ダークトリニティを戦闘不能に追い込み、再び地上に降りたアキラは、滝のような汗を流していた。
戦闘終了に伴ってメガシンカは解除されているが、アキラの脳に入っていたスイッチもそれと同時に切れ、噴き出す脳内物質のおかげで無視できていた疲労感が押し寄せる。
自然と膝が崩れたことに、アキラは愕然とした。
超常の身体能力は失っても、日々の鍛錬を欠かしたことは無く、デオキシスの「じゅうりょく」を用いたハードトレーニングすらこなしているため、アキラの体力は現在でもなお常軌を逸したものがある。体力だけなら間違いなく人一倍はあるというのに、それでもこの有様なのだ。二匹同時のメガシンカという荒業が人体にどれほどの負荷を与えるか、アキラはそれを文字通り身に染みるほど理解することになった。
心配げに顔を覗き込むチャムを手で制し、アキラはどうにかこうにかといった風体で立ち上がった。
「急がないと……」
デオキシスを残し、ポケモンたちをボールに戻す。そのさなか、疲労感で不意にアキラがボールを取り落とした。
何をしているんだ、とやや呆れた面持ちだったマツブサは、そこで彼女の顔色が良くないことに気づく。
アキラはその行動的な性格に反して肌に血色がなく、全体的にどこか不健康さを感じさせる青白さがある。今の彼女はその普段の様子を更に超えて顔を青くしている。無茶をした反動であるのは明らかだった。
「
「ホムラか」
そこへ、ホムラがオオスバメにつかまって城から降りてくる。
彼はマツブサにとって懐刀と呼べる存在だとはいえ、アキラたちと比べるとひと回りほど実力的に劣る。伝説のポケモンとの激突に巻き込まれればまず確実に無事では済まないため、静観せざるを得なかったのだった。
ホムラは、疲労困憊の状態にあるアキラへ僅かな敵愾心の込められた視線を向けた。
彼もマツブサの理念を解しているとはいえ、アキラとは一度矛を交えた敵同士だ。以前の戦いではまだ明らかにホムラの方が実力で上回っていたというのに、ほんの数週間足らずで伝説のポケモンをも降すほどの力を手に入れているのだ。マグマ団として、トレーナーとして、頭で理解はしていても、納得しきれない部分はある。
「ちょうどいい、そいつをしばらく休ませてやれ」
「はぁ……? おい、何を勝手なことを……」
「孵りたてのオドシシのような足をしておいて何を言う」
マツブサの指摘に、アキラは何も言い返すことはできなかった。
内心(そういえば胎生じゃなかったな……)などと考える程度の余裕こそあるが、根本的なところで体力が足りないのだ。
「しかし
「既に奴らに見限られた以上しかしもヨワシもあるものか。この娘たちが勝てなければ私たちも例外なく死ぬだけだ。この有様で出て行かれても死ぬだけだがな」
アキラはそれを聞きながら一つ舌打ちした。事実とはいえ、他人に、特に元は敵だった人間に指摘されるのは多少癇に障る。
「礼は言わないぞ」
「欲しくもない。くだらんことを言うくらいなら先に敵を潰してほしいものだ」
「言われるまでも無い」
そのためには確かに、少なくともまともに動けるようになるまでは休息を取ることに専念すべきだろうと、緊迫した戦況を思って歯噛みしつつもアキラは納得した。
「……くそっ、速攻仕掛けるためにやったってのに」
「世の中そううまい話は無いということだろうな」
露骨に不機嫌そうな顔をしてみせたアキラに、マツブサは苦笑した。
ジロリと睨み返して来るが、どうせ彼女は動けないので大したものではない。敵意はあっても害意や殺意が無ければ、物騒なだけで見目の良い少女というだけだ。
「『白光』。もう一人の……『血判』は大丈夫なのか?」
「誰だそいつ」
「あの赤毛の」
「ああ……」
アキラは基本的に自分の呼ばれ方について頓着はしていない。少なくとも自分の情報が漏れなければそれでいいと思っているが、そういったスタンスは妹も同じらしいということが分かった瞬間だった。
「妹だ。大丈夫だとわたしは信じてる」
「妹?」
「妹なのか……? 貴様とほとんど身長も変わらないじゃあないか。髪も目も違う」
「うるせえ」
事実、ホムラの指摘ももっともなことである。髪は赤と白。瞳は茶と紅。外観だけではアキラとユヅキに血縁関係は無いように見えるのだ。
アキラは手で軽く髪を持ち上げて縛ったように見せた。そうするとなるほど、顔型などはよく似ており、
「相手はダークトリニティだぞ?」
「かもな。けど妹はわたしよりもセンスは上だ。負けはしない」
「貴様ら姉妹は何なんだ」
「ちょっと武術が得意なだけだ」
「ちょっとの基準がおかしいぞ」
「本物の超人や達人はもっと強い」
半ば生返事に近い言葉をぶつけつつ、アキラは虚空に視線をさ迷わせる。
思い浮かぶのは仲間たちのことばかりだ。ダークトリニティとの戦闘が始まってからというもの、連絡も取れていない。
戦闘は既に始まっているだろう。アキラの現状は伝えるつもりではあるが、果たしてあちらにいる者が気付いてくれるかどうか。
(みんな……無事でいてくれるといいんだけど……)
アキラは今すぐに駆けつけられない自分に強い苛立ちを覚えながらも、そう強く祈った。
〇――〇――〇
キュレム最大の凍結技、「こごえるせかい」。浸透するようなその一射が見渡す限りの海を凍らせたその時が、開戦の合図となった。
視線を下ろせばすぐに海だ。凍らせているとはいえ、相手はカイオーガ。何が起きても対応できるようにと、ヨウタはラー子を、ヒナヨはペルルを、東雲はカメックス、ナナセはしずさんを……と、基本的に海がどうなったとしても、状況に対応できる面々が選ばれていた。
対するアクア団の行動は早い。カイオーガを沖合に置いたまま他の団員はポケモンたちに命じるかたちで氷の大地と化した海に降り立つと、我先にと駆け出してヨウタたちのもとへと向かってくる。朝木は頭を抱えた。
「ちっくしょ……即対応してきやがる……!」
「キュレムがいるってバレてるならやるかもってくらいは思って当たり前よ」
「……ですが練度はそこまで高くないはずです。朝木さん、東雲さん、私たちで露払いをしましょう。ヒナヨさんとヨウタ君は……」
「うん。速攻で――」
「アオギリをぶちのめす! ペルル、スピード上げて!」
「ペル!」
「ラー子、僕らも!」
「フラッ!」
ヨウタとヒナヨは、それぞれ自分のポケモンたちにしがみつく力をより強めた。そして次の瞬間、爆発的な加速による高負荷が二人を襲う。
人間に耐えられるギリギリのところを攻めたような高機動だ。精鋭を揃えていたとしてもそれはあくまで「レインボーロケット団」においての話である。基本的にポケモンを鍛えたり心を通わせたりする手間を無駄だ思っている彼ら個々の実力は疑問符が浮かぶものである。瞬時に方向転換を行った二人を見失うのも、当然のことだった。
「このまま……挟み込んで……ッ!」
「やらせるものですか! シザリガー!」
「ッ! ペルル!」
「シャアアアアアァッ!」
「ルッタァァ!」
その中にあって唯一、的確に反応を見せる者があった。最精鋭たるアクア団幹部のイズミである。
這うようにして凄まじい勢いで迫りくるシザリガーのハサミを、ペルルは鋼のように鋭く硬質な翼で受け止めた。
「ヒナヨ!」
「何とかするわ! 行って!」
「……分かった!」
本来目論んでいた挟撃も、こうなってしまえば不可能だ。ヒナヨはヨウタに頭を切り替えさせるべく、声を飛ばした。
「こっちはあんたらとジャレてる暇は無いのよ!」
「ツレないこと。遊んでくれたっていいじゃない。ルンパッパ!」
「ルルーッパッパッ!」
イズミが追加で戦線に加えたのは、派手な体色と陽気な雰囲気を持ったポケモン、ルンパッパだ。
進化前のハスボーが比較的ポピュラーなホウエン地方において、進化の速さや進化の石を使えばすぐに進化する点などもあって、アクア団の中でも広く親しまれているポケモンだが、イズミのそれは他とは鍛え方が違う。一歩足を踏み締めると共にめきりと音を立てる氷が、その実力をヒナヨに予感させた。
――だからこそ、彼女は全力で突破することを決めた。
「むーちゃん、出番よ!」
「むぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「――――え」
対して、ヒナヨが出したのは
バキバキバキ、と、足場となっている氷が凄絶な音を立てる。質量差と体重の差こそあれ、そこから感じ取れる圧倒的なまでの単純明快な筋力は、思わずイズミを一歩退かせるほどの迫力を伴っていた。
「生憎だけど私、遊ぶつもりなんてカケラも無いの」
ヒナヨは軽い身のこなしでむーちゃんの背に飛び乗ると、冷ややかな目でイズミを見下ろした。
「退かないなら押し通るだけよ。アンタごとカイオーガのどてっぱらに叩き込んであげる……! 『すてみタックル』!」
ギルとほぼ同じ施術を受けたむーちゃんの膂力は、少なく見積もってもアキラと出会った当時のギルに比肩する。時間が経ってより精度が増したであろう現在は、それを更に超えると見ていいだろう。
全身に生体エネルギーのオーラを纏ったむーちゃんが、一歩ごとに氷を砕き割りながらその身を突っ込ませる。次の瞬間の激突を予期したルンパッパは「ハイドロポンプ」によってその爆発的な突進を押しとどめようとするが――既に遅い。十全な助走距離を得たむーちゃんの突進を止めるのに水流ひとつでは力不足と表現するほかなく。
――次の瞬間には、ルンパッパはゴム毬のように勢いよく跳ね飛ばされることとなった。
ヒナヨの戦いの様子を振り返ることなく、ヨウタたちは雨の中、全速力をもって沖合にいるカイオーガのもとへ向かう。
ラー子が全力で飛行する中では、荒事に慣れた彼でも周囲を見回すのは難しい。背後を振り返る余裕は、ヨウタには無かった。
「アオギリ……ッ!!」
「ク……カカッ……来ましたか。アサリナ・ヨウタ……!」
ふと、上空からアオギリの表情を目にしたヨウタは、強い違和感に苛まれた。以前、彼の姿を目にした時には無かったはずの狂気が感じ取れたからだ。
もっとも、ヨウタにはその感覚が正しいものかどうかを判断できるほど、アオギリに対する知識は無い。特に彼は、ヨウタたちがいた世界の「アオギリ」とは別の可能性を辿った存在だ。理知的に「見える」、理性的に「見える」というだけで、実際にそうであるかはやや判断が難しいのだ。
(あの時のルザミーネさんみたいな何かを感じる……)
それでも、共通項というものは思い浮かぶ。自らの娘をも顧みないほどの狂気に身を浸したある種極端な例を目にしていることもあってか、ヨウタはアオギリの瞳の奥のほのかな狂気に気付くことができていた。
(レインボーロケット団は、ウルトラビーストを手中に収めていたはず。まさかとは思うけど、あの人たちはウツロイドを……?)
容易に想像のできることではあった。そしてそういうことであれば、マツブサの語っていた可能性が丸々外れたことにも納得がいく。
そして同時に、その「対処法」は、即座にヨウタの頭の中に浮かび上がってきた。
何よりもまず、敗北という強烈なショックで行動不能に陥らせること。
ウツロイドの毒は、ちょっとやそっとでは抜けることは無い。長年毒に侵されてきたルザミーネほどではないだろうが、いずれにせよまず動きを止めて拘束しなければどうにもならないのだ。
「速攻で倒す! コケコ!!」
「コォッケエエエエエェェ――――――!!」
咆哮と共に、雷光が空を駆ける。
重力や慣性など知らないとばかりに自由自在に、そして到底人間に視認できない速度で駆け――そして、その拳をカイオーガの側面に叩きつけた。
「オオオ――――――ッ!」
最高に高まった威力の「かみなりパンチ」の一撃に、カイオーガが悲鳴を上げる。大きさの差こそあれ、どちらも同じく神とすら称されるほどの能力を持つほどのポケモンだ。効果は極めて高い。
ナナセから使いどころにはよく注意するよう言いつけられてはいたものの、こうなってしまえば出し惜しみなどしてはいられない。今ここでカプ・コケコの目が向くのは間違いなく、目の前にいるカイオーガだけだ。
「っ……なるほど、流石にやるようです……! ならば次はこちらから! 『ハイドロポンプ』!」
「コォォォォ――――――……」
はたとヨウタが気付いた瞬間、カイオーガの周囲にあったはずの海水はごっそりと消え失せていた。
特性「あめふらし」によって降る莫大な量の雨ですら供給がおいつかないほどの圧倒的な吸引力だ。ヨウタはすぐにラー子の翼を叩く。
「ガアアアアアアアアアアアアッ!!」
――刹那、彼らが一瞬前までいた空間を、瀑布の如き一撃が貫いた。
天に昇っていく滝、としか例えようのない規格外の水流に、その様子を遠方から見ていた朝木やアクア団の下っ端たちの思考が止まりかける。しかし他方、戦いの当事者たるヨウタとアオギリがそこで止まることは無かった。
ヨウタの傍らから布の塊めいた何かが落下する。と同時にアオギリは氷の大地に向けボールを投げ放った。
「ミミ子、『ウッドハンマー』!!」
「サメハダー、『かみくだく』!」
ミミ子の落下点付近に現れたサメハダーは、氷原を噛み砕くことで、さもそこが大海原であるかのように
対するミミ子は一切臆することなく空中で姿勢を変え、その尻尾――状の木切れに、攻撃的なエネルギーを纏わせた。
「ギュギュギュィィィ!」
「シャアアァッ!」
空中ではこれ以上動けまいとばかりに牙を剥き出しに飛び掛かるサメハダーに対し、ミミ子は生物らしからぬ叫びを上げながらも極めて冷静に、一度尾を「振る」ことで、更にその場から僅かな移動を可能とした。そしてサメハダーの牙が空を噛むと同時、ミミ子は尾を無防備な腹に向けて叩き込む。
「シャギャアアァッ!!」
悲痛な叫びを上げ、サメハダーは氷原へと倒れ込んだ。ミミ子はそれに対して目もくれず、着地を決めたその勢いのままにカイオーガに向け走り出した。
「おやおや。流石にこれはまずい」
アオギリはその状態にあって――不敵な笑みを浮かべるばかりだ。
深海を覗き込んだかのような暗い眼光を携えたままに、彼は戦況の悪化を悟りながらも行動は起こさない。
ヨウタはわずかに狼狽した。以前、マツブサと戦った時、彼は状況が悪くなるその一歩手前でバクーダをメガシンカさせるなどして、改善に努めていた。しかしアオギリにはそれが無い。個々人の性格の違いと言えるのかもしれないが、それでも違和感は拭えない。
(メガシンカしないのか……?)
サメハダーと言えば、ヨウタの世界のアオギリも使用していたポケモンである。異世界のアオギリとはいえ、絆を結んでいないということは無いだろう。
そして遠目に確認しただけではあるが、彼の腕には間違いなくキーストーンの輝きが見て取れる。マツブサと同じだけのことができるのは疑いようが無い。そのはずなのだが、彼は動かない。
おかしい、と思った次の瞬間、アオギリはその右腕を掲げた。
「――では、そろそろ真の姿をお見せしましょう」
――奇怪な