この事件に
アキラとヨウタが出会う、その更に二週間前の夕方。自宅近辺の桑野川に隣接した道でランニングをしていた彼女は、道の脇に生い茂る草むらの影に、何やら得体のしれないものがうごめいているのを見た。
彼女が住んでいるのは、阿南市の拓かれた平地だ。山も海もそう近い場所にあるわけではなく、少し車を走らせてもらえばすぐにそれなりに栄えた街並みが見えてくるという、四国の中ではそれなりに恵まれた立地だった。
とはいえ彼女も四国の人間である。何だかんだ、野生動物の危険性についてはよく父母から言い聞かせられていた。頻繁ではないがイノシシなどが川岸に姿を見せることはあるため、こういった場合には決して近づかないのが一番だとも理解していた。
しかし、それでも気になって視線を向けてしまったのは年頃故の好奇心か、それとも本能的に引き寄せられたものか。
彼女のその視線の先にいたのは、イノシシ――に似た、全く別の生物だった。
体高40センチ。成体にしてはやや小さく、幼体としては大きい。が、その毛皮の模様は確かにイノシシの……中でも
しかし、まるきり違う。体毛はイノシシのものよりも遥かに長く、四肢を隠してしまうほどだ。その四肢も非常に短く、ひとつひとつの歩幅が非常に狭いために歩みもまた非常に遅い。
何より特徴的なのは……その息。食料を探してか、くんくんと周囲を嗅ぎ回って息を吹きかけたその跡には、薄く白い霜が降りていた。
「あ、ウリムーだ」
ほとんど何の気なしに自然と発せられたその発言は間違いなく正鵠を射ていたが、同時にこの状況のおかしさをそのまま示していた。
いのぶたポケモン、ウリムー。ポケモンに対して強い思い入れを持つ彼女にとって、その存在についてつい何の気無しに真理を突く発言ができるのは当たり前のことだった。
何をするでも、何ができるでもなくそのままの姿勢で固まっていた彼女は、自分の発言を認識するのに数分ほどの時間を要した。
「――――はああああああああああああ!!? うええええええええええええ!!?」
そして彼女は、驚きのまま叫んだ。しばらくは意味すらなさない叫び声でしかなかったが、だからこそ、それが彼女の心をわずかに落ち着かせた。
見間違えるはずはない。あれはウリムーだ。ウリムーだ! 何でこんなところに? いや、そもそも何でポケモンがこの世界に? 様々な疑問が湧いたものだが、それらは瞬時に霧散した。
ウリムーが、その場に体を横たえたためだ。
「!」
その息遣いはやけに荒い。体調を崩していることは、遠目からでも明らかだ。
野生動物に迂闊に近づいたり触れたりするのは避けるべきだということは、ヒナヨも理解していた。が。
「ああ、もう! ほっとけない!」
彼女は自衛官の娘として、ゲームを通してとはいえポケモンをこよなく愛する人間の一人として、そのような状態の(推定)ウリムーを放っておくことなどできなかった。
ヒナヨは知る由も無いことだが、この時点で既に、レインボーロケット団の暗躍は進んでいる。ウルトラホールを介して他の世界と行き来するうちにこの世界との
例えば、それはアキラの祖母宅の鶏小屋に落ちてきたチャムであり――このウリムーでもある。
ウリムーは本来、その多くが寒冷地に生息している。それが、突然の世界間移動によって温暖な気候の徳島にやってきてしまったとなれば、肉体的な負担も大きい。身体を横たえたのはそうして体力を消耗してしまったがためだ。
「大丈夫!?」
駆けつけたヒナヨは、急いで息と脈を確かめた。息は――ある。ただし、冷蔵庫や冷凍庫に手を差し入れた時に感じる冷気と同じほどに冷たい。
脈は……。
(分かるわけないでしょ!!)
分厚い毛皮と「あついしぼう」に遮られ、感じ取るも何も無かった。
迂闊な自分に小さく悪態をつきながら、彼女はジャージが汚れることも厭わずにウリムーを抱え上げ、家路を走った。
そうこうして、ウリムーが元気を取り戻したのは、それから二日後のことだ。
帰宅した後、ヒナヨは様々な工夫を試した。冷たいものを飲ませてみたり、氷を当ててみたり……更にその翌日は、休日を全て潰す勢いで思いつく限りのことを試したものだが、最も効果があったのは、結局のところ単に栄養を摂らせることだった。
多少特殊な生態をしているとはいえ、ポケモンはポケモン。その生命力と環境適応能力はこちらの世界の生物のそれを遥かに上回って高く、翌日には元気にヒナヨの部屋を駆けまわる――かなり遅いが――姿が見られることとなった。
「おいで、むーちゃん!」
「むむむぅ」
結果的に言えば、だが。
本来、彼女が助けずとも、ウリムーはポケモンとしての本能で体を縮小させて物陰に潜み、適当なものを食べて体力を回復して元気になっていたことだろう。
しかし今ほどに早く回復はせず、整備された街中では食料も見つかる可能性が低い。仮に見つかったとしてもそれは個人の畑などであり、そうなれば害獣として駆除されることもありえただろう。命の危険があったことに変わりはなく、そこに救いの手を差し伸べたヒナヨは、ウリムーにとっては非常に好ましく尊敬すべき人間として映っていた。
「モンスターボールが私らの世界にもあったら良かったんだけどね」
「むぅ?」
ヒナヨは、母に対してウリムーのことを「衰弱した仔犬」として説明している。
毛布でくるんでいたため誤魔化すことができた(と本人は思っている)が、「治るまで」と期限が決められてしまったために、あまり長く家に置いておくわけにはいかない。
とはいえこのウリムー、普通の動物と比べて非常に大人しく、賢い。
無暗に鳴くようなこともなく、決められた寝床で睡眠を取り、その上トイレに連れて行けば普通に便座に座って用を足す。というかわざわざ連れていかずとも普通に自分からトイレに行く。
キノコに目が無く、少しだけ抜け毛が多いのが玉に瑕だが、それくらいはもう愛嬌で済まされる。
歳を経てイノムー(体高1.1メートル)やマンムー(体高2.5メートル)になってしまったら、まあ少しどころではなく大変なことになってはしまうが。
(ポケスペだとヤナギおじいちゃんのウリムー、あれだけ強くてもウリムーのままだったのよね。まあ多分大丈夫でしょ……)
と、希望的観測のもとそういうことにした。
先延ばしにしてブン投げたとも言う。
どうあれ、この世界にとって完全な異物であるウリムーはどの動物の群れにも馴染めないし、その強い力で、あるいは生態系を乱すこともありうる。
何よりヒナヨ自身が、ウリムーと離れたくないと強く感じていた。
――その日の晩、ヒナヨは母親を強く説得してウリムーとこれからも一緒にいることの許可を得た。
母親はウリムーの猪なのか犬なのか毛玉なのかはたまたぬいぐるみなのかよく分からない外見に困惑していたが、ともあれ愛らしいその姿にほだされてなんとなく許可を出した。
それからの日々は、前にもましてヒナヨに大きな楽しさを感じさせた。
自宅で一緒に映画を観たり、大きなカバンを用意して食事やショッピングに行ったりと、それはごくありふれた――ささやかながら幸せな日々だった。
時折、
そうこうして数日が過ぎた頃、彼女は「ポケモンが現実に現れるなんて流石にトンデモ現象過ぎるわね」と急に冷静になった。
極度の興奮状態でなんとなく勢いで行動していたが、それはそれとして原因がまるで分からない。
「むーちゃん、どうやってここに来れたか分かるかしら?」
「むむぅ?」
当然ながら当のウリムーに聞いたところで答えてはくれない。
人の言葉を喋ることができないのでそれは当然だ。ともあれ、彼女はそれを知らなければならないと感じた。そこで思い当たったのは、以前からネットで懇意にしていた「ゆずきち」だ。
彼女とは二年ほど前にポケモンのコミュニティサイトで知り合った間柄だが、それ以来年齢が近いこともあって妙にウマが合い、その後もSNSなどで頻繁に交流を持っていた。彼女のことを思い出したのは、以前「神隠し」や「
もっとも、ゆずきち――ユヅキは神隠しや
彼女は徹底した感覚派である。
曰く、詳しくは話せないが、彼女の身内がそういった現象に巻き込まれた――と。
そのことを思い出したヒナヨは、連絡先を知っていたユヅキにまず取り次いだ。そうすると。
「うん、詳しくは分かんないけどわかった! じゃあ、直接会おーよ!」
「えっ」
「じゃあウチがそっち行くね。用事あるし。あ、ゴールデンウィークでいいよね? 今年十連休だし!」
「えっ」
そういうことになった。
お互いに具体的なことは言わなかったが、何か内心に秘めたものがあるのだろうということは互いに察していた。
ヒナヨはウリムーのことについて詳しく相談しようと。ユヅキは姉になってしまった兄について相談しようと。
――――そうして、「最初」の日が訪れる。
「良いポケモンですね。このような未開の世界には勿体ない。私が解放して差し上げましょう」
どれほど心を交わしていようとも。
その本質は変わらず、
他人の投げるモンスターボールを弾くような電子的なセキュリティなどあるはずもなく。
――その日、奥更屋ヒナヨはレインボーロケット団に屈した。
〇――〇――〇
そして、今。
(何でゆずきちのお姉ちゃん一人で行っちゃうのよぉぉぉぉぉぉぉーっ!!)
ヒナヨは、島田島へ向かうトラックの車内で頭を抱えていた。
彼女にとっても、レインボーロケット団は不倶戴天の敵である。
いっそそれを話してしまえたならどれほど楽だろうか。しかし、それを許してくれない者がいる。
「の」
「よく食べるねー。おいしい?」
「のっ」
「…………」
今も至極のん気にユヅキの手から菓子を受け取って食べているモノズだ。
自分は無害ですよという顔をしておいて、このモノズは元々「ゲーチスの手持ちだった」という極めて特異な出自を持つ。
更に正確に言うとするなら、「ゲーチスのサザンドラの仔」である。ヒナヨの動向を監視し、いざ叛逆の兆候があれば帰還して報告の代わりとするのだ。
その首に備えられた細い首輪は、「ひんし」になったことや外されたことを感知する機能を持つ。
更に、ヒナヨの腕にかけられた腕輪も同等の機能を持ち、一定距離以上離れた時点で検知される。ボールに入れて放置というわけにもいかず、戦闘に出したり雑な扱いをすることもできない。
もしもそのようなことになれば――。
(……むーちゃん……)
彼女の大事な
ヒナヨは強く唇を噛んだ。
そもそも、彼女自身は「こちら」の世界側の勢力に対して敵意は無いし、できることなら負担は減らしたいと考えていた。そうして今の彼女にできる限りの工作は行っているのだ。
まずヒナヨは、ヨウタが大怪我を負っているという報告をある程度過剰に盛ることで「今のヨウタは戦力として数えるに値しない」という印象を植え付けた。これは最大戦力のヨウタが戦闘に参加しないということを誇張し、送り込んでくる戦力を可能な限り「幹部格以下」に抑える策だ。レインボーロケット団の面々、特に伝説のポケモンを従える首領格ともなると、暇ではいられない。統治に集中するためにも、できるだけ表に出ずに済むならそうしたいというのが本音であろう。
戦力そのものはレインボーロケット団側が優勢となる。が、アキラたちの戦闘経験は、この地獄のような四国を生き抜いてきただけあって膨大だ。格上相手であってもある程度まで戦線を維持できる可能性は高い。そこへ、「本当はある程度無理をすれば動くことができる」ヨウタをぶつけることで勝利する。その予定――だったのだが。
「ナっちゃん、どしたの? なんか顔怖いよ?」
「……ごめんなさい。ほら、お姉さん無事かなって思って」
「あはは、お姉なら大丈夫だよ」
何故この娘はこれほどまでにアキラを信頼しているというのだろうか。
そして当のアキラは何故本当に一人で行ってきて、そして撤退せずに戦っているのだろうか。狂ってんのか。
(だいいち、あの子……いえ、あの人、私に対してやけによそよそしいのよね。他の人より警戒心がすっごい。絶対何か疑われてるわ……)
仮にもレインボーロケット団に協力させられている関係上、その敵対勢力筆頭であるアキラやヨウタについての噂を聞く機会は多い。
ヨウタなどは言うに及ばず、アキラ――レインボーロケット団には本名は知られていないが――など、鬼、悪魔、死神などとも言われ、前触れなく突然現れては甚大な被害をもたらすという災害めいた扱いもされている。事前に戦闘狂としか言い表しようのない氷見山のことを知っていたのも大きいが、ヒナヨからの印象は有体に言って
実際に会えば別にそんなことはないと理解したものの、問題は彼女の怒りのツボだ。何をすれば、どうしたらレインボーロケット団員を恐怖のドン底に陥れるほどの猛威を振るうだけの……言うなれば「スイッチ」が入ってしまうのか。今のヒナヨにはそれが分からない。
下手に地雷を踏み抜けば、本来なら同じ目的を持つ同志だと言うのに、何やら知らない内に躊躇も容赦もなく再起不能にされてしまうことだろう。
「そ、そういえばゆずきち、なんか高速道路から離れてない?」
「そう? この辺の道詳しくないし、ウチ分かんないや」
「実際離れてるのよ。東雲さんから何か聞いてない?」
「ウチそういう話に混ぜてもらえない……」
「ごめん」
「レイジくん、知らない?」
「ユヅちゃんが混ぜてもらえてないのに俺が混ぜてもらえると思うてか」
「ごめん……」
朝木に作戦立案能力は無いし戦闘能力もこのメンバーの中では低い方だ。よってそもそも戦術を立てるその場にいたとしても、横から聞いているだけでそのうち頭からも抜け落ちる。医学知識を学び直し、ロトムと協働して新たにポケモンの能力を転用した医療法を確立するために、脳のほとんどのリソースを割いているためだ。
片手間でそこに混ざっても無意味だ。ならいっそのこと、医学書を読み込むのに時間を使った方がまだ有意義である。
その一方、ユヅキはヒナヨたちが思うよりも冷徹だ。
ユヅキは刀祢アキラの妹である。彼女と比較すれば快活な性格であることは確かだが、根本的なところではやはり彼女譲りの冷静さを秘めている。今のアキラの思惑について最も理解しているのは、ユヅキだろう。だからこそ、朝木がヒナヨに言いかけた「本当の行き先は島田島」という発言を止めたのだ。
しかしながら、その方向性は
(お兄は心配性だなぁ。ナっちゃんはきっと敵じゃないって。もし仮にそうだとしても、きっと事情があるもん)
意図せずして、彼女の直感は正解を引き当てていた。
もっとも、ヒナヨが言葉にしない以上ユヅキがその事実を知ることは一切無い。場合によっては、アキラがしびれを切らして――あるいはヒナヨが敵であるという決定的な証拠を掴んで、排除するべく攻撃するということもあるだろう。そこは仕方ないことだ。悪いことをしてたのなら、裁かれないといけない。
しかし、アキラなら悪いようにはしないだろう。ユヅキはそんな風に考える。
彼女の
〇――〇――〇
戦闘が始まって、一時間ほどが経った。
実戦における勘というものが実戦の中でしか磨かれないというのなら、ヨウタを除けば今の四国において最も戦闘勘に優れる存在は刀祢アキラに他ならない。
必死に格上に食らいつき、大怪我をしながらもほとんど常に最前線で戦い続けた。加えて、彼女はその超常の力を使いこなすためにも二年の間修練を欠かしたことが無い。
それだけの戦闘経験の上で彼女が下した判断は。
(戦闘技術は
砲撃めいたマッシブーンの「メガトンパンチ」を、チャムが単純なフェイントとウィービングを織り交ぜてかいくぐり、ズガドーンの「はじけるほのお」はギルが岩塊を叩きつけて打ち消す。上空から降り注ぐテッカグヤの「ラスターカノン」や「うちおとす」は、波動を用いた先読みで、リュオンにはその一切が当たらなかった。
そしてもう一匹、残ったケケンカニは――。
「ベノン、『どくどく』!」
「ベにュッ!」
「ガニぇ!?」
「ち……クソがァ! テメェ届かねえところからチクチクチクチクうっぜぇ! 正面から来いっつってんだろォが!!」
アキラの腕に抱かれ、三方を仲間たちに囲まれたベノンの毒液により、徐々にその体力を削られつつある。
ケケンカニも決して能力の低いポケモンではないが、ウルトラビースト三匹が一斉に攻撃を敢行するその現場に踏み込むには、現在の実力ではやや力不足だ。アキラが自らのポケモンたちに指示して、あえて「押し返さない」ことを選んだこともまた、ケケンカニが追撃を加えられない理由となっていた。
「三ツ谷、阿曽沼、テメェら本気でやってんのか!? たった一人にどういうザマ晒してんだ、えぇ!?」
「と、自分だけポケモン二匹出しておいて勝てない無様が言う~ヒヒハッ」
「僕は弱いんだから勝てなくて当たり前なんだ……! 悪いのはお前だろ!」
「…………」
力押しが通用するのは一定以下の実力の相手に対してだけであり、複数戦闘において重要なのは、常に連携である。
少なくとも、アキラはヨウタにそのように教わっており、その基本に忠実にポケモンたちに指示を出していた。対して、この三人の連携はあまりに拙い。そこに付け入る隙があるが――同時に、アキラ自身そうすることは控えていた。
(こいつらの力の使い方は常に「自分だけ」が、だ。他の二人への影響を考慮することも無く攻撃している今、戦線を膠着させていれば余波で勝手に消耗してくれる)
それは強すぎる力を制御できない人間が持つことの弊害だ。
その「弊害」については、彼女自身が最もよく理解している。かつては愛すべき家族をも傷つけかねなかったのだから。
ズガドーンの放つ火炎は周囲に弾け飛んで他者の身体を焦がすし、テッカグヤが飛ばす光線とその衝撃は他の二匹を掠めていく。唯一近接格闘を主軸にしているマッシブーンであっても、その剛拳を振るうことによって発生する風圧が微細に他のポケモンの攻撃に影響を与えていく。結果的に、それを踏まえて立ち回るアキラと彼ら三人との間には、現状であってもそれなりに大きな体力差が生じていた。
「塩試合の上に無言とかサイアク~! なんなのそれでいいの人生損してるゥ~!」
「ギル、『あくのはどう』!」
「グルルァァッ!!」
「BOMB!!」
周囲のアスファルトを焼いていた火炎がギルの放った黒い光線によってかき消され、同時にズガドーンの身体を掠めて小さく傷を作る。
対してズガドーンも相当に強力な勢いの爆風でそれに対抗するが、「あくのはどう」の直線状にあるものは拡散し、結果的にそのあおりを受けるのはテッカグヤやマッシブーンだけとなる。
「あ゛っっっづ!! くっそ……僕に当たってるんだが!?」
「あっ、ごっめーん☆ でもそれ、オイシいからいいでしょ!」
「うるさい! 煽ってるのか!? この……ッ『エアスラッシュ』! 『エアスラッシュ』! 『エアスラッシュ』!」
「 ふ ぅ 」
「『みきり』」
「ル――――」
上空から降り注ぐ、不可視の刃がアスファルトを切り裂いていく。しかしやはり、リュオンにそれが触れることは無い。その全てがすり抜けていくように、流れ去っていく。
単純な「みきり」の効果のみならず、波動の活用による先読みをも併用すれば直撃に至ることはまず無い。周辺一帯を焼き尽くす飽和攻撃に対しては意味をなさず、かつ反撃もできないという欠点はあるものの、この状況下であれば、通り過ぎた空気の刃はズガドーンとマッシブーンへ被害を及ぼしていくため、勝手に相手の体力は削れていく。
(いつ攻勢に転じるか……)
問題は、ウルトラビーストの並外れた能力だ。体力もまた相応に高く、戦闘開始から延々と回避を続けてなお、倒れる気配は無い。
特に、テッカグヤはその巨体故に無尽蔵とも言えるほどの体力を有しており、無機質な表情は現在の残る体力を推察させない。
加えてほぼ常時空を飛んでおり、近接攻撃はほぼできない。
(弱いなんてうそぶいてるが、一番厄介なのは……三ツ谷って呼ばれてたアイツだ。指示も雑、動き方も雑、はっきり言ってトレーナーとしては下の下だが、テッカグヤのデカさと破壊力だけで厄介さがハネ上がってる。このまま放置はできないが、他の連中もどうしたもんか……ヨウタなら余裕なんだろうが)
現状は三対三、あるいは四対四ではなく、一対一が三つ、全て並行に戦闘が進んでいるような状態だ。一つ戦線を崩せばそこから瓦解することは目に見えている。
アキラの手持ちポケモンの中で、ウルトラビースト相手の戦闘に対応できるのはチャムとリュオン、ギルの三匹のみだ。体の小さなチュリやそもそもの能力が低く訓練を積んでいないシャルトは直接的な戦闘には向いていない。遠距離から毒を射出でき、かつ特性「ビーストブースト」及びオーラによって「特攻」の能力値を強化されているベノンならば、現在のようにアキラに抱かれながらであれば移動砲台のようにして戦況に対応できるが、それも補助という以上にはなりえない。
(長期戦は覚悟してるが、体力がどこまで続くか……)
敵は全員イクスパンションスーツの着用者だ。少なくとも通常の人間よりは、遥かに体力の消耗が軽減されていることだろう。
現在のアキラはそういうわけにもいかない。長期戦になれば、まず間違いなく先に脱落するのはアキラの方だ。
ならば、と彼女は一つ指示を出す。
「チャム、『ねっぷう』! ギル、『かえんほうしゃ』! リュオン、『しんくうは』!」
「バシャ……!」
「ゴアッ!」
「!」
マッシブーンの攻撃から一歩退いて振りかぶったチャムの腕から、猛烈な勢いで熱波が噴き出し周囲に熱を撒く。ギルはズガドーンの爆風を打ち消すようにして口から炎を放ち、リュオンが空気を掻き回してアキラたちの周辺にやってくる熱を遮断する。
「おっほ、ファイアァ! アーイイ、イイですよォコレェ! ズガドーン、やぁっちまい!」
「BOOOOOOM!!」
割り込むように放たれたのは、ズガドーンの「だいもんじ」だ。渦のように連なっていた火炎に更に加わる七色の炎が、周囲に弾けて熱を撒き散らし、アキラたちを囲うようにしてアスファルトをも溶かしていく。
「何を余計なことしてやがる! 殴りに行けねえだろうがこのボケ!」
「ハ! だぁって、あんたらに目立ってもらっても?
「うるっさいな、お前がどけよ! 僕が……熱ッ!!」
「ああん? ……ッ、阿曽沼ァ!! ズガドーンの攻撃を止めろォォ!!」
「はぁ?」
そして、異変に最初に気付いたのは、金属質の肉体を持つテッカグヤに乗った三ツ谷だった。
戦闘開始から延々と吐き出されていたズガドーンの爆炎と、チャムたちの攻防によって周囲に撒き散らされた火炎、そしてたった今、アキラが自らのポケモンたちに命じて放った強い「熱」――これらは戦場に強く作用し、周囲の気温を急激に高めていた。
温度にしておよそ60℃。人間にとって活動できる限界を遥かに超えた気温であり、このまま放置しておくことはそのまま命に関わりかねない極限の環境だ。
アキラはそれを、先の攻撃で更に助長させた。イクスパンションスーツを着用していると言っても、それは言うなればロボットに乗っているようなものだ。パイロットが衰弱して動けなくなれば、ロボット自体ももはや動くことは叶わない。
リュオンの「しんくうは」によって形成された炎の渦は、そのまま彼女らへの影響を防ぐ壁だ。少なくとも彼女らがあの中にいる限り、高温による身体機能障害はそう簡単には
「ケケンカニ、『アイスハンマー』ァッ!!」
「ケェァッ!」
即座に対応すべく、氷見山がケケンカニに命じてその場に拳を叩きつけさせる。その冷気は熔けかけたアスファルトを固め、氷見山の周囲の温度を確実に下げていった。
対して三ツ谷は熱に喚くばかりで対策を打てず、テッカグヤに命じてその身を地上に降ろして氷見山の方へと向かって走り込む。残る阿曽沼は――。
「アハハハァーッハッハ! もんじ! もんじ! 『だいもんじ』! アハァー!」
「KAAAA-BOOOOOOOOOOM!!」
――知らぬとばかりに、ズガドーンに火炎を放たせていた。
「テメェ、このボケが! 共倒れだぞ!!」
「ノンノンノォン! 共倒れ? ハァ! 死んでくれていいんだよ、マッシブーンもテッカグヤも貰えれば? ド派手にやれるじゃない!」
「このイカれ女があ!!」
「サンキュー
結局のところ、この三人はただ一人一人が「自分」にのみ目線を向け続けているだけの人間である。これまで「三人がかりの方が効率がいい」という考えはあったが、氷見山と三ツ谷の消耗とアキラの消極的な姿を見たことで、「全員まとめて殺した方が得がある」という考えにシフトしてしまったのだ。
本質的に他人の被害になど目を向けることは無いし、自分さえ良ければそれだけで最高にハッピーであると信じて疑わない人間が三人。故に、ある意味では
時間稼ぎに徹してダメージを最小限に抑え続ければ、誰かが必ず功を焦り、突出して足並みを乱す。やがてそれは致命的な不和と化し――目の前で隙を晒す。
その瞬間を、彼女は待っていた。
「――
小さな声と共に、内から生じたまばゆいばかりの光が炎の渦を引き裂いた。
そこから飛び出したのは、リュオン――メガルカリオ。彼女はズガドーンが放ち続ける「だいもんじ」を全て躱して肉薄する。
「『ボーンラッシュ』!」
「ルォ……アアアアアアアアアアッ!!」
「BRROOOOOOOM!?」
両手に携えた長大な一本の棍が、爆弾そのものであるズガドーンの頭部を避けて全身に叩きつけられる。
全身全霊を込めて滅多打ちにされたその末――線香花火が落ちるその瞬間のようにズガドーンの頭部がその場に落ち――――その身は阿曽沼のボールへと送還される。
「あと二人」
冷然としたアキラの呟きだけが、風に乗って消えた。