あの後、すぐにその場を動かなきゃいけないということもあって、オレたちは一日がかりで引っ越しを行った。
次の仮拠点は――四国中央市。襲撃先の工場のにほど近い場所にある集会所だ。
敵から逃げるのに敵の近くに来ていいのかという問題はあるが、小暮さん曰く「近くの方が意外と気付かれにくい」とかなんとか。最終的にその工場も奪う予定なので、最終的に運用がしやすいように考えた結果なのだろう。
イクスパンションスーツの着用者や、メタモンを利用して変装しているような人間は、他には見つからなかった。
オレとリュオンでひとりひとり確かめていったので、そこはまず間違いない。
そもそも、イクスパンションスーツによる変装は「光学迷彩を応用した」もの。メタモンのように感触まで模倣したものじゃないので、基本的には顔に触れれば分かる。メタモンの場合も顔を引っ張る程度で判別はつく。イクスパンションスーツを着てた場合は身体能力が強化されてるし、メタモンだった場合は人間が敵う相手じゃない……という危険はあるが、これはポケモンたちにやってもらうことで、ある程度の安全性は確保できる。これは、基本的に宇留賀さんのサワムラーが担当することになった。
さて、それはそれとして。
「治らないな」
「一日で治ってたまるか!」
取り替えた後の包帯を朝木に渡しながら、オレはそんなことをボヤいた。
しょうがないと言えばしょうがない。しかし、まあ、自分の体のことを知ってるだけに、ちょっとだけ「もしかしたら」なんてことも考えてたのは間違いないが。
「オレなら治るかもってちょっとでも思わないか?」
「それは正直思ったけどそりゃ不可能だよ」
「不可能か」
「人体の構造そのものは普通の人間と同じみたいだからな。頭に血が行かなくなればブッ倒れるだろうし、脳に酸素がいかなくなって死ぬ。アキラちゃんが強いのはみんな分かってるけど、ポケモンには敵わないんだ。気をつけないと」
「分かってる」
そりゃもう、文字通り痛いほどに。これだけ怪我して分からないって言う気は、流石に無い。オレだって別に死にたいわけではないんだし。
そうこうしていると、東雲さんが扉を開けて入ってきた。その表情は、なんとなしいつもより苦み走っているようにも見える。
「ここにいましたか。例の潜入してきた男の素性が分かったのですが……」
「あ、もう分かったのか?」
「一応は。ここで申し上げた方がよろしいですか?」
「お願いします」
「はい。名前は伏せさせていただきますが……高知県出身の33歳、妻子あり。レインボーロケット団に協力した理由は、家族の存在だそうです」
「家族ぅ?」
「はい。生活の保障を願っての行動だ……と」
「あいつらそんなこと約束するタマじゃねーだろ」
「そりゃそうだけど、溺れる者は藁をもって言うじゃないか。俺だって……」
確かにそれは、朝木が言うとちょっと説得力がある。
……が、オレ個人としてはあんまり好ましいものとは思えなかった。まず、先に述べた理由が一つ。悪党が約束を守るわけがない。
それと。
「死にたくないなら逃げりゃいいじゃないか。何でわざわざ悪人に手ェ貸すんだよ」
「いや……そりゃ、自衛隊駐屯地が壊滅させられて、勝てるなんて思わないじゃん。だったら少しでも自分の立場を良くしようって考えるのもおかしくないんじゃないか?」
「で、人殺しと侵略を手伝うのか。ワケ分かんねえ」
「……家族という守るべき者がいる以上、間違った手段と理解していながら、それを選んでしまうということは有りうる」
「そんなものですか」
「そういうものだ。俺も覚えはある。君は……できるかもしれないが、普通の人間は、そうもいかない。心が弱れば、判断力が鈍る。判断力が鈍れば……正しい行いはできない。誰かを守りたいという想いは尊いものだが、合理性を失わせることも多々、ある。それは、覚えておいてくれ」
「……分かりました」
やけに真に迫ったその言葉に、オレは頷くしかできなかった。
考えてみれば……どうだろう。例えばばーちゃんが襲われたとして、オレは冷静でいられるだろうか。あいつらに人質に取られたりしたら、まともにものを考えられるだろうか。
あるいは、オレに今みたいな力が無かったとしたら……ヨウタが近くにいなかったら、どうしてただろう。
……分からない。仮定でしかないことを考えるのは、正直言って面倒で、辛い。
でも、東雲さんのおかげでなんとなくは、そういう風に考える人たちもいるということは認識できるようにはなった。
「アキラちゃんって弱者に厳しいよな」
「そんなこと無い……っていうかもっと他に言い方あるだろ。何なんだよ弱者に厳しいって」
「だってよぉ……だいたい全部自分基準でもの語るじゃん」
「そうだっけ?」
「……そういう傾向はあるかもしれない」
「東雲さんまで」
……そんなことはオレだって分かってる。分からないはずがない。
腕を振るえば人が飛び、足を振るえば大気が爆ぜる。だからこそ、この戦闘力を主戦術の一つに――――え、違う?
「心の話だ。逃げればいい、間違ったことをするべきじゃないと君は言うが、普通の人にそれは難しい」
「え……おかしくないですか? 何で?」
「そりゃ生活があるからだよ。持ち家がある人はローンが残ってるだろうし、仕事がある人だっているだろうし、それに食事とか、交通機関とか……安定した今までの生活を捨てて着の身着のまま逃げろって、メチャクチャ怖くね?」
「その生活基盤が丸ごと壊されてるんじゃないか。そんな悠長なこと言ってられるもんか……?」
「人間誰だって『自分だけは大丈夫』なんて根拠なく思ってるもんなんだよ。ほら、地震が起きたって、別に死にやしない……なんて、アキラちゃんそういうこと思ったこと無い?」
「無い」
可能性は皆平等だ。誰がいつどんな目に遭うかは、分からない。ある日突然女になるなんてことを経験してオレはそれをよく知っている。
そもそもを言えば、ただでさえばーちゃんちが海と山に挟まれてるなんて面倒な立地をしているんだ。土砂崩れや高潮といった自然災害への備えは常にしておかなければ安心はできない。オレ「は」生き残れるかもしれないが、ばーちゃんは普通の人間なのでそんなものに巻き込まれたら死んでしまう。
何かあるかもしれない。自分もそれに巻き込まれるかもしれない。そう考えて備えておくのは、当たり前のことだ。
「そういう人間は極めて少ない」
「むぅ……そうなんですか」
「東雲君にだけはエラい素直だな?」
「だって……どっちの方が信用できると思う?」
両手で二人を指出す。
正直、初対面のうっかりを除けば、社会的にも人格的にも東雲さんの信用度は段違いだと思う。
朝木に説教されると反発したくなる気持ちが湧くが、東雲さんに説教されると何も言えなくなる重みを感じる。
……そんなオレの手を横にどけて、朝木は続けた。
「別に俺のことは信用しなくてもいいけど、フツーの人はそんなに強くないってことだけは分かってくれよ」
あとできれば俺に強くあることを押し付けないでね、という言葉は効かなかったことにした。あんたはもうちょっと強くなってくれ。
でも、そうか、そうかもしれない。オレ……人に期待しすぎてたのかも。だからなんだか、朝木やあのイクスパンションスーツの男を見てると、ちょっとイライラしてたんだ。
潔癖ってやつなのかな、こういうのも……。
「分かった。今後は気をつけます」
「なら良し。では、この話は終わろう。訓練の方に移りたい」
「手伝います」
「やめとけよ!?」
「オレは動かないって」
「嘘つけ絶対途中参戦するゾ」
しねーよ失礼な。
堪え性の無い犬か何かか。
〇――〇――〇
結論から言えば、そもそも訓練への参加そのものを止められた。
朝木にはちょっと勘違いされてそうだが、オレは別に戦闘狂ってワケじゃないんだ。ただ、この情勢下では暴力という手段が一番手っ取り早いとは思っているだけで。
かと言って修行バカというのも違う。喫緊の問題に対処するにはどうしても力が必要になる。そのために最も有効なのは、ポケモンたちを含めとにかく地力を養うことだ。結果的に特訓特訓また特訓ということになっているが、別に好きでやってるワケじゃあない。
で――ここに来て思ったのだけど。
(……オレ、もしかしてロクに趣味が無い……?)
ゲームは……する。バイクも、好きっちゃ好きだ。
ただ、前者は時間つぶし的な側面が大きいし、バイクは弄るよりも眺める方が好きだし、今は運転は厳禁。そもそもゲームはばーちゃんちに置いてきてる。パソコンも同じく、だけどネット環境が無いから時間つぶしにもなりゃしない。
オレは、一体今からしばらくどうすれば……?
アレか、アニメポケモン映画恒例の「みんな出てこーい!」的なアレを……でも大丈夫なのか? 主にギルとか。
……でも、そこまで心配すると心配しすぎか? ヨウタたちは近くにいるし、異変を感じ取ったら、空からラー子かモク太でも降りてくるだろうし……いいか。新居浜市では結局アクジキングの邪魔が入ったし。
というわけで、ほいと。
「ヂュ」
「シャモ?」
「ルル」
「ギラ? ギララッ!」
「あ、やっべ」
みんなをボールの外に出した瞬間、オレは「あ、これ即突進してくるやつだわ」と確信した。
ギラギラおめめ(バンギラスだけに)が完璧にオレを捉えてる。ぐいっと踏み込んだ脚が滅茶苦茶分かりやすい。
「ヂヂッ、ヂュイッ!」
「シャモッ!」
「リオ? リ、リオッ!」
「――んぇ?」
「ギラァッ!?」
――とかなんとか思った次の瞬間、危機を察知したらしいチュリの号令によってチャムとリュオンが駆け出し、ギルのひざ下にダイブ。どこぞのサッカー漫画を彷彿とさせるようなコンビネーションで同時に(弱めの)「けたぐり」をシュート。
……ギルは頭からすっ転んだ。
「バァァン……ギララ、ギラアアアアァァァ……」
「えっ。あ、え? 嘘、泣いた!?」
「ヂ!?」
「ふたりともやりすぎだって!」
「リオ……」
「シャモ!?」
片ややりすぎたと言う風にしゅんとしつつ、片や「えーッおれが悪いの!?」と言いたげにややショックを受けている。いや、確かにあの場面じゃああでもしなきゃ止まらなかったかもしれないけど……ええい、フォローを入れるにしても今はギル優先だ!
あの巨体がさめざめと泣いてるのも、なかなか凄まじい圧迫感を覚えるが……とにかく顔の横に行ってよく頭を撫でてやる。
「ご、ごめんな。痛かったな。ふたりとも悪気があったわけじゃなくって、えー……」
えーっと……えーっと! あ、くそ、こういう時「悪気は無かった」とか厳禁だっけ!?
ちくしょう、俺だって記憶を失う前は確かに妹がいたはずなんだ。となると慰めた経験の一つや二つあって当然のはず! うなれ灰色の脳細胞! なんとか気の利いた言葉をひねり出してくれーッ! えーっと!
「ほ、ほほほ、ほらっ!」
「バぁン?」
そうして混乱した頭は、「傷の具合を分からせてふたりの正当性を証明する」という方向に向かい――まず、オレは服の前をまくり上げた。
そこには、およそ現実味に欠けるほどおびただしく包帯が巻かれている。まだ傷は塞がってないから、血も薄くにじんでしまっている。自分で見ててもなお痛々しい。外から見ると余計にそうだったのか、思いがけずギルの涙が引っ込んでいた。
残念なことに絵面はまごうこと無き痴女である。
「ふたりとも、これを気にしてつい力が入っちゃったんだよ。ギルは大きくて頼りになるけど、力が強いからもしかしたらほら私を傷つけるかもって気にしちゃったんだよだからほら」
「ギルルぁ…」
「でもギルだって無事なの分かってつい興奮しちゃったんだよな、心配してくれて嬉しいよ。次は気をつけよう。ね?」
「グルル……ギュゥ……」
殻に閉じこもるように丸まりかけていたギルの頭を膝の上に乗せるようにして撫でてなだめる。しばらくして、ようやく落ち着いてこちらに顔を擦りつけてくるその姿はやっぱり犬っぽい。
それはそれとしてめっちゃ痛い。この子めっちゃ硬い。ちょっと待ってやすりがけみたいになってるよろいポケモンの分類が伊達じゃなさすぎる。
……でも、こうして見てるとなんとなく、二年前――記憶も見た目も性別すらも失った自分のことを思い出す。あの時のオレは、経験も知識も失ってそれこそ幼い子供のようだった。
ばーちゃんも、こんな風になぐさめて、寄り添ってくれたっけな……。
「……似た者同士か」
体という器に対して、心が不完全だという点において言うなら、オレたちは間違いなく似た者同士だ。
もっとも、その点で言ってもオレの方が二年以上は先輩だ。トレーナーとして、同じ立場に立ってる者として、しっかりと面倒を見ていかなきゃいけない……そう思わせられる。
遠くからは、レジスタンスの人たちと合同で訓練を行っているヨウタの声や、朝木の悲鳴が聞こえてくる。
早いところ回復してあれに加わりにいかないと――なんてぼんやりと思っていると、頭の上でチュリがぐさっと爪を突き立てた。
「あいっった!! 何だよぅ!?」
「ヂヂヂッ」
「行っちゃダメって? いや、分かってるよ」
分かってるけど考えはするんだよ。まだ足りないなって。
次にアクジキングと出会ったら――そのトレーナーと出会ったら、きっと足止めだけじゃ済まない。本気で戦うことになる。その時までにもっともっと強くなってないと、負けて、死ぬ。
……と、考えすぎると良くないのも、分かってる。
焦っても怪我は良くならないんだ。だったら今はやるべきことをちゃんと定めよう。まずは……うん。よし。もっとみんなと触れ合って、もっと仲良くなろう。目指せヨウタのパーティ。あのくらい以心伝心になれるようにしよう。そうしよう。
「毛づくろいでもするよ。ほらチャム、おいでー」
「シャモモっ」
時間はまだまだだいぶある。普段は時間の関係でできてなかったことをするいい機会だ。
もっともこう……ギルに抱き着かれてるせいで、体の半分がほぼ使えないのは、ちょっとなんとかしたいところだけど……。
●――●――●
レインボーロケットタワー中層、
ポケモンの能力を機械的に数値化し、おおよその強さを表示して見せる電光掲示板。ポケモンの攻撃に瞬時に対応し、周辺被害を軽減するバトルフィールド。
その
彼は紛れもなく、
「全力でぶつかりあいなさい。そうでなくては今の限界を超えることなどできはしません!」
「ド、ドガァ……!」
「バババ!」
常の彼を知る者ならば、見間違いだと断ずるだろう。
ランスは元来、個の強さなど必要無いと説いてきた人物だ。統制された人員を用い、戦略を徹底し、敵の弱点を把握すれば、時間はかかっても必ず勝利に至る。そう確信していた。
――――かつては。
(結局、ただ一人にしてやられてしまった)
その確信を打ち砕いたのは、一つの白い影だ。今もなお、彼の脳にはその時の光景と衝撃が焼き付いている。
鮮烈な痛み。弾ける血潮。稲妻のように駆ける「彼女」の白……。
アサリナ・ヨウタは素晴らしい強さを持つトレーナーだ。アローラ地方にいなければいなかったで、所属する地方の中でも指折りの実力者として数えられたことだろう。ランスも、それは認めていた。しかし一方で、そんなヨウタも人質という弱点を突きさえすれば無様に地を舐めるということも、彼は理解していた。
そうして一度は勝利した。まごうこと無き作戦勝ちだ。
――しかしその少女は、横から現れてランスの勝利とプライドを完膚なきまでに粉砕した。
ランスは恐怖した。二度目に出遭った際はランスの側が劣勢だったが、それにも関わらず少女は一切の躊躇なくランスの顔面を粉砕した。
明確な指向性を持って雷のような速度で飛来し、電気を撒き散らしてはマシーンのような正確さで顔に一撃を入れて去っていく。もはやそういう災害ではなかろうか。有体に言って、ランスにとって刀祢アキラという少女はトラウマそのものと化していた。
(ビシャス様もあの少女に敗北し、再起不能の重傷を負った……悪夢ですね)
聞けば少女は、あれでも現地人だと言う。
ともあれ。
そうした経験を経て、レインボーロケットタワーで目覚めたランスは自身の考えを見つめ直した。
ともすれば、自分は個の強さというものを羨み、妬み――過剰に遠ざけてしまっていたのではないか?
あの時もっと自分たちが強ければ、このような無様を晒すことは無かったのではないか?
そうして――ランスは自分たちを鍛え直すことを選んだ。
(次は、私が勝たなければならない)
かつて、アローラ侵攻より以前……異世界への侵略にあたり、暫定的な拠点を選定するにあたって、この四国を選んだのはランスだ。
自然にあふれているためポケモンが生活しやすい。人口密度が低く、高齢化も激しいことからレインボーロケット団の暗躍に気付く者はまずいない。そして、侵略した後の支配が簡単になる。現実にそういった想定はほぼ的中し、レジスタンスという抵抗勢力を生みながらも、着実に支配の手を広げることができている。
しかし、たった二人。いや――ひとり。
刀祢アキラの存在が、それを瀬戸際のところで押し留めてしまった。
アサリナ・ヨウタ一人を相手にするだけなら、既に勝利して四国全域を掌中に収めていたはずだ。しかし、そうはならなかった。あの白い少女が、それを阻んだ。
ヨウタも当然ながら問題だ。しかし、ランスは既に標的を一人に定めていた。そうせざるをえないほどに強烈な衝撃を受けた。
――――あの少女に、勝つ。
そうしてはじめてトラウマは払拭される。計画の唯一の汚点をそそぐことができる。ランスは、そう確信した。
「準備しなさい」
ポケモンたちに命じながら、ランスは、やや緊張した面持ちで新たなモンスターボールを投げる。
そこから現れたのは――――傷ついた
アクジキングは、あえて万全の状態にまで体力は回復させられていない。そうしてしまえばすぐに暴れ出し、周囲の物質を全て食い散らかしてしまうからだ。最低限、身動きができる程度にまで体力を落とした上で、力で抑えつけ強引にでも言うことを聞かせる……そのための措置だ。
しかし、ランスにとってはそれでも命に関わりかねないほどの存在である。自然と、彼の手に力が込められた。
やがて、アクジキングがゆったりと動き出すのに合わせ、ランスとそのポケモンたちも動き出す。
「……その力、制御させてもらいましょう!」
――更なる力を得るために。
Charat様にて現在のアキラのイメージ画像を作成しました。
アンケートの結果も鑑みてこちらには載せず、ユーザーページの画像一覧にのみ掲載しております。
場面の想像の一助になれば幸いです。