ラー子が敵を吹き飛ばしたのは、実のところ大した距離じゃあない。ダークトリニティとキリキザン、その双方が瞬時に空中で体勢を整えてのけたからだ。
だが、ダメージはあった。少なくともその手ごたえがある。
……本当なら「じしん」や「だいちのちから」あたりが一番良かったのだが、ここは車の上だ。危険極まりない。
「……強いな、どいつもこいつも……」
ダークトリニティもそうだが、キリキザンの動きもすさまじい。とてもじゃないが、全身に刃物をぶら下げているとは思えないほどだ。
「おのれ……」
「小癪な!」
「このままでは済まさん」
悪態をつきつつも、やはりダークトリニティの三人は、キリキザンと共に先程と変わらない速度で猛追してくる。くそったれ。多少は効いた素振りくらい見せやがれ。
「チャム!」
「ピッ!」
再びチャムをボールから出す。位置は、安全を考慮してラー子の隣だ。既にだいぶ逆風に負けつつあるが、頑張れ。オレも頑張る。
「チュリ、『くものす』で足止めしてくれ! チャムは『ひのこ』、ラー子は『だいちのちから』だ!」
指示を聞いた三匹は、素早く自分の技を放った。チュリは周囲の道などに「くものす」をかけ、チャムは近づいてきそうなところで「ひのこ」を放って牽制。そこへ、ラー子が放つエネルギーによって隆起した地面、あるいはアスファルトがキリキザンに突き刺さって体を「く」の字に折り曲げる。
だが……足りない! チュリの糸はキリキザンの刃によって瞬時に切り刻まれ、チャムの炎は……効果はあっても大したものじゃない。目くらましにくらいは、なってると思いたいが……。
「無駄だ! キリキザンは群れで狩りを行うポケモン!」
「本来はコマタナを従えているが、協働の相手が同種のキリキザンであるなら、その動きは大きく変わりはしない」
「即ち、確実に相手を仕留めるために動く!」
チャムの放つ「ひのこ」による目くらましは、確かに有効だ。しかしそれは相手が一体だったら、だ。三体同時に目を潰すことはできない。ラー子の攻撃と合わせて考えても、どうしても一体は漏れてしまう。
ダークトリニティの三人は、どうやらラー子の攻撃を警戒して、乗り込んでまではこないようだが……ポケモンであるキリキザン三体には関係ない。
――――そうして止められなくなったことで、キリキザンのうちの一体が車の上に降り立つ。
「ズァァッ!」
紫色の光を放つキリキザンの刃がラー子へ向けられる。「つじぎり」か! まだ体力を回復してない今のラー子が受けるのはマズい!
考えるが早いか、オレは自分の身体をキリキザンとラー子の間に割り込ませた。そして、前に出た勢いで、電力を全開にして掌底を叩き込む!
「たあああァッ!!」
「ザッ!?」
突き出した右腕が、硬すぎるものを殴った時のそれを思わせる痛烈な痛みを訴える。しかし、おかげでキリキザンの方は吹き飛ばすことに成功した。
意識の外からの一撃だ。効くはずだ――という思いと、効いてくれなきゃ困るという泣き言が同時に胸の内から生じる。それでも、精々車の上から退かした程度の成果しか得られない上、オレの手には大小さまざまな傷がついていた。どうやらキリキザンの胴部にあった刃物に触れてしまったらしい。ほんの一瞬の接触でこれか。
左手はひどい痺れ。右手は傷だらけ。格闘は……足を使えばできるが、達人三人相手じゃ分が悪すぎる。
この体になってから初めて味わう、体術面での完全な不利。状況が許せば高揚の一つもしていたんだろうが、生憎今はそれどころじゃない。試合や手合わせじゃないんだ、楽しんでられるか。
「フリュー……」
「大丈夫だ! 攻撃してくれ!」
ボタボタ流れ落ちる血を心配してか、ラー子が声を上げた。だけど、今はそういう場面じゃない。あいつらを撃退しなきゃ、怪我のことだってどうにもならない!
「その腕力と隠し玉には驚かされたが……」
「数の優位はいかんせん覆せぬようだ」
「何より、その貧弱なポケモンが足を引っ張っている……付け焼刃の愚策よ!」
「ピィィッ!!」
「乗るなチャム! 見え透いた挑発だ!」
くっ……チャムの「ひのこ」の矛先がダークトリニティの方に向かってしまった!
なんとか目くらましできていたキリキザンがフリーになる。チュリが必死に糸を吐いているが、焼け石に水。適当に振った腕の刃で瞬時に切り刻まれている。
あんな切れ味のもの、傷だらけでまともに飛べないラー子だけじゃない、レベルの低いチュリやチャムが食らってしまったらまず間違いなく命にかかわる。
どうする……!? あいつらはオレの身柄が欲しいと言っていた。言葉だけなら、殺す気はないとも読み取れる。なら、オレが盾になれば、あるいは……!
「詰めとしよう。コマタナ!」
「コマタナ!」
「コマタナ!」
「――――ッ!?」
――――マズい! キリキザン三体だけでも十二分に持て余してたってのに!
いや、当然と言えば当然ではある。ポケモンを一匹しか持ってないわけがない。ここで出しておけば確実に仕留め切れるとなれば、出さない理由は無いだろう。
「素人にしてはよくやった!」
「だが、ここまでだ」
「ゲーチス様のためだ。ここで倒れるがいい!」
六匹のポケモンとダークトリニティが共に駆け出し、車に向けて飛び上がる。
ここまでか――胸の奥から生じる泣き言を握りつぶし、歯を食いしばって前を向く。
まだだ。多少の怪我が何だ。拳を握ることはできる。足は動く。ポケモンを相手にできなくとも人間相手ならまだなんとかなる。噛み付いてでも食い下がって、噛み千切ってでも勝利をもぎ取れ!
負けるわけにはいかない。勝つんだ! じゃないと――オレは永遠に自分のことさえ知ることができない。家族のことも思い出せない!
「お前らの思い通りにだけは――なるものか!!」
「「「その意気や良し!」」」
こんなところで負けられない。そう決意して構えを取る――瞬間、空から声が落ちてきた。
「――また無茶しようとしてる!」
その場の全員が声が聞こえてきた方向に視線を向けた。と、同時にその場に暴風が吹き荒れる。
視界に映るのは、空に浮かぶ羽根、羽根、羽根――それを変換した、何十、何百もの矢。そして、突撃するジュナイパーと、その背に乗る少年の姿。
思わず、口の端が持ち上がる。
「……ヨウタにだけは言われたくねえ!!」
「僕もそう思う!」
声と共に、無数の羽根――モク太の放つ「矢」が降り注ぐ。
ジュナイパーの専用Z技、「シャドーアローズストライク」……その変則型。突撃というプロセスを伴わずに放たれた無数の矢は、コマタナとキリキザン、そしてダークトリニティの三人に触れると共に急激に発光を始めた。
「これは――なにっ!?」
「抜け! これは……」
「爆――――」
ダークトリニティはその危険性に気付いたようだ。が、もう遅い。次の瞬間、モク太の羽根は轟音を立てて大爆発した。
「ひんし」に陥ったコマタナが吹き飛ばされて地面を転がる。キリキザンはなんとか踏みとどまったものの、その被害は甚大だ。タイプ相性から考えるとダメージは半減されているはずだが、それでもなおこの威力。Z技の恐ろしさを痛感させられる。
……と、驚いてる場合じゃない!
「ラー子! 『だいちのちから』!」
「フラッ!」
踏みとどまったキリキザンたちを、ラー子の追撃が吹き飛ばす。ギリギリの綱渡りじみた攻防が終わったところで、ヨウタが車の上に降りて来た……が、いかんせん、乱暴な運転(にさせてしまった)せいで、どうにも体勢が保てないようだ。こうやって改めてオレ自身やダークトリニティの身体能力を顧みると、ちょっと複雑な気分だ。超人に慣れすぎれるといけない。手を差し出し……かけてやめる。今両方ともひどい状態だった。
「大丈夫か?」
「うん、アキラこそ大じょ……本当に大丈夫!!?」
「見た目がハデになっただけだ」
嘘だ。無視できないくらいの痛みはあるし、そろそろ左手も手首くらいまで感覚が無くなってきそうだ。
それでもオレが折れるのはマズい。ヨウタを動揺させてしまう。この戦いの柱は間違いなくヨウタだ。それだけは避けなければならない。
それに、ダークトリニティの三人も何ともなってない。最低でもやつらを退けなければ。
「……引くぞ」
「「御意」」
そう思ったところで、ヤツらはビルの影に溶けていくようにして、その姿を消した。
コマタナは全員「ひんし」。キリキザンも三匹のうち一匹がラー子の追撃を食らって「ひんし」。残り二匹がいるとはいえ、ヨウタもここに来てしまった以上は形勢不利と見たのだろう。それにしても撤退までの判断が早すぎるのは……褒めるべきなのか、呆れるべきなのか。
妥当な判断ではあるんだけどな。ダークトリニティ自体、身体能力の面で見てもポケモンの練度の面で見ても、なかなか替えの効かない貴重な人材だろうし。ゲームの方でも、警察に捕まったゲーチスがあいつらの手引きで逃げ出してたはずだ。闇討ちを警戒するうえで、あいつらがいるって思うだけでこっちも動きづらくなる。
まあ――でも。
退けたってのは、喜ぶべきことだ。多分。
「……撤退した?」
「多分な。気配は無い」
一旦止まれ、と運転席の朝木へ呼びかけて路肩に停車させる。
しばらく経っても、襲ってくるような気配は無い。本当に撤退したようだ。
「メディカルマシンは車の中だ」
「うん、分かった。けど……」
「オレのことはいいから先にみんなを回復させてやってくれ。じゃないとこの先勝てるものも勝てないだろ」
「……分かった」
渋々ながらも承服し、ヨウタはモク太と共に車の背部コンテナ――キャンピングカーで言うところのシェルの中に入っていった。
オレも、ラー子をボールに戻した上で一旦地上に降り、軽く息をつく。同時に、電磁発勁の負担のせいでどっと疲れが押し寄せて来て、その場に座りこんだ。
(……危なかった)
あいつらがヨウタを最大の脅威と認識してくれてたおかげで、なんとか撤退まで追い込めた。
けどそれは今回限りだ。多分、次は無い。ヨウタを足止めして適当な幹部級がポケモンと一緒に2~3人で当たればオレは完封できるし、そのオレを人質にすればヨウタはどうとでもなる。奴らもそれを狙うだろう。
何か、対策を考えないと。
「ヂュ……」
「ピィ……」
「ん……?」
鳴き声を聞いて振り向けば、チュリとチャムが何やら悔しそうにしていた。
この一戦、ダークトリニティを退けることには成功したが……確かに、二匹ともあんまり活躍はできてない。面と向かって暴言を言われたことも堪えたんだろう。あれだけ怒ってたんだ。そりゃあ、悔しいよな。
近づいて、二匹を抱き上げる。
「大丈夫だ。
優しく語り掛けると、二匹の様子も徐々に落ち着いてきた。
そうだ。オレたちはそもそも旅立ってすらない。トレーニングもしてない。今の時点で力不足を感じるのは、当然のことだ。
だから。
「みんなで強くなろう」
オレ自身も、もっと強くなりたい。三対一の状況からでもひっくりかえせるくらいに。
必要なのは腕っぷしだけじゃない。ポケモンのことだってよく知ってないといけない。オレはまだ、ゲームをやって知ってる「気」になってるだけだ。
今回のキリキザンのことがいい例だろう。かくとうタイプの技が苦手だと知ってたから、なんとなくオレが殴ってもイケるんじゃないかと思ってたが、結果はご覧の有様。腹部についてる刃物の存在が、完全に頭から抜けてたんだ。
恐らく、それと同じようなことが今後も起きるだろう。チャム――アチャモの進化系であるバチャーモ、じゃない、バシャーモは主に近接格闘戦に長けたポケモンだ。敵ポケモンとも殴り合いを演じることも多くなる。
その時、オレは適切な指示ができるだろうか? 体温が一万度あるという(多分そこまでは行かないと思うが)マグカルゴに「とびひざげり」を仕掛けろなんて言ってしまわないだろうか?
多分、無理だ。そのせいで怪我をさせてしまうことだってあり得る。
だからオレも、もっと強くなって、ポケモンのことを深く知って、チュリとチャムに相応しいトレーナーにならないと。
……その前に、まずは市内から何とかしなきゃだけどな。
さて、シェルに戻ってみると、既にヨウタはメディカルマシンを起動させていたところだった。
マシンには三つのボールが乗っている。オレはそこに、ラー子を含めて持っていた自分のボールを三つ置いた。
「どのくらい時間かかる?」
「完全回復までは、一時間くらい。けど、戦うだけなら十分くらい……かな」
「メガシンカやZ技が完璧に使えるのは?」
「三十分くらい……けど!」
「焦るな。また負けるぞ」
昨日のことを思い出したのか、ヨウタは小さくうめくとそのまま押し黙った。
改めて、車内を見渡してみる。どうやらこの車、メディカルマシンだけじゃなく医薬品も積んでるらしい。ある意味救急車か何かか。あっちの世界だとこういうポケモン専用の救急車とかも発達してるのかもしれない。
とりあえず、医薬品の中から包帯と消毒液を手に取って、右手の処置を始める。
「あ、そうだ。それどうしたの?」
「キリキザン殴った」
「馬鹿なの!?」
「はっきり言うなよ! ……ていうか、でもしなきゃラー子も大怪我だったぞ」
「だからってアキラが怪我してちゃどうしようもないロ」
「こいつ……」
いや分かってるけどさぁ。指示出すトレーナーが倒れたら終わりってのは。オレがそれ狙いでトレーナー殴り倒してるし。
「そっちの手は?」
「あー……」
流石ロトム。高性能センサーでもついてるのか、目ざといな。麻痺してる手のことまで見抜いてる。
「なんか、あいつらの武器にやられた後、感覚が無くて動かせない」
「大変ロト! えーっと、えーっと……これは……ガマゲロゲの毒みたいロ! 解毒薬は……」
「ごめん、世話かけるよ」
流石ロトムだ。そういう方向の知識までインストールされてるのか。
とりあえず、ゆっくり近くのシートに座ってロトムが調合を終えるのを待つか。そう思った時、不意にシェルの戸が開いた。視線を向けると、びくびくと怯えた様子が見て取れる。朝木だ。
「――レインボーロケット団ッ!?」
「やっ、違う違う違う! 違わないけど違うんだ!」
……あ。こいつのこと説明するの忘れてたわ。
「落ち着いてくれヨウタ。そいつは……敵だけど敵じゃないっていうか」
「どういうこと?」
「…………」
朝木は顔を青くしながら、その場に座り込んだ。何も言ってないのに何でこいつ床に直接座ってるんだろう。別にすぐ殴るほどオレも見境ないわけじゃねーのに。
「脅してここまで運転させたんだ」
「脅してって……いくらなんでもそんな」
「オレ、バイク以外運転できないし。こいつもどうせ敵だし、巻き込んで乱暴に扱ったところで別にいいだろ、って」
「倫理的にどうなのロ?」
「勝った後で清算するよ、そういうのは」
そっち方面は今は後回し。どうせこれ以外に方法思いつかないしな。
勝つにしろ負けるにしろ、最終的に自分のなしてきたことの因果がそのまま巡ってくる。そういうものだ。
「それに倫理のことを言うなら、街の人たち裏切ってるそいつの方がなおのことだぞ」
ビクビクビクッ、と朝木の身体が大きく震えた。驚いたロトムが薬を滑らせて、オレの顔にかかってしまった。
……何驚いて……ってか、ビビッてんだこいつ。事実だろ。
「し、ししし、仕方ないじゃないか! じゃないと死ぬだろ!? あんなの、逆らったってどうにもならないじゃないか!」
体育座りで自分の足に顔を埋めたまま、ガタガタ震えつつそんなことをまくしたてる朝木。
何だこいつ新種の生物か。異様すぎるんだよいいから顔を上げろ。
「伝説のポケモンだぞ!? ウルトラホールだぞ!? 普通のポケモンにすら勝てない普通の人間が勝てるわけがないだろ……! たった一晩で自衛隊基地を全滅させた上に、脱出不可能だって……なら勝ち馬に乗った方が賢いだろ! あんなやつらと戦うなんて、お前ら頭おかしいんじゃないのか!?」
「体もおかしいぞ」
「聞いてねえよそれは!!」
「オレだってお前の事情なんて聞いてない。お前が勝手に話しただけだ」
朝木はどうやら、オレの返答の意味が分からなくて混乱しているようだ。多少でも、同意されると思ってたんだろうか。
「良い暮らしでもしたかったのか?」
「……別に、そういうのじゃ……」
「ふーん。じゃ、いいや」
「何でもいいなら何で聞いたのさ?」
「引くに引けない理由でもあるのかもしれないと思って」
「俺は……ただ……普通にそれが一番賢い選択だと思って……」
「ただ楽な方に流れたのを賢く見せたいだけじゃないの? お前」
「アキラ」
「いいだろ、少々」
窘めるようにヨウタから声が飛ぶ。
確かにちょっと刺々しい言葉遣いにはなってると思うけど、別にオレは怒ってるわけじゃないんだ。何かされたわけでもないのに、こいつに対して、オレが怒るのはお門違いだし。
「オレが言おうと言うまいと、いずれは返ってくることだよ」
「どういうこと?」
「ばーちゃんが言ってたんだ。『悪因悪果、善因善果。悪いことをすれば悪い行いとなって。
実際、もう既に「街の人の信用」という形で返って来ているとも言える。
この後で市役所を解放したとしても、こいつの居場所は多分、無い。よっぽど寛容な人がいれば話は別だが、現実には贖罪を促してくれるヒーローなんて存在しない。
「生きようとするのが悪いことかよ……」
「別に。でもさ。生きたいと思うのって、動機があるものじゃないのか? 美味いものを食べたいとか、あのゲームクリアするまで死ねないとか、そういう些細なものでも」
「……あ、と……」
「それすら無いのに、他の人の希望を奪って自分だけ生き残るなんてのは、賢いことだとは思えない」
それだけ告げると、オレは返答も聞かずにシェルの外に出た。
――――市役所に攻め入るまで、あと二十分ほど。