潮風が運ぶ海の香り。頭上では海鳥が心地よさそうに滑翔し、目の前には青い海。無数に係留された漁船の周りを日焼けした肌の筋骨隆々とした漁師達が行き交い、活気溢れる光景をつくり出している。
ハルジオン。
ここから北に位置する魔法都市・マグノリアを始めとした複数の街にとって、交易の要所のひとつとなっている港町だ。ベルクス達は、件のモンスターが山ほどいるという島の情報を集める為、人間に変装して人里に降りてきていた。
「おいお前ら、できるだけ自然にいくぞ。遊びに来たんじゃねぇんだ。勝手に動いてはぐれんなよ」
自分の後ろをついてくる一団の頭数が減っていないのを肩ごしに確認しながらベルクスが声を掛けると、隣を歩く赤いおさげ髪の少女が伸びをしながら呑気な声を出す。
「大丈夫、大丈夫。心配しなくたってみんなのことはあたいがしっかり見張っとくからさ」
「何言ってんだリリス? お前にも言ったつもりなんだが。というか、主にお前に対する注意なんだが」
「にゃ!? それはあんまりじゃないッ?」
「ま、まぁまぁ、私達もいますし、どっちにしろベルくんばっかり気を張り続けること無いですよ。ねぇ、アシュリー様?」
集団の後方にいたバーナが横を見ると、アシュリーは澄まし顔で応える。
「そうね。寧ろ、たかがモンスターの群れの討伐任務ひとつにお嬢様がこれだけの戦力を投じてることの方が気になるわ。これから行く島のモンスターとやらは、そんなに厄介な奴らなのかしらね。どう考えても過剰人員よ、コレ」
「……ま、何が起こるかわからねぇから、くれぐれも気を抜くなよ、ってことじゃねぇか?」
ベルクスは何気ない調子でそう返しながら、彼女がそういうのもむべなるかなと思う。
討伐隊に選ばれたメンバーは、リリスが連れてきたフェンリルも入れて全部で十人。
たったいま口を利いた四人に加えて、ベルクスの直属の部下である水の三妖精ことレイン、シアン、フロウ。それからルミネアにアイリスまでついてきているのだ。
レンカからは事前に『いざという時はスミレ山の総戦力の二割程度までなら応援を寄越しても良い』との許しが出ているが、ここまで戦力過多気味の状況で、応援が必要になる事態が想像できない。
また、確かに彼女たちはひと通りの戦闘訓練を受けているし、実戦において頼りになるレベルの実力があることは上司である自分たちが一番よくわかっているつもりだ。
しかし、見た目通り精神面が未熟な者も多いため、ともすれば端からみると『親戚の子供達を引き連れてピクニックに来た一団』のように受け取られかねない有様なのだ。
現に一行の立ち振る舞いからはお世辞にも緊張感が感じられるとは言い難い。
特にフロウなどはかなり気移りし易い性分なので、すぐ列を乱してはシアンに引き戻されて注意を受けるといったやり取りを繰り返しており、正に『知らない場所にピクニックに来て浮かれている子供』状態だ。
そして、もう一つ気がかりな点を挙げるとすれば、それはアシュリーの機嫌である。
彼女ほどの分析力の持ち主が、先ほどのような思慮に欠ける憎まれ口を叩く理由があるとすれば、答えは一つ。任務とはいえ、いきなり館から連れ出されて虫の居所が少々悪いのだろう。
さらに昼前といえば、普段のアシュリーなら自室に籠もって読書に耽っている時間帯だ。それにもかかわらず急用で長距離を歩かされているとあっては、冷静でいろという方が酷というもの。
そこまで考えて、ある事に気づき、ベルクスは振り返らずに後方に問いかける。
「ところでアシュリー様よぉ、アンタまさかとは思うが、いま浮いてねぇよな?」
「──!?」
「『しばらくぶりの外出だから、浮遊魔法で手抜きしないように見張っといて』ってミレーネさんに頼まれてんの思い出したから、ちょっと気になってよ」
「な、何のことかしら!? ちゃんと自分の脚で歩いてるわよ? ほら、ちょっとこっち見なさいよベル」
明らかに取り乱している引きこもり魔術師の抗弁を背中で受けながら、ベルクスは敢えて淡々と告げた。
「ふぅん……。ま、歩いてんならそれで良いんだけどな。もし必要以上に浮遊魔法使ってるなんてことがあれば、帰ってからミレーネさんに報告しないと──」
「──わかったわよ、わかりましたッ! さっきまで浮遊魔法使ってたわよごめんなさい! でもここからは普通に歩くから! お願いだからミレーネに言うのだけは勘弁して!!」
半泣きになりながら懇願するアシュリーの姿が余程可笑しかったのか、バーナが堪え切れなくなったというように軽く吹き出す。
次の瞬間、パァン、という鋭い打擲音が、透き通るような青空を切り裂いた。
1
「うう、酷いですアシュリー様ぁ……。ちょっと笑ったからって、何もそんな本気でぶつことないじゃないですかぁ……」
アシュリーに魔法書で思い切り叩かれた尻をさすりながら、バーナはとぼとぼと歩く。
「だ、大丈夫ですか、バーナさん?」
「回復なら私達水妖精に任せて下さいね?」
アイリスとレインは心配そうに彼女を見上げるが、前を行くシアンは呆れ顔で口を開いた。
「いまに始まったことじゃないんだし、そんな大騒ぎするほどのことでもないでしょうに。大体、バーナさんは鬼なのよ? この程度で治癒魔法が要るほどダメージ受けるわけないじゃない」
すると、隣のフロウが苦笑を浮かべる。
「その通りだろうけど、それはシアンが言うことじゃないかもぉ」
そこでベルクスが振り返り、溜め息混じりに口を開いた。
「さっきからなに騒いでるか知らねぇが、もう港には着いてんだ。そろそろ情報収集、始めるぞ」
そこからは事前に話し合いで決めたグループに分かれて、各自仕事に取り掛かる。といっても子供にしか見えないレインたちでは、町の住人達にまともにとりあってもらえるとは思えないので、バーナが彼女たちの世話係を引き受け、残りの皆で情報収集をすることになった。
ちなみにスミレ山の住人が人里に降りる際は無論、自分たちが人外の種族であると悟られてはならない。そのために角や翅を隠す手段は幾らかあるが、今回はアシュリーの空間魔法で異空間にそれらを収納する方法をとっていた。
ベルクスはリリスとフェンリルと連れ立って、改めて港を眺める。
「さて、と。町の住人への聞き込みはアシュリー様に任せて、俺達は港の方をあたるぞ。なんか知ってそうな奴にはどんどん声掛けていこう」
「OK。……それじゃあまずは、あの人達かな?」
早速なにか見つけたらしいリリスの視線を追うと、並んで歩く二人の女性に行き当たった。ベルクスも特に異論はなかったので、ひとつ頷くと二人と一頭で歩いていく。
「あー、そこのお姉さん達、ちょっといいかな?」
にこやかな表情で発せられたリリスの呼びかけに、彼女達もこちらを見る。一方は俗にカチュームと呼ばれるリボンを頭に着けた、所謂姫カットの女性。腰に太刀を佩いており、女剣士といった出で立ち。他方はウェービーなセミロングの茶髪の頭頂部分をネコ耳のように立てた、猫のような顔立ちの女性だ。
遠くからでも見えるフェンリルの威容に、二人とも気圧された表情になるが、こちらに先に反応を返したのは剣士風の姫カットの女性だった。
「私たちに、何か用だろうか?」
「うん。あたい達、ちょっと遠くから武者修行に来ててさ、強い相手を探して回ってるんだ」
情報を集めるに当たり、ベルクス達は修行のために各地を渡り歩いているさすらいの魔導士ということで通そうと打ち合わせていた。女性は未だフェンリルを気にしながらも特に疑う素振りも見せず、凛々しい顔に微笑を浮かべる。
「そうか、それは良い心がけだな。……因みにそれはもしや、私たちと手合わせしたい、ということか?」
リリスがなにか反応を返す前に、ベルクスは横合いから割って入った。
「いや、もう次の相手の目星もついてるよ。この港町の近くに、モンスターが山ほどいる島があるんだろ? 風の噂に聞いた程度だが、もしそれが本当なら、その島の奴らと戦り合いてぇなって思ってるところなんだよ。なにか知ってることはねぇか?」
「なるほど……。実は、私たちのギルドもこの町から離れている。私たちは、依頼を受けて目的地に向かう途中ここに立ち寄っただけで、この近くに住んでいるというわけじゃないんだ。力になれなくて済まない。
……ミリアーナ、お前もなにか知っているということは無いよな。──ん? ミリアーナ?」
姫カットの女性が隣を見ると、先ほどまで横に立っていたネコ耳の女性の姿が消えている。不審に思って辺りを見回そうとしたところで、ベルクスはぎょっとした。
ミリアーナと呼ばれた猫のような顔立ちの女性は、上体を傾けて首を伸ばし、姫カットの女性の肩ごしに顔をしかめてリリスを凝視していたのだ。僅かに遅れて女性も気づき、ハッとした表情になる。
「あぁ、そっちだったか。何をしているんだ。なにか気になることでもあったか?」
姫カットの女性が尋ねると、ミリアーナは妙な体勢のまま答えた。
「ねぇカグラちゃん、なんか私、さっきからずっと、ネコネコの気配を感じてるんだよね」
その言葉にベルクスはぎくりとする。いまのリリスはネコ耳と尻尾、それに翅を異空間に収納しており、第三者には視認することも、ましてや触れることも不可能なはずだ。
しかし、いまのミリアーナの発言からして、わかる者にはわかる何かがあるのかもしれない。
「君、家でネコネコ飼ってたりする?」
楽な姿勢に戻ったミリアーナの問いに、リリスは懸命に笑顔をつくり続けながら応じる。
「にゃはは……。ウチはかなり沢山の動物を飼ってるからね、猫なら一杯いるよ」
「ふーん、そっか。……でもな〜、なんか君自身からネコネコの気配がするんだよにゃあ。おっかしいなぁ……」
「ミリアーナ、いい加減にしないか。さっきから何をワケのわからんことを……。そんなことより、私たちもそろそろ動くぞ」
カグラと呼ばれた女性が、リリスにぐいぐい近寄っていくミリアーナを引き戻し、こちらに向き直る。
「済まない、ミリアーナは無類の愛猫家でな。少しでも猫の気配を感じるとこうして暴走してしまうんだ。迷惑だったなら、こいつに代わって私が謝罪しよう」
「あぁ、別に気にしてないよ。そういうことだったんだね、にゃはは……」
リリスが困惑しつつも笑い飛ばすと、カグラも安心したような顔になった。
「そう言ってもらえると有り難い。……そういえば、お前たちの名前をまだ聞いていなかったな?」
その言葉に、ベルクスは居住まいを正す。
「俺はベルクス。見ての通りの剣士だ」
「あたいは魔獣遣いのリリス。この子は使い魔で『剣歯狼』のフェンリルさ。よろしく!」
背中の片手剣の柄を軽く持ち上げて見せたベルクスに続き、リリスがフェンリルの肩を撫でながら快活に答えた。
「ベルクスにリリス、それにフェンリルだな。では、私たちも改めて。私は魔導士ギルド『人魚の踵』所属の剣士、カグラ・ミカヅチだ」
「私はミリアーナ。同じく『人魚の踵』所属の魔導士だよ。また会うことがあったら、リリスとはペットについて色々話したいな。元気最強ー!」
満面の笑みで拳を突き上げたミリアーナの言葉に、リリスは苦笑するが、今度はカグラも微笑を浮かべて口を開く。
「そうだな。お前たちは武者修行をしていると言っていた。それにベルクスの方は剣士だという。私たちも腕には自信があるからな。機会があれば、手合わせの申し出はいつでも受けて立とう」
その言葉に、ベルクスは口元を綻ばせた。
「あぁ、俺もアンタ等の実力は気になってたところだ。またどっかで会えると良いな」
それから二、三言交わし、カグラ達はハルジオンの外へ。ベルクス達は再び情報収集の作業に戻った。
漁港の雑踏の中を歩きながら、ベルクスは頃合いを見計らって口を開く。
「お前、さっきのカグラって人が手合わせしたいのか訊いてきた時、反射的に頷きかけたろ」
ネコ耳の少女は、その指摘にびくりとした。
「えッ、い、いやー、そんな事は、にゃははは……。ハイ……ごめんなさい。ちょっと、野生の本能が疼いちゃって……」
「ッたく、本来の目的を忘れてんじゃねぇよ。俺達の仕事は、島のモンスターの討伐。そのための情報集めだろうが」
「はーい」
リリスは後ろ頭を掻きながら苦笑する。
それからしばらくは、港の中を行き交う人々に声を掛けて回ったが、なかなか芳しい成果は得られなかった。レンカの寄越した事前情報通り、ほとんどの漁師は件の島のことを知っている素振りをみせた。しかし皆、一様にその話題を嫌っている節があり、詳しい事を聞き出そうにもうまくいかない。
「クソ、まさか誰ひとり、島の詳細を語ろうとしないなんてな」
ベルクスが言うと、リリスは困り顔で笑う。
「まぁ、怖がるのも無理ないよ。だって例の島のモンスターたちは、漁師たちが雇う傭兵でも敵わないんだもん」
「わかってるよ。でも、お陰で収穫は見事にゼロだ」
ベルクスは軽く首を振って気持ちを切り替えると、正面に向き直った。
「仕方ねぇ、一旦バーナさんのとこに戻るか」
「りょーかい」
港の周囲をぐるりと取り囲むように立ち並ぶ街路樹の一角に、固まってじゃれあう一団を見つけて歩いていくと、木陰で休んでいた鬼のメイド長が疲れ切った様子でこちらに手を振ってくる。
「あぁ、ベルくん、リリスちゃん、おかえりなさい。なにか良い情報は手に入りましたか?」
ベルクスは手を振り返す代わりに、降参を示すべく両手を軽く上げてみせた。
「いいや、さっぱりだ。どいつもこいつも、島のこと自体は知ってるらしいんだが、それ以上のことは一向に教えてくれねぇ」
「ところで、バーナさんはなんでそんなに疲れてるんです?」
リリスの問いに、バーナは力なく笑って答える。
「いやー、あの子たちの相手をしてたらどんどん体力持っていかれちゃって……。いまはあっちでメイド達だけで遊んでもらってます」
振り返ると、すぐ後ろの広場で妖精メイド達が元気に走り回っていた。その余りの無軌道ぶりに、リリスが頬を引きつらせながら口を開く。
「バーナさんがここまで疲れるって……あの子たち、この短時間にどんだけはしゃいだのさ……」
ベルクスも彼女と同じ表情になりながら応えた。
「いや、レイン達の面倒みてるとよくわかるが、ガキの御守りって一対一でも結構消耗すんぞ。その上この人数が相手だ。寧ろバーナさんが鬼だからこそ、この程度のダメージで済んでんだろ……。けど、そうなると、アイツ等が間違って飛び始めないかが心配だな。翅はしっかり隠れてるが感覚はあるし、飛行能力まで封じてあるわけじゃないんだろ?」
「──いいえ、そんなことは無いわ」
横合いから掛けられた声に全員でそちらを見ると、縦縞の入った紫色の寝間着に似た服に全身を包み、何やら意味ありげな笑みを浮かべた小柄な女性が歩いてきていた。
「おぉ、アシュリー様、戻ったか」
「おかえりなさい。『そんなことは無い』ってどういうことですか? あたいたち普通に自分の翅、動かせてますよ? 見えないですけど」
ベルクスに続き、リリスが聞き返すと、アシュリーは静かに笑って応える。
「えぇ、あなた達の翅は、隠すとき特に何も細工してなかったからね。でも他の妖精メイドは別。
ベルがいま言ったように、あの子たちは放っておくと何をしでかすかわかったものじゃないでしょう? だから翅を隠すときに、収納する異空間ごと固定してしまったの。これなら思わず飛んでしまったところを人間に見られる、なんて事故も防げるでしょ?」
「流石アシュリー様、最初からすべて計算ずくでしたか」
鬼の魔術師の説明に、早くも脱力状態から回復したらしいバーナが軽く拍手を送る仕草をする。
アシュリーは満足そうに微笑むと、改めてこちらをまっすぐ見て、告げた。
「ところで皆、さっそく朗報よ。例の島の名前と大体の位置座標、それに幾らかのモンスター達の特徴まで知ってる人の話を聞くことができたわ」
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「お嬢様から既に聞いてる情報は省くわよ。まず、例の島の名前は『サザンカ島』。最初は無人島だったはずのこの島には、いつ頃からかモンスターの影が散見されるようになったらしいわ」
ベルクスたち一行は、元漁師と名乗る書店の老店主から情報を入手したというアシュリーの説明を聞きながら、彼女に導かれて漁港の端までやってきていた。
「一度現れたモンスターはそのまま棲みつき、急激に仲間を増やして島周辺の海域までを縄張りとするようになった。
その種類は、まず一番目撃されたのがコボルド族にトーラス族、トカゲ男といった獣人型。まだ海にまでテリトリーを拡大する前から、近くを通りかかる船を積極的に襲って着実に戦力を拡大していったそうよ。
そして海に進出するにあたって現れ始めたのが水棲のモンスターと、飛行能力を有するタイプね……。
まぁ、こんな感じで、自分たちの縄張りに近づく者は容赦なく攻撃してくるから、島に着く前から油断はできないわ」
「ちょっと、途中から説明するの飽きたでしょ」
シアンが指摘すると、アシュリーはちらりとこちらを振り返ってから肩をすくめる。
「現時点ではそれぐらいしかはっきりした情報が無いのよ。サザンカ島の近くを通りかかって生きて帰ってきた人間は少なくないけど、皆恐怖で口を閉ざしてる。島のモンスター達は戦力を蓄え過ぎて、とっくにこの辺りの住民の手に負える相手じゃなくなってるんだわ」
アシュリーの言葉に、ベルクスは静かに眦を鋭くした。
「そして、肝心の方角だけど、あっちの方だって」
アシュリーが指差したのは、ハルジオンの港からまっすぐ前方、青一色に染まる広大な海だった。
「……まぁ、そりゃあっちですよね……?」
バーナが呆けたような表情で呟くと、アシュリーはムッとして続ける。
「馬鹿ね、このまま一直線に南下していけば、簡単に辿り着くって言ってるのよ」
「でも、出航を頼める漁師なんて捕まりませんよ? どうやって……?」
「──リリス」
ベルクスが正面を向いて腕を組んだまま呼びかけると、隣に立つ猫妖精の弓遣いは不敵に笑って自身の魔力を発動させ、一挺のショートボウを取り出した。
同時にフェンリルの下顎を撫でていた反対の手に、煌々と燃え盛る鏃をもった火矢を呼び出すと、白銀のオオカミの眼前に突き出して軽く振ってみせる。
「ほーらフェンリル、よく見とくんだよ?」
「リリス、私のサポートは必要かしら?」
アシュリーも前を向いたまま質問するが、リリスは笑って首を振った。
「いえいえ、そこまではおよびませんとも。この子もあたいと一緒に、日頃から鍛えてますんで」
続いて、火矢を番えると、深呼吸しながら弦を最大まで引き絞る。
「『火焔の矢』!」
直後、リリスはやや上方へ向けて火矢を放った。
放たれた火矢は、青空に垂直方向の緩い円弧を描きながら飛翔していく。
残心するリリスは、矢が鉛直落下の軌道に入る少し手前で再び声を張り上げた。
「フェンリル、ブレス用意。スリー、ツー、ワン、Go!」
フェンリルは、その場で大地を踏みしめると、胸郭いっぱいに大気を吸い込む。そしてがっぱりと開いたその巨大な顎から、周囲の気温を少し下げるほど強烈な冷気を放った。
冷気のブレスはリリスの射った火矢を猛追するかたちで海上を突き進み、掠めた海面とその周囲の水分をまとめて尽く氷結させていく。
やがて、つい先程まで何の変哲もない海だった場所には、幅五メートルほどの一直線で平坦な氷の回廊が出現していた。
バーナが額の前に手で庇をつくりながら、感嘆の声を上げる。
「おー、なるほど、その手がありましたか! それにしても、かなり遠くまで凍りましたねー」
「それにこの氷、相当ぶ厚くて頑丈みたいね。一撃でここまでやるなんて、大したものだわ」
アシュリーの言葉に、リリスは満面の笑みでフェンリルの喉元をわしゃわしゃと撫でた。
「よーし、フェンリル、よくやった! 偉いぞ〜。ほれ、おやつだよ。いまの内にしっかり味わっときな」
リリスは腰のポーチから生肉を取り出すと、されるがままになっていたフェンリルの口に放り込む。するとそれを横目で見ていたベルクスが、おもむろに口を開いた。
「お前……まさかその肉、そこら辺の店からかっぱらった物とかじゃねぇだろうな?」
「妖精聞き悪いにゃあ!? ベルくんはすぐそういうこと言うんだから、まったく……。ちゃんとあたいが、この子のために館で保存してる、安心安全で新鮮なお肉ですぅ」
「いや、安心安全かどうかは知らねぇよ」
リリスが口を尖らせながら、ベルクスと冗談半分の口論をしていると、今度はアシュリーが口を開く。
「それじゃあそろそろ敵の拠点に乗り込むわよ。ただその前に一つだけ。私もちょっと考えが甘かったようだから、前言撤回しておくわ。
ハルジオンに着いた時、私『たかがモンスターの群れの討伐任務ひとつにどう考えても過剰人員だ』って言ってたわよね? でもあの後、町の住人に聞き込みして回って、気づいたことがあるの」
アシュリーはそこでひと呼吸おくと、道の先をまっすぐ見据えて続けた。
「恐らくどう足掻いても、今回の作戦は厳しいものになるわ。幾ら私たちが実力をつけていても、これだけの戦力で島のモンスターの物量を押し留められるかどうかは正直、微妙なところ。それでもお嬢様が私たちを向かわせるのは、ひとえに私たち一人ひとりを信頼しているからなのよ。
この戦い、絶対に舐めてかかるわけにはいかないわ。私たちが隙を見せれば最悪の場合、群れを刺激するだけ刺激して、襲撃の予定を早めさせてしまいかねない。なんとしても今回の作戦で、一体でも多く敵の数を削るわよ」
氷の回廊を集団で進むにあたり、アシュリーの光魔法で日光を屈折させ、姿を隠しつつ移動することになった。回廊の先端までくると、その度にリリスが先ほどと同様の手順でフェンリルに下知を送り、彼が放つ冷気のブレスによって足場を延長していく。
ハルジオンの住人たちにはもう特に用事はないので気にせずとも問題は無いはずなのだが、それでも交易の要所として数多くの人間が集まるこの町で、万が一にも自分たちの正体が露見すると、些か具合が悪いと判断しての結論だった。
数分歩いたところで、港の様子が完全に視認できない距離まで来たことを確認し、アシュリーは魔力を解除。光魔法と共に自分たちに掛けていた空間魔法も解き、ようやく翅の束縛から解放された妖精メイド達が歩きながら思い思いに軽いストレッチをした。
続いて、もう人目を気にする必要もなくなったということで、妖精組は軽く舞い上がり、行軍のペースを上げにかかる。それに伴いバーナとフェンリルは駆け足で、アシュリーは浮遊魔法で自身を浮かせてそれぞれ飛翔するベルクス達に並走した。
「で、もう結構沖合まで来たと思うんだが、アシュリー様の所感ではどの辺からがモンスター共のテリトリーなんだ?」
状況が落ち着いたのを見届けてベルクスが口を開くと、やや先を行く紫髪の女性は前方に視線を据えたまま応える。
「そうね……島には一定の距離までなら、近づいても問題ないらしいわ。だから少なくとも、島のシルエットが見えてきた瞬間から警戒する必要まではないと思う」
「なるほど。──おいお前ら、ちょっとでも何か異変を感じたらすぐ知らせろよ。いまアシュリー様が言ったのはあくまでも推測の話だ。実際に何が起こるかは、その時にならなきゃわからねぇ。極端な話、鳥を見たとか魚を見たとか何でもいい。とにかく気づいた事はどんどん報告。いいな?」
「「「「「了解!!」」」」」
ベルクスの言葉に、リリスを除く妖精メイド達が一斉に応えた。
「シェフ見てぇ。魚がいっぱい跳ねてるわぁ」
行軍開始から一時間ほどが経った頃、最初に声を上げたのはフロウだった。ベルクスが彼女の指差す方向を見ると、確かに小魚の群れが一箇所に集まって水面を激しく波立たせている。
「あのねぇ……さっきベル兄ぃが言ってたからって、なにも本当にいちいちそんな報告することないのよ! もっとこう、重要そうなことを言いなさい!」
「重要そうなこと?」
呑気に明るい声を上げたフロウをシアンが叱責するが、フロウは間の抜けた表情で聞き返す。
そんな中、ベルクスはなぜだか胸騒ぎがして彼女達の向こう、小魚の群れを見つめた。
それにしても、なぜあそこだけ小魚が群れているのだろうか。確かにあのサイズなら群れで動くのが自然だが、他にもスペースは山ほどあるのだ。もっと広がって動いてもいいはず……。
……いや、そうではない。彼らが密集しているのには何か理由があるはずなのだ。
シアンは大袈裟な手振りを交えてわかり易い説明を試みているが、フロウはほわんほわんと笑っているだけで彼女の話をちゃんと聞いているのか否かよくわからない。
ベルクスが尚も思考を巡らせていると、やがてひとつの記憶に思い至った。そういえば自分は以前にも、どこか別の場所で似たような話を聞いたことがある。
あれはそう、確かいつかの任務中に漁師の男性と話をした時だ。
魚の群れがある一箇所に密集している時、考えられる状況はいくつかあるという。
そこに餌となるプランクトンが多く存在する場合や、繁殖のために集団お見合いをしている場合。そうでないならば──。
──自分たちより大きな魚に襲われ、追い込まれて逃げ場を失っている場合。
ベルクスがそのことを思い出すと同時に、群れ付近の水中で一瞬、何かがキラリと輝いた。それはそこに潜む何者かの目だったか、あるいは鱗か。
ベルクスは総身に寒気が走る感覚を覚え、二人に向かって叫ぶ。
「お前らッッ、全力で上に飛べぇッ! 総員、上空へ退避いいぃぃッ!!」
シアンとフロウがその指示に泡を食って上空へ飛び上がり、他のメンバーもハッとして急上昇を開始。唯一人、飛行能力をもたないバーナだけは一拍出遅れるが、足下の氷を踏み締めると鬼の膂力でもって真上に跳躍した。
その直後、回廊両側の海面から小魚の群れを空中に跳ね飛ばしながら、複数の巨大な黒い影が飛び出してくる。
黄色い瞳に鋭い牙。小型漁船ほどの体躯を鎧のように包む硬質の鱗は、陽光を反射して鈍い輝きを放っていた。
姿だけ問うならば熱帯に生息する肉食魚に酷似しているが、あんなに馬鹿デカい種類がいるなどという話は寡聞にして知らない。
「チィッ。なるほど、小型の魚竜か……ッ」
ベルクスは苛立ちも顕に歯を剥き出して唸った。
魚竜。本来ならば太古の昔、この星の海に生息していたとされる、イルカに似た流線形の身体をもつ絶滅動物を指す言葉だが、この場合は全く意味が異なる。
彼らは主に水中に生息するだけでなく泥土や砂漠、雪原といった半流動体が占める地形にも適応しているため、生息域は意外と広い。さらには鰓などではなく肺で呼吸を行うため、ある程度ならば陸上での活動も可能という、れっきとしたモンスターの部類に属する獰猛な生物である。
執拗に追い回していた小魚の群れからベルクスたち一行に標的を切り替えたらしい四頭の魚竜は、空中に踊り出た勢いもそのままに回廊上空で器用に仲間たちとの交錯を終えると、やがて巨大な水柱を上げながら着水する。
幸い魚竜たちはベルクスたちを狙って跳んだばかりにそのまま回廊に突っ込む、ということはなかった。しかし、着水の衝撃で発生した大波は四方から回廊を押し包むと、ぶ厚い氷のプレートを無慈悲にも粉々に叩き割る。
「ちょおッとぉ!? 私、ジャンプしただけだからあとは落ちるしかないんですけどぉ?!」
「バーナさん、手を! 私に掴まって下さいッ」
「アイリス、いくら何でもそれは無茶よ! ベル兄ぃ早くッ!」
「アシュリー様! 足場直すのに何秒かかる!?」
「──任せて、二秒で終わらせる!」
そう言うが早いか、鬼の魔術師は頭を下にして落下同然の速度で海面近くまで降下した。魔法書から水色の魔法石を周囲に複数展開し、魔力を発動。
──海に宿る水のエレメントよ、私に力を……!
「ハァッ!!」
鋭い気合と共にアシュリーが右腕をなぎ払うように振ると、彼女の足下を中心に、先ほどに数倍する範囲にまで瞬く間に氷が拡張、失われた足場を補完した。
ややもせずバーナが片膝を突いて着地すると、歯を食いしばって相棒の巨体をなんとか支えていたリリスも彼女に続き、フェンリルをその場に降ろして詰めていた息を吐き出す。
「助かりました、アシュリー様」
「ふぃ〜! フェンリルも大きくなったねぇ!」
しかし、当のアシュリーは得意がるでもなく真剣な声で続けた。
「二人とも、気を抜かないで。まだ奴らはすぐ近くにいるのよ!? これは急場しのぎでしかない。──リリス、あなたフェンリルに、走りながらブレス撃たせたことある?」
その言葉にリリスもハッとした表情になると、すぐに首を縦に振る。
「わかりました、やらせてみます! フェンリル、いけるよね?」
「ガルルァッ」
リリスが問いかけると、勇敢な白銀の迅狼は気合い充分とばかりにひと声吠えた。リリスもそれを見て、満足げに頷く。
「よし。それじゃ、構え──Go!」
リリスが右手を掲げるとフェンリルもまっすぐ前方を見据える。そして彼女の合図と同時、牙の隙間から白く棚引く冷気を洩らしながら駆け出した。
それを見届けたアシュリーは、すかさず上空のベルクス達に指示を飛ばす。
「ここからは、更にペース上げていくわよ! 状況は刻一刻と変化してるけど、これまで通り、何か異変を感じたら報告。島が見えてきたら警戒!」
「「「「「「「「了解!!」」」」」」」」
3
アシュリーが浮遊魔法による高速機動でフェンリルに追いつき、氷魔法でのサポートを始めて数十分後、遂に水平線上に現れた島の影が徐々に近づいてきた。
行軍自体は順調に進んでいるものの、問題はまだ別に残っている。
「バーナさぁん! あの魚たち、まだ追ってきてますよぉ!」
集団の後方でアイリスが半泣きになりながら悲鳴を上げる。
先ほど出現した魚竜の一団は、驚くべき執念深さを発揮して水面直下を猛追してきていた。しかも彼らは仲間を呼び寄せて、じわじわとその群れの規模を拡大している。
もしも彼らが、自分たちの縄張りにバーナ達が立ち入ったことに目くじらを立てているだけなら、追走はとっくに終わっているだろう。しかし、島の仲間達に近づくことを嫌っているとしたら、このまま振り切れる可能性は限りなく低い。
──どうやらこの海域の生態系は、サザンカ島のモンスターたちに荒らし尽くされてしまっているみたいですね……。
その時、背後から盛大な水音がしたかと思うや、バーナの体を濃い影が包む。ちらりと振り返ると、再び魚竜の一頭が空高く跳ね上がり、斜め後方から突撃してきていた。
「──ッ」
狙いが自分であることを悟り、バーナは束の間目を見開くが、素早く身を翻すと武力で造り出した大剣を抜き撃ち。刀身側面を盾代わりにして受け止めた。
だが魚竜の突進による衝撃が足場の悪さと相まって靴のグリップを鈍らせ、バーナは自分の意思に反して急激に後退させられる。
──あなた方に恨みはありませんが、家族を害するというなら黙ってられないんですよ……ッ。
バーナは歯を食いしばり、両足が氷にめり込む勢いで制動をかけながら、魚竜の眉間に左手を据えた。
「『灼熱の光環』ッ!」
基本的にこの技は、術者の全身から熱波を放射する都合上、このような氷の足場の上で安易に発動すれば後に続くメンバーを巻き込む激甚な二次災害を引き起こしかねない。
しかし、バーナには考えがあった。
自身の左腕全体を一門の火砲に見立て、全身から迸ろうとするマグマの如き高熱の武力をその一箇所に収斂。さらに集めた武力を押し出すイメージで掌の上に圧縮し、灼熱の波動に換えて撃ち出す。
──直後、腹の底に響くようなズドンという重い炸裂音が海上に響き渡り、優に五トンは超えるであろう巨体が冗談のように弾き飛ばされた。
あまりの出来事に、隙を伺っていた他の魚竜たちはしばし怯んだように動きを止め、ゆっくりと後退していく。
バーナはその場で静かに残心すると、眦を決して鼻から大きく息を吐いた。
あるときは灼熱のマグマを操って、伸縮自在かつ超硬度を誇る金属から様々な武器を生み出し、またあるときはマグマの高熱をもって己が肉体そのものを苛烈な兵器と化す。
これこそが、橙鬼館が誇る鬼のメイド長、バーナ・トールスの武法『フォージ』の真髄である。
ベルクスは、バーナが放った技の威力に僅かに気圧され、ほんの一瞬その飛行を止めてしまった。それはベルクスに限ったことではない。予想だにしない方法で魚竜を吹き飛ばしたバーナに、その場にいた全員が釘付けになる。
それでも、もたもたしてはいられない。魚竜たちは怯みこそしたが、既に態勢を立て直して反撃の準備を始めている。
ベルクスは無理やり意識を残りの魚竜に引き戻した。
「アイリス、お前の風で海水を巻き上げられるか?」
「えっ、わ、私ですか?」
ベルクスが後ろを振り返ると黄緑色のポニーテールの少女は驚いたように目を丸くする。
「このまま島まで走り抜けても、着いた頃にはこの魚竜どもと島のモンスターに挟まれる。それまでにはなんとかしてコイツ等を減らしておきたい。なに、難しい事は言わねぇ。この一帯の海面を軽く薙ぎ払ってくれりゃいい」
「は、はい、わかりました!」
アイリスは腰に佩いていた太刀の鞘を払うと、切っ先を下げて下段に構える。ベルクスはその様子を見守りながら周囲に指示を飛ばした。
「リリス、アシュリー様! バックアップ頼んだ!」
「ラジャー!」
「頼まれたわ」
確かに、彼女の魔力コントロールには拙い部分が多く残る。ミスを許されないこの状況下で、いち作戦の主軸を任せるというのは、兵法の観点からみれば悪手なのかもしれない。
だが、そうだからこそ、ベルクスは寧ろそこに攻略の糸口を見出していた。この一手が仮に上手く決まれば、島に突入するまで水棲型のモンスターを一挙に足止め出来るかもしれない。
と、そうこうする内に、アシュリーの準備が整ったらしい。未だ精神統一を続けるアイリスに向けて魔力を発動する。
「──攻撃力倍化、『イルアームズ』付加」
「…………。……──は?」
事態の流れを静観していたベルクスはアシュリーが口にした思わぬ技名に耳を疑った。対するアシュリーは、なに食わぬ顔で見返してくる。
「どうしたの、ベル? 何か失敗だったかしら?」
「いや、そうじゃねぇけど……アンタ、さすがにそれはちょっとやり過ぎじゃ……」
「きっと大丈夫よ。せっかくのアイリスの見せ場なんだもの。どうせならステージは豪勢に彩ってあげたいじゃない?」
この気まぐれ魔術師は、不安定な土台に余分な骨組みを差し込む所業のなにを以て彩りだなどと言いたいのだろうか。
ベルクスは頭を抱えたくなったが、発動してしまったものはもうどうしようもない。ベルクスの苦悩などお構いなしに、作戦は着々と進行していく。
「では、いきます! えーい!! ──わわッ、あわわわわッ!?」
アイリスは威勢よく太刀を振り上げて魔力を発動するが、直後にその華奢な両腕を振り回して身体全体で動揺を表現した。
それもそのはず。先ほど発動された支援魔法の効果は『攻撃力の倍加状態を対象に付与する』というものである。
つまりアイリスが例によって魔力の加減を間違えた場合、単純な威力が二倍になるのは勿論のこと、彼女が想定していた威力との落差分まで二倍になった状態で効果が表れることになってしまうのだ。
果たして、アイリスは見事に力加減を誤っていた。
足下から伝わる不穏な震動と共に、何かが海底からせり上がってくるような気配。ベルクスはアシュリーに非難がましい視線を向けるが、彼女はただ肩を竦めてみせただけだった。
次の瞬間、先刻の魚竜たちが上げたものをはるかに上回る規模の水柱が、海面に幾本も突き立つ。いや、その表現は正鵠を射たものではない。
アイリスが暴発同然に放ち、アシュリーにその威力を倍加された竜巻の魔法が、それぞれの発生地点周辺の海水を魚竜ごと巻き込んで上空に打ち上げたのだ。
ベルクスはその光景を途方に暮れて見上げながら、もう半ばヤケを起こしつつ叫ぶ。
「リリス、いまだやれッ!」
指示を受ける前から予備動作に入っていたリリスは、想定外の惨状の中でも至って冷静に、明るく振る舞うことができた。
「換装、自動射手」
リリスが手甲と一体化したロングボウを呼び出して両腕に装備するとともに、その弓幹の上に複数の矢が出現する。そのまま両翼を広げるとリリスはそれらを一斉に射ち上げた。
放たれた矢がアイリスの巻き上げた海水に突き立つと、間髪容れず叫ぶ。
「『落雷の矢』!」
次の瞬間、鏃が眩い光をともなって放電した。網目のように迸る幾本もの稲妻が互いに絡み合いながら、水飛沫の中を縦横無尽に駆け抜ける。
巻き上げられた海水が落下するのに従って、周囲の海全体にまで雷撃が及んだのを確認し、リリスは再び声を張り上げた。
「総員、全速前進! いまの内に、島まで一気に突っ込むよ!!」
妖精メイド達は雄叫びを上げると、一斉に全速力で飛翔を再開する。
リリスもその場でネコのごとく身を丸めると、フェンリルとともに爆速で飛び出した。直後に背中の翅を震わせてダメ押しの加速。
集団最前列を飛ぶベルクスにひと息で追いつくと、そのまま全員でラスト数百メートルを猛然と疾る。
程なくして、いままで沈黙を守っていたルミネアが後方で叫んだ。
「島の上空に敵影を感知! およそ三十体、まっすぐ突っ込んできます! このままでは衝突します!!」
その報せに、リリスはベルクスとアイコンタクト。揃って翅を一度強振すると、集団の遥か前方へと躍り出る。
回廊に降り立ったベルクスと背中合わせになって靴のかかとで急制動をかけると、水色の髪の少年が背中の片手剣の柄に手をかけつつ、獰猛な笑みを浮かべて口を開いた。
「だったらその前に俺たちで──」
「──一体残らず撃ち落とす、だよね!」
後を引き取ったリリスも不敵に笑うと、両腕に『自動射手』を再び呼び出す。
対する敵モンスターの群れは、みな一様に爬虫類の細長い鼻梁をもっていた。前肢は骨格が進化して翼状になっており、その体躯はリリス達の数倍もある。
飛竜。その名の通り、翼状に発達した前肢で自在に空を飛び回り、見つけた獲物を群れで襲撃する凶暴なハンターだ。
群れをなして来襲した飛竜たちは、こちらの姿を認めると雄叫びを上げて突っ込んできた。
ベルクスが抜いた剣を後ろに引くと、その刀身を水流が包む。同時に、リリスも両腕のロングボウに複数の矢を番えて構えた。
「『流水閃』ッ」
「『煙幕の矢』!」
突き込まれた刀身を包んでいた水流が刃状に長く伸び、変幻自在な軌道を描きながら飛竜の群れに殺到する。それに対しリリスが左の弓で放った矢は真っ黒い煙の尾を引いて飛び、空中で爆発。煙幕を張って相手の半数の視界を奪った。
煙幕から逃れた飛竜たちが、水の刃に腹を裂かれ、翼を貫かれ、首を掻かれて次々と墜落していく異様な光景の中、リリスは今度は右の弓に番えた特殊な火矢を繰り出す。
「『火焔の矢』──吹っ飛べッ!」
燃え盛る鏃をもった火矢は、先刻の煙幕に突き立つと、引火。粉塵爆発を引き起こし、火焔の華となって敵集団を瞬時に押し包んだ。
それらの攻撃を耐え切った個体がいないのを確認して隣のベルクスをちらりと見やると、水妖精の少年も頷きを一つ返す。
リリスは振り返り、右手の指を唇に当てて音高く口笛を吹き鳴らした。すぐに妖精メイド達を抜き去って白銀の巨体をもつ相棒が駆けてくる。
その速度を落とさせることなく、リリスが彼の背に飛び乗ると、フェンリルは迅狼の二つ名に恥じない超加速で前方を疾駆。ややもせず、サザンカ島の入口がぐんぐん近づいてきた。
見ると、島の入口にはご大層にも門が設けられており、その両脇には長柄斧を携えた重武装モンスターが二体控えている。
頭と胴体の大部分を金属鎧でがっちり固めているため顔までは確認できないが、バイザーの上部に空いた穴から赤色の細長いケモノ耳が覗いていた。
イヌ科の動物の頭部にヒト型の身体をもった獣頭人身の亜人型──コボルドだ。
門番を務めるコボルド兵たちは急接近するフェンリルを認めるや、通すまいと長大な斧を交差させて迎え撃つ。しかしリリスはその行動など意に介さず、脚でフェンリルの身体を抱え込むと、迷わず彼らに向けて両腕の弓を引いた。
「『疾風の矢』!」
風をまとって放たれた二本の矢は、一直線に高速で宙を翔けると、狙い過たずコボルド兵に吸い込まれていく。リリスは着弾すら待たず、正面の門に向けて更にもう一本、火矢を発射。
金属鎧の隙間からわずかに覗く喉元を風をまとった矢が貫いたのと、門の中央を射抜いた火矢が火柱を噴き上げて門柱ごと炎上させたのは同時だった。
コボルド兵たちは突如発生した爆発衝撃波に押されたようによろめき、門に足を向けるかたちで左右にどうと崩れ落ちる。
フェンリルが急制動をかけて立ち止まったところで、ベルクスが後方から追いついてきた。
聡明な同僚の剣士は目の前に広がる光景から瞬時に状況を把握すると、燃え落ちる門に向けて掲げた剣を振り降ろした。
「これより任務開始! サザンカ島を占拠するモンスターを排除する!! 総員、突撃ッ!!」
フィオーレ王国南部の港町・ハルジオン。
そこから南におよそ五十キロの海上に浮かぶ島・サザンカ島で、橙鬼館メンバーと島のモンスターたちとの決戦の幕が、遂に切って落とされた。