月明かりが淡く照らす、フィオーレ王国近郊の丘の上。黒髪の少女が厳しい表情で佇んでいた。
少女の目の前、巨大な円形のレンズの中には、闇色に塗られた遠方の空が一杯に広がっている。──否、少なくとも常人にはそう見えるだろう。だが少女の瞳には、その中央に闇よりも濃い胡麻粒大の影が一つ、はっきりと映っていた。
巨大浮遊城型魔導士ギルド『変革の翼竜』。
しばしその姿を睨み据えてから、少女──ミレーネは口を開きつつ背後を振り返る。
「推定、敵本拠地に依然目立った動き無し。そろそろ私たちも動くべきだと思うんだけど?」
そこには草地の上で椅子に腰かけ、本を読む女性がいた。これから重要な任務に当たろうというのに、館から愛用の椅子まで持ってくる読書家ぶりには呆れを禁じ得ない。
「了解。もう少しだけ待って」
視線を手元の魔法書に固定したままそれだけ言うとアシュリーは空中に展開した複数のホロディスプレイを閉じ、最後に風詠みの眼鏡──魔水晶製のレンズに風の魔法を組み込んだ速読用の魔法道具らしい──を外して立ち上がる。
「もう敵地のすぐ側だっていうのに、暢気なものね」
溜め息混じりに呟くと、アシュリーは不服そうに唇をとがらせた。
「いくら私でも、この状況で読書に没頭したりしないわよ。念のために最終確認をしてたの」
「冗談よ。それで? 結果はどうだったの?」
「えぇ。これだけ離れていれば、敵にこちらの動きを悟られる心配はまず無いわね。大陸最高レベルの感知能力でもない限り不可能だし、そんな人間がいるとは考えにくい。それに私たちは自然エネルギーを扱う分、環境と同化しやすいから、気配で気づかれる可能性もごく低いわ」
「なるほど」
『──あのー、それって私たちは本当に大丈夫なんですかね?』
その時、不意にミレーネたちのすぐ後ろからそんな声が頭の中に響く。
そう、この場には、実は他にまだ仲間がいた。だが姿は見えない。出発前、彼女たちはアシュリーの魔法により、その全身を透明化されていたのだ。
『お二人はそれで問題ないと思いますが、私たちは魔力をもってるんですけど……』
不安そうに続ける女性──疾風丸の言葉に、しかしアシュリーは振り返らず涼しげな顔で応える。
「だから万が一に備えて、あなたたちには出発前に魔法をかけたでしょう? 安心して。いまのところリスク管理は万全よ」
一拍おいて、アシュリーは厳かに告げた。
「完全透明迷彩の魔法・ステルス。これをかけたものは視えなくなるだけでなく音や匂い、気配や魔力までほぼ完全に周囲から認識されなくなる。光系の魔法を除けば、この効果が破られたという記録は過去一度も存在しないわ。ましていまのあなた達みたいに透明化してから近づけば、敵は周りに自分たち以外の誰かがいるなんて夢にも思わないでしょうね」
『ふむふむ、そういうことなら安心ですね』
改めて説明を受けて納得した様子の鴉天狗の女性を尻目に、ミレーネは頃合いを見計らって口を開く。
「それじゃあもう一度整理するわよ。まず、文があの浮遊城までルミネアを運ぶ。次に、ルミネアが内部の様子と敵の情報をできるだけ多く、詳しく探る。文はそれをなるべく正確に書き取る」
続きを、再びアシュリーが引き取った。
「注意すべきは、あなたたちは姿が視えないだけで実体はあるということ。服や持ち物、足場以外に触れれば音が立つわ。それと繰り返しになるけど光系の魔法には特に注意して。ステルスは魔力を帯びた光を浴びると解除されてしまうの。この魔法の唯一の弱点と言ってもいいわね」
『だいじょーぶです。敵の力も未知数ですし、そんな近くまでなんて怖くて行けませんって』
口調こそ冗談めかしていたが、このなかでは彼女がこの作戦に一番熱意をもって臨んだことを知っているミレーネたちは、二人で顔を見合わせて小さく笑みこぼれてから表情を引き締める。
「もしなにか異変を感じたらすぐに退くのよ。万が一気づかれても、ルミネアの魔法とあんたの翼があれば敵が動く前に戻って来るぐらいできるでしょ」
『えぇ、勿論ですとも。お任せ下さい』
『どんな小さな異変も、聞き逃しません』
先刻より僅かに真剣みを増した声で文が応えると、隣に立っているのだろうルミネアも頼もしい反応を寄越す。
そこまでで、アシュリーは決然と正面を見据えた。
「──スミレ山諜報部、作戦開始」
その声を合図に、文はルミネアの腰を両腕で抱えてしっかりと固定する。『ステルス』は対象を透明化する他に、視えないものを見通すことを可能にする性質も併せもつ。そしてこの性質が第三者に透明化された者同士でも発揮されることは事前に確認済みだった。
『ルミネアさん、振り落とされないように、しっかり掴まってて下さいね』
『はい。私は魔法で耳を閉じておきますから、文さんは構わず全力で飛ぶことに集中して下さい』
そんなこともできるのかと内心で独りごちると、文は視線を浮遊城に据える。
『わかりました。では、私の合図で思いっ切り地面を蹴って下さい。あの城まで一気に飛びます』
ルミネアが小さく頷いたのを確認してから、文は腰をゆっくりと落とした。ルミネアの足が地面に触れ、膝が曲がっていき──。
『いまですッ』
声を張り上げると同時、ルミネアが地を蹴る。間髪容れず、文も両の翼に全力を込めて宙を掻いていた。スミレ山最速を自負する文をして会心の踏み切り。
ちらりと背後を伺うと、浮遊城を見据える鬼の女性たちの姿がみるみる小さくなっていく。彼女たちが文の動きを知る術はない。羽ばたきにより逆巻く突風を感じたとて、自然に吹き抜ける風との区別もできないだろう。
ここからは、自分たち二人だけの戦いだ。
視線を正面に戻すと、既に浮遊城の外壁が視界一杯に広がっていた。翼を大きく広げて制動をかけ、慎重に着地する。
『ルミネアさん、どうですか?』
岩肌に背を寄せながら訪ねると、音楽妖精の少女は腕の中で頷く。
『ばっちりです。ここからなら、城全体が感知範囲に入ります』
『それは何より。では、始めましょうか』
一方その頃──。
浮遊城の一角に設けられた作業場で、金髪の男性が黙々とハンマーを振るっていた。
作業が一段落したところで手に取ったそれをためつすがめつ見ていると、背後から声を掛けられる。
「やあ、進捗はどうだい?」
ルークが半分だけ振り返ると、無造作な黒髪の少年が歩いてきていた。邪魔が入らないよう入室は完全に遮断していたはずだが、彼の魔力の前ではそれも無意味だったらしい。まぁ、彼が相手なら別段問題もないが。
「かなり順調だ。……しかし、つくづく恐ろしいことを考えついたものだな」
含み笑いをしながら見ると、少年──リゼルもふっと笑みこぼれる。
「君のような魔導士が仲間になってくれたおかげさ。僕の計画は僕らの一人でも欠ければ成立しなかった」
「かもしれんな。……他の奴らは?」
「アトラは下で好きに暴れさせているよ。フェニクスは……」
そこで少し考える素振りを見せてから、続けた。
「たったいま、拠点の構築が終わったそうだ」
「そうか。俺も負けてはいられんな」
「あぁ、よろしく頼んだよ。では僕は戻るとしよう。邪魔をしたね」
「問題ない」
短い問答を終えてルークが作業を再開すると、背後の気配もすぐに消えていった。
1
目元に赤いマスクを着けた長髪の青年・ルーファスは一人、クロッカスの街中を歩いていた。道すがら、一昨日から現在に至るまでの経緯を思い返す。
それにしても、二日前の一件には面食らった。
一昨日、ルーファスは朝の鍛錬を終えてすぐ仲間のオルガと共に依頼に向かった。依頼自体は取り立てて述べるほどのこともない軽いもので、その気になれば自分一人でも達成できただろう。それでもオルガとの協力を選んだのは『メンバー間の交流の機会を積極的に増やしたい』というスティングの意向によるところが大きい。
そうして何事もなく依頼をこなしたルーファスたちだったが、ギルドに帰ってきたとき、事件は既に自分たちの与り知らぬかたちで起きていた。
依頼の達成を報告しようとしてほどなくスティングの姿が見えないことに気づいたルーファスは、近くにいた仲間に事情を訪ねた。
すると明後日の方向から進み出てきたドーベンガルが、緊張した面持ちで一枚の紙切れを手渡してくる。スティングの書き置きらしいそれに書かれていたのは衝撃の報せだった。
今朝方、ルーファスたちと入れ違いに『剣咬の虎』を訪ねてきた謎の二人組により、ギルドは唐突な襲撃を受ける。なんでも、敵は滅竜魔導士で統一された闇ギルドとみられる一団で、同じ滅竜魔導士である『双竜』──スティングとローグの二人に移籍を持ちかけてきたらしい。
無論、飲めるはずもない要求だ。交渉にすらなっていない身勝手な言い分に、二人は即座に決意を固めて彼らの打倒に乗り出す。
だが、敵も然るもの。スティングたちの意表を突く動きでいいように二人を手玉にとると、他のメンバーの介入すら許すことなく立ち去ってしまったらしい。
それからスティングはミネルバの助けを借り、重傷を負ったローグも連れて『妖精の尻尾』へ急行したとのこと。
こうして残された他の面々は、やり場のない困惑を抱えたまま、彼らの帰りを待つことになった。
ただ、ルーファスたちも決してスティングの気持ちが理解できないわけではない。
『妖精の尻尾』には彼と同じ滅竜魔導士であり、なにより彼が尊敬してやまないナツがいる。ローグ以外の仲間の無事が確認できている以上、スティングが僅かでも彼らの助力をしようと必死になっていたのは想像に難くない。
また、手負いのローグまで連れていこうというのはミネルバとユキノの提案だという。
確かにミネルバの操る『絶対領土』は空間魔法の中でも強力無比な一級品だが、万能ではない。効果範囲は術者の視界全体に限定されるし、術者以外の移動には対象と入れ替えられる何かが必要となる。つまり、単純に敵に追いつくことが難しいうえ、複数犯である彼らが相手では『妖精の尻尾』の加勢も襲撃の阻止も現実的ではないという判断だ。
それに加えて、治癒魔法を使えるウェンディの力を借りられればローグの早期快復を見込めるという狙いもあったのだろう。事実、昨日の昼近くに帰ってきた際の彼は、服にこそダメージの残滓があったものの、平素と変わらぬ姿を見せていた。
良かったことといえば、他にもある。
まず、スティングたちの全身に刻まれていた複雑な模様について。
どうやら『妖精の尻尾』襲撃の一報を受けて彼らを助けようと動いたのはスティングたちだけではなかったらしく、手当てを受けた彼らはその後、鬼や妖精、天狗といった妖怪と総称される者たちに出会う。
淡く白い光を放つこの模様は、その中で魔法の研究をしているという鬼の女性に描かれたものだ。二、三日の時間を掛けて対象者がもつ魔力の器を成長させ、『第二魔法源』と呼ばれる潜在能力を引き出すものだという。
注意点としてその間は体の構造を変える魔法を禁止されたらしいが、該当するのはスティングとローグのドラゴンフォースぐらいだったため、彼らも昨日の内から気兼ねなく修行を始めていることだろう。
なお驚愕すべきはミネルバで、妖精の一人が有していた特殊な魔法により、体内の悪魔因子の完全除去に成功したらしい。
『冥府の門』との戦いが終わって帰ってきた後のミネルバは『妖精の尻尾』顧問薬剤師であるポーリュシカの治療により可能な限り元の姿に戻っていたが、あれはあくまで見た目だけの話だった。
願ってもいなかった朗報に、メンバーの誰もが口々に祝福の言葉を投げかけたあの光景は、思い出すだに胸が温かくなる。まぁその後ミネルバが『冥府の門』から帰還した時のように感激のあまり大泣きしたことは、もはや語るまでもないが。
さて、そんな騒動から一夜明けたいまルーファスがなぜ、他のメンバーのように修行に励むでもなく街中を歩いているかというと、理由は先述のスティングの書き置きにある。その末尾に、ルーファス宛てに一つの指示が添えられていたのだ。
敵は世界を破滅させるような大掛かりな計画を実行に移そうとしている。故に奴らのどんな些細な動きも見逃さぬように、クロッカスの周囲一帯の全景を記憶しておいてほしい、と。
あくまで常識に照らすなら、並の人間はおろか魔導士でも完璧に遂行できる者のごく限られる指示だろう。しかしなにを隠そう、ルーファスが操るのは太古の魔法のひとつにも数えられる『記憶造形』である。
記憶にある魔法を基に様々なオリジナルの技を造り出せるこれを少し応用すれば、風景を写真のように正確に記憶するのもそう難しいことではない。
さすがに長期に渡る変化を細部まで覚えるとなると荷が重いが、前日からの変化を確認する程度であれば充分可能だ。
よってルーファスは、突発的な異常事態にも平常心を失わず適切な判断を下したスティングの、マスターとしての成長ぶりを喜ばしく思いつつ、見晴らしの良い場所を目指している。
ルーファスがやってきたのは『剣咬の虎』から近場の海岸へ向かう途中にある物見台だった。
長い石段の最後の一段を上り、顔を上げた──次の瞬間、ルーファスは動きを止める。
「あれは……」
瞳を細めて、正面に見えるそれを暫し眺めてから、羽根帽子のツバを目深に下ろして踵を返した。
魔力を発動するまでもなかった。あれは誰の目にも明らかな異変だ。
敵の情報についてもスティングからひと通りの説明を受けてはいたが、なるほどこれは自分の想像を超える事態の先触れといって差し支えない。
ギルドの扉を押し開けると、朝の遊泳を終えて騒ぐ仲間たちの合間を縫って歩いていく。
「──スティング」
ギルド中央奥の玉座に姿勢を崩して座り、仲間たちと談笑していたスティングはルーファスの顔つきだけで委細承知したらしく、こちらを見るなりすぐに表情を引き締めた。
「さっそく動きがあったか」
居住まいを正したスティングに、重々しく頷く。
ルーファスに連れられて物見台に上ったスティングは、目の前に広がる光景に思わず眉をひそめた。
「なんだよ、あれ……」
遥か彼方の海上に、朝陽を受けてキラキラと煌めく巨大な建物が見える。ここからでは縮尺が掴みづらいが、大きさにしてこの国の王宮・華灯宮メルクリアスほどもあるのではないか。
なにより異様なのは海岸から建物まで相当な距離があるにもかかわらず、建設に用いた足場の痕跡どころか通路らしきものがみられないということだった。
明らかに、魔力による創造物である証。
「見たところ……氷の城、ですかね……ハイ」
呆然と発せられたレクターの言葉に、彼らの傍らで瞑目していたルーファスも目元のマスクに手を当て口を開く。
「ああ。間違いなく、昨日までは無かったものだね。そしてあれほどの規模のものを一晩で造り出す魔力は、私もアルバレスとの戦争以来記憶にない──例の浮遊城を除いては、ね」
スティングはハッとして彼を見た。
「……とにかく、まずはこの事を報告だ」
ルーファスは嬉しそうに微笑する。
「さっそくアレの出番、というわけだね」
スティングは決然と頷いて、氷の城をもう一度見てから、仲間たちを伴ってギルドへと引き返した。
先日、スティングとマカロフは鬼の魔術師・アシュリーから、彼女が独自に製造したという通信用魔水晶を授かっている。
ギルドの倉庫から取り出してきた大ぶりの水晶玉にしか見えないそれをテーブルに設置して起動すると、眼前の空中にどこかの風景が映し出された。
正面に見える巨大な執務机の向こう、一人の女性が椅子に身体を沈ませて本を読んでいる。
縦縞の入った薄紫の寝間着に似た服に全身を包み、長い紫髪の先をまとめるのはいくつかのリボン。屋内なのにナイトキャップのような帽子まで被っているのは、角を隠すためだろうか。
と、彼女も目の前に出現したホロディスプレイ内のスティングに気づいたらしく、顔を上げるとかすかに笑みこぼれた。
「あら、おはよう。なにか用かしら?」
軽く会釈を返してから、すぐ本題に入るべく表情を引き締める。
「多分、敵が動いた。『妖精の尻尾』に繋いでくれ」
「承ったわ。ちょっと待ってて」
アシュリーは再び視線を手元の本に落としながら右手を掲げ、傍らにホロキーボードを呼び出した。そのまま視線を振ることなく操作すると、ややもせず新たなディスプレイが展開する。
──直後、そこに映し出されたものを見て、スティングはぎょっとして仰け反った。
金髪の少女の顔が画面いっぱいに表示され、大きな翠色の瞳がこちらを覗き込んでいたのだ。
「うおッ、アンタなにしてんだよ! ──あぁいや、なにしてる、んですか……」
思わず声を荒げてから、困惑しつつも慌てて丁寧に言い直す。
さすがに相手も驚いたらしく、スティングと同時に「わあッ」と気の抜けたような声を上げて仰け反ると、胸を撫で下ろす仕草をした。
「びっくりしました。外部から通信があった際の予告通知などはないんでしたね」
口元に手をやってクスクスと笑うと『妖精の尻尾』初代マスター・メイビスは続ける。
「私の頃は訳あってこういった魔法道具にあまり縁がなかったもので、気になって観察していたのです」
「な、なるほど……」
相槌を打ちながらも、改めて、この少女はいったい何者なのだろう、と考えた。
外見はウェンディよりもやや年下、十代前半にしか見えない。しかし、そんな容姿からは想像もつかない分析力と思考力をもち、かと思えばいまみせたような見た目の年齢相応の無邪気さまで兼ね備えている。
現マスター・マカロフが八代目で、彼女は初代。更に先ほどの口ぶりから考えてもやはり故人……ということになるだろうか。
では、目の前にいる彼女は、幽霊……?
背筋に薄ら寒いものを覚えたところで、はたと自分の目的を思い出し、首を振って思考を断ち切る。
「あぁ、それで、マカロフさんに急ぎ伝えたいことがあって」
「マカロフを呼べばいいんですね? 大丈夫ですよ。彼ならいま、私の横でお酒を飲んでますから」
──朝っぱらから酒かよ……。
マスター業で忙しいから、いつでも応答できるよう現役を退いたメイビスに魔水晶を預けたのかと思っていたが、違ったようだ。ナツが所属するだけあって、本当に自由なギルドだな、と独りごちる。
「そ、そうですか……。あ、それと、四人同時に話す事はできるかな──ッて、あれ?」
視線を振ると、先ほどまでアシュリーを映していたディスプレイは暗転し、中央に『保留』の文字。
「他に誰かいるのですか?」
小首を傾げるメイビスの問いに、二つの画面の間で視線を往復させながら答えた。
「あぁ、はい。実は、昨日会った鬼のヒトにそっちと繋いでもらったんですけど、なんかいま席を外してるみたいで……」
この空気をどうしたものかとスティングが頭を抱えかけた直後、不意に『保留』の文字が消え、ノイズと共に再びどこかの風景が映し出される。メイビスの前にもディスプレイが現れたのだろう。軽く目を見開くと「おぉ」と小さく口を開けた。
正面に巨大な執務机がある点は変わらない。しかしその奥の肘掛け椅子には、別の人物が座っていた。
頭の両側から後方に向かって部分的に跳ねた特徴的な髪型。その栗色の髪をかき分け額の中央から伸びるのは、円錐形の赤い角。
机の上で両手を組み合わせた橙鬼館当主・レンカは自信に満ちた眼差しでこちらを見据えていたかと思うと、片手をもち上げて挨拶を寄越す。
「ごきげんよう、人間のギルドマスター諸賢」
続いて、彼女の斜め後方に立つ小柄な女性が涼しげな顔で呟いた。
「空間魔法を移動に使うなんて初めて見たけど、なかなかに便利なものねぇ」
アシュリーの言葉に、レンカは苦笑を浮かべて半分だけ振り返る。
「そんなこと言ってると、またミレーネにしごかれるぞ」
するとアシュリーはぎくりとして視線を逸らした。
「それは時と場合によるでしょう? 必要な時に限定して使えばあの子もなにも言わないわよ」
そのやり取りに、アシュリーの反対側で控えていたメイド長のバーナが困り顔で笑う。一方、スティングは内心で首を傾げていた。
たったいまアシュリーは『空間魔法を移動に使うのを初めて見た』と言ったが、スティングの知る限りでそんな事ができる魔導士はミネルバ以外にいない。だが彼女がアシュリーと出会ってから一度も魔力を発動していないことは確認済みだ。となると、そんな力をもつ人物が別に一人はいたことになる。
もっとも考えられる可能性は、先日ルーシィに紹介された三人の知人たち。中でも新たな聖十大魔道に選ばれたというあの赤黒い髪の男性か。彼ほどの実力者なら、自分の想像もつかない魔法を使えても何ら不思議はない。
つまり現状をざっと整理するなら、あのラグリアという男性の技をどこかのタイミングで見たアシュリーが、その効果を再現。スティングがメイビスと話している間にレンカの部屋まで移動し、通信を繋ぎ直したというところか……一応すべてに辻褄が合う。
と、そこでレンカがこちらに向き直った。
「さて。それじゃあ何があったのか、詳しく聞かせてもらおうか」
スティングは彼女の視線を正面から受け止めると、重々しく首肯を返す。
2
こうして、各陣営の代表者会議とでもいうべき話し合いが始まった。
アシュリーが製造した通信用魔水晶は、その見かけだけでは従来のそれと大差ないようにみえるが、実際は現在まさに普及しつつある最新型を遥かに凌ぐ通信範囲を誇っている。加えて、至近距離の人物しか映せなかった従来型と異なり、ある程度の範囲であれば背景を含めた映像の送受信が可能らしい。
よって通信中の四人の背後には、持ち寄った情報を共有するべく数人の仲間たちがそれぞれ控えていた。
スティングが先ほどまでに得られた情報をひと通り話し終えると、レンカが深刻な顔で唸る。
「はーん、空飛ぶ大岩の次は氷の城ときたか」
「……やっぱり、新手がいるってことですかね?」
遠慮がちに発せられたスティングの問いに、しかしメイビスはすぐにかぶりを振った。
「いいえ、そうとは限りません。あの浮遊城は依然として謎が多いままですが、氷の城の方はいまある情報だけでもある程度は考察できます」
一呼吸をおいて、スティングたちの顔を順番に見ると、続ける。
「『妖精の尻尾』を襲撃した二人組のうち『剣咬の虎』に分身を送っていたとみられる少年は、こちらの攻撃を氷のバリアで防いでいました。彼ならば、城を丸ごと造り出せても不思議ではありません」
「氷? 水じゃなくて?」
スティングが思わず聞き返すと、メイビスはこくりと頷いた。
「はい。彼──フェニクスは水の滅竜魔導士ですが、バリアの属性は氷でした。彼の操る滅竜魔法の特性か、セカンドの魔法、あるいはそれらが融合した結果の性質によるもの、というところでしょうね」
「なるほど……。それで、あの氷の城も敵の能力なら、新たな動きがあった意味は……」
「はい。私たちが未だに敵の居場所すら掴めていないのは、彼らの計画の内でしょう。おそらくはその状況を利用して目立つ行動に出ることでさらなる混乱を誘い、こちらを精神的に追い詰めることが目的だと考えられます」
「──あの……一つ、質問してもよろしいですか?」
見ると、スティングの斜め後ろでおずおずと手を挙げたユキノが続ける。
「初めて説明を聞いた時から引っかかっていたのですが、第四世代滅竜魔導士が飲んだ『騎士の聖水』……でしたか? 私、どうもあの魔法薬の効果をいまいち理解できていなくて……。魔法を二つ同時に使える、とは、どういう意味なのでしょうか?」
確かに、それはスティングも同感だった。ある程度の実力者の中には、二つ以上の魔法を使い分ける者もそれなりにいる。しかしフェニクスが語った『第四世代』の特徴は、そんな話とはどこか別次元の問題のようだった。自分も感覚では理解できたつもりでいたが、改めてわかりやすく説明するとなると、ギルドの仲間が相手でも上手く言語化できる自信がない。
スティングが顔を上げると、アシュリーは再び傍らに呼び出したホロキーボード上に指を走らせている。
「私も気になって資料を漁ってみたのだけど『騎士の聖水』についての詳しいデータは得られなかったわ。ただ、いくつかそれらしき情報には行きついた」
そこで不意に、数枚の別ウィンドウが新たにポップアップした。びっしりと並んだ文字の合間にいくつか見える挿絵は、どこかの泉……だろうか。
「同じものの情報と考えられる複数の資料を総合すると『騎士の聖水』は初め、四百年以上前にイシュガルの秘境で見つかったそうよ。出自についてはどの資料にもその程度しか載ってないわ。この挿絵もあくまで当時の人々のイメージだから、元々どんな状態だったのか、正確なところは不明。『翼竜』のメンバーがどうやって手に入れたのかもわからないわね」
アシュリーが一度言葉を切ると、文字列の一部分が拡大され、下線が引かれる。
「次に効果について。この魔法薬は飲んだ者に膨大な魔力を与える。ひとまずこれについては誰でも得られる効果のようね。そして、問題がここから。
『騎士の聖水』を飲んだ者が二つ以上の魔法を習得していた場合、もしくは新たに習得した場合、その内の二つの性質を融合させる特殊な力を与える。つまり、それぞれの性質を残したまま、まったく新しい高次の魔法へと作り変えてしまうの」
「例えるなら一人の魔導士が自身の使える魔法だけで『合体魔法』を発動するようなもの、ということですね」
メイビスの言葉に、アシュリーはひとつ頷いた。
「えぇ、そういう解釈で問題ないでしょうね。それにこの魔法薬の効果は、二つの魔法を融合させられる力を与えるというもの。融合させる魔法は術者の意思で選べる上に元の状態のまま別々に使うこともできるから、戦術の幅は大きく拡がるわ。
加えて、三つ以上の魔法を習得した者の場合、融合する魔法の組み合わせを変えてより多くのオリジナルの魔法を生み出すこともできるの。まぁ付加術と同様に、融合と分解自体にも魔力を消費するらしいから、これに限っては理論上の話になるでしょうけどね」
「つくづく厄介な話だな……」
唸るようにローグが呟いたところで、レンカが軽く手をもち上げる。
「それじゃ、こっちからも報告いいかい? 実は今朝ウチの仲間にあの浮遊城を偵察させたんだが、どうやら敵は、全員が城の中にいるようだよ」
その言葉で、場の空気が一瞬にして張り詰めた。
「他になにか、わかったことはありますか?」
気持ち身を乗り出すように発せられたメイビスの問いに、レンカは軽く首肯する。
「あぁ、あるにはある。あるんだが、どうもあいつらの話は要領を得なくてね……」
そこで明後日の方向に「疾風丸」と下知を送ると、鬼の女性たちの髪がにわかに揺れ、いつの間にか頭に赤い頭襟を載せた女性が映り込んでいた。
「はい、ここに」
応えつつ、女性の視線がこちらの顔を素早くなぞる。
「今朝の報告、もう一回聞かせてくれるかい?」
「承知しました。では人間の皆さん向けに、基本的な情報を交えつつお話ししますね」
そういってペンとメモを取り出すと、黒髪の女性──文は開いたメモに目を走らせた。
「まず、偵察は今朝未明、慎重を期して少数精鋭で行われました。向かったのはミレーネさんとアシュリーさん、そして私とルミネアさんの四人です。初めにミレーネさんが武法で遠距離から敵情を探ったあと、私がルミネアさんを抱えて浮遊城まで運び、彼女の魔法で城全体を探査しました。
敵の感知能力が未知数のため、私とルミネアさんの二人は出発前、アシュリーさんにステルス──完全透明迷彩の魔法で全身を覆っていただき、彼女の空間魔法で安全を確保しつつ接近したかたちになります」
スティングが何気なく視線を振ると、メイビスも静かに相槌を打っている。ただ、その表情はどこか感心しているようにみえた。いまの情報だけでも彼女の興味を惹くなにかがあったのだろうか。
「そして、本題がここからなんですが……」
文はそこで顔を上げ、スティングたちの顔を順番に見ると、困惑したように続ける。
「ルミネアさんのお話をまとめたところ、やや奇妙な結果になりました。彼女自身も不思議そうでしたが」
「奇妙な結果?」
メイビスが言うと、文は首を捻りながら頷く。
「はい……。確かにあの城には複数の魔導士がいるようですが、それが四人どころではないそうなんです」
スティングたちも思わず顔を見合わせた。
「それは、他に仲間がいるってだけじゃないんだな?」
「はい、私もそう思って確認しましたが、ルミネアさんにもよくわからないとのことで……。彼女によると、同じような反応が複数あった、とか……」
その言葉で、ハッとしてメイビスと目配せを交わす。
「そういうことか。なら少し聞いてくれ。敵の中に、分身できる奴がいる。同じ反応がいくつかあったってんなら、多分そいつの可能性が高い」
「はい、まだちゃんと話せていませんでしたが、先ほどの氷の城を造ったとみられる少年です」
「なるほど……そういえばさっき、そんなことも言ってたねぇ」
スティングに続いて口を開いたメイビスの話に、レンカが唸った。
「ちなみに、そいつはどんな姿だったんだ?」
いまの会話を受けてメモを取っていた文に頃合いを見計らって尋ねるが、彼女は申し訳なさそうに黒髪を振る。
「あー、すみません。ルミネアさんの『探索の音色』は超音波の反射で周囲を探る技なので、ものの大まかなかたちはわかっても、それがどんな色なのか知ることはできないんです。あ、ただ……」
そこで顎に手をやると、視線を上向けた。
「彼女はその技を応用して人の心を読めるんですが、その分身能力者についてはこう言ってましたね。『複数の仲間と別々に話していて、どの相手とも親しげだった』と。壁ごしだったこともあって、会話内容まではよく聞き取れなかったそうですが」
メイビスも顎に手をやり、黙考する。
これは一体、どういうことだ? 現時点で集まっている情報を総合するなら、ルミネアが感知したという『複数の同じような反応』はフェニクスのものだろう。だが、仮に他のメンバー全員と同時に話していたとすれば『親しげ』という印象は『妖精の尻尾』襲撃時にアトラと口論していた彼の人物像と矛盾する。
顔を上げると、メイビスは傍らのマカロフを見た。
「八代目、ゴッドセレナは分身できる技をもっていましたか?」
ウォーロッドが寄越した、件の浮遊城がゴッドセレナの魔法と同じ能力によるものという情報は、ギルドに帰ってきた時点で既にマカロフにも共有している。もし自分たちの考察が間違っていて、ウォーロッドの予想通りまだ彼が生きて『翼竜』に協力しているとすれば、事の成り行きの大部分に説明がつくかもしれない。
メイビスの顔つきからそんな思考を汲み取ったのだろうマカロフは──しかし、困り顔でかぶりを振った。
「いや、ワシの知る限りもってませんな。アラキタシアに渡ってから新たに習得したとも考えられますが……」
「そうですか……」
「──あー、すまない。そのゴッドセレナ?ってのはどこのどいつだい?」
軽く手を挙げて差し挟まれたレンカの問いに、メイビスは居住まいを正して告げる。
「去年までこの大陸最強とされていた者です。彼はその身に八つの『竜の魔水晶』を埋め込んだ第二世代滅竜魔導士でした」
「──あ、すみません。少々お待ちを」
文がそう言ったかと思うや、突然彼女の姿が消え、再び鬼の女性たちの髪をもてあそぶ風が吹き抜けた。
数秒後、アシュリーの背後に見えていた窓からすらりとした脚が差し込まれ、新たなメモ帳を片手に鴉天狗の女性が戻ってくる。
「彼についても、幾らかは調べがついていますよ。元聖十大魔道序列一位『八竜』のゴッドセレナ。火、水、風、土、雷、石、闇、光の八つの滅竜魔法を巧みに使い分け大陸最強と認められた彼はその後、海を渡りアラキタシアの大国アルバレスを治めるゼレフの許でさらに力をつけていった。
昨年の戦争でその健在が確認されたものの、突如現れたアクノロギアに敗れ、以降の消息は不明だとか……」
顔を上げた文に、マカロフが重々しく首肯した。
「うむ。そして初代が聞いた話によれば、例の浮遊城も奴の能力のひとつかもしれんということじゃ」
マカロフの言葉に、レンカがすっと瞳を細める。
「そりゃ、またなんとも……」
「より正確には、あの浮遊城がゴッドセレナの魔法と同じ能力によって造られた可能性があるということです。彼が『翼竜』に協力しているのか、能力を奪われたのか、そこまでははっきりしませんが」
「マジかよ……」
メイビスが補足するとスティングの顔が引きつり、場に重い空気が満ちた。それを払うように、メイビスは全員の顔を見て、続ける。
「ではこの辺りで改めて、彼らについて現在わかっている情報を整理していきましょう。
アトラ・バクレイ。爆竜グランディアスに育てられた滅竜魔導士で、その名の通り爆発を操る魔法を使います」
「『妖精の尻尾』を爆破した奴か……」
スティングが拳を握りしめて歯噛みすると、メイビスは首肯した。
「はい。彼は直接触れた箇所以外でも起爆できるらしく、一撃でギルドを崩壊させました。セカンドの魔法については──エルザ」
そこで肩ごしに振り返り下知を送ると、緋色の髪の女性が一歩進み出てくる。
「奴が魔力を発動する直前、一瞬だが奴の手がトカゲのように変形するのが見えた。おそらく、奴はなにか動物に変身する能力をもっている」
すると隣に立っていたミラジェーンも口を開いた。
「私も見たわ。多分、接収みたいな変身魔法……それが彼の使うセカンドの魔法なんだと思う」
こちらが理解したのを確認して、メイビスは説明を再開した。
「フェニクス・リーヴェル。蒼竜コバルティアに育てられた滅竜魔導士で、使う滅竜魔法の属性は水。ですが氷のバリアや城を造り出していることから、セカンドの魔法は造形魔法のように、魔力に形を与えるもの、あるいはその場にあるものを素にして様々なものを造り出す魔法と考えられます」
そこでふとある疑問が脳裏をよぎり、スティングは軽く手を挙げて割り込む。
「そういえば、ウチに来た分身は水でできてた。てことは、あれも滅竜魔法の一つなんですか?」
「なに……?」
マカロフの斜め後ろにいたグレイが驚愕の声を上げ、メイビスも眉をぴくりと動かした。空気に困惑が混じるのがわかる。
「…………。あるいは、セカンドの魔法とそれが融合した結果の産物ということ、でしょうね……。いえ、ですがそれは……」
メイビスはそう言ったきり、顎に手を当て難しそうな顔で押し黙ってしまった。
やがて、見かねたマカロフが彼女の顔を覗き込む。
「あの、初代……」
メイビスはハッとして顔を上げた。
「あ、そうでした、すみません。ともかく、情報の提供に感謝します。
次に『剣咬の虎』を襲ったルークという者ですね。使う滅竜魔法は聖属性とのことですが、他にわかったことはありますか?」
その問いに、スティングは居住まいを正す。
「はい、奴は全身に光をまとって凄いスピードで動き回れます。俺の目でも、追いきれなかった……。セカンドの魔法については、使う前にもう一人と入れ替わられたのでわかりません」
「──換装魔法だ」
顔を上げると、スティングの隣に来ていたローグが真剣な表情でメイビスたちに視線を据えていた。
「奴はなにも無いところから槍を出してきた。そしておそらく、武器からも滅竜魔法を出せる。俺に対しては奴自身との相性もいい光か聖属性の槍を使い、さらに滅竜魔法で威力の底上げもしていたんだろう」
ローグの説明が終わったところで、エルザの瞳の奥が鋭い光を放つ。
「最後に、ギルドマスターであるリゼル・イグドレ。彼は現時点で確認できたメンバーの中でただ一人魔法を見せておらず、実力は不明。それでも、考察の余地がないわけではありません。
まず彼は、自身の育て親がアクノロギアに滅竜魔法を授けた竜であることから、アクノロギアは自身の義理の弟にあたると主張しました。親の竜が『滅竜』と呼ばれていること、アクノロギアと直接面識があるらしいことから考えても、ここまでは事実と捉えるのが妥当でしょう。
そして彼は『妖精の尻尾』を去った後、こちらの追跡を読んでレーダーを無効化しました。このことからリゼルの魔力は『滅竜』の名に相応しく、アクノロギアと同様に相手の魔力を無力化するような性質だと推測できます。
また、たった四人でこれだけ大勢を相手取ったうえで容易には動けない状況にもち込んでいることからも、彼の判断力や洞察力が相当なレベルにあるのが伺えます」
そこでスティングは、前々から気になっていた疑問を口にした。
「ところで、ずっと考えてたんですけど……」
「はい、何でしょう?」
小首を傾げるメイビスをちらりと見て、続ける。
「『翼竜』のメンバーは第四世代滅竜魔導士。そして第四世代は俺たち第三世代の特徴ももってる。奴らはそう言ってました。でも、少なくとも俺が知ってる滅竜魔導士は俺を含めて皆、竜を殺してない」
二年前。『冥府の門』との戦いのなかで、唐突にそれは起きた。
『冥府の門』の策略により発動した恐るべき魔導兵器・フェイス。その正体を、大陸全域魔導パルス爆弾。大陸すべての魔力が消失する危機を救ったのは、X七七七年に姿を消した五頭の竜だった。そこにはスティングとローグが自らの手で殺したはずの育て親たちの姿もあり、当時のスティングたちは大きな衝撃と混乱に見舞われた。
後に彼らが語ったところによると、その五頭は皆アクノロギアに魂を抜き取られており、自身の延命のため、そして滅竜魔法の副作用による竜化を抑えるためにスティングたちの体内で『魂竜の術』と呼ばれる秘術により眠っていたのだという。
さらにスティングとローグはそれぞれの育て親を殺したという実績と自信を与えるため、記憶を改竄されていたとのこと。
また、二年前の竜との戦いでは七人の滅竜魔導士たちがそれぞれ竜と戦ったが、誰一人として彼らを倒し切ることはついに叶わなかった。
つまり、いまスティングたち滅竜魔導士が竜化していないのはすべて親の竜たちのおかげであり、彼らを殺せた魔導士など最初から居なかったことになるのだ。
「だから、奴らが第三世代と同じなら『竜殺しを体験した』っていうのも、育て親に偽の記憶を植え付けられてるだけなんじゃ、って……」
メイビスは少し考える素振りをみせると、一つ頷く。
「確かに、可能性として考慮する余地は充分ありますね。ですが仮にそうでも、彼らの実力は決して侮れるものではありません。
最も良い例が、先ほども説明したフェニクスです。彼は『妖精の尻尾』を訪れながら『剣咬の虎』に分身を送り、その両方で戦闘を繰り広げました。ここからわかるのは、彼が自分とほぼ同じ戦闘能力をもつ分身を自在に出せるということ。さらに、本体から十キロ以上も離した状態を長時間維持したうえ戦闘までこなせることの二点です。
そしてこれらの事実はフェニクスが分身を出していない時、単純に見積もっても彼の戦闘能力が二倍になることを意味します」
その言葉に、スティングはハッとした。テーブルの上でホロディスプレイを覗き込んでいた赤いエクシードが頬を引きつらせる。
「そうか……。自分と同じ戦闘能力をもつ分身を出せるってことは……」
レクターの呟きを、ローグが苦い表情で引き取った。
「逆にいえばそれを出していない間、奴の強さは倍になるか……盲点だったな」
「──それだけじゃねぇぞ」
不意にそんな声がして、マカロフの背後に粗い黒髪の青年が進み出てくる。どうやらいままで画面に映らない位置でスティングたちの話を聞いていたらしい。
「聞いてたのか」
意外そうなグレイの言葉に短く「おう」と返すと、ガジルはスティングに視線を向けてきた。
「さっき言ってた俺たちの親の話、お前らはどこまで覚えてる?」
「え?」
質問の意図を判じかねて、思わずローグと二人で顔を見合わせる。それに構わず、ガジルは続けた。
「俺たちの親は、アクノロギアに魂を抜かれたから延命のために俺たちの体内にいた。つまり生きるためにそうするしかなかったってわけだ。だが連中の育て親は違う。もしお前の予想が当たってたとしても、アクノロギアと同等の力をもつ竜がそう簡単に死ぬとは思えねぇ」
「じゃあ、奴らの体内に竜がいるとしたら……」
「竜化を防ぐ以外に目的はねぇだろうな。そして、万全の状態で入ったなら好きな時に出られるかもしれねぇ。それだけの力をもった竜なら完全に『甦る』こともできるんじゃねぇか?」
スティングが呆然と目を見開いていると、マカロフが腕を組んで唸る。
「そう考えると、奴らの発言とも繋がるのう」
「リゼルが何らかの方法で竜を現代に甦らせることができる、という部分ですね。育て親を利用するという可能性は確かにあり得るのかもしれません」
メイビスの言葉に、ローグが割って入った。
「ちょっと待ってくれ。それだと話が矛盾しないか? 体内に竜が入ると、その時点で記憶も曖昧になるという話だったはずだ。どうして体内にいる育て親を自覚したうえで利用しようという発想になる?」
「俺に聞くなよ。そんなもん、竜の方がそうなるように連中の記憶を書き換えたとか、いくらでもあるだろ」
困り顔になりつつもガジルの示した考えにローグが黙り込んだところで、レンカが頭髪をバリバリと掻く。
「なんというか、本当に色々と面倒だね。もういっそ奇襲でもして早々に片付けるんじゃ駄目かい?」
「お嬢様、さすがにそれは……」
苦笑したバーナの制止に、メイビスも首肯で賛同の意を示した。
「敵の本拠地があの浮遊城だとほぼ確定したとはいえ、この段階で敵を刺激するべきではないでしょう。いまは態勢を立て直し、戦力を整えることが先決だと思います」
「うむ、初代の言う通り。それに、この時間は国民の避難誘導に充てられるという意味でも貴重じゃ。二年前の大魔闘演武の時は、パニックが起きるのを防ぐだけでひと苦労だったからのう」
マカロフが腕組みしたまま頷くと、レンカも本気の提案ではなかったらしく、すぐに意見を引っ込める。
そこからは、再び各自の役目に集中するということで、会議は自然に終了となった。
通信を終えた後、スティングは魔水晶の表面をそっと指でなぞる。
リゼルが指定した次の満月の夜までは、およそ二週間。しかしそれまでにするべきこと、考えなければならないことは山ほどある。
一刻たりとも無駄にするわけにはいかない。
自分も滅竜魔導士として、そしていちギルドを束ねるマスターとして、できることを精一杯やり通さなければ。
3
「それじゃあセリナ、なにかあったら僕たちはすぐそこにいるし、いつでも出てくればいいからね」
「はーイ」
ラグリアが声をかけると、セリナはテーブルに広げた小説と西洋人形から顔を上げ、垂直に挙手した。
カリンによると最近のセリナは人形で物語の場面を再現することにハマっているらしいが、いまの彼女の目の前にはお気に入りの西洋人形のみならずスカルちゃんまで置かれている。
一つ目の頭蓋骨にしか見えないあの立方体形の人形に一体どんな使い道があるというのか非常に気になったが、いまのラグリアには他に優先すべきことがあった。
故にセリナと話し込みたい衝動を抑えつけるように扉を引くと、振り返って歩き出しつつ口を開く。
「それにしても珍しいね、君がこんなことで僕に声をかけるなんて」
芝生の上を斜めに横切り、一二〇度ほど体を回転させて立ち止まると、十メートル前方に立つ金髪の女性は口元に笑みを浮かべて応えた。
「あんたぐらいしか頼める人がいないからね。私の腕前を見せるいい機会でもあるし」
それに、といって右手をもち上げると、カリンはこちらに指先を突きつけてくる。
「今回はそれだけじゃないわよ。あんたの魔法についても、しっかり観察させてもらうんだからね」
その言葉に、ラグリアはふっと笑みこぼれた。
だが、直後にカリンはいままでの居丈高な態度から一転して遠慮がちに続ける。
「ねぇ、ところでラグリア、あんた前に『無意識にも魔力が干渉してくる』とか言ってたわよね。あれって具体的にはどういうことなの?」
「あぁ、そうだね……」
ラグリアはその問いで湧き上がってくる苦い思いを飲み下しながら、顎に手を当てつつ答えた。
「僕の『具体化』が具体的な形をもたないものや目に見えないもの、掴みどころのないものを操る魔法なのは話したよね。でも正確にはこの内でその場にあるものしか操れなくて、カリンが思ってるほど万能でもない。そして、この制約自体もなかなかに複雑でね。
例えば魔力が危険を感知すると、僕の無意識に干渉して自動的に肉体を操作するんだ。防御や回避、迎撃に反撃と自由自在。ただし、この性質で対応しているものに意識を向けて動こうとすれば途端に解除されてしまう。無意識の動きを制御する、という効果だからね」
「ふぅん。それであんたは戦う時、いつも本を読んでるわけ? 敵の攻撃に意識を向けてしまわないように」
「え? あぁ……。確かにそうともいえる、のかな……。ごめん、この性質は戦闘中に限らず常に発揮されてるみたいで、実のところ自分でもよくわかってないんだ。
『具体化』には全力での発動が出来ないという制約があるから、少なくとも僕自身は事故を防ぐリミッターとして本を読んでいるつもりだよ」
カリンは少し考え込む素振りをみせると、複雑そうな顔で肩をすくめた。
「あんたの魔法、ずっと凄い凄いと思ってきたけど、本当は奥が深い……いえ、深過ぎて複雑なのね。色々と大変そう。ごめんなさい、あまり突っ込むべき話題じゃなかったわよね」
「なに、カリンが謝ることはないさ。この魔法を手にしてから、似たようなことはよく言われてきたしね」
ラグリアが微笑んでみせると、カリンも困ったような笑みを返してくる。しかしそれも束の間のことだった。一つ大きく息を吐き出してから顔を上げ、場の空気を切り替えるように歯切れのいい声を出す。
「さて、それじゃあ本題に入る前にもう一つだけ質問よ。いまの話だと、さっき言った自動操作って、自分の意思で制御はできなくても、発動を抑え込むことはできる?」
「うーん、そうだな。気にしたことはなかったけど、意識してない危険に対して反応するんだから、逆にいえばその危険に気づいてさえいれば発動しない、かな。──ん? ちょっと待てよ……」
ラグリアは再び顎に手をやり、黙考した。
先刻カリンが指摘した通り、戦闘中の読書が自動操作のエラーを予防する助けに自然となっている可能性は高い。いくら魔力で視野を拡大しているといっても、その中央にある本に集中してしまえば周囲の出来事に意識が向きにくくなるのは至極当然のことだ。
では、仮にこの状況を意図的につくり出した場合はどうなる? つまり集中力を操作して本のみに向ければ、より確実に自動操作のエラーを防げるのではないか。
可能なはずだ。集中力は、目に見えるものではない。
「ラグリア?」
ハッとして顔を上げると、一つ頷く。
「うん、確実にとはいえないけど、できると思うよ」
気遣わしげだったカリンの顔には、すぐに安堵の色が浮かんだ──かと思うや、その口元はいつもの高飛車そうな笑みを刻む。
「よかった。これで第一関門突破ってところね」
クク、と小さく笑う彼女を内心で首を傾げながら眺めていると、やがて視線をこちらに戻す。続いたのは、思いもよらない言葉だった。
「じゃあ今回は、私が攻撃したらなるべく自動操作に頼らず全部受けて防いでくれる? 勿論、防ぐだけじゃなくて迎撃するのは構わないわ。でも自動操作を使われると私の目的が達成し切れなくなるの」
「え、あぁ、それは別に、構わないけど……」
改めて、なぜ彼女は自分に稽古をつけてほしいなどと言い出したのだろうかと思う。
確かに魔力の総量だけ問うならば、カリンの周りで最も多いのは自分ということになるだろう。だがそれは決して戦闘能力が高いこととイコールではない。
むしろ、評議院の事務職だった自分など大した経験値もないのだから『妖精の尻尾』の魔導士たちなどとは比べるべくもないはずだし、彼女が所属するトレジャーハンターギルド『光精の樹』のメンバーに比しても引けをとるかもしれない。そしてカリンと親しいメンバーの中にも魔導士がいることはラグリアも以前から何度か聞いていた。
それならば、わざわざ自分を呼びつけずとも、もっと気心の知れた仲間に声をかければ貴重な時間を有効活用できたのではないか。そこまで考えて、ラグリアは思わず内心で笑ってしまった。
高飛車な態度とは裏腹に、彼女が繊細な感性の持ち主であることはラグリアとてよく理解しているつもりだ。それにギルド最強の魔導士ともなれば、色々と苦労もあるのだろう。
いかに親しい仲間がいても戦闘面で彼女に並び立つ者がいるか否かは別問題だし、普段から単独で仕事をこなしている立場とカリンの気位の高さを考えれば、安易に頼み事をするのも躊躇われるはずだ。
トレジャーハンターというのがどのような人種なのかは想像するほかないが、ともすればそれだけで嘲笑するような輩も現れるかもしれない。これまでにカリンから伝え聞いた情報を総合すると、そんな予感さえしてくる。もしこれが正しければ、彼女にとってこれほどの屈辱はないだろう。
それに、カリンは人付き合いをあまり得意としていない節がある。『妖精の尻尾』に対しては好感をもったようだが、だからといっていきなり本職の魔導士に魔法のレクチャーをしてほしいとは流石に言い出しづらいはずだ。
そうして諸々の条件を照らし合わせた結果、残った自分に白羽の矢が立ったというところなのだろう。
確かにまだ自分の力は好きになれそうもないが、頼られて悪い気はしないし、周囲に壁を作りがちなカリンが多少なりとも自分に心を開いてくれていることは素直に嬉しく思う。
なにはともあれ、そうと決まれば精一杯期待に応えるとしよう。そう考えながら顔を上げたラグリアを、しかしカリンはなぜだか半眼で見返してきた。
「あの、一応言っておくけどちゃんと手加減はしてよ? 私は魔導士である前にトレジャーハンターなんだし、聖十大魔道のあんたがその気になったらひとたまりもないんだからね」
「わ、わかってるよ。今回は君の攻撃を受けるのがメインなんだろう? 心配はいらないさ。それに、さっきの要求は僕としても助かる。自動操作は無意識の動きを制御する都合上、可能な限り僕の体を守ろうとするから、なかなか加減が利きづらいんだ」
ラグリアの返答に「そう」と言いつつ一瞬複雑そうな表情をつくったカリンだったが、改めて不敵な笑みを浮かべて口を開く。
「それじゃあいよいよ始めるわよ。先に言っておくけど、試合中も気になったことはどんどん聞いていくから、できる範囲で回答よろしく」
その言葉に、ラグリアは苦笑した。
「色々とお手柔らかにお願いしとくよ」
「いや、だからそれはこっちの台詞だっつーのよ」
呆れ顔でそう返すカリンを尻目にコートのポケットから取り出した本を開きつつ魔力を発動。鮮明になった視野の奥、草地に佇むカリンの装備を見る。
彼女はいつも着ている青色の多いドレスの腰に金属製のベルトを巻いていた。軽量化を図ったのか、非常に細かい鎖状に編み込まれている。
あれはHEART KREUZ社が製造したカリン専用の特注品だ。この会社は若い女性に人気の婦人服ブランドで、本来あのような装飾品の類いは製造していないはずなのだが、その事を指摘すると普段を数倍する恐ろしい眼光が飛んでくるため、ラグリアも詳しい事情は聞けずにいる。
そして問題は、神々しいまでの輝きでベルトを彩る大粒の宝石たちだった。
カリンの操る『結晶魔法』は、集中して丁寧に多めの魔力を込めることで、その宝石が本来もつ魔力を何倍にも増幅し引き出すことができるらしい。いま彼女のベルトに嵌っている宝石のなかには、この試合用に準備したものもあるのかもしれない。
と、考えている間に、カリンが動いた。ゆったりとした動作で右腕をもち上げると、彼女の周囲を赤い煌めきが取り巻いていく。
「紅玉の陣・降矢煌天!」
カリンがなぎ払うような軌道で腕をこちらに突き出すと同時、光のそれぞれが凝集し、ルビーの鏃となって殺到してきた。
ラグリアはすかさず左手を跳ね上げる。目の前で白い光の輪が弾けるのとほぼ同時に、鏃たちが空気の壁に突き刺さり砕け散った。
無数の紅玉の破片には目もくれず、ラグリアはその奥に立つカリンの動きを見極めようとする。
カリンは踊るように両手を動かし、周囲に雪の結晶の形をした氷の刃を複数浮かべていた。彼女はあそこから様々な攻撃に繋げることができる。
どんなに些細な動きも見逃すまいと瞳を見開くが、次の瞬間起こったことは完全にラグリアの予想を越えたものだった。
なおも一つ、また一つと氷の刃を増やしていたカリンは、白い霧に包まれた右手を不意に大きく引き絞る。
「氷結の陣・雪時雨・地走!」
カリンが右手を勢いよく振り上げると、直径が彼女の背丈ほどもある雪の結晶がまっすぐ突っ込んできた。
下草を切り刻み、土塊を巻き上げながら凄まじい速度で視界に迫る氷の刃が、見えざる壁にぶち当たり回転。大小無数の氷の枝を撒き散らしながら接触面で火花を放ち、やがて大音響とともに砕け散る。
しかし、空気の壁を展開したままなのはカリンも織り込み済み。ラグリアが目を凝らすと、陽光を反射してきらめく無数の氷の粒の奥で、青いドレスのシルエットが両腕を広げるのが見えた。
それが氷の刃を放つ予備動作だと気づき、とっさに手を素早く左右に払う。ラグリアの手振りに連動して白い光の柱が二本、左右に開いていき、空気の壁を延長。扇状に展開して迎え撃つ。
直後に大きく弧を描いて飛来した複数の小さな氷の刃が空気の壁を挟み込むように激突。再びの激しい火花と共に、雷鳴のような音が広い草原に響き渡った。
ラグリアはそこで、氷の刃が砕けず、軌道も逸れていないことに気づく。小さな雪の結晶はそのすべてが二枚一組となって歯車のように噛み合い、互いの位置を固定しながら鋸よろしく空気の壁を挽いていた。
「翠玉の陣──」
間近で聞こえた声にハッとして顔を上げると、先刻まで正面にいた金髪の女性の姿が消えている。回り込まれたと理解するが早いか、ラグリアは反射的に振り返りざま左腕をなぎ払うように振った。すぐ背後で巨大な白い光の輪が弾け、先ほど延長したものと合わせて二枚の空気の壁がドーム状にラグリアを包み込む。
だがカリンは委細構わず両拳でラッシュを開始。目の前でいくつもの火花と緑色の光芒が飛び散り、視界をホワイトアウトさせた。
──緑?
雷鳴音に掻き消されてよく聞こえなかったが、そういえばカリンが拳を繰り出す直前、確かに技名を呟いていた気がする。
やがて、ひときわ盛大な破砕音を撒き散らして彼女の手元でなにかが崩壊。カリンは舌打ちとともに無数の光の粒の尾を引きながら大きく後方に跳んで距離をとった。額に冷や汗を浮かべるその口元は──しかし、あくまで不敵な笑みを刻んでいる。
「ホンット、無茶苦茶な硬さよね、その壁。全然破れる気がしない。──でも、もう触れたわ」
彼女の言葉に眉をひそめたのも束の間、空気の壁の至る所から現れた緑色の結晶がその面積を拡げ始めた。
「──ッ」
「早く魔力解かないと閉じ込められるわよ?」
カリンがそう続ける間にも、あちこちから拡がる結晶の波が彼女の姿をみるみる覆い隠していく。
とにもかくにも脱出するべく、ラグリアは左手を頭上にかざした。
──空間操作……ッ。
さらに僅かな視線の動きだけで緑色の結晶が完全に周囲を取り巻いたことを確認し、空気の固定を解除。
「──鋼鉄の陣・跳顎!」
そこまでで追撃の技名が耳に届くが、ラグリアは構わず足元を中心に重力場を捻じ曲げる。
上下反転した重力に逆らって脚をたわめると同時、なにか硬質の物体が左右から激突するガキンという音が響き、結晶の膜が軋みを上げる。
幸い、緑色の宝石は見た目以上に頑丈らしく、すぐに破壊されるということはなかった。頬を冷や汗が伝うのを感じながらもラグリアは地を蹴り、直上に展開した空間の境界に飛び込む。
靴の裏が下草から勢いよく離れ、一瞬の目まいに似た感覚の後、ラグリアの体はドーム状の結晶の上空に飛び出していた。果たして、怖気を震うような光景が目に飛び込んでくる。
宝石のドームを、一対の巨大な半円形の鋼鉄が挟んでいた。次の瞬間、無数に並んだ鋸歯が宝石の膜をたったいまラグリアがいた位置ごと大音声と共に破砕。猛獣の顎めいた鋼鉄の輪がガチンと閉じられ、ぞっと背筋が凍る。
だが、この段階に至ってなおカリンの攻撃は終わっていなかった。
ラグリアが視線を上げると、青いドレスの女性が弾丸の速度で視界に迫る。腰溜めにしたその両手に緑色の残像の尾を見とがめて左腕を上げ魔力を発動。
カリンの前腕を覆うほど巨大な手甲状の結晶から伸びた四本の鉤爪を、ラグリアは左腕に展開した空気の円盾で迎え撃った。転瞬、強烈な衝撃が全身を貫き、靴跡を引きながら吹き飛ばされる。
一方カリンは真下に落下すると、閉じた鋼鉄の半円の上に器用に降り立った。見れば彼女の背後の地面では、垂直に生えた巨大な青い結晶の柱がその先端から無数の光の粒となって消えていく。どうやら、あれを踏み台として飛び掛かってきたらしい。
「さぁ、そこからどうするつもりか、聖十大魔道サマのお手並み拝見ってとこかしら」
得意げな顔で小首を傾げて見下ろしてくるカリンを尻目に左手に視線を落とすと、緑色の結晶はすでに空気の盾を覆い尽くそうとしていた。
ここで魔力を解除しても、結晶が腕から剥がれることはないだろう。かといって盾の形状を操作しようにも、結晶が邪魔になるのか拡大も縮小も受けつけない。やはり、結晶自体をどうにかして砕くしかないようだ。
ラグリアはそのまま手をもち上げると、空気を固定して傍らに透明な角柱を造り出す。続けて魔力を発動しながら、その角めがけて腕を振り抜いた。
空気の盾を包む緑色の結晶が柱に触れた瞬間、その膜が粉々に砕け散る。予想以上に重い衝撃が腕全体にビリビリと痺れを広げ、思わず片目をつぶりながらも、内心でほくそ笑む。
カリンは小さく口を開けたまま固まっていた。
「……いま、なにをしたのか教えてもらえる?」
左手を労りつつ、ラグリアはその顔を見上げる。
「衝撃を操作したのさ。宝石の膜に伝わりやすいように。この──」
再び手をもち上げると、魔力を解除。
「空気の柱に叩きつける瞬間にね」
ごくごく自然な動作で鋼鉄の半円から飛び降りてきつつも、カリンは愕然とした表情のまま続けた。
「いや、衝撃って……。そんなこともできるの……?」
「まぁ、一瞬とはいえ『そこにある』ことに変わりはないからね」
「じゃなくて! 衝撃が出てから魔力で操作するなんて芸当、いくらあんたでもできるわけ──ッ」
そこで、はたとなにかに気づいたのか、カリンは顎に手を当て考え込む。
「そういえばあんた、いつもセリナちゃんに稽古つけてるのよね。あの子は体を電気に換えられるから、稲妻の速度を出せるって話だったと思うけど、それって人間が反応できるものじゃなくない? もしかしてこの話、いまの技となにか関係あったりする?」
そこまで言われて、ようやくラグリアも彼女の言わんとすることを察した。
「あぁ、そういえば、まだ説明したことは無かったかな。うん、確かに、電気になったセリナの動きはそう簡単に見切れないし、見えたところで対処し切れるものじゃない。だから普段は防御を『具体化』の自動操作に委ねてるんだけど、同時に思考の回転数を増幅して自動操作の安定性を跳ね上げてるんだ。
カリン、君は一日の体感時間が人それぞれ違うという話を聞いたことがあるかい?」
「子供の頃は一日を長く感じてたのに、年を取るほど短く感じるようになるっていうアレ?」
「その通り。例えば子供は一分間に脳で物事を百回考えられると仮定しよう。でも老人になれば脳の機能が衰えるから、一分間に十回しか物事を考えられなくなるとする。そしたら子供の方が老人より一日を十倍長く感じられることになるだろう? 僕の『具体化』は、思考回転数を増幅することで、体感時間を何十倍にも引き延ばすこともできるんだ。
いまの試合中も、攻撃を受ける時なんかは何度かこの技を使ってたよ。もちろん自動操作が暴発しないように、ずっと気をつけてはいたけどね」
微笑してみせたラグリアの説明に、カリンは感嘆の吐息をつく。
「なるほど。どうりで反応がやたら早いと思ったわ。それなら衝撃が出てから消えるまでに捉えて集めたり、増幅したりするのも朝飯前ね」
「いや、朝飯前っていうほど楽なことでも──」
「それじゃあもう少し質問。『具体化』について魔法書にはどう書いてあったのか、なるべく正確に改めて説明してくれる?」
苦笑しかけたところで質問の意図を判じかね、ラグリアはピタリと動きを止めた。
「ん? そうだな。確か『その場にあるものの内、具体的な形をもたないものや目に見えないもの、掴みどころのないものを『任意の形状に凝縮、固定』して操る魔法』だったかな」
「そして、その条件を満たすなら魔法で出したものでも操れる。反対に通常なら操れるものでも明確な形をもつものは操れない、という話だったわよね?」
「そう、だね……?」
「うん、そこまでは理解できたわ。じゃあ今度は、操れるものについてもっと詳しく掘り下げてみましょう。あんたは普段、自然に存在するものを操ってきた。空気に重力、日光、炎や水、風。あとは……」
「空間も、含められるんじゃないかな」
人差し指を顎に置いて思案に暮れていたカリンは、宙にさ迷わせていた視線をちらりとこちらに向けて続ける。
「……そう、ね。まぁ一つ一つ例を挙げてもキリがないか。
でも昨日、あんたは魔法で出したものでも操れることに気づいて、その練習を始めてる。そうよね?」
ラグリアはひとつ首肯した。
「ああ。あと、制御には慣れてないけど物質の時間も操れるね。それからさっきやってみせたように、衝撃を操って伝わりやすくもできるし……」
「──そこよ、問題は」
カリンは不意に、指先を突きつけてくる。
「?」
「ラグリア、私が今日あんたに稽古の相手をお願いしたのはね、あんたの魔法の性質にいくつか気になることがあったからでもあるのよ。いままでは漠然とした疑問だったから上手く言葉にできなかったけど、やっとはっきりしたわ。
『具体化』は確かに全体的にみれば、あんたが言う通りの性質だと思う。さっき私が挙げたものも、あんたの説明に出てきたものも全部、具体的な形をもたなかったり目に見えなかったり、掴みどころのないものよね。そんなものに具体的なかたちを与えて操るのがあんたの魔法。
──でも、おかしいとは思わない? 時間も衝撃も思考の回転数も、あんたは全部具体的なかたちを与えないまま操れてるじゃない」
「あ……」
ラグリアはハッとして、自分の左手に視線を落とした。
「自動操作については、まぁいいわ。その魔法特有の効果って話もそれなりによく聞くし。空間の操作も、二地点を繋げるのが『元の在り方を変えて新しいかたちを与える』ことに当たるなら、他の空間系の魔法と違ってどんなに長距離を移動してもほとんど魔力を消費しないことに説明がつくし、納得ね。
でも、少なくともいまの三つはそのままの状態で操れてるみたいだし、明らかに不自然よね?」
確かに、カリンの言う通りだ。自分は争いを嫌うあまり『具体化』の性質について深く考えてこなかったが、その事を差し引いても何故いままで気づかなかったのか不思議に思う。
「ラグリア、やっぱりこの魔法、私たちが思ってるよりもずっと謎が多いわ。全部を解明することはできなくても、こうして一つでも多く潰すのはきっと無駄じゃないはず。あんたがこれから先も腕を磨くつもりなら、この作業、私にも手伝わせて」
ラグリアは黙って頷く。『具体化』の性質を掘り下げることが自身の戦闘力の向上に直結するのは、先日セリナに稽古をつけた時から分かっていた。知力と洞察力に秀でたカリンが共に考えてくれるのは心強い。
その時、カリンの家の玄関が開き、金髪ツインテールの少女が中から一歩、ピョンと飛び出してきた。
「私も稽古混ぜテー」
カリンと二人で束の間顔を見合わせると、ラグリアはふっと笑みこぼれる。
「あぁ、構わないよ。ただし、カリンとの稽古が一段落してからね」
すると傍らに立つ金髪の女性が悪戯っぽい笑みを向けてきた。
「せっかくだし二人同時に相手してみる? セリナちゃんの魔法なら、いい練習台にもなるでしょうし」
「いやいや、そんな無茶な。どっちか片方を相手するのがやっとだよ」
「あら、その割には私との試合中は空気ぐらいしか操ってなかったじゃない。まだまだ余裕なんじゃないの?」
「それは、君が攻撃を全部受けろっていうからそうなっただけで……」
「私は自動操作を使われたくなかっただけで、攻撃するなとはひとことも言ってないわよ?」
ラグリアは痛いところを突かれてうめく。
話の流れで、カリンは自分が普段どのように攻撃を防ぐのか確かめようとしていると思い込んだが、いまの会話と考え合わせても彼女は一貫して『具体化』の全体的な性質に興味を示していた。
また、よくよく思い返せば『迎撃するのは構わない』『ちゃんと手加減はして』という発言も、ラグリアの攻撃を想定した結果といえるだろう。
つまり、ここまでの試合は『具体化』の技を実際に目で見て、過去に聞いた説明と比較する検証作業。同時に自動操作に頼らない約束を取りつけることで、先ほどの疑問をラグリアに自覚させる狙いもあったのかもしれない。
カリンは挑戦的な瞳を優しいものに変えて、続ける。
「さっき聞いた制約のこともあるし、なにも本気を見せてほしいわけじゃないの。ただ、二人で考えるよりセリナちゃんもいた方が色んなことに気づけると思わない?」
「そうだね……。ありがとう、カリン」
こちらを見上げて小さくひとつ笑うと、カリンはセリナの方へすたすた歩み寄っていった。かと思うや、その脇をすり抜けて自宅の戸をくぐる。
なにをするつもりかと思っていると、ほどなくして戻ってきた彼女の腕には、一つ目の頭蓋骨のような人形が抱えられていた。
「とはいえ、セリナちゃんの動きは思考の回転数を増幅でもしなきゃ、目で追うこともできないのよね。そこで、私は考えたわ」
芝居がかった調子でカリンが両腕を開くと、その傍らにスカルちゃんが浮かび上がる。
「新たに記録機能を追加したこのスカルちゃん改で試合を記録して、後から見返すの。風詠みの眼鏡の仕組みを応用して再生速度も自由に変えられるようにしたから、セリナちゃんの動きでもある程度は見えるはずよ」
改めてラグリアは感嘆の吐息をついた。
「確かに、いい考えだね。それなら試合中にセリナを目で追う必要はないし、さっきみたいに色々と考えながら戦わずに済む。ただ……セリナは稲妻の速度、つまり音速を軽く超えるんだけど、そこは大丈夫かな?」
風詠みの眼鏡は速読用の魔法道具であるため、映像を記憶できる魔水晶にその機能を組み込めばスロー再生や早送りも『ある程度は』可能だろう。
X七九三年現在、最新版の風詠みの眼鏡の倍率は百二〇倍にまで向上している。それでも、稲妻の速度は一番遅いときでさえ音速を圧倒的に上回るのだ。ラグリアがリミッターでセリナの出力を抑えているとはいえ、カリンの追加したという記録機能がいかに高性能でもさすがに荷が勝ち過ぎているのではないか。
そう考えながら遠慮がちに尋ねると、カリンは含み笑いをしながら軽く胸を反らす。
「それも当然対策済みよ。スローにした映像をさらに記録すればどんどん遅くできるでしょ? 映像はその度に少しずつ粗くなるけど、最新版の技術を取り入れたから、大した問題にはならないと思うわ」
「なるほど。そこまで考えてるなら、お互い思う存分試合に打ち込めるね」
先刻の称賛の気持ちも含めた率直な感想のつもりだったが、言葉選びの間違いに気づいた時には遅かった。カリンは束の間動きを止めると、したり顔で口角を吊り上げる。
「そう。ここまで綿密に計画して準備を整えたんだから、お互いに心配することはもう無いの。そしてひとまず私の疑問は解消し切ったし、いまからは自動操作も使ってくれていいわ。というわけで──」
そこでくるりと半回転すると、まだ玄関先に立ってこちらを眺めていたセリナに向けて、ラグリアが最も恐れていた通りの言葉を口にした。
「──おいで、セリナちゃん。私と二人で一緒にこの人と試合するわよ」
「え、いいノ?」
意外そうな顔で寄ってくるセリナにも、大きく頷いてみせる。
「えぇ、勿論。この人は大陸で十本の指に入るぐらい強いんだから、二人でも全然充分なハンデとはいえないわ。ただし、私から一つルール追加。二人で同時には攻撃しないこと。説明が難しいんだけどラグリアの魔法は色々と複雑で、危険なところがあるらしいの。とにかくこれだけは守らないと大変なことになっちゃうかもしれないから、しっかり気をつけてね」
「はーイ」
まだ状況を呑み込み切れていなさそうな顔ながらも素直に返事をしたセリナを尻目に、カリンは不敵な笑みを浮かべた。
「じゃあ気を取り直して第二ラウンド、始めましょうか。私もまだ見せたい技はいくつもあるから、楽しみだわ〜」
ラグリアは、やれやれと首を振る。
「どうなっても知らないからな……」
力なく笑いつつも、ラグリアには右手の本を再び持ち上げて構える以外の選択肢は残されていなかった。
ラグリアが魔力を発動して視野を拡大すると、二人が同時に大きく後方へ跳んで距離をとる。見ればセリナのライトブラウンの瞳は平素と変わらぬままで、淡い黄色の光を帯びる気配はない。カリンのペースに合わせるためか、初めから速攻を仕掛けるつもりはないらしい。
なにはともあれ、自動操作の暴発で二人に怪我を負わせる事態だけは避けなければ。そう肝に銘じながら、ラグリアは二人の動きに意識を集中した。
それから決戦の日までのおよそ二週間、ルーシィたちは思い思いのやり方で修行に明け暮れた。
大多数の『妖精の尻尾』メンバーの全身を淡く発光させていた模様も日増しに薄れていき、最終的にアシュリーの説明通り三日目までに全員が何事もなく第二魔法源解放の行程を突破。その間じゅう給仕や皿洗いの仕事に苦戦していたエルフマンなどは、模様が完全に消えたことを確認するなり「遅れを取り戻す」といって喜び勇んで依頼に繰り出していった。
またメイビス曰く、難航するかに思われた王国政府との交渉も思いの外良い手応えを感じられているらしい。最大の懸念材料はやはり、未来ローグの一件で魔導士への警戒を色濃くするダートン国防大臣の存在だったが、そこは父親のトーマ前国王から魔導士を愛する心を受け継ぐヒスイ女王が上手く取りなしてくれたということだろう。
そうして迎えた、開戦当日の朝。
「いよいよだね」
浮遊城の頂に立ち、眼下の街を眺めながら口を開いたリゼルは、傍らに立つ青髪詰め襟の少年に向けて続ける。
「街の様子は?」
「はい。王国軍の誘導により、先週の内にクロッカスの全市民が避難を完了。また、マグノリアでも『妖精の尻尾』のメンバーとみられる魔導士主導で市民の避難誘導が進められ、同じく全市民が避難したようです。他の地域についても急ピッチで避難誘導が進められており、現在では王国軍と魔導士以外のほぼすべての国民が安全を確保したものかと」
フェニクスの返答に、リゼルは鼻を鳴らした。
「フン、まぁいいさ。僕たちの当面の目的は滅竜魔導士、ひいては王国中の全魔導士の排除だ。この国には六……いや、七人の滅竜魔導士がいる。彼らを残らず狩ることが出来れば、計画の成就に大きく近づける。そうなれば王国軍も他の魔導士も最早敵ではない。抗う術をもたない人類の根絶など、時間の問題だ」
フェニクスの反対側で屈んでいたアトラが歯を剝き出して獰猛に笑い、さらにその隣のルークも腕を組み瞑目したまま口元にわずかな笑みを刻む。
リゼルは鷹揚に手を広げると、続けた。
「今宵、世界は四百年の時を遡り、竜がすべてを支配する時代が再び幕を開ける。僕たち大昔の人間が現代人類の歴史をここに閉ざし、かつての地上の覇者が帰ってくるんだ。なかなかに感慨深いじゃないか。今日は素晴らしい日になる。さあ始めよう。理想郷はもうすぐ目の前だ」
リゼルの最後の言葉を合図に、フェニクスの全身が溶け崩れるように霧散する。ルークも眩い光に身を包むと、金色の彗星のような軌跡を夜空に残しながら彼方へと消えていった。