投稿すべきかどうか悩みましたが出来上がったので幕間として入れておきます。
時間の狭間での修行や交流が主であまり本筋が進まない場合は、以降今回と同様「幕間」として投稿となります。だいたい飛ばしても大丈夫な感じのお話です。
今回はアキラの人当たりがちょっと柔らかくなったよという程度のお話になります。
アキラとチャムが究極技の習得を終えたのは、パルキアとディアルガが隔離した空間に突入して半日ほどが経過してからのことだった。
指南役とも呼べる者がいない中、これだけの速度で技を習得したのは相当に異例なことである。
とはいえ、だからと言って一度休む……というわけにもいかない。この後、まだいくつもやるべきことは残っている。
「ベノンとシャルトに『りゅうせいぐん』……リュオンに『てっていこうせん』と……『メテオビーム』は……誰が覚えるんだ……?」
まず、究極技を覚えさせること。それと並行して、究極技以外の新しい技を全員のポケモンに習得させることだ。
アキラたちが知らない……この世界ではまだ認知されていない技というものは、基本的にどのポケモンが習得できるのかを手探りで模索していく必要がある。
いわタイプのギルが「メテオビーム」を習得できないのは誤算と言うほかなかったが、ほかに技が習得できないわけではない。選択肢を一つでも増やすために、悠長にしていられる時間は無かった。
そして技を新しく覚えるということをしなくとも、単純に鍛えなければならないポケモンの数は少なくない。
シャルトや、結局ヒナヨについてくることにしたモノズなどはまず進化までの筋道を立てなければならないし、そうでなくとも純粋に基礎能力に不安が残る者も少なくないため、できるだけ早くに訓練に取り掛かる必要がある。
アキラの眉間に皺が寄る。雰囲気は殺気立ち、日頃の寝不足のせいで目の下にクマが浮いて目つきも非常に悪い。目の前に敵が二、三人でも現れようものなら即座に切り殺しそうな剣呑なオーラを放っている。その禍々しさは彼女の見目の良さで補い切れるほどのものではない。
――明らかに無理をしている。
アカギは彼女の状態を見てそう感じ取った。口の端からブツブツと漏れ出る独り言は、思考に没頭しているからと言うよりも、言葉を口に出して眠気を飛ばそうとしているがためのものだ。
マツブサ救援の折にアキラの体力は底をついたが、その後、少々の休憩を取ることで「とりあえず動ける」程度にまでは回復している。が、結局は海の魔物との連戦に挑まなければならなくなった挙句に、そのまま究極技の習得までもを強行している。疲れが無いということはまずありえないことだし、いっそ既に限界を迎えていてもおかしくはない。
「休むべきだ。何をそう急いている?」
流石にアカギもこれを見過ごすことはできなかった。心配、というわけではない。単純に合理的な判断故のことだ。
彼は心の全てを否定するところからは脱却したものの、効率主義的な面があることには変わりない。根は電子回路の精緻さに美を見出した時のままなのだから。
よってアカギは、疲労したまま活動して能率を落とすという非効率を嫌う。過労などもってのほかだ。半ば限界を超えてなお動きに乱れが出ないことは驚嘆に値するが、それだけだ。彼は特にそのことに利点を感じない。
対して、アキラはぼんやりとしながらそれに答えた。
「究極技に限った話じゃないけど、技ってのは習得する以上に『慣らす』ための時間が必要になる。感覚がうまく掴めてる今のうちに、みんなのポケモンにも究極技を習得させて、慣らしの時間を作っておきたい……」
彼女の言い分にも少なくない理があった。海の魔物を倒さなければならない以上、技はただ「使う」だけでなく「使いこなす」必要がある。
単純に技の反動や特性を把握しておくのは当然として、攻撃が通用しなかった場合に備えて次善の策を練っておくべきでもある。
単純計算で三百時間と少しという猶予が与えられていても、特訓に費やせる時間はその中の半分あるかどうかというところだろう。睡眠や食事、人間としての生活を行い、ポケモンたちのケアも行わなければならない以上、時間はどうしても制限されてしまうのだから。
とかく、アキラは自分のせいで全員の足並みが揃わなくなってしまうような事態を嫌った。その思いは半ば強迫観念じみており――。
「……あれ」
それ故に、彼女はアカギの言う通り急いていた。急転する事態に対応しなければならないと、その心は急激に性急になり、やがてイベルタルに生命力を吸収される前と比べて自分の体力が落ちているということすら、頭の中から抜け落ちていた。
突然視界がひっくり返り、全身が虚脱状態に陥る。アキラはその突如として高空から落下するような感覚に対応できなかった。
――が、そこで、自らボールから外に出てきたリュオンが彼女の体を抱きとめる。彼女と同行する機会が多く、乱れた波動を鋭敏に感じ取ることができたため、その内倒れかねないということが先読みできていたのだろう。その表情にはどこか呆れの色が混じっていた。
「お前の主人はいつもこうなのか?」
「リーオ」
肯定の意を込めた鳴き声が漏れる。彼女は実際にいつも「こう」だ。無理と無茶は承知の上で、死なない範囲でならば何でもやる。たとえ自分の手持ちであろうと友人であろうと――あるいはそうであるからこそ、誰かが傷つくようなことを嫌い、そうなるくらいならと自ら傷付きに行く。とかく彼女は仲間、身内に対する情が深すぎるのだ。
リュオンは「いのちのしずく」を用いてアキラの体力を僅かに回復させていく。とはいえ、本来外傷に対して用いられるものだけあって、効果は微弱なものだ。目が覚めたというのに、アキラは先程とそう変わらない顔色だった。
「……っ、お……っと、あ……ごめん、リュオン……」
「なぜそうまでする必要がある……」
呆れ交じりにアカギは問いかけた。対するアキラにとって、その部分こそ言わば彼女の信念の根幹である。やや答え辛そうにしながらも、しかし自分自身の気持ちを確かめるようにして、彼女は応えた。
「……強さには、責任が伴うと思うんだ」
「どういうことだ?」
「わたしはほら……自分で言うのもなんだけど、普通の人と比べたら強いだろ」
「そうだな」
その点に関して疑いようは無い。彼女は人外の腕力を失って以降も、人間としては破格の能力を持っている。複数の世界を見ても、比肩しうる人材は多くないだろう。
「あの異常な力のせいで、普通に生きてくことも難しくなった。あんなの要らないって思った。けど、そうじゃない。戦えない人を守るのに、わたしの力は……役に立ったんだ」
「…………」
「戦えない人たちを守るんだ。戦う力があるんだから、止まるわけにいかないんだ……『強い』ことには、それだけの責任がある……」
「度し難いな」
「……別に、あんたには理解できなくっても……」
「そういう意味ではない」
元は悪人……というよりも、常人とは信念を違えるアカギだ。アキラの言について理解を示さないことも致し方ない――と考えたアキラだが、彼はどこか穏やかな雰囲気で、アキラの目線に合わせて彼女に語り掛けた。
「今のおまえは、私が小突けば倒れそうなほど『弱い』。自覚はあるか? 無いなら今刻め」
「よ……弱……」
この言葉は強さをある種のアイデンティティと位置付けているアキラにはショックだった。普通の人間社会では爪弾きにされかねないほどの力があったからこそ、それを誇りにできるように祖母から教えられた考え方でもある。どこか足元がふわふわとした心地になったのは、疲労のためだけではないとアキラは自覚した。
「強いから弱者を守るために働く責務があると言うのなら、今の『弱い』お前にそれは無い。――いや、仮にそうでなくとも、
「あ、あれはわたしのばーちゃんが言ってたことで、他人に押し付ける気は」
「老人からの教訓には、長い人生に由来する深い含蓄がある。私も無下にはできん」
良い祖母を持ったものだ、と手放しに褒められると、鬼か悪魔かと恐れられている彼女でも照れが勝るようで、青白い肌をわずかに紅潮させて目を背けた。
アキラは自分自身が褒められようと大して心を動かさないが、その矛先が身内に向くと途端に誇らしくなる。それはどちらかと言えば他人を優先していると言うよりも、自分自身に対して極端に無関心なだけである。その歪みにまでアカギは気付かなかったが、いずれにしても、と彼は続けた。
「体力が戻らない限り私はおまえを
それが嫌なら休め、と言外に告げられたことで、頑なだったアキラもようやく息をついた。ほどなくして、普段の意図的に低くしてドスをきかせようとしている声音からは想像しがたい、穏やかな寝息が漏れる。極度の疲労に耐えきれなかったらしい彼女を、リュオンは静かに背負った。
「……似ているな。我々は」
アカギはその強情さと、ともすると独善的なまでに抱え込みがちな気質を自らを重ね、そう評した。あるいは彼に兄弟や、場合によっては子供などがいた時こういった性格に育っていたのではないかとも思わされる。
もっとも、彫りの深い顔立ちと落ち着いた物腰で誤解されがちだが、彼はそもそもが朝木と同年代だ。子供がいたら、という想定をすること自体がどこか間違っている。
ともあれ、引き受けたからには本腰を入れなければ、という思いを抱く程度には、アカギもアキラに入れ込んでいたらしい。彼は数分後にはヨウタたちの特訓に混ざって、ギンガ団のトップとしての力を存分に見せつけることとなった。
〇――〇――〇
半ば気絶するように寝入ったアキラが意識を取り戻したのは、たっぷり十時間ほどが経ってからのことだった。
アキラは感覚的に「あ、これ寝すぎた」と確信した。
久しぶりの感覚だった。それこそ、彼女は戦いが始まってからずっと、まともな睡眠もとれていなかったのだ。とはいえその原因がノイローゼにも近い精神状態であることもあって、疲れが取れた爽快感よりも寝過ごしてしまったという焦燥感の方が強い。しまった、と体を起こす――その直前、アキラは自分の腕にしがみついているものがあることに気付いた。
見間違えようもない、他ならぬ、愛する実妹のユヅキである。彼女は普段もっそりと適当に結んでいるサイドテールを解いた状態で、ハミィと一緒にアキラの腕に抱き着いていた。
更に他を見れば、ナナセがきっちりとした姿勢で毛布にくるまっており、ヒナヨは規格外の大きさの
かつて意図せずして手に入れた力に振り回され、他人とまともに関わることすらできなかったアキラとしては、むーちゃんの現状には少なからず思うところがあった。
無条件で自分を受け入れてくれた祖母が彼女にとっての救いになったのと同じように、ヒナヨもむーちゃんを受け入れているのだろう――と、感動的なことを思いはするが、それはそれとして流石にアキラは祖母と寝床は離していた。寝ぼけて人外の膂力で祖母を傷つけてしまうという事態を避けるためだ。
(大丈夫か……?)
心配して眺めるが、ヒナヨの寝顔はどこか恍惚としていた。
アキラは、ヒナヨがベノンの毒を浴びても嫌がるどころか嬉々としていた異様な光景を思い出す。そういえばこいつはポケモンに対する愛情が深すぎるアブない女だった、と悪鬼羅刹扱いの
そんな折、ふと少し離れた場所から何やら良い香りが漂ってくる。誰か起き出してきたか、あるいはギンガ団が近くにいることを鑑みて交代で仮眠を取っているかということもありうる。仮にそうでなくとも、アカギの様子からして今のギンガ団は比較的安全なはずでもある。
アキラは長時間の睡眠のせいで空になった腹を抱えて立ち上がろうとした。ユヅキが腕に抱き着いてはいるが、そこは達人である。ひねり、関節を回すなどの動きで腕を抜く――直後、ユヅキの手がその関節を極めに動いた。
アキラは即座にユヅキの頭をチョップした。
「こら」
「あいたぁーっ」
「さては起きてたろ」
「う~そりゃ起きるよ、気配変わったもん。逆にお姉何でウチらが来たとき起きなかったの?
「かもなー」
「あ、はぐらかした」
「すりすり」
「うりうり」
白さに何やらシンパシーを感じたのか、すりすりとアキラの腕にすりつき始めたハミィの顔が、彼女の両手で撫で上げられる。ハミィ自身はどうやらご満悦の様子だった。
次いで、アキラがチュリをモンスターボールから出すと、彼女はハミィの氷殻の上に登って新種のポケモンバチュハミと化した。小さな虫ポケモン同士、この二匹の仲は良い。
「お腹空いた。とりあえず、何か食べよう」
「うん、そだね」
どうあれ起きてしまったものは仕方がない。アキラはユヅキたちと一緒に、匂いのする方へと向かった。
ほどなくして見えてきたのは、何やら料理をしている朝木……ではなく、地面に突っ伏して泥のように眠る彼と、それに代わるようにして携帯コンロに乗った鍋をお玉でかき混ぜているマニューラの姿だった。
マニューラのように器用なポケモンであれば、調理の補助くらいはできるだろう。時に人間よりも遥かに頭脳に優れたポケモンもいるため、料理をさせるということそのものは別段特殊なことではない。問題は、マニューラが料理などしたことがないという点だろう。火力は弱火で、何か材料を足したりしているような様子も無いことからただ焦げないようかき回しているだけだということははた目からでも見て取れたが。
「……代わろうか?」
「ニュラ……」
一言そう問いかけると、マニューラはホッとしたようにアキラにお玉を手渡してそのまま寝入った。
鍋の中身は、どうやらわかめと豆腐のごくシンプルな味噌汁のようだ。彼女は少しだけ顔をしかめた。
「どしたの? 変なものでも沈んでた?」
「や。ただちょっと心配っていうか」
アキラは手近なところにあったスプーンで軽く味見をした。味そのものに特に問題は無く、そのことで余計に彼女は首を傾げる。
「普通にダシ使ってるな……らしくない」
「お姉レイジくんのことどんな目で見てるの?」
「もうちょっと大雑把かと」
ユヅキがふと横に目を向けると、最初からダシが入ったタイプの味噌を目にした。首を傾げ続ける姉に教えるべきかユヅキは少し悩んだが、あえて何も言わないことにしておいた。朝木の株が上がればという思いも含んでいる。
やがてアキラたちの気配を感じ取ったことと単純に寝苦しいこともあってか、パッと朝木が目を覚ました。
「ん……うぇ……ぶぇっぺっぺ! かはっ! 砂噛んだ……」
「あ、起きた」
「起きたな」
「んぁ……あ、アキラちゃん起きてる。ユヅキちゃんも。おいっす」
「おいっすー」
「ああ」
軽く言葉を返しつつも、その中にあってアキラの返答はややぎこちない。本人も意図してのことではないとはいえ、前日の内に終わらせておくつもりだったことが結局何もできず、他の面々との訓練にも参加できずに自分だけ先に眠ってしまったのだ。有体に言ってしまえば、小さな後ろめたさがあった。
そして彼女はその後ろめたさに押されるように、ほんの何気なく言葉を放った。
「……ごめん、昨日は結局、わたしだけ寝てしまって」
「へ?」
「は?」
「……え?」
「お姉そんなこと気にしてたの?」
「そ、そんなこと……」
「その程度のことで謝られる理由が分からねえ」
「そ、その……その程度……」
この指摘はアキラにとってショックだった。
これ自体はそれなりに彼女にとって深刻な問題だったのだが、認識に大きなギャップが生じてしまっている。
対するユヅキたちにとってみれば、アキラの謝っている内容というのは本当に小さなことだった。本当に過労で体調を崩されてしまうよりも遥かに良い。
――が、同時に彼女はそのことについて自覚が無いのだろうと、朝木はこの旅の中で学んでいた。
ユヅキは良くも悪くも、実家にいた頃のアキラを知っているがために、記憶という人生経験を失ったアキラのことを正確に把握しきれていない。認識にバイアスがかかり、多少美化された彼女を見ている。その点で言えば、むしろ朝木の方がアキラのことをより本質的に理解していると言えるだろう。
「……あのさ、アカギから聞いたんだけど、アキラちゃんだいぶ無理したんだって?」
「それは……そうだけど」
「それ、流石に今日はちょっと叱らせてくれねえか?」
「え……?」
「ストイックなのは分かるけどよ、アキラちゃんのそれは自分を捨ててるだけだぜ。自分のこと嫌うのも大概にしとけよ」
諫めるように――というよりも、実際諫めているのだろう。その言葉にアキラは顔をしかめ、ユヅキは「ほぇ?」と間違いなく何を言っているのか分かっていない声を出した。そして脊髄反射に近い速度で、「どゆこと?」と続ける。
「アキラちゃんが他人以上に自分にクソ厳しいの、暴力振るってる
「おい」
「今大事な話っぽいからツッコむのやめよお姉」
「え? 今してんのわたしの内面に関わる話なのに当の本人がツッコんじゃいけないの……?」
アキラは釈然としないながらも、一応は頷いた。
彼女の頭の回転は遅くない。これまでも基本的にはぐらかされて終わってきたという状況を踏まえると、とりあえず先に決定的なものを突き付けないと彼女はいつまでも不要な傷を自分に刻み付けていくだけだろう。朝木はそう考えてはっきりとアキラに告げた。
「アキラちゃん、君はある種の自傷癖を持ってる」
「わたしが……自傷癖……?」
思わず、アキラは自分の体を見た。当然ながらそこに、この旅が始まる前からの傷跡などは無い。無論、そうした経験も無い。だが朝木はそれを事実と確信した上で突き付ける。
「かなり迂遠な奴だよ。……たしかアキラちゃん、見た目が変わってたせいで親父さんとお袋さんに受け入れてもらえなかったんだったよな。そのせいで、『今』の見た目の変わった自分に、否定的な感情を持ったんじゃないか? その上、おばあちゃんから一般常識を叩き込まれた後……レインボーロケット団との戦いが始まってから、暴力ばっかりの自分のことが更に嫌いになって」
「お姉……中二の時にそういうの卒業したはずなのに……」
「え、初耳なんだが……」
「マジか。記憶無くしてるからノーカンだなそれ」
過去がどうあれ、現在のアキラの心は間違いなくそうするべきではないところで立ち止まってしまっている。
ユヅキの先入観はそういった、「過去のアキラ」にとらわれている部分もあるのだ。故に、この点に関しては部外者である朝木にしか指摘しようがない。
「つったって、自分で自分を傷つけるとか、周りに迷惑がかかることだろ。それは『間違って』る。だから無意識的に、『正しいこと』である人助けをする中で『親に認めてもらえなかった自分』を徹底的に否定する機会があったら、そこに飛び込んで行っちまったんだろうと思うんだ。……違うかな?」
アキラは、否定の言葉を吐くことができなかった。朝木の指摘が見事なまでに彼女がこれまで「なんとなく」そう感じ、目を背けてきたことと合致していたためだ。
心理学の先生っぽい、とキラキラした目を向けるユヅキに、彼は自分はあくまで元医者であるとはっきり訂正を入れた。
「……そっか、じゃあ、わたしはどうすればいい?」
そこまで聞けば、アキラは声を荒げるような真似はしなかった。
ここまで来るともはや彼の指摘は事実の羅列とそう変わりはしない。自分自身を疎み、嫌う感性そのものを、アキラは心の傷から生じたものであるだろうと認める。あとはそれを
「そこんとこだが、根治は無理だ」
「ええ……」
「いや、だってよ? 親だぜ? その時、実質頭ん中四、五歳くらいだったんだろ? 俺なんかハタチ超えてんのに、親父に勘当されたとき二日寝込んだぞ」
「それはちょっと違う」
「お姉、かんどーって何?」
「え。ああ、えっと、怒って親子の縁切られたってことだよ」
「あっ、そうなんだ。泣いちゃう方の感動かと思った……」
「まあ泣いたし心動かしたって意味じゃ感動してんな」
兄の一件を経て、朝木も自分の境遇を茶化すだけの余裕が生まれていた。
仮に今後兄の件が取りざたされることとなっても、業界を騒がせたという事実があっては医者に戻ることも既に難しい。割り切ったと言うより開き直ったと言うべきだが、前に進む気力さえ無かったころと比べると雲泥の差ではある。
「兄貴にも殺されかけたし」
「それもちょっと違うだろ……」
「お兄ちゃんの風上にも置けないよね!」
「……とにかく家族ってやつは、子供にとってそれだけ重いもんなんだよ。他人がどうこう言って、トラウマを癒すなんて普通無理だ。ご両親が発言を撤回してアキラちゃん受け入れるか、君が今ここで成長して割り切るかくらいしかねえ」
「今ここでは難しいんじゃ……」
「そりゃそうだ」
本来、精神的な問題に対しては気長に、そして根気強く付き合っていくべきだ。ごく短期で問題が解決するのは、それこそ
前者のために使う時間は無いし、後者は良くも悪くも心が頑強すぎるアキラには向いていない。戦場にほど近いこの場所では、それこそ長期間付きっ切りになれるわけでもない。直に兄と対面して、トラウマになった事件の真相を知らされた上で乗り越えた朝木が希少なのだ。そこまでの事態を期待することはできなかった。
――しかしながら、そうは言っても対症療法というものは、ある。
過去の研修医としての経験から、内心「俺精神科課程嫌い!」とわざわざ参考書を指差して宣言しかねない程度には苦い思いをしてはいるものの、アキラは大切な仲間で、本来は守られるべき子供だ。凄まじい勢いで頭の中の知識を紐解きながら、努めて穏やかに朝木は告げる。
「だから、少しだけ周りを見てくれ。『今の』アキラちゃんが傷ついたり、苦しんだり、悲しんだりしたら、ヨウタ君や東雲君や小暮ちゃんやヒナヨちゃん、もちろんユヅキちゃんだって辛くなるし、気に病むし――場合によっちゃあ、それ自体がトラウマにだってなりかねない」
「…………」
「アキラちゃん?」
「……あんたは……どうなんだよ」
普段の彼女からは想像できないほど小さく、か細い声で問いが漏れた。
朝木が名を挙げたのは五人。そこに彼自身は含まれていない。自分があまり好かれている方ではないと認識している朝木は気を遣ったつもりだったのだが、なんということはない。アキラにとって、朝木レイジは既に「生理的に受け付けない意志薄弱者」でも、「守るべき弱者」でもなく互いに尊重すべき仲間なのだ。
そのことを認めた朝木は、何やら胸の奥が熱くなるのを感じた。利害に基づく「信用」ではなく、人の情から来る「信頼」を、ああも頑なだった――今も鋼鉄か何かと思わされるほどだが――少女から注がれているのだ。奮起しないことが間違いだと、流れ出る感情のまま朝木は答える。
「
これだけ正直でまっすぐな言葉を彼からかけられるとは、アキラも内心では思っていなかったのだろう。彼女は困惑と共に照れで赤くした顔を背けた。
「……あ……あり、がと……」
「お姉、元に戻れなかったらレイジ君おすすめだよ」
「おい縁起でもないこと言うな」
直後にその顔色はユヅキに耳打ちされた言葉で元に戻る。
まだ元に戻る希望がある以上そこまで開き直ることができないアキラであった。