――――長かった休養(当社比)も終わり、六日目の午前二時。レジスタンスのメンバー数名を交えて、オレたちは工場の近くに集合していた。
コンディションは……ちょっと眠いくらいでほぼ万全。ヨウタは時折目を擦っているが、潜入する方じゃないし今はいいだろう。
「作戦について説明する」
皆の顔を見回しながら、東雲さんが切り出す。
プリントアウトした見取り図をライトで照らすと、皆の視線がそちらに行った。
「今回の目的は、レインボーロケット団の秘密工場の奪取だ。潜入は俺、小暮さん、刀祢さんの三名で行う。工場内……上層の見取り図はあるものの、下層……レインボーロケット団によって増築された側の見取り図は無いことには留意してくれ」
「はい」
「……分かりました。それで、侵入のための経路は……」
「上層、工場内にあるという話ですが。宇留賀さん」
「そうだ。レインボーロケット団に従うフリをしていたレジスタンスのメンバーに、この工場に配属されていた者がいる。あちらもそれを承知しているだろうから、入り口は変わっているかもしれないが……」
ヒントが無いよりはマシだろう。それに、一度造った入口を封鎖するというのもなかなか難しい話だ。そこも含めて問題無いということで、話を続けてもらう。
「アサリナ君、朝木さん、宇留賀さんたちは工場を囲む形で待機してください。緊急事態には外から突入してもらいます」
「分かりました」
「お、おう」
「了解した」
「以降、私語は可能な限り慎みましょう」
「無事を祈る」
「はっ」
小さく宇留賀さんに敬礼を返し、東雲さんはハンドサインでオレたちに「前進」の指示を送った。
オレもリュオンを出し、二人の前に出て索敵しながら進んでいく。ここは既に敵地に近い。誰かが警戒のために周囲を見回っていてもおかしくはなかった。
「……」
「……」
リュオンの波動探知とオレの気配探知、二つの手法を駆使しながら周囲の状況を確かめていく。
当然だが、敵に出会わないに越したことは無い。オレたちの目的はあくまで工場を手に入れること。派手な戦闘になればそれだけで機材は壊れるだろうし、証拠隠滅のために自爆……なんてことにもなりかねない。隠密行動が大前提だ。
野生ポケモンに出遭うことも避けたいが、こちらについてはヨウタからゴールドスプレーを貰っているので、だいたいは問題無いだろう。
静かに、慎重に、それでいて大胆に。
そんなことを考えながら、明かりの無い田舎道を三人で走っていく。
四国中央市の工場は、その多くが製紙工場だ。レインボーロケット団が隠れ蓑に使った工場もその例に漏れなかったらしく、外には再生紙用と思われる紙ごみが山のように積まれている。もしかしたらあの山の下に……なんてこともありえそうだが、夜間は基本的に盗難防止のために紙ゴミ置き場はライトで照らされている。近づかないようにしておくのが無難だろう。
「……!」
「…………」
時折、闇夜に紛れて見回りの団員が通りかかるが、それらは全てリュオンが察知してくれるので、遭遇することは無かった。
オレも相当夜目は利く。僅かでもライトで照らしているのが見えたらその時点で「そこに誰かがいる」ということは察知できるため、工場の敷地に近づくこと自体は思いのほか簡単だった。
問題は、ここからだ。
(……正面玄関は人の気配多数。流石にここを警戒しない理由は無いか)
いなかったら楽な話だったんだが……いや、代わりに中の警備が増えるだけか。
よし、ポジティブに行こう、ポジティブに。戦力をこっちに割いてくれてるんだ。別の場所から入ればいい。
二人にハンドサインを送り、外周に沿って別の侵入路を探しに行く。
ここで重要なのは、安易に敵のいない場所に行かないことだ。勿論、人がいない方が都合がいいのは間違いないんだけど、都合が良すぎるのも考えものだ。相手がこちらの思考と動きを誘導している可能性が高いのだから。
そうしてしばらく。ようやく「アタリ」に近いだろう場所を見つけた。
巡回らしき人間の気配が二つ。ポケモンは連れていない。にわかに感じるこの刺激臭は……煙草のようだ。
暇になって煙草を吸いに外に出たってところだろうか。
(チャンスだ)
二人に停止のハンドサインを送り、チュリをボールから出して頭の上に乗ってもらう。
そして――跳躍。塀や街灯を足場代わりに建物の雨どいに降りると、まずは、片方がよそ見をしている間に、もう片方の男の背に糸を貼り付けてもらい、そのまま上に引っ張り上げる。
「!?」
驚きで体が硬直し、声が上がるまでは一秒足らず。しかし、「そう」なる前に顎を叩いて脳を揺らし、意識を飛ばす。
あとはもう一人。同じように釣り上げて意識を飛ばす。あとは二人とも、チュリの糸で縛り上げたうえで「クモのす」を利用して口を塞ぎ、壁に貼り付けてしまえば終わりだ。
これで……えっと。クリア、だっけ? ともかく安全確認はヨシ。東雲さんたちのいる方に、「問題無し」を示すため何度かライトを点滅させる。そうすると、ほどなくして二人もこちらにやってきた。
「……見事だ」
「どうも」
短く小さく言葉を交わしながら、東雲さんも見事な手つきでドアロックを解除して見せた。
カチン、と小さな音がして、扉が開く。よし、じゃあ行くぞ――と一歩踏み出したところで、今度は小暮さんがオレを手で制した。
「……監視カメラが……」
「あ……そっか」
危なかった。完全に失念してた。
一人の時なら映らないような速度でずいずい進んでけば良かったけど、今は三人だ。どうしてもそういうわけにはいかない。
「入口は確実にカバーしているだろうが……少し調べよう。録画式の定点カメラなら、リアルタイムで確認していないものもある」
「分かりました」
「はい……」
東雲さんの見極めのもと、先導する彼にオレたち二人もついていく。
しかし……こうして三人で動いてると、すごく楽だ。負担はそれぞれあるけど、探索のスピードが五割増しくらいにはなってる。
オレが物理的障害を排除して、東雲さんが電子的な障害を解除、小暮さんがオレたちの思考の隙を埋めてくれる。ポケモンの実力という不安要素こそあるが、そこさえ除けばもしかしたら白兵戦闘においてはそうそう後れを取ることは無いんじゃないだろうか。
……と、そうこうしているうちに第一の目的地、警備室にたどり着く。中に人の気配は三つ。それを示すため、三つ指を立てて二人に示した。
「カウント3で突入する。3、2、1――――」
「今」
がちゃり、と何でもない風に、まるで普段使いのドアと同じようにして扉を開く。それと同時に、同じように何でもないようにロケット団員がこちらを振り向き……一瞬、体を硬直させた。
「一人任せます」
鋭く指示を飛ばすと共に、床を蹴って電磁発勁によって二人を文字通り黙らせる。
それに応じるように、東雲さんと小暮さんも俊敏に動いて残った一人の口を塞いで首を絞め落とす。手法の乱暴さにちょっぴり驚くが……スタンガンとかそんな簡単に作ったり調達できるようなものじゃないし、こうするのが一番手っ取り早いのだろう。
「制圧完了……」
「……しずさん、拘束をお願いします」
「クッ」
「チュリ、頼む」
「ヂヂ」
続いて、さっきと同じように拘束。これで完全に無力化完了……と思ったその時、不意に部屋の外から音が聞こえたような気がした。
こつん、こつんという小さな音。リュオンに目配せするも、特に悪意や敵意は感じないようだ。オレも特に気配は感じない。となると、どこかで何かをひっかけてしまったのだろう。
ともかく、ここまで来れば声も出せるな。
「ここまで来てみてどうですか?」
「問題無い。むしろ、想定よりも早く到着している」
「……順調……ですね」
「この先はどうします?」
「どうやらここで
「了解です」
「……ですが……その、あまりに……杜撰過ぎませんか……? 一か所に監視機能を集約する……というのも……」
「む」
「言われてみれば」
そうだ。別に一か所にこだわる必要も無いんだもんな。横着してここに増設したんだとしても、やっぱり都合が悪かった……ってことで、機能を移すってこともありうる。
んー……でも、それでボヤボヤしてたら、結局無駄に時間食うだけだしな……。
「とりあえず上は全部制圧してしまいますか?」
「……君はその困ったらとりあえず力業に出る癖を直した方がいい」
「でも手っ取り早いですよ」
「でもではない」
「そですか」
ちぇ。
ま、いいけどさ。チームワークだ、チームワーク。オレ一人がどうこうできたって、みんながそれについてこれないんじゃ仕方ない。
今、オレたちは個々人で動いてるわけじゃない。一人の勝手な行動が他の人の命取りになることだってあるんだから、勝手な行動は慎もう。
「……階下にも、こういった監視設備がある……と思われますので……そちらの制圧を、優先したいと思います……」
「じゃあ、それで行きましょう。東雲さん、いいですよね?」
「異論は無い。ただ、隠密行動の徹底をお願いします。敵との接触は最小限に。異常が発生したらグループチャットへ連絡を」
「了解」
「了解です……」
「地下への入り口は……東入り口にしましょう。そこからの方がこちらからモニタしやすい」
東雲さんの提案に頷き、二人で警備室から飛び出す。
電子ロックを解除できる東雲さんがいないのはちょっと不安だが、遠隔操作でなんとかなると本人が言っているので、大丈夫だろう。多分。
ともかく、迅速に地下への東入り口へ向かう。やはりと言うべきかなんというべきか、その入り口はポスターによって隠されていた。
何だろう。この圧倒的杜撰さ。お前らそれでいいのかという思いと同時に、ロケット団はこうじゃないとという思いも湧き上がってくる。レインボーロケット団、こっちの世界では完全無欠の悪役なんだけどな……もう既に何人ってどころか何千人って規模で死者も出てるし……。
「……うわ」
そう思いながら階段を降りる――と、そこは、これまで歩いてきた工場のそれとはまるで違う景色が飛び込んでくる。
白と黒を基調に赤のラインが入った、鉄……いや、カーボン? ……ともかく、わけのわからない謎の材質の壁と床。あちこちに見えるのは……移動床か? ロケット団の基地にあったり、トキワジムにあったりする……。
「……これは……正しいルートを通らなければいけないという……パズル、でしょうか……」
「いえ」
小暮さんは、あちこちを見回して正解のルートを探そうとしているようだが……別にそんなことは必要ない。
「チュリ」
「ヂ」
天井に向けて吐き出される糸。それを伝い、オレはリュオンと一緒に天井にある剥き出しの配管を掴んだ。
「あっちの土俵にわざわざ乗ってやる必要は無いと思います」
「……それもそうですね……」
そう言うと、小暮さんもしずさんに糸を吐いてもらって、オレと同じように剥き出しの配管に掴まりに行った。
床から天井まではそれなりに遠い。このままの状態でも、よっぽど上を向いて見なければ気付きはしないだろう。このままうんていの要領ですいすいと前に進んでいく。
意外なことに――これ何度思ったやら分からないが――小暮さんもひょいひょいと前に進んでいく。
……しかし……何だろう。景色の異質さのせいで気にしてなかったが、意外に……。
「音、しますね」
「ええ……これは……工場が、稼働してる……?」
「……ですよね?」
今は深夜二時過ぎ。一般的な企業で、夜勤が設定されてるような場所だったらそれもあるかもしれないけど……レインボーロケット団が規則正しく働くものだろうか?
いや、科学力が発達してるポケモン世界だ。もしかすると完全自動化が進んでるのかもしれない。でも、その場合でも、もしかしたらバグとか出るかもしれないし誰かは見てる必要はあるよな?
なんか気になるな……。
「先、確認行きましょうか」
「そうですね……」
どこかしら覗き窓はある……あるか? いや、まあ。そうじゃなくとも適当な入口から覗き見たりすればいいか。
しばらく進んでいくが、窓はどこにも無い。やっぱりかという思いと同時に、これ福利厚生的によろしくないだろという思いも湧き上がる。それでもなんとか出入り口であろう扉を見つけたので、ここから入っていくことにしよう。
「ちょっと待っててください」
「……はい」
鍵は……かかってないみたいだ。普通は、そもそもここに入ってくる人がいないから気にする必要が無いってとこか。
そもそも、ここに来るためには移動床を使って正しいルートで来る必要があるしな。そこはいいか。
「周りに敵は?」
「リオ」
「分かった。行こう」
リュオンの索敵には敵――強い悪意を持つ人間は引っ掛かっていない。よし、これならこの周辺に関しちゃ大丈夫だ。中はまだ分かんないけど。
気配を殺しながらゆっくり静かに扉を開け、中の様子を窺う。と――――。
(……うっ……!?)
――そこで、オレは一瞬自分の目を疑った。
さっきまで、オレはここの作業は全部自動化されてると思ってた。しかし、実態は真逆――見る限りの、人、人、人。
何らかの機械の前でモンスターボールの機構の取り付け作業や、薬剤の混ぜ合わせなどを行っている人たち。いずれも、その格好は……「こちら」の世界のそれだ。
「……まさか……」
強制労働……か?
だとすると、執拗にレジスタンスが「無傷で」奪取したいと主張してきたのは……あ、いや、それ以前にもしかして……あの中にいる一部はレインボーロケット団に寝返った連中か?
一般に強制労働と言ってイメージするみたいな、鞭を床に叩きつけて働け働け……なんてしてる風ではないが、ロケット団特有の黒服を身に着けてる男女とそのポケモンが、何人か巡回して目を光らせているようだ。疲れてうなだれている人を見かけると、すぐに怒鳴りに行っている。ストレス解消も兼ねてるのだろうか。胸糞悪い話だ。
天井からは監視カメラが十数台吊るされている上、よく見れば管理のための部屋と思しき場所から、この場所を見下ろすことができるようだ。これは……ここで騒ぎを起こしたら大変なことになるな。
だけど、同時にそれは、あの管理室(と表現していいのか?)から見下ろしてるヤツは、少なからず高い立場にいるってことだ。幹部か、それとも幹部から権限を移された奴か……どっちでもいいか。倒せば同じだ。
しかし……。
「ル……」
「……っ」
リュオンはどうやら悪意の波動を感じすぎて胸やけを起こしそうになってるらしい。
元が正義感の強いポケモンだ。多少ならずキツいものはあるだろう。頭を撫でてやるが、あまり落ち着きが無い。
こうなってくると、放っておくわけにはいかないか。幹部が何人いるかは分からないが、不意討ちに対応できる人間もそう多くはない。仮に三人以上いるなら二人は確実にやれる。
まずグループチャットに連絡を入れて、小暮さんと合流。あの管理室に向かって、それから……。
「ベノ!」
「え」
――――そこで、不意を突くようにして謎の声がオレの耳を揺らした。
いや、オレだけじゃない。この場にいる「全員」の。
恐る恐る振り返って見ると――そこには、ここに存在するはずのない小さな
ウルトラビースト、ベベノム。本来は紫色の体色をしているはずだが、何故かそいつの色は「白」。極めて珍しい色違いの個体だ。
想定外の存在に、チュリとリュオンが目を見開いて驚きに身を固める。オレもまた、こんな状況では流石に驚きを隠せなかった。
リュオンの方に視線をやるも、感知できなかったと波動で伝えられる。どういうことだ、と考えるが――そうだ、オレがリュオンに頼んだのは「悪意」と「敵意」の感知。このベベノムからは何の悪感情も、敵意もうかがえはしない。それどころかむしろ、こうしてくいくいとズボンの裾を引いて上目遣いでこちらを見てる姿からは、好意の色を感じる。
……何故!? 初対面だろ!? ちょっと待て、ベベノムってどういう
いや待てオレ。そっちは置いておいて、それ以上にもっとマズいのは。
「…………やっべ」
――今ここにいる全ての人間の目が、オレと、そしてこの野生と思しきベベノムに向いているということだ。
民間人だけじゃない。監視カメラも、管理室にいる人間も、ロケット団も。想定外の人間――レインボーロケット団に敵対していて、重要目標になってるらしいオレが現れたことに困惑し、一瞬動きを止めた。
工場の中が一瞬、静寂に包まれた。
状況は、最悪だ。予期してないタイミングで予期してない遭遇。オマケに周りは
この状況下でオレにできることは何だ? オレができることは。オレたちにできる――――――。
「オラァァッ!!」
「ごべァッ!?!?」
「ベノッ!?」
「リオッ!」
「ごぼェッ!?!?」
オレの頭は瞬時に答えを導き出した。
つまり――
手近な場所にいたヤツに、音超えで接近し電磁発勁を併用して顔面を叩き潰す。リュオンも同じように、逆サイドにいた男の腹部を殴りつけてノックアウト。
不安だが……やるしかない! オレの存在がバレた時点で騒動になるのは確定的なんだ。だったらせめてこの状況を利用する!
なんだかベベノムが妙にテンションが上がってるようだが、今それどころじゃないんだよ後でね!!
――と。そういう考えはおくびにも出さずに飛び上がり、工場の中央に降り立つ。
二人が意識を失ったことで、ようやくあちらも硬直状態から抜け出したようだ。だったらタイミングは今、ここしかない。
オレは管理室の窓に向かい、しっかりと左手の指を突き付けて――。
「降りてこいサカキの使い走り! 今日でこの工場は廃業だッ!!」
半ばヤケクソで、そう叫んだ。
ふいうち①:潜入
ふいうち②:ベベノム
ふいうち③:大乱闘