――敵はカイオーガを含め数およそ二百。沿岸に向け津波と共に急速接近中。
それが告げられたことで、一時周囲は騒然となった。
明確な意志のもと、伝説のポケモンという最高戦力を用いて自然災害を起こし、本拠地を潰して反攻勢力を一網打尽にしようというのだ。防ぐ方法の少なさもさることながら、先に徳島市を襲撃することで防備を薄くしておくという周到さに、アキラは思わず舌打ちした。
「朝木、キュレムの戦闘準備を! ロトムはマツブサに連絡!」
「お、おう!」
「了解ロト!」
「……町の人たちの避難を、急ぎましょう」
「女性と子供、老人を優先して地下通路へ! 出入口を固めて浸水を防げば多少はもつはずです!」
「それはこちらで担当する! 配置につけ! 東雲、お前は敵の阻止に回れ!」
「了解!」
アキラが背中を押して朝木やヨウタといった自分を含む主要な戦闘要員を外へ向かわせ、この場に残った自衛隊員が主導となって、事前に計画していた通りの避難誘導の配置につく。騒然となっていた現場の様子に比して、主体となって動くことのできる人間の存在もあって混乱そのものは最低限のものに抑えられていた。
「……っし!」
この防衛線の中核になるのは、間違いなく朝木とキュレムだ。彼は強い重責を感じてビビり倒しながらも、それらを全て振り払うように自身の頬を張った。
以前、マグマ団とビシャスに挟撃された際の臆病さと、しかしなけなしの勇気を振り絞って自分を助けに来てくれた時からの変わりようを目にしてか、アキラは彼に気付かれないようどこか感慨深げな眼で見ていた。
そのせいか、その様子を横目に見ながら海岸へ急行するその途上、不意にヨウタは以前の――それこそ、マグマ団と矛を交えた時のことを思い出した。
(思えば、あの時マツブサは「自分はレインボーロケット団じゃない」って宣言してたっけ………………?)
――そこで、彼は脳裏に閃光が走るのを感じた。
ごくわずかな違和感のもと、彼はその正体を脳内で探っていく。当時の戦いは激しかった。その原因は、間違いなくグラードンだ。絶望的なまでの体格差と規格外の攻撃力は、十数日を経てなおヨウタの頭にしっかり刻み込まれている。
(――何か、見落としている気がする)
ヨウタは、ぞわぞわと虫が這うような奇妙な悪寒が背を伝うのを感じた。
何か、致命的な見落としがある
「何かあったか?」
「……何か嫌な予感がする。何とは言えないけど、何か……何かある気がする」
「何かって……っていうか、今そんなこと言われても」
ヒナヨが唇を尖らせるのも当然だ。もう敵は間近に迫っていて、すぐにでも戦闘の準備を整えなければ機先を制されてそのまま町は海に沈む。
言い出すべきかどうするべきか、うんうんと唸り声を上げかけたその時、アキラはあっけらかんとした様子で告げた。
「――ヨウタの勘ならわたしは信じるぞ」
彼女はもはや、なぜ、とも何を根拠に、とも聞くことは無かった。この旅路の中でヨウタの実力と人格に全幅の信頼を置く彼女に、否やは無い。
勘、と一口に言うが、更に突き詰めて言うなら、それは「未来のチャンピオン」と呼んで差し支えないほどに稀有な才能を持った少年が、膨大な戦闘経験と今日までの旅路の中から危機感を覚えるに値する「何か」を感じ取っているということだ。状況のせいで焦りが先に立ってしまうということもあるし、年齢のせいでそれをうまく言語化できないということもありうる。ただ向かうだけなら手間はそうかからないし、問題が起きたらそれはそれで解決するための道筋ができる。ここで乗らない理由は無かった。
「ロトム、マツブサへの連絡は?」
「ダメ、通じないロト」
「殺されてる可能性があるな」
あまりにあっさりと口にしたその言葉に、朝木がギョッとして目を剥く。しかし否定できる要素も無く、もしそうだとすればグラードンを掌握されている可能性も高い。早急な対処を要するのは明白だった。
「あいつが今いるのは?」
「マツヤマ城ってお城みたいロト」
「いいご身分だなあんにゃろう」
「ユヅの手を借りる。いいか?」
「いいよ!」
「何でゆずきち?」
「……まあ、ちょっとした予感ってことで」
本当のところを言えば、アキラのそれはより強い具体性を帯びた推測と呼ぶべきものだ。
言葉にしかけたその時、しかし彼女は口を真一文字に結んだ。あくまで推測だ。確証は持てないし、そもそも彼女が関わった時点でなおのこと事態が悪化してる可能性だってある。そうではなくとも、ただ会議中ということで手が離せないだけということもありうる。何も無ければそれでいいだけだ、と心にもないことを呟くと、周囲の視線が「あーあこれ絶対何かあるぞ」と言いたげな生ぬるいものに変わった。アキラは泣きたくなった。
「小暮さん、指揮は任せます……」
「あ、はい……」
見るからに意気消沈しているアキラがユヅキと共に駆けていくのを見送って、ナナセたちは再び海岸線に向き直る。
ヨウタが提言する「嫌な予感」が的中し、アキラが関わって何やら状況が把握できないうちに問題が肥大化していたとしても、あの姉妹ならば解決に導くだろう。「トレーナー」と言うより「戦士」と呼ぶべきあの二人は、ともするとヨウタよりも戦力的には安定している。ナナセにとって、全幅の信頼を寄せて構わない稀有な人材と言えた。
「……さて……」
それよりも、問題はカイオーガの接近に対応することになる自分たちだ。ナナセは軽く目を伏せて思考の海に入り込み――かけて、やめた。
相手はまったく常識の埒外にいる存在だ。「あまごい」の効果範囲やその影響なども数少ない
しかし、手はある。同じ伝説のポケモンならば、対抗はできる。
――もっとも、その味方の伝説のポケモンでさえ常識外れの能力を持っているだけに、どうにも作戦を考え辛い部分があるのだが。
キュレムの凍結能力は他に類を見ないほどのものだろう――上限も下限も一切分からないが。
ジガルデの生命調律能力はどの世界においても理外のものに違いない――この局面でどれほどの意味も無さそうだが。
パーフェクトフォルムになれるだけの
現状、伝説のポケモンとして最も分かりやすいのはカプ・コケコくらいのものだろう。雷のエネルギーを司り、雷速で縦横無尽に駆け回る戦闘狂。そして胸焼けしそうなほどに分かりやすく制御不可能な暴威だ。とにかく安定しない戦力というのは、切り札にしてもあまり頼りたくないのがナナセの本音である。
「朝木さん、キュレムの凍結可能範囲は把握されてますか……?」
「昨晩のアレが全力じゃねえとは思う。マジでやったら町一つくらいは凍結できるんじゃねえかな」
「体力の消耗などは……」
「少なくとも深夜のじゃピンピンしてたけど……」
「……では、今すぐ。全力、全開で海を凍結させてください」
「マジか。えっ、どこまで?」
「一言で言うと、どこまでもです……」
「おっしゃどこまでも……どこまでもっつった?」
「海底に潜られたら……手の打ちようがありません。ですから、潜れないほど、深く。被害が町に及ばないほど、広く。接近する前に先手を打ちます……」
その方針は極めて分かりやすい。が、同時に、分かりやすいがゆえに要求されるものがあまりにケタ外れだ。
朝木は小さな逡巡の中でわずかに息が詰まるのを感じた。しかし直後に、彼は左拳を掌に打ち付けた。
「ムチャ振りだな……けど、よく考えたらアキラちゃんもこのくらいやってらぁな」
「無茶苦茶してるのはアキラ自身だけどね」
「ともかく、できるかどうかよりやってみなきゃ始まらねえってことだ!」
「随分思い切りが良くなりましたね」
「良くならなきゃ俺死んでたし……いや待てよそもそも思い切りが良くなきゃ死ぬってなんなんだこの戦いはよ……」
そうだね、とヨウタはうんざりしたように苦笑いした。状況は常に最悪を更新し続けている。身命を賭してようやく敵が倒せるということもザラで、アキラが言うように重傷を負うほどのリスクを負わなければ逃げることさえ難しいということもしょっちゅうだ。卑屈で臆病な朝木ですら思い切りが良くなろうというものである。
キュレムがボールから現れると同時に、周囲全てを凍てつかせるほどの冷気が足元を白く染め上げた。彼の視線はトレーナーの朝木――ではなく、むしろ周囲を囲む東雲やナナセに向けられている。未だ朝木に英雄の資質を感じていないことは明白だった。
「……私たちのポケモンは、海上での戦闘に向きません。お願いします」
「……『こごえるせかい』な。全力で頼むぜ」
「――――」
やはりどこか意気消沈したような面持ちで指示を送る朝木だが、「そういうところだぞ」とばかりにキュレムは意気軒昂としたヨウタたちに一度視線を送ってから、再び海に向き直る。
全身から立ち上る白い冷気が徐々にその形質を変え、空間そのものをクリスタルめいた氷の結晶へと変性させていく。凍てついた空間はやがて海水をも蝕み、見る間にその領域を拡大していく。
凍てついた領域に最初に足を踏み出したのは、トレーナーであるがゆえに自分こそがやらなければならないと決意した朝木だ。海面はがん、と音をたてて彼の足を受け入れた。直後に滑って転びかけたが、彼はなけなしのプライドでもって、顔を真っ赤にしながらそれを押しとどめた。
「……おし、行けるぞ!」
「うん。行こう! ヒナヨ、出し惜しみは無しだ。僕らが最前線に出よう!」
「分かったわ! 朝木さんは?」
「……朝木さんには後詰についてもらいます。まだキュレムには役目がありますので……」
「あいよ。……あ、クソ寒いこれヤバくね?」
「我慢してください」
既に防寒具は無い。五人は自然、体を震わせながらでも前に進むことを決めなければならなかった。
条件は敵も同じだ。海中から現れる分、より寒いことだろう。
……と、そのようにでも考えなければ、彼らとしてはやっていられなかった。
黒雲と瀑布を思わせるほどの雨は、間近に迫りつつあった。
●――●――●
大気から水分が失われてひび割れる音がするのを、アオギリは聞いた。
空気が凍てつき、彼の視界の先の海が水晶のごとく変じていく。それは明確なまでの敵対宣言だった。
「よくやるものです。陽動は失敗と見ていいでしょうね、イズミさん」
「……はい。そうなります」
カイオーガの背に乗って悠然と構えるアオギリの声に、アクア団女性幹部――イズミは感情のこもらない表情で頷いた。
アオギリの表情は、常と変わらぬ自信に満ちたものだ。それが、イズミに強烈な違和感を催させる。
アオギリは人道主義者とは言い難いが、しかしそれでも人間の命を軽く見ているわけではない。
世界を海で満たした後の陸生生物の生き方を模索していた彼が、敵対勢力とはいえ民間人が大勢いるような場所へと今まさに攻め込もうという時になってまで、表情を変えないというのは、異常なことだ。まして笑顔など、ありえるない。
「正面からぶつかりましょう。なに、問題ありません。海に沈めてしまえば誰も抵抗などできはしない」
「はい……」
その左手に握られているのは、深い海のような
一瞬、イズミは彼の手の甲に青い輝きが生じるのを見た。しかし彼女は、
「全てを母なる海へ還しましょう。クク……クカカカ……」
冷たい雨が、全身を叩く。
響くアオギリの哄笑に、イズミは全身を震わせた。
彼女はそれを、無理矢理に興奮と置き換えた。自分は武者震いをしているのだと言い聞かせた。
――それが生物の持つ根源的な恐怖だと気付くのは、まだ先のことになる。