意識が、泥の底から引き上げられるように覚醒していく。
薄く目蓋を開けると、誰かが自分を見下ろしていることに気づく。
ぼやけた視界が焦点を結ぶにつれ、よりはっきりとそのシルエットが見えてくる。紫色のサイドテールの少女だ。
彼女はこちらの意識が戻ったことを確認するなり、振り上げていた右腕を思い切り振り下ろした。
「わあッ」
ルミネアが慌てて避けると、彼女が持っていた魔力増幅用の杖がベッドに叩きつけられる。
ルミネアは溜め息をつきながら上体を起こした。
「はぁ……。そういうことは心臓に悪いので止めてもらえませんか、ネフィリムさん?」
少女、ネフィリムは、杖を掲げながら満面の笑みで応える。
「えへへ〜。そろそろ時間だよ、ルミネアちゃん」
ネフィリムを横目で見ながらも、ルミネアは事務的に返した。
「そうですか、ありがとうございます」
一礼すると、着替えてからベッドを降りる。向かう先は当然、館の中心部、時計台前だ。
しばらくして所定の場所にたどり着き、ルミネアは就寝前の再演の如くバイオリンを出して構える。時刻は午前一時半を指していた。
「この山と森に住まう者達よ、眠りから目覚めよ……『起床曲』」
──ルミネアが放った特殊な音波はスミレ山を囲む森のほとんどに届き、その種族を問わず効果範囲内にいたすべての者を眠りから解放した。
「……ん、あぁ……。もうこんな時間か」
ベルクスの呟きに、伸びをしながら例によって頭の上に疑問符を浮かべる隣のグレイに、ベルクスは淡々と説明する。
「『起床曲』。一定範囲内の対象者の意識を覚醒させる、ルミネアの技だ。効果範囲が広い割に魔力消費量が少ないから、こうやって目覚まし時計の代わりに使ってんだよ」
へぇ、とグレイが一つ呟くと、二人で着替え始めた。
着替えが終わり、人心地つくと話題もなく、天井を眺めるともなく眺める。
「ベルくん、起きてる?」
しばらくして、控えめなノックの音がした。
「リリスか?」
「うん。良かったら、ちょっと喋ろうよ」
部屋を出ると黒いネコ耳に赤髪の少女が出迎えた。ベルクスは廊下の壁に背を預けると、腕を組んで口を開く。
「お前、この時間でどうやってここまで来た? 女子寮は反対側の棟だろ」
ベルクス達が暮らす橙鬼館の本館は、中央にそびえる時計台を取り囲むように位置する四つの塔をコの字型の館が繋ぐ構造となっている。
そして正面から館を見て、右側が男子寮、左側が女子寮となっているのだが、その二棟を繋ぐのは正門側の通路と、館の背後に屹立する二本の展望台の足下に申し訳程度にある細い渡り廊下のみ。
館内での飛行は──あまり気にしている妖精は見ないが──基本禁止であるため移動は徒歩だろう。リリスの部屋がいま女子寮のどこにありどのルートを通ったとしても、ベルクスの部屋まで来るにしては余りに早い。
以上の情報を踏まえた問いに、しかしリリスはなぜか得意げな顔で答える。
「それはまぁ、あたいの隠れた自慢かな」
意味不明な返答をする猫妖精の少女には取り合わず、ベルクスは鼻から息を吐いた。
「まぁいい。……にしても、アシュリー様はなんでこんな部屋割にしたんだ? ルミネアの魔法がなきゃ、うるさくて眠れないところだったぞ」
部屋の中ではグレイの下の段で、ナツとリドラが折り重なって眠っている。ルミネアの『起床曲』には確かに意識の覚醒を強制する効果があるが、この場合『常闇曲』の効果を解除する為に使用されたはずなので、昨晩騒ぎ疲れて自然に眠ってしまっていた彼らには効果が無いのだろう。
ベルクスのぼやき半分の問いかけにリリスは苦笑すると、簡潔に答えた。
「まぁ……テキトー?」
「ッ、あのヒトらしい……」
ベルクスが呆れて顔を押さえると、リリスは続ける。
「それを言うなら、ウチの鬼様達は勝手なヒトばっかりだよね。お嬢様だって今回の親善試合いきなり組んじゃってさ」
「それ、お嬢様の前で絶対言うなよ」
「わかってるって。これはあたい達二人の秘密ってことで」
リリスが出した拳に自分の拳を軽くぶつける。と、彼女は「あッ」といってこちらを見た。
「ルミネアちゃんが技を使ったってことは、もうあんまり時間ないよね。それじゃベルくん、また後でねー!」
駆けていくリリスに、ベルクスは気のない返事と共に手を振り返した。だが直後、ベルクスの目が奇妙なものを捉える。
リリスは廊下の中ほどまで駆けていくと、おもむろに手近な窓に手をかけたのだ。何をするつもりかと眺めていると、リリスは窓を開け窓枠に片脚を掛ける。
と、そこで振り向いた彼女と目が合った。一瞬ぎくりとしたリリスの顔を見て、ベルクスはようやく彼女の意図を悟ったが、同時にリリスは背中の翅を大きく一度羽ばたかせて外に飛び出す。
「あッ、おいリリス──ッ」
ベルクスが慌てて駆け出して彼女が開けた窓の前に辿り着いた時には、リリスはもう時計台側面の梯子を登り終わるところだった。
ベルクスがやり場のない怒りをどうにか表現しようと滅茶苦茶な手振りをしていると、当のお転婆猫妖精は悪戯っぽい瞳で勝ち誇ったような笑みを浮かべて、口元に人差し指を当ててみせる。
まるで『鬼の誰かに告げ口したら、ベルくんも連帯責任になるよ』とでも言いたげだ。
リリスは素早く身を翻すと、小走りで時計台の裏に走っていく。彼女の姿が見えなくなってすぐベルクスが耳を澄ませると、ブゥウウウという虫の羽音めいた猫妖精の飛翔音が、微かに聞きとれた。
ベルクスは窓枠に両手を掛けたまま、がくりと項垂れる。
──ッたく、あのアホネコ……。
1
リリスが橙鬼館中央の大広間に向かうと、そこには既に種族、容姿共に多種多様な妖精達が詰めかけていた。
リリスは首を巡らせて静かな喧騒に湧く仲間達を眺める。
ここに集まっている妖精だけで、どれだけの数になるだろうか。リリスも真剣に数えたことがない為総数は把握していないが、五十人くらいにはなりそうだ。
しばらく待っていると、この山では聞き慣れた新聞屋の声が耳に飛び込んできた。
『あ、あー、マイクテス、マイクテス。……さあッ、いよいよこの時間がやって参りましたッ。人と鬼、両者間の親交を深め合う親善試合! 名付けて、スミレ山人妖対抗親善試合ッ!』
鴉天狗の女性が叫ぶと、にわかに場が沸き返る。しかしその中に小さく『なんで私まで……』という女性の声が混じったのを、リリスは聞き逃さなかった。どうやら、普段は山裾の森を警備するはずのメープルも、流れで引っ張り出されているらしい。
『ミレーネさんが戦うところ、見たいんじゃないんですか?』
『うぅ、それは、そうですけど……』
メープルが渋々黙り込み、文がニッと笑う気配。
『司会進行と実況はこの私、ブン屋でおなじみ疾風丸 文が、そして解説はこちら、山の中規模警備部隊、『白狼隊』の隊長であるメープル・スプリンターさんが務めます』
『ええッ? 私がやるんですか!?』
明らかにメープルの声が裏返ったが、文は無視して続ける。
『それでは早速、この方にご登場して頂きましょう。このスミレ山を統べる我らが主、レンカ・ハーネットさんです!!』
その声に、地をどよもすほどの爆発的な歓声が上がった。リリスも、二階バルコニー部分に栗色のロングヘアーの女性が現れた瞬間、目を輝かせてその容姿を見上げる。
レンカはひとしきり妖精メイド達に手を振り返すと、最後に文達のいる司会者席──本来は同じく二階バルコニーの一部だが──に手振りで謝意を表し、手すりに両手を突くとよく通る声で話し始めた。
「やぁ、橙鬼館に勤める妖精メイド諸君、そして人間の魔導士諸賢。あたしが今回の親善試合を主催する、レンカ・ハーネットだ」
一呼吸を置いて、レンカは集った面々にゆっくりと首を巡らせる。
「まずは、あたしの一存でこの場を設けてしまったことに謝罪したい。特に深い考えもなく、皆が本来寝静まっているであろうこの時間帯に試合をしたいと言い出したのは、すべてあたしの不徳の致すところだ。
さて、夕刻にも連絡したように、この館には現在、人間の魔導士ギルドとその仲間達が客人として訪れている。名前はこの中でも聞いたことがあるという者もいるだろう。『妖精の尻尾』だ」
その言葉に、妖精メイド達が色めき立つ。
「ブン屋の情報によれば、彼らはこの大陸・イシュガルにおいて最強の勢力を誇っており、海の向こうの大国・アルバレス帝国の軍勢すらも退けているらしい」
レンカはやにわに両手を持ち上げると、手すりを叩いた。
「そこでッ、あたしは彼らの持つ力、思いの力を試すことにした。そのための親善試合だ。この山では、鬼も妖精も天狗もみな仲間同士! 種族の違いなど関係ないッ。そんな垣根を越えたあたしらの思いの力がどれほどのものか存分に披露し、是非人間たちとの友好の証として、ここに示そうじゃないか!」
再びの地をどよもす歓声。リリスも思わず手を叩いて快哉を叫んでいた。
「以上で、あたし、レンカ・ハーネットからの、開会の挨拶とする。疾風丸、後は頼んだ」
『はい、熱いお言葉、どうもありがとうございました!
それでは続きまして、この試合のルール説明に移らせて頂きます。ルールは至ってシンプル! 我々スミレ山の住人と魔導士ギルド『妖精の尻尾』の一対一の三回勝負! 先に二勝を収めた方の勝利となります。試合に出場する順番は、各チームでの相談。じっくりと考え、両チーム共に作戦を練って下さい!
また、どうしてもこの試合に参加したいッ、という方は、遠慮なく鬼のどなたかに申し出て下さい。余りに多い場合は、申し訳ございませんが抽選となりますので、焦らずお早めの申告をお勧めします。……最後に、アシュリー・レフィエイルさん、会場のセッティングをお願いします!』
「フッ、そう来ると思ってたわ。任せて頂戴」
そう言うと、人混みの中にいた鬼の魔術師は持っていた本を開き、複数の魔法石を展開する。
「シチュエーション1 ステージ名"コロッセウム"起動」
すると景色がぐにゃりと歪み、気づけばリリス達は広い円形の闘技場の中にいた。
これこそが、『静かなる鬼の魔術師』、アシュリーの空間魔法の真骨頂。その時と場合に応じて、ある程度狭い空間であれば細かい環境すら一瞬で、それも現実に忠実に再現してしまうのだ。
闘技場二階、観客席に移動していたリリスは、同じく移動してきた大勢の妖精の中に見知った背中を見つけ、小走りで駆けていく。
「ネフィちゃん、ルミネアちゃん!」
片方の紫髪の少女はすぐにこちらに気づいて手を振り返してくるが、もう一方の少女は背を向けたまま何の反応も寄越さない。
「ルーミーネーアーちゃんってば」
一歩踏み出すごとに一音ずつ発しながら近づいていき、リリスが黒髪の少女の両肩に手を置くと、彼女はビクリとしてからゆっくり振り返る。
「あぁ、リリスさん。すみません。文さんの声が大きかったので、音声を干渉して耳を閉じていました」
「……。にゃはははッ、確かにブン屋の声は響いてたけど、説明はちゃんと聞かなきゃ駄目だよ?」
リリスの言葉に、ルミネアは微笑を浮かべて応える。
「大丈夫です。そこはネフィリムさんがちゃんと──」
「──聞いてないよ?」
ルミネアが一瞬固まってから隣を見るとネフィリムは屈託のない笑顔で続けた。
「だってさっきまでセリナちゃんのとこ行ってたし」
微妙な空気が流れる中ルミネアはゆっくりとこちらに顔を向け、至極真面目な表情を作った。
「それでは仕方ありません。リリスさんで良いです」
「仕方ないってなにさ、『で』って何?」
ルーシィたち『妖精の尻尾』のメンバープラスアルファ、ラグリアたち三人は、闘技場地下に敷設された選手控え室に集まっていた。
アシュリーの空間魔法については見事の一言に尽きるが、いまはそれよりも考えることがある。
「うーん、三回勝負ってことは、この中の半分以上が出られないことになる訳よね……。皆、どうしよっか?」
「一番手は俺で決まりだろ!」
「ナツ、アンタねぇ……」
単純なナツの発言を制したのは、他でもないエルザだった。
「まぁ落ち着けナツ。考えることはいくつかある」
「そうだね。一回状況を整理しよう」
エルザの言葉に、ラグリアも同意を示す。
「相手は恐らく、三試合すべてを勝負事が好きな鬼で占めてくるだろう。そして、彼女たちは人間とは比べものにならない能力をいくつも持っているとミレーネは言っていた。そこで、私に考えがある」
一拍置いて、エルザは真っ直ぐな視線で全員を見渡した。
「この勝負──第一試合は、私が引き受けよう」
2
『さあッ! まもなく制限時間一杯となりますが、両チームとも、出場メンバーは決まったのでしょうか! ……解説のメープルさん、お互い、どう来ると思いますか?』
『はい。まず、スミレ山チームですが、驚きました。想像していた以上に立候補者が多く、抽選による選出が行われたからです。その後、何事か話し合っている様子だったので、より良い選出をする為にレンカさんがなにか別の選出方法を提示したのでしょう』
文の手慣れた進行とは対照的に、メープルは困惑を隠し切れない声で応える。彼女はなにも知らされずに巻き込まれたため、まだ状況を飲み込み切れていないのだろう。
だが、普段から緊急事態に対処している警備部隊長の面目躍如というべきか、その声音は既に落ち着きを取り戻し始めていた。
『次に『妖精の尻尾』チームですが、こちらについてはまだ私たちが知らない事が多く、よくわからないというのが正直な感想です』
『なるほど、ありがとうございます! 面白い取り合わせが出てくると良いですね!
……さて、どうやら試合開始の時間が近づいてきたようです。アシュリーさんが設定した"コロッセウム"二階の観客席には大勢の妖精メイド達が詰めかけ、開戦の時をいまかいまかと待ちわびているのが伝わってきます!』
その時、観客席の右端で音楽妖精の楽団がファンファーレを奏で、制限時間がきたことを告げた。
『はい、たったいま、制限時間一杯となりました! 観客の皆さん、いま一度ご着席願います!』
文の言葉に、妖精達のざわめきがわずかに収まる。
『それでは早速、出場者にご登場頂きましょう。
──まずは『妖精の尻尾』チーム……おっと、これはいきなり本命の登場か!? フィオーレ王国最強の女騎士、エルザ・スカーレット選手ッ!!』
闘技場一階、右手側から溶明した緋色の髪に鎧姿の女性は、十メートルほどゆっくり歩いてくると立ち止まり、キリッと引き締まった表情を作る。
「エルザ・スカーレット、参るッ」
『……続いてスミレ山チーム。まず先陣を切るのは、この方! 橙鬼館のメイド長でありながら地下図書館の司書をも務める、バーナ・トールス選手ッ‼』
闘技場の反対側から鬼の女性が現れ、観客席、特にエルザから見て左手側の風妖精らしき少女達が大きく沸き返る。
「バーナさーん、頑張って下さーい!」
その中の一人、確か名前をアイリスといった黄緑色のポニーテールの少女の叫びに、バーナは笑顔で両手を大きく振り返して応えた。
しかし次にエルザの方を見ると、ぎょっとして仰け反る。
「げッ、確か貴女って、ここに来る途中ミレーネさんを倒しちゃった人ですよね?」
「あ、あぁ、そうだが……そう、なるのか……?」
エルザが困惑して答えると、バーナはがくりと項垂れた。
「うわぁ、どうしよう、勝てる気がしない……」
しかしバーナはそこで頬を叩き深呼吸すると、閉じていた目をゆっくり開く。その顔からは、もう気弱な雰囲気は消えていた。
「レンカ様のため、このバーナ・トールス、推して参ります」
その言葉と共に、彼女の手が背に差した剣に伸びるのを見て、エルザも異空間にしまってあった剣を取り出し構える。それを見て、バーナは再びぎょっとした表情になった。
「ええッ? 貴女も剣遣いなんですか!?」
「……そうだが、どうした?」
「それでミレーネさんに勝ったなんて、ホントに勝てる気がしないよぉ……」
俯いて何事かぶつぶつと呟いていたバーナは、首をぶんぶん振るともう一度構え直す。
エルザは内心苦笑しつつ彼女の様子を眺めながら、その実冷静に相手の戦力を分析していた。
こちらに剣の切っ先を向けるバーナの体格は自分とそう変わるものではない。
剣を持っている、ということは彼女の武法は補助、あるいは武器に関するなにかだろう。
館の見回りをしていた際、彼女は一足飛びに三メートルは下らない高さを跳躍していた。
やはり気を付けるべきはあの身体能力か。そう考えながら、エルザはぐっと剣の柄を握り込んだ。
開戦の合図は何もなかった。にもかかわらず、二人が地を蹴ったのは同時だった。
突進の勢いもそのままにバーナが突きの構えを取るのを見て、エルザは刀身を横に寝かせて弾きの構えを取る。弾きは難なく成功し、エルザは一瞬で相手の懐に潜り込んだ。
右手外側から剣を振り抜き、脇腹を狙う。だがその時、バーナの右手が残像を残して消えた、と見えた時には、既にエルザの剣が弾かれた後だった。
これが鬼の反射神経。エルザは相手に動揺を気取られぬように素早く構え直し、今度は小細工なしに正面から打ちかかる。
受け側に回ったバーナの腕が、目まぐるしい速度で振るわれ、エルザの斬撃をことごとく弾いていった。だがエルザも負けてはいない。時折防御の合間に差し挟まれる雷撃の如き一撃一撃を、瞬間的な反応だけで叩き落とす。
十数合にも及ぶ攻撃の応酬ののち、二人の剣が正面から激突し、鍔迫り合いにもつれ込んだ。息がかかるほどの距離で互いに睨み合う。しかし、両者共にその口元は綻んでいた。
「なかなかやるな……ッ」
「有り難いお言葉ですね」
だがエルザは、この時点においてまだバーナ・トールスの脅威というものを見誤っていた。
バーナが剣を握るのは、いつしか右手のみになっており、左手はフリー。それに気づいた瞬間、その左手に眩ゆい光が出現する。
危険を察知してバーナを突き放し、距離を取ろうと後方に跳ぶが、その動きに追いすがるようにバーナの左手が動き始める。
十分に距離を取った──はずだった。しかし彼女の左手に生まれた光が細長い槍を形成した途端、その穂先が一瞬、しかしはっきりと目に見えて伸長した。
「ぐッ」
鎧の腹に鬼の腕力を乗せた重く強烈な一撃をまともにもらい、エルザは呻いてたたらを踏む。顔を上げ、奥歯を食いしばりながら彼女を見た。
「それがお前の魔法……いや、武法か……」
「その通りッ。私の『フォージ』は、超高温のマグマから金属製の様々な武器を造り出す武法です。剣一本で戦っていては、手数で私に敵いませんよッ!」
バーナが槍を消して左手をなぎ払うように振ると、今度は彼女の周囲に無数の小さなマグマの球が出現する。それがナイフに変じると、バーナはこちらに向かって一斉に解き放った。
「『千本刀』ッ」
しかし、その直線的な軌道を読み違えるエルザではない。目を見開いて技の軌道を読み切ると、一刀流で命中弾のみを正確に弾き、魔力を発動させた。
「換装、炎帝の鎧‼」
すると、エルザの全身を束の間強い光が包み、まとっていた鎧が赤と黒の炎を模したデザインの鎧に変化する。髪型もストレートからツインテールに変化していた。
異空間にしまってある武器や鎧を瞬時に呼び出して装備する──これがエルザの操る魔法、その名も換装魔法『騎士』である。
この鎧は火属性の魔法に耐性をもつ。彼女は自身の武法を、『超高温のマグマから武器を造り出す』ものと語った。そこから、火属性の攻撃も可能であると類推するのは至極自然。
バーナが、走り込むエルザを迎え入れるように両手を開く。と、次の瞬間、武法の特性を活かした多彩な連続攻撃が始まった。
剣と太刀、太刀と大剣、大剣とナイフ、戦金槌、長槍、薙刀、そして斧槍。上下左右正面あらゆる方向から次々と襲い来る斬撃、打撃、刺突、そして薙ぎ払いを、エルザは火属性の二刀流とステップ回避ですべて受け切る。
猛攻に晒されながらも、エルザは冷静にバーナの技について考察していた。ここまでの戦闘で、二つほどわかった事がある。
彼女の操る武法『フォージ』は、基本的にはエルザの換装魔法やグレイの造形魔法に似た特徴を有している。だが、一度造り出したものをマグマに戻して直接別のものに造り変えたり、造り出したものの形状を保ったままその一部分だけをマグマに戻したりできる。
バーナの視線の置き方や両手の動きに集中していれば、次の攻撃がどこから来るか大方の予想は可能だ。一部をマグマに戻した武器による攻撃も、この火属性の剣を使っている限りは十分受け切れるだろう。だがそれだけでは現状を打開するには足りない。
斧槍の一撃を大きく跳んでかわした直後、エルザは再び魔力を発動させた。
「換装、幽絶の鎧‼」
すると今度は髪型はハーフアップに、鎧はワンピースのビキニとロングドレスが組み合わさったような戦闘スーツに変じていた。背後には、あたかも鳥の羽の如く複数の巨剣がその切っ先を地に向けて展開、浮遊している。
防戦一方だった不満を爆発させるがごとく、エルザは猛然とバーナに斬りかかった。
「うわッ」
斧槍という長柄武器を出していたことが仇となって一瞬反応が遅れ後退したところに、容赦なく空中の剣を放つ。
バーナは危なげなく攻撃を受け、または躱していくが、その体勢に隙を見るやエルザが直接手に取った剣を差し挟むため、今度はバーナが防戦一方となる。
そしてエルザは知っている。この鎧の真の恐ろしさは、この密なる連環攻撃には無いことを。
宙を自在に舞うすべての剣をバーナが弾き、そこに一瞬の油断が生まれた瞬間、エルザは一気に間合いを詰め一撃を──浴びせるではなく、そのまま彼女の脇を走り抜けた。
「……?」
頭上に疑問符を浮かべるバーナに背を向けたまま、エルザは静かに口を開く。
「私の剣は……──斬ったことに気づかせない‼」
次の瞬間、凄まじい斬撃の嵐がバーナを襲った。
「ぐあああぁぁぁッ!」
『おぉっと、これは凄まじい一撃が入りましたッ! バーナ選手、大丈夫かッ? ──? あれは……?』
決着を確信したエルザだったが、その感慨はすぐに驚愕へと変じる。
──エルザの剣が、至るところからドロドロと溶け出している。
あわてて背後、悲鳴を上げるバーナを振り返ると、そこにはエルザをして驚くべき光景が広がっていた。
「あああぁぁぁ…………っと、いやぁ、咄嗟に防いで正解でしたよ」
そこには、体の各所に赤熱するプレート状の防具をまとった一人の鬼が立っていた。
『あれは……。バーナ選手の『熔炎の鎧』だーッ! バーナ選手、見事にエルザ選手の攻撃を返り討ちにしていたーッ‼』
3
バーナの体から凄まじいオーラが迸り、彼女の黄色から赤へとグラデーションのかかった髪を逆立たせ、白い角と相まってさながら炎のように見せる。
ルーシィは、バーナが見せた技の数々に感嘆を禁じ得なかった。
エルザの戦闘能力が彼女に劣っている、ということは断じてない。寧ろエルザの方に分がある。それは戦闘が始まる前から薄々わかっていたことだが、バーナはその多彩な攻撃手段で、見事にエルザを撹乱していた。
その時、ボシュッという音とともに本日何度目かになる「あうッ」という声が傍らから聞こえ、ルーシィは苦笑しながらそちらを見る。
「あの、さっきから何やってんの?」
声の主、ミレーネは、片手を軽く持ち上げた格好のまま口を開いた。
「あの子が本気出すとこっちまで熱波が届くから暑いのよ」
その言葉にルーシィは納得する。彼女は水分を操る武法を扱うこともあって、熱や乾燥を嫌う節がある。たったいまも、熱を遮断するために霧をまとっていたところ、バーナが魔力……ではなく武力を発動させたため、そのベールが破れてしまったのだろう。
ただ、霧をまとっていてエルザたちの戦闘が見えているのか否かは、甚だ疑問だが。
「ねぇアシュリー、あなたなら、簡単に消えない霧を出すくらいできるでしょ? ちょっと私に使いなさいよ」
「まったく、いつも冷静なクセにこういう時だけ我儘言うのね痛い痛い痛い! わかった、使ってあげるからほおをひっはらないれ!」
エルザの体は驚愕に凍りつきそうになりながらも、脳からの命令によって自然にバーナから距離を取っていた。
──幽絶の鎧での攻撃を防ぐとは驚いた。ならば、これならどうだ!
「換装、天輪の鎧‼」
思考を立て直したエルザの髪はストレートに戻り、代わりに全身に白銀に輝く美しい鎧をまとっていた。その背には、飛行能力こそ無いものの巨大な翼が生えている。まるで、きらびやかな衣装をまとった天使になったようだ。
──然り、いまのエルザは、戦場に降り立つ鋼鉄の天使だった。
天輪の鎧──エルザが持つ鎧の中でも、特に多彩な攻撃法をもつ鎧である。
エルザは高く飛び上がると、その周囲に無数の剣を展開する。
「天輪・繚乱の剣‼」
エルザの周囲に浮かんだ剣たちは、変幻自在な軌道を描きながらバーナに殺到する。
「無駄ですッ。『灼熱の光環』ッ」
バーナが叫ぶと、彼女の身体を中心に周囲の床面が溶けるほどの熱波が放射された。
そのすべての切っ先を彼女に向けて飛んでいた無数の剣は、あまりの高熱に残らず無残な姿に変形して床に落下する。
エルザは着地すると、反撃に備えて更に距離を取りながら魔力を発動。
「逃しませんよッ。『火炎の一薙ぎ』‼」
──換装、金剛の鎧‼
エルザが一対の巨大な半月型の盾をかざしたのと、バーナが放った三節棍による斬撃が届いたのは、ほぼ同時だった。
遠心力により元の全長の何倍にも伸びた三節棍は、その一節の表面をマグマに変え、超高温により金剛製の盾に面白いようにめり込んでいく。しかし、あわやというところでエルザはその一撃を受け切っていた。
盾を放棄し反撃に転じようと魔力を発動したところで、バーナが再び叫ぶ。
「く……ッ。それなら……ッ」
彼女が三節棍を目の前に水平に掲げると、棍はドロドロと溶け出し、その姿を二挺の拳銃に変えた。
次の瞬間バーナが左右の引き金を引きまくり、銃弾の暴風が襲い来る。
転瞬立ち止まったエルザの判断は、至って冷静だった。かざした剣を高速で動かし、弾丸を次々と撃墜していく。
その光景を、バーナは果たしてどんな気持ちで見ただろうか。それは、彼女の青ざめた顔を見れば明らかだった。
「えぇ!? 銃弾を斬るとかもう反則じゃないですかぁ」
「? 何の話だ? そんなルールは聞いていないが」
言葉の意味を判じかねたエルザの返答に、バーナはがくりと項垂れる。
「いや、そういう意味じゃなくてですね……。まぁ、いいです」
彼女は一転してキッとこちらを見据えると、大きく一歩退いた。
「貴女の実力、十分理解しました。私も、全力で応戦させて頂きます……ッ」
そう言うと、バーナは両脚をたわめ、闘技場の天井に届かんばかりの高さまで跳び上がる。それを見て、エルザも走り出していた。
「これで、決めます……ッ。『烈火岩鎚』ッ!」
彼女が出したメイスの頭部表面が真っ赤に赤熱し、振り降ろされた勢いで隕石もかくやという速度で迫り来る。同時に、エルザは思い切り跳び上がった。
──換装、黒羽の鎧‼
「黒羽・月閃ッ」
悪魔の如き翼をもつ漆黒の鎧に身を包んだエルザの体は、降り注ぐメイス頭部と衝突する直前、最早考えずとも駆動していた。
下段に構えた剣を斜めに振り上げて、メイス頭部を一刀両断する。そしてバーナが「え?」と漏らす暇もあらば、既に次の行動に移行していく。
換装、天一神の鎧──。
「天一神・星彩ッ!」
黄金と青で統一された鎧に一瞬にして身を包んだエルザは、同時に手にした薙刀をバーナに向けて振り降ろした。
「ぐあああああぁぁぁぁッ‼‼」
エルザは目を伏せたまま着地。一拍遅れて、戦闘不能となったバーナが闘技場の床に叩き付けられる。
『け、決着、決着、決着ーッ‼ エルザ選手の華麗な一撃が、見事バーナ選手を打ち破ったぁッ! スミレ山人妖対抗親善試合、第一試合の勝者は、『妖精の尻尾』チーム、エルザ・スカーレット選手だああぁぁッ!』
文の実況に、爆発的な歓声が上がった。エルザはその中に自分の仲間達のみならず、橙鬼館の妖精メイド達の声も混じっていることを余すことなく悟り、全身で受け止めた。