レインボーロケットタワー中層、倉庫区画。報告を受けてサカキが訪れたその場所には、文字通り「何も無かった」という奇怪な状態に陥っていた。
区画そのものが抉り取られ、物理的に何も存在しなくなっている。アキラとデオキシスの巧妙な工作によって監視映像なども残っていない。
「申し訳ありません、サカキ様」
「いや、構わん」
とはいえ、状況を考えればタワーに入り込んだ挙句これほどまでの被害をもたらして雲隠れするなどという芸当は、レジスタンスの面々では不可能だ。十中八九ヨウタやアキラたちの仕業であろうと、サカキも見当がついていた。下っ端では原因が特定できなくとも致し方ない。失態による処分を恐れて声を震わせる黒服へ、サカキは微笑んで答えた。
次いで、白服の大幹部――アポロが資料をサカキへ手渡す。
「サカキ様、現在急ピッチで侵入経路の割り出しを進めておりますが、お耳に入れたいことが」
「何だ?」
「地下空洞へ廃棄していたはずの実験体が……痕跡も残さず消えておりまして」
「……ほう」
「恐らく、侵入者は地下を経由したものと思われますが……」
「不可解だな」
先に「廃棄」された実験体の生死を確認した者はいない。しかし、狂暴化・巨大化して理性を失ったポケモンたちだ。何らかの痕跡を残していなければ、それはそれでおかしい。
たとえ侵入者――ヨウタたちが埋葬したのだとしても、「埋葬した」という類の痕跡は残るはずなのだ。
「となれば……『何か』いたと考えるのが適当だろう。騒ぎが起きなかったことがまた不可解だが……ふむ、彼らはポケモンに対して柔らかい対応を心掛けているだろうから……」
「……ここにいた『何か』と話をつけた、と?」
「可能性の話だ。が――考慮には値するだろう」
「は」
「アテナはどうした?」
「確認中ですが、恐らく……」
「倒されたか」
だろうな、とサカキは苦笑した。彼女は引き際を弁えている優秀な人材ではあるが、相手が
「この失態は同じ幹部のン私が!」
「アポロ……お前には本陣の守りを任せたいのだがな」
「はっ! 出過ぎた真似を……」
アポロは優秀な幹部だ。最高幹部に抜擢されるほどの実力を持ち、かつ、強い忠誠心を持つ。しかし、彼はその忠誠心がやや行き過ぎている部分がある。アポロ自身が自覚を持って律していることで大きな問題は起こしていないが、ともすると暴走しかねない程度には危うい男でもあった。
「三度目は無いよう、厳重に警戒しておけ。それと、ランスを招集しろ」
「ランスですか?」
「そうだ。特別な任務を与える」
「おお……ヤツも喜ぶことでしょう」
「もう一つ」
「は」
「――作戦を実行に移す。アオギリに、『例のアイテム』と一緒に指令書を送れ」
「はっ!」
サカキから指示を受け取ったアポロは、嬉々とした様子で廊下を駆けていった。
彼は基本的にロケット団の仕事のこととなるとテンションがおかしくなる。仕事熱心なのはサカキとしても喜ばしいと思えることだが、やはり行き過ぎる感があるというのは小さくない欠点ではあった。
「さて、奴らはどう出るか……」
サカキは焦らない。「挑戦者」を待つことも、楽しみの一つだからだ。
既に彼は、目的に至るための筋道を立てている。彼にとって今のこの時間は、そこに至るまでの余暇のようなものでもあった。
〇――〇――〇
四国八十八か所霊場第四十番、観自在寺。四国霊場の裏関所とも呼ばれる、よく整った景観と屹立する宝塔を持つ、愛媛と高知の境目にある寺社だ。
日頃であれば多くの観光客や巡礼者が訪れ活気に溢れているが、現在はそういうわけにもいかない。
ユヅキたちがこの場所に訪れたのは、二時間ほど前のことだった。
時刻も夜に差し掛かろうかという頃だ。コスモッグやほしぐもちゃんがある程度満足するまでその場にとどまり続けなければならない関係上、彼らが各霊場を巡るペースはそれほど早いものではなかった。そして歩みが遅くなればなるほど、その行動の指針を紐解くための時間をレインボーロケット団に与える結果となってしまう。
そんな中、大目的そのものは読み解けずとも、「何らかの寺社へ向かっている」ということだけは、ここまでの行動で読み解けるようになってしまっていた。
そうなれば自然と、進めば進むほど敵の数は増してくる。観自在寺にたどり着いた頃には、既に数十人ものレインボーロケット団員に囲まれるような事態となっていた。
「やあああぁっ!」
「なっ、待っ……がバッ!!」
境内に、生ぬるく湿気た音と共に、甲高い悲鳴が響く。
相手の体勢を崩したところでふくらはぎで首を取り、繊細な体重移動と「崩し」によって相手の顔面を大地へ叩きつける、ヘッドシザーズ・ホイップ。大地という絶対的な質量に叩きつけられたレインボーロケット団員は、血を流しながらそのまま意識を失って倒れ込んだ。
「し……神聖な場所を血で汚したりしていいのかぁーッ!?」
「そっちがつっかかってこなかったら最初っからこんなことしないもん! メロ、『コメットパンチ』!」
「グロロロ……!」
その体から発せられる磁力と強大なサイコパワーによって、巨体にあるまじき速度をもって
鼻が折れたか、あるいは額が切れたか……いずれにせよ、盛大に血を流した下っ端は、その場の地面を赤く染め上げて意識を手放した。
彼女の体捌きは姉を思い起こさせるほどに素早く、正確で、そして何より容赦がない。ナナセも東雲も、これには閉口するほか無かった。
(姉妹だ……)
(姉妹ですね……)
アキラがもはや人外とすら呼べる領域に達していそうなのに対して、ユヅキのそれはあくまで人間の範疇に収まっている。
どちらの方が脅威かと言えばアキラに軍配が上がるのは確かだが――想像の範疇という意味で言うなら、「もし自分が同じことをされたら」と思わせることで、ユヅキの戦法の方がより恐怖を掻き立てることができるとも言える。
「こいつ――『血判』か!」
「けつばん!?*1」
「活版……?」
「…………」
愉快な聞き違えをしている女性陣を一旦置いて、東雲はユヅキのことを指しているのだろうその異名について考えを巡らせる。
軽い体重と恵まれているわけではない体格を補うために練られた一連の体術と、地面に刻まれた血痕。血液で判を捺したように見えた東雲は、なるほどと頭の中で納得した。
それが異名にまで発展しているということは、それだけ多くのレインボーロケット団員を、同様の方法で屠ってきたということだ。彼らがざわつくのも当然の話ではある。
「クッ……トレーナーはいい、そっちのドガースもどきをやれ! ゴースト、『シャドーパンチ』!」
「ケケーッ!」
独立して浮遊するゴーストの片腕が、暗い光を放ちながらコスモッグへ向かう。
東雲たちが何らかの目的のもと、コスモッグたちを守っていることは下っ端たちにも読み取れていた。既に場は乱戦の様相を呈している。ここでコスモッグを倒すことができれば――そう考えて放った一撃は、しかし、直撃するその寸前に、突如として飛び出した氷壁によって阻まれる。
「ケケッ……ケ?」
「な、なななっ……こいつは!」
「――クレベース! 『かみくだく』!」
「ベベェェェ……」
――
扁平な背甲が特徴的なポケモンだ。その体高そのものは2メートルほどではあるが、全長で見た場合六メートルを超えるほどにもなる。それが突如として立ち塞がり、ゴーストが放った渾身の「シャドーパンチ」を平然と受け止めたのだ。なんの痛痒も感じていないというのは流石に下っ端といえども衝撃だった。
そうして、一瞬の強張りを見抜いたクレベースが、低い唸り声を上げながら巨顎をもってゴーストを粉砕する。鉄塊同士が激突したような轟音が響くと共に、「ひんし」となったゴーストが男のモンスターボールへと送還された。
そしてその瞬間を見計らい、東雲は鋭く指示を――
「吶喊!!」
「ターイ」
「「「「「レーツ!」」」」」
「な、なななっ、何っ!? 六体!!? いや、これは――――」
次いで、物陰に身を潜めていた六匹の――「六匹一組」のポケモンが隊列を組み、一丸となって突撃する。
タイレーツは東雲の発した命令の通りにまっすぐに、レインボーロケット団員諸共、立ち塞がるポケモンたちへ「ずつき」を叩き込む。彼らは六匹でひとつのポケモン。一匹一匹がそれぞれ目の前の敵に向かえば、六匹のポケモンを同時に対処することができた。
「く、くそっ! お前らぁっ! こっちに手を……」
「無理に決まってんだろうがあ!!」
こうなれば彼らも、一匹一匹の質が高まりつつある東雲のポケモンたちを押し返すのは難しい。
数の力で押し返す――そう決めて呼びかけた言葉に返って来たのは、焦燥に満ちた言葉だった。
「六匹……いや、
ユヅキが大立ち回りを演じ、東雲が堅実に敵を一人一人減らしていく中――戦場の大部分を支配していたのは、ナナセだ。
彼女の周囲には総勢七匹ものポケモンが円陣を組むような形で戦線を構築していた。
「フルルル――――」
「……あぶさん、そのまま睨みを。しずさん、『アクアブレイク』。
声は非常に小さいながらも、彼女の口は普段の数倍以上の速さで回っていた。
ポケモンの聴覚は人間のそれとは比べ物にならないほどに敏感だ。どれほど小さな声でも、トレーナーの出した指示であれば拾い上げて実行して見せる。視野を広く持ち、周囲の状況を正しく認識し、次の行動を予測する。それができる人間にとって、多数のポケモンへ同時に指示を出すというのは、それほど難しいことというわけではなかった。
もっとも、それは
「
「イェッサ!」
新たに進化した二匹と、手持ちに加わった三匹。本来トレーナーとしてあるべき制限を突き抜けた形になるが、ナナセにとってはこの形が最も力を発揮できる状態と言えよう。
「おりゃああぁーっ!!」
「ガルルルアアァッ!!」
「ギャ――パッ」
「ガオオオオン!?」
ルルと共に、ユヅキが縦横無尽に戦場を駆け抜け地面を血で染め上げる。もはや形勢は彼女たちの側に完全に傾いていることに、流石の下っ端たちも気付き始めていた。
「ええい、これ以上は……全員、退却! 退却ー!!」
そうと決まれば、判断はそう遅くない。完全に戦闘不能、意識不明となった団員を置いて、下っ端たちは大急ぎでこの場から離れていく。
これでようやく終わりか――空気が弛緩しかけたその時、ユヅキは暗闇の中で、他の団員たちとは真逆、こちらに
「まだ来るよ!」
「くっ……消耗が激しいというのに……!」
新たに、進化した自身の
その表情は、その「向かってくる人物」が何者なのかが露わになるにつれて、徐々に凍り付いていった。
赤と黒に彩られた、シンプルなデザインのコート。その胸元に刻まれた、火山を象った紅のシンボルマーク。
――マグマ団
それは間違いなく、ここにいるはずのない、いてはいけない人間だった。
「皆さん!」
「フゥッ!」
「バクァッ!」
その姿を視認すると同時、あぶさんとばくさんの二匹が瞬時にマツブサの首筋に刃と火炎とを振りかざす。
薄皮が切れ、髪先が焦げていく。一団体のボスが、護衛も……ましてやポケモンも連れず、このような場所に出向くなど普通はありえない。少なくとも、ナナセはこれを単純な好機と捉えることはできていなかった。
「なぜ……あなたが」
ナナセの口から漏れ出た疑問は、そのまま彼女たち三人の総意だ。
なぜ、マグマ団ボスのお前がこんな場所に。その感情のベクトルこそ違えども、疑問は同じだ。
命の危機に立たされているというのに、マツブサは顔色一つ変えることなく、泰然とした様子で口を開いた。
「状況が色々と変わったのでね。こうして私が一人出向いたのだ」
「状況、ですか?」
この場で最も冷静を保ち、交渉を行うのに長けているナナセがその言葉に応じる。
本来ならこういったことは東雲がやるべきなのだが、彼は今、顔を青くして冷や汗を流し、唇をわなわなと震わせている。どう考えてもまともな精神状態だとは言い難い。
「そうだ。単刀直入に言おう」
そんな東雲を――あるいはその服装を――目にして、マツブサは渋い顔をしてから、三人に告げる。
「レインボーロケット団へ反旗を翻す。お前たちにも協力してほしい」
――絶大な衝撃を伴う一言を。
・小暮ナナセのアマルルガ
化石ポケモンのため、アマルスやアマルルガといったポケモンはゲームにおいては野生の個体は存在しない。
が、アニメ「XY&Z」の映画、「ボルケニオンと機巧のマギアナ」にて、ネーベル高原に野生のアマルスがいた。アニメにおいても同様の事例が散見される。
そのため、本作ではこれに倣うかたちで化石ポケモンに関しては現実のシーラカンスなどと同じように、「古代から姿を変えずに現代まで生き残っている個体がいる」という扱い。
・けつばん
現在12歳のユヅキは当然知らないが、ヒナヨから教えられて知っていた。
アネ゙デパミ゙と並んで有名なバグポケモン。初代当時No.152のポケモンが存在しなかったため、けつばん→欠番として登場した姿。本作には登場しない。