携帯獣異聞録シコクサバイバー   作:桐型枠

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ふういんされた記憶

 

 

 さて。

 たった五日で胸元の縫うような傷や軽微な骨折などが治るかと言われると、普通は無理だ。不可能と断言してもいい。

 朝木と違って医療知識の無いオレでもそれだけは分かる。全身の火傷……拘縮……だっけ? それも半端なものじゃなくて、本当なら皮膚移植や、それが終わっても結構に長いことリハビリが必要だとかなんとか。

 

 けど、オレはそんなことは知ったこっちゃないとばかりに立ち上がった。

 貧血特有のくらっとしためまいは感じるが、床に足をつけて踏みとどまる。このくらいなら、動くことに支障はない。思わず飛び出しかけた朝木を手で制して、服の腕部分を軽くめくる。そこにあったはずの火傷は、既に治癒しつつあった。

 

 

「改めてその体なんなんだよ、筋力といい……まともじゃないだろ……」

「そんなことオレが知るか。オレだって知りたいんだよ」

「え。アキラちゃん自身も知らないって何なん。死ぬほど鍛えたとかじゃなくってか?」

「じゃあない。鍛えてるのは事実だけど、だからってここまで強くなったりするわけないだろ」

 

 

 そもそも、この件についてはこの事件とは特に関係ないんだ。だからこれ以上はノーコメントとしておいた。

 今は何より、レインボーロケット団への対策をしっかりしていかなきゃならない。

 

 まずはコート……は、無い。マフラー……も、無い。どっちも焼けてる。

 なんとなく自分の服装に頼りなさと寂しさを感じつつも、まずは目の前のことだ、と気持ちを入れ替える。服は服だ。また買えばいい。

 

レジスタンス(あっち)の代表者に顔を通しておきたい。誰か付き合ってくれないか?」

「俺が行こう。アサリナ君は刀祢さんのポケモンたちを回収してきてほしい。朝木さんは医薬品のストックの確認をお願いします」

「分かりました」

「ん、了解」

 

 

 ……そういえば、当初のオレとヨウタだけの道中と比べると、今はその倍に増えてるんだよな。こうして役割を分担して行動してるとよく分かるけど、やっぱり、お互いにある程度意思を統率できているとそこは便利だ。

 ただ、できることなら、この倍の人数くらいはいた方がいいんだよな。戦力的な意味でも。

 そのためには、やっぱり全員の意思統一がなされてる必要があるけど……全員がちゃんと戦えて、ポケモンもフルメンバー揃ってたら、勝てる見込みもある……かもしれない。伝説のポケモン相手だと、どうだか分からないけど。

 

 つっても、今の段階じゃまるで夢物語なんだけどな……モンスターボールも無いし。

 ……工場の潜入の時、ちょっとくらいちょろまかしても別に誰も何も言わないよな? 危険はオレが被ってるワケだし……。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 アキラたちがレジスタンスの代表者との面会に向かってしばらく、朝木はどこかモヤモヤした気持ちを抱えていた。

 本来ならもはや関わることが無かったであろう「医療」に、緊急事態とはいえ再び関わってしまったことに対する後ろめたさというものも、当然にある。しかしそれ以上に、彼の胸の中ではアキラとの会話がこびりついていた。

 

 ――「正しいこと」をするんだ。それしか残っていないから。

 ――そんなこと、オレが知るか。

 ――オレだって知りたいんだ。

 

 会話の中ではさりげない言葉のようであっても、後になって精査すれば違和感は徐々に浮き彫りになっていく。

 あれは、まるで――。

 

 

「レイジさん! 薬落ち……ああっ、マズい! ワン太!」

「ワウッ!」

「え? っとあっぶなぁ!!?」

 

 

 そうして考え事をして上の空になっていたせいだろう。危うく朝木の腕から零れ落ちかけた薬瓶は、寸でのところでワン太によって受け止められた。

 

 

「危ないはこっちの台詞だよ……レイジさん、なんか上の空だけどどうしたの?」

「ガウ」

「あ、ああ……ごめん、ありがとう。いや、ホラ、アキラちゃんの言ってたことがさ」

「ああ……ああ、うん……」

 

 

 ヨウタは、アキラを除く三人の中で唯一、彼女の本当の素性を知る人間だ。

 思わせぶりな彼女の言葉の理由もよく理解しているし、朝木と東雲にそれを語らない理由もなんとなくは察している。と言ってもそれは単純なもので、「説明する時間が無かった」ことと「そこまで信用してない」こと、何より「混乱を避ける」ことだ。

 特に最後の理由は重要だ。(見た目だけ)可憐な少女がいきなり「自分は男だ」などと言っても、信じる人間は到底いない。その説明に取る時間を思えば、もういっそのこと勘違いさせたままで通した方がいいのだ。

 

 ヨウタの方もそれを理解しているため、あえて指摘や訂正を加えることはしなかった。

 色違いのゼラオラかメスカイリキーと言われた方がまだ納得できるアキラだが、その内面は他人が思うよりも理性的、かつ冷静だ。そのため、ヨウタも彼女の考えを尊重していた。

 しかし、はぐらかすにしてもどうするべきなのか――そう思ったところで朝木が発したのは、ヨウタの想定外の言葉だった。

 

 

「ビシャスと戦う時もさ、『オレにはそれしか残ってない』……みたいなこと言ってて」

「え……?」

 

 

 それは、ヨウタにとっては初めて聞く類のアキラの言葉だった。

 

 

「レイジさん、その話……」

「え? あ、そっか、あの場にはみんないなかったんだよな……でもこれ、うっかり口滑らせたって感じだったし……言っていいもんか……」

「いいよ、それは――」

「――許可が必要ならボクがすぐ連絡を取るロト」

「いや、許可ってーか……まあ、大丈夫か。別に口止めされてるわけでもないし……」

 

 

 強いて言うなら、それはアキラが「口を滑らせた」事柄を朝木が口にしてもよいものか、というモラルの問題だ。

 しかし、ヨウタがここまで言ってるんだし……と、半ば彼に責任を押し付けつつ、朝木は先の戦いの中でのアキラの言動をヨウタに語って聞かせた。

 と言っても、それは一言二言程度のものだ。彼女の言葉をそっくりそのまま伝えながらも、これのどの辺が重要なのかと訝しむ朝木。対照的に、ヨウタは頭の中で既にアキラから聞かされていた情報とその言葉を照らし合わせ始めていた。

 

 やがておおよその見当がついた頃、ヨウタの表情は先程よりも険しいものになっていた。

 

 

「よ、ヨウタ君?」

「ワフッ」

「あ、ごめんワン太……レイジさんも」

「何か分かったのか?」

「……思ったより、深刻なことかも。推測だけど……もしかしたら、この先の戦いで軽く影響するかもしれないくらいには」

「……あの、女版呂布だか島津だか項羽だか森長可だかみたいなバケモンが?」

「…………どんな人でも、心にヒビが入ると脆くなるものだよ」

 

 

 あえて、ヨウタはその言葉を否定しなかった。

 彼は人名に詳しくないが、だからこそ、いずれもよっぽどの豪傑なのだろうということはすぐに推察できたからだ。

 

 

「なんにしても」

 

 

 と、続けて、朝木を混乱させないよう性別の件については触れずに、ヨウタは彼女についてある程度の概略を語った。つまりは、記憶喪失についてだ。アキラのルーツがあるとするなら、確実に「そこ」なのだから。

 そうして一通り語り終えた後、ヨウタは更に自身の推論を述べる。

 

 

「アキラは、『部分的に』記憶を無くしたって言ってた。けど本当は、かなりの大部分を無くしてるんじゃないかな?」

「え……ん? って言うと?」

「アキラ、友達いないんだ」

「いやそりゃ、あの性格だと……」

「……そういう問題じゃなくって。もしも見た目が変わったとしてもさ、自分たちだけが知ってることを言えば信じてくれる、って人も片っ端から探せば、多分いるよね? そういう話、僕は一度も聞いたことが無いんだ」

「そういう余裕が無かったとかじゃなくってか?」

「ううん。僕はアキラからおばあさんと家族の話以外、聞いたことが無い。その家族も、アキラの話を信じてくれなかったんだって」

 

 

 ん? と軽く首を傾げた朝木は、次の瞬間にその事実を改めて認識して顔を青くした。

 

 

「……家族のこと以外、全部忘れてんのか……?」

「もしかしたら、だけど。その家族のことも、半分くらい忘れてるかもしれない」

「で、でもそれだと……いや、でも……ああ、くそっ、脳神経科のこととか分かんねえぞ!」

 

 

 人間の記憶には複数の領域が存在する。過去の「出来事」を示すエピソード記憶、「知識」を示す意味記憶、などが代表的だが、記憶喪失を患った人間が「どう」記憶を失うのかは現代科学でも未だ解明されていない。

 また、記憶喪失――健忘症にも複数の種類がある。未だそこまで知識を広げていない朝木には、アキラのそれがどれに該当するのかも分からない。彼はただ唸る以外に手の施しようは無かった。

 

 

「アキラがたびたびおばあさんの言葉を引用してるのは知ってるよね」

「あ、ああ。でもアレ、ネタじゃないのか? ほら、おばあちゃんが言ってた~……みたいな」

判断基準が(・・・・・)それしかない(・・・・・・)んだとしたら?」

 

 

 ――人間というものは、長い時間をかけて倫理観と道徳観を養っていくものだ。

 大人の姿を見て学び、また、他人と接することで改めてそれを学ぶ。読書、遊び、勉強……ありとあらゆるものを教材として、人間は独自の価値観を確立していく。

 

 では、それがある日突然消えて失せたなら?

 

 

「『それしか残ってない』っていうのは、そういう部分なんじゃないかな。もしかしたら、だけど」

 

 

 言われて考えてみれば、朝木にもその説明はいやにしっくりと嵌った。

 同時にアキラの危うさもまた――否応なしに理解できる。

 彼女はそうすることが「正しい」と信じるなら、容易に人を殺しうる。――あるいは望んで自ら死地に向かうだろう。と言うよりも、実際にビシャスとの戦いでは「そう」しているのだ。

 

 

「でも、待ってくれよ。だったら何であんなポケモンに詳しかったり、普通に受け答えできたりするんだ? 無茶苦茶な子だけど、割かし常識的っちゃ常識的だし」

「ポケモンはこっちの世界だとゲームなんだよね。記憶喪失になって二年も経ってるし……その間、しばらく暇だったからやってたって言ってたよ。一般常識はおばあさんから教わったんじゃないかな。なんだかんだ、冷静っていうか、色々考えられてるし……」

「……まあ、なあ……おばあさんすごいな」

 

 

 その結果が久川町の単騎駆けや市役所での潜入からの脅迫と強奪に四国無双、果ては西条市での対大幹部戦の大立ち回りの末に完全撃破……という戦績だ。

 彼女の能力と地頭の良さがあっての成果だが、よくもここまで巧く教育したものだ、と朝木はアキラの祖母へ惜しみない賛辞を送った。

 しかしそのおかげで現代の女呂布(メスカイリキー)が爆誕してしまったことに関しては、ひとことくらい恨み言を言ってもいいのではないかとも、彼は感じていた。

 彼女のせいでこの無謀な珍道中に付き合わされている以上、そのくらいは言う権利があるはずだ。

 

 

「多分……ショウゴさんに怒られても、アキラはきっとまた何かやらかすと思うんだ」

「そう……だよな。そこまで拘ってるんなら、ありうるかもしれない」

 

 

 彼女は、そうすることが「正しい」と思ったなら即座に行動に移す。

 たとえそれが、自らを死に導く行為であったとしても。

 

 

「で、レイジさん、その時は」

無理

 

 

 応えたい気持ちが無いではない。

 しかしそれ以上に、暴走状態の女項羽(白ゼラオラ)になんて下手に手を出そうものなら朝木はミンチ確定だ。

 

 ――結局それ以上は何も言えず、一旦ヨウタはその話を打ち切った。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

「ひえっくしょんっったあああい!?」

「刀祢さん!?」

「い、いや……すみませ……なんか、急にくしゃみ……」

 

 

 レジスタンス代表者との面会のその最中、オレは急にむずむずとした感覚に襲われてくしゃみを放っていた。

 流石は我慢しすぎると肺に穴が開くという、人体屈指の衝撃を放つ生理現象だ。一瞬傷が開きかけてしまった。

 

 

「大丈夫か?」

「っぐ、大丈夫です……えっと……」

宇留賀(うるが)だ」

「クルーガー……?」

宇留賀(うるが)だ」

 

 

 ……そして改めて、レジスタンスの代表者である宇留賀さんに向き直る。

 身長は190センチ前後、茶髪にサングラス、革ジャンを着たマッチョ……という、不審者と言ったらいいのか、溶鉱炉に沈んでく人と言ったらいいのかよく分からん感じの偉丈夫だ。

 座ってても、オレと目線の高さがそれほど変わらない。相当デカいはずの東雲さんよりも更に上だ。首なんていっそ埋まってしまいそうなくらいゴリッゴリに鍛えられている。この人どういう職業に就いてたんだろう……。

 

 宇留賀さんの隣には、彼の手持ちと思しきサワムラーがこちらを見定めるようにして立っていた。

 敵対関係に無いからか、威圧感はそれほどでもない。実力の方は……どうだろう。少なくとも体術には覚えがあるように見える。

 

 

「さて。先に行った通り、君たちには件の秘密工場の確保を頼みたい。手段は問わない。潜入でもいい、正面突破でもいい。ただ……できることなら、内部の設備は手に入れておきたい」

「目的は、モンスターボールの安定した生産のためですか?」

「そうだ。そうすれば少なくとも、市民の自衛の手段は手に入る」

 

 

 嘘は……無いように感じる。戦えない人たちをなんとかしようという意志はあるらしい。

 なら、こっちも特に迷うことなく動けるな。少なくとも、今のところは。

 

 

「承ります。しかし、彼女の怪我のこともある。少々時間をいただきたいのですが、いかがですか」

「当然だ。どのくらい必要になる?」

「…………」

「五日」

「……いつ……? 聞き間違いか?」

「五日」

 

 

 宇留賀さんは、サワムラーにサングラスを一旦手渡すと、両目を擦って耳を掘ってから再びサングラスを受け取って装着した。

 

 

「……正気か?」

「……個人的にも、彼女には少し休んでいただきたいところですが、本人が……」

「早い方がいいのは間違いないでしょう。()の怪我も見た目ほどには酷くない」

「…………? 今」

「分かった。なら、こちらも何も言わないでおこう」

 

 

 ふと、何やら違和感を覚えたように、東雲さんがオレを見た。が、その前に宇留賀さんが話を続けたことでそれ以上の追及はできなかったようだ。

 ……何やら分からないが、何なんだろう? まあ、そっちは置いといて。

 

 

「必要なものがあるなら言うといい。可能な限り融通する」

「じゃあ、余ってたらモンスターボールをください。こちらもひっ迫してるので」

「分かった、探してこよう」

「ありがとうございます」

 

 

 正直、今は一個でも二個でもいい。二つじゃいくらなんでも足りなさすぎるんだ。

 時間もできたことだし、訓練もできる。先にある程度メンバーを揃えておかないと、後々になって鍛え方に差が出てきて、そこから崩される……なんてことにもなりかねない。

 一番強いヨウタにも、やっぱりフルメンバーで戦ってほしいというのもあるしな……。

 

 

「それじゃあ、失礼します」

「少し待ってくれ」

「はい?」

「いつどこで誰がここをかぎつけるとも限らない。いつでも逃げられるよう、準備はしておくように」

「あ、はい。分かりました」

「了解しました」

 

 

 改めて礼をして、部屋を出る。

 どうやらここも、あくまで仮の拠点らしい。まあ、どこもかしこも段ボールに詰めてる荷物だらけだったし、そういうことなんだろう。

 

 そうして少し歩いてから、再び何か思い出したように東雲さんが口を開いた。

 

 

「刀祢さん。君は自分のことを『私』と言うような性質(たち)だったか?」

「……は? ンなわけないでしょ」

 

 

 うわ、背筋がゾッとした。ナイナイナイ、それは無い。

 

 

「オレ、ずっと自分のこと『オレ』で通してますよ。何なんですか、急に?」

「……い、いや。何でもない」

 

 

 変なこと言うな、東雲さんも。

 

 この後、ヨウタたちと再度合流してチュリたちのボールを受け取ったものの、ヨウタと朝木の方も何やらオレの方を見ては神妙な表情をしていた。

 ……なんなんだ、急に……?

 

 

 


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