時間遡行。それは多くの人類が夢見た超常現象の果てであり、現代では到達不可能な神の領域にある技術である。
そうではあっても、時間そのものを司り操るという能力を持っており、その
ともあれ。
「ディアルガの力で過去に飛ぶってことはできないか?」
アキラが告げたその言葉に、アカギは軽く顔をしかめた。過去に戻ることそのものはできるにしても、彼女の目的が分からなかったからだ。
過去を変えるというのはそれだけ重大なことなのだ。ただの思い付きで言いだしていいことではない。無論、現行世界を消滅させようとしたアカギがそのような説教をしても説得力に欠けるが。
ともあれ。
「なぜそのような必要が?」
「まさか記憶を取り戻そうと?」
「違う」
「サカキ暗殺でもすんのか?」
「違う」
「レインボーロケット団の先遣隊を潰す……?」
「それも違います」
「…………」
ならばなぜ? と、三人は首を傾げた。
他方、アカギが懸念しているのは過去を変えることの利点や弊害ではなく、アキラの「過去に飛ぶ」という事態に対する認識についてだ。
過去を改変するということは、つまり連綿と続く「現在」を改変することにも繋がる。
現在主流となっている理論としては、「過去を変えても、その過去から連続するパラレルワールドが発生するだけで、本来の時間軸の世界の出来事は変化しない」というものが挙げられる。親殺しのパラドクスといった時間的矛盾を解消するのに最も適した論と言えるだろう。
しかし、ディアルガの力を用いた場合は、この論には当てはまらない。過去に起こした現象が現在に波及し、バタフライ効果によって、場合によってはより大きな異変までもが生じる。矛盾までもを内包した世界に「作り変える」。過去、多くの創作において取られた手法がそのまま通用するかたちだ。
その際に生じるエネルギーはそれこそ天文学的な数値に達するため、ディアルガは常にその能力を用いて過去へと飛ばす人間を選別していた。「あかいくさり」によって現在能力を制限されたディアルガでは、それに耐えることができるかどうか怪しいところである。
「お前がしたいことは、過去を変えることか? それとも、過去を観測することか?」
懸念を抱いたまま問いかけると、アキラは少しだけ呆けたような表情になった後、わずかに考え込むような仕草を取って答えた。
「まず、観測したい。それから考える。元々、それほど大きな影響が出るようなことじゃないと思うんだけど」
「それは何だ?」
「ヒナが言ってた*1んだけど、1970年代……だったかな、剣山で10メートルもある青黒い大蛇が発見されたらしいんだ」
「50年ほども前か……」
「待ってくれ、70年代って30年くらい前だろ?」
「何を仰っているんですか……?」
「俺の感覚だと10年代の出来事は二、三年前のことだし00年代は四、五年前のことだし90年代でようやく十年前なんだ」
「本当に何を仰っているんですか?」
「話逸れてんだが」
「悪い」
朝木は意図せず自分の所感を述べて話を逸らす悪癖がある。今真面目な話をしているんだ、と軽い注意を向けたアキラから引き継ぐように、うんしょと身を乗り出してきたロトムが告げる。
「でも、10メートルもある……蛇みたいな長い体のポケモン、そんなに多くないロト。イワークにハガネール、パニックになって大きさを測り違えたとしても、長さからギャラドスとかミロカロスロト?」
「それにしたって、色を考えたらそう候補は多くねえぞ? やっぱイワークかハガネールなんじゃね?」
「しかし、そうなるともっと山が荒れていなければおかしいのでは?」
イワークは時速数十キロで地面を掘り進んで餌を探すという生態をしているし、ハガネールなどは鉱物食性だ。より地中深くまで掘り進んでいく習性がある関係上、掘り進んだ跡は非常に大きな穴になって残るし、それが原因で地盤沈下などが引き起こされる可能性も高い。見つかれば大きなニュースになるべき事態のはずだ。しかし、現在、そのようなこと確認されていない。
ならば何が――朝木たちがそう考えたところで、アキラは一つ指を立てた。
「だったら候補は更に絞られる。例えば――伝説のポケモン」
「……ギラティナやジガルデ?」
「可能性だけだけどな」
「ギラティナというのは?」
「……あ、あれ? アカギさん知らないの?」
「あ、そうじゃん。アカギってギラティナと遭遇する前に転移してる」
「えっと……ロトム、図鑑表示お願い」
「お任せロト~」
「ほう……」
このアカギはその野望が成就する直前に世界を転移させられている。「ヨウタたちの世界で観測されたアカギ」とはまた別の可能性を辿っているということだ。
ヨウタたちの世界でのアカギはギラティナによってその計画を阻止された後、「やぶれたせかい」と呼ばれた地で姿を消して行方不明になっている。彼と最後に決着をつけた図鑑所有者によってもたらされたデータは、彼らの目前のアカギにとって興味深いものであったらしく、彼は食い入るように図鑑を眺めていた。
「やぶれたせかいだか反転世界だか分からないけど、ともかく、ウルトラホールを抜けた後、この世界のそういう位置づけにある『裏側の世界』との狭間に入ろうとした瞬間があるはず」
「その瞬間ならオリジンフォルムになって……うん。大蛇みたいな姿になるね。それなら見間違えることもある、かな?」
「だからその辺の真相を確かめたいと思って」
「……なるほど、そういうことであれば可能性はあるか」
「じゃなくても、過去に飛べば接触できるかもしれないしな」
無論、ただ接触しようとなれば、突然他の世界に訪れるハメになって気が立っているであろうことは容易に推測できるため、襲われる可能性が高くなる。そういった時に対処できるのはより実力の優れるヨウタかアキラだ。彼女がまずアカギに対して過去に飛べるか、と問いかけるのにも納得はいった。
「ならばまずは過去、何があったかを確かめるべきだろう」
「ディアルガはそれできる? アカギさん」
「過去を見る程度ならば、すぐにでも可能だろう。全員を集めてくるといい」
「やった」
じゃあ、ということで意気揚々とユヅキや訓練を再開したヒナヨ、ナナセたちを呼びに向かったヨウタとアキラ見送りながら、朝木はアカギに呼び掛けた。
「なあ、アカギさんよ」
「何だ」
「ディアルガとパルキア、せっかく力貸してくれてるんだから、せめて世話くらいはさせてくれや」
「……奴らの力を使っているのは私だ。お前たちが気を揉むべきことではない」
「あー、いや、そういうんじゃなくって……」
「俺たちは、パルキアたちの能力によってあの危機から救われている。救われた人間として、救ってくれたポケモンへ謝意を示すものと捉えてほしい」
「――そんな感じ」
東雲は思わず朝木を見た。
言わんとすることはもう少し自分で言語化してもらえないだろうか。彼はチベットスナギツネのような目つきをしていた。
「そういうものか」
「……や、一概にそれだけじゃねえけど。ぶっちゃけ半分くらい、人間に良い印象持ってもらいてえっていう下心は割とあるよ」
「………………」
「そちらはわざわざ言葉にしないでください、朝木さん……」
「いーんだよ俺くらい嫌われても。多分アキラちゃんやヨウタ君はそういう下心抜きでまず体当たりしていくだろ?」
「ですが」
「かまーねーって。俺心の汚いとこ見透かされてるのかポケモンと初対面だとまず嫌われるし」
それに、と言いかけるが、そこで朝木はやめた。
普段ツンと澄ました表情で、物騒なことを言いつつ皆を引き締めるために自ら嫌われ役になっているアキラのことが、まず彼の中に浮かんだ。
彼女が何かと無理をしているということを朝木は知っている。ただ怖がられたりするだけでは、やはり心はささくれ立つ。そう考えれば、どこかで誰かに明確な形で好かれる機会があった方がいいだろう――そう考えたが、わざわざ口に出すことでもないと考えたためだ。加えて言うなら、彼女に相談を受けた手前、ある種「患者」の情報を漏らすのは元医療従事者として憚られるのもあった。
ほどなくして、訓練再開早々にまた中断させられてやや不機嫌になったヒナヨや首を傾げるナナセなどを連れ、ヨウタたちが戻ってくる。アカギはそれに合わせてディアルガをボールから出した。
ディアルガの周囲では、赤い鎖が宙に浮くようにしてその体を――と言うよりは、ディアルガの「時を操る」能力そのものに干渉するように、円形に力場そのものに絡みついている。彼は不快そうに身を捩るが、その赤い瞳に怒りが宿っているというほどではない。アカギはその事実を訝しんだ。
元々、強引な手法で自らの手中に収めたこともあり、ディアルガとパルキア、アカギの間柄は、単純に険悪という言葉では表せないほど冷えていたのだ。それがごくわずかとはいえ軟化したとあっては、流石のアカギも面食らうというものだった。
頭上に疑問符が浮かぶ。そこに声をかけたのはユヅキだった。アカギのおじさん、と呼び掛けられると、それに連動して似た名前、同年代の朝木は何やら絶望と悲哀と苦悶がない交ぜになったかのような表情に変わった。三十路手前の男は、十二歳の少女にとっては「おじさん」にほど近いと理解させられるのは、アカギが老け顔であることを差し引いても精神的に深い傷を与えるに足る威力を持っていた。
アカギは特に何も感じていないようで、彼は普通にユヅキにその先を促した。
「ディアルガもパルキアも伝説だけどポケモンだよ。頭ごなしに『命令』されるだけだったら機嫌も悪くなるけど、ちょっとでも向き合おうって気持ちがあったら、
「……そうか」
言われて、アカギは再びディアルガを見上げた。
やや煩わしげだが、それでもその瞳には、神の如き力を持っているが故の気位の高さこそあるが、確かな寛容さがあった。
ともあれ、そうしているうちに全員が揃う。ディアルガの負担軽減の意図もあり、手法としてはデオキシスがテレパシーで内容を読み取り、オーロラのスクリーンで映し出すというものになった。
ほどなく、場所と時間軸が特定できたことで、彼あの前に約50年前の光景が鮮明に映し出される。
剣山の山中だ。鬱蒼と茂った木々が時折、視界を遮っていく。その都度視点が置き換わっていき、十数秒ほど。
「――来る」
その最中、ヨウタは不意に何かを感じ取ってそう呟いた。そうした次の瞬間、突如として空間に穴が開いた。それなりの規模を誇るウルトラホールだ。
そうして、そこから飛び出してくるのは黒く、節くれだった外殻と長大な肉体を持つ龍――。
――
「色レックウザじゃあねえか! 誰だギラティナっつったの!!」
「冷静に考えなさいよレックウザでも十二分でしょ!?」
「ていうか予想外したお姉顔真っ赤になってる! やめたげて!」
「うわこんな色のレックウザ見たこと無い……ロトム、写真!」
「もう動画で保存してるロト」
想定外の事態に色めき立つ一方、冷静に映像を見続けていたアカギは何やら異質な音が響くのに気付いた。東雲もそれに続いて、ウルトラホールを見つめる。また、アキラは羞恥で顔を赤くしながら、ナナセと共に、現れたレックウザがどういうわけか傷だらけであることをまず気に掛けた。
何か、異様な事態が起きているのではないだろうか? 騒ぐ四人を置いて事態は進行する。現在にまで伝わる通りに、山で作業を行っていた男がその姿を目にし、恐慌状態に陥ってそのまま走って山を降りていく。
そうして数秒もせず――ミシリ、と。突如として、レックウザが現れたその先のウルトラホールを
「――――――あ」
不意に、アキラは背筋に悪寒が走るのを感じた。
普段あれほど運動をしていても乱れることの無かった息が乱れ、冷や汗が異常なほどに流れ出す。自分でもなぜそうなっているか理解できずに、視界が歪みかけるその中で――彼女は、その
ステンドグラスのそれに似た、内から滲み出すような原色の眼光。嘘でしょ、と呟くヒナヨの声を、彼女はどこか遠くで聞いていた。
「ネクロズマ……」
呆然とした様子で放たれたその言葉と共に現れたのは、漆黒のウルトラビースト。
その剛腕でウルトラホールをこじ開け、空間そのものを破壊して現れたその存在は、何一つ躊躇することなくレックウザへとその爪を振りかざした。
「ヤバっ……」
「お、おいおいおいおい……!」
対するレックウザは、迫るネクロズマの腕を尾で叩き落す。直後、その全身のラインに虹色の光が走った。
メキ、とレックウザの全身が、圧倒的な脅威に対応すべく変異せんと音を立てた。
「トレーナー無しにメガシンカ!?」
「そっか、レックウザは食べた隕石のエネルギーでメガシンカするから、無理すればメガシンカもできないことは――」
――と。その時だった。
ネクロズマの両腕が再び天に掲げられ、膨大な黒いエネルギーが凝縮する。周囲の地形をも巻き込んでレックウザへと叩き付けられる。
同時に、レックウザは自らのメガシンカを果たすために口腔からそのエネルギーを散らすための音波――「ハイパーボイス」を放った。
ともすると、ここで二つの絶大な威力を持つ技同士が激突し、山が崩れてもおかしくはなかった。しかし、ここで異常な事態が起きる。レックウザの全身から流れ出ていたメガシンカのためのエネルギーが、光の粒となってネクロズマの放ったエネルギーにそのまま吸収されていったからだ。
「そんなことが……!?」
「まさか――まさか、『光』を食らうって……!」
その性質に対して僅かなりにとも推論を組み立てられたのは、ポケモンの設定を読み込んで理解しているヒナヨ故のものだ。
ネクロズマは今――メガシンカエネルギーを、「光エネルギーとして」、吸収したのだ。
「ハイパーボイス」を耐えきったネクロズマが、その腕を振るいレックウザの甲殻へと「メタルクロー」を食い込ませていく。
そして、更に驚異的な光景が繰り広げられる。ネクロズマの口蓋とも呼ぶべき部位が開き――その身を「光」へと変換し、食らい始めたのだ。
「ひっ」
「――――かっ、は」
「……アキラちゃん!? なっ……あ、過呼吸!? 何でいきなり……!?」
更にその瞬間、ネクロズマの行動に応じて徐々に悪化し続けていたアキラの不調が、極限に達した。
流石にここまで来れば、誰もが異常を察するというものだった。過呼吸と一口に言ってもその重症度は様々だ。これまでどれだけ元気な人間だったとしても、極めて大きなストレスに負けて呼吸を乱し、重篤な過呼吸を引き起こして窒息――ということすらありうる。一旦全員を置いて、朝木はまず処置に入った。
ヨウタたちが心配そうに見つめるその脇で、スクリーンに映し出される映像は流れ続ける。
やがてそれは、レックウザが限界まで開ききったウルトラホールの先に連れ去られ、光の粒子を残して消滅することで終わりを迎えた。