先に「彼女」と矛を交えた団員に、曰く。
その在り方は獣のそれに近く、剥き出しの闘争心によって敵を撃滅する悪鬼羅刹。
あるいは、閃光のように突如として戦場に現れ、壊滅的な被害をもたらす雷の化身。
あるいは、頼むから私の前に姿を見せずにどこかでひっそりと死んでいてくれと思わずにはいられないほどの恐怖の象徴。
これらの証言はいずれも団員それぞれの立場に基づいてのものであるため、客観性に著しく欠けるが、同時に彼らが刀祢アキラを指す言葉にはある共通点がある。それは、言うなれば彼女が「殺意の塊」であるということだ。
もっとも、彼女自身は人を殺す気は無い。最も直接的な被害を受けたビシャスでさえ、最終的には「再起不能」に留まった。彼女自身にも強い自制心がある以上、実際にそうなることはまず無い。
しかし、相対する相手にとってそれは関係ない。「殺される」と僅かにでも感じればその心は委縮する。濃密な死の気配から逃れようと躍起になり、思考力が低下する。言うなれば、彼女にとってその殺意もまた「武器」のひとつと言えよう。
時に。
人間というものは、往々にして自分を良く見せようとしがちだ。いち組織の幹部ともなれば体面や見栄を気にしなければならない立場ともなるためそういった傾向はより顕著で、自分を低く見られないようにするために、わざと相手を持ち上げることがある。
あるいは、彼女があまりに畏怖されるようになったのは、そうした評が独り歩きした結果ではないか?
一瞬前まで、コウイチはそう考えていた。
「――――――」
――
コウイチは、少女の姿をしているだけの魔獣めいた存在に、言い知れない恐怖を覚えた。
一瞬は逃げることも考えたが、そのためには彼女から背を向けなければならない。ドス黒い殺意の波動を振り撒く
「へへっ……」
コウイチが戦々恐々とする一方、この空気を感じ取ることすらできず意気揚々と前に出る者がいる。良く言っても鈍感、有体に言えば脳機能に割くべきリソースを全て体と自尊心の肥大化に充てたような男だ。
「現地人部隊のお上品なお医者様はビビッて戦えねえらしいなぁ。だったらこの俺様が、こいつをブッ殺して賞金をいただいてやらぁ!! 行け、ハリテヤマァ!」
「ハリァッ!」
大きさにして2m強。アキラを見下ろすようにして現れたハリテヤマは、250kg超という体重からは想像もできないような素早い動きで、トレーナーと共に彼女へと突撃した。
コウイチは、あえてその無謀な突撃を止めることは無い。頭の出来がどうであれ、ハリテヤマまで育て上げた実力だけは間違いない。相手がどれほどの強さかが分かればそれも良し、万が一勝ってしまえば、それもまあよし。言うなれば試金石だ。彼らは息を飲んでその激突の結末を待つ。
――次の瞬間、ハリテヤマは男と共に
彼らは、何が起きたのか理解できなかった。「テレポート」の応用か? そてとももっと別種の能力か?
様々な疑問が渦巻きながら、それが僅かながらも解消されたのは永遠とも感じられる一秒の後。アスファルトに深く刻まれた亀裂と縁取るように灯った火炎、そして少女の隣で脚を突き出しているバシャーモの姿を見た時だった。
その足が突き出された先には、血達磨になって転がされている下っ端とハリテヤマの姿がある。手足は曲がってはならない方向に曲がってしまっており、どのように見ても再起不能の状態であるのは明らかだった。
(――つまり)
現象としては、「人間に視認できないほどの速度で蹴り飛ばされた」という、ごく単純なもの。それが示しているのは、明瞭なまでの力の差と、お前たちもこうなる/するという宣告だ。
「フェローチェ!!」
唯一勝つ見込みがあるとするならば、それはフェローチェの素早さを利用した攻撃に他ならない。
コウイチの指示に反応したフェローチェが、目にも止まらぬ速さでチャムを無視して一直線にアキラへと肉薄する。
ポケモンの中でも三本の指に入るほどの速度を持つフェローチェによる一撃だ。これを防ぐことができるトレーナーなど存在しない! その確信のもとに「とびげり」が放たれる。雷の速度を遥かに超えるとなれば、たとえカプ・コケコが相手であろうと防ぐことができる道理は無い。
「▲▲▲」
――
「フェロッ!!?」
アキラへと「とびげり」が直撃しようかというその刹那、フェローチェの全身に強烈なエネルギーが浴びせられ、彼女は勢いよく地面に叩きつけられた。
アキラの冷たい視線がフェローチェを射抜く。フェローチェはそれに怒りを覚えるよりも先に、強い恐怖を覚えた。スピードという一点において彼女はまず、この世界において敗北するようなことはありえないと思っていたからだ。
次いで、その視線は上空へと――そこに浮いている、赤と青、二色で彩られた異質なポケモンへと移る。コウイチもまた、そのポケモンを見て目を剥いた。
「な……ッッ、フェローチェェ!!」
「殲滅する。纏めろ」
「▲▲」
そこで自らの危機感を疑うことなく迷わず「逃走」という手を選び、フェローチェを呼び寄せることができたことは、紛れもなくコウイチの実力の高さを示していると言えるだろう。
直後、ノーマルフォルムに戻ったデオキシスはその場で両腕を交差させた。その動作に合わせるようにして、周囲に散っていた団員とそのポケモン全てがアキラの目の前に集められていく。「じゅうりょく」か、あるいは「サイコキネシス」の応用であることを悟った時には、もう遅かった。
「バッシャァァァァッ!!」
携えた巨大な火球を直接ぶつける、「フレアドライブ」。その一撃で、先の嵐を乗り越えた精鋭の団員は、全滅となった。
アキラが現れてから、ほんの一分弱。彼女はその間、ゴミでも見るかのような冷たい表情を一切崩すことは無かった。
――お前など眼中に無い、と言われているかのように感じるほどに。
「――撤退だフェローチェ!!」
戦えば確実に負ける。そのことを理解した時点で、コウイチの行動は確定した。他の何を捨て置いてでも絶対に逃げ切ることだ。
雷よりも速いというフェローチェに抱えられれば、まず確実に逃げることができる。その際の負荷は尋常なものではないが、ここで倒されるよりはよほどマシだと自分自身に言い聞かせる。
コウイチは現行世界にとって紛れもなく裏切り者だ。自らの意思で「勝ち馬」に乗った彼が再び元の世界の陣営への帰順を求めたとしても、受け入れられない可能性は非常に高い。それどころか彼の弟への仕打ちもある。まず拘束され、日の目を見ることは二度と無いだろう。彼もその程度の勘定はできていた。
加えて、この場においては討伐隊を壊滅させられるという憂き目に遭っても、レインボーロケット団そのものは未だ盤石の体制だ。少年少女の二桁にも満たないような寄り合い所帯で、何ができるというのか。
「次は必ずレイジ諸共に殺す……!」
彼はそんな捨て台詞を吐くので精いっぱいだった。しかし、同時にそれは紛れもない事実だった。
「次」、チャンスさえあれば確実に彼らを圧殺するだけの戦力を本隊に要求できる。それはアキラも理解しているところだった。
故に。
「次なんて無い」
彼女は逃走を許さない。
「何!? おっ、がぁぁぁっ!!?」
「フェロオォォッ!?」
逃走しようというその刹那、フェローチェとコウイチの脚をアタックフォルムへと変化したデオキシスの触腕がまとめて貫き、地面に縫い付けたのだ。
「ひとり野放しにするだけで、何十人も何百人も人を殺すようなお前たちに……二度と『次』なんて与えるものか」
日の光の下にいるというのに、アキラの表情はその髪で影がかかったように、窺い知ることができない。瞳だけが濃厚な殺意を放って煌々と輝くことで、そのまま彼女の言葉の本気さがコウイチにもはっきりと理解できた。
「終わりだ」
紅の残光が尾を引いて、高速でコウイチに迫る。
この戦いは全て、自分たちが優位に進められていたはずだ。だというのに、それがいったいどこで狂ったのか。こんな相手と、いったいどうやって戦えばよかったのか――数々の後悔が噴き出していくのを感じながら、コウイチは自分の顔面の骨が砕ける音を聞いた。
〇――〇――〇
「これはひどい」
――というのが、事後になって改めて二か所の戦場を目にしたヒナヨの感想だ。
徹底的に破壊しつくされた地形、なぎ倒された木々、そしてそれらに巻き込まれて
ただ、それで彼が怒り狂っていたのかと言うと、そういうわけではない。どちらかと言えば逆。極めて冷静な判断のもと、一般人を逃がすために最大効率で敵を即時撃滅するための手を取っただけだ。ただ、それが味方からもドン引かれるほどだったというだけである。
他方、アキラの向かった戦場も、ヒナヨが目を覆いたくなるような惨状だった。
あえて周囲に被害を散らすことで人的被害を最小限に抑えたヨウタとは異なるが、こちらも凄まじく効率的に敵を倒している。全員を血達磨にするかたちで。
あまりの凄惨さにヒナヨはうへぇと声を漏らしたが、そもそもこの暴力が彼女に牙を剥く可能性は二度もあった。スパイという事実が露見した時と、アキラの脳が書き換えられかけた時だ。彼女はどちらの時も難を逃れることができた幸運さに感謝した。
ともあれ、一連の戦闘が終わった以上、これ以上あの避難所を使い続けるわけにはいかない。
ヨウタたちが身を寄せていたという事実だけで、レインボーロケット団にとっては攻め入って略奪を行う理由になるからだ。
それを踏まえた上で、ヨウタたちは次の避難所の選定を行わなければならなかった。
その最中のことである。
「何その格好……」
「聞くな」
「いや、でも」
「やめ
ヨウタは、明らかに
必死に唇を噛んで笑わないよう努めているが、いつ噴き出すことやら分からない。当のアキラは戦闘時の冷静さ、冷徹さをかなぐり捨てたように真っ赤になった顔を隠していた。
普段の彼女が着用しているのは、ごくありふれた無地のTシャツに同じく無地のパーカー、丈が短めのクロップドパンツだ。あるいは少年のようにも見えるように服を選んでいるのは、彼女にとっても意地だったのだろう。
ところが今はやけに
隣でやけに得意げな表情をするヒナヨを他所に、ヨウタは戦慄した。
「気でも狂ったのか?」
「言い方考えなさいよ。それにこれはアキラじゃなくて私プロデュースよ」
「え? あ、あー……」
ヨウタはヒナヨとアキラの着用している衣服を見比べて、なるほど同じセンスで選ばれた服だと理解した。
スカートの下にレギンスを履いているのは、彼女の体術を阻害しないための心遣いか、それともアキラの唯一の抵抗か……いずれにせよ厚意でやっていることだから受け入れないというのも角が立つ。彼女に選択肢は無かった。
しかしいずれにせよ、似合っているのは確かだ。裏の事情を知っているヨウタとしては思わず笑ってしまいそうになるというだけで。
「いい素材してるのに戦ってるからってそれにまるで気を遣わないのってどうかと思うのよ私。衣食足りて礼節を知るって言うでしょ? 特に『衣』、身なりの部分がきちんとしてないと自分のことも他人のことも気にしなくなっていくの」
「じゃあ元の服と似たようなのでも……」
「ダメ。却下。お断り。どうせ戦いが終わって日常に戻った後もずっとあのままのつもりでしょ?」
「…………」
そこに関してはアキラ自身も自覚はある。そもそも、元の性別に戻ることができるかどうかすらも曖昧なのだ。永遠に元に戻らない可能性すら有りうる。慣れておかなければ今後の人生で大きな苦労を負うことになるだろう。
根本的な事情を話せていないとはいえ、友人としてのアドバイスだ。アキラ個人も一理あると思うからこそ、それに異を唱えることはできなかった。
「少し真面目な話に戻そうか。レイジさんの容態は?」
「……それなら問題無い。見た目はちょっと……ひどいけど、『いやしのはどう』を併用して治せば跡も残らないと思う」
具体的に検査を行っているわけではないが、アキラはその能力の特性上、怪我の容態というものを一見しただけでもある程度は理解できる。
鎖骨の不完全骨折、肩の脱臼と上腕骨折、顔面の裂傷など、大小様々な傷を負っていることが分かったが、内臓や脳へのダメージは最小限だった。ほとんど無意識的に自分の身体の中で、致命的な怪我になりそうな部位を守っていたのだろう。
「それにしてもさ、二人とも
「ああ」
実際のところ、朝木レイジは先の戦闘で三十分間を凌ぎきったわけではない。
むしろ逆だ。実力不足もあって、彼が実際に稼ぐことができた時間は十五分と少々。時間だけを見ればアキラたちの指定した時間の半分ほどだ。
「どうやって来たの?」
「デオキシスの『テレポート』。問題はどこにいるかだったけど、そこは脚で稼いだ」
「回復にかかる時間もそんな長くなかったんだけど、盗聴も警戒して遅めの時間を指定しといたのよ。万が一聞かれても、『じゃあこの間は』って油断するでしょ?」
「マラソンとかでやる『次の電柱までは頑張って走ろう』作戦の亜種とでも思ってくれ。三十分って言われたら三十分頑張って戦おうって思うだろ」
結論から言うと頑張らせすぎたわけだが……と、アキラは苦い顔を見せた。
朝木のこれまでの行動パターンもあって、アキラ自身は彼は無理をせず自分にできる程々の段階を見極めて適当なところで撤退すると思い込んでいたのだ。
しかし、その予想は良くも悪くも覆された。捨て身の攻撃で幹部格と思しき男にも痛手を与えたが、常の訓練不足が祟って途中で戦闘不能に。危うく殺されるところだった。
「普段からもうちょっと訓練に励んでてくれてたら防げたかもしれないけどね」
「逆に言うとこれから頑張ってくれるかもしれないわよ」
「アキラはどう思う?」
「何だかんだ今までやってなかったのは『自分がやっても意味無い』っていう感じの諦めがあったからなんだと思うし、訓練も受け入れやすくなるんじゃないか」
その辺りの諦めを含めたネガティブな考え方が、今回の戦いのおかげで少なからず解消された――言ってみれば、人間として「一皮剥けた」ような状態になったと言えるだろう。
……と、日頃と同じ淡白な口調と内容で語る彼女の声音は、以前に比べるといくらか優しく穏やかだ。
臆病であっても、誰かを守るために戦った「尊敬する大人」に、アキラは労わるような笑みを向けた。
風邪でダウンしてました。
季節の変わり目ですので皆様もどうぞお気をつけて。
〇「彼女」と矛を交えた団員
だいたいライバル感出てきたあの人。