「これより任務開始! サザンカ島を占拠するモンスターを排除する!! 総員、突撃ッ!!」
リリスの火矢により燃え落ちる門に向けて、ベルクスが掲げた剣を振り下ろす。
それを合図に、妖精メイド達は盛大な鬨の声を上げながら島へと雪崩れ込んだ。
島の内部は、途轍もなく巨大なドーム状の空間だった。アシュリーが空間魔法でつくり出す闘技場を思い出すが、優にあの数倍を超える面積があるだろう。
足下には湿って苔むした岩が隙間なく敷き詰められている。岩は外周部分で高く積み上げられ、石垣を形成しながら壁面へと連なる。しかし、壁は単純に石垣を延長したものではなかった。その所々に大きな穴が空いており、通路となってその奥へと続く。
恐らく、この島のモンスター達の手で築かれたものだろう。ここに至るまでの彼らの動きから、その連携能力や、個々の知能の高さには薄々気づいていたが、ここまでとは。
そして、遠すぎて一見わかりにくいが、奥の方には金貨や装飾品、武器や防具に至るまでが莫大な規模でうずたかく積み重なっていた。その光景は、島のモンスター達がこれまでに幾度となく働いた蛮行の凄まじさを如実に物語っている。
その時、左右の壁の高い所に幾つも空いた穴から、金属鎧に身を固めた体格も形態も様々なモンスターがぞろぞろと飛び出してきた。全員で武器を構え直し、すかさず走り込む。
1
まず先陣を切ったのはフェンリルだった。その後ろを追うのは水の三妖精ことレイン、シアン、フロウ。そこにアイリスを加えた四人で散開し、敵集団に向けて突っ込んでいく。
更にその後ろにベルクスとバーナが続き、討伐隊の最後方、島の入口付近には、中・遠距離攻撃を主体とするリリス、ルミネア、そしてアシュリーが陣取っていた。
直後に両陣営の最前列が、真っ向から激突。派手な金属音と共に空中にいくつもの火花を散らす。
敵集団直中に飛び込んだ剣歯狼の巨躯は、跳ね回りながら敵の密集陣形に砲撃よろしく大穴を次々穿っていく。
猫妖精に飼い慣らされた使い魔でありながら、主人の指示ひとつ無く効率的に敵陣を破壊するその姿は、モンスターにとって脅威以外の何ものでもない。
と、こちらにも前列の脇を抜けた数体のモンスターが向かってきた。
バーナを目指して突進してくるのはヒト型の逞しい巨体に牛の頭をもった獣人型モンスター、トーラス。対してベルクスに向かってきたモンスターはトカゲの頭と尻尾をもっていた。
ベルクスはリザードマンが振りかざす片刃曲刀を、正面から迎え撃つ。
鍔迫り合い、トカゲ男の突進を押さえ込みながら、片頬を吊り上げて口を開いた。
「せいぜいが突進しかできねぇ雑兵クラスの割には、なかなか良い剣筋してんじゃねぇか。だが──」
そこで視線を相手のシミターの刀身に落とす。
「得物がその程度のスペックなんじゃあ、いただく気も起きねぇなぁ!」
叫ぶと同時に押し返すと、再び振りかぶられたシミターに自分の剣を合わせる。斬撃がヒットした瞬間、その刀身が耳をつんざくような金属音を撒き散らして中ほどから折れ飛んだ。
驚愕の声をあげるトカゲ男が防御に掲げた円盾を蹴り飛ばすと、間髪容れず袈裟懸けにしながら次の標的を探す。
そこではっとして上空を仰ぎ見るや、ベルクスは翅を一度大きく震わせて飛び上がった。頭上を越えんとしていた飛竜たちに狙いを定め、魔力を発動。
「『流水閃』ッ」
ベルクスの剣を包んだ水流が刃状に長く伸び、真上を飛ぶ飛竜の腹を深く抉る。そのまま空中で体を捻ると、羽虫や怪鳥のようなモンスターからなる飛行部隊をまとめて叩き墜とした。
ベルクスは翅を広げて制動をかけ、素早く眼下に視線を走らせる。
そこは魔法の炸裂音や銃声、剣戟音が混ざり合い奏でる戦場音楽。その合間に幾つもの叫声が飛び交い、敵も味方も混交した乱戦になっていた。
バーナは倒した牛男から戦槌を奪うと、造り出した大剣と共に振り回し、手近なモンスターを次々と薙ぎ倒す。
数匹のモンスターが一度に飛び掛かっていくと、彼女は持っていた武器を投げつけ、体勢を崩したところに左右の拳銃の引き金を引きまくった。
レインはアイリスと背中合わせになって死角を殺し、細剣で堅実にダメージを与えている。だが手数で押し切るには敵の数が多過ぎた。加えて重武装のコボルドにはなかなか致命打を与えられず囲まれてしまうが、そこに突如重い斬撃が走り、ハッとする。
一撃で実に三体もの獣人を斬り伏せたのは、身の丈ほどもある薙刀を携えたフロウだった。彼女は仲間を包囲網から救い出す間も、相変わらずほわんほわんと笑っていた。
そうこうする間にも、ルミネアとアシュリー、リリスが放った光弾や火球、無数の矢が大きく孤を描きながら敵集団頭上に雨霰と降り注ぐ。
その隙間を縫って、フェンリルが氷の両刃洋刀と化した牙にモンスターを引っ掛け投げ飛ばし、シアンが両手に携えた短剣で斬りつけつつ戦場を駆け抜けた。
刻々と変転する戦局の確認を数秒の内に完了すると、ベルクスは翅を畳んで落下の軌道に入る。
──やはり雑魚をある程度削らなきゃ、魔法道具を扱う奴らは出て来さえしねぇか……。
円運動をかけつつ翅を一度打ち鳴らし、水をまとった刀身をひと薙ぎ。落下点付近にいた一団を吹き飛ばしながら石畳に降り立つと、愛剣を肩に担いで腹から声を出す。
「もっと強ぇ奴いるんだろ? どんどん出てこい! テメェら下っ端が何十体湧こうが、討伐隊の肩慣らしにしかならねぇぞ!!」
ベルクス達が激闘に身を投じた、その少し前──。
スミレ山の外周部分に点在する、簡易訓練場。そのひとつの中央で、白狼天狗のメープルは腰を落とし、目を伏せて音無しの構えをとっていた。
周囲の木々にはメープルを取り囲むように複数の的が取り付けられている。
そこでカッと瞳を見開き、右腕を閃かせた。
視界に標的を捉えるや否や斬撃を放ち、的──木製の円盤を次々に両断していく。
続いて高く跳躍すると動作を加速。空中からひと息に放たれた無数の斬撃や刺突は、針に糸を通すが如き精密さで枝葉の間をすり抜け、やや離れた位置にある的をも破壊した。
的が最後の一枚になると、メープルは曲刀を大きく振りかぶり、決めの一撃。
宙を舞う木の葉を巻き込み粉砕しながら飛んだ斬撃は──しかし、わずかに狙いが外れ高木に着弾。的の数十センチ上を斜めに切断し、重い震動音と共に倒壊させる。
メープルが着地して呼吸を整えていると、頭上から拍手が降ってきた。
「お〜、相変わらず、目の覚めるような剣さばきですねぇ。ブラボー、ブラボー」
うんざりしつつ空を振り仰ぐと、案の定というべきか女性が一人、黒い翼を羽ばたかせて舞い降りてくるところだった。
「ただ、最後の一撃は惜しかったですね。繰り出す瞬間に些かの迷いが見てとれました。ドンマイです」
地面に降り立ち、苦笑と共に親指を立てる鴉天狗の女性を横目で見返し、メープルはひとつ嘆息する。
「稽古をただ見られる分には問題ありませんが、そうやって頭の上を飛び回られると気が散るんですよ」
「あやや、それは失礼しました。まさかあの距離でも邪魔になってしまうとは。ジャーナリスト疾風丸文、一生の不覚……ッ」
大袈裟な物言いからは少しも誠実さが感じられないが、こうみえて文は自分の仕事に確固たる信念と誇りをもって活動しているので、彼女なりに反省してくれてはいるのだろう。
「わかってもらえたのならいいんですよ。とはいえ、そんな近くに居られても気恥ずかしいので、冷やかしにきたならいますぐ帰って下さいね」
「やっぱりまだ機嫌損ねてるじゃないですかヤダー」
「…………」
あくまで巫山戯た態度をとり続ける文を半眼で眺めていると、彼女は得意げな顔で指を一本立てた。
「ずっと刀を振り続けていたら疲れるでしょう。肩を揉みますから後ろ向いて下さい」
「文さんに背中見せると尻尾触られるので嫌です」
「…………」
「……はぁ。何か用事があるんじゃないんですか? 稽古を再開したいので、あるなら早くして下さい」
メープルは肩を落とすが、文はこちらの様子など気にも留めず、興奮気味にまくし立てる。
「よくぞ聞いてくれましたねメープル! えぇ用事ならありますとも。頑張り屋の部下を労った後、許可をとったうえでそのモフモフの尻尾を触らせてもらうという素晴らしい重要な用事が──あああごめんなさい冗談! 冗談ですから! 真面目な話もちゃんとありますから待って帰らないでッ」
話を半分も聞き終わらない内に彼女の脇をすり抜けて歩き出すと、目を伏せて熱弁を振るっていた鴉天狗の女性がすぐに追いすがってきた。
「もう付き合い切れないので、別の場所で仕切り直すだけですよ。というかいま『真面目な話も』って言いましたねッ!? やっぱり、最初から私の尻尾目当てじゃないですか! 文さんにはわからないでしょうけど、コレいきなり触られるとすっごくヘンな感じがするんですからねッ? 絶対触らせませんよ!?」
メープルは両肩を掴む腕を振りほどいて距離をとりつつ身構えるが、そこで文が、おもむろに立てた指をチッチッと振り、反らした胸に片手を置く。
「ふふーん。甘い、甘いですよメープル。そんなことで私のしつこい追跡から逃れられるとでも?
この山にある簡易訓練場の位置情報は当然、すべて押さえてありますし、なんならメープルが好んで利用する場所や時間帯、そのサイクルもきっちり調べ上げてあります。いま逃げたところで、またすぐに見つけ出せると断言しましょう。
この私の記者魂に火をつけて張り合おうとしたのが運の尽きでしたねぇ」
「別に張り合ってるつもり無いですし、文さんが独りで勝手に燃え上がってるだけじゃないですかッ。そして他天狗のプライベート暴いてる事を当事者に向かって堂々と暴露しておいて、どうしてこんなに誇らしげなんですかねこのパパラッチ。あと『しつこい』って自覚はあるのか」
独り言に近いかたちで立て続けに悪態をついたその時、不意に頭のどこかがチクリと疼いた。
目の前でにやにやと笑う文の容姿に重なる市松模様のスカートにツインテールの影。同時に、脳裏を一瞬よぎる、場違いな『望郷』の二文字。
メープルはいま、なにか大切なことに気づきかけたような気がしたが、しかしその思考は明確なかたちを成す前に霧散してしまう。
文はこちらの胸中など知る由もなく、メープルの散々な罵倒にも何故だかくすぐったそうに笑った。
「いやぁ、やはり取材というのはしつこくないとやってられませんからね。時に誰かの恨みを買おうとも、スクープを求めてどこまでも、しぶとくターゲットに食い下がっていきますよッ」
「一応言いますけど、褒めてないどころか全力で貶してますからね?」
「はい。私にとってはメープルに言われた点も含めて貴重な褒め言葉です」
「清々しいまでの開き直り」
「まぁまぁ、つまらない茶番はこのくらいにして……そろそろ本題に入らせて下さいよ」
「その『つまらない茶番』引き延ばしてるの、文さんなんですよね、どう考えても」
呆れ返りながらそう応えるが、鴉天狗の女性の笑みは少しも曇らない。
「それで、今回ここを訪ねたのはですね、遠征に行った皆さんのことで意見を聞きたかったからなんですよ。メープルからみて、どう思います?」
ペンとメモを取り出しつつ発せられた問いに、メープルは顎に手を当て考え込む。
「そうですね……。まぁ、鬼の皆さんも半数は同行してますし、よほどのことが無ければ苦戦なんかしないんじゃないですか?」
率直な意見を述べると、文はなにごとかメモに取りながら相槌を打った。
「ふむふむ。つまり、メープルが稽古に励んでいるのも、気持ちを落ち着けるためではないと」
「特にベルクスさん達のことが気がかりってわけじゃないです。ただ、剣術の稽古はもう習慣になってるので、そういう意味では気持ちを落ち着けてることになりますね」
「なるほど」
そこでふと文が顔を上げて、森の向こう、ベルクスたち討伐隊が向かった方角を見やる。
「よほどのことが、無ければいいんですがねぇ……」
何やら意味深なことを呟く上司を横目で見ながら、メープルは彼女に悟られないように鼻からひとつ息を吐いた。
──普段からこうして落ち着いた調子でいてくれれば、こちらも真面目に対応しようと思えるし、今より少しは取材も捗ると思うんだけどなぁ……。
2
リリスは『自動射手』での援護射撃に徹しながら、眼前に広がる光景に奇妙な違和感を覚えていた。
現在の戦況は討伐隊の優勢。先ほどから魔法攻撃をする個体もちらほらと現れ始めたが、数で勝る彼らに皆一歩も引かず、安定した戦闘を続けている。
──否。
安定した、という状況自体がそもそも不自然だ。
リリスたちが島に突入してから、すでに体感で五分以上が経過している。それなのに戦況が突入直後からほとんど推移していない。
その時、バーナに背後から忍び寄るリザードマンを見つけ、半ば自動的に弓を引く。
「シッ」
風をまとった矢は狙い過たず、トカゲ男のガラ空きの背中に命中した。しかし、標的が崩れ落ちる瞬間、リリスは驚愕に目を見開く。
たったいま倒れたリザードマン。その手に握られた、刃折れの片刃曲刀。
間違いない。あれは突入直後にベルクスが斬り伏せていた個体だ。
モンスターの数がまるで減っていない。いや、正確には敵の傷が致命傷を残して回復している。
どういうことだかまったく理解が追いつかないが、これが戦況の進展を妨げているカラクリのひとつだと悟った。
不意に背筋に悪寒が走り、リリスは勘任せに大きく跳躍。同時に、たったいまリリスの居た位置に、背後から飛来した物体が突き立ち弾ける。
その形が崩れる寸前にリリスの目が捉えた飛来物の正体は、銛を象る水の塊だった。
──足止めしてた奴らが立ち直ったか!!
歯噛みする間にもリリスは空中で身体を捻り、弓の上に呼び出した矢を射出。二撃目の予備動作に入っていた敵の眉間を射ち抜き、速やかに沈黙させる。
「背後から奇襲を受けてる! 後方支援は中止、海上の敵に警戒!」
着地と共に飛ばした指示に、アシュリーとルミネアがハッとして振り返った。それと同時に海中から幾つものシルエットが浮上する。
水面から顔を出したのは、痩せ細った青白い肌の人間のようなモンスターだった。ニヤニヤと笑う口には鋭い歯がズラリと並び、瞳を爛々と輝かせて銛を振りかざす腕には鱗が見える。
「アシュリー様、あれは!?」
「水棲人。海に暮らす人魚の一種よ。また厄介なのが出てきたわね……」
隣に立つ鬼の魔術師は、牽制に数個の火球を飛ばしつつ、視線を敵に据えたまま続ける。
「ここは私とルミネアで保たせるわ。リリス、あなたはベルに伝令を。敵が次々と回復してるのはあなたも気づいたでしょ? このまま何も手を打たず戦っても埒が明かない。あなたが皆に情報を届けるのよ」
振り返ると、ルミネアも薄く開いた瞳に決意を込めてひとつ頷く。
「後ろは私たちにお任せを。一体残らず確実に仕留めます」
「……それじゃあ、あとは任せたよ」
次々と飛び掛かってくるモンスターを迎撃していたベルクスは、その奥から出現した魔法攻撃部隊の列を認め、焼け付くような破壊衝動がこみ上げてくるのを感じていた。
剣を強振して近くのモンスターを軽くあしらうと、獰猛な笑みを浮かべて走り込む。
コボルドたちが魔水晶のついた杖から放つ魔法弾を刀身側面で受け流しながら、空いた左掌から水圧弾を放って応戦。
半分ほど間合いを詰めたところで制動をかけつつ腰を落とすと、そのまま剣を引き絞り魔力を発動する。
「『水蛇突咬』ッ!」
突き込んだ剣の切っ先から迸る水流が、巨大な蛇を象りながら敵陣に殺到。体を左右にくねらせる水蛇が弾幕を押し返し、敵の後方支援部隊をまとめて高々と吹き飛ばした。
いいぞ、とベルクスは内心ほくそ笑む。
ここまで、脅威となるほどの飛び道具をもつ個体は確認していない。レンカが口にした、魔法効果をもつ特殊な装備とやらのことが当初から引っかかっていたが、それも近接武器に限った話であれば与しやすい。このまま壊乱に至ればしめたものだ。
その時、すぐそばに倒れていたトーラスが突如跳ね起き、ベルクスの体を濃い影が覆う。
見ると牛男が戦槌を振り上げるところだった。ベルクスの頭上で一瞬静止したハンマーの打撃面が、黄色いスパークを幾重にも帯びる。
──魔法道具ッ? いや、それにコイツはさっき、倒したハズじゃ……ッ?
引き戻した剣を掲げて防御姿勢をとったところで、痛恨の表情を浮かべた。駄目だ、まともにガードして受け切れる質量ではない。加えて、付加された属性は雷。打撃を防いでも電撃は避けられないし、なにより水妖精の自分では相性が悪すぎる。
直撃であることを脊髄が悟り、歯を食いしばった。
「──ハアアァッ!」
あわやという瞬間、ネコ科の肉食獣めいた猛撃が弾丸の速度でトーラスの脇腹に深々と突き刺さる。
闖入者はモンスターの苦悶の悲鳴も意に介さず握り込んだ爪で腹を鉤裂きにするや、こめかみに向けゼロ距離から弓を引く。
果たしてベルクスを救ったのは、リリスだった。
「ベルくん、大丈夫ッ?」
「お、おう。──ッ、つぅかお前、後方支援は──」
「あとの二人に任せてきた。それよりも、大変なことになってるんだよッ」
切迫した表情のリリスは、そこでひと呼吸おいて、続ける。
「水棲型の奴らがもち直した。後ろの二人はその相手で手一杯になってる! それに、この島のモンスターたち、完全に仕留めなきゃ、どんな傷でも回復できるみたいなんだ!!」
「なんだと!? どうりで数がいつまでも減らねぇわけだ。おかしいとは思ったぜ!」
周囲の叫声に負けじと絶叫で会話。
ベルクスは一旦感情を鎮めると、脳内で状況を整理する。
無策の戦闘続行はこちらのジリ貧を招きかねない。かといって、この乱戦のなか的確に指示を飛ばすのは至難。さらに、敵の個々の知能を類推すると、ここで声を張り上げれば、言葉で解さずとも意図を悟られる可能性がある。
ベルクスは瞑目して一度深呼吸すると、揃えた右手の人差し指と中指をこめかみに当て、思念伝達魔法の一種『念話』の構えを取った。
『全員よく聞け! 敵は未知の力によって、致命傷を与えない限り何度でも復活する。総員、モンスターは確実に仕留めろ! 繰り返す。モンスターを倒す時は躊躇わず、確実に仕留めろ!』
腕を降ろして意識を戦闘に戻しかけるが、すぐに頭の中に少女の声が響く。
『ベルクスさん、アレッ。島の入口を見て下さい!』
ルミネアの叫びに振り返り、彼女の指さす方向に目を凝らすと、遥か海上の青空の中に島から遠ざかっていく複数の影が小さく確認できた。
「別動隊? ……やられた、そういうことか……ッ」
そもそも、この島のモンスターの最終目的はスミレ山の襲撃だ。ベルクスたちが如何にここで敵を押さえ込んでも早晩こうなることは飛行型モンスターがいる時点で考慮すべきだったのだ。
二正面作戦とはやってくれるじゃねぇか……ッ。
『そっちの状況は掴んだ。けど、いまは目の前の敵に集中しろ。山に向かった奴らは、きっとお嬢様たちがなんとかしてくれるハズだ』
『了解です!』
ルミネアとの念話を終えると、今度は別の女性の声が後を引き取るように滑り込んでくる。
『ベル、ちょっといいかしら?』
『あん? アシュリー様か、どうした?』
『島に入った時から気になっていたのだけど、ドームの奥の方に色々と積み上がってるのが見えるでしょ? あの中にひとつだけ、奇妙な魔力反応があるの』
ベルクスはハッとして顔を上げた。
『それって、まさか……』
『えぇ。私たちの突入以後もまったく動いてないことから考えても、ほぼ間違いなくなんらかの魔力装置、もしくは魔法道具。──そして、この島のモンスター達が回復し続けられる原因の可能性が高いわ。いまの内に、リリスと協力して魔力の発生源を突き止めて』
隣に立つネコ耳の少女と顔を見合わせて頷きあう。
ベルクスは手短に謝意を告げてから、ドーム最奥に見える小山のようなシルエットに向けてリリスと二人で駆け出した。
スミレ山の頂上に建つ巨大な館、橙鬼館。その巨大な正門の前で、門番、ミレーネ・カトラシアは独り、厳しい表情を浮かべていた。
眼前には水で構成された巨大な四角形のスクリーンが浮遊し、いくつもの格子状に区切られた水面に監視魔水晶よろしく山の各所の風景を映し出している。
ミレーネの技『水滴千里眼』は基本的に『空気中の水分を小さな水の球に圧縮して空中に留めることで、それを通して遠くを見通す』というものだ。
しかし、このように水のレンズとして展開することで、光の屈折を利用して同時に複数の方向を見ることもできるのである。
その時、頭の中に女性の声が響く。
『どうだ、ミレーネ? 何か変化はあったかい?』
「いいえ、いまのところ特には。でも、本当にそんなことがあり得るっていうのね?」
半信半疑の問いに、レンカがにやりと笑う気配。
『あぁ。確かに島のモンスターがどんな奴でも、ベルクスたちが後れをとることはそう無いだろう。但し、それはマトモに闘り合った場合の話だ。
今回の奴らについて警戒するべきは単純な戦力じゃない。数だ。どんなにこちらが優勢でも、連中が余りに多ければどうしても取りこぼしちまう。そして取りこぼした奴らは当初の予定通り、この館を狙ってくるはずだ。
あたし等は向こうで頑張ってるあいつ等のためにも、こっちに来た奴らを確実に叩かなきゃならないってわけさ』
「なるほどね。そうやって順を追って説明してくれれば納得できるわ。だってあなたってば、いきなり念話で『直ちに戦闘準備に掛かれ』なんて連絡するんだもの。誰だって泡を食って当然でしょ?」
『ははは、確かにアレはあたしが悪かった。今度からは気をつけるよ』
後ろ頭を掻く鬼の当主の姿が容易に目に浮かんで、ミレーネはひとつ溜め息を吐く。
「その言葉、いつも聞いてる気がするんだけど。──ところで、どうやら来たみたいよ」
『お、もうそんなに近いのかい? 『水滴千里眼』の索敵範囲は確か、最高で二キロぐらいが限界……』
「それは純粋な技自体の索敵範囲ね。私の視力と合わせたら、体調にもよるけど、その二、三倍ぐらいまでは見通せるわ」
『へぇ、そりゃ頼もしいね。それじゃ──ッ』
そこで不意にノイズと共に念話が切られたと思ったのも束の間、背後頭上からダン、と何かを踏みしめるような音が聞こえる。
まさかと思って、水滴の位置を操作。視野の角度を調整すると、栗色のロングヘアーの女性が橙鬼館中央にそびえる時計台の屋根に立っているのが見えた。
ミレーネが嘆息する間にも、レンカがいっぱいに息を吸い込んだのが見えて慌てて耳を塞ぐ。
「まもなくッ、敵の別動隊が、この館に到達する! 総員、迎撃態勢に入れ!! 久方ぶりの団体様だ。あたしら総出で、盛大にお出迎えするよッ!!」
念話すら必要としない圧倒的声量。その爆音とでも形容すべき大喝にスミレ山全体がビリビリと震えた。
全天抜けるような青空という開けた環境において尚響き渡るその号令は、橙鬼館当主・レンカの抑え難い昂りを如実に物語っている。
レンカの采配で館の周囲各所に配置されていた妖精メイドたちの雄叫びを背中に受けながら、ミレーネの心は諦めの境地に達していた。
──今回ぐらいは大丈夫かと思っていたんだけど、甘かったみたいね。この館、今日で何回目の建て直しになるかしら。
3
「ベルくんッ」
「ああ!」
寄ってくるモンスターたちをあしらいながら走っていたベルクスは、リリスの声に二人で靴底をにじって制動をかける。うず高く積まれた財宝や武器の山は、もう目の前だった。
「これだけ近くまで来れば、確かに魔力反応があるのがはっきりわかるな」
「この山の真ん中辺りだね。早速探しに掛かろう」
頷きあい、無数の物資の中に手を差し込んで、かき分けていく。
個人的には武器類は全部ピックアップして取り分けておき、使えそうなものを選別したいところだが、今は何より、魔力の元を断たなければ。
一番上に積まれた装飾品を放り投げ、その下の金貨の山を勢いよく押しのけたところで、傍らのリリスがおずおずと声を掛けてきた。
「ちょ、ベルくんさぁ、焦るのはわかるけど、せめてもうちょっと丁寧に扱おうよ……。使えるのは持って帰りたいんだから……」
「あぁ? 焦るとかそういう問題じゃねぇだろ、この量見ろ。んなこと言ってたら日が暮れても探し終わらねぇぞ」
「そうだけどさぁ」
「あークソ、鬱陶しい。次から次へと崩れてきてキリがねぇ。──よし」
ベルクスは手を止めると、背中の鞘に剣を納め物資の山から距離をとる。
「リリス、ちょっと下がってろ」
そう言うが早いか翅を一度打ち鳴らし、武器の山に身体ごと飛び込んだ。そのまま限界まで腕を差し込むと、足を踏ん張り、全身を使って周りのものを後方に掻き出していく。
少しして手に伝わってきた感触に、ベルクスは動きを止めた。
「ど、どしたの……?」
「あ、いや、この感じは……」
更にベルクスが積み上がった武器類をいくらか押しのけると、それは唐突に姿を現す。
「え……!?」
「この物資の山は、こいつを隠す為のカムフラージュでもあったってことだな」
現れたのは、横に長い通路だった。横幅は差し渡し八メートル程度だが、天井はベルクスが手を伸ばせば届くほどに低い。
「行くぞ」
そう言って足を踏み入れると、ネコ耳の少女もすぐについてくる。
短い通路の先には、小さな部屋が広がっていた。といっても、ベルクスたちが戦っていたドーム状の空間と比べると小さいというだけで、その広さはちょっとした倉庫ほどもある。
そして、その中央に、それはあった。
「ベルくん、あれだ! あれが魔力の発生源だよッ」
「おい待て、まだ罠の可能性も無いわけじゃ……ッ」
引き止めたが、おさげ髪の猫妖精は構わず小走りに駆けていく。
溜め息を吐き、辺りに生き物の気配が無いのを確認すると、ベルクスも両手をポケットに突っ込み歩いていった。
部屋の中央には一辺が二メートルほどの正方形の石盤が横たわり、その中心にひと抱えもある四角錐台形の魔水晶が置かれている。
そして、魔水晶には銀色の巨剣が鉛直に突き立っていた。
ネコ耳の弓遣いは巨剣の鍔部分を逆手でつかむと、思い切り引っ張り上げる。
「んッ。ぐ……ッぎぎぎ……。コレ、重過ぎ……ッ」
リリスも日頃から鍛えているので、決して非力な筈はないのだが、彼女がどんなに翅を羽ばたかせても、突き立った巨剣はびくともしない。
「ダハァッ。駄目だよ、全ッ然持ち上がらない! 魔法でも掛かってんじゃないのッ?」
「いくらなんでも、そこまでする頭ある奴はいねぇ気がするけどなぁ……」
口ではそう言いつつも、ベルクスも先ほどから嫌な予感はしていた。
現在見えている部分からどう見積もっても、台座の高さだけでは刀身の長さが足りないのだ。流石に魔法で固定されているとまでは考えにくいが、下手をすると地中深くまで貫いている可能性もある。
リリスと交代すると、ベルクスは先ほどの彼女同様に鍔を両手で握り込み、力を込めると同時に翅を全力で震わせた。
「確かに、これはッ、重いな……ッ。リリス、いつも使ってる火矢あったろ、あれ貸してくれ。まさかもう全部撃ち尽くしたとは言わねぇよな?」
「えッ、いいけど……なにする気?」
困惑の表情で差し出された火矢を受け取ると、ベルクスは不敵に笑って答える。
「単純な腕力で駄目なら──発想を変えてみるのが、スジってもんだろッ」
叫ぶと同時に、ベルクスは逆手に持った矢を台座に向けて思い切り突き立てた。
燃え盛る鏃が魔水晶に触れた途端、接触点を中心に爆炎が発生。ベルクスの右腕は、噴き上がった火柱に身体ごと打ち上げられる。
脳が焼き切れるかと思うほどの激痛に歯を食いしばるが、それでもベルクスの腕は、なすべきことを覚えていた。右手に掴んだ恐ろしい質量の物体を強く握り込む。
石畳に背中から激しく打ち付けられ呻くと、リリスが慌てて駆け寄ってきた。
「ちょッ、ベルくん大丈夫!?」
「あぁ。それより見ろよ、やっぱり魔法で固定なんかされてなかったぜ」
上体を起こし、右手の剣を突き出しながら片頬を吊り上げると、リリスはすぐに怒りと安堵を同居させた顔を近づけてくる。
「もう! いくら妖精が死なないからって、無茶苦茶だよ!」
「ハハハ、悪ぃ悪ぃ。でも見ての通り、無事に抜けたじゃねぇか」
「そーいう問題じゃなーいッ」
笑いながら立ち上がり、巨剣が刺さっていた場所を見る。台座になっていた魔水晶は粉々に砕け散り、石盤には大きな亀裂が走っていた。
右手に視線を落としたところで、ベルクスはハッとする。
ベルクスの身の丈にも迫ろうかという肉厚長大な銀の刀身。先刻の爆発の余波を受けそこに無数に走っていた傷が、みるみる内に消えていくのだ。
「……。……ま、これでモンスター共も易々とは再生できなくなったはずだ。良い得物も手に入ったことだし、さっさと戻って早いとこ決着を──。……ッて、どうした?」
顔を上げ隣の同僚を見やると、リリスは両手で口元を押さえて笑いを堪えていた。
「いや、だって、ププッ。その髪……にゃははッ」
「あ? 俺の髪がどうし……──ッておわぁッ、なんだコレぁッ?」
訝しみながら頭に手をやったところで、ベルクスも気づいた。
ベルクスの髪が、腰の辺りまで伸びていたのだ。
「一体なにが──あッ、コイツか、この剣のせいだな!? なんだよ、こんなの聞いてねぇぞ!」
「まぁまぁ、そう慌てなくても。邪魔ならあたいが、ちょちょいっと編んであげようか?」
「…………えっ」
ニヤニヤ笑いを浮かべて、両手をわきわきと動かすリリスの思いがけない申し出に、間の抜けた反応しかできないベルクスだった。
「──みんなーッ、お待たせーッ! 色々あって手間取っちゃったよ!」
ドームの奥から届いたその叫び声に、バーナはハッとして視線を向ける。
「リリスちゃん、作戦は成功ですかッ? ──ッて、あれ?」
そして、予想外の光景に眉を潜めた。
見慣れた赤いおさげ髪の少女の隣に、なにやら水色の長い髪を一つの大きな三つ編みに束ねた長身のシルエットが見える。
「どういうことです?」「だぁれ、あのヒト?」「まさか、ベル兄ぃ? なんで髪伸びてんの?」
妖精メイド達がざわめく中、俯いていた三つ編みのシルエットが、石畳に突いていた銀の大剣を肩に担ぎ上げた。腹の底から、聞き慣れた荒っぽい声を張り上げる。
「詳しい話は後だ! たったいま、この島のカラクリを潰した。もう敵は好き放題回復できねぇ。ここから一気に畳み掛けるぞッ!!」
討伐隊メンバー全員が疑問を一旦棚上げし、武器を掲げて雄叫びを轟かせるまで、そう長い時間は掛からなかった。
こうして、サザンカ島のモンスターたちはベルクスたち討伐隊メンバーによって撃破された。
やはりアシュリーの推測通り、ベルクスが破壊した魔水晶が例の大剣の魔力を放射させて島全体に加護を与えていたらしい。
剣を抜いたことで、加護の対象はベルクスに移動。さらにこの大剣は刀身をかざすことで強力な治癒魔法を発動できるらしく、優勢になった討伐隊の猛攻を後押しするかたちとなった。
それから数時間後、一行は回収した大量の物資を手分けして抱え、無事帰路に就いた──のだが。
ベルクスは、後ろから聞こえてくる楽しそうな笑い声を努めて意識しないようにしながら、複雑な心境で歩を進めていた。
まぁ、彼女たちの気持ちもわからんでもない。仲間が別行動をとっていたと思ったら、数分前とまったく違う姿で戻ってきたのだ。これで面白がるなという方が無理な相談だろう。
そこで、小走りで隣まで来たシアンが歩きながら、キラキラした目でベルクスの顔を覗き込んでくる。
「ねぇねぇベル兄ぃ、突然女のコにされた気分はどうなの? なんか感想聞かせてよ」
「おい待て、その言い方は止めろ。なにも意識まで女になったわけじゃねぇ。というか、この髪は女になったから伸びたんじゃねぇんだよ」
うんざりしながらそう返すと、シアンは不意にハッとした表情になった後、申し訳なさそうな伏し目で妖精メイド達の輪に戻っていった。
「……?」
その奇妙な反応の意味がわからず困惑したが、すぐにあることに思い至り、慌てて振り返る。
「──別に女装趣味に目醒めたとか、そういう話でもないからなッ?」
すると、ベルクスの斜め後ろで事態を見守っていたバーナが、苦笑とともに口を開いた。
「まぁ、あとでゆっくり話せば、あの娘たちの誤解もすぐに解けますよ。……ところでよく綺麗にまとまりましたね、その髪型。リリスちゃんにやってもらったんですか?」
「あぁ、そうだよ。あの時はそうするしかなかったしな。けど、これからどうすりゃ良いんだよ……。いちいちアイツにセット頼むのか?」
先行きに対するあまりの不安に頭を抱える。
「よかったら、お嬢様のセットのついでに私がやるという手もありますけど」
「選択肢はその二つなんだよなぁ……。しゃあねぇ、バーナさん、悪ぃがこれからよろしく頼む。それと、上手くまとまるような編み方を俺にも教えてくれ」
「お安い御用です」
バーナがにっこりと快諾したのを見て、ベルクスもようやく笑みを返す余裕ができた。だが直後、揺れて腕にかかった長い三つ編みを無意識に払いのけたことに気づき、暗澹たる気分に襲われた。
一行はスミレ山の中腹に差し掛かろうとしている。山を登り始めた時点から霧が出ているので、ベルクスたちが帰還したことは、既にミレーネを始めとした橙鬼館の住人たちも知るところだろう。
その時、不意に隣のバーナが声を上げた。
「あれー? 変ですねぇ」
「あ? どうした?」
「いえ、そろそろ、館が見えてもいい頃合いなんですけど……」
ベルクスも顔を上げて遠くを見やる。
橙鬼館の住人が買い出しや任務などから帰る場合、ミレーネの計らいで館方向の空だけは霧の濃度を下げられていた。しかし確かに、普段なら時計台のシルエットが見えるはずの位置には、ただ狭霧の立ち込める白っぽい空ばかりが広がっている。
バーナは後ろに止まるよう合図すると、垂直跳びで二十メートルほど跳び上がり、前方の状況を確認してから落ちてきた。
着地の衝撃を殺すべく、屈んだ姿勢で束の間動きを止めると、困り果てた表情で体を起こす。
「えーと……あれは、どう説明すれば……。いえ、隠しても仕方ありませんね。皆さん、落ち着いて聞いて下さい──ウチの時計台、完全にヘシ折れてます」
4
バーナたちが山の斜面を登り切るのとほぼ同時に、立ち込めていた霧は役目を終えて拡散した。そして、目の前に展開された光景に全員が呆然と立ち尽くす。
その様子に苦笑しながら、バーナも改めて、変わり果てた自分たちの家を見上げた。
コの字型の館に囲まれてそびえていた時計台は、その中ほどから上が消失している。他の部分も多少の崩落はあったが、大きい損壊がそこ以外に見られないところをみると、やはり最悪の事態が起きたというわけではないらしい。
その時、前方から鬼の少女が歩いてきた。
「皆、お疲れ様。よくやってくれたわ。こっちに来た奴らは見ての通り全部片付けてるから、安心して」
「いや、それはいいんですけど……あれは一体、何があったんです?」
バーナが壊れた時計台を指差すと、ミレーネは振り返って盛大な溜め息を吐く。
「うわぁ、すごい音したとは思ってたけどこんなことになってたんだ。まったく……どれだけ直すの大変かわかってるんでしょうね……」
こちらに向き直ると、呆れ顔で続けた。
「お察しの通り、壊したのはレンカよ。それも戦って偶然壊れたんじゃなくて、あのヒトが『翔歩』の足場に使ったから」
誰からともなく「あぁ……」と、納得と苦笑を等分に含んだ声を漏らす。
『翔歩』とはレンカの山妖式戦闘術の絶技のひとつで、空気を蹴りつけて空を飛ぶというものだ。
無論、そんな神業を実現するには、凄まじい脚力と瞬発力が必要になるわけで、技の使用中に偶然でも足が障害物に当たれば、たとえそれがどんなに硬いものだったとしても容易く破壊するだろう。
つまり彼女の発言を言い換えれば、今回は橙鬼館の時計台がその『翔歩』の犠牲になってしまったということである。
「まぁ、過ぎた事を考えても仕方ないわ。とりあえず早く入って。ひと息ついたら、今夜はウチの戦力増強祝いってことで宴会だって」
いつになく上機嫌なミレーネの言葉に、互いの顔を盗み見て笑い合いながら、バーナ達は橙鬼館へと引き上げていくのだった。
宴会は、橙鬼館の大広間で行われることになった。
振る舞われたのは、館を襲撃しにきた飛竜の肉を使った様々な肉料理だ。バーナやベルクスたち水妖精が存分に腕を振るった結果、どれも美味しく仕上がっている。
なんとも器用なことに、レンカは破壊した時計台が崩落する位置まで計算していたらしく、中庭に面した大広間と厨房はほぼ無傷で済んでいた。
リリスからすれば、家を壊すような豪快な戦い方と、受ける被害の計算を両立していること自体が驚くべきことであり、実にレンカらしいと思う。
だが、ミレーネにはそんな乱暴なやり方が受け入れ難いらしく、先ほどから長机の端でレンカを説教していた。
リリスが骨付き肉を頬張りながら、いつもの光景を苦笑とともに眺めていると、先ほどから姿が見えない女性がいるのに気づいた。
ちょうど近くを通り掛かったバーナに声をかける。
「バーナさん、アシュリー様は?」
「あぁ、アシュリー様なら私たちが地下に運び込んだ物資の分析をやってますよ。『万が一、放置したらマズいものなんかあるといけないから』って」
「私も、どんなモノが手に入ったのか気になるなぁ」
不意に背後から聞こえた声に振り返ると、いつの間にかリリスの隣に座っていた紫髪の少女が、机に突っ伏した姿勢で期待に満ちた眼差しを向けていた。彼女の向こうにはルミネアの姿もある。
「そんな話聞いたら、覗きたくなっちゃうよね」
悪戯っぽく笑うネフィリムの言葉に、チラリとバーナの顔色をうかがうと、鬼のメイド長は困ったような笑いを漏らした。
そのまま顔を寄せると、人差し指を唇に当て、意外な反応を返してくる。
「そろそろ差し入れをしに行こうと思ってたところですし、ついでにちょっとだけ見せてもらいましょうか。ミレーネさんには内緒ですよ?」
ベルクスが行儀悪く片膝を立てて椅子に座っていると、横からミレーネがスタスタと歩いてきて、慌てて居住まいを正す。
ミレーネは、ティーセットから紅茶を一杯淹れると一口すすり、ホッとひとつ吐息を漏らした。
「当主にも正面から説教とは、ウチの風紀委員サマもご苦労なこったな」
苦笑混じりに声を掛けると、ミレーネはフッと笑みこぼれる。
「私ぐらいしかこんな事できないからね。それに、皆の苦労を考えたら必要なことだもの」
そこで伏せていた目を開くと、ベルクスが椅子の背もたれに立て掛けていた銀の大剣に視線を向けた。
「キレイな剣……。それも今回の収穫?」
「おう。なんでも帰りがけに聞いたアシュリー様の話じゃあ、この剣には医学の神の力が宿ってて、強力な治癒効果があるんだと。お陰で持ってる間、髪が伸び放題になってこの有様だ」
ベルクスが肩をすくめると、ミレーネも口元に手をやってクスクスと笑う。
その時、辺りの照明が落ち、視界が一気に暗くなった。何事かと周囲を見回していると、不意に大広間の奥側だけがパッと明るくなる。
明かりが照らす場所にはステージが組まれ、そこに複数の人影が見えた。しかし、こちらからでは逆光になって誰が居るのかまでは見えない。
と、そこで再び照明が落ちると、今度はそのなかの一人にスポットライトが当てられる。
伏せていた顔を上げ、にこやかな笑みを浮かべたのは、鬼のメイド長、バーナだった。
「このスミレ山の危機を救うため派遣された討伐隊の皆さん、任務お疲れ様でした!」
続いて新たなスポットライトが灯り、現れたのは音楽妖精の楽団長、ルミネア。
「皆さんの無事と、橙鬼館の戦力増強を祝して、いまから私達が歌います!」
そして最後の一人にライトが当てられた時、ベルクスはぎょっとして目を見開いた。そこに立っていたのは、おさげの赤髪にネコ科の黒い耳と尻尾の少女──リリスだったのだ。
「今夜は無礼講だ! あたいが新たに手に入れたこの妖弓・竪琴の音色、目一杯楽しんでいってね!」
リリスが持っていた弓の複数の弦を掻き鳴らしたのを合図に、バーナがギターを、ルミネアが魔力で実体化させたバイオリンを演奏し始めた。
「ハハハッ、こんなサプライズ、いつの間に示し合わせてたんだ、あいつ等?」
ベルクスの笑いに、ミレーネも楽しそうな笑みを浮かべる。
「まぁ、あのステージ自体、アシュリーが魔法で出したんでしょうし、図書館で話し合ったんじゃない?
それにしてもリリスのあの弓、今日手に入れたばかりって言ってたのに、もう使いこなせてるし。呑み込みの早さは妖精一倍ね」
使われた楽器は、ギターとバイオリンに竪琴という一見滅茶苦茶な取り合わせだったが、ルミネアが作曲を担当したのだろう。即興演奏は意外なほどの完成度で場を盛り上げていく。
大広間が瞬く間に妖精メイド達の歓声で包まれ、宴は大盛況のままに空が白み始めるまで続けられた。