防寒具の調達を終えた朝木たちは、夕食を取り終えるとすぐに外に出た。
地獄の特訓の始まりである。
「ぐぼォォォォ……」
アラサーは即死した。
普段なら四、五人に均等に割り振られる負担がそのまま全て朝木にのしかかっているのも一因で、彼の疲労感はほとんど限界に近かった。
それでも研修医時代に突然フッと意識がオチた時よりはマシだな、と考えつつ、彼は当時の薄給っぷりと激務を思い出して泣いた。戦場ないしは地獄としか言いようのない医療最前線と比べれば、この程度はまだ楽な方ではあった。加齢のせいで体力を失った証明である。
「ジャノ!」
「うん、その調子だよジャノビー。格上と戦う時は、徹底的に相手が嫌がることをするんだ。ライ太、戦列に加わって。――複数相手だからって距離を置きすぎない。懐に飛び込んで相手を攻撃の盾にして。自分の方が小さいってことを活かすんだ」
ヨウタの訓練は、一見静かな様子でありながらも内容は苛烈だ。
怒号こそ飛ぶことは無いが、ポケモンの動きからその問題点や改善点、課題、伸ばすべき分野などを瞬時に読み取り、淡々と指摘しながら目標に向かって黙々と突き進む。徹底して合理を突き詰めたかのようなその特訓は、アニメなどで行われる「気合」と「根性」を重視するような特訓とは明らかに趣が異なる。そのため、幼少期からポケモンについてアニメに関する印象の強かった朝木にとって、こういった訓練をするというのは小さな驚きだった。
そしてただ淡々としているだけではない。
(密度やべえ)
その特訓の密度は、短期間でポケモンたちの能力を上げなければならないため、非常に密度が高い。
朝木はそのせいで吐きそうにすらなっていた――というのに、一方でヨウタは一切動じた様子は無い。単に怪我の件を考慮して、座って指示を出すだけというのも理由ではあるが、そうであっても彼の頭の中は目まぐるしく変わる状況に合わせて最適な指示を出し、ポケモンたちの問題点を洗い出した上でそれを改善するための策を講じる。精神的な負荷は明らかに朝木以上のはずだが、その顔は涼しげだ。それは、ヨウタが日常的に現状を超えるほどの負荷を己に課していることを示している。
とはいえ、十二歳の少年が
「ヨウタ君は強ぇーな……」
「僕より強い人はいっぱいいるよ」
「そりゃあっちの世界の話だろ? こっちの世界基準で考えるなら、マジでトップだよ」
ヨウタとそのポケモンたちは、全ての能力が高水準でまとまっているという、言うなれば器用かつ万能なタイプだ。
一匹一匹のポケモンを見れば得意な戦法や弱点は必ずあり、付け入る隙もあるのだが、互いがそれを補い合うことで欠点の多くを帳消しにしている。まともに正面から当たって彼らに勝つためには、「更に強いポケモンとトレーナーを用意する」という身も蓋もない対策しか無い。
その上、ヨウタ自身も運動神経に優れ、十二歳という若さのせいで戦略的視野にこそ欠けるが戦術規模の思考なら彼の右に出る人間は――この世界には――いない。
事実、彼に明確な敗北を叩きつけることができたのは、狡猾に立ち回ったランスと、生物としての土台から異なるイベルタルだけだ。ポケモントレーナーとしては、この歳にして既に完成形に近いと言っていいだろう。
「でも、僕もヨーイドンの勝負じゃなければ、アキラには負けると思うよ」
「いやそりゃ前提条件が悪いだろ」
「まあ、うん」
「つか、弱体化してる今も?」
「今も」
ヨウタはあくまで「トレーナー」であって「戦士」ではない。
対してアキラは「戦士」あるいは「武侠」であって「トレーナー」とは言い難い。彼女の戦い方には一切の容赦が無い上、波動使いであるためポケモンの全力機動にも対応し、自身の危険も顧みずにあらゆる手を尽くして敵を打倒する。闇討ちに奇襲、囮、トレーナーへの直接攻撃や人質など、何でもアリなのがアキラだ。
ルールという制約のもとであれば百回バトルしても百回ヨウタが勝つ自信があるが、ルールという明確な縛りが無ければ百回戦って百五十回叩き潰されるビジョンしか見えなかった。一回の戦いの中で複数回トレーナーとして殺されることも含む。
それも現在の四国の地獄のような環境に適応した結果と言えるが、あれだけの能力をトレーナーとしての能力に注ぐことができていれば、どうなっていたことか――そのことがどうにも惜しくなり、「バトル」ではなく「戦闘」しかできない現状に、ヨウタは悲しさを覚えた。
「僕らももっと頑張らないと……!」
「ちょ、ちょっ、待っ……」
同時に、そんな状態を解消できるのは自分たちだけだと彼は奮起した。
無論のこと、そのあおりを直接受けるのは朝木である。それまでより更にハイペースになった特訓に、かつての激務を思い出しながらも彼はしばらくなんとか食らいついていった。
それからしばらく、特訓は深夜まで続いた。
メディカルマシンが無いため、大きく傷つくような特訓は避けてはいるものの、それでも特訓の濃密さのせいで朝木もそのポケモンたちも疲労困憊の極みにいた。少し気を抜けばそのまま倒れてしまいそうなほどだ。
「レイジさん、みんなも。大丈夫? 僕、今日だいぶ遠慮なくやっちゃったけど……」
「ハ、ハ、ハ……お、俺が頼んだことだしな……余裕だぜ……」
「ジャノ……」
「ニュー……」
揃って強がって見せてはいるものの、その声に覇気は無い。
ふらふらと廊下を歩き、時折壁に寄り掛かるその姿を見れば、そんな声も出そうというものだった。
「戻りました……って、誰もいないよね」
時刻は既に0時を回った頃。当然ながら、ヨウタたちが戻ってきた保健室に人の姿は無い。
が、代わるようにして、部屋に備え付けられている机におにぎりや卵焼きの乗せられた皿と手紙があった。
「あれ、これ……『よかったら食べてね』だって、おばあさんが」
「おお……おお……ありがてえ……」
「しわっしわのミイラみたいになってるよレイジさん……食べられる?」
「食うよ。おばあちゃんに悪いっつーのもあるし、食える食えない以前に詰め込まなきゃ明日動けねえ」
研修医時代に学んだ、と呟くその言葉には、強い実感が込められていた。
「そんなにひどい職場だったの……?」
「ん……まあ……場所や地位によっても違うけど、研修医はな。まあ、地位があがっても仕事量ハンパじゃねえけど……」
医者って常にそういうもんだ、と朝木は家族のことを思い返しながら呟いた。
「それだけ激務なの分かってたのにお医者さんになろうと思ったのって、やっぱりお金?」
「そりゃあそれもあるけどよ。一番はうちの爺様婆様かな」
「おじいさんとおばあさん?」
「誕生日祝いに行ったりするとさ、『来年はもう死んでるかもしれないけど』とか笑えねえ冗談言い出すじゃん、ご老人」
「こっちでもそういうジョーク言うんだ……」
「そういうの俺スゲー嫌いでさ。なんだけど、まあ……実際そうなったことがあってな。婆様、心筋梗塞で。応急処置が間に合ってたら生きてたかもしんねーんだけど……間に合わなかった。俺、その時に居合わせてたのに何もできなかったのが悔しくて。爺様には二度と『来年は死んでるかも』なんて言わせねえよ! っつって……まあ結果はこのザマだが」
皮肉なことに、そうした経験があったからこそ、彼は今、避難所で明日とも知れない怪我を負った人間の命を救うことができていた。
決して正道ではないが、確かに「人を救った」という結果があったのだ。
「つまんねー話したな。ほら、ニューラたちも食えよ」
「ニュラッ」
「ん、何? 僕が先?」
「ジャノ、ジャーノ」
「ええっと……ありがとう。うん」
ニューラたちは完全にヨウタと朝木との格付けを済ませていた。ここで「いや、レイジさんが先に」と言うのも角が立つ。
目線で謝罪を送りながら、ヨウタは先におにぎりを手に取った。
意外なことに、その後のニューラたちは穏やかな様子で、朝木ともちゃんと食事を分け合っていた。
それは単に疲労から来るものか、それとも何か心境の変化があったのか。それは分からなかったが、皆が仲良くなったのならそれはいいことだ、とヨウタは結論付けた。
――――状況が動いたのは、そのすぐ翌朝のことだった。
「レインボーロケット団の連中がこっちに向かってきてる!?」
朝。寝耳に水、というどころではない報告が上がってきた時、朝木は思わず手に持っていた水を取り落とした。
周囲を混乱に陥れないよう、彼の声は抑えられてはいるものの、その表情は明確なまでに感情をそのまま映していた。
――ヤバい、嘘だろ。こんなタイミングで。まさか昨日ヘマしたのか……!?
不安と恐怖、絶望感といった数々の感情が渦を巻き、朝木の喉奥にすっぱいものがこみ上げた。
ぐるぐると回る目を見かねたためか、即座にヨウタがそこに声をかける。
「レイジさん」
「分からねえ、ヘマした覚えはねえけど、いや、でも、もしかしたら、でも」
「――今、そういう話はしてないよ」
「っ……あ、ああ。そうだな。悪い」
前日の行動を口にして自分に非が無いと主張しかける朝木だが、はっきりとしたヨウタの言葉に冷静さを取り戻す。彼の悪い癖だった。
その通りだ。そんなことをしている暇はない。
「モク太が哨戒してて見つけたんだ。人数は五十人ほど。三十分もしたらこっちに来る」
「三十分……って」
その間に避難を終えることは不可能だった。
この避難所も規模は小さいとはいえ、百人単位で人が詰めかけているのだ。次に向かうべき場所を選定する暇も無く、ただ漫然と逃げるというのは非現実的に過ぎる。
何よりも――。
(動かせるか……!?)
寝たきりになっている者もいるし、足が悪い者もいる。しかし、ストレッチャーのような機器は数が限られ、車を使ってぞろぞろと逃げようものならそこで勘付かれる。
じゃあ、徒歩で行くべきなのか――と、そこまで考えて、彼は一つ思い直した。
(……俺が考えてるくらいのことは、あいつらも読んでんじゃねえのか?)
朝木は凡人だ。一般的な域を出ない考え方しかできない。故に、七人の中では浮いた立ち位置で、作戦立案にも基本的に参加していなかった。
が、その内容と顛末は今でも思い出せる。その多くは、得るものこそあったが「失敗」だ。その経緯が訴える。「これだけであるはずがない」と。
「……ヨウタ君、すぐに逆側確認してくれ。挟み撃ちの形にしてるかもしれねえ」
「あ、そうか! うん、モク太! ごめん、すぐにお願い!」
「ジュナ」
そう応答するが早いか、モク太は風のように上空へ飛び上がった。
数十秒ほどして戻ってきた彼は、ヨウタの目前に数枚の羽根を落とした。数にして八枚。八十人超の敵がいる、という連絡だ。
案の定当たっていた予想に、朝木は小さく胃を痛めた。
「普通に逃げたら人質にされてたか……危なかった……。モク太、他の場所は?」
その問いにモク太は首を横に振って応じる。既に完全包囲が済んでいて確実に死人が出る、というような最悪の状況こそ避けられているが、朝木とヨウタだけではここから死人を出さずに突破するということは不可能だ。
「……どうすりゃいいんだ……」
途方に暮れて、朝木は頭を抱えた。
一点突破という策も不可能だ。ヨウタのポケモンたちには突破力こそあるが、老人がそれについていくことは難しい。
ヨウタは一瞬朝木を見たが、すぐに目を伏せた。
彼を頼ることはできない。まず、性格が戦いに向いていない。彼にできるのは自衛までだ。
「それにしても、何で……」
今は考えるなと言った手前、あまり口にはしたくなかったが、現状を思うと自然と疑問が湧いて出る。
朝木は良くも悪くも臆病だ。無理はせず、自らの限界を悟って、保身的に行動する。
ヨウタたちは知らないが、ヒナヨに仕掛けられた発信機に関してはゲーチスが管理しているため、現在気管支を潰されて絶対安静の状態になっている彼が部下に命令を出すことは難しい。加えて彼らは温泉で別れたため、避難所の位置は基本的に露見しない。これに関しても、実のところ問題は無いと言えた。
そんな折、不意に上げた視線の中で、人影が横切る。その足はまっすぐに外に向かっていた。
「っ、ワン太!」
「アオンッ!」
今外に出すわけにはいかない、その判断からヨウタはワン太を出し、その男の進行方向へとけしかける。そして案の定、男の足は止まった。
強く注意の声を上げようとする。が、折れかけたヨウタの肋骨が悲鳴を上げ、彼に大声を上げさせない。そのことを察した朝木は、代わるように男へ声を発した。
「おいあんた、何やってんだ!」
「ああ!? 何邪魔しやがる!」
見れば、その顔には覚えがあった。前日、朝木に掴みかかった男だ。
その表情には焦燥が貼り付いており、明らかにこの場から離れたがっている。朝木たちとしては外に出てほしくないのが本音ではあるのだが、そこではっきりとものを言えば男がパニックを起こし、避難所全体が大混乱に陥る可能性がある。言葉は選ぶ必要があった。
「そっちは………………狂暴なポケモンがいるのが見えたんだよ! 俺らが対処するから行くな!」
もうちょっと別の誤魔化し方があったのではなかろうかとヨウタは内心でツッコミを入れた。
「嘘つけよ、この愚図!」
「はぁ!? 嘘……いや、何で嘘って分かんだよ!」
その態度じゃないかなぁ。
明らかに焦ったその表情は何よりも雄弁に嘘を物語る。
しかし――彼の語る言葉は、それ以前の問題であった。
「そんなもん、俺があの連中を呼んだからに決まってるだろ!」
予想外の言葉に、二人は愕然とした。
この男が、あの連中――レインボーロケット団を、呼んだ。
「――何で」
「何で? お前らが悪いんだぞ! お前らがここに来なけりゃあ、あんな連中を呼びもしなかったのに!」
「おまっ……馬鹿か! 自分から殺されに行くようなもんじゃねえか!? ふざけてんのか!?」
「はあ? 馬鹿はお前らだろ。お前らを売りつければ、
その言葉に、朝木は渋面を作った。何よりその言葉には、身に覚えがあったからだ。
利己的、かつ保身的な「俺だけは」という言葉。、先日「避難所の人間が殺されるから」という理由で朝木を非難していた人間と同じ口から出てきたものとは思いたくはなかった。
「お前……昨日言ってたことは何だったんだ!? ヨウタ君一人助けるだけで他の全員が死んじゃ話にならないっつってたのは、アレは嘘か!?」
「うぜえんだよお前!
「あ……?」
「誰が支配してようと知るか! 一般人の生活になんか関係あるか!? お前らが無駄に頑張れば頑張るだけこっちの締め付けが厳しくなるだけなんだよ、クズ共があ!!」
――結局のところ。
「みんなが」迷惑をしているというやけに主語の大きな言葉も、全ては「彼」を含む一つの集団を守るためのものだ。根本的には「自分だけが」生き残ることができるなら集団そのものに頓着は無く、自らの言を正当化させて一方的に朝木を言葉で殴りつけるための武器でしかなかったのだ。
そのことに――そのこと以上に、元の生活を守るために戦っている仲間たちや、見ず知らずの自分たちにもよくしてくれた老人たちを蔑ろにする一言に、朝木の心の臓からカッと強い熱が駆け上がる。
「この……馬鹿野郎!!」
「ぐがっ!!」
気付けば、彼は男の頬を殴りつけていた。
体重の乗っていない、いわゆる「手打ち」の殴り方だ。洗練などされているわけもないその一発は、しかし成人男性のそれなりの筋力もあって、男の身体を吹き飛ばす程度の威力は秘められていた。朝木はそのまま男に馬乗りになって胸倉を掴んで引き起こす。どこか歪んだ瞳が過去の自分と重なって見えて、彼は思わず声を荒げていた。
「自分だけは助けてもらえる!? そんな美味い話があるわけねえだろ! 騙されてんだよお前は!」
「なっ……何を根拠に……!」
「てめえの目の前にいる俺が
目を見開く男に、朝木は苦虫を噛み潰したような顔で続けた。
――他の人の希望を奪って自分だけ生き残るなんてのは、賢いことだとは思えない。
いつか、アキラに言われたことが朝木の中で渦を巻く。この男は以前の自分と同じだ。だからこそ、その末路が分かる。
窮地に陥ったら裏切る人間を重用する人間はいない。同じように窮地に陥れば、やはり周りの人間を売り渡して再び裏切る可能性が高いからだ。だから、そうした人間は重用されないし、場合によってはその場で始末される。この男もその手合いだ。朝木自身も、レインボーロケット団に残っていたなら、そうなっていただろう。
「断言してやる! たとえお前があいつらに寝返っても、元と同じ生活なんてできるわけがない。雑用として使い潰されるか、扱いに困って処分されるか、捨て駒にされて死ぬだけだ!」
「ぽ……ポケモンって力があるだろ!」
「ざっけんな! 他人を売り渡って自分だけ生き残ろうなんて野郎が、ポケモンに認められるわけねえだろ! お前も、俺も、ただの賢ぶってるだけの馬鹿な小悪党だ! そういう中途半端なクズが、あいつらは大ッ嫌いなんだよ! だからいつまでも……いやそれはどうでもいい!」
徐々に自虐に入りかけた頭を元に戻し、再び状況に目を向ける。残り時間は二十数分。こんなところでくだらないやり取りをしている場合ではなかった。
「来い、ジャノビー! ツタで適当に縛り上げててくれ!」
「ジャノ!」
「な、うげぇっ!!」
言いたいことは色々とあるが、それでも言っていけばキリが無い。くそ、と地面を蹴りつけながら、朝木はスマホを取り出した。
通話先はアキラだ。彼女たちも忙しい身であることは確かだが、愛媛県にいて最短でも五時間以上はかかる東雲たちを呼びつけることはできない。半ば苦渋の選択だった。
『もしもし?』
「アキラちゃん、俺だ。緊急なんだが、今すぐこっちに来れるか?」
『え、緊急? ……何があった?』
朝であるからか、やや彼女の口調がおぼつかなかったものの、朝木の一言を耳にしたアキラの声は即座に引き締まった。
「レインボーロケット団の連中が避難所に押し寄せてこようとしてる。数は五十と八十。攻めてきてるのは二方向。このまま放置してたら避難所の人が皆殺しにされかねねえ」
『タイムリミットは』
「三十分……いや残り二十五分。間に合うか?」
『……無理だ。今、みんな回復中なんだ。どんだけ頑張っても……間に合うか分からない』
「え、ポケモンボックス手に入れたのか?」
『いや、じゃなくて。昨日のうちに拠点一つ潰したからそこにあったメディカルマシンを』
この子たちはサカキと激戦を繰り広げた直後に何を当たり前のように襲撃などしているのか。
前日の話を考えると、彼女たちは物資を届けるために一度東雲たちと合流するよう動いていたはずだ。アキラの怪我もあり、一晩休んで今朝から動こうとしている、というような状況だったとして、途中で割り込んでしまう形になってしまったのは申し訳なく思うが、いささかやっていることがブッ飛びすぎている。
思わず朝木は頭を抱えた。
『……今から一時間、あいつらが来てから三十分か。なんとか稼いでくれ』
「三十分?」
『それだけあれば、到着できると思う』
戦いの中での三十分というのは、相当な長時間だ。五十人を相手にそれだけの時間を稼ぐなどというのは、およそ絶望的と言っていい。
朝木の顔が、わずかに恐怖で引き攣った。
「俺と……ヨウタ君、だけで……」
朝木にとって、本格的な戦闘はほとんどこれが初めてと言っていい。ポケモンたちの能力もさほど高いわけではなく、幹部級の相手がいればまず負けるだろうという実力でもある。
それでも、戦わなければ、守るべき「患者」たちが死ぬ。その事実を理解したその時――朝木は、恐怖を押し殺して口を開いた。
『無理なら、それでも――』
「いや。いや……やらなきゃ、人が死ぬんだよ。だから、やらなきゃならねえ」
『朝木……』
「でも、俺だけじゃ決心が鈍る。怖くてたまらねえ! ……だから、頼む。はっきり言って、背中を押してくれ……!」
『……っ、分かった』
アキラとしても、強い言葉で仲間を脅すというのは本意ではない。以前は無遠慮に棘だらけの言葉を投げ掛けていたものだが、幾度も治療を受ける中でその態度は自然に軟化していた。
だから、朝木の力が足りないのは致し方ないことだ、と無理矢理にでも自分を納得させかけていたところに差し込まれたその言葉に、アキラは驚いた。
そして同時に、頼まれたからには――正直に、それを告げるしかない。
『――オレたちが向かうまで、なんとしてでも時間を稼げ。アンタが敵を一人でも通せば、力の無い人たちが死ぬ』
「ああ……」
『だから誰も死なせるな。死んでも守り抜け! できなきゃオレがアンタを殺すぞ! いいな!?』
「ああ……!」
力は足りない。死ぬかもしれない。いや、死ぬ可能性の方がよほど高いだろう。
相手は五十人超の集団だ。普段ポケモンたちを鍛えることをおろそかにしているレインボーロケット団員の下っ端であっても、朝木にとってはその一人一人が脅威そのものとしか言いようが無い。
逃げたい。自分の命を守らないと。どうせ俺には無理だ。そんな意思が渦を巻いて――最後に、避難所で出会って、よくしてくれた人たちの顔が思い浮かぶ。
彼らを、彼女らを、死なせていいのか?
――――やがて訪れかねない末路を考えたその時、朝木は生まれて初めて、「保身」を捨てた。
「分かった、守り抜く! アキラちゃんたちも、頼む。急いでくれ!」
『当たり前だ!』
そう言うと、アキラは準備のためにかすぐに通話を打ち切った。
つー、つー、という等間隔のビジートーンが鳴り続ける。朝木は恐怖と絶望感で狂いそうになる心を抑えつけるために、自分自身の頬を殴りつける。
「レイジさん!?」
「……ヨウタ君。怪我してるとこ悪ぃけど、後ろの方の道、任せてもいいか」
「い、いいけど……まさか、本気!?」
「今俺がやらなきゃここで何人殺されるんだよ。逃げ場なんて無いんだ、だったら、やるしかねえだろ!」
半ば絶叫めいたその声に、ヨウタは「みんなと一緒に逃げてほしい」という本能を理性で押しとどめた。
確かに、朝木が前方の五十人を押し留めることさえできれば、挟撃を避けてそのまま突破する目が出てくる。
しかし、そのためには――――。
「死ぬかもしれないよ」
「分かってるよ」
アキラほどの身体能力や戦闘技術があるわけでもなく、ヨウタほど強いポケモンを従えているわけでもない。戦闘勘にも欠ける。そんな彼が真正面から五十人もの敵と当たれば、ちょっとしたきっかけで死ぬ可能性は高い。
それでも、と朝木は先のアキラの言葉で沸き立つ胸を強く押さえた。
「けど守り抜けなきゃ俺、アキラちゃんにぶっ殺されっからな」
あくまで「それ」を言わせたのは朝木自身だ。しかし、この旅を始めるきっかけとなった彼女の口から言ってもらったことで、どこか朝木は自分の背中を押されたような気持が湧いていた。
「背中は任せてくれよ。俺も『大人』だからな。年下の東雲君たちがちゃんと『大人』をやってるのずっと見てきてんのに、俺ができなきゃ死んだほうがマシだぜ」
無理に笑って見せる朝木の顔を見ると、ヨウタはそれ以上何も言葉を告げることができなかった。
代わりに、彼に一つボールを投げ渡す。ラー子のボールだ。
「任せるよ」
「――おうよ!」
レインボーロケット団の襲撃部隊がやってくるまで、残り二十分と少し。
その間、彼らは必死に避難所にいる市民の準備を整えていった。