アキラにとって、自分が男であったということは何よりのアイデンティティである。
ここのところ一人称が混濁し続けていて崩壊しかけているが、それは確かにアイデンティティなのだ。
入浴にはすっかり慣れてしまったし、脂っこいものは何だか受け付けないことも多いし、力を失って以来自分の非力さが(本人基準では)目立つようにもなってきてはいるが。それでも男なのだ。
だった。過去形である。
それはそれとして、男としての矜持は残っている。元を知っているユヅキは当然として、ナナセやヒナヨと入浴時間を絶対に合わせなかったり、洗濯もできるだけ自分のものは自分だけで区別したりと様々な方法で他の女性たちとはある程度距離を置いて生活していた。
――そうしていたのだが、しかし、流石にどうしようもないことというものはある。
チームを三つに分けるという提案を行ったことで、移動手段もそれぞれ三通りに分けられることとなった。ユヅキと東雲とナナセはトラックで。ヨウタと朝木はポケモンたちの力を借りて。アキラとヒナヨは――バイクで、二人乗りだ。
抱きつかれるような格好にならなければならない関係上、どうしても、ヒナヨの中学生にしては豊かなものがアキラの背中に触れることとなる。初めての経験だった。
だったのだが。
(――――何も感じない。虚無だ)
彼女は無の境地に到達していた。
何も興奮しないし高揚しない。何一つとして情動が動く気配が無いこと自体がまたアキラに哀しみを呼び起こさせる。
彼女の心は凪いでいた。
「何そのチベットスナギツネみたいな表情……」
「何もない……」
「いや何もないように見えないから聞いてるんだけど」
「何も……無いんだ……」
何が問題なのかと言えば何も無いことが一番の問題である。
(なるほど。これがEDというやつか)
アキラはそう結論づけた。戦渦に巻き込まれ、極端な経験をしたことで性的欲求が萎えて動かなくなってしまったのだろうと。
それも事実ではあるが、何よりそれは男性的な部分がほとんど喪失しつつあることの証左だった。
アキラは静かに泣いた。
(急に泣いてるこの人……怖……)
ヒナヨは静かに引いた。
「……で、今どこに向かってるわけ?」
急激な話題転換を行ったのは、何よりまずヒナヨの心を守るためと言えるだろう。
バイクで走り始めて、これで三十分ほど。流石にそろそろ彼女もどこへ向かうかという点を明かしてほしいところだった。
「ぐすっ……フレア団の基地だ。メガストーンやキーストーンと言えば、カロス地方が本場だからな……」
「ま、そうよね……でもそれ、どこにあるかってアテあるの?」
「無い」
「はぁ!?」
「無くてもいいんだよ。派手に動けば勝手にあっちから寄って来てくれる。あとは撫で斬りにしていけばいい」
「雑!!」
「い……言うほど雑じゃないだろ……尋問くらいはして情報抜くぞ…」
「そのとりあえず尋問すればなんとかなるみたいな考え方がもう雑なの! 下調べくらいしなよ! 何のために小回りのきくバイク使ってんのよ!?」
「……? 小回りがきく方が撹乱しやすい……」
「その小回りで情報集めろってのよ」
脳味噌筋肉でできてんのかこの女、と感じたヒナヨだが、その妹がまず感覚派の極致のような人間であることを思い出し、それ以上の追及をやめた。
ユヅキもそうだが、アキラは特に誰かが手綱を握ってかじ取りをしていないとダメだ。「次」があればそうしようと考え――思い直し、歯噛みして腕輪をガリガリと引っ掻いた。
(むーちゃんをまず取り戻さないと)
定めた目標は何も変わらない。それさえ遂げられれば、彼女にとっての問題はおおよそ解決する。そうなれば、大手を振って友人のもとに「仲間」として駆けつけられるだろう。
――だが、そのためにはそれに足る「成果」を示さなきゃいけない。
ヒナヨの頭の中でささやきがこだまする。事実として目の前にいるのだ。レインボーロケット団にとっての脅威、かつ優先的に確保すべき対象としてのある種の「成果」が。
やれ、と声がささやく。やるべきじゃない、と本能が叫ぶ。
けれども、そうしているうちに次第に選択の時は近づく。視界の端に赤いスーツの人影を捉えたからだ。
電源が切れたように、アキラの顔から表情が抜け落ちる。どこか彫像めいた美しさのある横顔を見てわずかに息をのむと、彼女はスピードを上げる……ことはなく、丁寧に近くの路肩にバイクを駐車すると彼女は小さくヒナヨに呼びかけた。
「そろそろ、ポケモンを出しておけ。伏兵がいたら優先的に対処を頼む」
「あ……うん。ルリちゃん」
「サー……」
「よし、行くぞ。三、二、一……」
「ルリちゃん」
「サナ」
「ゼ――――――ぐぅ」
そしてカウントの最中、ルリちゃんの放った紫色の光輪に包まれたアキラは、唐突に糸が切れたようにその身を地面へ横たえた。
「うーわ……」
「サナー……」
即コテン、である。
これが「さいみんじゅつ」の恐ろしさだ。本来、その射出の遅さから命中率に欠ける技だが、無防備なところに当てればこうなるのか……と、小さくヒナヨは戦慄する。
――スリーパーが調子に乗って子供を誘拐するわけだ。
この先世界が平和になったら、優先的に隔離しておく必要があるのではないだろうか。ヒナヨの心に謎の使命感が刻み込まれた瞬間だった。
無論、まだ何もしていない以上ただの冤罪である。
ヒナヨはルリちゃんに指示して、アキラの身体を浮かせた。続いてペルルを出して安全を確保し、ゆっくりと外に出てフレア団員のもとに近づいていく。
彼女たちの存在に気付いたフレア団員は当然ながら驚きを露にし、警告のために言葉を飛ばしかけるが――直後、浮いている白髪の少女の姿を目にして息をのんだ。
それを見逃すことなく、彼女は機先を制するように声を発する。
「ゲーチスに取り次ぎなさい! 最優先目標を捕まえたって!!」
●――●――●
レインボーロケット団に所属する科学者、あるいは
求める環境の違いもあってどちらの方がより優れているとは一概に言い切れないが、いずれにせよ領分の異なる彼らが一堂に会するということはそうはない。
そのはずが、この日は少々様相が違った。
クセロシキ、プラズマ団の賢人ヴィオ、そしてギンガ団のサターンという、普段タワーに寄り付かない三人が、ロビーに集っていたのだ。
かつて示された「目標」を果たすため、人体工学に優れたクセロシキが呼ばれたというのは当然のことだ。プルートの突然死によって他の団員への引継ぎが済んでいないため、強制的に駆り出されたサターンも、本人にとっては不本意極まりないが、いてもおかしくないと言っていいだろう。
問題があるとすれば。
「お前は呼ばれてなさそうだゾ?」
ヴィオである。
確かに彼はプラズマ団の中では賢人と呼ばれた者の一人ではあるが、正確には科学者というわけではない。クセロシキのその指摘に、彼は首をすくめて答えた。
「
意味が通るような通らないような曖昧な返答でその場を濁され、他の二人もまた首をすくめた。
「何に?」
「こちらに聞くな。無関係だ」
サターンは、「プルートが何故かレインボーロケット団本隊と太いパイプを持って、いつの間にか参加していた詳細不明のプロジェクトを彼の急死によって引き継がされ、他人への引継ぎ業務を終える前に無理矢理駆り出された」……という経緯もあり、やる気があるわけではない。
元々彼はプルートと仲が良いわけではないのだ。単に幹部格かつ科学者という繋がりで、勝手に仕事が回ってきただけである。むしろ迷惑している側だ。
「そもそもあの白髪の少女を捕まえたことが何になる? 何も聞かされていないのだが」
「プルートの爺様からは何も?」
「何もだ!」
プルート本人も死ぬとは思っていなかったのだろう。引継ぎの準備などできているはずもない。
腹立たしげにするサターンへ、クセロシキはなだめるように言葉を口にした。
「私も概略しか聞かされていないが、あの少女に別人の記憶を植え付ける……らしいゾ」
「なんだ、それは。どういう意味がある。だいいちそんなことが可能なのか?」
「さあ。『
「アレが
「
クセロシキは、高松城で出会った少女の、文字通り「造られたような」美しさを思い出す。
それこそ数ミリ単位の誤差が出れば、それだけでどこか醜さが出てしまうその狭間を突いたような領域に彼女はいる。見る者が見れば……それと理解していれば、その「作り物」らしさははっきりと見て取れるだろう。
「一度何かが入ったってことは、『別のもの』も入れられるということだゾ」
「悍ましいな」
「まったく」
もっとも、何が入るかという点はクセロシキにとってはどうでもいいことだ。
ただ唯一、気がかりなことがある。「そうなった」後の少女の人格だ。
かつて彼女は、「デスウイング」の直撃に耐えるという幸運こそあったものの、その後パキラとクセロシキという明らかな格上と戦ってなお逃げ延びている。
その前のアケビとの戦いも、その前のバショウたちとの戦いも、もっとさかのぼればビシャスとの戦いやランスとの戦いも――明らかに不利な状況に置かれてなお、彼女は生き延びている。
その強さがいったいどこから来るものなのか? それを問いかけるべき人間の人格が消失してしまえば……。
(残念な話だゾ)
しかし、組織に所属している以上、それは致し方ないことだ。
そう考えたところで、不意に彼の頭に疑問が首をもたげる。
――私はそんな当たり前の理屈に殉じるためにフレア団に入ったんだゾ?
彼がフレア団に入団したのは、既存の倫理観から脱却し、常識をひっくりかえすことで新たな境地に至るためだ。
そして。そして――――――。
「皆様、こちらへ。実験の準備ができました」
その思考は、言葉を割って入れた研究員によって遮られた。
誘導されるままエレベーターへ向かう三人だが、扉が閉じる直前にそこに割り込む人影があった。
「待ちなさい、ヴィオ!!」
恵まれた体格のもと全身で怒りを表して走り来る少女――奥更屋ヒナヨだ。
彼女は靴をエレベーターの扉に差し入れて強引に扉をこじ開け、ヴィオに詰め寄った。
「ゲーチスから聞いたわよ、何であんたがむーちゃんのボールを! 早く解放して!!」
「何をそう急いている。ちゃんと返してやろうと思ったからこうして出向いてやったのだろう。その私に感謝の言葉の一つもないのか?」
「……アリガトウゴザイマシタ」
「心がこもっていない。本当にありがたいと思っているのなら、床に頭をこすりつけてでも言えるはずだぞ?」
「…………ッッ」
ヒナヨは、自らの歯が砕けて割れそうなほどに噛み締めた。
要するに――そこに土下座をして見せろ、と彼はそう言っているのだ。徹底的に屈辱を与えてなお逆らわないかどうかを見定めるように。
脳の血管がはちきれんばかりに頭に血が昇るのを感じながら、それでも、血を吐くような思いをしてヒナヨは床に頭をつけた。
「……ありがとう……ございま……ぐッ!」
「それとゲーチス『様』だ。ゲーチス様の恩情に与れて光栄です、くらいは言えるだろう。その口から聞かせないか」
「~~~~~ッッ!! ゲー……チス……様のッ……温情に与れて……光栄……です……ッッッ」
ヴィオ――とはまた違う、心無い団員が、ヒナヨの後頭部を、あるいは背を足蹴にしてくすくすと笑い声を漏らす。
やがて、永遠に続くとも思われた長い屈辱的な時間は、エレベーターが停止する音と共に発せられたヴィオの「よろしい」という一言と共に終わりを迎えた。
「いかがしますか?」
「逆らいようもない。同行を許可しよう」
見慣れぬ風体の、しかし無様な闖入者の存在に、小さく三人に問う研究者だが、ヴィオは何事もなげにそう答えた。
周囲の人間は全員が紛れも無く幹部として相応の実力を備えた人間たちだ。今のヒナヨに勝ち目は無い。侮りと驕りこそあるが、それは厳然たる事実である。
(趣味が悪いな……)
サターンはその光景を遠巻きに見て、軽く眉をひそめた。
興味は無いが目の前でやられても迷惑だ。どこかよそでやってほしかった。
しばらく歩いて、彼らは地下施設の一角へと到着した。
扉を潜った先は、どうやら隣の部屋と強化ガラスによって仕切られたモニタールームであることが分かる。薄暗い室内でモニタが明滅し、何らかの数値を示した。
そんな中、ヒナヨの目を奪ったのはそうした数値ではなく、ガラスによって仕切られた先だ。
「――――」
思わず彼女は息をのんだ。そこから見える
その頭には、ヘッドギアのような機器が取り付けられていた。彼女のバイタルは常に監視されているらしく、周囲のモニタの数値は、一秒ごとに移り変わっていく。
「何……コレ……」
「記憶の転写作業だ」
「き……記憶?」
いったい何を言っているのか、とわけもわからず目を白黒させるヒナヨに、ヴィオが告げる。
「我らが組織の長、サカキ殿は後継者を亡くしておいででね」
「えっ……!?」
予想外の発言に、ヒナヨは言葉を失った。
サカキの後継者とはつまり、彼の直接の血縁……息子のことを指すと見ていいだろう。
あまりに当然のことのようにヴィオは言っているが、それはありえないことだとヒナヨは認識している。いや――「彼女の知る中では」それはありえないとするのが正確だろう。
「彼」は確かにゲームにおいては、あるいはそれとよく似た世界の上に成り立つヨウタたちの世界では生きているかもしれない。
しかし――レインボーロケット団が生まれるに至った世界の「彼」は、そうでは、なかった。
「彼はその死を認められなかった。自分に勝るとも劣らないその才覚やカリスマ性が失われることを悔やんだのだろう……彼は何をおいてでも後継者を蘇らせたいと願った。その果てにこの装置が造られたのだよ」
(違う)
ヒナヨは心の中で強く否定した。
才能が失われることを悔やんだとか、そういうものではない。それはもっと単純で、きっと親として当たり前の――――。
「そして彼女は、都合の良い器というわけだ」
どういうことか、と言い終わる間も無く――次の瞬間、研究員たちは装置のスイッチを入れた。
「――――!!」
「意識レベル安定、転写開始。終了までおよそ九分四十二秒」
「まあ、ゆっくり見ていくといい。ああ――そうだ。返さなければだったな」
言うと、ヴィオは黒いボールをわざと床に転がした。
「むーちゃん!?」
遮二無二拾い上げたそのボールから透けて見えるその中にいたのは――彼女の知る「むーちゃん」ではない。
「!?」
2ほんヅノポケモン、マンムー。ウリムーの進化系であるポケモンだった。
そうなることも、場合によってはありえないことではない。しかし、何よりヒナヨが持つ異質なボールが「何があったか」を雄弁に告げてくる。
言葉を発することもできないヒナヨに、ヴィオは言葉をかけた。
「それは間違いなくゲーチス様から預かったウリムーだぞ。どうした? 嬉しくはないのか?」
「何で……何が……」
「さあ、強制進化マシンの実験台になったか、ダークポケモンにする処置の実験台になったか、ダークボール製造の実験台になったか、いや、
「――――」
「あれほど求めていたというのに、少し姿が変わったのが不満と? それとも施術の内容を
ヒナヨは、静かに膝をついた。
つまり、彼らのやり口とは
ウリムーを奪ったその時点で、彼らはここまでやることを考えていたのだ。
だから。
「――あっそ。ならもういいわ」
ヒナヨは、ごく自然に立ち上がって軽蔑の視線を向けた。
「チュリちゃん」
「ヂ」
――瞬時に、ヒナヨを取り巻く全ての人間が、電撃の糸に絡めとられる。
「――ガッッッ!!」
「おごごっごごごこっこここここれはああああああああ!!」
「ど、ど――どこがらぁぁぁぁぁ!!?」
その疑問に応じるようにチュリが這い出してきたのは、ヒナヨの服の下だ。
他のどのポケモンでもおよそ不可能な、極めて小さな
「――悪人の言葉に耳を貸すなってマジね。忠告聞いといて良かったわ」
言いつつ、ヒナヨは数時間前のことを思い出す。
温泉施設を後にしてアキラと二人でこちらに来る直前、彼女から話しかけられた時のことだ。
――「お前は敵のスパイだな?」
その「文字」を目にした時、ヒナヨは驚きに目を見開きつつ「ああ、まあ気付いてただろうな」という諦めの念を抱いた。
しかし、重要なのはそこではない。アキラは首を横に振ると、ヒナヨに二枚目の紙を差し出した。
――「何か事情があるなら紙に書け」
――「あんなにポケモンのことが好きなやつが、あんな連中に素直に協力すると思えない」
アキラは幾多の戦いを経て、波動使いとして円熟しつつあった。
そのため、その能力こそがヒナヨの感情の機微を読み取って彼女を疑ってかかる原因となったのだが、同時に、その能力があったからこそ、奇しくもヒナヨの疑いを晴らす結果を生んだ。
アキラが筆談という手段を用いたのは盗聴を警戒してのことだったが、それも含めてヒナヨにとっては救いだった。声に出して言葉にするには、いささか分かりづらいことも多い。自分の現状を全て明らかにしたところで、アキラは確認するように一つ切り出した。
――ウリムーを取り返すためには、それに足る「成果」を示さなきゃいけない。
そこで示した「成果」こそが――アキラ自身だった。
(……それで「じゃあオレが行く」って、流石にどうなのよ……)
ヒナヨも随分と止めたのだ。そんなことやるべきじゃない、と。しかし、アキラはやれ、と執拗なまでに推した。
実際、そうすることが一番の近道であることはヒナヨも理解はしていたのだ。ただ、じゃあ友人の姉を差し出せるかと言われるとそこまで腐っていない。
しかし逆に、アキラの側も妹の友達が苦しんでいるというのに黙っておくということができなかった。
そうした結果、ほとんど連れ去られるようにしてバイクに乗せられ敵陣中央への特攻である。結果、選択肢は他に無くなった。その上自我を失うかどうかというような状況にまで陥っている。思わずアホかと叫びたくなった。
それでも、今の気分は極めて清々しかった。
「チュリちゃん、これカゴのみ! 食べさせてきて!」
「ヂ!」
「ルリちゃん、来て!」
「サー」
「――この部屋の機械全部ぶっ壊して!!」
「サナ!」
轟音と共に、ルリちゃんの全身から放たれる「サイコキネシス」が周囲の機械を捻じ曲げ、引き裂き、修復すら不可能になるほど完膚なきまでに破壊していく。
抗議の声を上げる研究者の姿もあったが、ヒナヨはそこに向かって思い切り金属の破片を投げつけた。
「ぐ、ぐおおおお……!! 本当にいいのか!? そのマンムー、元に……戻せなくなる、ぞ……!」
「はあ? 次は何? 偽物でも用意するつもり!? っざけてんじゃないわよこのクソ外道!! アンタたちが勝ち誇って本物のむーちゃんを見せびらかしてきてる今しか取り返せる機会なんて無いのよ!!」
「苦あああああああああああ!?」というアキラの悲鳴をバックに、脅しのような言葉を向けるヴィオを睨みつけるヒナヨ。彼女は唾を吐きながら腰元に回していたダークボールを手に取り――投げた。
「なぁ!?」
「ぶおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
当然ながら、むーちゃん……マンムーが姿を現す。その体格はギルとよく似て、本来の倍ほどの大きさにまで膨れ上がっており――天井をも突き破るほにまで肥大化していた。
次いで、ヒナヨのもとにダークボールが戻ってくる。が、彼女はそれを思い切り地面に叩きつけ……踏み砕いた。
「これで解放!! あとは再捕獲してリライブすれば元通り! シンプルな話じゃない!!」
「馬鹿か!? なぜダークボールに捕獲して、その上でダークポケモンにしたと思っている! そうでもしなければ」
「うっさい!! ルリちゃん黙らせて!!」
「サナ」
「制ギョッ!!?」
ヴィオの首に小さな負荷がかかり、直後に彼は意識を喪失した。命に別状は無いだろうが、少なくとも一時間は起き上がってこられないだろう。
ヒナヨは小さく息をついて、狭苦しそうに咆哮を上げるむーちゃんへと向き直った。
「さて――どうしようかしら」
「サナっ!?」
「ごめん、実は勢いでやっちゃった」
ルリちゃんの驚く顔を目にしながら、彼女は自分の迂闊さを呪う。
戦略を考えるなら、当然ながらここでむーちゃんを解放するべきではなかった。次第に深まる冷気に体を震わせかける、小さく苦笑いした。
「――じゃあ、次はわたしの出番だな」
「え」
「グルルルゥァアァッ!!」
「ぶおおおおっ!!?」
――そうした次の瞬間、彼女の目の前にいたはずのむーちゃんが、壁を突き破り、部屋の外にまでその身を吹き飛ばされる。
それを成し遂げたのが深緑の鎧を持つポケモンであることを認めて、彼女は小さく安堵の息をついた。
「平気?」
「口ん中イガイガして頭痛い……」
「でしょうね」
世界最高峰の「さいみんじゅつ」を受けた後で脳内を弄り回され、その上カゴのみを口内に放り込まれるという怒涛の経験をしたのだから、それもむべなるかな。頭が痛いで済んでいるのがおかしいのだ。
しかし、彼女はしっかりとその両の足で立ち、先とまるで変わらぬ様子で掌と拳を突き合わせる。
「何からすればいい?」
「むーちゃんの再捕獲、手伝って」
「その後は?」
「この目障りなタワー、ぶっ潰すわ」
「いいね、やろう」
この瞬間、二人の思いは完全に合致した。
独自設定・原作設定等の紹介
・ナンバ博士・シラヌイ博士・ゼーゲル博士
アニメ「ポケットモンスター」に登場するロケット団技術部の博士。当小説においてもレインボーロケット団の技術部に所属。いずれも幹部かそれ以上の扱いを受けている。
内、シラヌイ博士がポケモンの強制進化装置を開発。ナンバ博士はルギアの研究を行っており、ゼーゲル博士はポケモンの兵器化の研究を行っている。ゼーゲル博士が現状のダークポケモン研究の主軸。
・「彼」
「金・銀」及び「ハートゴールド・ソウルシルバー」に登場する主人公のライバル。赤毛の少年。もしくは「???」。
ロケット団ボス、サカキの息子。ポケスペにおいては「シルバー」として描かれる。
基本の世界線においては彼もロケット団残党の打倒に手を貸すなど活躍していたが、レインボーロケット団の母体となったロケット団=カントー地方の支配を完了したロケット団においては彼は何らかの原因によって死亡している……という扱い。本作オリジナル設定。
彼の記憶がアキラに転写されたらしいが……。