一部三人称です。
今回の事件において、ポケットモンスターというゲームをよく知るものほど、レインボーロケット団の脅威を正確に理解していると言ってもいい。
それはポケモンという存在の生物的な強さを正しく認識しているということであり、あるいはレインボーロケット団という大組織の恐ろしさをよく理解しているということだ。
レインボーロケット団への恭順を示した青年、
(無理だろ)
この世界に
破天荒で、お人好しで、優しく、それでいて強い。そんなものがいるわけがない。破天荒な人間はただ常識が無いだけだし、お人好しは悪人に食い物にされるだけ。優しい人間は重圧に押しつぶされるし、強い人間は結局のところそれ以外の何かが不完全なままだからこそ強さを誇示している。そして「いずれも」兼ね備えた人間など、創作の存在だけだ。
だからこそ、彼は最速で状況を正しく――少なくとも彼の中では――読んで、レインボーロケット団の宣言に応じて彼らに従うことを選んだのだ。
死なないためにはそれ以外の道が見えなかった。少なくとも、一般人にとってはそれが普通だ。
ただの演説なら「何言ってるんだあの狂人は」で良かった。同時に放映された映像で、自衛隊駐屯地を破壊している伝説のポケモンたちを映し出してさえいなければ。
朝木は平均的な日本人として、少なからずポケモンに触れたことのある青年だ。就職して以降はあまり遊ばなくなってしまったが、伝説のポケモンと聞けば「ああ、あれか」とすぐに思い出せる程度の知識はある。
そして、だからこそレインボーロケット団の脅威というのはよく理解できる。ゲームでも、アニメでも、漫画でも、人の世を滅ぼしかねないほどの存在として描かれている伝説のポケモンたちが――映っているだけでも六匹、彼らの掌中に収まっているのだ。
「おい新入り、なにボケッとしてやがる!」
「す、すんません」
ぼんやりと外を眺めていた朝木の足に、軽い蹴りが入れられる。
彼は今、監視の任を受け持っていた。レインボーロケット団が占拠した市役所、その会議室に詰め込まれた反抗的な市民たちが脱走しないかを見回る役目だ。
時折、朝木が外にいることを知っている市民の口から、「裏切り者」や「恥知らず」といった言葉が投げ掛けられていることを、彼は知っていた。
建物を占拠して数時間。その間ずっとだ。捕縛した時は、直接顔を合わせる機会もあったため、その罵声もより苛烈だった。
「裏切り者!」
――ほら、まただ。
朝木は耳を塞ぎたくなった。けれどそうすれば、横に立っているロケット団員の男に叱られるだろうということは目に見えているので、それはできない。せめてもの意思表示に、彼は渋面を作った。
「気にするなよ。あいつらは所詮情勢も見られない馬鹿ばかりだ」
「そ、そうっすね」
男の言葉に、朝木は素直に気を良くするということはできなかった。
はっきり言ってしまえば、よくあるカルトの手法だ。罵声なりを浴びせたり、冷ややかな視線を浴びせることでもといた集団から孤立させる。そうして精神的に不安定になったところへ、甘い言葉をかけて篭絡する。これで今の集団に対して帰属意識を植え付けることができるというわけだ。
これを馬鹿正直に受け止めていたら、いずれ自分は彼らの尖兵に成り果てる。捨て駒同然に使われてしまう。
危機意識だけは一人前以上に持ち合わせている彼にとって、それは避けるべき事柄だった。
「ああ、おい、馬鹿と言えばよ」
「あ、はい?」
「聞いてるよな。俺たちに逆らおうっていう馬鹿がいるらしいぜ」
「はあ……そうっすか」
「気のねえ返事だな」
「す、すんません!」
――――知らねえよ、馬鹿!
そう内心で毒づきつつも、彼は男の言葉に耳を傾けざるを得なかった。
出世はできずとも組織の中でなんとか生き残るコツは、上司の機嫌を損ねないことだ。そして、話を真面目に受け取りすぎないことでもある。言っていることが日によって二転三転することなどありふれているからだ。
「子供が二人、一人はうちのブラックリストに載ってるんだがよ、もう一人の変なガキ……電気を出したりするらしいんだが、お前知ってるか?」
「さあ……そんな人間は知らないっすよ」
これは正直な感想だった。
電気ウナギの化身か何かか。少なくとも人間じゃない。こわい。
「何なんすかそいつ」
「さぁ……十人が一瞬でやられたとか、ランス様の顔面を陥没させただとか、色々言われてるが……あのガキの新しいポケモンとかじゃないのか?」
「ゴーリキーとかっすか」
「カイリキーかもしれねえ。でもサカキ様は白髪の少女は優先的に捕らえろって言ってるんだよなぁ。ポケモンじゃなきゃ何かの実験体なのか?」
「はあ……」
サカキってロリコンなんすか? 朝木は一瞬そう言葉に出しそうになった口をしっかりと噤んだ。
組織で適当に生き残るコツは、上の言うことに変に口を出さないことだ。出世に響く。
適度に出世をしたら、あとは下の人間にあれこれ言いつつ適当に指示を出し、ふんぞり返っているだけでいいのだ。
当然、そこには責任の所在と管理職の責任という言葉がついて回るが、朝木はそのことについてはあまり理解を深めていなかった。
と、そうしているうちに、男へと通信が入る。ホロキャスターに映し出されているのは、市役所内で通信手の役目を受け持った団員だ。
「どうした?」
『アサリナ・ヨウタと白い少女が接近。検問は突破された模様です』
「来たか……おい新入り! お前はここ動くんじゃねえぞ。いいな!」
「え? あ、うっす!」
威勢の良い朝木の返事に気を良くしたのか、男はそのままのっしのっしと大股で市役所の入口へと駆けて行った。
――言われなくても動くかよ!
もっとも、朝木の内心としては、それに尽きるのだが。
そんなことを考えているうちに、彼の腰元のボールがひとりでに動き、地面に落ちた。
「あっ」
「ズバッ!」
出てきたのは、彼に支給されたポケモンの一匹、ズバットである。
超音波の反響で正確に朝木へと近づくと、ズバットはそのまま――彼の頭にかみついた。
「あだ、あだだだだだっ! 痛い! 痛い! やめてくれっ!」
「バガガガガッ! ガガッ!」
「ごめんなさいごめんなさい! 痛ぇぇえ! くそっ、このっ……」
こうもりポケモン、ズバット。
本質的には臆病であり、群れで行動して生活しているポケモンだ。しかし、朝木に対しての態度は野生におけるそれとあまりに異なる。
攻撃的、反抗的――というよりも、有体に言えば朝木のことを軽視している。
ポケモンとして、トレーナーと認めていない。あるいは、そもそもトレーナーとしてすら認識していないと言えよう。噛み付く力は弱くとも、ズバットが朝木を侮って見ていることは明白だ。
「め、メシか!? それともブラッシング!? いやメシだな!?」
「バババッ!」
その理由は、朝木のあまりに弱々しい態度にある。
多少なりとも毅然としてさえいれば、あるいは不満げにしながらもちゃんと言うことは聞いていたことだろう。もしくは、他のロケット団員のように暴力に訴えれば従順にもなっていたはずだ。
彼にはそうはできなかった。
曲りなりにもゲームを遊んだことのある人間として、ポケモンに対する愛着……というのも、多少はある。それ以上に、そうすることができるほどの度胸が、彼には無かったというのが現実だ。
殴ろうとすると、ズバットが驚く。その様子に委縮して、自分の方が手を止めてしまう。
大した喧嘩すらせずに事なかれ主義で生きてきたのが朝木だ。相手が怖がっていると知れば躊躇する程度の善性は、彼にもあった。
その一方、ズバットの側から見れば朝木は「暴力を振るおうとしている人間」という以上の認識はできない。
躊躇したとはいえ、ズバットを威嚇するために拳を振り上げたことそのものは紛れも無い事実だ。だからこそ、ズバットは二度とそうはさせないよう、上下関係をはっきりさせるために朝木へ反旗を翻した。
そうして、ほんの半日しないうちに完全な上下関係が叩き込まれた成果がこれだ。
(ご主人様に対して何てヤツだ……!)
そうは考えるが、ズバットの側は主人とは思っていないのだから、思考は完全にすれ違っている。
何が悪いかと言えば、それに足る資質を見せたことの無い朝木がやはり問題だが。
「ババッ、ズバッ!」
「……う、うん?」
そうしているうちに、朝木にも何やらズバットが騒ぐ理由がようやく感じ取れた。外の騒ぎのせいだ。
ロケット団にとっての「敵」――たった二人のポケモントレーナーの子供たちが攻めてきたのだということは、通信内容から察することができた。元々、聴覚の発達しているズバットにとっては、あまり好ましいものではなかったらしい。
(じゃあボールに戻ってろよ……ぐぶっ)
彼の内心のボヤき――若干の反抗的な気質を読み取ったのか、ズバットは朝木の腹部にごく弱い体当たりを仕掛けた。
そんな時のことだ。
「んれ?」
その瞬間、朝木の首に強い衝撃が走り、視界が揺れた。身体も傾き、徐々に床が近づいてくる。
(何が――――?)
疑問を感じる思考すらも、意識の明滅と共に奪われていく。
そうして彼が意識を失う目前に見たのは――月の光を思わせる白い髪と肌の少女だった。
〇――〇――〇
格闘技の技術に、
漫画でよくある首トンと言えば分かりやすいだろうか。一般にああいった技術はフィクションの誇張であり、現実的ではないとする見方が強い。
実際、それを行うためには、常人離れした繊細な威力のコントロールと、何より緻密な練気が必要になってくる。打撃によって外部から衝撃を与え、発勁によって内部からより強く浸透させる。この流れを作ることで、一撃のもと人間を昏倒させることができるわけだ。
オレじゃなきゃ見逃してしまうほどに速い手刀と、繊細な練気。この二つがあってはじめて成り立つ
しかし、優れた格闘家は極限まで体を鍛えるうちに、ごく自然の帰結として「気を練る」ことを習得している。偶然の産物であるために正しく技術として昇華しているわけではないが、それでも時折試合などの際、意図せずして本人の本来の実力を超えたパフォーマンスを発揮するものだ。
……さて。前置きは長くなってしまったが、ともかくオレは、検問所を突破した後、バイクを隠してからヨウタと別れて市役所の方に突入していた。
主な役割は、今の市役所がどのようになっているかの偵察だ。メディカルマシンがあるか、幹部クラスがいるか、などなど……知るべきことは色々ある。隠密行動は、面倒だが苦手ではない。そんなわけで、今回はオレが潜入役を引き受けることになった。
チュリの糸を活用させてもらって天井に張り付いたり、時には見つけたレインボーロケット団員を適宜闇討ちしながら進むこと数分。何やら扉を守っている男を見つけたため、これは怪しいということで
今は、何故だか倒れた主人のことも一顧だにしないズバットと向き合っている。
「…………」
「……ズバッ」
ズバットは――何もしてくる気配が無い。「ちょうおんぱ」も使ってこないし、「きゅうけつ」……は今は習得レベルが上がってしまったから「すいとる」か。それをしてくる様子も無い。ただ、ぼんやりとこちらに向いている。目が退化してしまっているから、注意はしていても見てはいないようだ。
「お前、大丈夫か?」
「ババッ」
呼びかけて手を差し出すと、ズバットは警戒しながらも指の先に止まった。
一瞬、オレの腕に噛み付こうとしたが、これは視線で黙らせる。生体電流が一瞬増幅したのを感じ取ったのか、ズバットは動きを止めた。
「よーしよし、いい子だ」
どうやらズバットは、この男のポケモンでありながらオレの敵ではないらしい。
普段からどういう扱いをして……いや、受けているのだろうか。さっきも何やらズバットに一方的にやられていたようだったし。
ま、オレの気にすることじゃないな。
「さて」
ズバットは日の光で火傷してしまうほどに肌が弱い。電灯の下に置いておくだけでも若干の問題がありそうだ。捕獲できればそれがいいんだが、あくまでまだこの男のポケモンである以上オレがそうするわけにはいかないしな。でも、万が一の時のために没収はしておくか。
「ボール、ボール……っと」
見ると、廊下に空のボールが落ちている。ついでに、男のベルト部分を探っていると、モンスターボールがもう一つ出てきた。
中に入ってるのは……ニューラか? こいつ、下っ端のくせにいいポケモン持ってるな……。
「戻れ!」
ズバットをボールへ収容。あとはこっちで没収しておく。
比較的大人しいし、人に対するトラウマも無し。これなら後でちゃんと交流すれば手を貸してくれることもありうるだろう。この分ならニューラも同じくだな。
この男は転がしときゃいいか。どうせ何もできやしねえ。
扉の方は……南京錠がかけられている。ビンゴか? いや、中からすすり泣くような声が聞こえる。これは……抵抗した人たちを捕らえていたりしているのだろうか。あるいは人質か……。
何にせよ見過ごすわけにはいかないな。
「チャム」
「ピヨッ」
「いいか、こっちのこの……鎖の部分に向かって『ひのこ』だ。頼むぞ」
「ピィ!」
ボールから出てきたチャムに指示して、軽く南京錠の周囲を
一般的に、温めたものを急激に冷やすと劣化して脆くなると言う。創作では、それを利用して謎を解くというような場面がよく取りざたされることだろう。
それ以外にも、金属には
とりあえず、狙いは鎖。次いでドアノブ。とりあえずどこかしら脆くなってくれればそれでいいが……。
「火事にならないように、慎重に慎重に……」
「ピヨッ」
敵が戻ってこないうちにやってしまわないといけないが、焦りすぎも禁物だ。煙が出すぎると火災報知器が鳴り、場合によってはスプリンクラーが作動する。
「よし、もういいぞ。ありがとう」
「ぴゅう」
数十秒ほど経って鎖やノブが強い熱を発するようになった頃合いを見計らい、オレは鎖を力任せに引きちぎった。
多少熱いがこんなもんか。問題ないだろう。軽くドアをノックして、反応を確かめる。
「――誰だ!」
鋭い、罵声とも思えるような声。なるほど、抵抗したからここに閉じ込められてるってところか。
こういう時、中にいる人を安心させるには……と。あんまり好きなことではないが……。
オレは軽く手で覆いを作り、内部にだけ声が聞こえるようにして呼びかける。
「伊予市民です。助けに来ました」
「な、なにっ!? お、女の子!?」
――よし、読み通り。
中にいる人たちはごく普通の一般市民だ。女――それも子供からの呼びかけとなれば、強い物腰で接しようとは思わないはずだ。できるだけ柔らかい対応を心掛ける。
その時に、多少なりとも心理的な余裕が生まれて、こちらの話を聞いてくれる余地も生まれるはずだ。
……オンナノコらしい言葉遣いと声音を心掛けなきゃいけないっていうオレの精神的ダメージを除けば、多分そこそこ効果はあるはずだ!
「そのまま、声を落として」
「う、うむ……」
「外のやつらに気付かれます。見張りは倒しましたが、今は静かに。騒がないように」
「わ、分かった。君は?」
「おるぇっ……れっ……ぉわ、ワタシぅは! えー……善意の協力者?」
「……うん?」
……う、うん? こういう時なんつったらいいんだ? 善意の協力者とかじゃダメなのか?
所属とかそういうの明らかにしなきゃダメ? えー……?
「正義の味方……」
「は?」
「ただの一般市民です」
……分かってんだよ! こういうこと言ったらふざけてると思われるって!
けどな! いいじゃねえかよたまには! オレだってこういうこと言ってみたりしたいって願望くらいあんだよ! まだ18だぞ!!
げふんげふん。
ともかくだ。
「見張りは倒しましたが、まだ外は安全じゃありません。いざという時に逃げることができるよう、鍵は開けておきますが、まだ外には出ないでおいてください。こちらで敵は倒します」
「し、しかし……相手は人を傷つけることを何とも思わない悪人だ! そんな場所に一人で行かせるなんて……」
「戦う手段はありますし、仲間もいます。大丈夫、心配しないでください」
「待ってくれ!」
「――何です?」
「そこにいた男のうちの一人は、私たちをロケット団に売った裏切り者だ。どんな情報を売ったかも、何が仕掛けられてるかも分からない。気をつけてくれ……!」
「……あ、はい」
そこにいた男の一人……って、この情けないやつか……?
……まあいいか。一般人にとっての脅威はオレにとってはあんまり脅威にならないってこともある。
小賢しい策略は、時に単純な暴力の前に意味を無くすこともある。多分――これはただ、それだけの話だったんだろう。相性だ。あくタイプがかくとうタイプに弱いような……そんな感じの。
……まあなんだ。世の中そんなもんだ。