「コケコと戦わせてほしい」
ある程度包帯が取れ始めた丸亀市二日目の朝。
そう切り出した瞬間、ヨウタがココアを噴き出し朝木が椅子からひっくり返り、東雲さんが目を剥いて小暮さんが自分の耳を疑い耳掃除を始めた。
唯一この場で平静を保っていたのは、ユヅだけだった。
「模擬戦ってやつ? 見たい!」
「遊びじゃないぞ。……いや、見ておくのも必要なことか」
「ゴホッ、ゴホッ……な、なにいきなり……コケコと戦……正気?」
「『本気?』じゃないんだな」
「どこに伝説のポケモンと模擬戦したがる人がいるんだよ……」
ここにいるぞ(馬岱)。
だがヨウタの言うことももっともだ。いわゆる禁止級伝説ほどではないとはいえ、カプ・コケコの能力は絶大だ。
先の戦いを考えればすぐ分かるが、今のオレたちじゃ瞬殺されるのがいいとこだろう。
けど。
「あいつらの掌握する伝説のポケモンが増えた今、『伝説のポケモン相手だから戦いは避けておく』なんて甘いこと言ってられる状況でもないだろ」
「そこまで言うほどのことかな。まだ僕が前に出ても……」
「ヨウタに負担が集中していずれ何もかも破綻するだけだ。一人ならいいだろうけど複数人が囲んできた時、ヨウタだけで守り切れるわけじゃないだろ」
今回の襲撃などいい例だ。複数匹の伝説級ポケモンを用意した上で分断されて、戦線が完全に瓦解した。
切り札であるコケコの解禁やユヅの参戦などの偶然が続いたことでなんとか切り抜けることはできたものの、実質的にあの一連の戦闘の結果はほぼ負けに等しい。
そして問題なのは、ボルトロス、トルネロス、ランドロスのコピペロス三兄弟を取り逃がしたことだ。あいつらがレインボーロケット団の手元にいる以上、今後も同じような手を使ってこないとは限らない。
「経験を積んでおく必要があるんだ、どうしても。そのための想定敵として最適なのが、コケコなんだよ」
「コケコが……っていうのは」
「躊躇わないし、加減もしない」
つまり限りなく実戦に近い戦闘経験が得られるってことだ。
そして、ポケモンたちの守り神というコケコの性質を鑑みれば、少なくともポケモンに対しては命の危険が無いよう配慮してくれるはずだ――人間はともかくとして。
「コケコに手も足も出なけりゃ、他のポケモンに勝つことはどだい無理な話だ。けど、ちゃんとした『戦い』の形にできるようなら……伝説相手にも勝機を見出すことができるはずだ。体力を削ることさえできるなら、いつかは必ず倒せる」
「血が流れるなら殺せる理論かよ」
「だいたいの生物は脳と心臓どっちか潰すか
「やめろよなんか経験に基づいてそうなこと言うの!」
「一般論だっての」
まだ人殺しに手を染めたことは無い。
「それより他人事みたいに言ってるけど、アンタもやるんだぞ」
「えっ」
「……妥当なところ、でしょうね……」
「俺たちもやるべき……そうだな?」
「はい」
「えっ」
そもそも、という話だが。
敵の気持ちになって考えてみれば、弱い人間から排除しよう、というのは至極当然の考えだ。
真っ先に狙われるということではないにせよ、伝説のポケモンの力があるなら
「いつもなら『別にいいけど』って言ってるとこじゃないのけ……?」
「真っ先に殺されても文句言わないなら止めないぞ」
「やりまァァす!!」
半ば以上ヤケクソで朝木はそう答えた。
だったらいいんだ。
「……オレたちだっていつも近くにいるわけじゃない。
「お、おう……」
いつになく真剣な声音を聞いて流石にビビッたのか、朝木自身も真剣味を帯びた雰囲気で答える。
同時にあれ、今仲間って言った? などと恐る恐るヨウタに確認を取りに行く。そこまで変なことを言ったつもりは無いんだが、オレは。
正直なことを言えば、朝木のことはもうそんなに嫌いじゃない。
臆病者で、小市民で、判断が遅くて保身的だけど、オレはそいつにもう何度も助けられてる。だから、好きとか嫌いとか以前に――「仲間」なんだ。
「それじゃあ……僕もできるだけコケコのこと制御できるよう頑張るけど、アキラもまだ全快してないんだし……どうにか気を付けてね」
「おう」
「気を付けてもどうにもならねーことあると思います……思います……思います……」
でもこういうわけのわからんところでふざけて人力ドップラー効果とかやりだすのは嫌いだよ。
で――まあ、それやこれやして五分後。
オレたちは普通に全滅した。
「コココケーッコッコ!」
……状況は、まあ。有体に言って死屍累々。
倒れ伏して地を舐めているオレたちを見て、コケコが頭を上下に振って煽ってくる。うっぜぇ!
しかもこいつご丁寧に、手持ちが全滅したトレーナーに電撃――って言ってもせいぜい足がつるか滅茶苦茶痛い静電気程度のもの――を浴びせて勝ち誇って、反応を見てケラケラ笑ってる。耐性があるからってオレにはもっと強力なやつだ。流石いたずら好きと明言されてるだけはある。性格悪いだろこいつ!!
「オ゛ォゥ! な、なんヴェッ……俺にばっかり連続で電げくハァー! 電撃をヴェエエイ!」
朝木はまだビリビリさせられている。
多分それ反応を面白がられてるんだと思うぞ。
「えっと……コケコが『あんなに軟弱な育て方をするとは何事だ』って」
「コケッコゥ!」
「アイムメディック! アイムメディック!」
「しかし、後方支援は最も狙われやすい役柄なのですが……」
「……補給を断つのは……戦術としては、ありふれたものですしね……」
「oh......」
気付けよ。
ちなみに、最初に脱落したのが朝木、次に小暮さん、ユヅ、オレの順だ。最後がヒードランを出して対抗した東雲さん。
ちゃんと制御できてるって言うよりも、あれは……コケコにしてやられたヒードランが仕返ししたがって先走るのを、利害が一致してることでなんとかかんとか言うことを聞いてもらってる……って感じだ。
当然、指示なんてちゃんと聞いてくれるわけはない。けど、言ってしまえばこれに関しては指示を聞いてもらうための「入り口」に立ったようなかたちだ。戦場を俯瞰してる人間がちゃんとした指示を出すことの重要性。連携による攻撃の通しやすさ……などなどを、きっとこの模擬戦で初めて理解した。
そもそも、ヒードランはちゃんとした戦いをする上で力押し以外の方法を知らない――させてもらえてない。ちゃんとした土台を作れば、きっとあいつも今まで以上に強くなるだろう。
「それにしても、やっぱり勝てないねぇ。ねえお姉、どう?」
「……もうちょっとで、捉えることはできそうだった」
「そっかぁ、ウチまだダメだなぁ、残像しか見えなかったや」
「……いや、あの、見えるもんけ? あれ」
「俺は……光の線のようにしか見えませんでしたが……」
「同じくです……」
そうか……まあ、そうなるよな。
ポケモンたちはそこそこ見えてるみたいだったし、リュオンは特にギリギリのところまで対応できそうな感じはあった。メガシンカの……あの時の能力があれば、もしかすると……。
「ていうか何で二人は当然みたいに見えちゃってるの……あれほとんど雷と同じ速度だよ」
「波動」
「気!」
「
「それは普通の人間ができていいことか?」
「できてるんだから、できていいことなんじゃないですか? 他にやれるのオレたちだけじゃないですし」
曲りなりにも、人間に備わっている能力には違いない。
もっとも、習熟に個人差はある。要領の良し悪し、術理の理解度に始まり、師の教え方だったり鍛錬に取れる時間だったり、習得しようという人の意欲だったり……様々なものに左右されることになる。
ばーちゃんによると、オレが習得したのが十四歳くらいの頃。ユヅは二年前会った時にはもう習得してたから十歳でかな。それでオレが
ともあれ。
「習得するに越したことはないと思います」
「……どのくらい、時間が……?」
「……少なくとも年単位は」
「この戦いに間に合わない」
「うげえ」
よーやるよ、とうんざりしたようにボヤく朝木だが、医者になるための勉強というのは、それこそ学生時代のほとんどを勉強につぎ込まなきゃいけないくらいじゃあないんだろうか。
それと比べたら……って、比較できるものでも、していいものでもないか。
「気功は無理だけど、気配の読み方くらいなら比較的短い期間で覚えられると思う。不意討ちを防げるし、コケコみたいに目で追えないような相手だといいようにやられるから、覚えておいても損は無いと思う」
「そう、ですね……」
「それを教えてもらうのは、可能だろうか」
「はい。まあ、オレじゃなくてユヅにやってもらいますけど」
「ウチ? お姉じゃないの?」
ユヅがこてんと首をかしげる。
オレもそうしたいところだが、と思いつつ、回復した両足でその場に立ち上がる。
「少し用事があるから、しばらく任せる」
「わかったー」
「いや、ちょっと待ってよ。まだケガ治り切ってないじゃないか。コケコにやられたみんなも回復してない。そんな状態でどこに行くの?」
「善通寺。今ならあいつらの目は
「それは……まあ、必要だけど」
補給の時間は、無かったわけじゃない。けど、既にオレたちは人間六人とポケモンが三十匹近くいるというかなりの大所帯だ。当然だけど、消耗品はすぐになくなってしまう。
例えばタオルだ。昨日使い始めたばかりのものが翌日にはもうボロボロ、なんてどれだけ見たことか。ポケモンたちのお世話をしていると本当によくある。ギルとか。大きい&硬いで、もう体の汚れを落とすだけで大変なことになる。
「気になるなら誰か護衛つけてくれよ」
「じゃあ、ワン太を連れていってよ。言っとくけど、くれぐれも」
「ああ、戦わないよ。できる状態でもないし」
言って、オレは荷台からバイクを降ろした。
ヨウタからワン太のボールを受け取るのに合わせて、こちらもコケコとの模擬戦に参加したチャムとリュオンとギルのボールを預けておく。
今回は派手に動く必要は無いから、並走はナシでお願い、と告げるとワン太はボールの中で少し不満げにして見せた。どうやら全力で走りたかったらしい。
内心で謝って、オレは善通寺に向かって――あまり急がず、そこまでバチバチ電気を放出し続けるようなこともせず、法定速度で走り出した。
で、そうこうして二時間ほど。
目的のものはおおよそ集めきることができた。おかげでバイクの方はネットなどでたまに見る海外の過積載のそれみたいな状態になっている。仕方ないことではあるが……。
ともあれ、そうこうして必要なことを終わらせた後、オレが向かっているのはとある神社だ。
神社……というか、道場か。と一口に言ってもオレが通っていた場所ではない。知識としてそういう場所があることを知っているだけの――居合道場だ。
刀が欲しかった。力じゃなくて刀だ。いや冗談とかではなく。刀は欲しかった。
前の戦いで分かったが、場当たり的な手段では銃に対抗するのは難しい。周りに遮蔽物が無いような状況だと、どうしても他の人を守ることができないというのもある。
オレ一人なら掴み取れば済む話だが、そうもいかない状況なら「切り払う」という選択肢を増やしておきたいという事情もあった。
オレ自身の専門は倭刀術だが、ぶっちゃけて言うと日本刀と扱いはそれほど変わらない。何せ、倭刀って要するに「中国で再現した日本刀」だから。
居合刀というのは、細分化するとまた色々と区分が異なってくるが、今重要なのはそこじゃなくて「ちゃんと使えるかどうか」だ。火事場泥棒のようになってしまって本当に申し訳ないが、いずれ返却して然るべき謝罪をしないと。
そう思って一歩を踏み出した時。
――助けて、と声が聞こえた。
(――そうか)
神社、仏閣というのは人間の……特に、日本人にとっては心のよりどころにもなりうる場所だ……と、オレは考えている。社務所や道場もあるこの神社を避難所代わりにしているとしても、おかしくはない。
そうと知れば、そこに押し入ってくるようないることも――また。
心は、凪いでいる。
しかし、こんな悲鳴が聞こえてきたということは、もう既に危険な状況だということは明白だ。この場を去る、という選択肢は、頭には無かった。
全ての光景を置き去りに、階段を十段以上も飛ばして駆け上がる。チュリとベノンは模擬戦に不参加だったから、戦闘に支障はない。ワン太も預かっている。ここで負けることはありえないはずだ。
駆け上がるその最中、不意に乾いた破裂音が聞こえ――いや。聞いていない。オレは何も聞こえていない!
聞いてなんているものか! まだ、まだ、まだまだまだ……!!
やがて、数秒とかからずに、たどり着いたその場所で。
「――――あ」
鮮血を、見た。
老婆が一人、倒れ伏している。倒れて――――その胸元から、血が、噴き出している。
その目の前には、赤いスーツに赤いサングラスの男が立っていた。フレア団の下っ端だ。男の手には、まだ銃口から煙が立ち上る拳銃が握られていた。
「あ――――あ」
傍らに、刀が落ちている。きっと、あれで反撃しようとしたところを……撃たれたんだ。
何か、見たことのないポケモンがフレア団員のポケモンらしいデルビルに襲われている。 おばあさんのポケモンなのだろうか。
倒れたおばあさんを、守っている。けれど、ダメだ。あのままじゃ――抵抗すらまともにできてない。フレア団の下っ端も、ボールを手にしている。
「――――あ、あ……」
あのままじゃ、死ぬ。
死ぬ――――。
倒れ伏すおばあさんの姿に、ばーちゃんの姿が重なる。
ただ年齢が似てるだけだ。けれど。どうしても、何故か、連想されてしまう。
心は、凪いでいた。
心は、
心は。
――――心に、赤く、紅く、染みが広がっていく。
「う――あ゛あああああああああああああああああああああああッッッ!!」
瞬時に、ワン太のボールを投げ放った。光と共に現れたワン太が、デルビルの横腹に「アクセルロック」を入れ弾き飛ばす。
そして。
「■■■■■■■■■■!!!!」
オレは、言葉にすらならない叫びの中、地面に落ちた刀を手に取り、稲妻を迸らせて赤スーツの男を――――――。
●――●――●
その日、善通寺市に研究拠点を構えるフレア団研究員、アケビのもとに三つの荷物が届けられた。
一つは――爪と、指。力尽くで剥がされたらしい生爪と、鋭利な刃物で切断されたらしい三本の血染めの指だ。それらが収められている箱には破壊された赤いサングラスが添えられており、そこに刻まれた認識番号が、否応なく「それら」の持ち主を無理やりにも理解させる。
これだけでも十二分に人に忌避感と生理的嫌悪感を覚えさせるものだが、問題は二つ目。
「脅迫状……」
いや、果たしてそれは、脅迫状と呼んでいい代物か。
内容はごく単純なものだ。
――今夜0時に指定の廃工場に来られたし。来なければお前の部下を殺し、拠点に押し入り、構成員も皆殺しにする。
脅迫状、と言うよりも、むしろそれは殺人の予告状と言えるだろう。
必ず殺す、というドス黒く凍えるような殺意の滲む血文字を前に、アケビは身を縮め、震わせた。