ルーシィ達が、ラグリアの造り出した空間の境界を抜けると、思いがけずそこは『妖精の尻尾』のギルドの中だった。その事を認識すると同時に、横合いから「わッ」という声が聞こえる。
見ると、カウンターの中のミラジェーンが目を丸くしていた。当然の反応なのだが、いつもおっとりしている彼女がここまではっきりと驚きを顔に出したのを見るのはかなり久しぶりのことかもしれない。いや、もしかすると戦闘以外ではこれが初めてか。
「え……? いまどうやって入ってきたの……?」
「あー、えっと、あはは……」
ルーシィはこの状況をどう説明したものかと笑って後ろ頭を掻いた。
「昨日、ここに連れてきた人、ラグリアさんっていうんだけど、あの人の魔法で送って貰って、そしたら、ここに……」
「あ、あぁ、あの人ね。へぇ……。なんか、ものすごい魔法ね」
ミラジェーンの言葉に、ナツとハッピーと三人で思わず何度も首肯する。
「それで、今日会ったラグリアさんの友達って人に依頼頼まれたから、そのことをマスターに報告しようと思って」
「そう、わかったわ。マスターはいつものところにいるから」
「はーい」
「ではルーシィ、報告は任せていいか?」
「うん、わかった。任せといて」
エルザの問いに、ルーシィはすぐに頷いた。
「では、一度ここで解散だな。集合は一時間後、場所はギルドの正門前にしよう」
「あの……」
そこでウェンディがおずおずと口を開いた。
「この人形は誰が持ちますか?」
この人形、というのは、彼女の傍らに浮いている一つ目の頭蓋骨のような人形──依頼人のカリンが作ったスカルちゃん一号機のことだ。エルザは少し考える素振りを見せると、すぐに答えた。
「そうだな……。よし、ハッピー、人形一体ぐらい持てるな?」
指名を受けたハッピーは顔をしかめ、空中を滑るように人形から距離をとる。
「うえぇ、オイラが持つの? だってこれいつまた噛みついて──」
「──くれぐれも傷付けないよう気をつけるんだぞ」
「あ、あい、わかりましたごめんなさい……」
有無を言わせぬエルザの眼光に、首を縦に振るしかないハッピーだった。
1
大変なことになってきたものだ。
グレイは我が家ヘと続く道すがら、昨日から立て続けに出会った人達のことを改めて思い返していた。特に、つい十数分前に唐突に依頼を申し出てきた女性、カリン・ミナヅキについて。
トレジャーハンターの彼女と聖十大魔道のラグリア。一切接点をもたないはずの彼らが一体どのような経緯で知り合ったのかは想像するほかないが、グレイがカリンについて驚いたのは、彼女が魔法を使えるということだった。
以前戦った『風精の迷宮』の三人組も、一人ひとつずつ魔法道具を持ってはいたが、魔法は使えないようだった。カリン本人もトレジャーハンターで魔法を使える人は少ないと言っていたし、つまり彼らにとってはそれだけで絶大なアドバンテージになるということだ。
カリンは自身の二つ名の由来について珍しいことを挙げていたが、しかしギルド内で魔法を使えるのが彼女だけ、というわけではないだろう。カリンの戦闘を見たことはまだ無いが、あの森の中で独り暮らしをしていることや、仕事中も基本単独行動らしいことから考えても、やはり彼女の戦闘能力やサバイバルの知識も相当なものと見て間違いない。
ラグリアが先日言っていた通りもし彼らの力を借りることになった場合──勿論そんなことは無いに越したことはないが──それは自分達にとって、とてつもなく巨大な心の支えとなることだろう。
とりとめもない思考に身を任せている内に、どこをどう通ったのか憶えていないにも関らず自宅のすぐ目の前まで歩いてきていた。習慣とは恐ろしいものだ。
「ただいま〜……っと」
あるはずのない返答にさして期待せず、ドアを押し開けた──のだが。
「──お帰りなさいませ、グレイ様ッ」
グレイが中に一歩踏み込むや、いきなり青い人影が正面から突っ込んできた。
「うおッ!」
あまりに突然のことにびっくりして手を突き出すと、相手の顔が勢いよく掌と激突した。「へぶッ」という奇声を上げながら尚も両腕を伸ばして抱きつこうとする相手を片手だけでなんとか押さえ込む。
「なッ、ジュビア、お前なんでいるんだよ!? 朝はギルドで食ってただろうが! つーか毎回俺に抱きついてくんなよ‼」
ツッコミを入れている間、ずっとグレイの右手の中で何事か喚いていた青髪の女性は、そこでようやくグレイに抱きつくのを諦めたらしく、「ぷはッ」といって体を起こした。手型が赤く残る顔をさすってから頬を膨らませる。
「うぅ、そんなに顔を強く押さえられたら息できないじゃないですかッ」
「お前がいきなり飛びかかってくるから、体が勝手に動いたんだよ!」
グレイは盛大な溜め息をついた。ジュビアとの共同生活は、いまに始まったことではない。
二年前、『妖精の尻尾』の解散と共にギルドがなくなってしまい、そこからアメフラシ村にあるグレイの新居に二人で暮らしていた。『黒魔術教団』にグレイがスパイとして潜入していた時期は別行動を余儀なくされた──その間、ジュビアは床に伏せ、大変なことになっていたらしい──が、アルバレス帝国との戦争の終結に伴い再び世界に平和が戻ったことで、また以前の生活に戻れたというわけだ。戻れた──のは良いのだが、グレイがスパイ活動をしていた頃の反動か、こうして彼女が家にいる時にグレイが帰ってくると、これまで以上に重たい好意をぶつけられ、グレイは毎度辟易させられている。
「……で、だからなんでいるんだよ?」
再びグレイが疑問を投げかけると、ジュビアはにこやかな笑みを浮かべながら、グレイの予想の斜め上をいく答えを口にした。
「今朝グレイ様がギルドを出て行かれた時、昼までにここに帰ってくることをジュビアの『グレイ様センサー』が予知しました」
「はぁ?」
「だからジュビアは依頼に行くのを止めてグレイ様が帰って来るのをこうして待っていたのです」
──そういえばこいつ、さっきギルドで見かけなかったな。依頼に行ってたんじゃなかったのか。
「そして、その間に……」
そこで一度言葉を切ると、ジュビアはいそいそと小走りで駆けていく。その様子を嫌な予感をひしひしと感じながらグレイが眺めていると、ジュビアは部屋の中央のテーブルを手で差し示した。
「ジュビアはパンを焼きました」
そこには、いつかの再演の如くグレイの顔がプリントされた丸いパンが並んだ箱が置かれていた。
「食えるかッ!」
「はい、こっちの『グレパン』はジュビアが食べますので、グレイ様はジュビアの顔をプリントしたこの『ジュビパン』を……」
頬を染めながら差し出されれば断る気になれないが、生憎いまはカリンに昼食を作ってもらう約束をしてしまっている。
「あー、悪ぃ、ジュビア、今日はちょっと一緒に食えねぇわ」
するとジュビアはシュンと肩を落とした。
「そうですか……」
「あぁ、いまは依頼の準備しに戻ってきただけだからな。すぐに戻らねぇと、他のみんなを待たせることになるし……」
「ということは、恋敵候補が増えるんですかッ?」
「なんでそうなるんだよッ?」
そこでグレイはふとあることを思いつき、ジュビアの顔を見た。
「そうだ、ジュビア、ついでだしちょっと依頼の内容、聞いてくれねぇか?」
グレイが荷物を整理しながらかいつまんで語った依頼の内容を聞き、ジュビアは考え込んだ。
「そうですか、そんな事が……」
「あぁ、それで、俺もエルザに言われて気づいたんだけど、クライアントが山に入ってすぐ出たっていう霧のことがどうも引っかかるんだよ。多分なにかの魔法だと思うんだけど……心当たりねぇか?」
ジュビアが自身の体を水に換える『水流』の遣い手であることを考慮に入れての質問なのだろうが、ジュビアは首を横に振った。
「いえ、特には……。それよりも、建物を建てて生活するような人間以外の生き物といえば、悪魔では……あッ、すみません。ジュビア、つい……」
かつてその悪魔に両親と魔道の師を奪われた過去を抱えるグレイに対する余りに無神経な失言にジュビアは謝罪したが、グレイはすぐに軽く首を振った。
「いや、大丈夫だ。……確かに俺も人間じゃねぇって聞いて最初はそれを考えた。けど、そうなると不自然なことが幾つかあるんだ」
そこでグレイは手を止めると、顔を上げてジュビアを見る。
「もし『冥府の門』の奴等に生き残りがいたとしても、あのマルド・ギールってやつの妙な技で下っ端は壊滅してたし、幹部には霧みたいなやつもいたけど、あれは普通の霧じゃなくて魔障粒子だ。そしてENDは炎の悪魔だし、まず復活してねぇ」
そういえば、ガジルがアルバレス帝国との戦争で戦った悪魔も、身体が魔障粒子で構成された強敵だったらしい。しかしそれもガジルを道連れにしようとして失敗しており、まず生きてはいまい。
魔障粒子とは、紫とも黒ともつかない毒々しい色をした物質で、そんなものが霧状に広がるようなことがあれば、普通の人間でもすぐに異常事態だとわかる。
そしてなにより、魔障粒子には魔力の微粒子である大気中のエーテルナノを破壊してしまう性質がある為、魔力を有する魔導士が吸収すれば猛毒として作用するのだ。万が一、グレイ達の依頼人を取り巻いた霧の正体が魔障粒子だったとして、魔法を扱えるという彼女が無事で済む道理が無いのである。
「……ということは、他の種族……?」
ジュビアの呟きに、グレイも頷く。
「あぁ、まだ俺達の知らねぇ奴等が出てくるのはまず間違いねぇだろう……っと、こんなとこでいいか」
グレイはナップザックのヒモを締めると、背負うと同時に立ち上がった。
「お前のお陰で一応頭ん中は整理できたわ。ありがとうな」
「あッ、いえ、ジュビアは特に何もできませんでしたし……」
頬を紅潮させつつ慌てて立ち上がり、ジュビアは肩をすくめる。
「いや、話を聞いてくれるだけでもいいんだ。そんじゃ、行ってくる」
肩ごしに軽く手を上げたグレイの爽やかな微笑に、ジュビアの心は心地よい浮遊感と共に天に昇っていった。
「あ、来た来た!」
ルーシィが言うと、息を切らして走ってきたグレイは膝に手を突いて口を開いた。
「悪ぃ、遅くなった。待たせちまったか?」
「ううん、ウェンディ達もいま来たとこ。どうしたの?」
ルーシィの問いに、グレイはすぐに上体を起こして答える。
「いや、帰ったらジュビアがいたんでちょっと依頼の事を喋ってたんだけど、出発しようとしてたらいきなりぶっ倒れちまって」
「あははッ。なにそれ」
「ま、彼女らしいわね」
シャルルの冷静なコメントと対照的に、ウェンディが心配そうにグレイを見上げる。
「それで、ジュビアさんは大丈夫なんですよね?」
「とりあえずベッドに寝かせといたし、別に問題ねぇだろ」
「よし、それでは出発しよう」
エルザの言葉に、全員がそれぞれの返事を返した。
2
「どうぞ入って。開いてるから」
エルザが小屋のドアをノックしようとしたところで、中から女性の声が聞こえた。しかし、今朝訪れたとき含まれていた若干の険は取れている。
エルザは二、三度瞬きしてから「わかった」といってドアを押し開けた。
リビングの奥の椅子に座っていた金髪の人形使いは、手に載せた水晶玉から顔を上げると席を立ち、微笑みながらこちらに向かって歩いてくる。
「お帰り。ご飯はもう出来てるわ」
「……ねぇ、カリン、最初のときも思ったんだけど、なんであたし達が来るタイミングがわかるの?」
ルーシィの問いに、カリンは何をかいわんやというように小首を傾げる。
「言ったでしょ? スカルちゃんは監視魔水晶から作ったって。この魔水晶はその受信機」
カリンが水晶玉を左手に持ち替えてパチンと指を弾くと、水晶玉は儚い音を立てて砕け散ってしまった。魔水晶はそれなりに値が張るので、もったいない気もするが『結晶魔法』を操る彼女にかかれば容易に幾らでも造り出せるのだろう。
「けど、一回目は見てなかったじゃねぇか」
グレイの指摘にも、カリンはすぐに応える。
「あぁ、ラグリアはよく道に迷うから、スカルちゃんを使ったらどのくらいでここまで来れるか、もう大体憶えちゃったの」
そこでカリンは振り返ると、テーブルの左の椅子にもたれて読書中の青年に話しかける。
「あんたにはもう説明してたわよね?」
ところが、返事がない。長めの前髪に隠れて目許は見えないが、時折ページをめくっているので寝ているわけでもなさそうだ。
「ねえってば、聞こえてる?」
「…………」
まったく……、と小さく毒づくと、カリンは大きく息を吸い込み──しかし、そこで動きを止めた。
「……?」
ルーシィがちらりと視線を向けると、カリンはなにか思いついたのか、口元に手をやって悪戯っぽい笑みを浮かべていた。かと思うや、傍らのスカルちゃんに手をかざす。
なにをするつもりかと思っている間にも頭蓋骨型の人形は音もなく宙を滑っていき──不意に、赤黒い髪の青年の頭にかじりついた。
「痛ッ!」
ラグリアは勢いよく上体を起こすと、後頭部に手をやりながら振り返ろうとして、そこでようやくこちらに気づいたようだった。
「あ……。あぁ、戻ったんだね。お帰り」
背後で浮いているスカルちゃんをちらりと見やり、苦笑しつつ続ける。
「カリン、呼ぶならせめて肩を叩くとかにしてくれないかい? これの噛みつき、結構痛いよ」
「こうでもしなきゃ気付かないじゃない。それと『これ』じゃなくてスカルちゃんね。ちゃんと名前で呼んで。……って、そうじゃなくて」
腕を組んだまま器用にスカルちゃんを引き戻したカリンは、そこで両手を腰に当てて語調を強める。
「皆帰ってきたってのに、いつまで本読んでんのよッ?」
「ご、ごめん、僕が悪かったって。……いやぁ、一度本に集中してしまうと周りでなにか起こっても全然気付かなくてね、済まない」
言いながら立ち上がるラグリアにルーシィは笑って軽く首を振ったが、カリンは隣に立った彼を横目で軽く睨み上げた。
「どこかの誰かさんはそれでも盗賊四十人くらいなら軽〜くやっつけちゃうんだからね。いつもその調子でお願いしたいものだわ」
「無茶言わないでくれよ。あれは魔法で視野を広げているからできることなんだ。読書中いつもはさすがに魔力が保たないよ」
ラグリアは困り顔で笑うが、トレジャーハンターであり魔導士でもある金髪の女性は腕を組んで顎をツンと反らす。
「どうだか。聖十大魔道サマの大魔力はそんなことで切れるものかしらね」
それだけ言うと、カリンは部屋の右の扉ヘと歩いていった。
「セリナちゃん? お昼にしましょう」
「はーイ」
扉を押し開けたカリンが声をかけると、すぐに金髪ツインテールの少女が小走りに走り出てきた。続いてラグリアが手を軽く振り、空気の椅子を出現させ不足分を補完。次に指を弾くと──恐らく空間を操作したのだろう──部屋の中央のテーブルに一瞬にして色とりどりの料理が並べられる。
カリンはそれを見て実に微妙な表情をつくったが、今度はなにも言わなかった。
すぐに表情を改めると得意げに胸を張る。
「さ、腕によりをかけて作ったんだから、冷める前に食べて頂戴」
「いや、作ったのは主に僕だったような……」
ラグリアの呟きに、カリンは拗ねたように頬を膨らませた。
「もう、余計なことは言わなくていいのよッ」
そのやりとりにクスクス笑いつつルーシィ達が席につくと、早速ハッピーを含む男三人組は食事を始める。彼らの行動に呆れながら女性陣が手を合わせようとした、その時だった。
バシッという雷鳴音と共に、視界が一瞬フラッシュした。ナツとグレイが驚いてそれぞれ持っていたスプーンとフォークを取り落とす。
「えッ、なに!?」
「あ……ッ」
ルーシィが叫んだ直後、カリンが悲痛な声を漏らし、ラグリアががくりと項垂れた。
「まぁ、こうなるのは予想できていたけど……なにも全員の分を巻き込むことないじゃないか──セリナ」
改めて食卓をよく見ると、その見た目には小さいながら確かな変化があった。
後で向かう依頼の目的地・スミレ山で戦闘になることを考慮して、高カロリーで消化にも良いものを選んだのだろう。出されたものはパスタとスープだったのだが、パスタの付け合わせの野菜炒めが真っ黒に焦げてブスブスと白煙を上げている。
ラグリアの溜め息混じりの言葉に、両手から放った高圧電流で野菜炒めを消し炭に変えてしまった張本人のセリナは憤然と鼻から息を吐く。
「野菜は嫌いだって言ってるじゃン。なんで昨日みたいにカレーにしてくれなかったノ?」
「いや、それは色々と事情があってだな……」
その時、先ほどから「やっと自力で作れるようになった野菜炒めが……」と、なにやらぶつぶつ呟いていたカリンがピタリと動きを止め、不敵な笑みを浮かべた顔を上げた。
「ラグリア、ここは私に任せてくれないかしら?」
「え?」
「アレをやってみるわ」
「『アレ』って……──ッ」
なにに思い至ったというのか、ラグリアの表情が引きつった。
「あ、あの、カリンさん? それをやらなくていいように僕がいたんじゃ……」
「もう決めたの。大丈夫よ、私だって練習してたんだから」
そう言うと、カリンはスタスタとキッチンの方ヘ歩いて行ってしまう。
「あの、ラグリアさん? どうかしたんですか?」
事態の流れから取り残されたルーシィが尋ねると、ラグリアはこちらに向き直った。
「あぁ、カリンが使う『結晶魔法』は、金属を操ることもできるんだ。それで、いま言っていたのは……」
背後、鼻歌でも歌い出しそうなテンションで野菜を丸ごと次々と並べていくカリンをちらりと見やり、早口で続ける。
「悪い、説明している時間はなさそうだ。とりあえず気をつけて」
言いながら、なぜか魔力で料理に空気のフタをするラグリアを呆然と眺めている間に、カリンの準備が整ったようだった。
「さて、それじゃ見せてあげるわ。私の練習の成果をね」
そういって、カリンがすっと両腕を持ち上げると、彼女の周囲に置かれていたフライパンや包丁等の調理器具がふわりと浮かび上がる。ルーシィはここにきてようやくカリンの意図を悟った。そして、ラグリアが顔を引きつらせている理由も。
「おい、本当に大丈夫なんだろうな、あれ……」
「ちょっと、離れといた方がいいんじゃ……」
ルーシィと同じ結論に至ったらしいグレイとシャルルが呟くが、今更対策を立てる余裕はなかった。
「ハァッ!」
掛け声とともにカリンが腕を振った直後、宙に浮かんでいた調理器具が、一斉に高速で飛び回り始めた。リビング全体を、縦横無尽に。
「「「「「「「うわああぁぁッ」」」」」」」
ルーシィ達は悲鳴を上げながら椅子から転げ落ち、四方八方から飛んでくるナイフやお玉を死にものぐるいで避けまくる。
数秒後、調理器具たちの危険極まるダンスがやっと落ち着いた時には、お玉のひとつが窓ガラスを突き破って外まで飛び出し、切り傷だらけの壁や扉には包丁やナイフが何本も刺さっていた。一人の怪我人も出なかったのは奇跡以外のなにものでもない。
自宅を数秒でズタボロにした金髪の女性は、顎に手をやり考え込んでいた。
「うーん、なかなか上手くいかないわねぇ……。あ、ごめんなさい。ちょっとやり過ぎちゃったわね」
「「「「「「「どこが『ちょっと』だッ」」」」」」」
五人と二匹、全員分の叫びに応えたのは、カリンではなく疲れ果てた表情のまま笑うラグリアだった。
「あはは……。実を言うと、前よりは随分マシになったんだよ、これでも」
「え……。じ、じゃあ、前って一体……」
ルーシィが恐る恐る質問すると、ラグリアはカリンをちらりと見たあと、掲げた左手の人差し指を垂直に立てた。
「ここの屋根が吹き飛んだ」
余りの衝撃に、ルーシィは声も出せないまま天井を見上げた。──と、次の瞬間そこにあったものを見て凍りつく。
先ほど飛び回っていた包丁のうち一本が、いまにも落ちてきそうなほど浅く刺さっていたのだ。そして、その真下には、ラグリア。
知らせなければ、そう思い口を開きかけるが、今度はカリンが口を開く。
「あの時は、ラグリアが手伝ってくれたからなんとかなったけど、大変だったわ」
ラグリアがカリンに向き直るのと同時に、彼の頭上の包丁が抜けた。
「あ……ッ」
思わず声を上げるが、ラグリアはまだ迫り来る危険に気づいていない。
──しかし、ルーシィの危惧は杞憂に終わった。
上体をカリンに向けたままのラグリアの右手が跳ね上がり、ガキンという金属音と共に包丁があさっての方向に飛んでいく。一体いつの間に手に取っていたというのか、彼の手にはフライパンが握られていた。
「だから普通に料理してくれって言ってるじゃないか。そしたらこんな……ん?」
ラグリアは降ろした右手のフライパンと天井を見比べ、不思議そうな表情を浮かべた。しかしすぐに視線をカリンの方に戻す。
「……危険なことにもならないだろ?」
カリンも特に驚いた様子はなく、腕を組むと挑戦的な瞳でラグリアを見返す。
「これは魔力制御の練習にもなってるの。だから駄目、止められないわ」
「いや、もっと別の方法もあるだろ……。ところでカリン、このフライパンは?」
「あんたがさっき、落ちてきた包丁を弾いたのよ。さっきから持ってたじゃない」
カリンの言葉にラグリアは再び天井を見上げ、そこでようやく納得したようだった。
「あぁ、それで……」
つまり、先ほどの行動はまったくの無意識だった、らしい。そして恐らく、飛び回っていたフライパンを片手で受け止めたのだろうことも。そんな馬鹿な。
「あのー、ラグリアさん? さっき言ってた屋根って、どうやって修理したんですか?」
とりあえず話を変えようと思い、ルーシィが尋ねると、今度はカリンが苦笑した。
「あぁ、それはね、ラグリアに魔法で時間を巻き戻してもらったのよ」
「…………は?」
予想外の返答に、ルーシィは今度こそ思考停止に陥った。しかしラグリアはルーシィ達が固まっていることに気づかず、平然と説明を補足する。
「確かに、僕の『具体化』は物質の時間も操れる。まだ制御に慣れていないから、あまり使いたくないんだけどね……カリン、またやるのかい?」
「えぇ、悪いけど、お願いするわ」
あっさり頷くカリンに、ラグリアは深い溜め息をつくと辺りを見回し、呟いた。
「まぁ、大丈夫か」
パチン、と指を弾く。次の瞬間、部屋中の傷跡が徐々に消えていき、同時にすべての調理器具がルーシィ達の体を透過しながら元あった位置に戻った。最後に割れた窓ガラスが完全に修復されたところで、カリンが満足げに微笑む。
「ん、ご苦労」
自分達は、本当に、本当にとんでもない人達と出会ってしまったものだ。
あまりにも大きな衝撃の連続に、ルーシィ達は驚愕も感嘆も通り越してただただ掠れた笑いを漏らすことしかできなかった。
結局、ラグリアが電光石火の勢いで代わりの副菜を用意し、波乱続きのテーブルセッティングはようやく終わりを迎えた。
流石はラグリアの手料理というだけあってパスタの出来栄えは見事なもので、即席の副菜まで申し分なかったときには思わずウェンディと二人で顔を見合わせて笑ってしまった。
スープの方は少し塩気が強かったが、これも自分達が後に戦闘することを考慮に入れてのことなのだろう。そんなことを考えながら、ルーシィは改めて尊敬の視線をラグリアに向けたが、赤黒い髪の青年はスープを一口すすると軽く苦笑した。
「うん、まぁ、少し塩辛いけど、一応合格かな?」
するとラグリアの向かいに座るカリンが彼をキロリと睨みつける。
「あら、ラグリア先生は身内に厳しいのね。そんなに言うなら料理のことも色々教えてあげれば良いんじゃない? セリナちゃんはこれで二回目の料理なんだから、充分よく頑張ったわよ」
「いや、別に不味いとは言ってないさ。充分美味しいよ」
慌てて顔の前で手を振るラグリアに、カリンは上目遣いで指先を突きつける。
「じゃあそう言えばいいのよ。まったく、素直じゃないんだから」
「このスープはセリナちゃんが作ったんですか?」
横から差し挟まれたウェンディの問いに、カリンは笑って大きく頷く。
「えぇ、具を切ったのは私だけど、スープの味つけは全部セリナちゃんがレシピ見ながらやっちゃったんだから。ホント偉いわ〜」
カリンの隣に座るセリナは、彼女の言葉に嬉しそうにえヘヘ、と笑った。
料理をすべて胃に収める頃には、けだるい満足感に満たされていた。
しかし、量が多かったというわけではない。ラグリアが配分したのだろう、きっちり腹八分目に調節された食事は少し物足りず、ナツやグレイなどは空気も読まずに文句を垂れてエルザに諫められた。それでも、ラグリア達三人が作り出す穏やかな空気や、大勢で食卓を囲む新鮮な楽しさが、僅かに残る物足りなさを打ち消していた。
一息ついた後は、カリンが書庫から再び例のハードカバーの本を取り出してきて机上に広げ、それを『妖精の尻尾』の面々プラスアルファ、ラグリアにセリナ、そしてカリンが囲む。
カリンはテーブルに手を突くと、真剣な表情で全員を見渡した。
「じゃあ、改めて情報を整理しておくわね。まず気をつけなきゃいけないのは、森にいるモンスター達。魔法を使う個体はいないはずだけど、一応言っておくと、どれもとにかくでかいわ。私が見た中では、一番小さくて三メートルくらい」
それを聞いたナツが、右の拳を左手に打ちつける。
「上等だ、何体でもぶっ飛ばしてやる!」
「ま、それくらいの大きさの奴なら、俺たちの敵じゃねぇな」
グレイの余裕の微笑にルーシィも一瞬視線を向け、片頬を持ち上げる。
「……そして次に『スミレ山』よ。今朝言ってた霧についてなんだけど、発生したタイミングを思い出したわ。森の奥に入っていくと、ある地点からモンスターが出てこなくなるの。霧が出るのはそのすぐ後よ。
……それで、これも念の為言っとくけど、私の依頼はあくまで『スミレ山』の調査だから、あまり無茶なことはしないでよ──特にあなた」
いきなり指差されたナツは、特に気にする風もなく笑って応じる。
「大丈夫だって。はははははッ」
「ホントかしら……」
疑いの目でナツを見るトレジャーハンターの女性の呟きに、エルザが一歩進み出る。
「私たちは討伐系の依頼は特に数多くこなしている。達成率は期待してくれて構わないぞ」
カリンは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにふっと口元を緩めた。
「流石は大陸最強の魔導士ギルドね。さっきの反応といい、私なんかとは大違いだわ。ひょっとして、いま言った注意も失礼だったかしら?」
これにはルーシィ達もはにかむほかない。エルザも苦笑しつつ首を振る。
「いや、情報は多い方が有り難い。……それで、『スミレ山』の場所は?」
カリンはエルザの問いに少し考える素振りを見せると、すぐに答えた。
「ここからだと、東に三千キロ行った辺りかしら」
「結構あるわね」
シャルルの言葉に、カリンはにやりと笑った。
「そこはもちろん、ここにいる反則級の大魔導士サマにお任せよ。ねぇ?」
無言の圧力を含んだ翠色の瞳に気圧されながら、ラグリアも頷く。
「あ、あぁ、僕の『空間接続』は、目的地の正確な位置座標さえわかれば使えるからね」
カリンはルーシィ達をまっすぐ見ると、にっこりと微笑んだ。
「そういうわけだから、気をつけて行ってらっしゃい。健闘を祈ってるわ」
『妖精の尻尾』の面々がラグリアが造り出した空間の境界をくぐるのを見送ってから、カリンはほっと一つ吐息を漏らした。
「想像以上に良い人達だったわね。今朝会ったばかりなのに、もうずっと前からつきあいがあったみたいに話し易かったし」
隣に立つラグリアも、穏やかに微笑む。
「同感だ……というか、だからこそ紹介したんだよ」
その言葉に、しかしカリンは彼を横目で軽く睨み上げた。
「それはいいんだけど、連れてくるのが突然過ぎるのよあんたは。一人暮らしの、それも年頃の女の子の家にいきなり大勢で押しかけるとか、デリカシーが無いにもほどがあるんじゃないの?」
「い、いや、それは確かに悪かった。けど、一度で済ませるにはあれしかなくて」
カリンは呆れて腕を組み、嘆息する。
「私をギルドに連れて行けばよかったでしょ?」
「あ、ハイ……」
「まぁ、沢山の人の前で話すのは苦手だから、それはそれで困るけど。──で、今回の転移は上手くいったんでしょうね? さっきはなにかやらかしたみたいだけど」
カリンの問いに、ラグリアはこくこくと頷いた。
「あぁ、大丈夫。今回は君が座標を教えてくれたからね。ありがとう」
「そ、そう。それならよかったわ。……どういたしまして」
不意打ち気味の感謝の言葉に、頬が熱くなるのを俯いて誤魔化す。
「じゃあ、これからどうするの? まだいるならお茶淹れるけど」
しかし、ラグリアは軽く首を振った。
「ごめん、今日はちょっと、料理のことで相談したい人がいてね」
「相談したい人?」
「『妖精の尻尾』の、ミラジェーンさん」
その返答に、カリンも納得した。ギルドの看板娘である彼女なら、確かに良い相談相手になるだろう。
「あぁ、そうね、いいんじゃない? 私なんかじゃ話にならないものね」
後半の語調を強めながら言うと、ラグリアは苦笑した。
「いや、そういう意味じゃ……まぁ、否定はしな──」
「──なにか言った?」
カリンが睨むと、ラグリアは慌てて首を振る。
「いや、なにも。……それで、僕がいない間、セリナを預かってて欲しいんだ」
「ん、わかったわ。ところで、通信用魔水晶は持ってるわよね?」
「あぁ、勿論、大事に使ってるよ」
そういってラグリアが取り出したのは、掌サイズの板状の魔水晶だった。この直方体形の物体は、『妖精の尻尾』の一時解散中、元メンバーで『念話』使いのウォーレンが発明したものとほぼ同じものだ。というのも、カリンはこれの構造解析に成功し、改良版の製造もできるのだ。つまりラグリアがいま持っているのもその改良版ということである。
カリンはラグリアの言葉に、意地悪く口の端を持ち上げる。
「その割には今朝連絡くれた時、『念話』使ってたわよね?」
「あ、あぁ、そうだったね。ははは……」
「まったく、つい魔法を使ってしまうなんて、贅沢な悩みね。……じゃあ、私も少しやることあるから」
「わかった、セリナのこと、よろしく頼んだよ」
3
「火竜の鉄拳‼」
炎をまとったナツの拳が正面から突進してきたイノシシを吹き飛ばし、
「氷造形、『氷創騎兵』‼」
グレイが放った幾つもの氷の槍が、左から来たタカアシグモの脚に全弾命中。
「天竜の翼撃‼」
更に右上空から飛来したタカがウェンディの両腕から発生した暴風に飲まれ墜落し、
「天輪・循環の剣‼」
エルザの放った無数の剣による斬撃が、背後から忍び寄っていたザリガニの硬い殻に覆われた全身を徹底的なまでに切り刻む。
ルーシィ達は、無事『スミレ山』の麓に広がる広大な森に転送され、順調な行軍を続けていた。しかし、誤算だったのはその面積だ。カリンの本の図だけで推し測ることができないのはわかっていたが、延々と続く深い森は一向に終わる気配がない。
少し進んだところで不意に視界が開け、芝生が広がる小さな空間に出た。エルザを除く全員でその場にへたり込む。
「この森、いつになったら終わるんだよ?」
「森が広いというか、モンスターが多い……」
大の字に倒れ込んだナツとうつ伏せになったハッピーのぼやきに、ルーシィも頷きを返す。
カリンの事前情報通り、モンスターはどれも巨大だった。確かに、それだけで苦労することはない。だがこの数分間だけでも、軽く二十を超えるモンスターと遭遇しているのだ。ここまでハイペースな戦闘が今後も続くことになれば、いかに楽なものもその限りではなくなってくる。
ルーシィが考え込んでいると、少し先まで行っていたエルザが戻ってきた。
「とりあえず、この近くにモンスターはいないようだな。……ところで、本当にこのまま進んでいいんだろうか?」
「え? それってどういう…………あッ」
そこでルーシィも、エルザの言葉の意味するところを悟った。
現在、ルーシィ達はラグリアに転送されたポイントからほぼ変わらず前進を続けている。それはラグリアが正確な座標に飛ばしてくれたことを誰ひとり信じて疑わなかったからだ。
確かにラグリアにはその能力がある。しかし彼は、カリンの家に向かう前、こうも言っていたではないか。
目的地を知らない場合、転移に失敗し易い、と。
そして生い茂る高木が視界を遮っているせいで、ルーシィ達はここまで一度も『スミレ山』の姿を見ていない。
その時グレイが「そうだよ……」といって上体を起こす。
「方向はこっちで合ってんだろうな?」
ルーシィと同じことを考えていたのだろう彼の言葉に、エルザも顎に手を当てて考え込んだ。
「まずいな……。よし、ハッピー、悪いが『スミレ山』の位置を空から見てきてくれ」
「あいさー……」
寝そべったまま疲れきった顔で応えると、ハッピーはエクシード特有の魔法『翼』を展開し、十メートル上空まで飛び上がって辺りを見回す。
──しかし次の瞬間、空中で軽く跳び上がると慌てて戻ってきた。
「皆逃げてぇッ!」
「え?」
ルーシィが呟いた──直後、ハッピーの背後上空に巨大なワシが現れた。全員で悲鳴を上げ、転がるように森に駆け込むと、ハッピーも続く。
木の裏に回り背をぴったりと木につけると、すぐにズン、という震動が足下から伝わった。巨大ワシが着地したのだ。
「……?」
しかし、様子がおかしい。ルーシィがそっと木の陰から顔を出すと、こちらを見据えるワシの鋭い瞳とばっちり目が合い、慌てて首を戻すが、それでも巨大ワシは依然動く気配がない。もう一度顔を出すと、まだ見ていた。
「なんで、襲って来ないの……?」
ルーシィの言葉に、他の皆もそっと様子を窺う。
「なにかを待っているのか……?」
エルザはそう言うと、視線をワシに据えたまま続けた。
「いずれにしろ、動かないなら好都合だ。ハッピー、『スミレ山』の方向は?」
ルーシィの後ろに隠れたハッピーも動かずに答える。
「えぇと、こっち……オイラ達の後ろだよ」
「よし、皆いいか、このままゆっくり下がるぞ」
エルザの指示に、ナツが意外そうな顔になった。
「戦うんじゃねぇのか? あんなの一発だぞ」
エルザはナツを一瞥すると、すぐに応えた。
「もしかすると、この森のモンスター達は私達が立てる音に集まってくるのかもしれん。だとすれば、あのワシと戦えばまた囲まれる可能性がある。モンスターが少ないいまの内に先を急ごう」
その言葉にナツも渋々ながら意見を引っ込め、全員で後退する。巨大なワシは何を考えているのか読めない瞳でじっとこちらを見ていた。
巨大ワシの姿が見えなくなると、早足でその場を離脱。しばらく進んだところで速度を緩め、全員で安堵の吐息を漏らす。
「なんで襲って来なかったんだろ?」
ルーシィが再び疑問を口にすると、エルザは軽く首を振った。
「わからんが、もう追っては来ないだろう」
そこでなにかに気づいたのか、エルザは「ん?」といって顔を上げた。
「そういえば、先ほどから妙に静か過ぎないか?」
その言葉に、ルーシィも辺りを見回す。言われてみれば、先ほどまで遠くで聞こえていたモンスターの唸り声が止んでいる。と、次の瞬間──。
──周囲に、濃い霧が立ち込めた。
「な……」
思わず立ち止まり、お互いの顔を盗み見る。一応全員の顔はなんとか見えたが、周囲の森は三メートル先も見通せなくなってしまった。
「これがカリンの言っていた霧か……。皆、気を引き締めていくぞ」
エルザの言葉に各々頷きあい、ルーシィ達は霧の中ヘと進んでいった。
「うーん、そうねぇ……」
カリンは自宅の隣に備え付けられた倉庫の中で独り唸っていた。
その時、凄まじい轟音が大気を震わせ、思わず跳び上がる。
「きゃあッ!」
「ただいマー」
元気な声とともに、開けっぱなしだった扉の向こうでキッチンに入った金髪少女の姿が見え、詰めていた息を苦笑とともに吐き出した。日課を終えたセリナが戻ってきたのだ。
「お帰り、セリナちゃん」
そう言うと、ラグリアにちゃんと躾けられたセリナは手を洗いながら満面の笑みを返してくる。
彼女の魔法、『電流』については、ラグリアからひと通りの説明を受けていた。
一般的に、高い火力を身上とするのが雷属性の魔法の特徴だが、彼女の『電流』は術者の身体を電気エネルギーに変換するという、他に類を見ない能力を併せ持つ。故に雷属性の魔法の中でもとりわけ巨大なエネルギーをもっており、彼女は常時その力をもて余しているらしい。そこでラグリアは、食後に外で遊ぶことをセリナの日課と定めることで、溜まり続ける余分な魔力を適度に吐き出させているというわけだ。
彼の熱心な指導のお陰で、いまではセリナも自在に技を発動できるまでに上達しており、魔力の発散も遊びの一環として楽しんでいる。それ自体は喜ぶべき事なのだが、ここ最近のセリナは日課の締めくくりに決まって大技を一発放つ為、カリンはその轟音に毎度驚かされている。雷が特別苦手というわけではないし、身構えてもいるのだが、やはりいつ来るか予想できない爆音というのはそう簡単に慣れるものではない。
「カリンは何やってたノ?」
気がつくと手洗いとうがいを終えたセリナがこちらを覗き込んでいた。
「ん? あぁ、『妖精の尻尾』の皆に渡す報酬をどうしようか考えてたの。本来の依頼形式を無視しちゃったから、お金だけじゃ悪いと思ってね。セリナちゃんは遊んでていいわよ」
「はーイ」
セリナは小走りに駆けていくと、お気に入りの西洋人形と小説を取ってリビングに戻った。物語の場面を人形で再現する、というのがいまの彼女のマイブームらしい。
その背中を見送ってから、カリンは再び思考を巡らせつつ引き出しの一つに手をかけ、中を検め始めた。
カリンの自宅の隣に備え付けられた六角柱形の塔の内部は、扉を除く五面すべてに幾つもの引き出しが付いた倉庫になっている。カリンはそこに自分の人形や本、そして仕事の報酬や記録等を細かく分類して収納しているのだ。
しかしいくら人にあげられるものが多いといっても、正式な依頼の報酬ともなればことはそう単純にはいかない。仕事やその報酬として手に入れたアクセサリー類は論外だし、自作の人形や本は男性陣に受けが悪い。
思案の末、やはり最近上達してきた料理の一つでも披露しようかなどと考え始めた頃、いつかの仕事で手に入れたとあるレアアイテムの事を思い出し、カリンはピタリと手を止めた。トレジャーハンターの間でも最高のS級秘宝に指定されている、究極の希少価値をもつ魔法道具。
なぜいままで気づかなかったのだろうか。カリンは興奮に荒くなる呼吸を抑えつつ、急いで目的の引き出しを漁り始める。
──あった。カリンは引き出しの奥に大切に保管していたそれを、慎重につまみ上げた。
S級秘宝の例に洩れず凄まじい高額がつくこの魔法道具は、トレジャーハンターであるカリンには使い道がなく、本来ならすぐJに換金されるはずだった。
だがカリンはこの道具のクリーニングを終えた時、その優美な形状と輝きにすっかり魅了されていた。故に今日まで厳重に保管し、一番の宝物としてとっておいたのだ。
そして今日、その宝がようやく再び日の目を見る時が来たのだ。覚悟を決めろ、カリン・ミナヅキ。
何も恐れることはない。このS級秘宝は、本来あるべき場所ヘと帰る為だけに、束の間その姿をカリンに見せてくれたのだから。大丈夫、きっと彼女ならば、上手く使いこなせる。
カリンが腕を伸ばし魔法道具を高く掲げると、屋根の採光窓から差し込んだ陽光が反射して、唯一無二の存在であることを示す金色に、キラリと輝いた。