『変革の翼竜』による、『妖精の尻尾』襲撃から一夜明けた早朝。
スティング達『剣咬の虎』のメンバーはマグノリアの宿で一泊した後、ギルドのある王都クロッカスへと帰ることになった。
出発の直前、見送りのためギルド正門前に集まったルーシィたちに、ミネルバははにかんだような表情で切り出す。
「そなたたちには本当に、感謝してもし切れんな。妾にまさかこんな日が訪れようとは」
ルーシィは思わず笑ってしまった。
「それを言うならあたしたちじゃなくて、あっちの鬼のヒトたちに、でしょ。あたしたちはただ見てただけなんだし」
「正確には、この子の技のおかげだけどね」
ルーシィの目配せを受けたアシュリーが微笑みつつ首を傾けると、傍らの紫髪の少女も満面の笑みで口を開く。
「どーいたしまして! ……うん、もう大丈夫。全然黒くないね!」
確かめるように大きくひとつ頷いたネフィリムは、そこで不意に大きな欠伸をした。
「私もう眠くなってきちゃった」
目をこする闇妖精の少女に、バーナが苦笑する。
「あぁ、確かに闇妖精にとってはもうそろそろお休みの時間帯ですね。ネフィちゃん、こちらに」
屈んで両腕を開くバーナだったが、ネフィリムは頭をふらふらさせながらも「んー……ベルクスがいい」と応えた。
申し出を退けられたメイド長が特に気分を害した風もなく「そうですか」と笑って身を引くと、気怠そうな顔の料理長が入れ替わるように進み出てくる。
「ッたくめんどくせぇな……。めんどくせぇが、まぁこればっかりは仕方ねぇ。──ホラ」
ベルクスが背を向けて屈むと、ネフィリムは「わぁーい……」といって彼の首にしがみつき、かかえ上げられたところで限界がきたらしい。間もなくすぅすぅと寝息を立て始めた。
「だからなんなんだよ、黒いとか黒くないとか……」
困惑したスティングの呟きに、ミレーネがクスクスと笑う。
「『常闇の深淵』は、応用すると心の闇を感じ取ることもできるらしいの。この子にはそういう『気の波長』みたいなものが黒いオーラかなにかのように見えてるのかもね」
「はーん……」
わかったような、わからないような。
その時、ルーシィの傍らで事の成り行きを見守っていた緋色の髪の女性が口を開いた。
「ミネルバ、お前が本当の意味で『闇』を抜け出せたこと、私も心から嬉しく思う。これまで刃を向け合うこともあったが、今度は肩を並べて戦えるのだ。王国最強と謳われたお前の力、頼りにしているぞ」
口元に笑みを浮かべるエルザの言葉に、ミネルバは束の間ハッとしたような表情になるが、すぐに不敵な笑みを湛える。
「大陸最強の『妖精女王』にそこまで言われては、妾も期待に応えるほかあるまいな」
そのやり取りに知らず笑みこぼれていたスティングは、表情を改めると桜髪の青年に向き直った。
「ナツさん、二年前の竜との戦いで、俺はナツさんの言葉に勇気を貰った。戦う勇気じゃない。仲間を守る勇気を。ありがとう。ずっとそれが言いたかった。
そして、今度はアンタらみんなのおかげで新しい力まで手に入ったんだ。この恩は、今回の戦いできっと返すよ」
「へへッ、そっか? ま、お互い頑張ろうな」
くすぐったそうに笑ったナツに続き、ガジルも真剣な顔でローグを見る。
「今度の敵は、未来から来たお前と似たようなことをやろうとしてる。初代はそう言ってた。わかってるとは思うが……」
「あぁ、俺が悪に染まることはもう無い。こいつが隣にいる限り、な。ひと回り成長した俺たちの姿、今度こそ竜どもに見せつけてやる」
スティングにちらりと視線を向けつつローグが首肯を返したところで、ナツたちの後ろから金髪の巨漢が髪をかき上げながら進み出てきた。
「敵は竜。俺たちは滅竜魔導士。とくれば、まぁやることは一つだな」
ラクサスの言葉に、ウェンディも気合十分とばかりに小さく両の拳を握る。
ナツは右拳を左手に打ちつけると、開いた歯の隙間から燃える吐息を漏らしてにやりと笑った。
「──リベンジマッチだ。燃えてきたぞ」
1
スティングたちが『妖精の尻尾』を後にしてすぐ、スミレ山の面々も戦支度のため橙鬼館へと帰る用意を始める。
全員が荷物をまとめ終わり、改めてギルド正門前に集まったルーシィたちの前で、アシュリーがなにやら含み笑いをしながら口を開いた。
「それじゃあこれで私たちも帰るけど、歩きだと時間が掛かりすぎるわね。私の空間魔法でもかなりの労力を要するでしょう。そこで、ちょっといいことを思いついちゃったの」
不意に出現させたホロキーボード上に淀みなく指を走らせると、少しして顔を上げる。
「ここに来る前も見せてもらったけど、あなたの魔法ってかなり面白い性質があるのね」
彼女の視線を追うと、いきなり話を振られて戸惑う赤黒い髪の男性が後ろ頭を掻いていた。
「え、あぁ……面白い、かな? 僕の『具体化』には掴みどころがなさ過ぎて、使ってる僕自身、困ることも多いんだけどね」
ラグリアの苦笑に、アシュリーも小さく笑う。
「たしかに、あなたにとってはそうなんでしょうね。でも、謎が多いものというのは、時に素晴らしい研究資料になるわ」
そういいながら彼女の開いた本が、眩く発光。無色透明な複数の魔法石を展開した。なにをするつもりかとルーシィたちが見守るなか、静かな声が朝の爽気を震わせる。
「魔力統合。増幅開始。性質解析完了。転写開始」
アシュリーの周囲を旋回する八面体形の結晶たちが不意に発光し始めると、それぞれの光が細長く伸びて繋がっていき、空中に複雑な幾何学模様を描き出す。
「空間把握。座標固定。……こんなところかしらね。それじゃあ──『空間接続』」
「「「!?」」」
予想だにしなかった技名にルーシィたちのみならずスミレ山の面々も揃って驚愕の表情を浮かべていると、鬼の魔術師は得意げに笑って口を開いた。
「私の『古代図書館』は情報管理の武法よ。こうして一度でも見たことがある技なら、その性質を解析して再現することもできるの」
その言葉に、レンカが苦笑気味に笑う。
「そういやこういうのはお前の十八番だったね。人間とは久しく会ってないから忘れてたよ」
「とはいえ、独自の解釈で模倣するだけだから、厳密には違う部分もあるでしょうけどね。ともかくこれで館まではひとっ飛びよ。さ、そろそろ行きましょう」
アシュリーの言葉に頷きあうと、スミレ山の面々は空間の境界を三々五々にくぐっていく。ある者は軽く手を上げて、ある者は一礼して、ある者はしきりに手を振りながら。
鬼、妖精、天狗。すべての妖怪たちがアシュリーのつくり出した空間の境界をくぐるのを見送ってから、ラグリアは後ろ頭を掻いた。
「いやぁ、あはは……。まさか僕の技をああも容易くコピーするとはね。こんな経験初めてだな」
隣にいたカリンが腕組みをしたままにやにや笑いを浮かべる。
「逆の立場なら何度もあったんでしょうね」
「いやいや、他人の魔法を真似る機会なんてそうそうあるものじゃ──。…………」
そこまで返したラグリアは、だがそこでなにを思ったか不意に苦笑いを引っ込めると、顎に手をやり黙り込んでしまう。
「……?」
カリンが小首を傾げたその時、あさっての方向から声が掛かりルーシィがそちらを見ると、配達員が所在なさげに立っていた。
すぐミラジェーンが小走りで駆けていくと、封筒を受け取って二、三言交わしたあと戻ってくる。途中、宛名を確認した彼女の瞳が軽く見開かれた。
「──これ、初代宛てみたいです」
その一言で、空気に困惑が混じる。現在、メイビスの状態を知っている者はごく少ない。天狼島に彼女の墓が建てられて以降、表向きには彼女は死んだと告げられていたし、昨年の戦争に際してメイビス自身の口から真実が語られるまでは、ルーシィたちもその説明を信じて疑わなかった。
その彼女に、手紙? 一体誰が?
「見せてください」
裸足を投げ出してバーカウンターの上に座っていたメイビスは、感情の読めない静かな瞳でそれだけ言うと、ミラジェーンから封筒を受け取る。
「……ッ。これは……」
手紙を読み進める少女の顔がみるみる険しくなっていき、やがて手紙を傍らに置くとバーカウンターから飛び降りた。
「少し、急用ができました。私は出かけてきます」
「出かけるって、どこへ?」
マカロフの問いに半分だけ振り返ると、メイビスは彼の瞳をまっすぐ見返し、重々しく告げる。
「──ウォーロッドの家です。至急伝えたい話があるので直接来てほしい、と」
「なん、ですと……!?」
すると瞠目するマカロフの横合いからメストが軽く手を上げて割り込んだ。
「あー、初代、それなら移動は俺に任せてくれ。あの人の家まではそれなりに遠いよな? 急ぎの用事ってことなら、俺の『瞬間移動』が早いぜ」
「それは助かります。ではあなたもすぐに出発の用意を。……ところで、なぜそんなに必死になっているんですか?」
不思議そうな表情でメイビスが訊ねると、メストは「あッ」といって頬を染める。
「いや、別に必死ってわけじゃあ……」
ルーシィが笑い出したい衝動を必死に堪えていると、隣のエルザも肩を小さく震わせていた。
そこで不意に振り向いたメストがこちらに気づく。
「あッ、おいコラ、お前らなぁ……ッ」
彼が拳を振り上げてなにかを言う前に、ルーシィは笑いながらエルザとともに一目散に駆け出した。
三十分後。
『瞬間移動』の連発によってメイビスを無事に目的地へと送り届けたメストは、顔を上げたところで知らず溜め息をひとつ吐く。
苔むした壁面に連なるなだらかな三角屋根から突き出した巨樹を見上げながら、何度見ても珍妙な家だと独りごちった。
同時に、メストは自分の呼吸が浅く短くなっていることにも気づく。『瞬間移動』は一度にあまり長距離を移動することができず、連続で発動すると魔力の消費も激しくなってしまうが、おそらくいまの呼吸の乱れはそういうことではないだろう。
なにしろこれから会う人物は聖十大魔道序列四位、『イシュガルの四天王』と呼ばれる大魔導士なのだ。以前から面識があるとはいえ会話したのはほんの数回だし、これで緊張するなという方が無理がある。
メストは一度深呼吸して気を引き締めた。
「ごめんください。ウォーロッド、いますか?」
駆けていったメイビスがノックしながら呼びかけると、やがて横合いから声をかけられる。
「おぉおぉ、よく来てくれた。メイビスにメストくんまで。こっちに来るといい」
見ると、樹木のような頭の老人が首と手だけ出して手招きしていた。家の横手に回ると木製のテーブルに広げられたティーセットが目に飛び込んでくる。
「この歳になると、なかなか人と会う機会もないから寂しくてね。まして久しぶりの来客がメイビス、貴女だということで少し張り切ってしまった」
こちらに背を向けて、カップに飲み物を淹れていたウォーロッドは、そこで振り向くと満面の笑みで着席を促した。
「ささ、こちらに。まずは茶でも一杯いかがかな? 私がこういう時のために保存しておいたとっておきの茶葉じゃ」
いそいそと座ったメイビスに続いてメストもその隣に腰かける。熱い紅茶が胃に落ちると、緊張がほぐれていくのがわかった。
「ま、これで淹れたお茶だけどな」
そういって、ウォーロッドが持っていたじょうろを掲げてみせたのでメイビスが硬直する。メストも目を見開いて口に含んでいた紅茶を盛大に噴き出した。
「冗談じゃよ、冗談!! わはははっ」
咽せて激しく咳き込みながら、そういえばこんな爺さんだったなとメストは傍らで腹を抱えて笑い転げる老人を思わず恨みがましい目つきで見上げる。
ひとしきり笑ったウォーロッドが正面の椅子に座り落ち着きを取り戻したところで、困り顔で笑っていたメイビスが紅茶のカップから顔を上げた。
「……それで、伝えたい話というのは?」
するとウォーロッドはたったいままでの笑みをすぐさま引っ込め、真面目な顔をつくる。
「うむ。話というのは他でもない。昨夜、フィオーレ王国上空に突如現れた浮遊城についてです。が、その前にひとつ確認を。昨日『妖精の尻尾』を襲ったのは滅竜魔導士のみで構成されたギルド。ここまでは違いありませんな?」
その問いにメイビスはゆっくり頷いた。
「はい。まだ現時点では謎が多いですが、そこまでは確かな情報と考えて良いかと。そしてタイミングから考えてもほぼ間違いなく、あの浮遊城も彼らの仕業とみて問題ないでしょう」
メストは体を捩ると、背後の広大な青空を眺める。ここからではさすがに遠すぎて見えなかったが、あの忌々しいシルエットが晴天の中にぽっかりと空いた穴の如く浮かんでいる様は出発前に確認していた。
ウォーロッドは沈痛げに目を伏せると、やがて厳かに語り出す。
「そうですか……。では、私の掴んだ情報をお伝えしましょう。──あれはおそらく、ゴッドセレナの魔法と同じ能力によるものです」
「なに……!?」
メストが隣を見ると、これにはさすがのメイビスも目を丸くしていた。
「どういう、ことですか……?」
「アルバレスとの戦争の折、私らが奴と交戦したのは覚えてますな? その後、現れたアクノロギアに奴が一撃で敗れ去ったことも。
戦争が終結してから私らは事後処理のため再び戦場に向かったのですが……ゴッドセレナの亡骸は消えていた。大きな血溜まりの跡だけを残して、忽然と。
ここから考えられる可能性は二つ。一つはあの時、奴がまだ生きていて、自力で逃げ出した。あの傷ではいくら奴でもそう遠くへは行けないでしょう。その後どこかの段階で『翼竜』のメンバーに救われ、その礼として力を貸している……そんなところでしょうな」
「それは……どうでしょう?」
そこで、顎に手を当てて考え込んでいたメイビスが割り込む。
「私はあの戦争で一度ゼレフに捕まったので、ゴッドセレナについても少し知識があります。まだ彼が生きているとしたら、現時点で姿を見せていないのが気になります」
「ふむ、確かに。隠し玉として身を潜めるよう指示を受けたとも考えましたが、あれは他人の命令を素直に聞くような男ではありませんでしたなぁ。まして相手が会って間もない同郷の人間となれば、大陸最強の男が気にくわない指示に従うとは……」
苦い表情でかぶりを振ると、ウォーロッドはハッとしたような顔になってこちらに向き直った。
「あぁ、それで奴の亡骸が消えていた件ですが、もう一つ考えられるのが……」
「──『翼竜』がゴッドセレナの遺体から力を奪い、自らの戦力に変えている」
メイビスの言葉に、ウォーロッドは深刻そうな表情で首肯する。
「そういうことになりますな。ゴッドセレナはその身に『竜の魔水晶』を埋め込んだ第二世代滅竜魔導士。魔水晶を抜き取れば簡単に能力を奪えます」
「だとすれば、油断はできませんね」
「?」
片眉をもち上げた老人に、金髪の少女は続けた。
「他者から力を奪う方法はいくつかあります。確かにゴッドセレナの場合は魔水晶を奪うのが一番の近道でしょう。ですがもしも他の方法を使われていた場合、それが今回の戦局に影響する可能性もあります」
「他の方法っていうと……」
メストが呟くと、メイビスはちらりと視線をこちらに振ってから指を一本立てる。
「たとえば魔法や道具によって、対象の能力のみ奪う場合。これだけでも注意すべき点は幾つもあります。
まずは、戦闘中にこちらが能力を奪われる可能性。魔力を吸収するだけなら魔法自体が使えなくなるとは考えにくいですが、半端な攻め方は敵の武器を増やすだけになってしまいます。また、魔法道具による吸収ならその道具に注意を払えばいいですが、魔法だった場合そうもいきません」
メストは顎をさすって唸った。
「敵が能力を奪った方法がわからない以上、戦ってていきなり奪われることもあり得るわけか」
「はい。そしてなにより問題なのは、ゴッドセレナの魔力を誰が奪ったのかすら不明だということ」
「え? そりゃネメシスとかいったアイツじゃ……。──ッ」
少女の静かな瞳に見つめられ、ハッと息を飲む。
「本当にそう言い切れますか? 確かに現時点で魔力を発動していないのが彼だけである以上、その可能性はあるでしょう。ですが思い出してください。彼らが飲んだ『騎士の聖水』は、膨大な魔力ともう一種類の魔法の獲得、そして滅竜魔法とそれの同時使用を可能にする。つまり、滅竜魔法と別の魔法を同時に使えるというだけで、彼らが獲得した魔法が二つだけという保証はどこにもないのです」
「ちょっと待てよ、じゃあ──ッ」
「膨大な魔力を得たというならばなおのこと、『翼竜』の誰が他者の能力を奪えても不思議ではありません。最悪の場合、全員が、ということも……」
メストは固い唾をごくりと飲み込んだ。
「そんな……。奴らの潜伏先を突き止めても、問題がそこまで多くちゃ迂闊に攻め込むこともできないじゃねぇか……」
「だからこそ、リゼルはあんなにも余裕でいられたのでしょう。そして、私たちは残された二週間で、その彼らに勝つための作戦を練らなければなりません」
そこで、いままで沈黙してメストたちのやり取りを聞いていたウォーロッドが口を開く。
「なるほど。そういう発想はありませんでしたな。流石は『妖精軍師』メイビス。……ともかく、私から言える確かなことは一つ」
そこまでで一度言葉を切ると、ウォーロッドはいつになくしかつめらしい顔で告げた。
「充分にお気をつけくだされ。今回の敵は到底一筋縄ではいかぬ厄介な相手。ゴッドセレナの魔法を使ってきたこと然り、其奴らは私たちの思いもよらぬ手札をまだまだ隠し持っておりますぞ」
2
抜けるような青空の下、時折吹くそよ風が砂ぼこりを運んでいく。
巨岩が点々と転がる荒野の中、鱗模様のマフラーに桜髪の青年が立っていた。否、その表現は正鵠を射たものとはいえないかもしれない。何故なら──。
「ナツーッ、気をつけてね、力加減とか!」
「わかってるって! ──いくぞォッ」
上空で『翼』を展開したハッピーが遠巻きに見守る中、ナツが小さな岩山に向けて魔力を発動する。
「火竜の握撃ッ」
岩肌を掴んだ掌から炎を発生させると、爆破。小山は瞬く間にいくつもの岩に変じて辺りに飛散した。
ここはハッピーたちの家からマグノリアまでの間に位置する荒野。ナツは点在する岩山の中から手ごろな大きさのものを見つけては破壊して回っていた。
ちなみに普段よく使う『火竜の鉄拳』は先ほどナツが放ったところ岩山の一つを跡形もなく吹き飛ばしてしまったため、計画を修正して現在に至る。
「よぉし、これだけあれば十分だろ。ハッピー、準備はいいな? 危ねえ時はちゃんと叫べよ」
「あいさー!」
こちらを見上げるナツに片手を上げて応えると、彼は歯を見せてニッと笑った。続いて手近な岩を見繕うと、自分の全身をすっぽりと覆い隠してなお余りある大きさのそれを両腕で抱え上げる。
「ふんッ、ぐぎぎぎ……──らぁッ」
気合一閃、ナツは頭の上まで持ち上げた巨岩を直上へ放り投げた。岩はハッピーの眼前を高速で通過し、みるみる小さくなっていく。
間もなく降り注いできた岩を迎え撃ったのは、炎に包まれたナツの右拳だった。
「火竜の鉄拳ッ」
拳がヒットした瞬間、無数の破片となった岩がハッピーめがけて殺到。ハッピーはそれらすべてを危なげなくかわしていく。
これがナツとハッピーの二人で相談して編み出した特訓方法。ナツは投げ上げた岩を砕いて攻撃の威力と精度の向上を図り、同時にハッピーは彼が飛ばす破片を避けることで空中での機動力を鍛える寸法だ。さらには全身運動により二人同時に体力を鍛える──ハッピーについては『翼』の持続時間を伸ばす──効果も狙っている。
一方、マグノリアの宿の自室で、ルーシィは腰元の鍵束から取り出した一本の鍵を眺めていた。
水瓶から水が噴き出す様を象った金色の美しい鍵。その滑らかな曲線をそっと指でなぞりながら、心の中で語りかける。
──あなたがいない間、本当に色んなことがあったんだ。おかげで、あたしも前より強くなったんだよ。
──待っててね。前より成長したあたしの姿、すぐに見せてあげるから。
新たに星霊の鍵を手に入れた星霊魔導士は通常、鍵に紐付けられた星霊を一度召喚し、人間界に来られる曜日を聞く必要がある。
だが『彼女』の場合、事はそう単純にはいかない。アクエリアスを呼び出すには水がある場所でなければならず、どこでもすぐに呼び出せる大多数の星霊とは違って契約する状況にも制限がかかるのだ。
また、問題はそれだけに留まらない。ルーシィは元契約者なのでアクエリアスの都合をすでに知っているが、同時に彼女の性格もよく知っている。契約を結ぶためとはいえ、それだけのためにコップや湯船を用意すれば間違いなく彼女の逆鱗に触れ、その結果どんな目に遭わされるかわかったものではない。
よってルーシィは彼女とどう契約を結び直したものか、切り出し方を決めかねているのだった。
「とりあえず、いまは少しでも戦いに備えないとね! 始めるよ、プルー!」
「プンプーン」
自分に言い聞かせるように気合いを入れると、傍らでこちらを見上げていた生物に声をかける。
二段の雪だるまに肉球のある手足が生えたような姿のこの生物もまた星霊の一種であり、正式名は小犬座のニコラ。彼らは数多くの個体が存在し、召喚・維持のための魔力消費量が少ないことや容姿から愛玩星霊として人気が高い。ルーシィも自分が契約したニコラをプルーと名付けて可愛がっていた。
ルーシィがその場で座禅を組むと、隣に来たプルーもそのポーズを真似る。
魔法は精神力と集中力を使う。そして星霊は契約者の強さに比例して人間界での戦闘力が上がる。
故にルーシィは瞑想で集中力を高めることで、総合的な戦闘力を強化しようとしていた。
ちなみに星霊の経験が契約者に直接何らかのかたちでフィードバックされるといった話は聞かないため、プルーが座禅を組む意味は残念ながらまったく無いだろう。しかしその愛らしさで気が逸れないようにすることも精神力の強化に繋がるかもしれないということで、敢えて呼び出したまま好きにさせている。
いつも通り椅子に腰かけ、昼食のステーキを食べていたグレイは、そこで眼前に座る青髪の女性が食事の手を止めていることに気づいた。見れば、彼女はなにやら浮かない顔をしている。
「どうした、ジュビア? まさか模様、やっぱり結構痛むのか?」
二年前の大魔闘演武出場に際して第二魔法源の解放を済ませているグレイは、当時の筆舌に尽くしがたい激痛を思い出して顔を引きつらせながら、ジュビアの全身を淡く発光させている模様を指さした。
だが、ハッとした表情を浮かべたジュビアはすぐに笑って軽く首を振る。
「あぁ、いえ、そういうわけでは……。ただ、アシュリーさんの話を思い出していたんです」
「あ?」
その言葉で、グレイも先日の説明を思い返した。
ジュビアは現在、アシュリーが考案した模様を体に描き、自身がもつ魔力の器の成長を待っている。それには二、三日の時間を要するとのことだが、その間の注意点も併せて聞いていたはずだ。確か、変身魔法や接収魔法など体の構造を変える魔法の使用を禁じる、だったか。
「あの注意、ジュビアは関係ないと思っていましたが、改めて考えて気になったんです。ジュビアの場合、どこから体の構造を変えていることになるんだろう、って……」
「あー、なるほどなぁ……」
彼女の使う『水流』は、水を自由自在に操るだけでなく、自身の体も水に換えられる魔法だ。しかしそれ故に、どこを境界線として体の構造が変わったと判断するかと問われれば、その返答は困難を極める。
思案の末、グレイはひとつ頷くと顔を上げた。
「わからねぇことをいつまでも悩んでても仕方ねぇ。その模様が消えるまでは、魔法を使わねぇように気をつけるしかねぇだろ」
「……そうですね」
その返答で気持ちが少し軽くなり、ジュビアも首肯を返す。それに、グレイが自分のために頭を悩ませてくれたというだけで胸の奥が温かくなった。
昼食後は二人で後片付けを済ませて、ひと息ついたところでグレイが両膝を叩いて立ち上がる。
「よし、そうと決まりゃあ早速、修行始めるか。なにしろ日頃無意識にも使ってるモンを使うなってんだ。万が一にもお前が大変なことにならねぇために、俺がしっかり見張っててやるよ」
自分の胸を拳でトン、と叩いてみせたグレイの笑顔を見上げながら、ジュビアの頭の中で彼の最後の言葉だけが何度も木霊していた。
──しっかり見張っててやるよ。
つまり、アメフラシ村にあるこの家に越してきて間もない頃のように一緒に修行できるだけでなく、その様子を間近で観察してもらえるということだ。そこでひとつの電撃的な閃きに見舞われる。
それは、とんでもないご褒美なのでは……!?
「グレイ様ったら、そんな大胆な……。はいッ、ジュビアも頑張ります! 是非、今後とも末永くよろしくお願いしますねッ!!」
ジュビアは上気した頬を押さえて立ち上がりざま、喜色満面でグレイの腕に抱きついた。
「だあーッ、どこをどう取ったらそうなるんだよッ」
自宅前に広がる草原に立ち、ラグリアは自分の右手に視線を落としていた。
脳裏に、今朝のカリンとのやり取りが再生される。
『いやぁ、あはは……。まさか僕の技をああも容易くコピーするとはね。こんな経験初めてだな』
『逆の立場なら何度もあったんでしょうね』
『いやいや、他人の魔法を真似る機会なんてそうそうあるものじゃ──。…………』
ラグリアは魔法学校を卒業した後、評議院の諜報部で専ら事務の仕事に就いていた。任務でたまに必要に迫られて戦闘したこともあるが、そんな生活だった故に実戦の経験に乏しい。ギルドに身を置き、日夜様々な依頼をこなす魔導士などには経験量で遠く及ばないだろう。だが、確かにカリンのいう通りだ。
数少ない戦闘の記憶を思い返しても、他人の戦い方を参考にした経験はある。そして、実際に他人の魔法を使ったことも。それは学生時代に知識として触れたことのあるものがほとんどで、そうでなければ魔法書で扱い方を身につけたものだった。
しかし自分はそのことが特別称賛に値するとは思えない。なぜなら、それは『知識にあるものを適宜活用する』という、魔導士に限らず至極当たり前に多くの人がやっている行動にすぎないからである。
ラグリアがアシュリーについて驚いたのはそこではなく、初めて目にする技さえ模倣できるという点だ。一度見ただけの原理もわからない技を、持ち合わせの知識を組み合わせただけで再現など、自分にはできた試しがない。まぁ、彼女の場合『古代図書館』の性質がその腕を支えている部分もあるのだろうが。
では翻って、自分はどうなのか。
いま思えば、自分は『具体化』の性質についてそこまで深く考えたことがなかった。争いを嫌って、戦闘から可能な限り距離を置いてきたラグリアは、たとえ実戦の中で問題が生じようとも、解決するための工夫というものをしてこなかったのだ。
その時、自宅の玄関が内側から開かれ、金髪ツインテールの少女が顔を出した。
「ラグリア、ごちそーさマ!」
元気に手を上げる少女に頷きを返してから、そこではたと彼女が出てくるまでに要した時間に思い至る。
「セリナ、あの鍋に入ってたカレー、まさか全部食べ切ったのかい?」
小走りに駆けてきたセリナは、屈託のない笑顔で首肯した。
「うン、美味しいからどんどんおかわりしてタ」
「そ、そうか。ちょっと作り過ぎたから残りは取っておくつもりだったんだけど、参ったな……」
ラグリアは苦笑とともに後ろ頭を掻きつつ、先ほど途切れた思考を手繰っていく。
自分にとって戦いとはあくまで非日常であり、生活の一部などではないと思ってきた。だが、これからはそうもいっていられない。
『妖精の尻尾』の助力をするという決断は、セリナを今回の戦いに巻き込むことと同義だ。
確かに彼女は精神的に強い。カリンが暮らす魔法の森も数回足を運んだだけですぐに怖がらなくなった。そのメンタルを支えているのはやはり寒さや飢えなどの直接的な脅威と、迫害や蔑視などの精神的な脅威をあまた経験してきたことだろう。それでも、まだ十歳の子供なのだ。
マカロフの前では『心配ない』と言い切ってみせたものの、その実ラグリアは己自身が一番心配していることを強く自覚している。保護者としてセリナを守り抜き、彼女をこの先導いていくためにも、もっと真剣に戦うための魔法の扱い方を模索しなければ。
用意していた食事を完食してくれたことへの称賛と感謝を述べつつセリナの頭を撫でると、彼女はくすぐったそうに笑う。続いて準備運動を始めるよう促してから、改めて自分の右手に視線を落とした。
『具体化』で操作できるものの条件は、具体的な形をもたないものや目に見えないもの、掴みどころのないものの内でその場にあるもの。そこまではいい。
では、魔法で出したものはどうだろうか?
『具体化』を使う際ラグリアが操ってきたのは基本、自然に存在するものだ。そのため、たとえば洞窟などで戦うと日光や風が遮られて著しい火力の低下に悩まされてきた。だが、魔法で出したものを操作できるか否かについては試したことがない。
数多く存在する魔法の中でも、炎や風、水といった具体的な形をもたないものはかなりの割合を占める。自然に存在するものを操っただけでも凄まじい威力を発揮するこの魔法が、仮に他者のそれにも干渉できるならば、大幅な火力の向上が望めるのではないか。
セリナに声を掛けようと口を開きかけたところで、ふと別の考えが脳裏をよぎった。
いや、なにも他者の魔法である必要はない。自分も基礎的なものであればひと通り使うことができる。
それなら──。
ラグリアは僅かな黙考の後、魔力を発動。ごうッという燃焼音とともに、たちまち紅蓮の炎が眼前に出現した。続いて炎の形状を操作。漂っていた炎はすぐに凝集していき、熔融する寸前の金属の如く煌々と輝くひと振りの剣を形作る。
いいぞ、とラグリアは内心でほくそ笑んだ。あとはいまの流れをよりスムーズにこなせるよう、稽古の中で練習を重ねていけばいい。
何気なく火炎剣の柄に手を伸ばしたところで、脳が擦り切れるかと思うほどの激痛を覚えてすぐさま手を引っ込める。
「熱……ッ」
右手の具合を確認しながら、ラグリアは思わず自嘲気味に笑った。
『具体化』で任意の形状に凝縮、また固定した対象は基本的に操作する前の性質を保持する。そしていかに魔導士といえど、自身の魔法と同じ属性のものが完全に効かないという事はそうあるものではない。ゆえにこうして自身が発生させたものでも、扱いを間違えばダメージは避けられないというわけだ。
──これを実戦で使いこなすには、やっぱりかなりの練習が必要だな……。
「ラグリア、なにしてるノ?」
顔を上げると、準備運動を完了したセリナが小首を傾げてこちらを眺めていた。
「早く稽古始めようヨ」
「あ、あぁ、そうだね。そろそろ始めよう」
ラグリアが軽く手を振って魔力を解くと、火炎剣は内側から綻ぶように元の炎の姿に戻り、それもすぐに拡散する。
「今日はどうすル?」
「うん。いままでは主に、セリナが魔力を使いこなすための練習をしてきたね。でもこれからは本格的に、戦うための魔法の扱い方を身につけてもらう。これはセリナが、自分の身を自分で守れるようになるために必要なことでもある。
僕たちに残された時間は意外と短い。過酷な道のりになるだろう。いままでより厳しいことを色々と言うかもしれないが、覚悟はいいかい?」
その問いに緊張した面持ちでごくりと唾を飲み込むと、セリナはひとつ首肯した。
ラグリアは微笑を浮かべて続ける。
「脅かすような言い方をしてしまったけど、固くなることはないよ。初めのうちは稽古の内容もこれまでとそう大きく変わらない。まずは、いまのセリナの得手不得手を確認するところから始めようか。いつも通り好きなように打ち込んできてごらん」
コートのポケットから本を取り出して構えつつ魔力を発動。視野を拡大すると、開いた本を中心に視界が一気に鮮明になった。
対するセリナが一度伏せた目を勢いよく開けると、ライトブラウンの瞳が淡い黄色の光を帯びる。自身の体を電気エネルギーに変換したのだ。
突然、パッとセリナが目の前に現れた。同時に跳ね上がった互いの腕ががっぷりと組み合わされ、接触面で眩いスパークが飛び散る。
『具体化』により思考回転数を増幅していたラグリアの目には、セリナが残す稲光に近い残像がかろうじて見えていた。
無論、彼女の機動は視認できた程度で対処し切れるようなものではない。
『具体化』の性質の一つ、無意識への干渉による自動迎撃能力。意識がセリナの動きを捉えるのに先んじて危険を感知したラグリアの魔力が、彼女の繰り出した攻撃に応じるべく最適な行動を選択。条件反射に近いかたちで突進を押さえ込んだのだ。
空いた左腕で初撃を難なく受け止めると、セリナは両拳でラッシュをかけてくる。密着状態から文字通り電撃の速度で打ち込まれるそれらを、ラグリアは自身の魔力に突き動かされるまま正確に叩き落とす。
自身の脳と肉体が、別々の思考を行っているような途轍もない違和感。しかしここで意識を統合しようとすれば自動迎撃の処理にエラーが生じ、以降のセリナの攻撃をすべて独力で捌く羽目になってしまう。防御を『具体化』の自動操作に委ねつつ、ラグリアは眼前の少女に意識を集中する。
一方で、別の感情に起因する不快感に、ラグリアは内心で眉を潜めていた。
実のところ、ラグリアが自身の『具体化』や戦いを嫌う大きな理由のひとつが正にこれである。どれだけ周囲から高い評価や称賛を受け、それが正当なものであると頭で理解できていても、心のどこかで常に疑念が付きまとう。自分は『具体化』の性質に身を任せているだけで、結局はなにもしていないのではないか、と。
事実、この自動操作能力があるせいで、ラグリアは自身の戦闘をどこか他人事のように感じてしまうことがある。そして戦闘以外でも、どこまでが自分の意志でどこからが操作による行動なのか、その判断は非常に困難だ。故にラグリアはいつしか自身に向けられる評価を『具体化』の性質に対するものとすり替える癖をつけてしまった。それでも、この力を使わなければセリナを、カリンを、自分の大切な人たちを守ることができない。
だからこそ、いまからでも腕を磨く必要がある。
誰かの役に立ちたい。そしてそれ以上に自分の大切な人たちを守りたい。
たとえ、いまは自分の力を好きになれずとも、この性質をより深く知り、より上手く扱うことでその願いが叶えられるというなら、僕は──。
3
スミレ山の頂上に建つ橙鬼館内には、普段とは違い緊張感を孕んだ空気が流れていた。
一時間ほど前、レンカたち『妖精の尻尾』へ向かっていた一団が帰宅。すぐに橙鬼館に勤めるすべての妖精メイドたちが集められ『妖精の尻尾』襲撃の顛末と、反撃のための作戦の説明を受けた。
その後、アシュリー主導で一人ずつ魔力の器を成長させる模様を全身に描き込まれ、現在に至る。
「──以上のように、現在、人間界は存亡の危機に瀕しています。我々は人間との友好関係にある者としてこれを見過ごすわけには参りません」
スミレ山の麓に点在する簡易訓練場へと集められた『白狼隊』ことメープルたち警備員は、上司である鴉天狗の疾風丸文がいつになく真剣な調子で読み上げる連絡を静かに聞いていた。
「よって今後は各々が魔力の器の成長を待つ間、より一層鍛錬に励むように。……以上が、レンカさんからのお言葉になります。いまこそスミレ山の妖怪が再び一丸となって困難に立ち向かうときなのです。私たち広報部も、総力を上げて敵の情報収集に当たるようにとのお達しがありました。人間たちを助け、少しでも彼らの勝利に貢献できるように、各自全力を尽くして参りましょう。──ではこれにて、散ッ」
文が手に持っていた葉団扇──各所を鉄で補強した立派な武器であり、正式名を『鉄葉扇』という──を音高く横なぎに振ったのを合図に、メープル達は一斉にその場で軽く跪くと、みな思い思いの方角へ大きく跳んで風景に溶けた。
規則的に連続する金属音が幾つも飛び交い、手狭な室内に満ちる。それに重なるのは、やや離れた場所で絶えず回り続ける回転砥石の唸り。
炉に放り込んでいた金属素材が充分熱せられたのを確認すると、ヤットコを使って金床の上へ。
愛用のハンマーを一定のリズムで振るいながらも、鍛冶妖精のニクロの心は重く塞がれていた。
「はぁぁぁ……」
長い溜め息をつきながらも右手だけは半ば自動的に動かし続けていると、やがて横合いから叫び声。
「ちょっとニクロッ、手元見てないと危ない!」
「わあぁ、ごごごめんッ」
思わず背筋が伸びる。
それからしばらくは、リズミカルな鎚音にのみ意識を集中させた。
数分後、ニクロがつくり上げた剣を手にとって検分していると、先ほどから少し離れた位置で自分の作業を見守っていた人物が歩み寄ってくる気配。
「まったく、今日は溜め息ばっか吐いてどうしたってのよ? 少しは元気出しなさいよ」
顔を上げると、呆れ顔でこちらを覗き込む少女と目が合った。ベビーピンクのショートヘアーに赤い瞳。背には──彼女が鍛冶妖精であることを示す──先端が歯車のような形状になった銀色の翅がある。
彼女の名前はガーネ。ニクロの同僚にして友人の戦槌遣いだ。
ガーネの問いに、ニクロは眉根を寄せて唸る。
「うぅ……だって、あんな連絡されたら誰だって不安になるよ……」
今し方研磨を終えた武器を満載した籠を脇に置くと、ガーネはやれやれというように金属光沢のある髪を左右に振った。
「泣き言言ったってしょうがないでしょ? それに、あたしたちはいままでにも何回かこういうことを乗り越えてきたじゃない。今回だって皆で力を合わせればきっとなんとかなるわよ」
「でも、今回の敵は竜だよ? 四百年前にこの世界を支配してたっていう、あの……。そんな奴らに剣や槍なんかで敵うはずが……」
「あぁもう、うるさいッ。いい? このスミレ山には鬼っていうとっても強い味方がいるでしょ? それに妖精だって魔法があるんだし。なにも武器一本持って突っ込めなんて言われたわけじゃないんだから、そこまで不安がることないのよ」
ニクロが眺めていた注文表を奪い取ると、隣に腰を降ろしたガーネは出来の悪い弟を励ますような調子で続ける。
「それと、ただの武器じゃ駄目だとしても、鍛冶妖精が言われた通り造らなきゃ満足に戦うこともできなくなっちゃうじゃない。大変ならあんたの分まで手伝うからさ、ほら、頑張ろ?」
ニクロはその言葉に小さく頷きを返した。
「ありがとうガーネ。確かにそうだね。僕たちは自分たちにできる仕事をすればいい。いや、そうするしかないんだ」
確かめるように首肯を繰り返していると、突如背中を強く叩かれ、思わず呻き声が漏れる。
「その通り、よく言った! わかってるじゃないの。それじゃあ気を取り直して、仕事に戻るわよ!」
注文表とにらめっこし始めた友人の手荒い激励に、ニクロは胸中で改めて謝意を告げるのだった。
──けど、いまのはちょっと痛いよ……。
薄暮。
傾き始めた太陽が長い影を投げる石畳の上を、一人の少年が歩いていた。
たまにすれ違う通行人は別段こちらを気に留める風もなく、ただひたすらに歩き過ぎていく。きっと彼らはこれから伴侶や子供が待つ家に帰り、温かい食事にありつくのだろう。
まるで普通だ。いつの時代も変わらずそこにある、人々の平穏な生活風景。およそ二週間後に世界の危機が迫っているようにはとても見えない。
少年は歩きながら、ちらりと自分を見下ろす。
現在、自分が着ているのはとある魔術学院の制服だ。あまり名は通っていないがその歴史は古く、遠く離れた地方から足を運ぶ生徒も多いと聞く。
しかし、自分はその学院に名義上在籍しただけで、本当は一日たりとも通ったことがない。こうして街中を大っぴらに歩きやすくするため与えられた偽造品だが、それに気づく者が現れることは永遠にない。
仮に、これがどこかの学院の、あるいはその学院の制服だとわかる者が自分を見ても『勉強や課外活動で帰りの遅くなった学生』だと考える程度だろう。
少年──フェニクスは内心でほくそ笑みながら、道行く人々にそっと憐れみの眼差しを向けた。
自分のような若者が、世界を破滅に導く大掛かりな計画に加担していると言って、誰が信じるだろうか。
穏やかな風が頬を撫で、靴の裏がコツコツと石畳を規則的に叩く。フェニクスは町を離れ、ひとけのない海辺までやってきていた。
一歩進むごとに足が沈み込む砂浜にやや難儀しつつまっすぐ大洋へ歩み寄る。と、その速度を緩めるでもなく片足を海へと踏み出した。
革靴の底が海面に触れ、足が浸かる──その寸前、フェニクスの足を起点に群青色の氷が出現した。もう一方の足も踏み出すと、その前方に新たな氷が生成・展開される。
海の青よりも蒼い氷はフェニクスの歩みに合わせて前方に次々と伸長していき、道なき水面に煌めく群青の絨毯をつくり出した。
そのまま海上を凍結させつつしばらく歩いたところで、フェニクスはふと足を止め、背後を振り返る。
この辺りなら多少フェニクスが物音を立てたとして近隣の住民に聞きとがめられる心配はなく、またこの時間に目立つ行動に出たとて翌朝まで気づかれることもないだろう。
フェニクスはその場で片膝を突き、静かに丹田に力を込めると、あくまで慎重に魔力を高めていく。
そして──限りなく静かに、それは始まった。
フェニクスの突いた右手を中心として、氷が放射状にその面積をじわじわと拡大していく。ある地点まで拡がったところで、今度は地鳴りとともにその表面に無数の氷の柱が生えてきた。それらは水平方向に壁を伸ばしながら、ゆっくりとひと塊の構造物を組み上げていく。
拡大し続ける土台の上で、刻一刻とかたちを変えていく氷たちがさらに何層も積み重なり、やがてこの国の王宮・華灯宮メルクリアスに勝るとも劣らぬ巨大な美しい城を造り出した。
フェニクスは氷の城を見上げて、微かに口角を吊り上げる。
確かに先日リゼルが造り出した浮遊城も素晴らしい出来映えだったが、実用性ばかりを考えられたあの城はフェニクスに言わせれば些か無骨すぎていた。
これからあの城を拠点に戦おうというのだから無論それで何ら問題はないのだが、やはり自分にはこちらの方が性に合っている。そこでしばらくの時を過ごす以上、多少の遊びがあってもいいだろう。
そこで右手に視線を落とすと、指先から徐々に色味が失われ、透き通り始めていた。フェニクスは小さく苦笑を浮かべて立ち上がる。背後を見ると、先刻まで長く伸びていた氷の足場も、やはり海岸に近い方から光の粒となって夕焼けに溶けていくところだった。
「さすがにこれだけの大作となると、そろそろこの体も厳しいですか」
自嘲気味に笑うと、遠く夕焼け空の向こう、浮遊城にいるリゼルに向けて呟く。
「ここまでの采配、実にお見事でした。宣戦布告から拠点の確保、敵戦力の分析に僕たちへの的確な指示。特に第二の拠点を構える、という策には感服の他ありません。僕の魔法で迅速にことを運び、人目の少ない時間帯を狙って発見の時間をずらす。それにこの方法なら、誰が城を建てたのかもわからず、より効果的にプレッシャーを与えられるでしょう」
足場の崩壊はもうすぐそこにまで迫っていた。だがフェニクスはそちらには目もくれず、続ける。
「ただひとつだけ、不平を述べさせていただくと──革靴で砂浜を歩くのは、骨の折れる作業でしたよ」
最後のひとことを言い終えた途端、足下の氷が四散した。同時に、フェニクスの全身も溶け崩れるように海水と同化する。
後には、夕焼けに染まる主なき城だけが残された。
フィオーレ王国上空に浮かぶ巨大な岩と土の城──浮遊城改め『変革の翼竜』ギルドの外で、二つの影が並んでいた。
その一方、地面に片膝を突いた青髪の少年は、目を伏せたまま静かに口を開く。
「拠点の構築、無事完了しました、マスター」
顔を上げると、傍らに立つ黒衣の少年は満足げに首肯をひとつ返した。
「ご苦労だった。……それにしても、なかなかに便利なものだね、この魔法は」
「まったくもって同感です。こんな技を遺してくれたコバルティアには感謝しかありませんよ」
二人して小さく笑みこぼれると、フェニクスは立ち上がりざまに話題を切り替える。
「ところで、一つお尋ねしても?」
「なんだい?」
「はい、以前から少々気になっていたのですが……。マスターはご自身に『ネメシス』というコードネームを付けられています。しかしコードネームというものはそもそも、本来の名前を明かせない場合や、組織内での情報伝達を素早く行うために使うもののはず。
なのにマスターは『妖精の尻尾』の魔導士たちの前で本名を明かし、僕たちにコードネームを与えようともされません。そこにはやはり、なにか深いお考えがあるのでしょうか?」
フェニクスの問いにリゼルは「あぁ」といってからどこか自虐的な微笑を浮かべた。
「それはね、言うなれば戒めかな」
「戒め……ですか」
「ゼレフ書の第四章十二節に記された裏魔法『天罰』。ゼレフがどんな考えであの魔法を作ったかは知らないが、あの言葉は本来、人間が働く無礼への神の怒りと罰を神格化した存在を指す名だ。
人間は他の生物や自然そのものに対してもっと敬意を払うべきだと僕は思う。フェニクス、君は僕がただ殺戮を望んでいるわけじゃないのはわかるね?」
「無論です。マスターは、人間が自然を傷つけるのを見かねて今回の戦争に踏み切られた」
「そうだ。つまり、人間はとり返しのつかないところまできてしまったと判断した。だから天に代わって、僕がこの手で罰を与えようというわけさ。
だが僕の力、闇の滅竜魔法の本質は破壊だ。不用意に振るえばこの国はおろか、星さえも一瞬で終わらせかねない。それでは人間たちと変わらない。だから僕はこの力を、人間に下す罰としてのみ使おうと決めたんだ。そのための自戒、そのための仮初めの名前さ」
「なるほど……。マスターご自身のお力ではなく竜を使うという作戦も、そのお話が理由なのですね」
「その通り。人類を殲滅するだけならば容易い。僕の全力を込めた一撃で事足りるだろう。だがそんなことをすればこの星の自然まで巻き添えだ。竜を使えば、自然の脅威をもって比較的少ない犠牲のもとに生態系の更新ができる。
かつてこの地に栄えた竜を甦らせ、その強大な力により人類を根絶。その後ゆっくり時間をかけて自然を回復させ、新たな楽園につくり変える。それが僕の目指す竜王祭の果て。
未来のローグは力及ばず失敗したが、僕たちならばもっと上手くやれるだろう。何故なら──」
リゼルはそこで両手を広げると眼下の街を見下ろしながら厳かに告げる。
「人をして竜。竜をして人。義弟と並び立った竜をも超える僕たちこそ、進化した人間の正統なるかたちなのだから」