドア等に使用される、フォールディングナイフに良く似ている。
高速振動によって発生する熱により、あらゆる物体を溶断する。
通常の刃物を遥かに超える威力を持ち、アメリカ軍が持つ特殊部隊では、既に実用されていた。
「無駄な抵抗は止めとけ。 お前の手の内は、さっきやり合って大体判る。 」
激痛を堪え、ロングソードを構える事で、尚も抵抗の意思を見せるモデウスに、ヨハンは半ば、呆れた様子で言った。
数合の撃ち合いで、モデウスの実力や剣筋等、全て把握済みだ。
彼等、悪魔は非常に純粋で騙されやすい。
態と隙を作って、誘いこめば簡単に乗ってしまう。
それは、非力な人間に対する優劣から来る傲慢さであり、綿密な頭脳戦を必要としない魔界での生活故であった。
「こ、この程度で、僕に勝ったつもりでいるなよ? 」
苦痛で脂汗を浮かべ、悔し気に唇を噛み締める。
この男も、自分の大事な家族や一族を滅ぼした憎き人修羅も、想像を絶する怪物だ。
自分達、兄弟はこの二人に勝つ事は、永劫出来ないだろう。
しかし、兄だけは・・・・愛するバアルだけは、むざむざと死なせる訳にはいかない。
モデウスは、移動魔法(トラポート)を唱えて、魔界樹の果実が実る場所へと移動する。
何を考えているのか判らず、訝し気な表情になるヨハン。
そんな銀髪の青年に、皮肉な笑みを浮かべ、モデウスは、愛刀の切っ先を己の心臓へと向ける。
一方、視界を奪われ、苦痛でのたうち回るバアル。
敵の位置が全く把握できず、両手に持つ双剣を矢鱈目たらに振り回す。
「お前達は、この世界の住人ではない、黙秘権も無いし、当然、人権すらも無い。 」
鋼鉄の義手に付着した人差し指と中指の鮮血を、レッグポーチから取り出したガーゼで拭う。
何ら感情の籠もらぬ隻眼が、無様に二振りの剣を振り回す白騎士へと向けられた。
「此処でお前達を拷問し、殺した所で俺達が咎められる事も無いし、お前達の死を悼む者達も居ない・・・・。 」
「黙れぇ!!卑劣な方法で、我が誇り高き一族を滅ぼした怪物風情が何をほざく!!」
もう既に勝敗は決まっていた。
人間よりも遥かに優れた視野を奪われた事で、バアルの強靭な心は完全に折れてしまっていた。
彼の叫びは、虚しい負け犬の遠吠えのソレだ。
最早、戦う気力や力すらも微塵も残されてはいない。
その時、バアルとライドウの頭上で、何者かの声が聞こえた。
歳が大分離れた白騎士の弟・・・・モデウスだ。
「勝てよ!兄さん!! 」
何処か勝ち誇った弟の声。
口元に笑みを浮かべたモデウスが、寸分たがわず、己の心臓を愛刀の切っ先で貫く。
「モデウス!! 」
弟の意図を察した兄が、悲痛な叫びを上げる。
しかし、全てが遅すぎた。
兄の制止の声を振り切り、己の命を魔界樹の贄へと捧げる弟。
モデウスの内在する膨大な魔力と生命力を得た”クリフォトの根”は、活性化し、倉庫内を暴れ回る。
「ちっ!! 」
弟の意思を汲み取ったかの如く、ライドウとバアルの間に割って入る魔界樹の根。
咄嗟に跳び退くライドウの視界に、魔界樹の果実を手にするバアルの姿が映った。
「ヨハン!一旦、此処から離脱するぞ!! 」
「了解!! 」
このままでは、活性化した魔界樹の根によって倉庫が破壊されてしまう。
崩落する瓦礫に押しつぶされるより早く、ライドウは番であるヨハンを回収すると、第三倉庫の外へと移動する為、移動魔法(トラポート)を唱えた。
微かな寒気を感じ、不意に目が覚める。
自分を包むかの様な温もり。
見ると銀髪の大男が、華奢な自分の躰を背後から抱える様にして眠っていた。
既に朝日は昇り、労働者が仕事場へと向かう時刻。
本来ならば、隻眼の少年も起きて朝餉の支度をしている最中であった。
しかし、昨夜の”腕試し”で、自分が態と包帯男・・・・ジャン・ダー・ブリンデと名乗る賞金稼ぎ崩れの男に負けた為、それを納得しないダンテによって手酷く抱かれた。
行為の最中、何度も理由を尋ねられたが、ライドウは頑として喋る事はしなかった。
それが余計に嗜虐心を煽られたのか、ダンテは情け容赦なくライドウを責めた。
疲労と苦痛で、意識を失い、そして今、漸く目が覚めたという訳だ。
傍らで眠る男を起こさぬ様、慎重に起き上がる。
腰から頭頂部に掛けて走る激痛。
見ると、秘部が切れたのか、白いシーツには所々血が付着し、悪魔使いの新雪の如き白い肌にも、掴まれた痣と咬み付かれた歯形があちこちに残っていた。
「ちっ・・・・無茶苦茶やりやがって・・・糞餓鬼が・・・。 」
昨夜の出来事を思い出し、悪態を吐く。
普段は、クールでスタイリッシュを売りにしているダンテであるが、ライドウの事となると様相が一変する。
まるでお気に入りの玩具を取られると癇癪を起す子供の様に、周りが一切見えなくなってしまうのだ。
圧倒的な力でねじ伏せ、自分の元から離れる事を許さない。
そう言った意味では、自分の情夫である骸と共通している所が多々あった。
一つ溜息を零し、ベッドから抜け出す。
躰の中に残る男の残滓が気持ち悪くて仕方がない。
早く掻き出してしまいたいと、痛む腰をさすりながら、よろよろと覚束ない足取りで浴室へと向かった。
(はぁ・・・・まさか、あの時の事を夢に見るとはな・・・・。)
全身に熱い湯を浴びながら、十数年前に起こった黒エルフ兄弟の事を思い出す。
天海市、湾岸倉庫街で起こった事件。
調査隊と弟の命を代償に、黒エルフのバアルは、”クリフォトの果実”を手に入れた。
移動魔法(トラポート)を使い、崩壊する第三倉庫から逸早く逃れたライドウとヨハン。
第三倉庫は、見るも無残に倒壊している。
刹那、そこから巨大な火柱が吹き上がった。
天を貫く程の巨大な炎の柱。
その中に、何か黒いシルエットが見える。
猛牛の角を生やし、まるでギリシャ神話に登場する架空の生物、ケンタウロスを彷彿とさせる四つ足の姿。
灼熱の炎を突き破って現れたのは、巨大な大剣を持つ異形の怪物であった。
「やれやれ・・・・”果実”を喰らっちまったみたいだな? 」
肩に背負う棺の様に巨大な漆黒のケースを地面に降ろすヨハン。
『クリフォトの果実』を喰らったバアルは、正直手が付けられない。
アレに対抗するには、神器”レーヴァティン”を再び、解放するしかないだろう。
しかし、そんな番を主である悪魔使いが押し留めた。
「”アモン”を召喚するぞ。 」
「はぁ? あんな程度の相手にアレを使う必要なんてねぇだろ? 」
いくら『クリフォトの果実』を吸収し、魔王クラスにまで力を増しているとはいえ、自分達の敵ではない。
最上級悪魔(グレーターデーモン)を喚び出すにしても、魔神『ヴィシュヌ』で十分事足りる筈だ。
「奴等、兄弟は俺達人間を舐めすぎている。 現世で暴虐の限りを尽くせばどうなるか・・思い知らせる必要がある。 」
呪術帯の下で冷酷に光る蒼い魔眼。
主の意図を汲み取った番が、大袈裟に肩を竦める。
「分かったよ、マスター。 確かに躾は必要だ。 」
改めて、炎の鎧を身に着け、殺意に濡れた黄金の双眸で此方を見下ろす巨人を見上げる。
かつては、誇り高きスヴァルトアールヴ族の若き剣士。
しかし、今は、悪魔使いの復讐の炎を滾らせる怪物へと姿を変えている。
彼の憎悪と哀しみの炎は、滅多な事では燃え尽きる事はないだろう。
「人修羅ぁ・・・死ねぇええええええ!! 」
『召喚(コール)!!! 』
振り下ろされる炎の大剣と、呪術帯で覆われた左眼の魔眼を解放するのは、ほぼ同時であった。
球体の魔法陣に包まれる、悪魔使いとその番。
粉微塵にせんと振り下ろされた大剣は、その法陣に阻まれてしまう。
「ば・・・馬鹿な・・・人間(ひと)族如きが魔人化だと・・・・? 」
驚愕で見開かれるバアルの双眸。
己の振り下ろした大剣を受け止めるのは、禍々しい鎧に身を包む悪魔使いの番であった。
鋭い棘の生えた肩当、胸当ての背には蝙蝠の様な翼が生え、頬当てには鋭い牙がずらりと並んでいる。
バイザーから覗く両眼は、血に飢えた真紅の色をしていた。
「叩き潰せ。 」
「了解。 」
蒼い炎を宿す魔眼の主。
主人の命令に、禍々しい鎧の身を包む番は応えると、右手で受け止めている巨大な剣を意図も容易く押し返してしまう。
不意を突かれ、炎の悪魔は、二歩、三歩とたたらを踏むのであった。
中のモノを粗方掻き出し、ライドウは浴室から出ると、大きめのシャツを羽織った状態で事務所へと向かう。
明け方まで責められ、身体の節々から悲鳴を上げている。
素足で事務所の床を歩くと、ひやりとした感触が伝わった。
喉の渇きを覚えて、来客用の冷蔵庫から、アイスコーヒーを一本取り出す。
痛む身体を引きずりソファーに身を預けると、一つ溜息を吐いた。
「はぁ・・・・何をやってんだろうなぁ? 俺は・・・・・。 」
しぃんと静まり返る事務所内に、ライドウの呆れた声が響く。
仲介屋のエンツォが紹介した男・・・・ジャン・ダー・ブリンデは、間違いなくかつての番であり、10年以上前に死亡したと思われた、ヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーだ。
あの腕試しで、それは逃れ様も無い真実だと確信した。
(俺に復讐する為に、態々、姿を現したのか? )
矢無負えない事情とは言え、自分はあの地獄の業火の中に、愛する番を置き去りにしてしまった。
両眼を閉じると、今でも彼の最後の笑顔が焼き付いている。
アレさえ見つけなければ・・・・。
二上門地下遺跡・・・・・かつて、大霊マニトゥと死闘を繰り広げたあの場所で、聖櫃を発見しなければ、彼は今も生きて、自分の傍らにいたかもしれない。
無糖の冷たいアイスコーヒーを、乾いた喉に流し込む。
瞼の裏に、あの哀れな黒エルフの兄弟が浮かんだ。
一族郎党を皆殺しにした自分に対する復讐に燃え、周りが見えなくなった兄、バアル。
そんな兄と共に現世に足を踏み入れ、愛する兄を救う為に、己の躰を魔界樹の果実へと捧げた弟、モデウス。
自分が彼等と拘わらなければ、今も魔界でひっそりと暮らしていただろうか?
否、四大魔王の一人、反逆皇・ユリゼンと拘わった以上、彼等、スヴァルトアールヴ族は遠からず滅ぼされていたに違いない。
例え、生き残れたとしても、あの兄弟には悲劇しか待ってはいなかった。
『 俺を生かしていた事を必ず後悔させてやる!! 』
アモンの鎧を纏ったヨハンにより、瀕死の重傷を負わされた黒エルフのバアル。
魔界へと逃れる彼が最後に残した言葉は、今でも鮮明に覚えている。
弟の命を糧に実る事が出来た『クリフォトの果実』。
だが、強大な力を手に入れたのも束の間、更なる力によって完膚なきまで叩き伏せられてしまった。
唯一、生き残った家族を失い、矜持すらも失った彼の絶望は、想像を絶するだろう。
呑み終えたコーヒーの缶をテーブルに置くと、痛む身体を引きずり、壁に掛かってある自分の上着から、スマートフォンを取り出す。
液晶パネルを操作し、メールボックスを開くと、本国から一通のメールが来ていた。
『彼の組織を調査されたし、それまでは16代目・葛葉忍に貴殿の役目を務めて貰う。 』
メールの内容は、それだけであった。
彼の組織とは、勿論、KKK(クー・クラックス・クークラン)団の事である。
此処、レッドグレイブ市に滞在している期間で起こった事件、事故は全て組織に報告していた。
その中に、KKK団の事も含まれており、こうしてヴァチカンから正式に調査依頼が『クズノハ』に来たという訳だ。
「・・・ったく・・・完全に下請け業者じゃねぇかよぉ。 」
膝を抱え、ソファーの上で蹲る。
ギシギシと時折悲鳴を上げる四肢の痛みよりも、今は、心の中が重苦しくて仕方がない。
原因は、分かっている。
かつての番・・・・ヨハンが生きて、自分の前に現れた。
あの地獄の業火の中に、置き去りにした自分への復讐。
それ以外に、一体どんな理由があるというのだろうか?
ライドウは、一つ溜息を零すと瞼を固く閉じて、窓から降り注ぐ陽の暖かさに身を任せた。
投稿が大分遅れました。
理由は、モンハンにハマって遊び捲っておりました。