三人称視点→一人称視点です
自分に向けられたものではないと理解していても、東雲は寒気を抑えきれずにいた。
仕事柄、彼は敵意や悪意というものには小さくない耐性がある。時に殺意を向けられることもあり、多少のことなら動じずにいる自信はあった。
だが、その自信全てが押し流されかねないほどに、アキラの殺意は――怒りは、静かでありながらも、強烈だった。
「目の前で」
声を出すことができない東雲を置いて、アキラは語る。
「ポケモンが、ゴミのように使い潰された。人も、たくさん死んでた。たどり着いた時には、まだ生きてた人も、いたかもしれない」
後悔が滲んでいた。
怒りが滲んでいた。
憎悪が滲んでいた。
祖母によって形作られた倫理観という殻が、内から噴き出す感情によって、ひび割れかけている。
「誰も助けられなかった。目の前で自爆されて……全部、有耶無耶にされた。もう、誰が死んだのかも分からない」
刀祢アキラの人生は、一度
その後、祖母に引き取られてからの一年と少しは、「個」を確立するために費やされた。倫理を学び直し、生活を送る上で必要な社会技能を叩きこまれた。
しかしそれは、本来十数年かけてゆっくりと構築されるべき人間性というものを、二年足らずで「なんとか形にした」というだけに過ぎない。
柔軟で壊れやすい本来の心を守るために備えられた「殻」は、人やポケモンの死という現実を目にして軋んでいる。
「――どうせ死ぬなら、オレが殺すべきだった。……殺さなきゃ、いけなかった」
なまじ、それができるからこそ――できてしまうからこそ。
そして何より、それが成功すれば、間違いなく犠牲者が減らせると確信しているからこそ、アキラは血を吐くように、言葉を紡いでいた。
「殺される前に、殺さないといけないんだ……」
その言葉は、常の彼女が発するよりも遥かに暗く、重い。
彼女の瞳から理性の輝きは失われ、代わって負の感情を示すような黒い殺意の炎に満ちていた。
(――マズい)
危険な兆候だ。思考の多くが「殺す」ことに支配されている。
違う。そうじゃない、と東雲は思う。確かに他人の行動を止めるためには「そう」するしかない場合というのもある。
東雲も自衛隊員として、そういった事態に直面することもあるだろうと覚悟は抱いている。とはいえそれはくまで緊急時の手段であって、積極的に用いるべきものではない。
だが、今のアキラは――レインボーロケット団員と見れば、
「一人、残らず……」
因果応報と言えばその通りだろう。彼らはあまりに人を殺しすぎた。
止めるには殺すしか無いという場面も、あるかもしれない。だが、今の彼女は容赦をしない。逃げようとも、降参しようとも、戦う力が無くとも、そして敵意が無い者であろうとも、関係なく殺す。
――お前たちが先にやったことだろう、と。
それは以前の彼女からは想像もできない、あらゆる意味で「間違った」行動だ。
敵対者を殺し尽くすまで止まらず、たとえ殺し尽くしたとしても新たな敵対者が現れればそれもまた殺し尽くす。その連鎖は死ぬまで永遠に止まらない。
待て、と東雲は震える声でアキラに言葉をかけた。その瞬間――――。
「……嘘ですよ」
と。
返されたた言葉と共に、車内に満ちていた殺意が霧散した。
「嘘……?」
「はい。嘘です」
有体に言って、悪質な嘘だった。
いや。果たして嘘だったのかどうか。内心では大いに疑いつつも、しかし東雲は仲間を疑うとは何事だ、と自分自身に言い聞かせた。
そうだ。あのようなことがあった直後で、状況も状況だ。つい口走ってしまうこともありうる、と。
あるいはそれは、彼自身がそう思いたかったという部分はあるだろう。
粗野ではあっても仲間想いで、見ず知らずの誰かのために自分を投げうってでも戦うことができる正義感を持つ――人をよく心配させる少女。それが、東雲からアキラへの印象だ。だからこそ、信じたいという気持ちが――勝ってしまった。
それは、言ってしまえばある種の防衛本能だ。東雲自身も、この状況下では精神を削られる。疲労に次ぐ疲労によって、それゆえ思い込んだ。「そんなはずはない」と。
東雲は知らない。自分が合流する以前のアキラたちの言動を。
東雲は知らない。「この状況だからこそ軽々しく『殺す』などと言えない」と――彼女自身が発言したことを。
〇――〇――〇
夢を、見た。
いつか、どこかで見た世界。いずれ、どこかでたどり着く世界。
今は、あり得ざる世界。
ポケモンと、人間とが共存する世界。
幸せな世界だった。
何を憂うでもなく、親しい友達と世界を巡る旅をして。ポケモンたちと触れ合い、実力を高めて、競い合って。
ほんの少し小競り合いはあるけど、前を向いてただひたすらに前に進んでいく、穏やかな夢。
――君が望んでいるのは「こう」じゃないのか?
そう、痛切に訴えかけてくる甘い夢。
……その通りだ、と思う。けれどこれは、所詮夢だ。沈み込みたくなるくらいに居心地の良い、都合の良い――幻想だ。
だったらそこに価値なんて無い。現実が何も変わっちゃいないってのに、夢に逃避するなんて結末が許されるものか。
オレたちの今の現実はあの地獄しか無いんだ。
他の人間をそこに残したまま眠ってなどいられない。仮に「そう」なっていくとするなら、それはオレたちの手で変えていくものなんだ。
「だから、この夢は要らない。戦わないといけないんだ」
オレは、問いかけてくる影に向けてそう応えた。
幻想が音もなく霧のように消えて失せる。暗闇の中、淡く燃える二つの炎が悲しげに揺れた。
――その戦いの果てに、何を求める?
オレが、この戦いの先に求めるものなんて決まってる。
始めから、何も変わってなんていない。
「――
ポケモンたちはもうこの世界に根付いてしまうだろう。だからもう、彼らを無理に帰す気は無い。オレたち人間もそれに適応して、お互いを尊重して生きていく必要が出てくるはずだ。
そのためには、レインボーロケット団の連中が邪魔だ。
あいつらは、存在してはいけない人間たちだ。
だから、オレは――――。
〇――〇――〇
「………………」
東雲さんとの話を終えた後、再び鎮痛剤を打って寝入ったオレが目を覚ましたのは、数時間経ってからのことだった。
妙な夢だった。やたらと哲学的で説教くさい夢。
夢というものが人間の記憶の整理の役割を果たすものだと言うなら、オレにはあのような一面もあるということになるわけだが――だとすると、ひどく恥ずかしい話だ。
さて。
時刻は再び夜。流石にそろそろ起床時間の関係で体内時計が狂ってきそうだが、そこは置いておこう。
車外からはポケモンたちを含むみんなの声が聞こえてくる。その中に、聞き覚えの……無い、と言えばいいのか、ある、と言えばいいのか分からない声が一つ。
「……ユヅ……?」
痛む足を引きずりながら外に出ていくと、ポケモンたちを交えて夕食を囲んでいたみんなが驚いた様子でこちらを向く。
唯一、東雲さんはオレの顔を見るや、気まずそうにしてわずかに顔を俯けていた。
「おにッ……お姉!!」
何だ今の素っ頓狂な噛み方。
あ、そうか。今のオレ女だから呼び方修正しようとして頑張ってるのか。えらいぞ。
……と思っていると、ユヅは涙ぐみながらも勢いよくこちらに向かって飛び込んできて……。
「お姉――――っ!!」
「うわあぁユヅちょっと待っ!!」
「…………」
その勢いに、流石にヨウタが悲鳴を上げた。
こいつオレの怪我のこと完全に忘れてやがる。
まあ、オレもやりかねないかもとは思っていたが……なんて向こう見ずな。
「落ち着け」
「むぇっ!?」
突撃してくる体を受け流し、緩やかに受け止め……は、腕が折れててどうにもならない。ので回転するようなかたちで、その場に立たせて留める。
次いで心配した様子でこちらにやってきたのは、オレの手持ちのみんなだ。ユヅの突撃を見たせいか、やや及び腰だ。
なんだかチュリとベノンがオレの頭の上を見てにらみ合いを始めているが、今は置いとこう。どうこう言える気力が足りない。
……さて。
「で、何でいるんだユヅ」
「えぇー起き抜けに言う台詞がそれぇ!? 『久しぶりだな』とか無いわけ!?」
「それ以前の問題だろ」
「まあ……それはそうだよね……」
起きてみたら実家にいるはずの知らない妹がいた。言っちゃなんだけど軽いホラーだぞ。
いや、知らないっていうか記憶が無いだけだし、記憶を失った後もことあるごとに電話したりはしてるんだが。
一つため息をついて改めて問いかける。と、そうしたところで黒い影がユヅの前に出てきた。
「何しに来……何であのヘルガーがいるんだお前」
「あのへるがー? あ、ルルのこと?」
「ルル……?」
尾無し、片角のヘルガー。その外見は、以前オレが戦ったビシャスが手持ちにしていたヘルガーのそれと一致している。何でユヅがこいつと一緒にいるんだ?
だいぶ話がかみ合わない。どういうことだ?
怪我をした後、目を覚ましたのは二度。最初に目を覚ました時には意識が朦朧としていつつもユヅの姿を見たような記憶はあるんだが、結局その時は言うべきことを言うだけで気を失ったからな。オレ、何も聞けてない。
「アキラが眠っていた間のこと、説明しなきゃいけないね。長くなるけどいい?」
「メシ食べながらなら」
「いや待て待て待て、まだアキラちゃん胃に穴空いてんだぞ!」
「栄養摂れば治る」
「治らねえよ牛乳飲んだら歯が生えてくるどっかの海賊じゃねえんだぞ」
「死ぬ前にじーちゃんが言ってた。『食うもん食ってりゃ怪我くらい治る』ってな」
「おじいちゃんその怪我で死んじゃったじゃん」
「やかましい」
今は固形物を腹に入れたい気分なんだ。
それにオレの回復力なら、このくらいなんてことないさ。そう思いつつ近くにあったパンを手に取って食べ――。
「ヴッ」
「ほら言わんこっちゃねえ!」
鮮烈な痛みで思わず声が出た。
なるほど、ダメだこれ。胃どころか食道まで痛い。長時間あの環境の中にいて喉が焼けたせいだろう。
ともかく、そういうことなら言うことを聞くのも致し方ない。大人しくその場に座って点滴を受ける。
それからしばらくは、これまでにあったことの説明を受けることになった。
ダークトリニティがプルートを殺したこと。
オレがヒードランのボールを握ってたことで、ヒードランだけは奪えたこと。
今は丸亀市周辺でレインボーロケット団の基地を襲撃するなどして撹乱し、本命の目的を絞られないようにしていること……など。
ユヅはさっき……いや、オレの感覚ではさっきだけど、実際にはもう昨日か。昨日の戦いで乱入して東雲さんたちを救ったのだという。
それ自体は喜ばしいことではあるんだが……。
「どうやって来たんだ? ……いや、そもそも何で来たんだ? 父さんと母さん、お前がこっち来るの賛成してないだろ」
「んっとね、ネットの友達とオフ会があるからおばーちゃんち泊るって言ってきたの。あ、オフ会あるっていうかあったのはホントだよ? 流石にこんな状況だとお流れだろうけど」
「当たり前だ……ってか相手誰だよ男か!?」
「んーん、中二の女子」
「つって騙ってるやつじゃないだろうな、大丈夫か!?」
「ボイチャもしてるし大丈夫だよ~」
「主題からズレてるよアキラ」
「……そうだな」
ああ、まあ、そうだ。そっちは今重要じゃない。気にはなるけど、そっちを問題視することはない。
「どういう経路だったんだ?」
「しまなみ海道通っておばーちゃんち行こうと思ってたんだけど、途中食べ歩きとかしてたら暗くなっちゃって」
「おい……」
「あーあーあー今はそこ言わないで!それで、その辺でオーロラがかかって外と連絡つかなくなったんだったかな?」
「初日の話だね」
「せめてばーちゃんにでも連絡しろよ……」
「したよ! けどもうお姉どっか行ったって」
「………………」
「入れ違いってわけだね……」
「おばあさんの方からや……刀祢……アキラさんへ直接連絡をするというのは?」
「お姉電話番号教えてくれてないから家電でしか話したことないし、おばーちゃんもすっごい忙しそうだったから無理言えなくって」
……ばーちゃんが忙しそう……って、アレか。オレが頼んだやつ。街にバリケード敷いたりクマ子のお世話頼んだり。
あと自衛隊の人たちも行くからっていうのでその辺の調整でってことか……うわ、これもオレのせいだ。
「二日目はなんか街の人たちみんな避難するからそれについていって」
「うん」
「三日目になっても状況が動かないからおばーちゃんとこ行こ、ってなって」
「堪え性無さすぎねえか」
「言うな」
状況も状況だし分からんこともない。やめとけとしか言えないが。
「で、歩いてってる途中でルルと出会ったの。すっごい大怪我してたから見てらんなくって! もう一匹ヘルガーと、ハッサムとマニューラも引きずってたからこれウチが何とかしなきゃ! って」
「今治からか……」
マグマ団、ひいてはビシャスと戦ったのが西条だから……あの直後か。
まさかオレが倒したヘルガーがユヅと会ってたなんて、奇縁もあったもんだな……。
「ん、待てよ? だとしても他のポケモンいなくね?」
「みんなおばーちゃんちに預けてるからね。ルルだけついてきてくれたの」
「なるほど、だったらルルが特にユヅに恩を感じてるんだろうね」
「だったら嬉しいなー。あ、それからおばーちゃんちに戻ったらコレ、持ってってって」
と言いつつ、ユヅはバッグの中から数個の巨大な……モンスターボール? らしきものを取り出した。
メカニカルな機構剥き出しで、それでいて普通のモンスターボールよりも遥かに大きいが、どうやら本当にモンスターボールみたいだ。
しかし、このモンスターボールってなんだろう。ガラルの新モンスターボールとかか……?
「工場のおじちゃんが作ったんだって」
「やったのか……!?」
「お姉が持ってきたモンスターボールからりばーすえんじにゃ? したとか言ってたよ」
「町工場スゲーなオイ」
ちなみに「リバースエンジニアリング」な。
日本だと違法と合法とスレスレのところにあるが、まあそもそもが異世界の技術だし緊急事態だし大目に見てもらおう。
「まだ完成度はそんなに高くないらしくって、こんなに大きくなっちゃったけど、しばらくしたらサイズも近づけられるかもって言ってたよ」
「よし……! それなら、街の人も自衛の手段が手に入れられる……!」
「……宇留賀さんたちに……工場の設計データも、預けていますので……すぐに増産体制も整うかと……」
「ようやくそこまでこぎつけられたか……」
「えーっと、ウチの話このくらいかな?」
だいたい分かった。なんとも言い難い話もいくらかあったが、同時に有益な話もいくつもあった。
特に一番の収穫はこの世界産の試作型モンスターボールだ。改良が進めばきっとヨウタたちの世界と遜色ないほどのものができるはずだ。
オレたち自身や、自衛隊とレジスタンスの戦力問題も解決する。残るは、メディカルマシンの量産化ってところか。
「それでアキラ、ユヅのことだけど……どうする? いた方がいいか、帰らせた方がいいか……」
「帰らせる方が危険だろ。それにオレたちだって、猫の手も借りたいような状況なんだ。人手は一人でも多い方がいい」
ユヅのポケモンだろう、メタングとハリボーグ、それとジャランゴを見る。いずれもレインボーロケット団の下っ端どものポケモンたちよりはよっぽど強そうだ。
生半可な鍛え方をしていない――というよりも、環境のせいで結果的に鍛えられていったのだろう。ヘルガー……ルルを筆頭に、その実力のほどがうかがえる。
ユヅもオレたちを追って来たということはレインボーロケット団と、多分下っ端とくらいなら何度かぶつかってるはずだしな。
「そだよ! ウチだって幹部倒したもん!」
「ちょっと待ってそれ初耳なんだけど?」
「まあウチじゃなくってクマ子ちゃん? がやったんだけど」
「クマ子が?」
「うん、なんか自衛隊の中に、やたらルルに吠えられてる怪しい人いたんだけど、顔剥がしたら変装してた変なおじさんだった」
「ど、どういうおじさんだったんだ……?」
「紫色の髪で、あごひげフサフサで痩せてるひと」
「ラムダじゃん!」
「ラムダだ……」
ラムダだコレ!
ちょっと待ってオレたちの知らないところでラムダが排除されてる! 潜り込んでる可能性はあると見てたけど、いつの間にか潜り込んでいつのまにか倒されてるアイツ!
「最近のキテルグマってすごいんだねー。アニメで見たみたいな動きしてたよ」
「アニメ……?」
「そ、そこは置いとこう。こんだけやってるんだ。充分だろ。背中はオレたちが守ればいい」
「……分かったよ。そこまで言うなら」
不承不承という風だが、しかしヨウタもなんとか納得したように頷いてユヅの参戦を了承した。
……オレだって、別にユヅが戦場に出てくることに喜ぶつもりは無い。本心では、ばーちゃんところで待ってて、ばーちゃんと一緒にいてほしいと思ってる。
けど、他の誰よりユヅ自身がそれを選んだことなんだ。兄として、オレはそれを尊重すべきだと思う。
だからこそ、オレにできる限り、その背中は守る。
姿も変わって記憶も失ったオレを、それでも慕ってくれる大切な妹なんだ。父さんと母さんを悲しませないためにも、絶対に死なせはしない。
――何を、しようとも。
・補足
ユヅキがラムダを見抜いたのはアキラと同じく「気」。
アキラと同門なので人間としての範疇で気功も扱える。
なお
〇刀祢ユヅキ
ルル(ヘルガー♀):Lv37
メロ(メタング):Lv30
ロン(ハリボーグ♂):Lv33
ジャック(ジャランゴ♂):Lv26
11/9 さぬき市→丸亀市に修正