ここからの戦い、もしかすると自分の行動こそが鍵を握ってくるのではないだろうか?
そんな気持ちで意気揚々と石鎚山に向かった朝木は、一歩山中に足を踏み入れた段階で、寒さに震えながら自分の軽率な考えを後悔していた。
「…………」
文字通り――死ぬほど寒い。
人間の生存限界ギリギリ、どころか遥かにそれを下回る気温だ。人は寒さで死ぬのだと、温暖な気候のもと住んでいるため普段はまるで湧きもしない思考が、実感を伴ってやってくる。
「マニュッ!」
「…………」
口開けてらんねえ、と割と切実に、彼は隣で何やらはしゃいでいるようにも見えるマニューラ――先の特訓の際、アキラたちの持って来た物資のおかげで進化した――へ、ジェスチャーで示した。
全身を防寒具に包んでいてようやく活動できるほどの寒さだ。下手に粘膜を露出してしまえば凍傷になるし、悪化すればそこから壊死していく。
状況として良くないのは、マニューラ以外のポケモンがこの雪山を歩くのに非常に適していないことも含まれる。
というのが、そもそもマニューラとブロスターを除く三匹はいずれも寒さに激烈に弱い。そしてブロスターも
――冬眠するのだ。どのポケモンも。
唯一クロバットは単にこおりタイプに弱いだけで冬眠するわけではないが、戦闘でもないのに吹雪の中で飛んでもらう、というのはあまりに酷だ。結局、マニューラだけで捜索することになってしまっていた。
マニューラ自身の能力――というか、木に引っかき傷を作って遠く離れた場所にいる同族とコミュニケーションを取り合うという生態を利用していることもあり、伝説のポケモンの捜索自体は順調そのものなのだが。
(俺の推測が正しければ、って言いはしてみたけど、実際どうなるか分かんねーんだよなぁ)
朝木は洞察力に長けた方ではないし、予測も得意ではない。
ただ唯一、彼は自分のことだけはよく理解している。そして己に通じる俗物のこともよく理解している。
それに当てはめて考えるなら――――。
(……それでも、まああいつは来るだろ)
ゲーチスは先の本拠地襲撃の折、自ら引き入れたヒナヨに裏切りを受け、アキラと物資をまとめて奪われるのを阻止できなかったという致命的な失態を侵している。オマケにタワーそのものの基部を破壊された。修復にはそれなりの日数がかかることだろう。
これを挽回するためには、それに値するだけの成果が必要になる。例えば、伝説のポケモンを捕まえる。例えば、今まで誰一人倒せなかったヨウタたち七人の内の誰かを始末する。
(食いつかざるを得ねーんだよな。と言うよりも、
無論、「あの」ゲーチスは、一度世界を手中に収めることができたほどに優れた頭脳を持つ。しかし、状況が状況だ。焦れば焦るほど、人は能力を発揮できなくなる。いかに明晰な頭脳を持っていようと、腐らせる。
人が人である以上、心の動きとそこから生じる能力面の揺らぎからは逃れることはできない。制御できる人間がいるとすれば――そう考えた朝木の頭に浮かんだのは、アキラだった。彼女は冷静沈着で常に心を闇に沈めたような戦い方をするが、怒ったら怒ったで逆により頭が冷静に回るようになる
それだって彼女個人の資質によるものが大きい。もしもゲーチスが同じことをやろうとすれば、破綻するのは目に見えている。
「準備がどこまで通用すっか……」
ぽつりと呟くと同時に、朝木は自分の口が文字通り凍りかけるのが分かった。
やべえ、と頭の中で叫びながらネックウォーマーを口元まで引き上げる。
「ニュア?」
「お前は平気そうだな」
マニューラは防寒具など身に着けてはいないが、当然のように口を開いていて、何のダメージも負っていない。
種族の特性によるものなのだろう。正直に言って、朝木はちょっと羨ましかった。
しかし、こおりタイプのポケモンなのだからマニューラは他のポケモンのように体温は高くない。外気よりもマシというだけで、抱き着こうものなら容赦なく体温を奪われることだろう。ほのおタイプのポケモンもエスパータイプのポケモンも手持ちにいない朝木に、この環境はいささか以上に過酷であった。
(みずタイプの「ねっとう」……無理だな、すぐ冷えて逆に死ぬ。電熱……なんか痺れるだけだろうしな。けど、逆にコレここまで寒けりゃ何がいるかなんて丸わかりだ)
こおりタイプのポケモンは数多くいるが、その中で「伝説」と呼ぶに足るポケモンは多くない。
朝木が即座に思い浮かんだものは三匹。そのうち、周囲一帯の環境を激変させるだけの力を持つものは――。
「マニュ」
「ん? おう」
思考の途中で、マニューラが爪で朝木の服を引っ張った。人間には感じられない微弱な振動を感じ取り、敵がやってきたことを伝えているのだ。
朝木は大きなため息をついた。やっとか、という思いと同時に、はえーよ、という思いも生じる。準備は可能な限りしていたが、だからと言ってそれが通じるとは限らないし、何より朝木の能力が他の面々の誰よりも低いことは、彼自身が自覚している。勝てるかどうかは賭けだ。
それでも彼は、ぐっと堪えて恐れを押し殺した。
(……なんとかするっきゃねえ。アキラちゃんやヒナヨちゃんも……そうだ、全員俺より遥かに分の悪い賭けしてるんだ。俺が引いたら皆のやってきたことが台無しになっちまう)
そうしているうちに、遠方から地鳴りのような音が響く。冷や汗が流れるのを感じたと同時、朝木はそれが山頂からの音であると気が付いた。
――雪崩だ。
「お、おおおおっ!?」
「ニュラ!?」
先制攻撃を受ける可能性は既に想定していた。しかし、それはあくまで個人か集団による奇襲、包囲といった攻撃であって、こういった環境を利用した圧倒的質量による攻撃は想定の外だ。危機感を覚えるより先に朝木はガブリアスをボールから出した。彼は前方からの雪崩と寒さで目が飛び出しそうなほどに驚きを露にしているが、今はそれどころではないとして、朝木はその場に大きめのプラスチック製のソリを置いた。
「逃げるぞ! 飛べガブリアス!」
「ガブ!?」
「ニュッ」
え、マジで? と言わんばかりにガブリアスはマニューラにしがみつかれている朝木を振り返った。
彼はそもそもが「戦力」として抜擢されたポケモンだ。これまでに参加した訓練もそのためにやってきたようなもので、ここで即逃走というのは肩透かしもいいところである。
しかし、それ自体は朝木にとっても本来望むべきところではない。
「こんだけクソ寒い雪山にいやがるくせに周りの被害なんて考えず、自分が巻き込まれねー前提でぶっ放してきてんだよ連中! 断言してもいいが連れてきてんのは十中八九『まともじゃねえ』ポケモンだ! 例えばアキラちゃんのデオキシスみてーにな!」
「!」
順序立てて説明されたことでガブリアスの側も理解に至ったらしく、「え、やべーじゃん」とでも言いたげに口を閉じられなくなった。
そこで即座に行動に移すことができたのは、事前にカプ・コケコやデオキシスといった伝説のポケモンの力を目の当たりにしていたことが大きいだろう。脅威度が文字通り身に沁みて理解できている現状、逃げることそれ自体が戦術の一環とすら言えた。
「よォし逃げるぞ! せぇのオ゛オオオオォッ!!?」
「ニ゛ュ――――!!」
「ガァッ!?」
――ここで着目すべきは、ガブリアスの飛行速度だ。
マッハポケモンの名前が示す通り、その最高速度は音速を優に超える。初速はそこまでは至らないとはいえ、全力で逃げ出そうというのだから、その加速度もそれに伴う負荷も、普通の人間である朝木に耐えきれるものではない。彼は肋骨が軋みを上げ、内臓が潰れかけるのを感じた。
悲鳴を聞くことができたガブリアスがすぐに加速をやめたため大事には至らなかったが、彼はゴーグルをはじめとした防寒具で完全防備の態勢を整えていた自分を心から褒めてやった。
「ニュ……マニューラ! て、敵は!?」
「ニュッ!」
亜音速の軌道の中、それでもマニューラの目は確実に敵の存在を捉えている。
鋭く振り抜かれた腕の先から、「こおりのつぶて」が投擲される。灰色の空に浮かぶ白い影へと空気を切り裂いて氷塊が叩きつけられた――その瞬間、氷は影も残さず蒸発した。
土交じりの濁流じみた雪崩をを見送り、朝木はマニューラに続いて「敵」の姿を見据える。
ただ存在している、それだけで周囲の大気を揺らめかせるほどの熱量を持つ純白の竜。そして、その背に乗って忌々しげに朝木を睨み返す黒衣の男――レシラムと、ゲーチス。
朝木にとっては紛れもなく今回の
視線が絡む。それと同時に朝木は両腕を前に突き出し、思い切り中指をおっ立てた。
そして直後、彼は瞬時に背を向けて脱兎の如く逃走した。
その行動のなんと素早いことか。ゲーチスは思わず閉口した。と同時に、朝木が
「レシラム、『あおいほのお』!」
「ルゥゥーアァァッ!!」
「ッ、来るぞガブリアス! 上しょおヴェェェェッ!!」
朝木の危険察知能力もさしたるものである。アキラたちとの特訓によって、より強いポケモンの存在とその苛烈な攻撃のことを理解していることもあり、背後から迫る圧倒的な脅威に対して半ば自動的に体が反応するようにすらなっているのだ。
空間すら焼き尽くし、大気の水分すら根こそぎ蒸発させるほどの一撃だったが、慣性すら無視するほどのガブリアスの急上昇に対応しきれず、蒼い火炎は空を切る。朝木の身体もまた悲鳴を上げたが、彼はあえてその痛みを無視した。
骨は折れていない。内臓は傷ついていない。ならば動くことはできる。と言うよりもこの程度のことで動くことをしなければ目の前のゲーチスに殺されるしゲーチスに殺されなくとも他の誰かに殺される。主に
「ぐ、う、おおおお……ッ! ま、マニューラ! 『シャドークロー』!」
「ニュァッ!」
「クゥァァッ!!」
レシラムの直上に位置取ったその段階で、マニューラの爪が黒く閃いた。深い影のように薄暗い色合いのエネルギーがレシラムに向けて放たれ、その外皮を薄く裂いていく。
しかし、裂けたのは薄皮一枚程度。ダメージがまるで無いというのは遠目からでも見て取れる。
「『伝説』にその程度の力が通用するとでも……!?」
「レシラムに効こうが効くまいがテメーに当たりゃ一発だろ!」
「この期に及んで奇跡頼り……愚かなことです」
ゲーチスの顔が、明確に侮蔑に歪んだ。
それは力の差が明白であるにも関わらず挑みかかってくる愚か者への侮蔑であり、同時に「やりようによっては勝ち目がある」という考えへの明確な否定だ。
「『ハイパーボイス』」
「―――――――!!!!」
「なっ、ぐおあああああっ!!?」
「ガアァァウ!!?」
「ニャァッッ!!」
瞬時に、
生物にとって防ぐことのできないものの代表格が、音と温度による攻撃だ。大気が存在する限り振動である音の伝達は止められないし、また、気温もそのまま伝達される。完全な真空を作り出すことで防ぐことはできるかもしれないが、人間は当然そのようなことはできないし、ポケモンでもそれができるものは限られる。
そして、レシラムはそれができるポケモンだ。瞬時にゲーチスを覆うように熱の幕を作り出し、一瞬の間真空の壁を作り出す。「ハイパーボイス」による音波は本来まったくの無差別な攻撃だが、ゲーチスはそれに守られダメージを負うことは無い。
対して、ダイレクトにそれらを受けた朝木たちは、全身に痛烈なダメージを負うこととなる。
「あっ、が――――く、クロバット!!」
ガブリアスがダメージを受け、落下する。それは同時に朝木もまた相当な高度から落下するということだ。ポケモンたちは落下程度ではダメージになるかも怪しいところだが、生身の人間である朝木は確実に死ぬ。考えるよりも早く、彼はクロバットをボールから出していた。
(誰だよこいつをボスの中で一番弱いっつったの! 俺じゃ手に余りまくるぞ!!)
しかし、それも事実ではある。ゲーチスは六人いるボス格の中では、間違いなく最弱だ。一流に片足を突っ込んでいるヒナヨやアキラ、既に特級のトレーナーであるヨウタだからこそ言えることではあるが。
そもそもポケモンの中でも進化に要するレベルが非常に高いはずのサザンドラを手持ちに加えている――場合によっては強制進化マシンを使った可能性も考慮できるが――以上、彼のトレーナーとしての能力は高い。ただ、元の世界であればN、こちらの世界に来たのであればダークトリニティといった優秀な配下がいるため、その実力を披露する必要が無いだけなのだ。
そうして配下に任せきりという事情もあって、根本的な部分で彼の腕は錆びついている。――ただ、それを補って余りあるほどに、伝説のポケモンがオーバースペックということでもあった。
「く――――、ッ!!」
――チリ、と不意に朝木は首筋に焼けるようなごく小さな刺激を感じた。
以前にも味わったことのある感覚だ、と知覚すると同時に、彼は自身をゆっくり地面に降ろそうとするクロバットの背を叩いた。その一動作でクロバットも何かが起きるということを察し、朝木を振り回すような格好になってでもその場を離脱していく。
そうして直後、寸前まで朝木たちのいた空間を、途方もない威力の「らいげき」が貫いた。
空間を穿つように落ちて行った一撃は、そのまま地面へと激突し巨大なクレーターを刻み込む。露出した山肌を目にすると、朝木の冷や汗が止まらなくなった。
(一度アキラちゃんに電撃食らってなけりゃ、今頃……)
奇しくも、朝木の命を救ったのは、アキラと出会った時に食らった電撃だ。あの時の痛みと恐怖は今でも心に焼き付いており、電撃と見ると今でも体がすくむ。
高レベルのポケモンの電気ともなれば、もはやそれそのものが「死」を臭わせるほどだ。先程の攻撃などはその典型だった。
「やっぱりいやがるかよ、ゼクロム……!」
灰色の雲に彩られた空を切り裂き、雷雲を纏って漆黒の竜が降り立つ。
その瞳には確かに朝木の姿が映っているものの、しかし、同時にゼクロムは微塵も彼に興味を持っていない。ただ路傍の石でも見ているかのような面持ちだった。
「落ちていれば、楽に死ねたものを」
馬鹿言え、そう簡単に死ねるわけねーだろ――と叩こうとした減らず口は、直後に叩きつけられるように放たれた無数の火炎と雷電によってかき消された。
言葉を発するどころではない。意識を切らせばその瞬間に間違いなく死ぬ! はっきりとした確信を持って朝木はクロバットの脚を掴む手に力を込める。
その姿を、ゲーチスは忌々し気に見つめた。
「不可解で、不愉快なことですよ。あの集団の中にあって、あなただけがあまりにも程度が低い人材なのです。だと言うのに、あまりにもよく粘る……」
稲妻が大地を穿ち、火炎が木々を焼き払う。その中にあって、朝木はギリギリのところで生き残っている。
自由に動くこともままならない空中から地上に降りたせいで、全身は雪が解けたことで生じた泥にまみれ、防寒具ももはやまともな形を保っていないが、それでも立ち止まることなく走り続け、攻撃を躱す。
その行動は生存本能から来るものと言うには、あまりにも反抗の意志に満ちすぎている。明確な目的ありきの行動だ。それはゲーチスの目にも明らかだった。
「あなたが企んでいることを言い当てて差し上げましょう」
――無意味なことだ、とゲーチスは嘲った。
「あなたの狙いは、レシラムとゼクロム。この二匹を私から引きはがすことだ」
そう告げた瞬間、朝木の表情が強張った。
図星を突かれたのだ――ゲーチスは暗い感情をたたえてほくそ笑んだ。
「あまりにも愚かで、浅はかだ。あなたはこの旅の道のりで変わることができたと、
レシラムとゼクロムがトレーナーを自らの主と認める条件は、「理想」と「真実」、それぞれが司る資質を満たす必要がある。
当然、ゲーチスにそうした資質は無い。より英雄としての資質を持つトレーナーが現れれば、レシラムもゼクロムもゲーチスの制御から離れてしまうことだろう。彼はあくまで仮の主。本質的に二匹の竜を御することなどできないのだ。
だからこそ、朝木はその一点に賭けたのだ。この旅を通して成長した自分であるからこそ、彼らに認めさせることができると考えた。そうゲーチスは推測する。
「あなたは常に流されて行動しているだけで、一人で私に挑むという英雄的行動も打算から行っている。これでどうして認められようか! レシラム、『クロスフレイム』! ゼクロム、『クロスサンダー』!」
「コォォォォォォ――――!」
「ギガアアァァァッ!!」
ゲーチスが二匹に命じたその瞬間、彼らはその尾から吐き出す火炎と稲妻を絡ませ合った。
互いが互いを食い合い、あるいは増幅し合うことでそこに内在するエネルギーが膨張する。
ここまで、いちいち狙いをつけてから朝木へ攻撃を行っていたのだが、それは非効率なものである。伝説のポケモンが大した力を持たない一般人を狙うというのは、戦車で蟻を狙うようなものだ。強すぎる力がかえって邪魔をしてしまっている。
ならば、とゲーチスが考えたのは、周囲一帯を消し飛ばしてしまうという作戦だった。
粗雑極まりない発想だが、朝木は彼の想像以上にしぶとく、しかし矮小な男だ。上から丁寧に踏みつぶしさえすれば、どうということの無い相手でしかない。
普段であれば必ず帯同しているはずのダークトリニティがいないのは、レシラムとゼクロムの全力戦闘を行うのに邪魔になりかねないからだ。彼らも有能なトレーナーだが、伝説のポケモンの広域殲滅攻撃に晒されればタダでは済まない。
「ババッ……クロバッ!」
「う、おおおおおおおおおおあぁぁっ!!」
――その狙いを誰よりも素早く察知したのは、クロバットだった。
彼は再び朝木の身体を掴むと、高速で空に向かって飛び立ったのだ。山肌に向けて二筋の光が撃ち放たれると、それに伴い途方もない破壊の嵐が生じた。着弾と同時に生じた衝撃波によって弾丸のようになって飛んでくる木々や砂礫を、自らの身で防ぐことで、クロバットは朝木の体だけはなんとかして守り切ることができていた。
しかし、それでもダメージは甚大なものとなる。衝撃を逃がすために空に跳んで逃げたまでは良かったが、着地のことまでは考慮に入れていなかったのだ。
朝木は折れたか、あるいは単に筋を痛めたか分からない腕を懸命に振り、ジャローダをその場に出し――めき、という音と共に落下する。
「ガッ……!!」
「ジャロロ!」
ジャローダの身体がクッションになることで落下の衝撃を緩和することには成功したが、朝木の身体は大きな悲鳴を上げていた。
「がっ、はぁ……!」
「あなたのように浅薄な人間の考えを読めないとでも思っていましたか? レシラムとゼクロムを連れているのは、あなた如きが英雄としての資質を備えることなど、絶対にありえないと理解していたからですよ」
「……く、ッ……! く、そ……んな……」
朝木は唇を噛んでその場に崩れ落ちた。
彼はずっと流されるがままに動いてきたのだ。その行動の目的も、多くは「仲間がそうしているから」という極めて消極的かつ自分自身の意思が介在していないものである。
仮にそれが利己的な目的であっても、ゲーチスも「理想の世界を作る」ことを目的としている以上、それすらも無い朝木よりもよほどレシラムやゼクロムを操るに足る資格を持つと言えよう。
「……そんな……こと」
しかし、彼の口から零れるものは、嘆きではない。
「知ってんだよ、このゲス野郎!!」
「!?」
罵倒じみた啖呵を切ると同時――周囲に凄まじい冷気が満ちる。
レシラムの熱量すらも凌駕し、凍えさせるほどの、それこそ絶対零度とすら思わせる冷気だ。それはぬかるんだ地面をも凍らせ、霜を降ろし、それどころか満ち満ちていく冷気によって水晶めいた氷の柱までもが屹立する。
――これだ。
この瞬間を待っていたんだ、と朝木は唇の端を吊り上げた。
「俺に英雄の資質が無い!? ンなこと俺自身が誰より知ってんだよボケッ! 俺がここに来たのはな、テメーを……
ヒュオ、という音と共に、身を切るような風が通り抜ける。
いや、それは音ではない。空洞を抜けていく風のようだが、紛れもなくそれは鳴き声――歓喜に満ちたポケモンの
「ルァァァァァッ!!」
「ぬ、おおおおおおおおおっ!!?」
次の瞬間、レシラムを叩き落すようにして、上空から腕のような、あるいは翼のような――数十メートルを超す氷塊が叩きつけられる。
ゲーチスは心の中で鳴り響く警鐘に従い、レシラムに指示して地上に転がり落ちるように降りると、「それ」を行ったポケモンの姿をようやく目にした。
氷の鎧の如き外皮と、純白と漆黒、ちょうどその中間のような灰色の体色を持つドラゴン。
――――きょうかいポケモン、キュレム。
確かにその存在は、ゲーチスも間違いなく把握していた。しかし、この局面での乱入など、想定できようものか。朝木を殺した後で悠々と探し当てようとしていた彼の目論見は、薄氷の如く砕け散った。
「ブロスター、マニューラァ!!」
「ブロロロロォッ!!」
「マニュァッ!!」
その心の隙を突いて、朝木は最後の「仕込み」を施した二匹へと指示を発した。
ブロスターの砲口が勢いよく膨大な量の水を放出し、マニューラがそれに乗って加速する。その爪が狙うのはゲーチスの命――ではない。
その胸元に隠した、「伝説のポケモンを捕獲するための」アイテム。
「『どろぼう』!」
「ニュー……ラッ!!」
「ぐうっ!?」
マニューラは「それ」を手に取ると同時、手首のスナップだけで朝木へと高速で投げ渡す。相棒の最高のアシストに応えるべく彼の腕は限界を超えて動き、キャッチするや否や、即座に上空にいる氷塊――キュレムへ向けて
「待てェッ!!」
「待つかよバァァァァカ!!」
ボールは、揺らぐことすらしなかった。
落下するそれを即座にキャッチしたのは、土の中を「あなをほる」で潜航していたガブリアスだ。泥濘の中から飛び出すと同時に彼は口でキャッチしたそれを朝木に投げ渡した。
――制御できるのか?
――認められるか?
――そもそも出てくるか?
様々な疑念と不安が渦巻く最中、それでも朝木はその全てを押し殺してマスターボールの開閉スイッチを押し――キュレムを解放した。
その黄金色の瞳は、まっすぐに――レシラムとゼクロムを射抜いている。
「ヒュオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
「俺をカス扱いするんなら、レシラムとゼクロム狙いってのは高く見積もりすぎだ。最初から、狙いはコイツ一匹だけなんだよ」
朝木は、アキラに教えられたように痛みが出ないような動き方で立ち上がり、キュレムの隣に立つ。
その全身は傷だらけだったが、煌々とした眼光は戦意を湛え続けていた。
「――続きだ、ゲーチス。こっからが本番だ!」