まだ朝の日差しも射し込まないほどの早朝。
青々とした木々が生い茂り、見渡す限り似たような風景が続く深い森の中で、とある一行が歩を進めていた。
その中の一人、バンダナを巻いた長髪の男が気怠げに口を開く。
「それにしてもよぉ」
「あん? どうした、ドレイク」
すると先頭を歩いていた刺々しい髪型のリーダー、ソード・ヒロシが歩きながら振り返り応えた。
「本当にこんな森の中にお宝なんてあるのか? お前のいう山もまだ見えねぇけどよ」
長大な狙撃銃『七四式長距離砲』を担いでいた肩から降ろしたスナイパー・ドレイクの問いに、ヒロシは失笑気味に笑う。
「馬鹿野郎、そんなの超当たり前に決まってんだろがッ。それじゃなにか? 俺が超聞き込みに回った村の奴ら、揃って俺たちを超騙そうとしてるってのか? それこそ超、ありえねぇ」
「そういうんじゃねぇけどよ……。こうも同じ景色が続いたら、誰でもウンザリするだろ」
「ドゥーン、ドゥーン」
隣を歩く三頭身の大男、ハンマー・ララもドレイクの言葉に賛同するようにリーゼントを縦に振った。しかし、ヒロシの自信に満ち溢れた表情は崩れない。
「心配すんなって、充分な情報は超集まってんだ。俺の目に狂いはねぇ。間違いなく、お宝はこの先で俺たち『風精の迷宮』を超待ってる。モンスターどもが超ひしめく山──スミレ山でな」
いつも通り朝早く目を覚ました猫妖精のリリスは、自身の換装魔法『射手』により一瞬にして着替えを済ませ身支度を整えると、新鮮な空気を求めて橙鬼館の屋上に向かった。
屋上に出ると、広大無辺な森の向こうから覗く朝陽が出迎えた。まだ白み始めたばかりの空には雲は少なく、今日もまた良い天気になりそうだ。
リリスが伸びをしていると、視界の端に人影を捉える。見ると、リリスと同じく橙色を基調とした戦闘服に身を包み、真剣な表情で遠くを見据える長身の男性が立っていた。
「おはようございます、グレックさん」
リリスが声を掛けながら近寄っていくと、腕に留まっていた鳥が飛び去ったところで男性がこちらに向き直る。
「リリスか、おはよう。今日も元気そうだな」
彼は猫妖精のグレック。リリスの先輩で、スミレ山の東側の森に棲むモンスターたちの世話を担当する、ハイレベルテイマーの一人だ。
細く引き締まった筋肉質な体型と、キマジメそうな線の細い顔立ちは、一見周囲を寄せつけないオーラを発散している。しかし、そんな印象とは裏腹に面倒見が良い一面をもっており、多くの妖精メイドたちから好かれている。テイミングのスキルも非常に高く、彼の指揮する使い魔たちは人間の軍隊と同等以上に統率が取れると評判だ。
ちなみに猫妖精は皆、動物を手懐けるテイミングという特殊な魔法を使うが、その派生能力として、野生動物や低位のモンスターとであれば言葉を介した会話が可能である。先ほど彼の腕に留まっていた小鳥も、何か情報を伝えにきていたのだろう。
「なんか難しい顔してましたけど、考え事ですか?」
穏やかに微笑んだグレックに問い掛けると、彼は精悍な顔つきに似合わないネコ耳をぴくぴくと震わせつつ、重々しく頷く。
「あぁ、俺の使い魔たちに先んじて、森の小鳥たちが情報をもってきてくれた。どうやら森で侵入者らしき人影を見たらしい」
その一言で、リリスも眦を鋭くした。
「対象の詳しい情報は?」
「若い人間の男が三人。現在地は橙鬼館の東側、俺の管轄エリアよりもやや外側だ。こんな早朝にやってきたことから考えても、それなりの手練とみていいだろう。しかし……」
グレックは歯切れ悪く言い淀むと、リリスを見て、続ける。
「連中の動きが妙なんだ。館を狙っているような様子はあるが、一向にこちらに向かってくる気配がない。ここ一時間ほど森の外周付近をぐるぐると……。
初めは攻め込む機会を伺っているのだろうと考えていたが、それにしては歩みに迷いがない。他の侵入者もいないようだから、陽動の線も薄い」
「……もしかして、単純に道に迷ってたり? この森、結構広いうえに磁場が強くて、コンパスとか使えないですし……」
リリスが苦笑すると、グレックも困り顔で、鼻からひとつ息を吐く。
「だと良いんだがな……。何か企んでいると厄介だ。それに迷っているだけでも、時間が経てば正しい方角を見つけ出すかもしれん。どちらにせよ、こちらから仕掛ける方が得策だろう」
そういって金髪の猫妖精は細長い尻尾をムチのように一度ひゅんとしならせた。
スミレ山の終端部分、斜面の終わりから一定の範囲内には、警備員たちが鍛錬を積むための簡易訓練場が点在する。山の住人によって木々が部分的に切り倒され、武器を満足に振るえるスペースが確保されているのだ。
その中で、中規模警備部隊『白狼隊』隊長の白狼天狗、メープルは一心不乱に剣術の稽古に打ち込んでいた。
森の警備を務める白狼天狗には、その全員に曲刀と紡錘形の盾が支給される。メープル達はそれらの装備を用いた個流剣術を主な武器として仕事にあたるのである。
「朝早くから精が出るわね」
不意に横合いから掛けられた声に、曲刀を振る手を止めそちらを見ると、特徴的な形の紺色の角をもった少女が微笑みながら歩いてきていた。
「おはよう、メープル」
「あ、ミレーネさん、おはようございます」
メープルは折り目正しく礼をしながら、自分たちの剣術指南役を務めている鬼の少女にそっと尊敬の視線を注いだ。
メープルたち白狼天狗は文字通りオオカミの妖怪であるため、普通のオオカミ同様に聴覚や嗅覚が優れており、何者かの接近に目視する直前まで気づかない事など、まずあり得ない。
しかしたったいま、橙鬼館の門前から歩いてきたのであろうミレーネが声を掛けてくるまで、メープルは彼女の存在を一切感知できなかった。
確かに鬼は他種族を圧倒するに足る身体能力を幾つも備えているが、こうも容易く自分たち警備員の目を掻い潜る鬼となるとミレーネをおいて他にいない。
彼女が自身の技を磨く過程で、音を殺して動く技術が自然と体に染みついた部分もあるのだろうが、メープルからみれば余人には真似しようのない天性のセンスという他なかった。
「私たちになにかご用ですか? 今日は別に、稽古をつけていただく予定はありませんよね?」
「えぇ、そういった話ではないわ。そして、あなたにとっては良い知らせかも」
そういうと、ミレーネはメープルを真っ直ぐ見て、続けた。
「あなた達に久しぶりの出動要請が出たわ。どうやら森の外周を、怪しい連中がうろついてるみたいなの。それも、そこそこの手練。日頃の鍛錬の成果、存分に見せてきてやりましょう」
1
「オイ、超待てよ。アレって……」
「ん? ヒロシ、どうかしたか?」
ヒロシが何かを見つけたらしく、ドレイクはララと一緒に彼が指差す先を見る。
そこには赤いリボンが巻かれた一本の木があった。ドレイクもそれを見て嫌な顔になる。
「アレ……お前が『目印に』って超巻いてたヤツだよな?」
「あぁ……。ってことは……」
三人で顔を見合わせ、一拍遅れて頭を抱える。
「「俺たち、さっきから同じ場所を歩いてたのか!?」」
「ドゥーン!?」
「おいヒロシ、テメェ、こっちで合ってるって言ったじゃねぇか!」
「知るかよ! コンパスも超使えねぇこの状況で道に迷わない方が超おかしいわ!」
パニックに陥りかけた思考を立て直し、ドレイクは状況を整理しようと努めた。
「あークソ、もういい。俺がちょっと、高い所探してくる。上から見れば流石に……」
しかし、歩き出そうとしたところで、ヒロシに腕を掴まれる。
「待て。いくらお前でも、いま独りで動くのは超危険じゃねぇか?」
「そんなこと言ったって、じゃあまた出鱈目に歩くのかよ。俺はこれ以上御免だぞ」
ドレイクが制止を振り切って歩き出そうとしたその時、近くの茂みががさりと鳴った。
「──ッ」
見ると、茂みの揺れる動きはジグザグにドレイク達から離れていく。
「……おい、見たか?」
「あぁ……」
ヒロシが応えつつ背負っていた愛剣『変形銃槍剣』を抜き、ララも巨大な手の形をした鎚『強化甲型鎚』を握り直した。
ヒロシがにやりと笑って口を開く。
「確かに俺たちの目当ては超お宝だが、モンスターだって超カネになるはずだよなぁ?」
「オマケに襲いにくる方向が分かれば、この迷い森ともおさらばできる。罠のつもりか知らねぇが、わざわざ道を教えてくれるとはありがてぇ」
「このまま追いかけて、ドゥーンってとっ捕まえちまおうぜ」
猛り狂った笑みを浮かべ、一斉に走り出した侵入者達を、立ち並ぶ高木の陰から静かに見送る三対の目があった。
「意外とあっさり掛かりましたね」
呆れの滲んだ声でそう漏らすイヌ耳の少女に、ミレーネは彼らの背中から視線を外すことなく応える。
「えぇ、でもあなた達も聞いたでしょ? あいつ等、罠の可能性を考えたうえで迷わず追いかけていった。グレックの言う通り、明らかに素人ではないわ」
「それに、三人とも妙な武器を持っていましたよね」
メープルの隣で口を開いたのは、彼女と同じく白いイヌ科の耳に尻尾、白髪ロングヘアーに、白狼天狗の装備で全身を固めた少女。
彼女の名前はウェルフ。メープルの同僚の警備員で『白狼隊』の頼れる一員だ。ちなみに先刻茂みを揺らして侵入者達の注意を引いたのも、ミレーネの指示で彼女がやったことである。
「そうね。あの武器がどんな性能をもってるかわからない以上、迂闊に近づくのは少し危険だわ。今回は私も近くで様子をみておくから、あなた達はいつも通り位置について。警戒は怠らないようにね」
ミレーネが言うと、二匹の白きオオカミはその場で軽く跪き、背後に大きく跳んで風景に溶けた。
「チィッ、どこに隠れた!?」
「木が超邪魔で超見通し悪いぞ」
「ドゥーン!」
ヒロシたちは辺りの茂みに目を凝らすが、先程までの揺れは止まり、遠くで聞こえていたモンスターたちの唸り声も止んでいる。
「クソォッ、見失ったか!?」
上体を起こして悔しそうな声を出すドレイクだったが、直後にその動きを止める。
「……あれ、霧なんていつから出てた?」
「は?」
ヒロシも顔を上げて辺りを見ると、ドレイクの言葉通り、周囲に霧が出始めていた。しかも、その濃度は刻一刻と増しているように見える。
「なんだコレ……」
「ドゥーン?」
思わず棒立ちになって霧を眺めていたその時、再び近くの草むらががさりと鳴った。
「おッ、獲物か!?」
「いや待て! こっちも超揺れてんぞ!」
反射的に声を上げたララにヒロシが応えたのとほぼ同時に、三人の周囲の草むらが揺れ始める。いや、草むらのみならず、その近くの木々さえも大きく揺れ動いていた。
しかし、なにかが飛び出してくる気配はない。
「なんだよ、脅かすだけか? 来るならいつでもいいんだぜ? 俺の『七四式長距離砲』が相手になってやる」
膝射ちの姿勢で構えるドレイクに続いて、ヒロシも不敵に笑うと口を開く。
「隠れてるだけじゃ超つまらねぇだろうがよ。おい、ララ、この辺の超邪魔な木、俺たちで超間引いちまうってのはどうだ?」
「いいなそれ。隠れる場所が無くなれば、ドゥーンと出てくるしかねぇ。こっちも見通しが良くなって一石二鳥ってわけか」
二人で武器を振りかぶり、手近な木を目掛けて振り降ろす。
──その時、ガキィンという金属を力の限り叩いたような快音がして、気づけばヒロシの『変形銃槍剣』は上方に跳ね返されていた。ララも、攻撃を弾かれたらしく、ヒロシの後ろで『強化甲型鎚』を振り上げた格好のままよろめいている。
「あぁ!? この木、ドゥーンって倒せねぇのか!?」
「いや、違う。誰かに超防がれたんだ。いまのは木の手応えじゃなかった」
ヒロシは改めて眦を鋭くすると、再び静まり返っていた森に向かって叫ぶ。
「おいコラ、さっさと出てきやがれ!! トレジャーハンターの仕事、超邪魔するとどんな目に遭うか超見せてやるよ!!」
しばしの沈黙。やがてヒロシの正面の茂みの向こうに、一対の赤い光が出現する。
「大した余裕ですね。自分たちの状況も理解し切れていないのに」
少女の声。濃霧に遮られて姿形はよく見えないが、体格は自分たちより一回りも小さい。それを確認し、ヒロシは嘲笑した。
「ハッ、誰が状況を超わかってねぇって? そりゃ超こっちの台詞だな。
俺達『風精の迷宮』をそこらのトレジャーハンターギルドと一緒にされちゃ超困るぜ。なんたって、フィオーレいちのトレジャーハンターギルドを決める超お祭り『大秘宝演武』超優勝ギルドなんだからな!」
「…………」
ヒロシは『変形銃槍剣』を少女に突きつける。
「悔しかったらかかってこい。相手が女子供だろうが超関係ねぇ。邪魔な奴らは排除する!」
「ドゥーン、ドゥーン!」
ララが相槌を打つように叫ぶと、少女の赤い瞳が剣呑な輝きと共に細められた。
「私は事実を述べただけですよ。あなた方は本当に何も気づいていない。その証拠をお見せしましょう」
そういって、少女がさっと腕を振り上げる。直後、驚くほど近くから無数の低い唸り声が聞こえてきた。
「──ッ!?」
「わかりましたか? あなた方は完全に包囲されているんです。この山のモンスターたちは私の指示ひとつで動く。あなた方を生かすも殺すも私の気分次第です。
……とはいえ、我々も無益な争いは望みません。館にこれ以上近づく気がないのであれば、早急にお引き取り下さい」
ヒロシは一つ深い溜め息をつくと『変形銃槍剣』を降ろして口を開いた。
「あーそうかよ、超わかった。お前の言う通り超帰るわ──とでも言うと思ったか、この超小娘が!」
ヒロシが『変形銃槍剣』の刀身側面に付いたレバーを引き腕を突き出すと、ガシャガシャと騒々しい音を立てて剣が変形していく。
「超突き!!」
これが、ヒロシの愛用する『変形銃槍剣』の能力。側面のレバーを引くことで、状況に応じて剣、槍、銃と三つの形態に変形できるのだ。
だが敵も然るもの。長大な槍に変形した『変形銃槍剣』のリーチを即座に見切り、目にも留まらぬ速度で移動する。
「ララ!」
「ドゥーン!」
ヒロシが叫ぶまでもなく、回避位置を予測したララが『強化甲型鎚』を振り降ろしていた。少女は拳の形をしたその頭部に正面から激突。火花を散らして空中に投げ出される。
「おっと!」
すかさずドレイクが『七四式長距離砲』の引き金を引くが、少女は持っていた刀を空中でひと振り。狙撃弾を弾いて後退した。
しかしヒロシは、遂に姿を現した少女のシルエットを認めて今度こそ驚愕の声を上げる。
「なッ、コイツ人間じゃねぇのか!?」
霧の中にぼんやりと浮かぶシルエットの頭部からは三角の耳。腰の辺りからはふさふさとした尻尾が伸びているのがわかったのだ。
少女は舌打ちすると上体を起こし、曲刀をピタリとこちらに向けて構えた。
「フン、だからなんだってんだ! どんな奴だろうと頭吹き飛ばせば終いだろ! さっきは上手く防いでたが、この至近距離で天才スナイパーの弾をそう何度もかわせると思うなよ!?」
ややうわずったドレイクの声で我に返り、ヒロシも構え直す。
「そうだ! こっちは男三人、それも王国最強のトレジャーハンターギルドの超メンバーだ。ガキがたった一人で超どうにかできる状況じゃねぇ!」
やかましく喚く侵入者たちを油断なく見据えながらも、メープルは呆れが礼に来る思いだった。
先刻の連携などをみても、確かに彼らの腕前は見事と言わざるをえない。だが、彼らには決定的に欠けているものが幾らかあった。
まず状況を冷静に見極める能力だ。メープルがわざわざモンスターに命令してまで包囲されている事実を教えたにもかかわらず、彼らはどうやら自分を倒せばどうにかなると思っているらしい。指揮する者を失ったところで、理性をもたない怪物たちが動けなくなることなどあり得ない。それどころか暴走して手がつけられなくなる可能性もあるというのに。
次に、彼我の戦力差を正しく推し測る能力。メープルが人間ではないと理解してもなお、先ほどのような売り言葉が出てくるというのは、流石に考えが浅はかすぎるのではなかろうか。それほど自信があるのか、はたまた愚鈍なのか。
「ドゥーン!」
もやもやした感情を抱えたまま様子を伺っていると、ララと呼ばれていた三頭身の巨漢が真っ直ぐ突っ込んできた。
先ほどはダッシュの勢いを制御し切れず、咄嗟に盾をぶつけて空中に逃れたが、あの質量はまともにブロックして受け切れるものではない。
刹那の判断で、相手の巨体が狙撃手の死角を広げているのを見抜き、メープルは再び跳躍する。だがその時、後方にいた剣遣いのヒロシが懐に手を入れ不敵に笑ったのが見えた。直後になにかをメープルに向けて投擲してくる。
「結晶爆弾! 一コ五千Jもする超高級品だぜッ」
──しまッ──。
メープルが盾を掲げて爆発に備えたその時、小さな立方体状の魔法道具に濃霧が絡みついた。ミレーネの武法による支援だ。
「なにィッ、超不発しただとッ?」
瞠目するヒロシを尻目に、メープルは小型爆弾を盾で叩き落としつつ宙返りすると、近場の木の幹を蹴りつけ方向転換。一瞬で間合いを詰めると、防御に剣を掲げるヒロシの思惑を外して盾を水平に構え、尖った先端に全体重を載せて腹めがけて打ち込む。
「ぐはッ」
さらに盾の下に滑り込ませていた右腕を間髪容れず振り抜き、同じ箇所を二度撃ちするかたちで峰打ちを浴びせると、ヒロシは堪らず仰向けに倒れ込んだ。
「うおおおぉぉッ」
続いて巨大な手の形をしたハンマーを振りかざし、野太い雄叫びを上げるララが再び突進してくる。
今度は退かず、ハンマーが振り降ろされるのに合わせて軽く横に跳躍。すかさずガラ空きの胴に一撃を──。
次の瞬間、予想外の現象が襲った。ララのハンマーが突如変形し、メープルを掴み上げたのだ。
「ぐ……ッ」
全身をがっちりと握り込まれ、振り解こうにも上手く力が入らない。食いしばった歯の隙間から呻き声が漏れる。
──マズい。このまま潰される──?
「この『強化甲型鎚』は、並の力じゃ外せねぇぞ!」
勝ち誇った笑みを浮かべるララ。しかし同時にメープルは、視界の端に動く影を捉えていた。
──直後、凄まじい速度の斬撃が走り、メープルを掴んでいた鋼鉄の拳がバラバラに粉砕された。すぐに状況を理解したメープルは、地面に降り立つと素早く跳び退る。
「んなあッ!?」
ララが驚きの声を上げる暇もあらば、紺色の人影は白狼天狗の動体視力でやっと視認できるほど洗練された動きで足払いを掛けた。かと思うや、同時に反対側の茂みから飛び出した白い人影が、ララの頭上を飛び越しざま流れるような動作で首筋に一撃を叩き込み、そのまま向かいの木立に消えていく。
成す術もなく転倒したリーゼントの大男は、倒れ伏した姿勢のまま何かを訴えかけるようにこちらに手を伸ばし、そこで白目を剥いて昏倒した。
数秒の内に倒されゆく仲間を見て、最後の一人──狙撃手ドレイクは何を思ったのか。
ライフルのスコープから顔を上げ「クソ、バケモノが……ッ」と毒づくと、慌てて立ち上がり逃走に移る。メープルは追うべきか一瞬迷ったが、すぐに彼が逃げ込んだ茂みの奥から「のわあッ」という情けない叫び声。
メープルが油断なく森に分け入ると、少しして同僚の白狼天狗の女性が出迎えた。傍らには彼女が仕掛けていたトラップにまんまと引っ掛かり、片脚にロープを巻きつけて宙吊りにされた自称天才スナイパーの姿もある。
「お疲れさま。コイツどうする?」
ウェルフの言葉にメープルが口を半開きにして軽蔑の視線を向けると、プロ意識とプライドだけは高いらしいドレイクはキッと睨み返してきた。
「殺すなら殺せ!」
「……別にあなた方の命を奪ったところで、私たちになんのメリットもありませんから。あなたこそ、本当に帰っていただけるならすぐに解放しますよ?」
その時、頭上の枝が激しく揺れ、気絶して縛り上げられたヒロシとララが降ってきた。ドレイクの表情が引きつり、みるみる冷や汗が噴き出てくる。
「──二人とも、ご苦労さま。よくやったわ」
明後日の方向から掛けられた声にそちらを見ると、満足そうに微笑むミレーネが手をはたきながら歩いてきていた。
「な、何なんだよお前ら……。一体何者なんだッ?」
「そんなに怯えなくても、別にとって喰ったりしないわよ。それにあなた達こそ、何が目的だったの?」
ウェルフの問いに、ドレイクは合わない歯の根を必死に抑えて答える。
「俺達は、この山に珍しい宝石があるって話をそこのヒロシから聞いて、いただきにきたんだ。トレジャーハンターだからな。本当だ、ウソはついてねぇぞ!?」
メープル達はお互いに顔を見合わせた。珍しい宝石なるものに心当たりはなく、いまいち要領を得ない話だったが、目の前で震えあがっているこの男が出任せを言っているとも思えない。
「わかりました。では、次の質問です。宝を盗むのが目的なら、何故森の外周をうろついていたんですか? 私達の館はこの山の頂上です。真っ直ぐ攻め込めばいい話だったのでは?」
「迷ってたんだよ! 見通しは利かねぇしコンパスも使えねぇし……。俺達だって好きでウロウロしてたんじゃねぇよッ」
「……ッ」
ミレーネが不意に顔をさっと伏せた。彼女もまさかあれほどの実力者が本当に道に迷っていただけだとは思わなかったのだろう。よく見ると肩を震わせて笑いを堪えている。
しかしそれも束の間のことだった。咳払いをして誤魔化すと、改めてドレイクを見上げる。
「……コホン。それじゃ、あなた達に訊くことはもう無くなったわ。約束通り解放してあげる。──メープル、お願い」
メープルはひとつ頷くと、魔力を込めた曲刀で宙に鋭い円弧を描く。するとドレイクを吊りあげたロープが彼の足より少し高い位置で切断された。続いてミレーネが持っていた別のロープで『風精の迷宮』の三人組をまとめて拘束する。
「あだッ。……チクショウ……。──って、あれ?」
改めて自由を奪われたことに気づいたドレイクが、寝転んだ姿勢のまま恐る恐る見上げると、ミレーネは彼らを冷ややかに見下ろしていた。
「……あの、タダで解放してくれるんじゃ……」
「結果的に実害がなかったとはいえ、あれだけ暴れておいてよくそんな事ぬけぬけと言えるわね?」
「ヒッ……」
「あ、そうそう。コレ、貴重なアイテムなんでしょ? まだ使えるみたいだし、返しとくわ」
そういってミレーネが地面に放ったのは、先ほど彼女が自身の武法で不発させた結晶爆弾。それを見て、今度こそドレイクの顔から血の気が引く。
「あッ、オイちょっと待て! 冗談じゃ──」
直後、何かを言いかけたドレイクの腹に鬼の少女の蹴りがめり込み、挟まれた衝撃で結晶爆弾が爆発。
爆炎を噴き上げながら、『風精の迷宮』のメンバーは恐ろしい勢いで空の彼方へと吹き飛ばされていった。
「ああああああぁぁぁぁぁ──!!」
「…………あと私たち、タダで帰すとか、ひとことも言ってないから」
振り抜いた脚を上げたまま、ミレーネが吐き捨てるように呟く。
メープルは口をぽかんと開けて絶句していた。ウェルフも瞬く間に小さくなっていく侵入者達に半笑いの表情で軽く手を振っていたが、目が合うと思わず二人で笑みこぼれる。
「プッ、アッハハハッ。流石ですね、ミレーネさん」
「まさか、敵が使ってきた武器をあんな風に活用するとは……」
爆笑するウェルフに続いてメープルが感嘆の吐息を漏らしていると、ミレーネは右足を気にする素振りをみせる。
「? どうかしました?」
「んー、別に大したことじゃないんだけど、あの爆弾思ったより強力だったから……。さすがに蹴って起爆するのはちょっと無理あったかなー、って」
「気になるんでしたら、あとで水妖精の誰かに診させますか?」
「ううん、大丈夫。この様子だと、せいぜい軽い火傷ぐらいで済んでるわ。ありがとね、メープル」
「それにしてもいまさらですけど、鬼の体ってホント頑丈ですよね。もし私達が同じことやったら、間違いなく脚折れてますよ」
ウェルフの言葉に、メープルも苦笑する。
「というか、まず危なくてやろうとしないからね」
「うん、私達の頑丈さについては否定しないわ」
そういって笑い合いながら、メープル達は橙鬼館へと引き上げていくのだった。
2
スミレ山を登る途中で、ミレーネがおもむろに口を開く。
「そういえば、さっきの奴らのことだけど」
「?」
メープルが見ると、鬼の少女は歩きながら顔だけをこちらに向けて続ける。
「あなた、完全に気を抜いてたでしょ」
「うッ」
確かにその通りだ。相手はこちらが少女とみるや図に乗り始めるようなろくでもない侵入者。白狼天狗として人間を遥かに凌駕する身体能力をもつと自負するメープルにとっては見下して然るべき手合だったし、事実その程度の実力しかもち合わせていなかった。
しかし、その考え方が不味いのだ、とミレーネは首を振る。
「あのね、メープル。あなた、私が最初にあいつ等を見たときに言ったこと覚えてる? 私ちゃんと言ったわよね、『明らかに素人じゃない』って。あれはあなたに対する注意でもあったんだけど、伝わってなかったみたいだから改めて説明しておくわ。
あいつ等みたいに力をちらつかせて挑発するような手合には、直接的な警告は効果が薄いわ。それどころか寧ろ逆上させてしまいかねない。それに、手持ちのカードを最初から全て見せてしまうのは、対人交渉において下の下よ。今回の場合なら、そうね……。ここが妖怪の暮らす山だって教えてやれば、少しは有利に立ち回れたんじゃない? 人間は、異質なもの、得体の知れないものを恐れる。その恐怖心をくすぐれば、警告に従う可能性が高くなるはずよ」
ミレーネは別段怒るでも咎めるでもなく、穏やかな瞳でこちらを見据えていただけだった。だがメープルはそれに堪えきれなくなって俯く。
「そうですね……」
「まぁ、そもそもあなた達に出動要請がきたのなんてもういつぶりかわからないぐらいなんだし、交渉の腕が鈍ってたぐらいで落ち込むことないわ。でも、いま言ったことを覚えておけば、きっと今後の仕事に役立つはずよ。
そして戦闘については、あの剣遣いを倒した一撃、見事だったわ。相手の出方が読めない状況で、しかも空中に跳んだうえでのあの体捌き。咄嗟の判断であの身のこなしができるのは、誇っていいことだと思うわよ?」
その言葉で少しだけ気持ちが軽くなったメープルは、そこでやっと顔を上向けることができた。
「はい……ありがとうございます」
ミレーネも慈しむようにひとつ笑みを返す。
「さ、着いたわよ。早く戻って、朝ご飯をいただきましょう」
そういって、ミレーネは眼前の見上げるほどに巨大な門を押し開けた。
広大な庭園の中には既に妖精メイド達の姿はない。朝の水やりを終えて自分たちよりもひと足先に大広間に向かったのだろう。
ミレーネ達がゆっくりと歩いていると、正面玄関が内側から開かれ、フリル付きのエプロンを腕に掛けた女性が現れた。
「あ、ミレーネさん、それにメープルさんにウェルフさんも。いま戻ったんですね、おかえりなさい。ちょうど良かったです」
「バーナじゃない。ただいま。どうしたの? わざわざお迎え?」
挨拶を返しつつミレーネが笑いかけると、バーナは困ったように苦笑する。
「あぁいえ、そういうわけではなく……。お嬢様が、ミレーネさんに何か話があるそうです。朝食後で構わないから自分の部屋に来い、と」
その言葉に、ミレーネ達は顔を見合わせた。
館の中でも一際精緻な細工が施された、濃い橙色の扉をミレーネがノックすると、すぐに「入れ」という女性の声が返る。
「なに、話って? ……その様子だと、重要な話題ではなさそうね?」
執務室の中を歩いてきたミレーネは、レンカが両手に持った一升瓶と盃にちらりと非難がましい視線を送った。だが、レンカはそれを見ても悪びれもせずにそれらを机に戻し、何食わぬ顔で笑みを返す。
「いや、そうでもないよ。お前一人を呼びつけたのにはちゃんと意味がある」
そういって組んだ手の上に顎を乗せると、一転して笑みを消し、まっすぐこちらを見据えた。
「ミレーネ、お前、今日はいつから門の前にいた?」
「今日は……グレックからの連絡を受けた頃にはもう仕事始めてたから、大体六時ぐらいかしら」
「そうか。……それじゃあ質問を変えよう。昨夜、ネフィリムが夜回り中に廊下でお前と会ったと言ってるんだが、どう思う?」
その問いに、ミレーネはぎくりとした。
闇妖精は他の妖精と比べて暗い場所での行動を得意としている。ネフィリムはその特性を活かして橙鬼館の夜警を担っているうちの一人なのだが、その彼女と夜間、しかも館の廊下で顔を合わせたというのは、ミレーネがその時間帯に起きて活動していたことと同義だ。
事実、ミレーネは昨日の朝から一睡もしていない。だからといって取り立てて今日不調を感じているわけでもなし、この瞬間も内心の動揺を気取られぬように平素と変わらぬ表情を完璧に作れているはずだ。
しかし妙なところで鋭くなる鬼の当主の眼は、問いかけられた瞬間のミレーネの僅かな変化を見逃してはくれなかった。
レンカはにやりと笑って鼻からひとつ息を吐く。
「あのなミレーネ、あたしだって、鬼が一日やそこら寝なかったぐらいでどうにかなる種族じゃないのは百も承知さ。それでもこうして声掛けをするのは、何も当主としての責任があるからだけじゃない。お前たち一人ひとりの健康を考えてるからなんだよ。
まぁ、お前の立場もわかる。メープル達だけに任せてて、仮にあいつ等じゃ手に負えない奴が出てきた時にすぐに助けられなきゃ意味が無いからな。でも、だからって、夜通し見張るのはどうなんだ? そうやってあたし達に黙って無理を続けて、いざって時に動けないんじゃ本末転倒だろう。それともお前の感知能力は、まる一日ぶっ通しで見張ってないと部下のピンチも気づいてやれない程度のモンなのか?」
その言葉に、ミレーネはふっと笑みこぼれる。
「いいえ、そんなことはないわ。あの子達が危ない目に遭ってたら、いつだってすぐに飛んでいける自信があるもの」
「なら問題はないな。午前中は少し休んでから仕事に戻れ」
「それじゃあお言葉に甘えて」
「あぁそうだ、ミレーネ」
ミレーネが踵を返して退出しようとしたところで、レンカが呼び止める。
「?」
「ベルクスとリリスに、ここに来るように伝えておいてくれ。あいつ等にも話したいことがある」
「わかったわ、それじゃあまた後でね。ところでレンカ、あなたも執務中の飲酒は程々にしておきなさいよ? 幾ら鬼がお酒に強いといっても、それで何か重大なポカやらかしたら、皆に示しがつかないわよ?」
「……ご忠告痛み入るよ」
ミレーネの指摘に、再び酒瓶に手を伸ばしかけていたレンカは気まずげに苦笑した。
3
「「遠征?」」
「あぁ、その通りだ」
ベルクスとリリスが口を揃えてオウム返しにいうと、レンカは一つ頷く。
「実はこの間、新聞屋がちょっと気になる噂を仕入れてね。なんでも、この大陸の近くにモンスターが山ほどいる島があるらしい」
「スカウトしてこいってことですか?」
リリスが訊くが、レンカは首を横に振る。
「いや、違う。奴等はどうやら、財宝や武器をしこたま溜め込んでいるらしいんだ。その島の近くを通りかかった船が襲われ、金品や釣り道具なんかを根こそぎ奪われたり、下手な抵抗をすれば命を奪われる危険もあることで、近隣の港町の漁師達の間では有名なんだと。そこでお前たちには、その島に行ってモンスター共をこらしめてやってほしい」
ベルクスはその場で腕を組むと考え込んだ。
「なるほど、要は慈善活動ってことか。でも、何だってそんな事する必要があるんだ? そりゃあその漁師達は可哀想だと思うが、相手はスミレ山から遠く離れた辺境の住民。そいつ等が何してようが、放置してても俺達が困ることなんか無いだろ」
その問いに、鬼の当主は意味深な笑みを浮かべる。
「ところが、そういう訳にもいかなくてな」
レンカは机の引き出しから新聞を取り出すと、広げて視線を落としながら続けた。
「新聞屋が集めた情報をまとめると、その島のモンスター共はとある目的の為に、武器になるものを集めてる。具体的には──遠からずこの山を襲撃するつもりだそうだ」
「にゃ!? それって一大事じゃないですか!」
驚きの声を上げたリリスに続き、ベルクスも眦を鋭くする。
「確かに穏やかじゃねぇな。ただ……その情報は本当に信用してもいいんだろうな?」
新聞のこちら側に向けられた面にでかでかと書かれた『岩山爆散!!!! またも人間界で謎の災害発生か!!!?』という、恐らく何かのゴシップ記事のタイトルを見ながら呆れ顔でベルクスが訊くと、レンカは苦笑した。
「疾風丸の作る記事がどれもくだらないのは認めるが、少なくともあたし達の生活に関わる情報については、一度だって嘘を書いてたことはないよ。それに、今回はお前達一人ひとりにもメリットがあるかもしれないんだ」
そこで一旦言葉を切ると、レンカは顔を上げる。
「あたし達も、こうして他所の奴らに目を付けられるぐらいには大所帯になってきたわけだ。そろそろ武力面の強化も考えたい。そしてベルクス、お前も最近、新しい剣が欲しいとか言ってたそうじゃないか。バーナから聞いたぞ?」
ベルクスは背に差した片手剣の柄に手を掛けた。
「まぁ、もっと重い奴がいいってのはあるな」
「そうだろ? 島のモンスター共はその大半が亜人型で、あたし達と同じように色んな武器を使いこなす。おまけに連中を警戒した漁師達が雇った傭兵まで襲って所持品を奪っていくから、中には魔法効果をもった特殊な装備を扱う奴もいるらしい。
つまり奴らを討伐できれば、ウチが襲撃される心配は無くなり、漁師たちの悩みも解決して感謝される。お前達は新しい武器が手に入る可能性があり、ウチの戦力増強も見込める。一石二鳥どころか三鳥も四鳥もあるウマい話っていうわけさ。どうだ? 悪くない話だろ?」
そういって、レンカはニッと笑ってみせた。