どれほど望まなくとも、時間というものは人間にとって平等に、そして無慈悲に訪れるものだ。
「――時間だ」
それをはっきりと示したのは、他ならぬ「時」を支配しようとしたアカギであった。
完璧な準備ができた、などと言うことはできない。しかしそれは、この戦いが始まってからというもの、ずっと同じことだ。
ある者は怯えと緊張をそのまま顔に出しながら。ある者は毅然とした様子で。ある者は気負いなど無いかのような自然体で。またある者は全身から闘気を漲らせ、その宣言に応じる。
いずれにせよ共通していたのは、彼らのうちのいずれも、逃げるつもりは毛頭ないということだ。
ポケモンたちの気力も体力も万全だ。作戦も可能な限りの共有を終えている。とはいえ――。
「なあ本当に大丈夫かよ、あの海の魔物相手に『とりあえず真正面から殴りあう』とか」
――作戦と呼べるようなものは、この場では存在しなかった。
レインボーロケット団ならば、策略が通じる余地がある。結局のところ戦う相手が「人間」だからだ。
対して海の魔物と化したカイオーガはどうか。海そのものと化した言わば「災害」であるそれに対して、思考の隙を付いた細やかな策略など、組んだところで質量という純粋な暴力によって破られるだけだ。ならば最初から方針だけを決定しておくだけに留めておき、状況に応じて各人の判断で臨機応変に動く。それがナナセたちの立てた「方針」だった。
「大丈夫です。できます」
応じたのは、その方針を立てた当のナナセだ。普段の静かな様子とはまた異なり、闘志を燃やして決然とその答えを返す。
それはここまで、この異空間でポケモンたちの成長を目にしてきたからこその答えだ。経緯の違いこそあれ全員のポケモンが究極技とそれに連なる準究極技とも呼ぶべき技を覚え、可能な限り進化を果たしている。
現在、この世界における最強の実力者であるヨウタも、これには太鼓判を押した。摸擬戦と言えど、伝説のポケモンに肉薄できるほどの実力をそれぞれが備えているのだ。ヨウタは続くようにして頷きを返した。
「というか、アレ力押し以外やりようあんの?」
ヒナヨの指摘に朝木が押し黙る。実際に戦ったからこそ、その事実はよく理解できた。
先の戦いでの敗因は、単純な地力の差だ。手を変え品を変え、あらゆる手段を尽くしてなお最後の最後で一手足りず、攻めきれなかったのだ。あとはもういかにその「一手」を捻出するかのみが問題となる。
「ぶっちゃけ消化試合だこんなもの。いかに綺麗に勝つかだけしか問題じゃない」
「ひでえ言い方!」
「でもお姉の言ってることも事実だよ。多分もう勝てるもん」
やや楽観的なユヅキの言葉に、アキラは小さく頷いた。
彼女のそれにしても多少希望的観測が混ざっているが、戦闘に関する勘は他の面々よりも優れている。そのアキラが言うならば、と朝木も多少なりとも気を鎮めた。
「方針は事前に確認した通り。出現と同時に全員で全火力をぶつけて、内部でエネルギーを炸裂。肉体を構成する海水を吹き飛ばす」
「――然る後にアオギリとダークルギアを回収します」
敵の命までもを助けようというのは、一見すれば不合理極まりないことである。実際に当初、東雲やナナセはこれに反対した。優先すべきは市民と仲間たちの命だと。アカギをはじめとしたギンガ団の面々すらも納得を示した。
元医師の観点から、アオギリとダークルギアもなんとか助けてやれないかな――と発案した朝木もこれには納得するほかなかったが、対してヨウタやユヅキといった面々は朝木の意見を支持した。基本的には感情論に根ざし、人道に基づいた意見ではあるのだが、それでは人を動かすにはいくらか足りない。そこでアキラとヒナヨが利を説いた。アオギリは味方に引き込める可能性がある、と。
むしろ、元々はアオギリを味方につけること事態が既定路線だったのだ。市民を守るための戦力を増やすことを思えば、これも必要なことだ。今回の襲撃にしても原因は「あいいろのたま」の精神汚染だ。まだ情状酌量の余地はある。
問題があるとすれば、アキラの言い方だろうか。曰く、今回の件はアオギリの手落ちであり、人間を滅ぼそうとしているわけでもない彼は多少なりとも罪悪感を抱くはずなのでそこにつけ込もう。どうせ元々敵なんだから目減りしない壁だと思えばいい。なんなら後ろから撃とう。正義というものの欠片も無い。
ヒナヨは「サカキの息子」の記憶による悪影響を心配したが、そもそも彼女はその記憶が無くとも、「敵を軽く脅して情報を得よう」とか、「適当なことぶっこいてフレア団に嫌がらせしてから逃げよう」とか、聞けば人間としてどうかと思うような行動も平然と行っている。
正しいことをしなさいという祖母の教えに基づいて行動「しようとしている」ということは、即ち今現在はそういう人間ではないということも示していた。
ともあれ。
「状況から考えて、アカギ、というかギンガ団の介入は既にバレてるはずだ」
「だろうな」
「だからもういっそ開き直って、可能な限りレインボーロケット団からの横槍を防いでほしい。あっちはここで攻めきれれば、こっちの最高戦力を殲滅できる。外で一時間経ってる間にある程度は状況を把握して部隊を展開してるはず」
「そうだろうか? 奴らも巻き添えを食らうのは避けたいのでは……」
「畑からしたっぱが採れるんじゃねーかってレベルでガンガン出してくる連中だぜ。知ったこっちゃねえだろうよ」
「それで、任せてもいいのか?」
「何度目だその質問」
うんざりしたように、アキラは小さく息を吐いた。
アカギもある程度は理解している。ある意味持ちネタのようにこのようなことを告げているフシがあった。
「任せると言ったら任せる。何かあればわたしが全責任を取ってお前ら一人残らずぶちのめしにいく。それでいいだろ」
「…………」
「何だよヨウタその目は」
「何でも」
ヨウタは確信していた。万が一、一人でも離反しようものなら間違いなくやる、と。なんなら彼女のそれはほとんど反射に近い自動的なもので、その気にならなくとも言葉にしなくともやりそうな「スゴ味」がある。無感情に一人残らず腕なり足なりを切り飛ばして再起不能にすることだろう。
とりあえず誰一人離反者が出ないよう、ヨウタは強く
「始めよう。アカギ、外に出してくれ」
「承った」
アカギが手を掲げると同時に、パルキアとディアルガがそれに応じ空間に小さな穴が開く。
それに伴い外部と内部との時間の流れの差が縮まり、やがて外部から強い風と雨が降り込む。よく嗅ぎ慣れた湿り気の強い潮のにおいに、アキラは小さく苦笑いした。
空間の穴から外に出れば、ぬるい雨水が顔を叩く。全員が外に出たのを確認した直後、アキラは大きく声を張り上げた。
「位置につけ! アカギ、カイオーガを開放しろ!」
それぞれがポケモンを出しながら、アキラとナナセが司令塔の役割を担うためその場に留まり、ヨウタとユヅキ、朝木が南東、東雲とヒナヨが南西へと向かって走る。
デオキシスが周囲に「壁」を展開、海を閉鎖することで再度、海の魔物が海水を補充する手段を断つ。
位置についたことをアカギが確認したタイミングで、先程と同様に空間に小さな穴が開いた。それは内側からひび割れるように広がり、やがて膨大な量の海水を吐き出し再び先の「海の魔物」を形作っていく。
周囲に強い緊張感が漂う。一度は見事に「してやられた」手前、あのアキラでさえも殺気立って――殺意に満ちているのは普段通りではあるが――おり、彼女に近付くだけでもピリピリと肌に刺さるほどだ。
(しかし――)
その中にあって、朝木は海の魔物に大きな脅威を感じなかった。
それは単に、伝説のポケモンを見慣れてしまったからこその慣れとは異なるものだ。厳しい特訓を経たことで自信をつけたこと、特訓を経て強くなった仲間たちへの信頼といったものが、以前見た海の魔物と比べ、その姿を小さく見せていた。
ほどなくして、海の魔物がその全容を見せる。そのタイミングでチャムとカメックスがメガシンカを遂げ――雨音に負けないよう、東雲が声を張り上げる。
「攻撃開始ッ!!」
直後、三方向から海の魔物に向けて全身全霊の究極技が放たれた。
もはや余力は残さぬとばかりに体内の全エネルギーを振り絞った一撃は、外界に再び現れたばかりの海の魔物に直撃し、体内でエネルギー同士の衝突が起きる。
「――――――!!」
海の魔物の体表がゆらぎ、海水のさざめきと共に悲鳴にも似た音が周囲に響いた。
炎、水、草のエネルギーは互いに影響し合う関係にある。同時に衝突した同量のエネルギーは勢いのまま海の魔物の中心部で混ざり合い、あるいは反発しあい――しかし、絶大な威力が消え去ることは無い。相互に影響し合ったエネルギーは見る間に増幅し、やがて海の魔物を内部から破裂させるようにして大爆発を起こした。
「うおっ!?」
「足りないか……」
だが現状は、せいぜい外殻の一部が剥がれたという程度。海の魔物は先の戦いの最後、海水によって体積を元の数倍にまで増やしている。せいぜい二割でも削り取っていれば御の字というところだろう。少なくとも、この攻撃で倒れるということは誰一人として考えていない。
「じゃあ、次だ」
故に、こうなることは既に織り込み済みだった。アキラが軽く手を挙げて合図をすると共に、幾百、幾千の光条が空を駆ける。
それは、ベノンとシャルト、ラー子、ドララ、ガブリアス、ジャック――ほぼ全てのドラゴンポケモンを総動員して作り上げた、「りゅうせいぐん」の嵐だった。
その光は一直線に海の魔物へと吸い込まれるように向かっていく。隕石の実物を媒介にしたわけではないが、そうであるが故にその光は一発一発が純粋なエネルギーとして海の魔物に突き刺さる。
「――――!! ――!!!!」
「まだまだぁーっ! みんな、撃てぇーっ!!」
次いで、ユヅキの号令に合わせて、はがねタイプのポケモンたちが「てっていこうせん」を撃ち放つ。一見その攻撃は単純な光線のようだが、生体エネルギーのおよそ半分を費やした究極技にも匹敵する威力の光線だ。天から降り注ぐ「りゅうせいぐん」に対して挟み込むような形で激突したそれは、再び海の魔物の体内で炸裂し海水を弾き飛ばす。
(これではまだ……)
状況を逐一確認しながら、ナナセは思案する。目標はアオギリとダークルギアの確保・救出……ひいてはカイオーガを元に戻すことになる。
海水を削らなければ本質的なところで攻撃が届くことは無いが、しかし、海水を削りすぎれば今度はカイオーガ自身の命が危ぶまれる。適切なところで攻撃を一時的に止め、海の魔物の体内に突入しなければならないのだが、そのタイミングが難しい。
海水が多ければ再度、先にされたようにダークルギアの能力を利用して攻撃を躱されるだろう。少なすぎれば攻撃の衝撃を殺しきれずにアオギリとダークルギアが死ぬ。瀬戸際のところでそうはならないように見極めるのが、今の所のナナセの役割だ。
「小暮さん!」
「!」
と、そこで彼女の頬を高圧で発せられた水が掠めた。半ば悪あがきにも近いその攻撃を回避できたのは、アキラが周囲に目を光らせていたことでナナセを庇うことができたためだ。
「――まだですか!?」
「すみませんが、削ってください……まだ、もうちょっと……!」
「ヨウタぁぁっ!!」
――攻撃続行。
それを示すように声を上げれば、ヨウタはその場で応じて、カプ・コケコとほしぐもちゃんをボールから出した。
続いて東雲がヒードランとグラードンを出す。直後に一瞬、海の魔物が生じさせていた雨雲を割いて、「ひでり」によって雲間から陽が差す。
「ほしぐもちゃん、『ソーラービーム』! コケコは『かみなり』!」
「ヒードラン、グラードン、続いて『ソーラービーム』!」
陽光を吸収するのは、その一瞬で充分だ。
放たれた三本の光線はジリジリと海の魔物の体を焼き、蒸発させその体積を減らしていく。更にそこに一発、躊躇の無い雷撃が叩きつけられることで、蒸発した水分と急激な反応を起こし。水蒸気爆発が生じる。
轟音と共に海水が弾けるのを感じつつ、その様相を目にしたナナセはアキラに向かってハンドサインを送った。それを確認したアキラが更にデオキシスへと自らの意思を伝達し、そこから朝木へと「作戦実行」がテレパシーによって伝えられる。
「キュレム、やれぇっ!!」
「コォォォォ――――……!!」
――「こごえるせかい」。
海の魔物の体積が一定になった瞬間に固定し、活動を止める数少ない手段だ。
規格外の冷却能力によって、数十メートルほどにまでそのサイズを縮めた海の魔物の表面が凍結する。
無論、猶予はそれほど無い。海の魔物は自らの肉体となる海水を自由に操ることができ、内部から「ねっとう」とすることで数十秒足らずでその凍結状態から脱してしまうからだ。
しかし、それでもその間は確実に動きを止めることができる。外からその様子を確かめたアキラは、最後の一手を打つべくレックウザのボールを手に取り――。
『そこまでだ』
――聞き覚えのある陰鬱な声が脳に直接響くと同時、アキラはその動きを止めた。
彼女自身もデオキシスの手を借りて行ったことがあるのと同質の、テレパシーだ。それを発した主を探して視線を巡らせれば――彼女の背後数十メートルほど、漁港の建物の影から湧き出すようにして現れる影があった。
ダークトリニティ、最後の一人。
――彼はその手に握った短刀を、アキラの祖母の首筋に突きつけていた。
たいへんお待たせしております。
そろそろ最終局面です。