クリミアーナ家で3日を過ごし、ハーマイオニーは帰っていった。滞在中の大半を書斎で過ごし、大量にある本を読みつつ、その内容や勉強法などについて話をしただけ。例のあの人やデス・イーターに関することが話題になることはなかった。
明らかにハーマイオニーは、そちらの方へと話が向かわないように気を遣っていた。それがわかったので、話をしたいことは色々とあったが、アルテシアもそのあたりの話にはあえて触れないようにしていた。それでも、魔法について話をするのは楽しかった。いくつか話してくれないことはあるけれど、やっぱりハーマイオニーは友だちなのだとアルテシアは思う。
その友だちが帰っていった後で。
「グレンジャーさん帰っちゃいましたけど、これからどうします?」
「そうだね。ティアラを待ってたいとこだけど、そうも言ってられないかなって思ってる」
魔法大臣の後を追いかけていって以来、ティアラはクリミアーナ家に戻ってきていない。そんな約束をしていた訳ではないが、戻ってこないことが気になっていた。だが、さまざま、やることはある。ただ待っているだけではなく、いろいろ準備などを進めていこうとアルテシアは考える。
「学校が始まるまでにやっておきたいこと、あるからね」
「それ、手伝わせてくれるんですよね」
とりあえず、やるべきこと。
いまアルテシアの頭の中にあるのは、マクゴナガルに言われたハリーの新たな隠れ家への移動に関する件だ。もちろん、灰色のレディ・ヘレナとも話をする必要がある。少なくともヘレナが持ち去った魔法書がどうなったのかを確認せねばならないのだが、間近に迫っているハリーの隠れ家移動のほうを優先させることにしたのだ。それも、本人はもちろんのこと誰にも気づかれずに終わらせなければならないのだ。
「難しすぎますよ、それ。隠れ家の場所だってわからないのに」
「多分だけど、ロンの家だよ。ハーマイオニーが言ってたでしょ、この休暇中はロンのところで過ごすんだって。ロンのお兄さんの結婚式もあるそうだし」
「ああ、なるほど。あの3人、いつも一緒ですからね。そうか、ちょっと考えてみればウィーズリー家だってわかるんですね」
ソフィアの言うとおりだなと、アルテシアは思った。あまりに予想がしやすいのだ。きっと、同じ予想をする人はいるだろう。それが闇の陣営の人だったなら、どういうことになるのか。
「あっ、もしかすると」
ふと思ったのは、スネイプによるミスリードの可能性だ。ハリーの隠れ家移動をわざと伝えるなどして、例のあの人への情報操作をしているのではないか。根拠も何もない単なる思いつきだけど、もしも、そんなことができるのだとしたら。
「スネイプ先生って、すごい人だね、ソフィア」
「え? なんの話ですか」
「ううん、なんでもない。それよりウィーズリー家の場所、知らないよね?」
ソフィアがうなずく。アルテシアのほうも、ロンからウィーズリー家に誘われたことはあるが、場所までは知らない。結局、ウィーズリー家だと予想はできても、場所については不明のままということになる。
「あの、マクゴナガル先生に聞いてみてはどうでしょう。生徒の家くらいご存じのはずです」
「そう、だよね。それが一番いいのかな」
知らないことは知っている人に聞くしかない。とりあえずそうすることにして話に区切りをつけると、改めてソフィアを見た。
「この家の保護魔法のことだけど、何か知ってるなら教えて。わたし、さすがに全部はわからないんだよね」
「えっ!? そんなのムリですよ。アルテシアさまにわからないものが、あたしにわかるわけないです」
そうかもしれないが、そうとばかりも言えないとアルテシアは思う。なにしろソフィアは、あの虹色が盾の魔法なのだと知っていた。
「でもソフィア、あなた、あの虹色が盾だって…… 待って、誰か来る」
「ティアラさんでしょう。戻ってきたんですよ」
「違う、あれは、トンクスだわ」
部屋に居ながらにしてトンクスの来訪がわかったのは、クリミアーナ家を誰かが訪れたとき、それが分かるような仕掛けがされているから。パルマがその来訪を告げに来たのは、そのすぐ後だった。
※
しばらく前から、ティアラは魔法省の大臣室にいた。魔法大臣ルーファス・スクリムジョールの執務室である。ティアラは、その魔法大臣と向かい合わせで、ソファーに座っている。
「では、そういうことでよろしいかな」
「わかりました。近いうちに、アルテシアさまをここにお連れできると思いますよ。細かな打ち合わせはそのときに」
「よいとも、そうしよう」
数枚の書類を、トントンとテーブルの上で揃えながらスクリムジョールが上機嫌で言い、ティアラも笑顔を返す。なにやら、約束事ができあがったらしい。
「しかしだな。仮にも闇の帝王と称され、魔法界を混乱に陥れた人物だ。それを、あんなお嬢さんが抑え込めるなどとは」
「また、そのお話ですか。ちゃんと実力をお示しし、ご納得いただけたと思っておりましたのに」
「ああ、いや。むろん疑ってなどいないのだ。部下からの報告もあるし、あのお嬢さんから指導を受けていた見習いたちの証言もある」
それに貴女の実力も見せていただいたからね、とスクリムジョールが笑う。どうやらティアラは、自分の実力を見せつけ、アルテシアはそれ以上なのだと主張することでスクリムジョールとなにやら交渉したらしい。
「それにダンブルドアも、彼女を高く評価していたのだよ。ハリー・ポッターが協力的でないと判明した今、大いにキミたちを頼ろうと思っている」
「ありがとうございます。クリミアーナを評価していただけるのは嬉しいです」
「ところでキミは、ボーバトンの生徒だったのだろう。あのお嬢さんとは、どういった知り合いなのかね?」
「大臣、魔法史はお好きですか。それを知ろうとするなら、クリミアーナの歴史から学ぶことになるのですけれど」
そこで、スクリムジョールが苦笑い。魔法史は苦手な科目だったなとつぶやく。
「なにしろ、ホグワーツの魔法史は実に退屈な授業なのだ。キミは知らないだろうがね」
ちなみにいま、ホグワーツで魔法史を担当しているのはカスバート・ビンズ。唯一のゴーストの教師である。さらに言うなら魔法史は、アルテシアの好きな教科である。
「そうですか。では、歴史の話はしなくてもいいですね。それでよろしい?」
「よいとも。過去よりも今、これからが大事となる。では最後に、キミのパートナーを紹介しておこうかな」
「なんです? パートナー?」
「そうとも。これから魔法省の仕事をしてもらううえで相棒は必要だ。まあ、連絡係のようなものだと思ってくれれば良い」
ティアラの微妙な表情から察するに、この提案は、彼女にとっては予想外、あるいは予定外のものであったらしい。そんなティアラの困惑には、もちろん魔法大臣も気づいただろう。
「我々魔法省とあのお嬢さんとが足並みを合わせていくためには必要となる。なに、難しく考えることはないのだよ。闇の帝王、ヴォルデモート卿をなんとかできればそれでいいのだ」
「ですが、大臣」
「まあまあ、とにかく紹介させてくれ。ちょっと待ちなさい」
話を遮るようにしてティアラの前に連れてこられたのは、少々太めの体型をした、茶色い髪にビロードのリボンを結んだ魔女。その手には数枚の書類を挟んだクリップボードを抱えていた。
何だったろうか。その姿が何かに似ていると思ったティアラだが、すぐには思いつかないようだ。そして、思いを巡らせる。
※
クリミアーナ家を訪れたトンクスは、パルマによって応接室へと案内されていた。すぐにアルテシアとソフィアもやってきて席に着き、それぞれの前に飲み物が用意されたところである。
「悪かったね、突然押しかけて来たりして。場所とかは、マクゴナガルに聞いたよ」
「そんなの、気にしなくていいです。クリミアーナに来てくれるのは嬉しいです。でも、何かあったんですよね?」
声の調子や、見た感じなどはいつもと変わらない。だけど、ちょっとだけ表情が硬いような気がする。気のせいかもしれないと思いつつも、アルテシアはそんな風に問いかけた。トンクスが、用意されたお茶へと手を伸ばす。
「何もないよ、今のところはね。あるとしたら、これからさ」
「え?」
「そのことでさ、ちょっとね、相談というかお願いしたいことがあるんだけど、いいかい?」
いいかと言われても、その内容を聞かなければ応諾することは難しい。アルテシアは軽く微笑んだあとで、質問を返す。
「それ、マクゴナガル先生にも相談されたんですよね?」
「いいや、マクゴナガルにはここへの行き方を聞いただけさ。だってこれは、あんたにしかできない。そう思ってるから、ここに来たんだ」
「わたしにしかできない?」
「タンブルドアが死んだ後、不死鳥の騎士団は、実質的にはマッド・アイが指揮してる。で、近々、大きな任務があるんだ」
その任務とは、ハリーに関すること。母親による保護の魔法が17歳の誕生日に切れるため新たな隠れ家への移動が必須となり、それを無事に実行するために騎士団が動くのだという。そのあたりの話はマクゴナガルから聞かされていることを、アルテシアが伝える。
「だったら、話は早い。力を貸して欲しいんだ、アルテシア。マッド・アイがたてた作戦が、どうにも不安でね」
トンクスが言うには、数人がポリジュース薬でハリーに変身し、誰が本物か分からないようにした上で分散して移動するらしい。だけどこの計画には大きな欠点がある、と言うのである。
「考えてもみなよ、危険にさらされるのは同じだろ。敵の目はごまかせるのかもしれないけど、7分の1の確率になるだけだ。ハリー本人か、別の誰か。全員かもしれないよ。デス・イーターたちに狙われるのは変わらない」
「そう、ですね」
トンクスの言うとおりだ、とアルテシアは思う。最も幸運な場合でも、ヴォルデモートを含まないデス・イーターたちに追われることになる。逃げ切れる確率は上がるにせよ、戦いは避けられないという点において、いい作戦とは言えない気がする。
「あたしが闇祓いになるとき教えも受けたし、マッド・アイには、いろいろと世話になってる。この計画は成功させたいと思ってるんだ」
もちろん、失敗するわけにはいかないだろう。チラとソフィアを見た後で、アルテシアはゆっくりとうなずいた。トンクスも、軽く笑みを見せる。
「ホントはさ、あんたに来てもらえば話は簡単なんだ。あの魔法だけですべては解決する。それは分かってるんだけど、そういうわけにもいかなくてね」
そのトンクスの提案は、マッド・アイから拒絶されたらしい。アルテシアは未成年だし、なにより騎士団のメンバーではないというのがその理由。となると、見習いの頃より何かと世話になっていたトンクスとしては、従うより他にはないらしい。
「マッド・アイは、あんたのことをよく知らないからね。仕方ないのかなとは思うんだ。だけど、あきらめられなくってさ」
「ええと、何かわたしにできることがあるんですね?」
「そう、そうなんだ、アルテシア。あんたの参加がダメだって言うのなら、あたしがやればいいんだ。なあ、あの魔法を教えてくれないか。あんま時間ないけど、それでうまくいくんじゃないかって、少なくともあたしはそう思ってるんだ」
現状では、ハリーの家を煙突飛行ネットワークにつなぐことはできない。ポートキーの設置や姿くらましなどでの移動も難しい。闇の側の勢力は魔法省の中にも広がっており、それらを無理に行えば察知され、罪に問われることにもなる。ならば、魔法省の知らない魔法で移動すればいい。そんな手段を、いざというときのため、奥の手として持っておきたいのだとトンクスは言う。
そこで、ソフィアが手を上げた。
「あの、トンクスさん。いいですか?」
「ん? ああ、もちろんさ。えっと、ソフィアだっけ?」
ゆっくりとうなずいたソフィアが、ちょっとだけアルテシアを見て、トンクスに向き直る。
「あの魔法を覚えるのって、時間かかりますよ。トンクスさんですからね、10年とは言いませんけど、それでも数年か数か月。何日かで覚えられるってことにはならないと思います」
「えっ! そ、そうなのか」
驚愕。まさにそんな顔をみせたトンクスに、アルテシアが微笑みかける。大丈夫、心配はいらないと言うのだ。そして、左手をトンクスの前に差し出す。そこには、あの虹色の玉が乗せられていた。ハーマイオニーが持ち帰ったモノと外見は同じだが、もちろん中身は違う。
「……これは?」
「魔法の玉、ってことで。必要なときこれを壊せば、魔法が発動するんです。きっとハリーは、無事に移動できると思いますよ」
トンクスへの助力は、アルテシアにとっても利がある。ハリーの移動を安全に完了させることは、アルテシアの課題でもあるからだ。だから、手伝うのはかまわない。かまわないが、問題が1つある。
「わたし、ハリーの移動先がどこなのか知りません。だからそれはトンクスさんにやってもらうしかありません。いいですよね?」
「も、もちろんさ。なんでもやるよ。言われたようにはするけど、練習が必要、なんだよね? それ、どれくらいかかる?」
年単位でなくとも数か月、いやたとえ数週間だったとしても。トンクスとしては、それだけの時間をかけるわけにはいかないのだと言う。なぜなら、ハリーの移動の日は待ってくれないからだ。そのときに間に合わなければ、意味はない。そのことを気にするトンクスに、その心配はいらないとアルテシアは笑って見せる。
「大丈夫ですよ。魔法自体は虹色の中にあるので、そのとき行き先だけ思い浮かべてくれれば」
トンクスならば問題なくできるはずだと言うアルテシアに、トンクスは、念のために一度試してみたいと申し出た。
※
「うわ! ホントにできたよ。スゴイな、これ。もっと練習が必要かと思ったけど、これなら大丈夫だ」
試しに1度やってみようということになり、場所はクリミアーナ家の書斎に移っていた。そこで実際に魔法の玉を使い、閲覧用のテーブルの右端に置かれた本を左端へと移動させてみたところである。ミスなくできたことでいくらか興奮気味のトンクスに、改めてその使用法を説明しながら、虹色の玉をもう1つ作る。
「ありがとう、アルテシア。これでハリーを安全に移動させられる。心配事が減ったよ」
「いいえ、トンクス。お礼を言うのはわたしのほうなの。これをあなたがやってくれるのなら、すごく助かる」
「……えっと、どういうこと? アルテシアの役に立てるんなら嬉しいけど、あたしからお願いしたことだよね?」
その通りなのだが、ハリーの移動について悩んでいたのはアルテシアも同じだ。その役目をトンクスが引き受けてくれると言うのだから、アルテシアにとっては渡りに船。この件は解決したようなものであり、歓迎すべきことだと言ってもよいのである。
「なるほどね。わかった、そういうことならこれ、遠慮なく使わせてもらうよ」
「ええ、トンクスなら安心して任せられる。でも、十分に気をつけてね。念のために、連絡用のを渡しておくわ」
そして、もう1つ。新たに作った虹色の玉は、ハーマイオニーに渡した物と同じだ。すなわち、その場へアルテシアを呼ぶモノである。
「へぇ、そんな魔法もあるんだな。わかった。こっちはたぶん、使わずに済むと思うけど、もらっておくよ」
「少しでも危ないとか思ったら、遠慮せずに呼んでね。すぐに行くから」
「ああ、そうするよ。だけど、忙しいんだろ? 正式にホグワーツの教授になるって聞いたけど」
先生になることを指摘され、アルテシアがはにかんだ表情をみせた。情報源は、おそらくマクゴナガルなのだろう。
「ハリーの件が終わってからでよければ手伝うよ。準備とか、色々あるんだろ?」
「ありがとう。でもトンクスはグリフィンドールだったよね。気持ちだけ貰っておくわ」
「ん? グリフィンドールだと手伝えないのかい?」
「というか、レイブンクローのことを調べたいと思ってるから」
と言いながら、ソフィアへと目を向ける。
「実はねソフィア、わたしたちの知らない魔法書が、まだあるみたいなの」
「えっ!」
「それを見つけたいと思ってる」
驚きのためか、ソフィアから返事はない。それはトンクスも同じだが、こちらのほうは魔法書についての知識がないからかもしれない。ソフィアとアルテシアとを、ただ交互に見ているだけだ。
「多分だけど、クリミアーナ家の誰もが見たことがないはずのモノよ。ごく初期の頃に作られた魔法書らしいから」
「で、でもそんなの、どうやって…… 何か、手がかりとかあるんですか?」
目を丸くしているソフィアに、アルテシアは、さらに説明を加える。
「手がかりというか、もう、本という形では残ってないかもしれないとは思ってる」
「どういうことですか?」
「わたしたちの魔法書は、何百年たとうと劣化したり朽ち果てたりはしない。そんな処理がされてるからね。でも、一番最初に作られたモノがそうだったとは限らない。魔力を持ったモノだから姿形は変わっても残ってる可能性はあると思うけど、崩れて土に返ったかもしれないね」
「……それを、探すんですか?」
ニコッと微笑んだ後、アルテシアはゆっくりと首を振る。
「いいえ。さすがにそんなのを見つけられるとは思わない。だけど、そこに書かれていたモノ、内容、その知識ならどうかな。少なくとも、それを読んだことのある人はいるんだから」
「へえ、誰だい、それ。そんな人が…… あ、レイブンクローか。だからレイブンクローのことを調べるのか、なるほど」
トンクスは納得したらしい。だが、レイブンクローはもう、この世にはいないのだ。そのことを、ソフィアが指摘する。
「そう、レイブンクローは死んでるね。けど、ゴーストがいるだろう? あれはたしか、レイブンクローの娘だったはず」
「もちろん彼女にも話を聞くつもりだけど、でもロウェナ・レイブンクローは、何か残してくれてる。そんな気がするんだよね」
「まさか、そんなこと…… ああ、でも、あり得るのかもしれませんね」
「仮にそんなのが残ってるんだとすれば、レイブンクローの寮ってことになるのか。たしかに、グリフィンドール出のあたしじゃ役に立たないや」
トンクスが、苦笑い。だけどそれらしいモノ、レイブンクローが残した何かを見聞きしたことがあるかどうか、レイブンクロー出身の知り合いに声を掛けてくれるという。もちろんハリーの件が終わってからになるけどと、もう一度笑って見せた。
「けどさ、そのなくなった本には何が書いてあったのかな。闇の連中をあっという間に始末できるような魔法とか、あったりすればいいんだけど」
危険も混乱もなく、すぐにも魔法界に平穏が戻ってくるような魔法。そんな魔法があればいいなとつぶやくトンクスに、ソフィアが軽くため息。
「言っておきますけど、トンクスさん。いまヴォルデモート卿をなんとかするだけでいいのなら、スグなんですよ。あたしにだって、できるんですから」
「えっ! そ、そうなのかい?」
トンクスの視線が、動く。だがアルテシアは、苦笑とともに首を振った。なので、もう一度、ソフィアへ。
「アバダ・ケダブラ(Avada Kedavra:息絶えよ)のような許されざる呪文じゃないですけど、そういう魔法はクリミアーナにもあるんです」
「でもね、トンクス。そういうことはできないし、したくない。あの人を説得できればと思ったけど、それは難しい。じゃあ、どうする? どうすればいい?」
「い、いや、アルテシア、それは……」
「もちろん、なんとかするよ。するんだけど、今は魔法書のことが気になってしまって。だから、トンクスがハリーのこと引き受けてくれたのは、とても有り難いと思ってるの」
できることなら、先に気になることを片付けてしまいたい。それからじっくり考えたい。そうしたかったのだとアルテシアは言う。
「まかせてよ、アルテシア。もともとこれは、騎士団の役目だからね。ハリーのことが終わったら連絡する。あたしにも何か手伝わせてよ」
そう言って、トンクスはにこやかに笑ってみせた。
※
ここ数日のアルテシアは、自宅の書斎に閉じこもってばかりである。やることがない、ということではない。いくらでもあるのだが、結果として書斎にこもるようなことになっていた。その理由は、大きく2つある。
アルテシアとしては、ハリーの隠れ家移動の件をトンクスに任せることができたので、その分の空いた時間でレイブンクロー寮の談話室など調べていくつもりだった。だが、無断で校舎に出入りするのはよくないだろうと思ってしまったこと。それが理由の1つめである。マクゴナガルと手紙のやりとりをした結果、新校長となるスネイプの許可を得ておいたほうがよいということになり、しばし待つことになったのである。
とりあえずソフィアは自宅へと戻ることになり、今は不在。ティアラのほうは、相変わらずどこかへ行ったままである。
ただひとり、アルテシアは書斎の椅子に座っている。すぐ前のテーブルには、幼い頃より読んでいた魔法書が広げてある。広げてあるが、読んでいるわけではない。閉じてしまえば、そのうち本棚へと戻ってしまうだろう。
右手の、人差し指と中指。その2本をそろえ、広げた魔法書へと向ける。ゆっくりと動かしていき魔法書の右上を、そして左下を指す。そんな仕草が、何を意味しているのか。そんなことが気になり始めてしまったこと。それが、2つめの理由である。
(知らないことが多すぎるんだよね……)
用件が片づいたあとでの、トンクスとの世間話。彼女が帰路につくまでの、ちょっとした雑談。そのはずだった。その後、忙しくしていたならば、いつの間にか忘れているような。そんな話でしかなかったはずなのだ。
なんでもトンクスは、アルテシアが教えていた闇祓いの見習いたちの訓練の場に顔を出したらしい。そのとき見習いたちは、魔法を使う前にわざわざ指さすような動作をしていた。それはトンクスにも見覚えのある、ときおりアルテシアがしてみせるような仕草。
だが戦いの場では、一瞬の差が勝負を分けることになる。なのにそんな余分な動作を入れるのは、不利にこそなれ、良いことなどひとつもないと見習いたちを叱ったとのこと。笑い話のように話してくれたトンクスだが、そんなことは見習いたちも承知していた。ただクリミアーナ家の魔女のマネをしてみれば強くなれるのではないか、きっと何か意味があることなのだと、そんな思いでしていることらしい。
(そんなことを言われても……)
アルテシアとしては、いちいち、そんな仕草をしているという自覚はない。おそらくは単なるクセなのであり、特に意味などないはずだ。何か意味があるというのなら、逆に教えて欲しいとさえ思っている。だが……
だがおそらくは、ちゃんと説明できるのだろう。そうするだけの理由があるのに違いない。
それがきっかけとなり、アルテシアは書斎にこもるようになった。考え事をするのなら、森を散歩するのが一番なのだが、書斎のほうが都合が良いこともある。さすがに森では、こうして魔法書を広げておくことは難しい。
(例えば、この魔法書……)
あるいはクリミアーナの家でもいい。そこには何かしらの保護魔法がかけられているのだが、アルテシアには、そのすべてを再現することができない。考えてみれば、おかしな話である。いや、おかしなことなど何もない。ただ自分がクリミアーナの魔女として未熟なだけなのだと、これまではそう思ってきた。だが実は、そういうことではなかったのだとすれば。それが、自分の知らない魔法書がもう1冊あったのが理由だとしたら。
(違う、そうじゃない……)
たとえ自分の知らない知識によるものだとしても、その魔法は今、ここにあるのだ。実際にあるものを再現できないのは、単に力不足でしかないのだと、アルテシアは考える。先祖の誰かにできた魔法が、自分にはできないこと。それが、悔しくて悲しい。
(例えば、時を止める魔法)
魔法書は、長年にわたり子孫が受け継いでいくことを前提としたものだ。ゆえに、劣化や汚損・破損は防がなければならない。その実現のため、時の流れの操作がされている。それはわかるのだ。
パタンと本を閉じ、立ち上がる。そして本棚の前へと歩いて行き、そこから1冊抜き取ってくる。とくに魔法処理などされていない本だが、これに魔法書同様の処置をしてみようと考えたのだ。自分の実力を試すという訳ではないが、真剣に取り組んでみる必要はあるだろう。クリミアーナ家直系の魔女として、魔女の家を受け継いだ者として、これくらいはできてしかるべき。魔法書がなくても、その魔法を生み出すくらいのことはできてもいいはずだ。幸い、お手本はある。
魔法書が並べられた棚に目を向ける。先ほどまで広げてあった本が、すでに戻っている。この移動の魔法はさておくとしても、時の流れは止められない。流れていくのか、逆行するか。そのどちらかになる。
(こういうことだろうと思うんだけど……)
理屈の上では、自然に流れていく時間の分だけを魔法で戻してやれば、プラスとマイナスの均衡によって時の流れが止まったようには見えるだろう。もちろん、きっちりと本1冊分のスペースだけにその魔法を永続的に発動させねばならないのだが、そんなことができるのだろうかと首をひねる。
まず、有効範囲の設定が難しい。余裕を持って広めのスペースをとる、というわけにはいかないからだ。なにしろ、人が読む物だ。広めにスペースをとれば、手や指が指定範囲の中に入ってしまうことになる。その中では時間が止まっているため、手と身体とが違う時間の流れの中にいることになる。なにがしかの影響はあるはずだ。
そこまで考えて、アルテシアははっとした。自分の手の動きに驚いたのだ。まさにトンクスから言われたように動いていたであろう、その手。その指が何をしようとしていたのか。もちろん、意識してのことではない。だけど、想像はできる。
(そうか、有効範囲の指定をしているんだ……)
そういえば、とアルテシアは思う。シリウス・ブラックという人が無実の罪で処罰されようとしているからとハーマイオニーに誘われ、ハリーも一緒に過去へと戻ったときだ。あのとき、大まかではあるが時間が早送りされる範囲を決めてから実行したはずだ。自分たちの周りを囲むようにその範囲を取るために…… おそらくこの手の動き、指の動きによって、そんな魔法効果の範囲を決めたのだ。無意識のうちに。
なるほど、そういうことなのか。おそらく、このことには意味がある。魔法の制御に関係しているのだ。
だが今回は、あのときよりも難しい。より細かな指定が必要となり、しかもその範囲は移動する。本は可搬性のある物だし、ページをめくるという動作までも想定した範囲指定など、どうすればできるというのか。
(だとすると……)
外側がダメなら、内側。そうだ、本そのものが時の流れをさかのぼるようになればいい。時の流れを操る魔法は、ここにあるのだ。それを魔法書に付与することができれば、問題の多くは解決しそうに思える。だが具体的には、どうすればいいのだろう。
あっ! そうだ。
何か思い出したかのように立ち上がったアルテシアは、改めて魔法書の棚の前に立つ。だが手に取ることはせずに、ずらりと並んだ背表紙を見る。どの魔法書の背表紙にも、なにか記号のようなものが小さく刻まれている。文字ではない。それが何であるのか、アルテシアにはわからないのだが、きっと、これが……
そのとき、書斎のドアが開いた。顔をのぞかせたのは、パルマ。
「アルテシアさま、お手紙ですよ。けど、何なんでしょうね、アレは。ふくろうが持ってきたですよ。けど、敷地の中には入れなかったんですかね。門の外でうろうろしてたもんで何かと思って見に行ったら、くちばしで手紙を咥えて、あたしをじっと見るんですよ。ちょっと気味が悪い感じもしたですけど、手紙は受け取りましたですよ」
「あ、ありがとう、パルマさん」
「いえいえ。何か急ぎの用事とかだったら大変じゃねぇですか。すぐお読みになったほうがいいですよ」
それは、その通り。
受け取った手紙を、裏返してみる。だが、差出人の名前は書かれていなかった。テーブルの席に座り、封を開けてみる。それは、セブルス・スネイプからの手紙だった。そこに何が書かれていたのか。手紙を読み終えたアルテシアが、書斎を出る。
「パルマさん。わたし、ホグワーツに行かなきゃ。ちょっとね、いろいろと事情が変わってきてるみたい」
パルマがうなずいたところで、アルテシアの姿が消えた。
次回は、第125話「残された手紙」、11月12日(火曜日)の投稿予定です。
以降、火曜と金曜の週2回、最終回まで投稿していくことになります。よろしくお付き合いください。ちなみに126話は、金曜日(11月15日)の投稿予定です。
途中、イレギュラーはあるかも知れませんが、そういうことにさせていただきます。よろしくお願いします。
次回は、魔法省の陥落により、魔法大臣が交代。校長就任となったスネイプは、アルテシアに防衛術の担当教授を要請します。ですが、闇の陣営もホグワーツ内にデス・イーターを送り込むため、教授就任を強要してきます。ヴォルデモートの命令にも等しい要望を、スネイプはどうするのか。もめ事が起こりそうな予感。