ホグワーツの校長室である。新たな校長になったということで、そこにスネイプの姿があるのは不思議ではない。そんな彼に呼ばれたのだから、アルテシアが校長室へと転移してきたのもまた当たり前なのであろう。
「ああ、来たか。この休暇中になにやら調べ物をしたいと聞いたが、吾輩の用件が先だ。それが終われば、好きにして良い」
「わかりました、ありがとうございます」
スネイプに勧められるまま、椅子に座る。これまでにも何度か座ったことのある、来客用のテーブルの席だ。その向い側に、スネイプも座った。
「どれだけの情報がおまえに届いているかはさておくとして、魔法省が陥落した。つまりは、魔法大臣が交代したのだ。たしかおまえは、闇祓い見習いたちの教師役もしていたはずだが、もはやその仕事があるとは思わぬことだ。これまでのようにはいかぬぞ」
「あの、先生。もう少し詳しく教えてもらえませんか。魔法省で何があってどうなったんですか」
まったく説明が足りていない。そんなアルテシアの訴えを、スネイプは鼻先で笑って却下した。
「なぜそんな面倒なことを吾輩がせねばならんのだ。いずれはおまえの耳にも届くはずだ、それまで待つがいい」
「で、ですけど、先生」
「重要なのは、魔法界の有り様が変わるということだ。やたらと純血主義が前面に押し出されてくるのだろうが、おおよそ、おまえが生まれる頃の魔法界に戻るようなものだろう。そう理解しておけば十分だ」
それが具体的にどのような時代だったのか。もちろんスネイプは、その説明を省略した。あとでマクゴナガルあたりにでも聞け、ということらしい。
「それでわたしは、何をするべきですか。魔法省を奪い返せば、そんな時代に逆戻りせずに済みますか?」
「ほう。おまえが、ソレをするというのか。いや、さすがにまだ早かろう。そんなことより、吾輩の後任としてホグワーツの教授となることに異論はないのだな。そのように進めて問題はないな」
ソレ、とは何か。そのことには触れず、スネイプは話を進めていく。後任については了解済みの話なので、アルテシアとしても、今さら否やはない。こうして引き継ぎの時間をとってくれるのは、ありがたい話だと思っている。
「吾輩の研究室だが、この先、使うものがいなくなるのだ。貴重な素材なども保管してあるが、おまえなら使えるだろう。自由に出入りしてよい」
「えっ! あの研究室を、ですか」
「そうだが、不満か。授業の合間にでも、薬の研究はできるはずだ。仮に新たな魔法薬でもできるのなら、その分、不治の病に悩む者を助けることができるかもしれぬ」
そこで思ったのが、母マーニャのこと。もし有効な薬が、魔法界にあったなら。仮にそうだったなら、マーニャは助かったのか。いくらかでも長生きができたのか。
「ええと、先生。わたしは防衛術の担当になるんですよね」
「ああ、そうだ。だが、魔法薬学を続けてはならぬという話ではないぞ」
言いながら、スネイプが立ち上がる。やたらと腕の辺りを気にしているように、アルテシアには見えた。
「先生、どうにかされましたか」
「大事ない、気にするな。だが、ゆっくり話ができる状況ではなくなった。たしか、調べ物があると言っていたな。それを始めてかまわんぞ」
急にどうしたというのか。だがそう言われてしまうと、居座るわけにもいかない。アルテシアも立ち上がろうとしたが、スネイプの表情が、わずかに歪んだ。苦笑ともとれそうな笑いを浮かべた後、ため息をつくとドアのほうへと大股で歩いて行く。その後ろ姿を見つめているアルテシア。スネイプが、ドアを開けた。
「何用かな、アミカス。おお、アレクトも一緒か。カロー兄妹がおそろいとは、おめずらしい。だが、学校はお嫌いなのではなかったかな」
「黙れ、セブルス。召集の指示を無視したな。帝王がお怒りだぞ。校長就任の準備に忙しいとでも言い訳するつもりだろうが、その程度でお怒りを静められるとは思えん。何か、うまい申し開きがあるのだろう。聞いてやってもよいぞ」
「いや、ないな。まさにその通りなのだ。吾輩は忙しい」
「それを信じろと言うのか。みれば、女生徒と楽しくお過ごしのようだが…… おう、これはこれは」
アミカスと呼ばれた男が、アルテシアの姿を認め、ずかずかとすぐ前までやってくる。妹のアレクトとスネイプが、その後に続く。
「なるほど。さすがはセブルス。世渡りはお上手だ。そうかそうか、なるほど、この娘を差し出せばお怒りなどすぐに解けるだろう」
どうやらアミカスはアルテシアの顔を知っていたらしい。ヴォルデモート卿と会ったとき、あのデス・イーターたちのなかにいたのだろう。やれやれといった様子のスネイプが、軽く杖を振って椅子を2つ用意し、それをカロー兄妹へと勧める。
「そこに座って待っているがいい」
カロー兄妹にそう言うと、スネイプはアルテシアを促し、出口の方へ。校長室から連れ出そうとしたのだが、当然のようにアミカスが出口との間に立ちふさがってくる。
「まさかとは思うが、その娘を逃がそうとしているのではあるまいな」
「いや、話の邪魔になるので外へ出そうとしただけだが」
返事はしたが、その顔はアルテシアへと向けられたまま。アルテシアは、チラと兄妹の方を見た後で、スネイプにうなずいてみせた。
「では、失礼します。みなさまも、ごきげんよう」
その直後、アルテシアの姿が消える。カロー兄妹が悲鳴のような声を上げたが、スネイプは素知らぬ顔で歩き、椅子へと腰を下ろす。
「どういうつもりだ、セブルス。ここでまたあの娘を逃がしたことが知れれば、命に関わるぞ」
「逃がした、とは心外だな。だが、吾輩を心配してくれての言葉なのだと受け取っておくぞ、アミカス」
「まさか。ただ、お怒りのとばっちりを食らうのはごめんだということだ」
「そ、それより、セブルス。あの娘は今、何をしたんだ? あのとき逃げ出せたのは、まさか……」
「さあな、吾輩はその場にはいなかったゆえ、わからんのだが」
素知らぬ顔でうそぶくスネイプだが、そんなことでカロー兄妹は納得などしなかった。あれこれと問われ続け、次第にいらいらが募っていく。
「では、捕まえて白状させればよかろう。帝王の下へ連れて行けば大手柄だぞ。もっとも、そなたら兄妹があの娘を捕らえるなどムリな話だとは思うが」
「黙れ。そもそも、おまえこそがそうすべきなのだ。わが君のところへ連れてきたのはおまえだぞ」
「ああ、そうだ。吾輩は一度、あの娘を帝王の下に差し出している。だが、無様にも逃がしてしまったのはおまえたちだ」
まさに、痛いところを突かれたといったところか。兄妹のどちらからも、声がない。スネイプが、ニヤリと薄笑みを浮かべた。
「言っておくが、吾輩が改めてあの娘を帝王に差し出すようなことはしない。ベラトリックス・レストレンジの役目を奪っては申し訳ないことになるのでな」
「ああ、そうだったな。確かにあの娘を捕まえるのはベラの役目だ。だが、ベラは感謝するだろうよ。なにしろ帝王の機嫌がよくなるのだからな」
「ふん。そんな話はどうでもよい。本題はなんだ? 用件があるのならさっさと言え。なければ帰れ。吾輩は忙しいのだ」
ひらひらと追い払うかのように手を振ってみせるスネイプに、兄妹が揃ってむっとしたような顔になる。が、次の瞬間にはふっと表情を緩めた。
「まあ、いい。わが君のご指示だぞ、スネイプ。おまえが校長となった後、闇の魔術に対する防衛術をオレが、妹がマグル学を受け持つことになる。これは決定事項だ。そのことを伝えに来たのだ」
スネイプのほうは、ある程度の予想ができていたのだろう。特に表情に変化はみられない。ただ、息を整えるかのように、軽く深呼吸してみせた。
「何を勘違いしているのか知らぬが、ホグワーツの教授職を任命するのは校長の仕事だ。誰の指図も受けるつもりはない」
「だから、我等兄妹を任命しろと言っているのだ、セブルス。もう一度言うが、これは闇の帝王のご指示だぞ」
「知らぬな。吾輩は聞いた覚えがない。誰ぞが伝え忘れたのだろう。あいにくだが、後任の教授は決まっている。すでに魔法省や理事たちの認可も得ているのだ。この期に及んで、変更するつもりはない」
スネイプの返答が意外であったのだろう。兄妹二人ともに言葉を忘れ、驚いたような、呆れたような表情となっている。
「どうした、2人とも。用件がそれだけなら、お帰り願おうか」
「ま、待て、セブルス。本気なのか。そのまま報告することになるが、それでいいのだな?」
「もちろんだ。きっと帝王はわかってくださるだろう」
「本当にいいのか、後悔はしないか。もう一度、よく考えろ。あの娘を差し出せば、すべてがうまくいくのだぞ」
スネイプが、ゆっくりと席を立つ。そして、カロー兄妹を出口の方へと誘う。話は終わり、ということだろう。
「お帰り願おうか。今後、二度とこの件で話はしない」
※
カロー兄妹を学校外へと送り出し校長室へと戻ってきたスネイプを待っていたかのように、奥の方から声が聞こえてきた。その声の主は、歴代校長の肖像画の中にいた。
「ようやくお目覚めですかな、校長。いや、元校長、でしたな」
「ふむ、そうじゃの。わしのほうはそれでよいが、そっちは大丈夫なのかね、セブルス」
「もちろんですが、まさか、わたしを校長と、呼んでくださるのですかな」
肖像画のなかで、ずっと眠ったままだったダンブルドアだ。ようやく目覚め、こうして話もできるようになったらしい。
「カロー兄妹を、あのまま帰すべきではなかったと思うがの。ヴォルデモート卿の不信を招くのではないかね」
「なんと。ではあの2人を、ホグワーツの教授にすべきだったと言われるのですか。まさか、ダンブルドアともあろうお人が……」
「そうではない。そういうことではないのじゃ、セブルス。今、ヴォルデモート卿の不興を買うのは得策ではなかろうと言うておるのじゃ」
だがスネイプは、意外そうな表情を崩さない。何を言っているのか、とでも思っているのだろう。
「カロー兄妹には、まともな授業などできませんぞ。果たして、生徒たちがどうなるか。かわいそうだとは思われませんかな」
「ふむ。まあ、その通りではあるがのう。なれど、セブルス。キミの立場が危うくなるのではないかね」
だがそんな心配は不要とばかり、手をあげてダンブルドアを制する。どうやらスネイプは、状況悪化などとは考えていないらしい。
「立場を言うなら、わたしは長生きがしたい。それができる立場をこそ望みたいですな」
「長生き、かね。であれば、なおのことじゃと思うがの」
「ふっ。それだからこそ、ですよ。できればもう、ヴォルデモート卿とは関わらずにいられる立場が欲しい。そのほうが、多少なりとも長生きできるでしょうからな」
肖像画の中では、ダンブルドアがしきりと自分のひげをなでていた。どこか腑に落ちないのであろう。スネイプの言うことを吟味でもしているような、そんな目つきである。
「ひとつ、聞いて言いかねセブルス。いや、ふたつかの」
「いいでしょう。もっとも、答えるとは限りませんぞ」
「長生きしたい、と思うその理由じゃよ。かつて、死にたいともらしていたこともあったはずじゃがの」
「たしかに。だが今は…… そうですな、簡単に言えば、見てみたくなったのです。成長していくその先を、その姿を」
視線をそらすこともなく、スネイプがまっすぐにダンブルドアをみる。そのダンブルドアが、すっと視線をさげた。
「それはアルテシア嬢のことじゃな。じゃがわしは、ハリーを見守ってくれると思っていた。そう約束したではないか」
「もちろん、約束を違えるつもりなどありませんぞ。あなたのご指示に逆らったことなどないというのに、ご不満か?」
「いやいや、そうではない。そうでないが、ここに来て、アルテシア嬢への思い入れが強くなりすぎではないかと思うての」
どんな思いがあるのか、そのときふっともらしたその笑みを、ダンブルドアは見逃さなかった。
「あのお嬢さんに、リリーの面影でもみておるのかね。さすがに似ているとは思わんがの」
「それを言うなら、ダンブルドア。ハリー・ポッターも、そうとは言えませんぞ。どうみてもあれは、父親似。あの男を思い出すだけでしかない」
「そうじゃの、おぬしのきらいな父親によく似ておる。じゃがハリーの目、あの目だけはリリーのものじゃろう」
「校長、いや元校長でしたな。そんな話はともかく、あなたは見てみたい、とは思われないのですか」
「なにを、じゃね?」
本当にわからないのかどうか。しばし肖像画をにらんでいたスネイプだが、その判断を放棄。それよりも、話を進めたほうがよいと思ったのだろう。
「クリミアーナの魔女、ですよ。あの娘が成長し、この魔法界で何かを為してくれる。あなただって、そう思ったからこそホグワーツに入れたのでしょう」
「む。それはそうなのじゃが」
「本音を言えば、あの娘には魔法薬学を任せてみたかった。だがスラグホーン先生がおられますからな。なれど、防衛術の教授としても申し分ないのです。そう思われませんか。実に楽しみだ。正直に申し上げますが、わたしは、彼女が立派な魔女となるところを見てみたい。そう思うのは、なにもおかしなことではありますまい」
「たしかにの。このわしとて、そういう思いはあるよ。じゃがのセブルス。ハリーのことはどうするのじゃ。リリーの息子を見捨てるというのかね」
だがスネイプは、それを否定。約束したことは守っている、これからも守るというのだ。その指示には従う、と。
「まあ、そういうことならの。しかし、ハリーたちが入学してからのことを思えば、そういう気持ちになるのは理解できる。ハリーよりもあのお嬢さんに注目しておったからの」
「ところでダンブルドア、あなたがあの娘から取り上げたモノは、どうされたのですかな。ちゃんと返したのでしょうな」
「ん? 何のことかね、取り上げたとは」
スネイプが言うのは、ダンブルドアがホグズミードの民家から持ち帰った虹色の玉のことである。アルテシアに渡すべきなのに、取り込んだままとなっている。実際には、ダミーと入れ替えるという方法でアルテシアが回収しているのだが、そのことを両者ともに承知してはいない。
「ああ、そのことかね。ふむ」
「あなたは闇の魔術との関与が疑われるため調べるのだと納得させたが、その結果は伝えたのですか。あの娘にとっては大きな問題なのですぞ」
「そうじゃったかのう。とまれ、アレが何であるのか調べはつかなんだ。壊せば、中身が何かくらいはわかったじゃろうが」
だがその玉が、すでにこの校長室にはない。私物のほとんどを魔法省へ寄贈することにしたからであり、すでに回収されてしまっただろうというのである。つまりは今、どこにあるのかわからない。
「なんとなんと。なぜ、そんなことを。アレはあなたのものではないというのに」
「もちろん寄贈するとしたのは、わしの私物をということじゃよ。じゃが、そうでないものもそうじゃと判断されてしまったかもしれんのう」
「しかし、貴重なものもあったでしょうに。何とも、気前の良いことですな」
「死んでしまえば同じこと。じゃが、心配はいらんよ。必要なものはあの3人の手に渡るようにと、遺言書をしたためてあるでな」
3人と聞いてスネイプが思い浮かべたのは、ハリーとロン、それにハーマイオニーだ。遺言としたのは、その物品を3人の所有物であると認めさせ、間違いなくその手に渡るようにとするためなのだろう。
「なんとも用意周到で、結構なことですな。だがあの3人とは、あの3人でしょう。あの娘にも、あなたが取り込んでいたモノを返すと、そう書けばよろしかったでしょうに」
「そうじゃの。そうすべきであったが、あいにくと失念していたようじゃのう」
アルテシアにとっての実害はないのだが、これはダンブルドアの失態と言ってもよいだろう。スネイプが、軽くため息。
「それで、彼らに何を残したのです?」
「もちろん、これから必要となるものじゃよ。ハーマイオニー嬢には『吟遊詩人ビードルの物語』、ロナルド・ウイーズリーくんには『火消しライター』、ハリーには『グリフィンドールの剣』と最初の試合で取った『スニッチ』じゃな」
それらが何の役に立つのか。スネイプとしてはそれを聞いてみたいところだが、ダンブルドアがそれを話すことは思えない。聞くだけ無駄だったという経験は、いくらでもあるのだ。だが。
「さすがにグリフィンドールの剣をあなたの私物とするのは無理があるのではないですかな。魔法省は認めたのですか」
「そうじゃの。魔法省との交渉材料として私物を寄贈することにしたが、セブルス。キミを校長とすることは認めてもらえておる。きっとあの子たちにも、遺品として渡してくれるじゃろう」
「だとよろしいですな。で、それらの品々が、いったい何の役に立つのです。教えてもらってもよろしいですかな」
「さてさて。それはいずれ、わかるじゃろう。急くことはあるまいて」
聞かなければよかったとばかり、スネイプが息を吐く。そんな経験を、またひとつ、増やしてしまったようだ。
※
アルテシアは、スネイプの研究室に来ていた。本当なら西塔あたりで灰色のレディを探したほうがいいのだろうが、自由に使ってよい、とされたことが嬉しかったのだろう。校長室の様子も気にはなったのだが、真っ先にここへ来ていた。正確にはそのドアの前ということだが、ドアは当然のように施錠されている。
(そりゃそうだよね)
だがもちろん、アルテシアにとっては施錠の有無など関係ない。ただ飛び越えればよいだけのものだが、施錠されているという事実、その意味するところが行動を縛る。ちゃんと許可をもらったのだ。カギだって渡してくれるはずなのだ。少なくとも、もう一度ちゃんと確認してからのほうがいいのではないか、と思い直す。もしかすると、本当に譲るはずがないだろうバカモノ、などと言われるかもしれない。
(まさか、それはないよね)
それは、さておくとして。
次の瞬間、アルテシアはレイブンクロー寮にいた。ただし、寮の中ではなく入り口、その扉の前である。グリフィンドール寮もそうだが、ここの寮も、扉によって入室制限がされている。であるのなら、ちゃんと手続きを踏んだほうがいい。スネイプの研究室のこともあって、そんなことを思ってしまったのだ。だが、さて。目の前にある扉には、取っ手も鍵穴もない。ただ、ワシの形をした銅製とおぼしきドアノッカーがあるだけ。どうすれば扉が開くのかがわからない。
これまでレイブンクロー寮に入ったことのあるアルテシアだが、そのときはこの扉を通ってはいない。やっぱり、談話室あたりに転移すればよかったかなと考える。そうして寮に入ったことはあるのだから、同様な手段をとろうとも問題はないはず。実際にはどうやって扉を開けるのか、そのことは学校が始まってからパドマにでも聞けば済む話だ。
(それはそうなんだけど)
レイブンクローの生徒は、この扉から談話室へと出入りしているのだ。あまり複雑雑多な手続きがあるとは思えない。何かこう、簡単な、たとえばグリフィンドール寮の合い言葉のような、そんな何かがあるのだろう。扉には、取っ手も鍵穴もない。つまりは、こちらから開けることはできないのだ。何らかの方法で、開けてもらうしかない。
ならばと、ドアノッカーに手を伸ばす。これでノックをすれば、内側から扉が開けられる。普通はそうだが、さてどうなるのか。
(やっぱり、開かないみたい)
それほど簡単ではないようだ。では、どうしようか。少し考えていると、どこからか声が聞こえてきた。
『ホグワーツにおけるレイブンクロー寮の創設に参加したのは誰か』
「えっと、ロウェナでしょ」
思わず知らず、そう答えていた。まさか質問に答えるのが、グリフィンドール寮で言うところの合い言葉なのか。そう思ったアルテシアだが、扉は開かない。答えが違う? いや、まさか……
そんなはずはない。ホグワーツ創設に参加し、それぞれに自分の寮を設けた4人のなかの1人。ロウェナで間違いないはずだ。
『後の世代に知識や魔法を残すため、ロウェナが自分の知識を納めたモノは何か』
再び、声がした。まさか2問目があるとは思わなかったアルテシアだが、どこかほっとしたような気にもなる。少なくともまだ、寮へ入るのを拒まれてはいないことになるからだ。
「えっと、たしか髪飾り、だったと思うけど」
『そのとおり。ではあなたが後の世に残したものは?』
「魔法書よ」
すぐさま質問が返ってきたからか、反射的に答えていた。そして、その答えがお気に召したのだろう。扉が開いていく。
「うわ、開いた。こうやって開けるんだ」
さっそく入ってみるが、なんだか様子が違う。すぐに談話室なのだと思っていたが、そうではないようだ。さほど広くもなく、大きめのテーブルと2脚の椅子が置いてあるだけの殺風景な部屋。ぐるりと周りを見ても、他には何もない。いったいここは、何のための部屋なのだろうか。
「うーん。出られなくなっちゃったかな」
今入ってきたはずの扉さえも見当たらないのは、それが閉じてしまったから、なのだろうか。他に扉はなく窓もないため、外へとつながりそうなものが何もない状況。もっと慌ててもよさそうなものだが、外に出るよりも、せっかく入れたこの部屋への興味が抑えられない。きっと何か、意味がある。
とりあえずテーブルに向かい、置かれた椅子に腰を下ろしてみる。改めて周囲を見回してから、ふっと軽く息を吐く。あれ?
そこで気づいた。何もなかったはずのテーブルに、その上に、数枚の紙が置かれていたのだ。いつの間にか現れたその紙を手に取ってみる。
『かつて私には、友がいた。その知識を、その腕を競う好敵手でもあった。そんな大切な友への、取り返しのつかない失態。どうすれば、それを取り戻せるのだろうかと、そのことばかりを考える。
友は、言った。
作り直すことはできるが、するつもりはない。あえてそうしないのだから、全ての責任は自分にある。私が気に病む必要はないのだと。
そうだろうか。
子孫への試練、未来への課題。それを克服してこそ、自分の全てを受け継ぎ、超えていくことになる。だから、このままでよいのだと。
本当に、そうなのだろうか。
考えに考えて、どうやら考えすぎてしまったらしい。もう何がなにやらわからない。何が正しくて、何が違っているのか。
こうするのが良いのかどうかすらも、もはや判断できない。だけど、何もしないという選択肢はない。ほんのわずかでも可能性があるのなら。その人への助けとなるのなら…… そうなることを願い、できるだけのことをやってみようと思うのだ。
願わくばこれが、あの人の子孫の手に渡ることを。仮にあなたがそうではないのなら、その人への橋渡しを願うのみ。今の私には、それしかできない。』
「これ、手紙?」
どうやら、そういうことらしい。なおも読み進めていくと、どうやら書いたのはロウェナ・レイブンクローだと思われた。娘のヘレナの不始末を詫びるためであり、それを少しでも取り戻そうとするためのもの、であるらしい。
『私は何度も、友が魔法を使うところを見ている。ざっとだが、失われたあの本も、目を通したことがある。そのすべてを覚えてはいないが、幸いにも本人から、その目的や趣旨について聞いたことがある。たとえ断片でしかなくとも、それらをあの人の子孫の元へと届けるべきだと考えた。それをせぬのは、裏切りでしかないような気がする。』
失われたあの本とは、ヘレナが持ち去った魔法書のことだろう。もはや戻ってこないと判断したロウェナは、自分が知っている限りの情報を残そうと考えたようだ。だがそれが魔女の家、その子孫のためになるのかどうか。そこにはロウェナなりの迷いもあったようだ。なにしろ、伝えようとするモノが正確であるという保証がないのだ。ロウェナにとっては悩みどころであっただろう。自身の記憶に頼る限りにおいて、常にその不安がつきまとう。記憶違い、勘違い、見落としなど、その要素はいくらでもある。
『それでも、何かの役には立つと思いたい。あの人の娘であれば役に立ててくれると、そう信じたいのです。』
と言われても、どうすればそれができるのか。アルテシアには自信がない。だがここで、それを学ばないという選択など考えられなかった。読み終えた手紙をテーブルに置く。さて、何をすれば良いのか。手紙の最後には、こう書かれていた。
『必要な人が、必要なモノを、必要なときに。』
ただ思い、願うだけで良いらしい。たとえば、必要の部屋に入るときのように。
※
「それで、必要なモノは手に入ったのですか」
「はい。ロウェナ・レイブンクローが残してくれたモノに目を通すことはできました」
ただソレは、あの部屋からの持ち出しはできなかった。あの部屋の中でのみ読むことができたのだが、アルテシアにとってはそれで十分だった。その知識を得ることができれば、それでよかったのである。
「おそらくは、他人に渡ることを懸念してのこと。レイブンクローなりに知恵を絞った結果なのでしょう」
「そう、ですね」
「それで、それはあなたの役に立ちそうなのですか」
アルテシアは、マクゴナガルの執務室を訪れていた。身の回りで起きたことの報告のためなのだが、マクゴナガルからも、いろいろと話があるようだ。
「いくつか、重要なことが分かりました。おそらくは、過去に置いて失われたクリミアーナの魔法はないんです。わたしはもう、それらの魔法を学び、受け継いでいた。正直、それがわかっただけでも価値があったと思います」
「待ちなさい、失われた魔法書があるという話だったのでは」
「そうですけど、その魔法書は…… 簡単に言えば、応用編のようなのです。魔法をどのようにして使うのか。その使い方や特殊な用途とか。そんな使い方です」
「特殊な、ですか」
少なくともロウェナの残した手紙には、そのような趣旨のことがしたためられていた。ロウェナが言うには、クリミアーナの特異な魔法は誰にでも簡単に教えていいようなモノではない。そのため、その知識と能力とが別々の魔法書に分けられたらしいのだ。
両方が一緒にならない限り、有効な魔法として成立しない。もちろん、何らかの偶然によってその魔法が発現することはあるだろう。だが、使い方を知らなければ、いくらその能力があっても使えないのだと、そういう理屈である。知らないことはできない。それが原則なのであり、だからこそ、クリミアーナ家初代の魔女のような使い方ができていない。それを知らないため、能力があるにもかかわらず、使えていない魔法があるということになる。
それを知るには、失われた魔法書を読むか、あるいは独自に考え、工夫し、その方法を導き出す必要があるのだ。
「ロウェナには感謝しています。これからわたしが勉強していく、その道筋を示してくれたのは間違いありませんから」
「そうですか。ソレをわたしが学ぶことはないのでしょうが、頑張りなさい。ちょうどよいのではありませんか。このホグワーツで、生徒を教えながら、それらを学んでいけばいいのです」
そうしよう、とアルテシアは思った。ソレが失われたためにクリミアーナは魔法界を離れた。先祖はそういう選択をしたが、自分は魔法界に留まるのだ。そして、失われたモノを取り戻すのだとアルテシアは考える。魔法書から学ぶというのではなく、考え導き出すといった形にはなるが、頑張ろうと思うのだ。このホグワーツで。
「あなたの話に一段落ついたのなら、私から伝えておきたいことがあるのですけどね」
「あ、はい。なんでしょうか」
「魔法大臣が交代した、という話は耳にしているでしょう。ですが、たしかティアラという名前でしたか。あの娘さんがいわば秘書のように側にいるのは知っていましたか?」
マクゴナガルの表情には特に変わったところはなく、いつも通りである。だからなのか、その話を聞いたアルテシアのほうにも、それほど驚いた様子は見られない。こちらも普段通りといったところだが、どちらも、ティアラがなぜ魔法省大臣付となっているのか、その答えに心当たりはなかった。
スネイプが、ヴォルデモートの指示に反発しました。闇の側での立場を危うくしかねない行為ですが、ダンブルドアにも言ったように、スネイプにはスネイプの考えがあってのこと。
その一方で、ホグワーツには、ロウェナが用意した部屋が残されていました。ロウェナの秘密の部屋、といったところでしょうか。でもそれで、ヘレナによって失われた魔法書の、その全てが戻ってくるわけではありません。
魔法省では、魔法大臣が闇の側の手の者に変わりました。それでもティアラは魔法省に留まっています。もちろんティアラなりの目論見があるのでしょうが、さて、どうなるのか。
次回は、第126話「新学期、その前夜」です。新校長と4人の寮監による話し合いの場がもたれました。