偽典・女神転生ーツァラトゥストラはかく語りき 作:tomoko86355
ライドウがまだ17代目を襲名する前は、『クズノハ』の暗部『八咫烏』の十二夜叉大将の一人、毘羯羅大将(びきゃら)でした。
病院の院長は、ライドウの元同僚で同じ十二夜叉大将の一人、宮毘羅大将(くびら)。
喋り方は紳士的ですが、性格は残忍で、十二夜叉大将の長、骸を心酔しております。
私の知っている世界は、この真っ白な壁と鉄格子の嵌った簡素な窓。
そして白いシーツと怖い顔をした大人達だけだった。
偽りの笑顔を浮かべた看護婦さんが、定期的に私の体温と血圧を測って、何時もの様にお薬を飲ませに来る。
お薬は大嫌い。
愛想笑いを浮かべる白衣を着たお医者様はもっと嫌い。
何で、皆私の事をそんなに怖がるんだろう。
びくびく皆して怯えた様子で当たり障りのない会話を交わしては、病室から出ていく。
唯一の楽しみは、大好きなお父さんとお兄ちゃんがお見舞いに来てくれる事。
一度、お父さんに何時になったらまた一緒に暮らせるのか聞いてみた。
そうしたら、お父さんは一瞬だけ悲しそうな表情をして「お医者さんがもう少しで病気が治ると言っているから、それまでの辛抱だよ。」と、笑顔で応えてくれた。
お兄ちゃんもお父さんと同じ表情をしている。
二人のそんな悲しい顔は見たくない。
だから、私は二度とこの質問はしない事に決めた。
それから暫く経った嵐の夜。
風が轟々と吹き荒れ、雨粒が容赦なく鉄格子が嵌った硝子の窓を叩いた。
その日は、朝からとても嫌な予感がしていた。
お腹の底がグツグツ熱くて、気分が苛々して、大好きな本を読んでいても落ち着けなかった。
機嫌が悪い私を敏感に察したのか、看護婦さん達も何時ものバイタル測定と投薬をするだけで、余計な会話をする事は無かった。
「ハル・・・ハル、起きるんだ・・・ハル。」
遠くで誰かが私を呼んでいる。
薄っすらと眼を開けると、そこに大好きなお父さんがいた。
「・・・お父さん?」
今は深夜と言っても良い時間帯だ。
面会の時間はとっくに過ぎている。
どうして、お家にいる筈のお父さんが此処にいるの?
どうして、何時もの恰好じゃないの?
黒い布で覆われた左眼と同じ色の口布。
皮の肩当に銀色に光るクナイが何本か収まった腰帯。
そしてナイフが仕込まれたグローブ。
まるでテレビで見た暗殺者みたいな衣装。
「しーっ、静かに・・・・・まだ夜中だからな?皆を起こしたら可哀想だろ?」
口布を下げたお父さんが、自分の口元に人差し指を当てる。
頭の中をクエスチョンマークが飛び交う私。
でも、これだけは判る。
お父さんは、今とても焦っている。
「今日は、特別に外出許可が取れたんだ・・・三人で海外旅行に行こう。」
嘘だ。
何故か分からないけど、私の肩に触れるお父さんの手から、例え様も無い不安と焦りと揺るぎない決意が否が応でも伝わって来た。
私の事を『クズノハ』と呼ばれる怖い人達から護る。
『人柱』には絶対にさせない。
ひとばしら・・・・?人柱って一体何だろう・・・・。
「お父さん・・・・・ひとばしらって何?・・・私がソレになると死んじゃうの?」
人柱の意味が分からなくて、優しい笑顔を浮かべるお父さんに聞いてみる。
するとお父さんが驚いた様子で私を見た。
「は・・・ハル・・・まさか、俺の心を読んだのか・・・・。」
「・・・・・?」
お父さんの言っている意味が分からない。
私は只、お父さんの”声”が聴こえたから聞いてみただけなのに。
お父さんは、唇を噛み締めると私を優しく抱きしめた。
「大丈夫、お前は絶対俺が護る・・・母さんとの約束だからな!」
大好きなお父さんに抱き締められると、とても安心する。
優しくて、強くて、格好良い、私のお父さん。
テレビで観るヒーローみたいに、私のピンチに必ず駆け付けてくれるお父さん。
だから大丈夫。
どんな事があっても、お父さんと一緒なら私は全然怖くない。
そっと私の病室を出て、廊下に出る。
目指すは、お父さんがセキュリティを一時的に麻痺させた病院施設の職員通路。
そこなら、怖い人達にバレずに病院から外へと逃げ出せる。
お父さんに導かれ、私はこの迷路みたいな病院の出口へと進んだ。
しかし、病院から出て高くて分厚い壁の向こうへと続く、職員専用搬入経路へと行こうとした瞬間、眩しい光が私とお父さんを照らした。
「困りますなぁ?毘羯羅(びから)殿・・・否、17代目・葛葉ライドウ様と言った方が良いですかな?」
光の向こうから声がする。
見ると職員専用出口を塞ぐ様にして、ゴツゴツとまるで戦車みたいな車が数台、停まっていた。
その前に白衣を着た眼鏡のお医者さんが立っている。
何時も私の定期検診に来るこの病院の院長先生だ。
「宮毘羅(くびら)・・・・・。」
とても怖いお父さんの顔。
私を護る為に自分の背後に押しやる。
「何故、我々が此処に居るのか不思議だ?と言わんばかりの表情ですなぁ?」
にこにこと笑う院長先生。
でも、分厚い眼鏡の下は、どうやってお父さんを虐めてやろうかという、残酷な考えでいっぱいだ。
とても怖くて思わずお父さんの腰帯を握り締める。
「此方には優秀な監視者がいる事をお忘れですかな?17代目。」
「・・・・安底羅(あんちら)か・・・・・。」
お父さんの大きな手が私の肩に触れた。
私なら判る。
お父さんは、こんな奴等には絶対負けない。
「御屋形様の大事な人を傷つけるつもりはありません。さぁ、大人しく巫女様をお渡し願えますかな?」
戦車の様な車から、鎧を着た人達が大勢降りてくる。
テレビで観た散弾銃や機関銃を手に持った兵隊達が、私とお父さんに狙いを定めた。
「俺もお前達と戦うつもりはない・・・素直に道を開けてくれたら、見逃してやる。」
腰に刺してあるクナイの一本を取り出す。
緊張が高まる周囲の空気に、私は唇を噛み締めて恐怖に耐える。
「ククッ、強がりを言っても無駄ですよ?GUMPと”草薙の剣”を業魔殿に置いて来た事までリサーチ済みです。いやぁ、非常に残念ですなぁ・・・一度”神殺し”の悪魔をこの眼で見てみたかったのですが・・・。」
院長先生の合図で、鎧を着た兵隊達が動き出す。
狭まる包囲網。
余りの恐怖に思わずぎゅっと眼を閉じる。
すると、遠くで車のエンジン音が聞こえた様な気がした。
ううん、気のせい何かじゃない。
ソレはどんどん大きくなり、職員専用出口を何かが突き破る。
真っ赤な車体をした荷台付きのラングラー。
まるで映画に登場する様な硬い装甲が付いたフロントバンパーのジープを運転しているのは、私より4歳年上の明お兄ちゃんだ。
「なっ!」
それまで勝ち誇っていた院長先生の表情が崩れた。
突然の出来事に装甲服を着た兵隊達が狼狽する。
「ハル!しっかり眼を閉じて俺に掴まっていろよ!」
お父さんが私を抱き上げるのと、お兄ちゃんが院長先生達に向かって何かを投げつけるのはほぼ同時だった。
激しい閃光が辺りを包む。
「せ、閃光弾?」
投げつけられたモノの正体は、閃光手榴弾だった。
言われた通り、眼を閉じて必死にお父さんに掴まる私。
大きく跳躍したお父さんは、院長先生や兵隊達を軽々と飛び越え、お兄ちゃんが運転する真っ赤な車の荷台に飛び乗る。
「明!出せ!!」
「了解!!」
ジープは、大きく円を描く様に旋回すると、そのまま外へと飛び出した。
私は、お父さんの腕の中に抱かれながら、ぼんやりと平らに流れていく山々の景色を眺めていた。
4年前に入院してから、一度もあの冷たい建物から外に出た事は無い。
気が付いたらあの病院の中に居たから、あそこがこんな深い森の中に建てられた施設だったなんて初めて知った。
「箱根にいるお薬屋さんの事は覚えているか?」
不意にお父さんに声を掛けられる。
見上げると口布と眼帯で隠されたお父さんの顔から唯一見える右眼が優しく笑っていた。
「・・・・フレイア先生の事?」
遠い、遠い記憶の淵を一生懸命探る。
蘆ノ湖にある小さな食堂を経営している魔法使いの叔母さん。
お店の地下には魔法の呪文を唱えないと行けない『工房』と呼ばれる異世界があって、そこには沢山の妖精と地霊が住んでいた。
「そうだ、箱根の先生には前もって連絡してある。あそこまで行ければ、おっかない悪者達もそう簡単には手が出せないは・・・・。」
筈だ・・・と言い掛けたお父さんの言葉が、車を運転しているお兄ちゃんの叫び声に遮られた。
私とお父さんが視線を前に移すと、石で出来た巨大な手が山道の舗装道路を塞いでいる。
「あれは!オオミツヌか!!」
「ちぃっ!!」
このままでは巨人の掌に激突しちゃう。
お兄ちゃんは、舌打ちするとハンドルを大きく右にきった。
車体が激しく曲がり、私は思わずお父さんにしがみつく。
ガードレールにぶつかり、崖下に落ちていく車。
躰が宙に投げ出される浮遊感を感じた直後、私の意識は失墜した。
「・・・・こ・・・様・・・命(みこと)様。」
自分に仕える官女の声に、彼女は現実に引き戻された。
声のした方に視線を向けると、上掛けを持った長い黒髪を背で一つに纏めた着物姿の女官が心配そうに此方を見つめている。
「また考え事でありんすか?最近、御飯も召し上がられてないみたいだし、一度奥医師に診て貰った方が良いでありんす。」
「白菊・・・。」
この女官は、自分が此処に幽閉された時からお世話係として仕えている悪魔だ。
容姿は、年若い女性の姿をしているが中身は何百年も生きている化け猫だ。
「大丈夫・・・少しだけ昔の事を思い出していただけだから・・・。」
そう言って優しく微笑む。
前の主人、串蛇(くしなだ)を失った出来事が未だに深い傷となっているのか、この従者は少々、心配性なところがある。
しかし、超国家機関『クズノハ』の手によって、国会議事堂の地下深くへと幽閉され、孤独で押し潰されそうな彼女を唯一支えてくれる存在でもあった。
「・・・・糞ジジィ(オモイノカネ)に口止めされてたでありんすが、17代目がイギリスの諜報員からの依頼で”マレット島”と呼ばれる島に行ったそうでありんす。」
この主人の心労の原因は知っている。
実父である17代目、葛葉ライドウの安否が気になって仕方が無いのだ。
「マレット島・・・・。」
聞きなれない言葉に秀麗な眉根を寄せる。
17代目(おとうさん)は、今も単身、危険な任務を務めているのだ。
あんな酷い事をされても、娘である私を護る為に懸命に組織に尽くしている。
そして、歳の離れている義理の兄も・・・。
「いくら屋内でも夜は冷えるでありんす。」
物思いに耽る少女の躰に、白菊は手に持っていた上掛けを肩に掛けてやった。
「ありがとう、白菊。私もそろそろ寝屋に戻ります。貴方も部屋に下がって・・・。」
そう言いかけた命の言葉が止まった。
湖を思わせる池が一望できる釣殿。
自分達が居るその場所に一人の人物が近づいて来ているのを見つけたからだ。
「こんばんわ・・・姉上・・・・。」
蝋を思わせる病的に白い肌に濡れ羽根色の長い黒髪。
赤を基調とした武官束帯に身を包む麗人は、十二夜叉大将の長―骸だ。
「・・・・骸・・・。」
思いもよらないこの来訪者に、女官は警戒心を露わにする。
「夜分に失礼・・・・姉上の御様子が気になりまして・・・。」
三日月の如く双眸を細める。
弧を描く口元は、一見するとまるで人を嘲っている様にすら見えた。
「新しい御身体の調子はどうですか?転生の儀は滞りなく行われたと聴きましたが・・・。」
「・・・何も問題はありません・・・。」
毛を逆立て威嚇する女官を後ろに下がらせる。
人間の姿をした怪物。
否、そうしてしまったのは、他ならぬ父上と自分自身なのかもしれない。
「それは何よりです・・・・姉上が無事に黄泉返りを果たして頂き、私も安堵していたところですよ。」
命から少し離れた位置に骸は、腰に刺していた刀を脇に置いて座る。
「・・・私は自分の役目を全うするつもりです・・・・だから、いい加減、貴方も17代目を解放して自由に・・・・。」
「奴は、謀反を起こした罪人ですよ。」
未だ、娘・・・ハルの人格を強く残す命を見越したのか、骸は少々語気を強くして遮った。
「本来ならば、見せしめとして無間地獄に堕としてやるつもりでしたが、奴が残した実績と”神殺し”の力は非常に惜しい・・・故に、”草薙の剣”を取り上げ、”蟲術”を施す程度で許してやったのです。」
傍らに置いてある赤味の鞘を人差し指で触れる。
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも呼ばれるこの神器は、歴代ライドウが代々受け継いでいったモノだ。
「心にも無い事を・・・・・貴方なら幾らでも私達家族を引き離せた筈です・・・態と希望を見せて・・・何て残酷な仕打ちを・・・。」
十二夜叉大将の長、薬師如来の名を持つこの男なら、もっと簡単に家族から自分を奪えた筈である。
なのにあんな山奥の収容施設に彼女を病気と偽って軟禁し、父親である17代目に監視まで付けた。
最初から、ああなる事を知っていて・・・。
「姉上・・・・。」
「帰って・・・今は、貴方の顔を見たくありません。」
泣いている顔をこの男にだけは見せたくない。
弟から顔を背け、毅然とした態度を取る。
「・・・やれやれ・・・随分と嫌われたものだ。」
態とらしく肩を竦めると、骸は傍らにある『草薙の剣』を手に取り立ち上がる。
「ああ・・・大事な事を言い忘れるところでした・・・。」
釣殿から去ろうとした骸は、何かを思い出したのか急に立ち止まると、背後にいる姉の方を振り返った。
「須佐が受肉したそうです・・・・未だ古の記憶が戻らぬ様ですがね。」
「・・・・!須佐が・・・。」
非業の死を遂げた弟の名を出され、命は驚いて骸に視線を向ける。
そんな姉の様子に、黒髪の美丈夫は皮肉な笑みを口元に刻んだ。
「私個人としては、記憶など戻らず人間としての生を謳歌して欲しいのですがね。」
それだけ伝えると骸は釣殿から出て行く。
その後ろ姿を命は黙したまま見送っていた。
命のお世話係をしている猫又の白菊は、葛葉ライドウ・コドクノマレビトに登場した白菊をモデルにしてます。