一人称に戻ります。
レインボーロケット団が四国各地を占拠して、既に二週間以上が経つ。
各自治体の機能は元より、流通などもほぼ停止していて、食料供給の面でも今の四国には大いに不安が生じている。
……だから、より豊かな物資を持つレインボーロケット団の方に寝返る人間が出ても、それはおかしくないことだ。
生活のため……というか、生きるため。根本的なところで、生き物はものを食べないと死ぬものなのだから。
「……だとしても、これはねーよ」
フレア団から逃げ出したその翌朝に、検査機器があるということで立ち寄ったとある病院。そのロビーに、レインボーロケット団員の山が積み上がっていた。
訂正。食い物欲しさにレインボーロケット団側に付いた人たち、だ。
病院だ。そこに務めているのは、当然医者と看護師だ。
人を治すことを志したはずの人たちが、人を傷つける側に回っている。胸糞悪いし、吐き気がするほど腹立たしい。
気持ちは分かるけど、分かりたくない。
「チュリ、『クモのす』」
「ヂュヂュ」
当然だけど、そんな連中の扱いはぞんざいなものになる。
いつもなら腕や足を縛るくらいで許すところだけど、今回は毛玉になるまで固めてやる。ついでに軽く蹴りつけた。どうせ今はもう大したダメージにもなりゃしない。
「お姉~」
「ん」
あまり認めたくない現実に少し落ち込んでいると、階段を降りてユヅがやってくる。
ジャランゴ……ジャックも一緒のようだ。上の階の方はいいんだろうか。
「見回り、終わったのか?」
「ううん、でもなんか先降りてろーって。部屋多いからウチかお姉がいた方が良かったと思うんだけど、いいのかな?」
「多分、何かあるんだろうな」
薬とか、医療機器とか。
そう言いつつも、内心ではなんとなく察していた。きっと、オレたちに
やけに静かな病棟に食料不足という現状……レインボーロケット団についたことを考えると、「あっち」は無くとも「こっち」はありうるだろう。
オレは本気で毛玉に蹴りを入れた。
「何してんの!?」
「お前もいつか分かる時が来るだろうけど今は分からなくていい……!」
「えー何それ……」
無垢でいてほしい、とは言わないが。
言わないが、ことさらに人間の汚い部分を目にする必要は無い。いつか分かるようになってから、「あの時のあれはああいうことだったんだ」と気付くくらいでいい。
これは朝木や東雲さんたちの気遣いだろう。オレも子供扱いされてるのが気になるが、仕方ないということにしておく。
……ともかく、やることはやらなきゃな。
病院というのは急患を受け入れなきゃいけない関係上、出入り口は複数設けられている。今はほとんどが施錠するなどして封鎖されてる――というか病院に来た時に敵の方がご丁寧に封鎖してきた――が、それでもカバーしきれてない場所はあるものだ。
そんな出入り口のうち、一つはリュオンに警備に立ってもらうことで封鎖。正面玄関は、日向ぼっこついでに自動扉の前でギルに寝ててもらってる……んだが、当然それだけじゃ足りない。なので、残りはユヅのポケモン、ルルとメロ、ロンに行ってもらうことにした。
オレたちは二人でロビーに待機。毛玉にした連中もいるし、階段もあるから見張ってないといけない。
「……ん」
しばらくユヅと二人で話しながら皆が戻るのを待っていると、階段の方からどたどたとせわしない足音が聞こえてくると共に、どことなく不穏な波動を感じ取った。
敵だ。一人……いや、ポケモン含めて
東雲さんや小暮さんは手一杯だったのだろうか。手に負えそうになかったら、オレたちが乱入する必要がある。
「何か来る」
「あいよっ」
オレはチャムのボールを手に取り、ユヅは立ち上がっていつでも前に出られるように構えた。
そしてどんどん気配が近づき――――。
「手ぇ出すなぁッ!!」
その怒号で、オレたちの動きが止まる。
今の声、間違いない。朝木だ。いや、でも何で臆病なあいつがあんなことを? 普段ポケモンバトルだって、格下の相手とでも絶対にやりたがらないのに……「手を出すな」?
疑問に思って首をかしげていると、階段の上から何かがもみあいになりながら転がり落ちてくる。ズバットとゴルバット、そしてアローラのすがたのコラッタとジャノビーだ。
……ジャノビー? ってことは、朝木のツタージャが進化したのか? ってことは、あっちのズバット……ゴルバット……ズバッ……ゴ――――どっちだ、アレ。
「お姉、あれどっち!?」
「分からない。迂闊に手は出すな」
どっちが朝木のポケモンか分からない。そんな状況で攻撃したら、誤って朝木のポケモンの方が戦闘不能ということにもなりかねない。
まとめて攻撃してもいいが……そうするのは流石に人道的に、ちょっとな。
とはいえ、状況が状況だ。攻撃する準備だけは忘れないでおいた方がいい。
「ひぃ! ひ、人! 人!」
次いで、転がり込むようにして何者かが現れる。看護師の女性のようだ。凄まじい形相をした彼女はオレたちの姿を見て更に表情を歪めた。
敵、だとしても見た目は少女だ。与しやすいと思ったのだろう。極度の興奮状態に陥っているせいでジャックの姿が見えていないのかもしれない。
殺気を向けるも、動じた様子は無い。それにあの据えた目……物騒な染みがついたメスが握られてもいる。
(人殺しだ)
察する。と同時に刀の鯉口を斬る。殺しはしなくとも行動不能にしない理由は無い。最低でも四肢の腱は斬る。
――とはいえ、それは最後の手段だ。まずは朝木がどうするかを見守るべきか。
「チャム」
「バシャァ!」
空いている右手でボールを投げて、道を塞ぐようにチャムに出て来てもらう。その時点で女の表情がひと際歪んだ。
と、そこへ階段を飛び降りるような勢いで朝木がやってくる。
「逃がさねえ!」
「しっ……つ、こいィィ!」
「こっちの台詞だクソ女! ゴルバット、『かみつく』! ジャノビー、『つるのムチ』!」
「ズバット、『すいとる』! コラッタ、『かみつく』!」
ゴルバットがその大口を広げて食い殺すかのような勢いでズバットに噛み付くが、ズバットも負けじと体液を啜り自身の体力を回復させる。対してコラッタの方はロクに抵抗もできていない。伸びてきたツルに胴部を掴まれ、あちこちに叩きつけられている。
ポケモンたちの育ち具合や立ち回りの拙さから見ても、あの女はどうやら昨日今日ポケモンを手にしたばかりの素人のようだ。知識的にもこっちの世界の人間の……ちょっと詳しい程度の人と、そうは変わらないだろう。
形勢は既に朝木の方に傾いている。放っておいてもポケモンたちの方はすぐに決着がつくだろう。
問題は、錯乱した様子のあの女だ。朝木はいつになくキレて……はいるようだけど、冷静さは残っているらしく、拳を振りかぶりつつも
「見てるだけってのもな」
小さく呟いて、オレは動き出した。かつてのそれより遥かに遅い移動速度だった。けど、既にあの女はオレが見えていない。
人間にはどうしても、体の構造上盲点が存在する。視界だって、見えている範囲全てが本当の意味でちゃんと認識できているわけじゃない。視神経や眼球の構造の中でどうしても光情報を獲得できない部分が出てくる。見えているように感じるのは、脳が周囲の情報から補完しているだけだ。
それだけじゃない。まばたきの瞬間や、意識を逸らした・逸れたその一瞬。そうした「意識の隙間」に動くことで、相手はこちらを
「――え」
呆けた女に、最速最短のショートフックを顎先に入れる。ほんの僅かに掠める程度の一瞬の接触に合わせて波動を全開。「耐えられる」体にした上で、電磁発勁を一瞬だけ発動した。
「はうっ」
カクン、と女の膝が折れて意識がオチた。
おー、とユヅが拍手を送ってくるが、対照的に朝木の顔はどこか浮かない。拳を振り上げたまま降ろすことができていないのもそうだ。どうやらこの男、珍しく自分の手で決着をつけたいと思っているようだった。もっとも、流石に今は自分の身を守ることを優先したようだが……。
ともかく、顔を真っ赤にしている朝木の手を降ろさせる。
「落ち着けよ。らしくないぞ」
「……ッ……カッ……く……ぬあああああああああッ!!」
「おい」
「ああッ! ……くそっ!」
「おい!」
「…………悪い」
やり場の無い怒りをぶつけるように、オレたちから背を向けて朝木はリノリウムの床を蹴りつけている。
何なんだ……と言いたいところだが、状況から考えればコレもまた理解できる。推測でしかないが。
それにしてもこの態度は流石にユヅの教育に悪い。やめてくれ。
「何があったかは聞かないぞ」
「ああ、そうだな……アキラちゃんは特に聞いちゃダメだ」
オレもそういう扱いか。いや分かるが。まだ想像の域を出ないからこそオレも冷静でいられる部分はあるんだ。ここに現実味が伴ってしまったら、きっとオレはこのまま倒れた女に刀を突き立てることになるだろう。
それが「目の前で起きたことかどうか」というのは、人間にとって大事なことだ。たとえ親類縁者が亡くなったとしても、人に聞かされただけでは冷静なままであることが多い。精神的な防衛本能が勝り、現実から目を逸らすからだ。けど、実際にそれを目にしてしまえば、そういうわけにもいかなくなる。強く、コントロールさえできない感情が溢れ出して……その後は、まあ人それぞれ。哀しくなることもあるだろうし、怒りに支配されることもあるだろうし。
そして、どんなに目を逸らしたくても避けられない現実を目にした時は……悪い例が先日のオレだ。関わりない他人でも、殺されるのを目にしたらああいう風になる。
つまりは多分、そういうことだろう。
「それで、そのへっぴり腰で何を殴る気だったんだ?」
「お姉、言い方」
「そりゃあ、こいつを……殴り倒せたらいいな、って……」
「無理だろ」
「ひでぇ」
事実だ。それどころか、反撃に遭って下手をすれば殺されるだけだ。
それに……。
「アンタは人を傷つけるのに向いてない。そういうのはオレの役目だ」
「けどよぉ」
「大丈夫! お姉強いから!」
「いやそれは見りゃ分かるよ? ていうか前より強くなってね? どういうこと? 意味分かんねえんだけど?」
「アレはただの誤魔化しだ。力業で押し通れるならその方が強いに決まってる」
「だよねー。どんなテクニックも、パワーで押されれば意味無いもん」
「な」
「ねー」
そりゃ勿論両立するに越したことは無いけど、戦場でそれができるなら苦労は無い。
確かに技術を凝らした戦法は多少見栄えが良いだろうけど、身体的な負担はむしろ増える。一対一の競り合いじゃないと意味が無いってことも多いし、一対圧倒的多数の戦局ばかりのこの情勢下じゃ力押しが一番有効なんだよ。
今はそういうわけにもいかないから、何とかなるように無理矢理動いてるようなもんだ。
「それより、ヨウタの方、頼むよ。意識の方はともかく、体の方がだいぶひどいことになってるし」
「あ、ああ……」
ボヤきながら、朝木は正面入り口付近に向かい、ストレッチャーに乗せたヨウタを運んでいった。
しかし、そうなんだよな。医療方面となるとオレたちにやることが無い。
オレも何かこう……「いやしのはどう」的な何かを覚えられないだろうか。でも人間だしな。波動の受け渡しがせいぜいだろうか。
あとはリュオンがいつ「いやしのはどう」を覚えてくれるか……ってところかな……。
「あ、そうだ。ロトムー!」
「はーい?」
ストレッチャーに向けて呼びかけると、ヨウタを見守るために待機状態だったロトムが起動してこちらに飛んでくる。
そうだ、別に今オレたちが認知している技だけで考える必要なんてないじゃないか。
「ちょっと聞きたいんだけど、『いやしのはどう』みたいに他人を回復させられるような技って、オレたちが知ってるもの以外……この前ダウンロードしてもらった技リストに載ってない技とか、あるのか?」
「あるロト。『いのちのしずく』って言うんだケド
思った通りだ。やっぱりオレたちの知らない技がある。
「それってどういう技なんだ? オレたちのポケモンの中に、使えるヤツがいたりは……」
「生体エネルギーを込めた水を振りまいて体力を回復させる技ロ。アキラたちのポケモンだと……リュオンが使えるロト」
「リュオンちゃん大活躍じゃない?」
「ホントにな……」
索敵、戦闘、回復と何でもござれだ。オマケにメガシンカまで体得した。できないのって小回りのきく妨害くらいじゃないだろうか。
……まあ、それだって別にやろうと思えば何とでもなるんだけど。仲間も多いからカバーもきくし。
「ちょっとリュオンとチャムに交代してもらってくる。ユヅは待っててくれ」
「うん。その間ロトムちゃんに技のこととか聞いとく」
それに、そこはリュオンだけじゃなく他のみんなの技についてももっと詳しく聞いておかないとな。
オレも力押しができなくなったんだから、もっとよく考えて戦わないといけないし……。
〇――〇――〇
そうこうしてしばらく。上の階の見回りを終えて戻ってきた東雲さんと小暮さんは、ひどい表情をしていた。
特に憔悴していたのは小暮さんだ。戻ってくるや否や、トイレに行って胃の中身を吐き戻すほどだった。東雲さんは……本気でキレてた朝木や、戻すほどショックを受けてる小暮さんと比べれば、まだマシな方か。それでも「マシ」というだけで、決して良い精神状態というわけではないが。
ヨウタについては、朝木から聞かされた限りでは、頭部は血栓ができたりといった「大きな異常は無い」ということだった。
ただ、問題はそこじゃない。どうやら、全身あちこちの骨が折れてるということらしい。
十二歳という時期で、骨の成長途中ということもあるだろう。足と鎖骨、肋骨と手指が何本か……ということだった。
「小児整形は専門じゃねーけど、とりあえずしばらく動かさないのが一番かな……」
とは、全検査を終えた朝木の弁だ。
オレは折れても動いてたけど、アレはあくまで回復力と耐久力と筋力任せのヤセ我慢だし、それが普通だろう。
リュオンに「いのちのしずく」を使ってもらって……一応成功もしたんだけど、どれだけ効果が出たものか。
ともあれ、ヨウタの検査さえ終わってしまえば、病院そのものに用は無い。何はともあれ然るべき場所に連絡を入れた後、オレたちは再び元の予定地――鳴門海峡に向けて走り出した。
ポケモン金・銀におけるうずまき島のモデルは、恐らくは淡路島だ。しかしながら、淡路島とひと口に言ってもあの島も随分と広い。人口は十三万人、面積も約600平方キロメートル。ルギアがいるにしても、人里に近すぎてとてもじゃないがまともに暮らせもしないだろう。
ルギアそのものも、かなり大きなポケモンだ。全長5メートル超……図鑑の話を信じるとするなら、海溝の底で眠っているはず。なら、いるとしたら瀬戸内海でも水深200メートル超あるという鳴門海峡の
そうなると、仮に地上に上がることがあるとするなら、播磨灘……北側の海に面する場所。それも比較的人口に乏しい島田島が、最も可能性が高いのではないか。
……という小暮さんの推測をもとに、オレたちは高松を出た後もさぬき市を超え、東かがわ市に向かっていた。
そもそもが車での移動だ。止まらざるを得ない状況にでもならない限り、通常なら県境を超えるまで半日かからない。警戒網にひっかからないように山道を主に選んでいるからちょっと遅いというのもあるけど。
野生のポケモンたちもいるが、そこは車の上でモク太やラー子などが目を光らせていたのでほとんど飛び出してはこなかった。レベル差を理解しているのだろう。
検査にそれなりに時間もかかったし、あんなことがあった後だ。そろそろ夜に差し掛かろうかという頃になると、流石にそろそろ疲労の色も濃くなってくる。
そんな折に、小暮さんからある提案があった。
「東かがわ市にいるレジスタンスの安否確認、ですか?」
「……いえ、あの……東かがわ市と言うより……完全に徳島なんですが……」
曰く、徳島市にいるレジスタンスがある漁港を拠点にしているのだとか。
その漁港自体は鳴門市内で、目的地に設定している鳴門海峡の道のりの途中にある。県庁所在地の徳島市からは目と鼻の先だが……いずれにせよ、ルギアに会いに行くなら通らざるを得ない位置にある。休憩も兼ねて、そこで一泊していくべきじゃないか、と。
――――結論から言えば、オレたちの気が休まることは、一切無かったのだが。
設定等の紹介
・「何があったかは聞かない」
食料供給上の問題から、医療者が患者を手にかけたということ。
朝木は元医療関係者として怒り、東雲らはこれを年少者であるアキラたちに決して知らせないことを決めた。
・いのちのしずく
第八世代にて初出の技。味方ポケモンのHPを1/4回復する。
ダブルバトルなどで使用される……ことはまず無い。見るとしたら大抵の場合、ソロでマックスレイドバトルをしている時にトゲピーが使用しているものになると思われる。
この技に助けられるということもあるかもしれないが、最高難易度のマックスレイドバトルにおいて一撃でポケモンが倒れることは日常茶飯事のためこの技を使う=行動が一手無駄になるということで嫌う人もいる。回復技なのでまだギリギリ許容範囲という人もいるかもしれない。
それはそれとして、マックスレイドバトル中の「てだすけ」はしないでほしいし自分磨きは許されない。