――時は僅かに遡る。
高松城桜の馬場からやや遠方に位置する四階建てのビルの屋上で、朝木達はアキラが「デスウイング」から生還するのを見て安堵の息を漏らした。
ある程度そうなることは考慮に入れているとはいえ、やはりあれだけ行動を共にした人間が石にされるかもしれないというのは、心臓に悪い。まだ殺されはしないだろうがと分かってはいても、それで落ち着いていられるほどに冷淡な者はこの場にはいなかった。
ユヅキは、アキラの無事を確認すると「うらー!」などと、日本語かロシア語かはたまたポケモンの鳴き声か分からないような雄叫びを上げて、姉を救出するために敵陣に突っ込んでいった。ヨウタは当初の計画通り、逃げるまでの時間を稼ぐために、カプ・コケコを伴って牽制に向かう。
こうなってくると、作戦は失敗だろう。となれば、どうにかして安全に逃げ出す必要がある。残された年長者の三人は、ビルから降りて方針を練っていた。
その中で、不意に東雲が二人に向けて切り出す。
「あの鹿のようなポケモンを、止めに行きます」
「メガオドシシみたいに言ってんじゃないよ。てか待てよゼルネアスを止める!?」
東雲の性格を鑑みれば、そう言いだすことは不思議ではない。
だが、伝説のポケモンに自ら立ち向かうなど、朝木には正気の沙汰とは思えなかった。
「勝ち目は!?」
「ありません」
「無いのかよ!?」
「それでも必要なことです」
先に繰り広げられていた攻防を見ていたからこそ、東雲は断言する。
イベルタルを止めに向かったヨウタだが、そこにゼルネアスが加われば流石の彼でも無事ではいられない。カプ・コケコも伝説として相応しい力を持っているし、ヨウタのポケモンたちも伝説のポケモンに食い下がるほどの力はあるが、それでもイベルタルの能力が異質すぎる。「デスウイング」を放つ時間を稼がれればその時点で死ぬのだから、横槍を防ぐことは絶対に必要だった。
「今の俺には……ヒードランがいます」
そして、勝算は無くとも時間を稼ぐ手立てが無いわけではない。
フェアリータイプのゼルネアスの主要な攻撃は、ほのお・はがねタイプのヒードランに決定打とはなりづらい。加えてヒードラン固有の特殊能力や伝説のポケモンとしての能力の高さもある。そう簡単に倒れるということは無いだろう。
「時間がありません。俺は行きます」
そうして朝木達が止める間も無く、東雲は鍛え上げられた脚力を用いて全力でゼルネアスのいる方向へと駆けて行った。
「せめて作戦立ててから行けよぉ――!!」
朝木のその声に、東雲が応えることは無かった。
普段から戦いというものを避け続けている朝木でも、それがどれだけまずいことかは分かる。東雲の背に向かって叫びはするが、返ってくるのは自分の声の反響だけだった。
東雲がああして半ば暴走気味に走っていくこと、それ自体は決して不思議なことでも不可解なことでもない。
彼は普段、年長者としての自覚と自衛隊員としての立場から、己を律して落ち着いた振る舞いをしていることが多い。しかし、実のところ東雲はかなりの激情家だ。有事にあっては率先して前に出て、仲間を慮り、悪を許さない。多少ならず天然と言える部分はあるが、それを踏まえてもなお、こうなることは予測できたと言えよう。
「……追いましょう」
「そうだな……あえ?」
そんな東雲の姿を目にして、ナナセが提案した。
そりゃ人が多い方がいいだろうけどと思いつつも、自分はとりあえず安全な場所に移動したい……などと考える朝木は、引き攣った顔でそれに応答する。
「なぜゆえ?」
「……ゼルネアスも、伝説のポケモンとはいえ……それだけを理由に、単独行動させるとは、思えません……」
「そ、そうかあ?」
「必ず、護衛がいるか……もしくは、騒ぎを聞きつけてやってくる、したっぱがいる、はずです……」
「……つまり、あれっすか。露払いっすか」
「……っす」
ナナセは逃げようとする朝木の腕を即座に掴み、ゼルネアスがいるであろう七色の輝きが発せられている方向へと駆け出した。
こうなるともはや、逃げ出すこともできない。ウフフ俺生き残れるかな、などと益体も無いことを考えながら、朝木もまた戦いの中へと繰り出していくこととなった。
そして一分後。朝木は、アキラやヨウタのような戦闘者は、自分とは別の生き物だと結論付けた。
「ウワーッ!! 無理無理無理無理! ズバット、『つばさで――ああ゛ッつゥい!!」
「キイイ!」
「ええいうるさいお前黙れ! ちょこまか動くな! ヘルガー、『かえんほうしゃ』!」
「ガアァッ!」
朝木は、当然のように四方からの集中砲火を受けていた。
フラダリやパキラ、クセロシキのような主要な幹部はアキラの方にかかりきりになっているためこの場にはいないが、ここもやはり「敵地」であることには変わりない。
加えて、フレア団には四人の科学者以外にも更に複数の幹部が在籍している。いずれも強者揃いであり、フラダリが表に出るとなれば彼らも当然ながら護衛のためについてきもする。
結果、朝木は白スーツの幹部を指揮官に据えた十数人の赤スーツの下っ端たちに追い回されていた。
実を言えば、朝木とそのポケモンたちは、一対一なら下っ端のポケモンを倒すことができる程度の戦闘力は備えている。キリキザンとコマタナの群れに襲われるという修羅場を潜り抜けたという経験は、多少ならず成長を促していた。
が、それはそれとして、複数相手は無理だった。
元からポケモン世界の住人であるヨウタは別枠としても、
あの子らやっぱりおかしいよ、などと悲鳴を上げるように朝木は叫んだ。
「お前も大概おかしいわぁ!」
しかし、そう言う朝木も朝木でここまで生き残っているだけはあり、生存能力だけは妙な方向に進化している。
恥も外聞のかなぐり捨てた、やけにぬるぬるとした動きでポケモンたちの攻撃を次々と避け、躱し、時に流れ弾が頬などを掠めて悲鳴を上げる。
――この男、うぜえ!!
フレア団員の総意だった。
強くはない。決して強くない。が、とにもかくにも鬱陶しい。避けるたびに奇声を上げ、当たりかければ悲鳴を上げ、反撃に移れず怪鳥のような声だけ上げる。オマケに顔がうるさい。頼むからそのリアクションを抑えてくれ、と誰もが感じていた。
そして何よりの問題は――その回避に連動してポケモンたちも動くため、まるで技が当てられないことだ。
そうして無駄に時間を稼がれてしまえば。
「……『わたほうし』、『つじぎり』……!」
「ももっ!」
「フゥ……!」
「なっ、足が……!」
「ギャンッ!?」
フレア団員とそのポケモンのラクライの足をもんさんがぶちまけた綿が絡め取り、更にあぶさんがその機を逃すことなく、一撃のもとに体力と意識を刈り取る。
朝木に気を取られればこのようにナナセとそのポケモンたちが隙を突いて、頭数を減らしにかかる。決して強力ではないし繊細さの欠片も無く、そもそも連携と呼んでいいものかどうかというレベルのやや一方的な行動だが、それでもフレア団からすると極めて厄介であることには変わりない。ナナセのポケモンの練度が朝木のポケモンたちよりも遥かに高いことがそれに拍車をかける。
「クソッ、なら直接あの男を――」
「ク」
「ばァうあ!!」
そして、遊撃に回ったしずさんが東雲の邪魔をしに行くことを徹底的に封じにかかる。
近づこうとすれば「バブルこうせん」で敵を遠ざけ、糸で拘束して動きを封じる。ポケモンとしての「すばやさ」の低いオニシズクモだが、それはそれで動く必要が無いように立ち回ればいい。固定砲台の代わりとしても、彼は相当に優秀だった。
「アキラちゃんたちまだァァ――!?」
「まだです」
短く言い捨てて、ナナセはまぐさんを戦列に加えて目の前の敵を一人ひとり的確に減らしていく。
対応の冷たさと、一匹以上のポケモンに指示が出せないという能力的な不甲斐なさに朝木が頬をひくつかせていると、そこで不意に何かが彼の頭上から降ってきた。
「ぐあああっ!」
「ゴボボっ!」
「どえええええええっ!!」
「ッ、東雲さん……!?」
ゼルネアスを食い止めていたはずのヒードランと、東雲だ。
ナナセの方に吹き飛んできた東雲はもんさんの綿毛によって受け止められるが、ヒードランは朝木の身体を削るような勢いで彼のすぐそばに降ってきていた。
東雲には、切創や広範囲に渡る火傷などの傷は見受けられない。だがよほど強い衝撃を受けたためか、露出した腕などにはひどい打撲の跡が見られた。
なぜ相性の良いはずのヒードランが、と焦りと共に疑問からヒードランに目を向けたナナセは、鉄板のように熱されたヒードランによって小さく火傷しかけている朝木を見て改めて何も見なかったことにした。さっきまでの回避能力はどうしたというのか。
「いったい、何が……」
「く……誤算だった……! ヒードランは、ゼルネアスと
「え……」
想定外の答えにナナセの言葉が詰まる。状況を考えればその言葉も真実であることは分かるが、しかし信じがたいことだということも確かだ。
「――――」
「!」
そうしているうちに、ゼルネアスはフレア団員を脇に寄せ、悠然とした足取りで東雲たちへの方へと向かってくる。
角の色は既に七色に輝いており、戦闘用の「アクティブモード」と化していることが見て取れる。
「っ、ヒードラン! 『マグマストーム』!」
「ゴアッ!!」
「アッツゥイ!!」
「キキィ!」
その姿を視認した瞬間、東雲はヒードランに指示を送る。
地面から噴き出した溶岩の熱に煽られて朝木の上着と髪が一部焦げる――が、それも致し方ないことだと、朝木も次の瞬間に理解した。
「――――――」
ゼルネアスの足元から伸びる無数の木の根が、その一撃を抑えて燃え尽き――ない。
補足、網状に張り巡らされたその根は焼けた端から再生し、溶岩の渦を受け止めてみせていた。
タイプ相性を明らかに超越したその現象に、驚きを感じない者はそういなかった。
「は……はあぁ!? 何だよどうなってんだアレ!?」
「分かりません。しかし、これでは有効な攻撃も……」
本来、ゼルネアスに対して最も有効なヒードランの攻撃は、ほのおタイプの「マグマストーム」ではなくはがねタイプの「ラスターカノン」だ。
しかし、ゼルネアスが防御に利用していると思われる技は「くさむすび」。こちらに対しては、当然ながら「マグマストーム」の方が有効となる。
いずれにしても、東雲もそういった相性は理解した上で指示を出しているのだ。それでもなお――貫けない。
「――――」
そして、ゼルネアスの角がより強い輝きを放つ。その眼前に生じたエネルギー体が光り輝いた。
がばりと開いた無数のツタ、そこから飛んでくるのは白銀の光線――「ムーンフォース」だ。
「ヒードラン、『まもる』!」
「! ゴボオ!」
対して、東雲の指示を受けたヒードランが前に出て、薄い光の幕を張ることでその攻撃を一部シャットアウトする。
あくまでこれによって防ぐことができるのは「一部」のみだ。多くの技はゲームと現実では効果が異なるが、「まもる」もその一部である。
加えて、守り切れるのはヒードランの身体から周囲数十センチまでという程度の範囲。自然と、東雲を含め全員がヒードランの背後に隠れるようなかたちになる。
「小暮ちゃん! コマタナ地獄の時みてーな切り札ねえの!? ほら、『たいようのいし』でエルフーンに進化させたりとかよぉ!?」
「……無理です」
そもそもオニシズクモへの進化が切り札として機能していたのは、根本的な運用法が異なるからだ。
モンメンとエルフーンは共に補助系統の技を得意とするポケモンだ。一発逆転の策とすることはできない。加えてこの状況を凌ぎきるには「ひかりのかべ」が必要になるが、それを覚えられるのはエルフーンに進化してからになる。元から「たいようのいし」を持っているわけでもなく、技マシンがこの場にあるわけでもない。逆転の手にはならなかった。
「アカーン! ず、ズバット! お前何かこう……逆転の技とかねえの!?」
「ズヴァ」
「いっどええええええっ!!」
「こんな状況で無茶ぶりをしないでください!」
最悪なのは、このような状況にあってなお「ムーンフォース」の照射が止まらないということだ。ただでさえ高い威力の技が十秒も二十秒も照射され続ける。他にこの渦中に突入できるようなトレーナーがいないのが救いだが、そもそも朝木や東雲も本来はゼルネアスほどの脅威に相対するためには実力が足りていない。
その絶大な出力によって地面がガラス化し、徐々にヒードランが押し出されていく。このままでは、と三人が焦燥感と絶望感を抱いた、その時だった。
「――――!!」
爆音にも似た打撃音が二つ生じ、ゼルネアスが体勢を崩して光線の軌道が捻じ曲げられていく。
思わず彼らが視線を向ければ、ゼルネアスを挟んで対角線上を位置取るように、刀祢
「アイアンテール」と「アイアンヘッド」――メガシンカによって絶大に強化されたリュオンがゼルネアスの頭部を揺らし、メロが後脚を叩くことではじめてなされる「崩し」。それでもなお体勢が崩れただけで転倒すらしないという異常な状態に、奇襲をかけたアキラたちの側が冷や汗を流した。
「遅いよぉーッ!!」
「うるっ……さい! こっちだって、全力で……走って、きてんだよ……!」
今までになく息を乱したその様子に朝木が首をかしげる。確かにそれなりの距離を走ってきただろうとはいえ、無尽蔵の体力ならあれくらいは乗り切れるものではないのだろうか? 一瞬湧き出たその思考は、すぐに鬼気迫る様子のアキラ自身にかき消されることとなった。
「作戦失敗! すぐ逃げます!」
「分かった……アサリナ君は!?」
「ロトムちゃんに連絡入れてるよ!」
「あいつなら隙作ってすぐ逃げてくれる! 急ごう! リュオン、『はどうだん』!」
「メロ、『はかいこうせん』!」
「ルゥ……アァァッ!!」
「――――!!」
一条の光線と、あえて凝縮させることなく肥大化させた波動の球体が包囲網の一部を食いちぎる。それと同時に、東雲から車のキーを預かったナナセが、外に出ていたポケモンのうちしずさんとまぐさんをボールに戻し、もんさんを抱えた状態で自身はあぶさんの背に乗って先行する。アキラはユヅキと共にメロの背に乗り、リュオンと並走しながら
途中、いくら頭部に攻撃を受けたとはいえゼルネアスからの追撃が無いことをナナセは訝しんだ。すると、その腕の中で抱かれているもんさんが突如として暴れ始める。
「ももっ!?」
「ど……どうしたんですか……!?」
「も、もももっ、ももんっ」
「……っ」
が、残念ながらナナセではもんさんの言わんとすることが分からない。状況が状況ということもあって、「後でアキラさんに聞いてもらいます」と言い含めて彼女はあぶさんに速度を上げさせた。
・余談
ゼルネアスは隠れてる最中にこっそり「ジオコントロール」を使用しています。